あなたが泣くから私は笑う

 あと二カ月。それが私に残された時間。私は彼らのおかげでここまで来れた。
 松井くん、小野くん、村岡くん、その三人で構成された大人気バンド「三日月」は今年をもって解散する。
 大好きな彼らを想うとき、私は彼女たちのことを想う。


 私は罪人だ。
 小学生時代、同級生のKをいじめた。私はKを無視し、避け続けた。Kは実年齢の割に幼く、それが私は気に入らなかった。Kはすべてを先生にチクった。事実を訴えただけならまだいいのだが、Kの言い分は大げさだった。
 私は先生に嫌われた。先生方は私を監視し、そして無視した。
 私は誰一人として人間を信用できなくなった。自業自得だということはわかっているつもりだ。
 中学時代は不登校で、二十歳になった今はニート。遊び仲間のことを、私は心から信頼することが出来ない。仲間を信頼することが出来ない。
 苦しむことを防ぐために、ふつふつと湧き上がる負の感情を押し殺しているうち、気が付いた時には私は感情を失っていた。喜びも悲しみも、何もかもなくなってしまった。
 そんな私を救ってくれたのが、三日月の音楽だった。
 私はあの日のことを一生忘れないだろう。三日月が解散を発表した日。それは三月中旬の、季節外れに寒い日だった。
 私はその時、たまたま滅多に見ないテレビを見ていた。すると、ちょうど午後五時、ニュース速報のテロップが流れた。それは私を震撼させた。
「大人気バンド三日月が来年末で解散を発表。」
 解散まで一年と九カ月の期間があった。その間、私はできる限り三日月の音楽を聴かないことにした。解散後のことを考えると、好きになればなるほど辛くなるのが目に見えている。
 会見の日からしばらく、私はずっとネットを見続けた。何でもいいから、三日月に関する情報が欲しかった。私の大好きな、三日月の三人。音楽から好きになったけど、その三人の姿を見れば見るほど、仲間ってどんなものなのかとか、友達ってなんなのかとか、私にはわからなかったものを学べたような気がする。
 Kをいじめていた頃、私には大親友がいた。彼女はSちゃんという。Sはいつも私と同じ意見だった。私とSは気が合っていたんだと思っていたけど、よく考えたら違った。私はそれにあの時気付けなかった。
 Sは私に合わせていただけなんだ。Sとは友達なんかじゃなかった。私はただ、Kをいじめた罪人以外の何物でもないのだと悟った。私なんていらない人間だ。だって、私は最低なことをしたから。
 手が震える。苦しくなる。
 昔のことを思い出すと、かならずつらくなるんだ。


 二月一日金曜日。某有名歌番組三時間スペシャルが放送された。この番組は毎回生放送で、その日も例外ではなかった。
 司会者に例のことについて聞かれても、にっこりと笑って対応していた。三日月らしい、安定感あるトーク。登場シーンの三人の緊張した面持ちを見て不安になっていた私は、少しほっとした。
 三人は思い出を語っていた。
 デビュー当時の初々しい三人。この番組に初出演したときの映像。局に残っている若かりし日の三人の映像。様々な思い出の像が放送された。それを見る三人の複雑な表情が、ワイプに映し出されている。
 三日月が歌う番は最後だった。その日のパフォーマンスは、オーケストラとコラボするものだった。発表があってから初めてのパフォーマンス。最新シングル「君へ」とファンへの感謝を綴った名曲「満月」を披露した。
 画面には、一人ひとり順に映し出される。
 小野くん。カメラを見ていない。固い表情。緊張がどうしても取れないのだろう。
 松井さん。カメラをじっと見据えている。うんうん、と彼は小さくうなずく。安心して、とでも言っているかのようだ。
 村岡くん。会場を見渡しているのだろうか。インカムをつけていない彼は、今大きくテレビに映っていることをおそらく知らない。
 全音符を多用したバックオーケストラの編曲。バイオリンからコントラバスまで、ストリングスの美しいハーモニー。それはきっと、演出家でもある村岡くんが考えたのだろう。
 あの日、三人は言っていた。さいごまで笑っていようって。それは嘘だ。
 みんな泣いている。涙を零してこそいないけど、今にも感情が溢れ出しそうな六つの瞳。
 小野くんのラップ。彼はそつなくこなす。しかし後ろで演奏する二人は今にも崩れてしまいそうだ。
 突如、小野くんが歌詞を変えた。
 みんなが光。
 みんな、みんな、みんな。私の頭の中で、その三文字の言葉はこだまする。歌が途切れ、間奏に差し掛かると、彼らはみんなステージの真ん中に集まってきた。ぎゅっとくっつき、一つのマイクで、三人はテレビの向こう側のファンへ言葉を届ける。
 私はそれを見逃さなかった。
 カメラが一瞬引きになった瞬間、小野くんが目元を衣装の袖で拭っていた。
 私はすぐにツイッターを開いた。
「小野くん、泣いてる?」
「小野くん泣いてるやん」
「小野くんが泣いてて、私も泣くんだけど……」
 小野くんに関するツイートが溢れている。いや、三日月に関するツイートが溢れている。
「松井くんもやばい」
「松井くん、小野くんのこと見てた。優しい目で見てた。」
「村岡くん、手が震えてる。」
「村岡くん、いつもより堅いね」
「さっきの歌詞変で泣いた」
「三人とも、声震えてる。」
「村岡くんがんばれ!」
「松井くんがんばれ!」
「小野くんがんばれ!」
「やっぱ三日月っていいな」
「一番の三日月ファンは三日月なんだな」


『二〇一八年七月、話し合いははじまりました。メンバーそれぞれと何度も会い、三人でもたくさんの話し合いを重ねました。それぞれの少しずつ異なる思いを、解散という結論に着地させることになりました。
デビューした頃には、想像もつかないような、信じられないほどのたくさんの方が、僕たち三日月を応援してくださっています。
ありがとう。
言葉では伝えきれないたくさんの感謝の思いを、これから時間をかけて、ゆっくり、伝えていきたいと思っています。』
『ずっと話し合いを続けてきて、このような決断に至りました。最後まで走りぬくこと、また、ファンの皆さんと楽しい思い出を最後まで描き続けられるように、一日一日を精一杯過ごしていけたらと思っています。きちんとこの決断についてお話したうえで、自分たちも前を向いて日々を過ごしていきたいという思いや、僕たちの決断を理解していただけるまでには時間がかかるだろうということから、このタイミングで発表させていただきました。
 これから一年と九カ月。今まで応援してくださったファンの皆さんに感謝の気持ちを伝えていく、そんな時間になったらと思います。』
『最初に話を聞いた時は、想像もしていなかったので、驚きました。ですが、それから何度も話し合い、それぞれの思いを尊重し、このような決断に至りました。
 三日月は、三人で三日月です。この三人だから三日月です。そして、ファンのみなさん、関係各位の方々、まだまだお世話になります!』

 会見の時の三人の挨拶。あれを初めて全文読んだときは、内容がまったく頭に入ってこなかった。でも、今ならわかる。
 過去の罪を洗い流すことはできない。でも前には進める。贖罪することを、違う方向で生かすことが出来ると思う。
 私は、社会人一年目として、何とか就職できた某ハンバーガーチェーン店で働いている。三日月に出会えた私は、小学生時代の私とも、中学・高校時代の私とも違う、私になれる気がする。
 いよいよ残り二カ月になった今、私はまだ泣いていない。私はずっと笑う。笑い続ける。だって、三人はあの会見のあと、いつも笑ってテレビに出ていたから。でも、あの時だけは、泣いていたから。

あなたが泣くから私は笑う

あなたが泣くから私は笑う

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-12-15

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