暗闇の平熱

日常の中の苦しみから生まれたお話です。※私小説ではありません
私のテーマがいろいろ詰まった作品でとても思い入れがあります。

自分のことを哀れみたくない。

 なにかが足りない気がして、男とセックスをした。満ち足りる、には程遠いけど、ちょっとだけ紛れた。誤魔化したという表現の方が適切か。砂場で砂を掻きわけただけのような、あまり意味のないものだけれど。
たくさんの男。一度寝ただけで彼氏面する男、なんども寝ているのに私の名前を正しく呼ばない男、なにごともなかったような顔をする男。
私が一番淡白だ。
男を受け入れるたびにあった痛みをあまり感じなくなってから、熱の感じ方もぼやけてしまったような気がする。鮮明なものがほしくてさらに熱心に男を求める。私の不完全さ。熱いのに芯が冷え切っている。私の体温は平均くらいだと思う。でも男に触れると冷たいと抗議の声を上げることがある。私が冷たいのか男がみんな熱いのかわからない。触れば熱を奪えるだろうか。もっと温まりたいと思ってしまうのに、どんどん冷えていく。
 なにかが足りないと思ってしまうのは傲慢なのかもしれない。なんでかわからないけれど寂しさ、みたいのがポツッとあって、無理やり潰すとニキビみたいに膿が出てくる。それを「寂しさだ」と断言するのはなんとなくいやだ。男にそういった話をすると一〇〇パーセント「寂しいの? かわいいね」と私をかわいそうな女にしようとする。こういうのはいやだ。弱い女というか扱いやすい女だと思われるのはいやだった。私は自分でそう見せているだけで偽って、猫被っているだけで本当はもっと強い。
 そう思っている。自分のことを一番自分がわかっている。
つもり。
 自分のことを哀れみたくない。
 哀れむのって、この世で一番惨めな行為だと思う。だったら手首を切った方がましだ。赤い線で生きていることを確認できる。かわいそうかわいそうな私。って。「悲劇のお姫様」はそのうち助けてもらえるって信じきっているから、結局喜劇でしかない。
 私は、自力で這い上がれる。助けなんて、いらない。
 まだ夏には早いのに、部屋のクーラーは利きすぎて寒気すらある。私が鼻を鳴らしていても男は気づかない様子だった。自分は暑いからだろうけれど、クーラーの温度をさらに下げようとしていた。私が小さな声を上げると、初めて私の存在に気付いたような顔をして振り向いた。私はベッドサイドのティッシュペーパーに手を伸ばした。
「痛かった?」
男がきく。名前、なんだっけ。くっきーって書いてあった。いつものように、マッチングアプリで出会った男だ。飼っているポメラニアンの写真の方が多くて、メガネをかけているってことしかわからなかった。アイコンは斜め後ろから撮った頭の写真で、プロフィールは「くっきーです。社会人。ポメ飼ってます。一才半♀名前はクラフト」という、年齢が書いてあるだけポメラニアンの方が情報が多いくらいのものだった。数回しかメッセージのやり取りをしてないけれど、なんとなく会うことになってしまった結果の、疲れきった私。
 それだけのいぬ好きを表明しておきながら、一度もいぬの話題を出さなかった。やりとりも基本的に「仕事が疲れた」「お疲れ様」当たり障りのないものしかない。浅い関係。
「そんなには。ちょっと休めば平気。……お水買ってもいい?」
 私は男が答える前に裸のままベッドから降り、部屋にある小さな冷蔵庫を開けた。外の自動販売機なら一〇〇円で買える。どの飲料も普通の倍の値段はするけど、私は気にせずボタンを押した。
「はぁ? いや、水くらいいいけどさ。俺いいとは言ってないじゃん」
 けちな男。まあおごってもらって当然と思っている私よりはいい。当然の反応だ。あるいは無理やり連れてきておきながら、「俺、今金ないんだ」とか私に全額払わせるやつに比べたらずっといい。
 悲しいことに、お金を出しても仕方ないかと思えるような体験ができていないのだ。痛いばかりで気持ちよくない。激しくすればキモチいいと思っている男たちの愛撫はどれも痛い。乳首をつままれたら痛いに決まっているのに。女性の身体は痛みを感じないとでも思っているのだろうか。そのくせ自分たちの痛みには敏感で、もっと優しく、とか平気で口にする。いつも男の体液でベトベトになって不快だし、喉の奥に強制的に咥えさせられて射精されたり、髪につけられたりする。いいことなんて、ひとつもない。髪を巻くのもなかなかに時間がかかるからホテルの洗面所でさっさとは直せない。
 男がイクときに声をあげながら私をぎゅって抱き締めるのは嫌いじゃないけど。それだけ。その瞬間だけがほしい。純粋な熱の塊だ。欲望だけだった男たちは欲望を吐き出す瞬間赤ちゃんみたいな温かさに変わる。
ほんとうに救いようのない。
 温もりの中にいるときだけが、ほんの少し、ほんの少しだけ紛れるのだ。なにかが。
 水を飲んでいると、ちょうど壁についている電話が鳴った。
 私が出ようとするとすかさず男が出て、「延長は、大丈夫です」と言った。
 部屋に連れ込むまでは男はテンションが高かったのに、いまは私の手を握りもしない。
 淡々と駅まで私を見送っていた。電車に乗ると、土曜日の昼間だから探すまでもなく椅子に座れた。スマートフォンには早速通知が来ていて、なんかちがったねっていう失礼きわまりない言葉があって、私が返信をする前に「じゃあね」って颯爽とブロックされた。
 つまらない。つまらない日常。どうしようもない私。
 電車内も少し寒くて、私は足を組んでごまかした。自分の体温ですら暖かく感じる。スカートは高校生のように短くも派手でもない。いつも周囲に紛れるようにグレーとかベージュとか柔らかいパステルカラーとかでまとめる。今日も黒トップスにモカベージュのストレートスカート。パンプスだけ差し色で黄色。仕事では着ないけれど、私の私服は完全にオフィスカジュアル。だから、はたからみても私がいまさっきまで男とセックスしていたなんて思われないと思う。こんなまだ明るい時間に帰っているからなおさら。
真面目に生きてきたはずなのに、なんで私はこんなことをしているんだろう。
 高校では三年間勉強だけしていて、大学ではじめて彼氏ができたけど長続きしなくて、社会人になったら男漁りをしている。私の生き方、どこで間違ったのだろう。気にしなければそのまま生きていけるのかもしれない。でも息が詰まる。生きにくいと感じるのなら、なにかが間違っているんだ。
だって、だれも教えてくれなかった。同じような生き方をしていると思っていた友達は、大手化粧品メーカーで営業をしているときいた。彼氏もいて、幸せそうな写真をインスタグラムにあげていた。私は安いことで有名な洋服店で働いている。それは悪いことではない。正社員だし。でも、勉強をして勉強をしてやっと入ったあの大学を出てまでやる仕事なのだろうか。今年入ってきたのは短大卒の可愛らしい女の子だし、アルバイトの子は案の定というか、女子高生だ。私の通っていた高校はアルバイト禁止だったから、羨ましい。もっとはやくに仕事を経験しておけばよかった。そうすれば就活での苦しみがもっと軽く思えたかもしれない。書類審査が通らなかっただけで人生全てを否定されたような屈折した気持ちを味わう必要なんてなかった。もう、私が学んできた栄養学とかどうでもよくて、受け入れられればよくなってしまった。
 男は賢者タイムと、こういうのを呼んでいるのだろうか。セックス後に急に冷静になるやつ。なんというか、私は後だから冷静になってしまうというわけではない。そのときにこういったことを考えてしまうとただでさえほとんど感じることがない気持ちよさを逃してしまうから。お酒に酔いたい気分のときと同じだ。後々の頭痛のことを考えたくない。  知ってる。現実逃避というやつだ。
明るいうちじゃないと考えられない。夜一人のときだったら死にたくなっちゃう。無価値。自分がそう思えてしまったら終わりだ。価値がないのなら生きている意味がない。現代人の死に至る病。私は重症患者。病棟に隔離しても治らない。地球上で最後の一人になってもこの気持ちは抱き続けるんじゃないだろうか。人間は群れないと生きていけないから面倒くさい。一人でも生きていけたらいいのに。そうしたらつながりを求めないでも自分らしくいられるだろうに。そうしたら、こんなにみじめにならないのに。
マッチングアプリも同じだ。いいねがいっぱいついているとうれしくて、そのためにこのむなしいやりとりを続けている。
考えない。考えちゃだめ。本当はこういう認められ方をしたい訳じゃない。わかっている。でもほかに方法がわからない。
仕事も精一杯やっている。評価もそれなりにされている。でもそれが昇進や給料に反映される訳じゃない。華々しくはない。私じゃなきゃ出来ない仕事ではない。やり方を覚えれば誰でもいい。私じゃなくてもいい。
 どこでも同じ。
 同世代の歌手やアーティストをよくテレビでみるようになった。ちょっと前は自分よりもそういった人たちは年上で、憧れの対象だった。それなのに、私と同じ年齢。あるいは下の子たちの活躍も見られ始めている。
 私はつまらないなか淡々と過ごしているのに、彼らはどうして輝いて見えてしまうのだろうか。ひがみ。じゃないと思いたい。
最寄り駅に着くと、私はコンビニに寄った。サラダとヨーグルトとチョコレートを買って、私のための小さな家にゆっくりと歩いて帰った。
防犯ミラーに映った自分を見ても、スタイルは悪くないと思う。でも人並みで、目を引くような魅力はない。あくまでも悪くないという評価。B判定しか出ない私。運動も勉強も、特出したなにかがあるわけじゃない。歌とかもカラオケで平均くらいしか出せない。
 なにがあるのかわからない。
 つまらない日常を、つまらなくしているのは私自身だ。努力もしない。助けも呼ばない。それなのに無い物ねだり。早く家に帰りたい。私のお城。お城と言っても美しいものではない。城塞だ。私を守るための場所。
私はいつも自分勝手だ。自我を保つことに精一杯で回りが見えなくなっている。そう、その感覚も自覚もあるけれど、どうしようもないの。目隠しをして走っているような感覚。もしかしたら周囲に私を助けようとしてくれていた人がいたのかもしれない。それでも目隠しをしている私には見えない。
手を伸ばして、空をつかんだ。コンビニのビニール袋が風に揺れたのかクシャっと鳴った。
本当につかみたいものがわからなくなっている。昔、ただ勉強だけをしているときはよかった。いい点数をとれば、堂々としていられた。私はテストが好きだった。自称進学校ありがちな、上位五人は教室に、教科ごとに点数と名前が張り出されていた。私はどれだけ多く名前が掲載されるかを楽しみに、毎日五時に起きて勉強していた。テスト前は三時に起きていた。点数は目に見えるからいい。たくさんの赤い丸も。
 大学に入って、テストが少なくなってからどうやって自分を証明すればいいのかわからなくなった。レポートの評価はBが多かった。
 ふと、足を止めた。
「こんなとこ、あったっけ」
 ちいさな花屋がそこにあった。本当に小さくて見落としかねない。おしゃれなプレートが掲げてあるが、フランス語のようでそれをどう読むのかわからなかった。足を止めていたの自体は数秒だったと思う。でもそれに気づいた店員らしき女の人が私に声をかけた。
「いらっしゃいませ。どうぞ」
 その明るい声に私は店内に吸い寄せられた。
 色とりどりの花。自らが美しいことを知っているような花たち。
 私はまた否定されたような気持ちになってしまう。
「こんにちは、どんなお花お探しとかありますか」
 先ほど私に声をかけた店員さんだ。純朴という言葉が似合うような女性だった。彼女一人でこの店はやっているのだろうか。やや焼けた肌にはうっすらとそばかすが浮いている。化粧自体も薄く、それを隠そうとはしていないが、逆に女性の素直さを表しているようで見ていて好感がもてた。ひとつにくくったポニーテールも飾り気がない。年齢は私くらいだろうか。もしかしたら少しだけ上かもしれないけれど。
「いや、こんなところにお店あったかなって……ちょっと気になって入ってみただけです」
 私が正直にいうと、女性はふふっとはにかんだ。
「そうだったんですね。実は昨日からのプレオープンなんです。見つけてくれてありがとうございます!」
 彼女の笑顔に胸の中のなにかが痛んだ。
 花の中にいる彼女は、凛としている。
 ふいに唇が震えてしまった。いつも、私は唇を引き結んでいる。それが緩むと微笑ではなく、苦しさがこみあげてしまう。喉の奥がヒクついている。生唾が自然にあふれ出す。そしてそれらはゆっくりと、目に上がってくる。
 呼吸ができない。熱いものが喉につっかえている。声が漏れないように口を押えると、私の意思とは反して喉が鳴った。抑えきれない。苦しい。
 ああ、だめだ。
 私は強くないと。
 弱い私を彼女に見せたくなくて目をぎゅっとつむった。涙は出ていない。唾を、ゆっくりと飲み込んだ。大丈夫。ほら、飲み込めた。
 眼を開くと、彼女はなにも言わずに花を見つめていた。意図的に私から目をそらしてくれたのかもしれない。
 視線が彼女の視線を追った。
 そこにはガーベラがあった。
「きれい」
 私は思わず口に出していた。花をきれいだなんて思ったのはいつぶりだろう。高校の時、先輩たちが卒業式で抱えていた花束はやけに美しく感じた。自分がもらったときはそんなこと思わなかったけれど。
 私は白いガーベラを一輪だけ買った。
 なんでこの色かわからない。なんとなく、ガーベラは赤いイメージがあった。でも赤ではなく白を選んでいた。
 かわいらしい店員は、最後まできれいなお辞儀をした。
 家に着くと、テーブルの上にコンビニ袋を投げ出し、花瓶になりそうなものを探した。花瓶なんて持っていない。まだ資源ごみの日じゃないから幸いなことにビタミンドリンクの瓶があった。ラベルもそのままで、あまりおしゃれではない。でも一輪だけ挿すにはちょうどいい口の大きさだった。
 先ほど丁寧に包んでもらった花の周りのビニールを無造作にはがし、適量水を入れた瓶にガーベラを活けた。
 さきほど耐えていたものがあふれてくる感覚があった。
 どうしてだろう。いつもの私の城塞なのに。私の生活空間にある異物。ガーベラを中心に私の世界が変わっていく感じがした。
 私がほしかったもの。熱。先ほどの店員の無邪気な笑顔が浮かぶ。見つけてくれてありがとうございます。ありがとうございます。リピート。どうしてそんな顔で笑えるんですか。
 自分が汚く思えてしまう。やめて。そんなにきれいに笑わないで。純朴そうな彼女はどういう男を選ぶんだろう。この人ひとりと決めて一生添い遂げるんだろう。きっと芯から温まることができる。
 ガーベラの白さは彼女みたいだ。
 私。暗闇の中に、希望を見つけられるのだろうか。このまま走り続けていたら見失ってしまう。でも、どうやって止まればいいの。
 ガーベラが揺れる。淡い光をはらむような花びらが、静かに私を手招く。
 外はまだ明るいのに、部屋は薄暗いし湿っぽい。私の城塞。私の心を守るお城。ここには男を入れたことがない。私の好きなものであふれているきれいな場所。テーブルもラグも淡いベージュで統一されている。全身が映る、シンプルな木枠だけの鏡。映っている私は、私の知っている私と少し違って見えた。泣いているの? 鏡の中の女は弱弱しくうなずいた。嘘でしょう? 首を振る。辛いの。それは私が言ったのか鏡の中の女が言ったのか。鏡の中の女から私は目を逸らした。
 統一感のある部屋の小さなテーブルの上の柔らかな一輪。
 光は私を優しく包み込んでいる。ほのかな温かさすら感じる優しい色彩。
 この部屋にはこのガーベラがないといけなかったんだ。やっと完成したね。私はたった一輪を探していた。
「ああ、私、がんばってたね」
 やっとみつけたよ。
 どうして、あんなにも耐えていた涙がこぼれるのかわからず、私は声を上げて泣いた。

暗闇の平熱

読んでくださりありがとうございました。あなたの心に残るなにかがあったのならうれしく思います。

暗闇の平熱

苦しい中で、どうやって生きていけばいいのかわからなくなる日は誰にでもきっとある。生き方は誰も教えてくれないから。

  • 小説
  • 短編
  • 成人向け
  • 強い性的表現
更新日
登録日
2021-12-17

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