恋愛願望
なまなましい、だれかのかなしみさえ、地球は享受する。むなしさだけを抱えて、元素記号になりたかった夜があり、あの夏のバケモノのことばに、蝕まれているためにみえるものがある。まちあわせは、おおきなコーヒーカップがまわってる看板の、喫茶店のまえで。ノアに貸していた本がかえってきて、でも、わたし、もうその本読まないかもしれないと思う。好きだったはずなのに、一瞬、その好きなきもちが陰るときがあって、そうなると、いともかんたんに手離してしまう。ノアがレモンティーを飲みたいというので、喫茶店に入って、窓際の席に向かい合って座り、ノアはレモンティーを、わたしはカフェオレを注文し、ノアが、本の感想をぽつぽつと述べながら、たばこに火をつけて、わたしは、そういえばそんな内容だったなぁと思い出しつつ、返してもらった本の表紙を、撫でる。べつに、情もなく。愛着もなく。ただ、手のなかにあるから、触れた、という感じ。喫茶店のマスターは、あらいぐまで、カウンター席の男のひとが食べているミルフィーユが、かなり美味しそうにみえて、でも、ダイエット中だから、がまんする。恋ってよくわからないね、というのが、ノアの、その本に対する総評であって、にんげんはすぐに恋をしたがるけれど、なぜ、と考えこみはじめた、ノアは、おそらく近いうちに、恋を経験するのではないかと予想している。あらいぐまがぺたぺたと、レモンティーとカフェオレを持ってきて、わたしとノアは、ちいさくおじぎをする。ごゆっくり、と言って、あらいぐまが微笑んだ気がしたけれど、にんげんのように表情筋がはっきりしないので、気のせいかもしれない。
たばこの灰を灰皿におとしながら、ノアが、恋してみたいな、と呟いた。
恋愛願望