銀座のライオン

 クリスマスシーズンの昼下がり、僕は銀座の有名デパートの入り口前で女の子を待っていた。12月にしては暖かな日で、クリスマスのデコレーションで彩られた街を大勢の人たちが行き交い、ある人たちはデパートの中へ入っていき、またある人たちは出て行った。すると誰かが僕をよぶ声がした。
「もしもし、そこの君」
 辺りを見回してみてもそれらしき人は誰もいない。気のせいか、あるいは他の人を呼んでいたのかと思っているとまた声がした。
「ねえそこの君だよ、ちょっと振り向いてごらん」
 言われたとおりに振り向くとそこには銅像のライオンがいた。銀座のシンボル的な存在であり、待ち合わせの場所に指定されたり、またやんちゃな若者に背に乗られたりしたライオンだ。僕もこのライオンを待ち合わせの目印として女の子に伝えていた。ライオンは百獣の王としての威厳を感じさせる笑顔で僕を見下ろしていた。
「あ、どうも」僕は挨拶をした。銅像が話したとかライオンに呼びかけられたという驚きよりも、銀座の街で見知らぬ者に声をかけられたという警戒心が心を占めていた。だがライオンはそんな僕の気持ちには気づいていないようだった。
「ちょっとお願いがあるんだけど」
「お願いってなんだろう」
「初めて会った人にこんなことを頼むのは気が引けるし、たぶんおかしなことだとは思うんだけど、少しの間ぼくの代わりをしていて欲しいんだ」
「代わりというと、そこの台座の上で座って居ろってことかな」
「うん、そうなんだ」
 僕は彼が乗っている台座をそっと触ってみた。ひやりとした感触が手に伝わる。これは寒そうだなと思った。
「代わってあげたいのはやまやまなんだけど、僕は女の子と約束をしていて彼女が来るのを待っているところなんだ」
「でも、ぼくはずっとここから君を見ていたけど、もう2時間は経っているよ。残念だけど見込みは薄いと思うけど」
 僕は腕時計を確認した。たしかに約束の時間を2時間過ぎていた。はあっとため息をついたあと、僕はライオンに言った。
「でもライオンの君の代わりに僕がそこに居たとして、待ち合わせの約束をしている人たちは困らないだろうか。目じるしが無くなってしまいデートの予定がダメになってしまったら申し訳ない」
「それは大丈夫だよ。案外ひとはそこにあると思っているものが変わってしまっても気付かないものなんだ。たとえば君が通勤にバスを使っているとするだろう。そこである朝、いつも使っているバス停が他のバス会社のモノに変わってしまっていたとしても多分気がつかないと思うよ。それどころかバス停がカカシに変わっていたとしても気がつかないかもしれない」
「そういうものかな」
「そういうものだよ」
「わかったよ、代わりは引き受けた。でもひとつ聞きたいんだけれど、ライオンの銅像の君が代わりをたててまでの用事ってなんだろう。いや、ライオンだって銅像だって急な用事があったっておかしくはないと思うよ。でも、よければ教えてもらえないかな」
 ライオンは台座から降りると僕の正面に立った。意外に大きかった。彼は身体を支えていた肘と膝を揉みほぐしながら言った。
「今日、妹の結婚式があるんだ」
「なるほど」
「たったひとりの妹で、長い間会っていなかったんだ。その妹から手紙が来て、結婚するからぜひ出席してくれって」
「それは行かないわけにはいかないね」
「うん、そういうわけなんだ。君が代わってくれると言ってくれて心から感謝してる」
「それじゃあとは任せて」
 ライオンはいそいそとデパートの中へと入っていくと、少ししてパリッとした礼服姿で戻ってきた。さすが銀座の有名店に勤めているだけあって収入は良いらしい。生地も仕立ても一流の礼服だった。「じゃあ、あとはよろしく」と言うと有楽町駅の方へ早足で歩いて行った。
 僕は台座に上るとライオンの座っていた姿を思い出し、その姿勢とった。日が暮れると街の灯りが灯され、通りの賑わいは華やかになっていった。冷たい風に晒されながら、僕は台座の上から通りを行き交う人たちを眺めていた。体が冷え切り、デパートのシャッターが閉まって少しした頃にライオンが帰ってきた。
「ただいま」
「お帰り。意外と早かったね」
「うん、大急ぎで帰ってきたから」
「急がせちゃってなんだか悪かったね。結婚式はどうだった」
「いい式だったよ。君のおかげだよ」
「それはよかった」
 僕は台座を降りて、ライオンがしたように肘と膝を揉んだ。ライオンは着替えてくるからと言って裏口の方へ行った。戻ってきた彼は「はい、お土産」と言って持っていた包みを僕に渡し台座に上がった。
 僕は家に帰るとお土産の包みを開けた。信玄餅が入っていた。僕はお茶を淹れながら思った。山梨が故郷のライオンもいるんだなあ。

銀座のライオン

銀座のライオン

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-12-11

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