カラス
朝、出勤のため家を出ると通りの少し向こうでバタバタとなにやら騒がしい音が聞こえた。どうやらごみの集積場からのようだ。通りがてらに覗いてみると、ごみに被せてあるネットに一羽のカラスが絡まっていて逃げ出そうともがいていた。放っておこうかとも考えたが、今週の集積場管理の当番が近所でも口やかましいことで有名なおばさんだと思い出した。あのおばさんがこのカラスを見つけたら箒かなにかでもってしこたま叩き、場合によってはカラスを殺してしまうかもしれない。僕はカラスを救ってやることにした。
カラスは両足と片方の羽をネットに取られているようだった。広げた羽をバサバサと羽ばたき半狂乱になっている。僕は身を屈めゆっくりと近づいていった。近くで見ると思ってた以上にカラスは大きく、少し怯む。「よしよし」と声をかけ近づくと、僕の存在に気がついたカラスは増々激しく暴れだした。
「大丈夫だから。助けてやるから。少しじっとして」
すると不思議なことにカラスはぴたりと動きを止めて、じっとこちらを見た。僕はほっとしてカラスを網から外してやった。幸いなことにネットは複雑に絡んではおらず、案外簡単に外れた。自由の身となったカラスは通りの真ん中まで両足を揃えてピョンピョンと跳ねていくと、そこで立ち止まり少しの間こちらを見ていた。そしてカアとひと声鳴くと空高く飛んでいってしまった。
次の日の朝、目覚めるとガラス窓をコツコツと叩く音がする。カーテンを開けてみるとベランダにカラスが居た。カラスは僕の姿を認めると口に咥えていた何かをその場に置き飛び去っていった。ベランダに出てカラスが置いていった物を手に取り検めてみると、それは10センチ足らずの針金だった。グニャグニャと曲がっていたがまだ新しいようで銀色に光っている。僕は昨日のカラスだろうと直感した。もしかしたらお礼のつもりなのかもしれない。空になったジャムの瓶をきれいに洗い、そこにカラスが置いていった針金を入れ引き出しに仕舞った。
その次の日もカラスはやって来た。今度は穴の開いた小さく平たくて丸い金属製の板。おそらくワッシャーだ。建築現場で拾ってきたのだろう。そしてその次の日は一円玉、その次の日には木ネジとカラスは毎朝やって来てはピカピカと光る小さな物を置いていった。僕のジャムの瓶の中のコレクションも増えていった。
ある朝、いつものようにカラスの気配が窓の外にして、見てみると銀色のリングを咥えていた。カラスはいつものようにそれを置くと飛び去っていった。残されたリングを手に取って見ると、それは指輪だった。表面には何も意匠が施されていないが、どうやらプラチナ製で高価な物のようだ。僕は交番に届けた方がいいものかと考えたが、どこで手に入れたかを説明するのはちょっと面倒だと思った。カラスが持ってきましたと言って信じてもらえるものだろうか。少し迷った末、その指輪もジャム瓶のコレクションに加えることとなった。
次の朝、そろそろカラスが来るころかなと待っていたが、結局その日は姿を現わさなかった。そしてその次の日も、またその次の日もカラスはやって来ず、それっきりカラスの姿を見ることはなかった。
数年が過ぎたある日、僕の家に結婚の約束をした彼女が遊びに来た。晩ごはんを作ってくれるというのだ。彼女がキッチンで調理をしている間、僕はリビングのソファで本を読んでいた。すると彼女がリビングにやって来て言った。「ねえ、こんなのあったけど」。その手はジャムの瓶を持っていた。その存在をすっかりと忘れてしまっていた僕は、はっと驚いて言った。「ああ、それか」
「話すと長くなるんだけど」僕は言った。
「なんだか面白そうね」
「料理の方は大丈夫」
「うん、ひと段落したところだから」
彼女は僕の隣に座った。僕はカラスとのいきさつと、その瓶の中身の事を話した。彼女は面白そうにその話を聞き、瓶の中身を検めていた。
「あら、この指輪すてきじゃない」
「だろう、その指輪だけ高価なものみたいなんだよな」
彼女は指輪を右手の薬指にはめた。「サイズもぴったり」彼女は両手の甲を目のまえに並べて言った。両手の薬指には対となって指輪が輝いている。その姿を見て僕は言った。
「そういえば君と初めて会ったとき、そのきれいな、艶々と輝いている黒髪を見て何かを感じたんだけど、今思うとカラスの羽を連想していたのかも知れないな」
「あの時そんなこと考えていたの。よっぽどそのカラスに未練があったようね」
「そうかもね。もしかしたらあのカラスが人間に姿を変えてやって来たのが君だとさえ思っていたのかも」
「残念でした。でも、きっとそのカラスって雄よ」
「どうして」
「決まってるじゃない。カラスでも人間でもキラキラと光り輝くものをプレゼントするのは雄に違いないわよ」
「ああ、なるほどね」僕は思った。そういえばもうすぐクリスマスだよなあ。
カラス