はぐれ雲

浮浪雲はぐれ雲


 四階の小さなベランダにあるコスモスが小さく咲いていた。妻の和子は花が好きだ。気がつくと季節季節で小さな花がベランダの角を飾っていた。
和子がデパートの布団の販売員として午前九時過ぎに相模原のマンションを出ていった。六十歳になる夫の武部一郎は妻の出るのを見届けて、テレビのスイッチを切りベランダに出て用具入れに収納してある托鉢道具の入った黒のトートバッグを取り出して、ジーパンと白のポロシャツに着替えてマンションを出た。
妻は日頃から夫の一郎が世間並みに真面目に働かないで何かに取り憑かれた様に托鉢に出て行く夫を許せない気持ちでいた。(托鉢など辞めてパートでも何でもいいから真面目に働いて)が口癖だった。だから彼女が出勤したのを確かめてから托鉢に出て行くのであった。
彼女は夫に何を言っても聞く耳持持たないから無駄だと決めつけいる。夫婦とは形だけで僅かなお金を稼いでくるだけでも息子に払う家のローンの足しになるので耐え忍ぶしかなかった。
妻の和子は愛情も抜けて離婚しても良いと心の覚悟は出来ているような素振りでいだ。
夫婦の会話らしい会話は殆ど無い日々だ。

秋の気配がそこまで来ている。天空に鱗雲がなびいている。
黒い大きめのトートバッグを持ったポロシャツ姿の武部一郎は小田急線藤沢駅の構内で定番のアイスコーヒーを飲み終えると階段を降りてロータリーに出た。藤沢駅ロータリーは今日の托鉢の出発点だ。
階段を降りると右側に交番がある。その隣りの作業小屋に沿って路地があり突き当りは線路だ。托鉢をする時はこの作業小屋を無断で借りている。鉄条網で仕切られた線路に沿ってある作業小屋の屋根はトタン葺きだ。一坪ほどの粗末な空間で壁には棚がありバックとか誘導棒とかカッパとかが置いてある。ここは交通誘導員の休憩所だ。武部一郎は藤沢駅で托鉢をする時はこの物置を無断で借りている。ここで電車から降りて普段着から法衣姿に着替えるので普段着を入れたトートバッグを一時置いてもらう場所に交通誘導員に無断で使用させて貰っている。
今日も図々しくここで着替えていると年老いた交通誘導員が仕事から戻って来て
『ここで、着替えをされてはこまるのですが』
と、怪訝な顔つきで言った。

『ああ、ごめんなさい、バック一つだけ置かせてください。駅前でわずかな時間だけお経をするもので、怪しいものではありませんから』と軽く会釈をして謝ると迷惑そうな顔つで、交通誘導をする時に使う赤いカラコンを二つ重ねて持って出ていった。もし断られると黒いトートバッグに普段着入れて持って歩き、托鉢をする場所の傍らに置いて托鉢をしなければならないので助かったのだ。
交通誘導員はまさかお経を唱えるお坊さんがここで法衣姿になるなど思ってもいないのでびっくりしたと思う。それと同時に『ははーん、この坊さんは偽物だな。本ものならこんな警備員の物置小屋で法衣に着替えるはずがない。堂々と法衣姿で電車に乗り降りして行動すればいい。この人はその日暮らしの賽銭欲しさの偽坊主に違いない。まあ、いいか。人それぞれの生き方があるからね』と穏便に済ませてくれたのだと勝手に思い込んでいた。
武部一郎は托鉢で家族を養っている事に引け目を感じている。常に良心の呵責に苛まされているのだ。托鉢坊に姿を変えた乞食坊主の自分の生き様にだ。偽坊主のくせにお経を唱えては幾ばくかのお賽銭を貰って生きている事は半分は罪深い男だと思っているのだ。欺罔行為ではないのかと俺を悩ます背後霊が付きまとうからだ。正式にお寺で修行を何年も行い得度を授かった坊さんではない自分に引け目を感じているのだった。
泣き言や引け目を感じるならまともな仕事に就いて頑張ればいいと思うのだがどうも勤める事に抵抗感があるからこの托鉢の孤独で自由な暮らしが気に入っている。

 藤沢駅の正面の壁を背にして托鉢を始めた。この辺りの駅はほとんど歩き回った。戸塚、藤沢、大船、鎌倉、横浜、厚木などだ。テルトリーといってもよい。賽銭というのかお布施が入らないと生活ができないので電車に場所を変えることがしばしばある。場所の移動は坊主姿のままで移動する。朝と家に帰る時だけ着替えをする。妻のいる町田のマンションに坊主姿で変えるわけには行かない。近所の人の目もあるし。世間体だ。引き売りの焼き芋屋の時も帰るときは借りている駐車場は住まいから離れていた。妻は自由自在に好き勝手にしている夫を芯から情けない男だと思っていたようです。

藤沢駅南口のバス乗り場にバス待ちの人々が座っている。武部一郎はバス待ちの人たちにも姿がわかるように駅舎の壁を背にして読経を始めた。網代笠で顔を伏せて。作務衣に茶色の夏用の法衣を着て首から輪袈裟と図多袋をさげ、白足袋に草履を履いて両手に鉄鉢を持ってお経を唱え始めた。
(観自在菩薩 行深般若波羅蜜多 照見五蘊。。。。。) 般若心経を
藤沢はお布施がゼロになることもあるので、正直、気が入らない時もあるが、そんな時は、覚えたての日蓮宗妙法蓮華経方便第二の経本の冊子を声を上げたり誦経をしている。
お経はあの音色というのか、意味は不明でも心に響く何かがあるので心の深淵に触れる感動があった。




真言密教の呪文、光明真言、観音経など不二易断にいた時に覚えた経文も当然の如く身体が覚えているから出てくる。
お経の混成で、唱えればいいとは思っていないが、お経の意味とか理解力がないものだから、一郎にとってはどれもこれも同じなのだ。
どの経文も読経していると落ち着いてくるのと時間を忘れるので、その時は真剣だ。
お経をしながら頭をよぎることがある。
天の声が聞こえるのだ『お前は矢張り偽者だ。網代笠で顔を隠しているではないか。それに、電車の中では普段着で移動をしている。それに比べ身延の上人は素顔でお経をあげ、一日中修行僧の姿だ。そんなに自分のしている事が嫌なら托鉢をやめたらいい』と年がら年中言ってくるのだ。
確かに天様の仰る通りだ。毅然としたところがない。自信がないから、目標が定まっていないからだ。
一郎は天に詫びを入れた。
『おっしゃる通りです。恥ずかしいのです。昔、店をつぶした後に、立ち上がり資金としてわざわざ持ってきてくれた友人の借金が気になっていて、顔を合わせられないのです。もしか、恩人の人にあってしまったら、と思うと、、、。というわけです。それと子供たちには内緒にしているものですから』
言い訳はお経をあげていてもやって来る。一郎は天の攻撃に耐えきれず電車の中でも作務衣姿で通し、網代笠も雨の日や強い陽射し以外は手ぬぐいだけの素顔で托鉢をすることにした。
藤沢はその、事始めだった。
素顔を見せてお経をあげていても恥ずかしくとも何ともないのだ。
当たり前だけど。
通る人々は一郎がたとえ罪深い男であっても経文を唱えていればお布施をしていくだろうし、余計なことを考える暇もないのだ。恥ずかしいと思う、お前が恥ずかしい男なのだ。
素顔を見せて堂々と托鉢をすれば、なにも恐れず生きていける証ではないかと人生の階段を一歩進められた気持ちになっていた。
藤沢は1000円ほどのお布施があったが、交通費もかかるし、この日は定番の戸塚駅に戻った。
駅前の花壇の定位置だ。慣れとは有り難いものでこの場所は相性がいいのだ。
托鉢中は滅多に話をかける人はいない。ありがたいやら、寂しいやらだ。
猫の姉さんがなれなれしく声をかけて千円札を布施した。
『あら、先生今日はここなのね、今晩は横浜の西口て占いはやらないの』
かっこ
[うん、貴方か、やるよ、貧乏暇なしさ]
[今晩、行くかもされない。連絡入れるから]

占い師はどうゆうわけだか知らないが一般的には先生と呼ばれている。恥ずかしい限りだ。
猫姉さんは横浜西口で占いで知り合いになった柳瀬スミ子さんと言う独身のお姉さんだ。歳は50歳位の痩せ型だ。
戸塚に住んでいることから、時々この場所を通るのだ。
猫を自宅に20匹ほど飼っていてどうしていいのやら困り果てている人だ。
『まだ、あの一級建築士と付き合っているのか、お金がとられないか、彼は遊び人だぞ、詐欺師に近いぞ』
彼女は裕福そうで仕事はしていない、お金にもゆとりがあり、戸塚の奥の田園に一戸建てもある。
彼女が一級建築士に、恋をして、横浜西口の占場所に数ヶ月前に占い相談に来たのだ。
彼女は親からの財産が、五千万ほどあると言う。普通は金額の事なと信用出来る人にしか言わないのが常識と思うのだが、一郎には本当の事を話していた。
彼女は、彼に恋心を抱いているのだが、いまいち彼を信用できないので迷っているのだ。
出来たら、彼と結婚をしたいし、彼も結婚をしようと言ってくれているのだが、条件を付けているので不安なのだ。
運円資金を貸してもらいたいらしい。
一郎は嫁に行くタイミングを失った女性に忍び込む怪しい男ではないかと思っているので、
『その話はいい話だね』と言えないばかりか、結婚詐欺にあっているのではないかと心配をしていた。


彼女が横浜西口の占い場所に占いに来るは何時も電話をしてくる。
夜の11時ごろが定番だ。
最初の頃は亡くなった父の友達というは60歳位の夢男が付き添いで一緒にきていた。
亡き父の財産が彼女に入ったので心配しての事だと思う。
相談は、一級建築士との相性だ。
毎回同じ事を占ってくださいと言う。
よほど信念がない女と言うことだと思う。
その日は近くにあるサテンで3人で会った。コヒー代は先方持ちだ。兎に角時間がかかるので毎回五千円を、置いていく。
(彼さ、福岡で建築事務所をしているのだけれど、運転資金に困っているらしいの。)
(貸してくれと云う事だろう)
(そうなのよ。私も一度福岡に行って見たの、事務所はあるし、奥さんと離婚をしていてね。私の事好きだというのね。)
(もう、寝たな)
返事がないところを見ると深い中らしい。
(彼の本心が、聴きたいのよ、だから占いをしてよ)
まあ。こんな具合だ。
一郎は女を騙す事に長けた男だなと自分なりに、思っていたので、占いの

、問題では無いと判断していたが、占い好きの人間は正論より占いを、信じる傾向にあるので、得意の筮竹で、占いをやった。
一昔覚えた筮竹だ。まともに自己研鑽していたから卦の解釈には自信があった。
紙は裏と表で一枚の紙だ。
良い卦も悪い卦も解釈の仕方で方向が出てくると、自分ではそう考えているから、64卦どれが出ても作法に則り卦を出した。
(天水訟 が出た。平たく言えば、獲
物は何処に行ってもいない)
ほれ、天はどこに行っても獲物はいない。つまり、騙されると言えない事もないと、言う事だよ。
気をつけたほうがいいよ。四千万貸しても、返す、返すと、言って返さない、返せない、と言うことだ。
隣の父の友人の、池田さんが、そら見たか。と言わんばかりに口を挟んだ。
(先生の、言うとおりだ。あの男は怪しい男だ。やめたほうがいい)と。説得をするのたまが、聞こうとする態度はサラサラ見えない。むしろ、無視しているようだ。話の影からは、運転手代わりの、付き合いらしい。しかし、一郎の目にはそうは思えなかった。池田さんも彼女を愛しているように見えるのだ。
大金を掴んでいる彼女だからと言う事ではないと思う。持っただけに他人事には思えないからだと思う。池田さんは亡き父の親友と、彼女も言っているからだ。
その日はそのへんで彼との話は終わり、猫屋敷の、話になった。
彼女の、話によると戸塚駅の周辺に猫好きの女仲間と捨て猫を見つけては餌をやり、時には体力の落ちた野良猫を家に連れてきて看病するという。それでいつの間にか20数匹になり、家で飼っているのだと言う。
彼女の夢は動物愛護団体を作りたいらしい。しかし。愛護団体でも悪い人がいて、愛護の名前で犬を預かり、寄付金をもらいなから、山に捨てるらしいと言う話を誰からか聴いて躊躇ってもいた。
猫を20ひきも家で飼うなんて餌代もかかるし、便の処理も大変な事だ。尋常な精神では出来る行為ではない。
この小林と言う一級建築士は、彼女の弱さを巧みについて気を惹かせているに過ぎないと一郎は読んでいる。
それから何回も西口ち訪ねて来ては相性を観て貰いたいと言うが、観ても無駄だから付き合いは止めろと忠告したが、結局、4000万円貸すことになり、案の定、それで二人の深い関係もプツンと切れたと言う。
何回も注意しても、惚れた男には通用しなかったのだ。
恋心にはつける薬は無い。
走るトロッコは止める事はできなかった。
世の中、悪い詐欺男は存在している。
しかし、いくら注意して上げても治らないものは治らない。
恋も博打も共通点があるようだ。
彼女は暫くして建築士との縁は切られたと言ってきた。
父の親友だった後見人モドキの池田さんも脳梗塞で亡くなったと言う。その後、彼女と話すと疲れるので相談を受けないようにしている。
易断鑑定も彼女を幸せに導け無かったのは残念な事と同時に己の力不足は否めないなと。
その後も、猫姉さんは戸塚で良く出会う。
彼女は四千万戻って来ないけれど、気を取り直して、猫仲間のお姉さん達と動物保護の、活動を続けている。顔も生気を取り戻していた。

托鉢と占いの、ダブルを糧として生きているのだが、もう、5年は過ぎていた。
そんなある日、大船の駅前商店街にある、パチンコ店の入口にある電信柱の前で托鉢を始めた。
大船はお布施が、少ないので二の足を、踏んでいたが、パチンコ店の人が来た。
退いて下さいと注意されるのかと思ったが、
(頑張ってください。この場所はいつも使っていいですよ。)と言ってくれた。
普通はどの店でも店頭で托鉢をやられると迷惑顔を、するのだが、
この店は好意的に、見守ってくれるのだ。
お布施の入りが悪いと商店街を行き来する。
アクリルの鉢を、左胸に合わせて、歩くのだが、焼き芋屋の引き売と同じで早く進むと成績が悪い。
ゆるりと歩くのがコツだ。
時々後ろから托鉢姿を追いかけるようにして、お布施を置いていく人がいてくれる。
なんの願掛けだか、聞くよしもないが、有り難いことだ。

雨が降ってきた。かなり強い雨だ。
ビルの階段の近くに避難をした。
雨が降るとお布施が入らない。
座り込むわけには行かないので、般若心経を小声て唱えるしかない。
人影は少なくなってくる。
こんな時は早めに終わらせ、家に帰る事にしている。着替えの場所がない時は公衆トイレで着替えるのだ。
安いサテンに入り時間を潰し、帰宅するしかない。
こんな時は大方、電車賃にもならない。惨めな一日だ。
こんな日は托鉢は、もう辞めようと考えてしまう。
托鉢と言えば善人ぶって聞こえが良いけれど、やってる事は乞食同然だ。辞めたいけれどこれに代わる仕事が無い。占い師も良い時ばかりでは無い。
人に縛られて仕事をするのは性分に、合わないから、つい、托鉢に己の世界をつくるのだが、贅沢病の一つかも知れない。
プライドは、自分の生き方を忠実に護る事だと一郎は定めている。
世間の目を、気にしていたらブライドが動揺する。
ブライト護るとは終極の幸せ感だ。
一郎のプライドとは、楽しくも、感激も少ない職場は、躊躇わず即刻辞める事だ。
明日の糧の事など考えない、辞めたら、糧のことは明くる日に考える事にしている。
正に、瞬間湯沸かし器だ。
この性格は何処に行っても治らない厄介ものだ。
根底に何がそうさせているのか考えてみた。
一郎の魂の源はやはり、芸術的なハートではなかろうかと思う。
音は中古のアルトサックス、ウクレレ、でリラックスしているし、絵画は個展を開いたこともあるし、土練りも好きだ。
書道、文章書きも熱が入る。
何だこの男はと自分でも呆れるほどだ。
しかし、どれも、これも、趣味の範疇で終わっている。
俗に言う、八方美人と言う奴だ。
托鉢も、平たく言えば趣味の範囲かもしれない。
そんな俗魂で日々を過ぎてきた。

托鉢の日々は6年間ほど、毎日ではないが継続した。
その間、横浜の中華街や、横浜西口、六本木、渋谷などで、簡易テーブルを置いて一人占いをしていた。
占いと托鉢は全然、関係がなさそうに見えるが、そうでもない。
宗教の、世界も占いの世界も人との心の関わりと言う共通点がある。
宗教は素人ながら、世界的な歴史の重みがあるが、現代の占いは、世間的には、裏街道、闇の世界と言うレッテルを貼る人もいる。
しかし、占い仲間の中には、算命学や、四柱推命と言う方法をしっかりと学び、良く当たり、独自の世界を切り開いている占い師がかなりいるのだ。
占いは、明日を開く一里塚かも。
そう言う点では社会的認知もあるし、価値ある職業だ。
ただ一郎が身につけてきた占の認識は、本人の勉強不足か、修行が足らないのか、イマイチ穿った見方をしていた。
当たるも八卦当たらずも八卦の言葉の本意はそれで正解だろうけれど、このあやふやな世界に身を置くこと自体に半身の姿勢でいた。
しかし、基調としては、相談者の悩みの解決方法の一つの手段としは意義のある方法だと認めて占っている。自分は糧の誘惑に負けてはいけないと常に戒めていた。

戸塚の托鉢を済ませて、日のくれるころ、横浜西口に着いた。
交番を抜けて、すぐ右側に折れた所ので立ち食いラーメンのクロちゃんが仕込みをしていた。
クロちゃんは、ラーメン歴が長く、この屋台をまかされてから七年経つベテランだ。
占い一郎の用心棒でもある。一郎の事を親父さんと呼んでくれる、親しみのある男だ。無口だけど、気が短いところはイチロと似ていた。
(親父さん、変な客が来て因縁つけたら、俺に言って下さいね。
心配無いから)と言ってくれている。
この辺りは夜の九時を過ぎないと占いのお客さんが来ない。
机、椅子等はラーメン屋台の舌にクロちゃんに許可してもらい、裏にある壁に沿った僅か隙間にブルーのゴミ入れを常に用意してあって、その中に、ローソクだとか、用紙とか、資料、敷布、等を入れてしまっている。
先ずは、机を道路の片隅に置いて、簡易マル椅子を置いて、机に敷布をかけて、占と書いた赤字の行灯を置いて、ローソクに火をつけた。
行灯を灯すと占いの雰囲気が一気に高まる。
暗い所に灯りが灯ると人は惹きつけられるらしい。
托鉢の用具を入れた黒のバックは一郎の座る側に置いてある。
法具類は粗末に出来ないので、傍らにいつも置いておく。
早く着いて時間が余ると、目の前のパチンコ屋に入る。夏は暑さが厳しいので、冷房の誘惑に負けるのだ。負けても三千円でストップだ。それ以上負けると仕事をする気が萎えるからだ。
托鉢を、してパチンコとは情けない話だが、それだけの価値のない男なのだ。
いつの日か托鉢は辞めて占いを、専門にしようと思っているので、つい、甘えが出る。托鉢修行する方には偽者と言われても甘んじで受ける。
矛盾の中に一郎は生きていた。
建前と、本音はどの世界でもある様な気がする。だからと言って弁解をしているのでは無い。
現実に是非もなくそうして生きているからこれも、自然なのだ。

何故今、こうして占いとか托鉢とかをしているのかと、思ってみると、小川のせせらぎをいく笹舟と同じで、どこで止まろうが、何処に流れ着くのだろうが、身を任せの旅笹道中みたいなものだ。
学生時代には、思いもつかない所に住んでいる。
親父の言うとおり酒屋の跡をついでいればと考える事もあるが、一郎はすぐ反発をする。
(いや、待てよ、俺はこれで良いのだ。自分で蒔いたスゴロク稼業だ。身内や友人たちから見ると、なんて、馬鹿なやつと思うかも知れないが、俺はこれで、精一杯生きている)と、自分に惚れていた。
横浜西口駅裏の占いは呼び込みさんも、慣れた口調でタゲートと睨んだお客様の耳元で、小声で囁く。
(ギャバケラ、キャバクラ・スナック)と、それだけ言うだけだ。
この耳元で囁く小さな言葉は人を引き付けのだ。
それぞれの商売にはコツと言うものが潜んでいる。
占も同じで、人の目を目詰めると反射的に近づかない。
黙って下を向いて本でも読んでいた方が、入りやすいはず。
その日は、九時頃になり、二十歳ほどの派手な女がやってきた。
水商売の女で酒に飲まれているのか喋りが荒れている。
(おじさん、千円で占って、アタシ、これからどうなるの)
夏の夜だ。彼女の、肌は入れ墨だらけだ。男にオモチャにされていると一郎は、読んだ。
(とんでもない女が来たものだ。酔っぱらいはゴメンだ。シツコイし、話を聞かないから、面倒だな)
思いながら、手相を見てあげた。
色々説明しながら、結論的に
(ほら見てご覧、開運線がいいよ、心配ないよ)と言うと、
(おじさん、ほんとなの、幸せになれるのね、ありがとう、また来るね、)
そう言い残し、ネオンに消えて行った。翌日同じ時間頃にまた
やって来た。
(今日はお金ないの、コラーで良いでしょう、ねぇお願い、私、あんちきしょう、ゆるせねー)と泣き出した。最悪の場面だ。
乱暴な喋りだ。呆気に取られたのは一郎だ。
あんちきしょうとは、実の母親だ。話を聞くと、
(あいつは昔から浮気をしていて母ではない。だから、グレてやったのだ、親父もなんにも言えねやつだ)
なんとも後味の悪いセリフの連発だ。余程、母親が気に入らないようだ。
(オヤジさん、あたしを助けてくれよ、もう、生きる気力なんかないよ)
酔ってるいるとはいえ尋常な状態ではない。腕とか肩から濃い緑とピンク色の刺青が踊っているようだ。目の沈んだ顔は狂気と化していた。
酒クセが悪く手に負えない、暴れはしないが、周りに人が集まる騒ぎだ。何か占い師が悪い事でも言って暴れているのだと勘違いされかねない。
一郎は家の電話番号を聞き出し、親に迎えにこさせることにした。
保土谷から母がタクシーで駆けつけてきた。母親は50歳前後で、慌てふためいているのか、挨拶もほどほどで、娘を車に押し込むようにして帰って行った。

ここまで彼女を追い詰めたのは何だろうと思うと、簡単には答えが出てこない。親子の間で深い溝があり、爆発をした感じだ。
占いの次元でアドバイス出来る状態ではないのだ。精神医に相談してもらいたい雰囲気だった。
また、ある日の夜遅い時に背の高い清潔感のある青年が占いに立ち寄った。
『親父さん、俺、今朝、刑務所を出てきたばかりだ、手相みてよ、これから仕事に付けるかな』
そういう、ポケットから1000円札を取り出して手渡しをした。
余談だけど、今までやくざ風の人は何人も占っている。彼らが気にするのは手相では生命線だ。
『俺、長生きできるかな』と相談されるのが大半と言える。なんとなく命を大切にしているのだ。
刑務所帰り男はこれからの生きる道が気がかりなのだ。
『大丈夫ですよ、ほら、開運線もしっかり出ているし、すぐ見つかりますよ』と他の部分も含めてしっかり鑑定すると、笑みを返して去って行った。
.この西口の占い場所には様々な生きる相談が迷い込む。薄暗い路地裏のローソクの灯りを頼りに人が来る。
誰にも、どこにでも相談できない悩み事を聞いてもらいたくて訪ねてくるのだ。本来はお坊さんの仕事であるはずなのだが、世の中の流れが間違っているのか、占いを頼りにしている人も巷にはかなりいるようだ。
人はめぐりあわせの中に命をはぐくんでいると思う。占いの効用は迷った時の神頼みではないが、後ろから少し押してやると弾みがついて行き先が定まる事がある。一郎は占いを額面通り信じてはいない。何で、占い師だろう。それでは詐欺に近いではないかと、いう人もいますが、占いで現れた、つまり易断で言うならば卦、カードならその意味を、四柱推命なら持っている星を参考にして、閉ざした運命の心を開いてあげるのが占いの効用だと思っているので、出てきた材料を相談者とひざを交えて悩みをほぐしていくのが占い師の役目だと思っいる。
だから、出てきた材料をそのまま鵜?みにしないで深淵を考察している。勿論、占い師の自由裁量だが、一郎は頑なに占いの源流は人を救うことに存在的に価値があると思っている。
そのあたりは托鉢と似ている。
商店街で行きかう通りに一心不乱にお経を唱えて凛として、お地蔵様のように立っていると、どこからともなく人がやってきて、心ばかりのお布施を置いていく単純な行為の中にギブアンドテイクの潮流が見えてくるのだ。

占いの場所は車一台がやっと通れる路地裏だ。隣にはラーメン屋のクロちゃんが机を道端に置いて商売をしている。
彼は道路使用許可を取っているので問題はなさそうだが占いは道路交通法違反だ。時々警察官が机椅子を撤去しなさいと忠告に来る。そんな時は素直になって直ぐ詫びを入れる。逆らっても無意味だからだ。
『はい。すぐどきます』と言って警察官がさると机椅子などをすぐ裏の閉店した証券会社の通路に運ぶのだ。雨が降っている時に使わしてもらう場所だ。ここも、ビルの警備員がどいてくださいと言いに来る。
警備員には色々な性格の人がいて、融通の利かない人や、見て見ぬふりをしてくれる人もいる。融通の利かない警備員には、すぐどきますと返事はするけれど、そのまま、続行する事が多い。一郎も命を懸けての仕事だから、おいそれと、引き下がるわけにはいかないのだ。
警備員に向かって悪たれをつくこともある。
警備員に向かって
『おとうさん、今、俺は貧乏していて苦しいのよ、すぐ出るから、許してよ』と言っては時間を作っていた。
ある日の、深夜近く、酔っている男が、机を足で蹴って逃げようとした。
なんの腹いせか知らないが、頭にきた一郎は年の若い男の襟を掴んで壁に押し込んだ。
(なんてことをするやつだ。謝れ)
と、語気鋭く怒鳴りつけた。男を道路に伏せさせていると、隣のクロちゃんが応援に来たので、警官をすぐ呼んでくれないと言うと、直ぐ側にある交番から警察官が来て取り押さえてくれた。
クロちゃん曰く
(一郎さんは年の割には元気だね、もう、こんな事やめ方が良いよ。怪我でもしたら損するよ、俺がやるから、任せてよ)
と、笑いながら言ってくれた。
占い夜の物語は世間の波間に揺れながら一つ1つ人情話が過ぎていく。小さな舞台だけど感動する名場面もいくつもある。
深夜に乳母車に赤ん坊を乗せて暗い路地の占い場所の前を徘徊している若い母親がいた。
暗闇で顔はよく見えないが、やせ細り、沈んだ表情で乳母車を押しながら歩いている。
一回りしてきたのか、ある程度時間が過ぎた頃、その女性が一郎に話をかけてきた。
(叔父さん、おじさんの横にしばらくいてもいいですか)
(いいけど、こんな遅くにどうしたのだよ)
(家を出てきたの、出て行けと夫が怒るので怖くなって、この姿で出てきての、もう電車ないから朝までいても良い?)
辺りは冷たい風もある。赤ちゃんは厚着をしていて心配なさそうだ。どうやら、夫婦喧嘩らしい。二人で寒い中を彷徨って、人気も無くなり、この一点だけ灯る占い行灯に惹かれて、安心したのか、朝までいたいらしい。こんな寒い深夜に不似合いな親子だ。
母親は乳母車をそばに置いて、机の脇にある段ボールに座り込んでしまった。
旦那と喧嘩をして追い出されたいうけれど、一日中さまよい歩いていたかもしれない。なんと不憫な女子だと、いい案も浮かばないで二人は沈黙していた。一郎は朝4時30の一番列車で帰ることも時々あるので始発までこの人気のない場所で待つ事にした。それにしても、この親子をなんとか良いアドバイスでも思いついたのが次の言葉だった。
『お姉さん、おじさんがね、二千円あげるから、大通りにある、ファミリーレストランは朝までやっているからそこに行って休んでればいい。朝になったら家に帰るのだよ、鶴間に帰る電車賃はあるの』
『ありがとうございます、朝になったら家に帰ります』
『おじさんも若い時は嫁さんと喧嘩ばかりだよ、二回も嫁さんに出て行けと怒鳴られた。おじさんがね、あまり働かないでパチンコばかりしていたのでおいだされたのさ。あんたと、逆だけど、それでもなんとかとどまっているよ。取り合えづ、謝っておきな、別れるときは、落ち着いている時に話せ』
子供を乗せた乳母車はローソク行灯の明かりに送られて静に消えていった。

午前3時を過ぎた頃、隣りの屋台ラーメンのクロちゃんが片づけを始めた。狭い道路に水を撒いている。屋台から蒸気がなびいていて厳しい冬を思わせている。
一郎も屋台が終わると急に通りが暗くなるので占い鑑定も合わせるように店じまいをする。
始発電車をまつ一時間ほどの間は吉野家の牛丼を食べながら時をつぶしている。この時間はさすがの吉野家でもカウンターに客は数えるほどしかいない。
夏は始発を待つ間、駅の構内は鎖で囲まれていて入れないので明かりのある通路にしゃがんでいる。始発待ちの人間はあちらこちらに座っている。
一郎は植え込みのある石のベンチで横になって始発をまつこともある。しゃがんでいると疲れるのだ。
人の気配がない暗闇のなかで、灯りと言えば、駅の構内から漏れる僅かな明かりだけだ。熟睡すると浮浪者に僅かな金でもとられたら困るので熟睡はできない。
なんと哀れな男だと思うこともあるが、それは同情をもらう恥ずかしい心であり、本人はベンチで夜明かししても、今日は疲れるな、の一言で済ませる能天気な男だ。むしろ、自由の身が確認できて幸せなのだろう。
必須  ある秋の色濃くなるころ、グレーのジャンバーを着て布製の黒のパックを肩に掛けて中年の男、真駒内誠一郎は藤沢駅の構内でいつものコーヒーを飲み終えると、ロータリーに出た。交番があり、その前はバス停だ。
交番の裏の線路側に交通誘導員が着替えをする為の粗末な小屋風の物置き小屋ある。私はその小屋に行って着替えを始めた。黒いバックには網代笠や法衣などが入っている托鉢用具一式だ。電車に乗っている時はラフな普段着だ。黒の法衣を着込んで電車に乗るほどの勇気は無い。なんとなく恥ずかしいからだ。正式に得度を受けたわけではないし、占いの修行で某易断にいた時に覚えお経や所作を仕事上学んだだけの坊主修行だったから私は自称偽坊主と思っている。
警備員の仮小屋は一メートルほどの空間が三メートルほど続いていて、壁には誘導棒、土間なはカラコン、など掃除道具が置いてある。
このすき間を借りて着替えを始めると交通誘導員がやってきた。仮小屋の脇には江ノ電の線路があり、時折、轟音を立て電車が通過していった。警備員が怪訝な顔つきで
『ここで、着替えをされてはこまるのですが』
と、言った。
『ああ、ごめんなさい、このバック一つだけ置かせてください。駅前でわずかの時間だけお経をするもので、怪しいものではありませんから

警備員はそれ以上の言葉をかけずに戻って行った。
空は快晴だ。
紺の作務衣に茶色の法衣をきて、輪袈裟と沙汰袋を首からさげて、くたくたの網代笠を被り白足袋と草履を履き両手で鉄鉢を乗せて、手首に殊〃をつけ托鉢の用意はできた。藤沢駅の壁面を背にして托鉢行を始めた。
目線を道路と歩道の境目において般若心経を唱え始めた。通行人はチラッと横目で見て行くが賽銭は入らない。
托鉢行と聞こえは良いが一郎の場合は日銭稼ぎが本心だ。まともな仕事に就いても我儘で
この辺りの駅はほとんど歩き回った。戸塚、藤沢、大船、鎌倉、横浜、厚木などだ。
同じところだと気合が入らない時もあるので転換が必要な事もある。
藤沢駅南口のバス乗り場にバス待ちの人々が座っている。一郎はその人たちにも姿がわかるような駅舎の壁を背にして読経を始めた。
藤沢はお布施がゼロになることもあるので、正直、気が入らない時もあるが、そんな時は、覚えたての日蓮宗妙法蓮華経方便第二の経本の冊子を声を上げたり誦経をしている。
真言密教の呪文、光明真言、観音経など不二易断にいた時に覚えた経文も当然の如く身体が覚えているから出てくる。
お経の混成で、唱えればいいとは思っていないが、お経の意味とか理解力がないものだから、一郎にとってはどれもこれも同じなのだ。
どの経文も読経していると落ち着いてくるのと時間を忘れるので、疲れも感じない。ヨレヨレの作務衣に茶色の法衣を着て輪袈裟を
お経をしながら頭をよぎることがある。
天の声が聞こえるのだ『お前は矢張り偽者だ。網代笠で顔を隠しているではないか。それに、電車の中では普段着で移動をしている。それに比べ身延の上人は素顔でお経をあげ、一日中修行僧の姿だ。そんなに自分のしている事が嫌なら托鉢をやめたらいい』と年がら年中言ってくるのだ。
確かに天様の仰る通りだ。毅然としたところがない。自信がないから、目標が定まっていないからだ。
一郎は天に詫びを入れた。
『おっしゃる通りです。恥ずかしいのです。昔、店をつぶした後に、立ち上がり資金としてわざわざ持ってきてくれた友人の借金が気になっていて、顔を合わせられないのです。もしか、恩人の人にあってしまったら、と思うと、、、。というわけです。それと子供たちには内緒にしているものですから』
言い訳はお経をあげていてもやって来る。一郎は天の攻撃に耐えきれず電車の中でも作務衣姿で通し、網代笠も雨の日や強い陽射し以外は手ぬぐいだけの素顔で托鉢をすることにした。
藤沢はその、事始めだった。
素顔を見せてお経をあげていても恥ずかしくとも何ともないのだ。
当たり前だけど。
通る人々は一郎がたとえ罪深い男であっても経文を唱えていればお布施をしていくだろうし、余計なことを考える暇もないのだ。恥ずかしいと思う、お前が恥ずかしい男なのだ。
素顔を見せて堂々と托鉢をすれば、なにも恐れず生きていける証ではないかと人生の階段を一歩進められた気持ちになっていた。
藤沢は1000円ほどのお布施があったが、交通費もかかるし、この日は定番の戸塚駅に戻った。
駅前の花壇の定位置だ。慣れとは有り難いものでこの場所は相性がいいのだ。
托鉢中は滅多に話をかける人はいない。ありがたいやら、寂しいやらだ。
猫の姉さんがなれなれしく声をかけて千円札を布施した。
『あら、先生今日はここなのね、今晩は横浜の西口て占いはやらないの』
かっこ
[うん、貴方か、やるよ、貧乏暇なしさ]
[今晩、行くかもされない。連絡入れるから]

占い師はどうゆうわけだか知らないが一般的には先生と呼ばれている。恥ずかしい限りだ。
猫姉さんは横浜西口で占いで知り合いになった柳瀬スミ子さんと言う独身のお姉さんだ。歳は50歳位の痩せ型だ。
戸塚に住んでいることから、時々この場所を通るのだ。
猫を自宅に20匹ほど飼っていてどうしていいのやら困り果てている人だ。
『まだ、あの一級建築士と付き合っているのか、お金がとられないか、彼は遊び人だぞ、詐欺師に近いぞ』
彼女は裕福そうで仕事はしていない、お金にもゆとりがあり、戸塚の奥の田園に一戸建てもある。
彼女が一級建築士に、恋をして、横浜西口の占場所に数ヶ月前に占い相談に来たのだ。
彼女は親からの財産が、五千万ほどあると言う。普通は金額の事なと信用出来る人にしか言わないのが常識と思うのだが、一郎には本当の事を話していた。
彼女は、彼に恋心を抱いているのだが、いまいち彼を信用できないので迷っているのだ。
出来たら、彼と結婚をしたいし、彼も結婚をしようと言ってくれているのだが、条件を付けているので不安なのだ。
運円資金を貸してもらいたいらしい。
一郎は嫁に行くタイミングを失った女性に忍び込む怪しい男ではないかと思っているので、
『その話はいい話だね』と言えないばかりか、結婚詐欺にあっているのではないかと心配をしていた。


彼女が横浜西口の占い場所に占いに来るは何時も電話をしてくる。
夜の11時ごろが定番だ。
最初の頃は亡くなった父の友達というは60歳位の夢男が付き添いで一緒にきていた。
亡き父の財産が彼女に入ったので心配しての事だと思う。
相談は、一級建築士との相性だ。
毎回同じ事を占ってくださいと言う。
よほど信念がない女と言うことだと思う。
その日は近くにあるサテンで3人で会った。コヒー代は先方持ちだ。兎に角時間がかかるので毎回五千円を、置いていく。
(彼さ、福岡で建築事務所をしているのだけれど、運転資金に困っているらしいの。)
(貸してくれと云う事だろう)
(そうなのよ。私も一度福岡に行って見たの、事務所はあるし、奥さんと離婚をしていてね。私の事好きだというのね。)
(もう、寝たな)
返事がないところを見ると深い中らしい。
(彼の本心が、聴きたいのよ、だから占いをしてよ)
まあ。こんな具合だ。
一郎は女を騙す事に長けた男だなと自分なりに、思っていたので、占いの

、問題では無いと判断していたが、占い好きの人間は正論より占いを、信じる傾向にあるので、得意の筮竹で、占いをやった。
一昔覚えた筮竹だ。まともに自己研鑽していたから卦の解釈には自信があった。
紙は裏と表で一枚の紙だ。
良い卦も悪い卦も解釈の仕方で方向が出てくると、自分ではそう考えているから、64卦どれが出ても作法に則り卦を出した。
(天水訟 が出た。平たく言えば、獲
物は何処に行ってもいない)
ほれ、天はどこに行っても獲物はいない。つまり、騙されると言えない事もないと、言う事だよ。
気をつけたほうがいいよ。四千万貸しても、返す、返すと、言って返さない、返せない、と言うことだ。
隣の父の友人の、池田さんが、そら見たか。と言わんばかりに口を挟んだ。
(先生の、言うとおりだ。あの男は怪しい男だ。やめたほうがいい)と。説得をするのたまが、聞こうとする態度はサラサラ見えない。むしろ、無視しているようだ。話の影からは、運転手代わりの、付き合いらしい。しかし、一郎の目にはそうは思えなかった。池田さんも彼女を愛しているように見えるのだ。
大金を掴んでいる彼女だからと言う事ではないと思う。持っただけに他人事には思えないからだと思う。池田さんは亡き父の親友と、彼女も言っているからだ。
その日はそのへんで彼との話は終わり、猫屋敷の、話になった。
彼女の、話によると戸塚駅の周辺に猫好きの女仲間と捨て猫を見つけては餌をやり、時には体力の落ちた野良猫を家に連れてきて看病するという。それでいつの間にか20数匹になり、家で飼っているのだと言う。
彼女の夢は動物愛護団体を作りたいらしい。しかし。愛護団体でも悪い人がいて、愛護の名前で犬を預かり、寄付金をもらいなから、山に捨てるらしいと言う話を誰からか聴いて躊躇ってもいた。
猫を20ひきも家で飼うなんて餌代もかかるし、便の処理も大変な事だ。尋常な精神では出来る行為ではない。
この小林と言う一級建築士は、彼女の弱さを巧みについて気を惹かせているに過ぎないと一郎は読んでいる。
それから何回も西口ち訪ねて来ては相性を観て貰いたいと言うが、観ても無駄だから付き合いは止めろと忠告したが、結局、4000万円貸すことになり、案の定、それで二人の深い関係もプツンと切れたと言う。
何回も注意しても、惚れた男には通用しなかったのだ。
恋心にはつける薬は無い。
走るトロッコは止める事はできなかった。
世の中、悪い詐欺男は存在している。
しかし、いくら注意して上げても治らないものは治らない。
恋も博打も共通点があるようだ。
彼女は暫くして建築士との縁は切られたと言ってきた。
父の親友だった後見人モドキの池田さんも脳梗塞で亡くなったと言う。その後、彼女と話すと疲れるので相談を受けないようにしている。
易断鑑定も彼女を幸せに導け無かったのは残念な事と同時に己の力不足は否めないなと。
その後も、猫姉さんは戸塚で良く出会う。
彼女は四千万戻って来ないけれど、気を取り直して、猫仲間のお姉さん達と動物保護の、活動を続けている。顔も生気を取り戻していた。

托鉢と占いの、ダブルを糧として生きているのだが、もう、5年は過ぎていた。
そんなある日、大船の駅前商店街にある、パチンコ店の入口にある電信柱の前で托鉢を始めた。
大船はお布施が、少ないので二の足を、踏んでいたが、パチンコ店の人が来た。
退いて下さいと注意されるのかと思ったが、
(頑張ってください。この場所はいつも使っていいですよ。)と言ってくれた。
普通はどの店でも店頭で托鉢をやられると迷惑顔を、するのだが、
この店は好意的に、見守ってくれるのだ。
お布施の入りが悪いと商店街を行き来する。
アクリルの鉢を、左胸に合わせて、歩くのだが、焼き芋屋の引き売と同じで早く進むと成績が悪い。
ゆるりと歩くのがコツだ。
時々後ろから托鉢姿を追いかけるようにして、お布施を置いていく人がいてくれる。
なんの願掛けだか、聞くよしもないが、有り難いことだ。

雨が降ってきた。かなり強い雨だ。
ビルの階段の近くに避難をした。
雨が降るとお布施が入らない。
座り込むわけには行かないので、般若心経を小声て唱えるしかない。
人影は少なくなってくる。
こんな時は早めに終わらせ、家に帰る事にしている。着替えの場所がない時は公衆トイレで着替えるのだ。
安いサテンに入り時間を潰し、帰宅するしかない。
こんな時は大方、電車賃にもならない。惨めな一日だ。
こんな日は托鉢は、もう辞めようと考えてしまう。
托鉢と言えば善人ぶって聞こえが良いけれど、やってる事は乞食同然だ。辞めたいけれどこれに代わる仕事が無い。占い師も良い時ばかりでは無い。
人に縛られて仕事をするのは性分に、合わないから、つい、托鉢に己の世界をつくるのだが、贅沢病の一つかも知れない。
プライドは、自分の生き方を忠実に護る事だと一郎は定めている。
世間の目を、気にしていたらブライドが動揺する。
ブライト護るとは終極の幸せ感だ。
一郎のプライドとは、楽しくも、感激も少ない職場は、躊躇わず即刻辞める事だ。
明日の糧の事など考えない、辞めたら、糧のことは明くる日に考える事にしている。
正に、瞬間湯沸かし器だ。
この性格は何処に行っても治らない厄介ものだ。
根底に何がそうさせているのか考えてみた。
一郎の魂の源はやはり、芸術的なハートではなかろうかと思う。
音は中古のアルトサックス、ウクレレ、でリラックスしているし、絵画は個展を開いたこともあるし、土練りも好きだ。
書道、文章書きも熱が入る。
何だこの男はと自分でも呆れるほどだ。
しかし、どれも、これも、趣味の範疇で終わっている。
俗に言う、八方美人と言う奴だ。
托鉢も、平たく言えば趣味の範囲かもしれない。
そんな俗魂で日々を過ぎてきた。

托鉢の日々は6年間ほど、毎日ではないが継続した。
その間、横浜の中華街や、横浜西口、六本木、渋谷などで、簡易テーブルを置いて一人占いをしていた。
占いと托鉢は全然、関係がなさそうに見えるが、そうでもない。
宗教の、世界も占いの世界も人との心の関わりと言う共通点がある。
宗教は素人ながら、世界的な歴史の重みがあるが、現代の占いは、世間的には、裏街道、闇の世界と言うレッテルを貼る人もいる。
しかし、占い仲間の中には、算命学や、四柱推命と言う方法をしっかりと学び、良く当たり、独自の世界を切り開いている占い師がかなりいるのだ。
占いは、明日を開く一里塚かも。
そう言う点では社会的認知もあるし、価値ある職業だ。
ただ一郎が身につけてきた占の認識は、本人の勉強不足か、修行が足らないのか、イマイチ穿った見方をしていた。
当たるも八卦当たらずも八卦の言葉の本意はそれで正解だろうけれど、このあやふやな世界に身を置くこと自体に半身の姿勢でいた。
しかし、基調としては、相談者の悩みの解決方法の一つの手段としは意義のある方法だと認めて占っている。自分は糧の誘惑に負けてはいけないと常に戒めていた。

戸塚の托鉢を済ませて、日のくれるころ、横浜西口に着いた。
交番を抜けて、すぐ右側に折れた所ので立ち食いラーメンのクロちゃんが仕込みをしていた。
クロちゃんは、ラーメン歴が長く、この屋台をまかされてから七年経つベテランだ。
占い一郎の用心棒でもある。一郎の事を親父さんと呼んでくれる、親しみのある男だ。無口だけど、気が短いところはイチロと似ていた。
(親父さん、変な客が来て因縁つけたら、俺に言って下さいね。
心配無いから)と言ってくれている。
この辺りは夜の九時を過ぎないと占いのお客さんが来ない。
机、椅子等はラーメン屋台の舌にクロちゃんに許可してもらい、裏にある壁に沿った僅か隙間にブルーのゴミ入れを常に用意してあって、その中に、ローソクだとか、用紙とか、資料、敷布、等を入れてしまっている。
先ずは、机を道路の片隅に置いて、簡易マル椅子を置いて、机に敷布をかけて、占と書いた赤字の行灯を置いて、ローソクに火をつけた。
行灯を灯すと占いの雰囲気が一気に高まる。
暗い所に灯りが灯ると人は惹きつけられるらしい。
托鉢の用具を入れた黒のバックは一郎の座る側に置いてある。
法具類は粗末に出来ないので、傍らにいつも置いておく。
早く着いて時間が余ると、目の前のパチンコ屋に入る。夏は暑さが厳しいので、冷房の誘惑に負けるのだ。負けても三千円でストップだ。それ以上負けると仕事をする気が萎えるからだ。
托鉢を、してパチンコとは情けない話だが、それだけの価値のない男なのだ。
いつの日か托鉢は辞めて占いを、専門にしようと思っているので、つい、甘えが出る。托鉢修行する方には偽者と言われても甘んじで受ける。
矛盾の中に一郎は生きていた。
建前と、本音はどの世界でもある様な気がする。だからと言って弁解をしているのでは無い。
現実に是非もなくそうして生きているからこれも、自然なのだ。

何故今、こうして占いとか托鉢とかをしているのかと、思ってみると、小川のせせらぎをいく笹舟と同じで、どこで止まろうが、何処に流れ着くのだろうが、身を任せの旅笹道中みたいなものだ。
学生時代には、思いもつかない所に住んでいる。
親父の言うとおり酒屋の跡をついでいればと考える事もあるが、一郎はすぐ反発をする。
(いや、待てよ、俺はこれで良いのだ。自分で蒔いたスゴロク稼業だ。身内や友人たちから見ると、なんて、馬鹿なやつと思うかも知れないが、俺はこれで、精一杯生きている)と、自分に惚れていた。
横浜西口駅裏の占いは呼び込みさんも、慣れた口調でタゲートと睨んだお客様の耳元で、小声で囁く。
(ギャバケラ、キャバクラ・スナック)と、それだけ言うだけだ。
この耳元で囁く小さな言葉は人を引き付けのだ。
それぞれの商売にはコツと言うものが潜んでいる。
占も同じで、人の目を目詰めると反射的に近づかない。
黙って下を向いて本でも読んでいた方が、入りやすいはず。
その日は、九時頃になり、二十歳ほどの派手な女がやってきた。
水商売の女で酒に飲まれているのか喋りが荒れている。
(おじさん、千円で占って、アタシ、これからどうなるの)
夏の夜だ。彼女の、肌は入れ墨だらけだ。男にオモチャにされていると一郎は、読んだ。
(とんでもない女が来たものだ。酔っぱらいはゴメンだ。シツコイし、話を聞かないから、面倒だな)
思いながら、手相を見てあげた。
色々説明しながら、結論的に
(ほら見てご覧、開運線がいいよ、心配ないよ)と言うと、
(おじさん、ほんとなの、幸せになれるのね、ありがとう、また来るね、)
そう言い残し、ネオンに消えて行った。翌日同じ時間頃にまた
やって来た。
(今日はお金ないの、コラーで良いでしょう、ねぇお願い、私、あんちきしょう、ゆるせねー)と泣き出した。最悪の場面だ。
乱暴な喋りだ。呆気に取られたのは一郎だ。
あんちきしょうとは、実の母親だ。話を聞くと、
(あいつは昔から浮気をしていて母ではない。だから、グレてやったのだ、親父もなんにも言えねやつだ)
なんとも後味の悪いセリフの連発だ。余程、母親が気に入らないようだ。
(オヤジさん、あたしを助けてくれよ、もう、生きる気力なんかないよ)
酔ってるいるとはいえ尋常な状態ではない。腕とか肩から濃い緑とピンク色の刺青が踊っているようだ。目の沈んだ顔は狂気と化していた。
酒クセが悪く手に負えない、暴れはしないが、周りに人が集まる騒ぎだ。何か占い師が悪い事でも言って暴れているのだと勘違いされかねない。
一郎は家の電話番号を聞き出し、親に迎えにこさせることにした。
保土谷から母がタクシーで駆けつけてきた。母親は50歳前後で、慌てふためいているのか、挨拶もほどほどで、娘を車に押し込むようにして帰って行った。

ここまで彼女を追い詰めたのは何だろうと思うと、簡単には答えが出てこない。親子の間で深い溝があり、爆発をした感じだ。
占いの次元でアドバイス出来る状態ではないのだ。精神医に相談してもらいたい雰囲気だった。
また、ある日の夜遅い時に背の高い清潔感のある青年が占いに立ち寄った。
『親父さん、俺、今朝、刑務所を出てきたばかりだ、手相みてよ、これから仕事に付けるかな』
そういう、ポケットから1000円札を取り出して手渡しをした。
余談だけど、今までやくざ風の人は何人も占っている。彼らが気にするのは手相では生命線だ。
『俺、長生きできるかな』と相談されるのが大半と言える。なんとなく命を大切にしているのだ。
刑務所帰り男はこれからの生きる道が気がかりなのだ。
『大丈夫ですよ、ほら、開運線もしっかり出ているし、すぐ見つかりますよ』と他の部分も含めてしっかり鑑定すると、笑みを返して去って行った。
.この西口の占い場所には様々な生きる相談が迷い込む。薄暗い路地裏のローソクの灯りを頼りに人が来る。
誰にも、どこにでも相談できない悩み事を聞いてもらいたくて訪ねてくるのだ。本来はお坊さんの仕事であるはずなのだが、世の中の流れが間違っているのか、占いを頼りにしている人も巷にはかなりいるようだ。
人はめぐりあわせの中に命をはぐくんでいると思う。占いの効用は迷った時の神頼みではないが、後ろから少し押してやると弾みがついて行き先が定まる事がある。一郎は占いを額面通り信じてはいない。何で、占い師だろう。それでは詐欺に近いではないかと、いう人もいますが、占いで現れた、つまり易断で言うならば卦、カードならその意味を、四柱推命なら持っている星を参考にして、閉ざした運命の心を開いてあげるのが占いの効用だと思っているので、出てきた材料を相談者とひざを交えて悩みをほぐしていくのが占い師の役目だと思っいる。
だから、出てきた材料をそのまま鵜吞みにしないで深淵を考察している。勿論、占い師の自由裁量だが、一郎は頑なに占いの源流は人を救うことに存在的に価値があると思っている。
そのあたりは托鉢と似ている。
商店街で行きかう通りに一心不乱にお経を唱えて凛として、お地蔵様のように立っていると、どこからともなく人がやってきて、心ばかりのお布施を置いていく単純な行為の中にギブアンドテイクの潮流が見えてくるのだ。

占いの場所は車一台がやっと通れる路地裏だ。隣にはラーメン屋のクロちゃんが机を道端に置いて商売をしている。
彼は道路使用許可を取っているので問題はなさそうだが占いは道路交通法違反だ。時々警察官が机椅子を撤去しなさいと忠告に来る。そんな時は素直になって直ぐ詫びを入れる。逆らっても無意味だからだ。
『はい。すぐどきます』と言って警察官がさると机椅子などをすぐ裏の閉店した証券会社の通路に運ぶのだ。雨が降っている時に使わしてもらう場所だ。ここも、ビルの警備員がどいてくださいと言いに来る。
警備員には色々な性格の人がいて、融通の利かない人や、見て見ぬふりをしてくれる人もいる。融通の利かない警備員には、すぐどきますと返事はするけれど、そのまま、続行する事が多い。一郎も命を懸けての仕事だから、おいそれと、引き下がるわけにはいかないのだ。
警備員に向かって悪たれをつくこともある。
警備員に向かって
『おとうさん、今、俺は貧乏していて苦しいのよ、すぐ出るから、許してよ』と言っては時間を作っていた。
ある日の、深夜近く、酔っている男が、机を足で蹴って逃げようとした。
なんの腹いせか知らないが、頭にきた一郎は年の若い男の襟を掴んで壁に押し込んだ。
(なんてことをするやつだ。謝れ)
と、語気鋭く怒鳴りつけた。男を道路に伏せさせていると、隣のクロちゃんが応援に来たので、警官をすぐ呼んでくれないと言うと、直ぐ側にある交番から警察官が来て取り押さえてくれた。
クロちゃん曰く
(一郎さんは年の割には元気だね、もう、こんな事やめ方が良いよ。怪我でもしたら損するよ、俺がやるから、任せてよ)
と、笑いながら言ってくれた。
占い夜の物語は世間の波間に揺れながら一つ1つ人情話が過ぎていく。小さな舞台だけど感動する名場面もいくつもある。
深夜に乳母車に赤ん坊を乗せて暗い路地の占い場所の前を徘徊している若い母親がいた。
暗闇で顔はよく見えないが、やせ細り、沈んだ表情で乳母車を押しながら歩いている。
一回りしてきたのか、ある程度時間が過ぎた頃、その女性が一郎に話をかけてきた。
(叔父さん、おじさんの横にしばらくいてもいいですか)
(いいけど、こんな遅くにどうしたのだよ)
(家を出てきたの、出て行けと夫が怒るので怖くなって、この姿で出てきての、もう電車ないから朝までいても良い?)
辺りは冷たい風もある。赤ちゃんは厚着をしていて心配なさそうだ。どうやら、夫婦喧嘩らしい。二人で寒い中を彷徨って、人気も無くなり、この一点だけ灯る占い行灯に惹かれて、安心したのか、朝までいたいらしい。こんな寒い深夜に不似合いな親子だ。
母親は乳母車をそばに置いて、机の脇にある段ボールに座り込んでしまった。
旦那と喧嘩をして追い出されたいうけれど、一日中さまよい歩いていたかもしれない。なんと不憫な女子だと、いい案も浮かばないで二人は沈黙していた。一郎は朝4時30の一番列車で帰ることも時々あるので始発までこの人気のない場所で待つ事にした。それにしても、この親子をなんとか良いアドバイスでも思いついたのが次の言葉だった。
『お姉さん、おじさんがね、二千円あげるから、大通りにある、ファミリーレストランは朝までやっているからそこに行って休んでればいい。朝になったら家に帰るのだよ、鶴間に帰る電車賃はあるの』
『ありがとうございます、朝になったら家に帰ります』
『おじさんも若い時は嫁さんと喧嘩ばかりだよ、二回も嫁さんに出て行けと怒鳴られた。おじさんがね、あまり働かないでパチンコばかりしていたのでおいだされたのさ。あんたと、逆だけど、それでもなんとかとどまっているよ。取り合えづ、謝っておきな、別れるときは、落ち着いている時に話せ』
子供を乗せた乳母車はローソク行灯の明かりに送られて静に消えていった。

午前3時を過ぎた頃、隣りの屋台ラーメンのクロちゃんが片づけを始めた。狭い道路に水を撒いている。屋台から蒸気がなびいていて厳しい冬を思わせている。
一郎も屋台が終わると急に通りが暗くなるので占い鑑定も合わせるように店じまいをする。
始発電車をまつ一時間ほどの間は吉野家の牛丼を食べながら時をつぶしている。この時間はさすがの吉野家でもカウンターに客は数えるほどしかいない。
夏は始発を待つ間、駅の構内は鎖で囲まれていて入れないので明かりのある通路にしゃがんでいる。始発待ちの人間はあちらこちらに座っている。
一郎は植え込みのある石のベンチで横になって始発をまつこともある。しゃがんでいると疲れるのだ。
人の気配がない暗闇のなかで、灯りと言えば、駅の構内から漏れる僅かな明かりだけだ。熟睡すると浮浪者に僅かな金でもとられたら困るので熟睡はできない。
なんと哀れな男だと思うこともあるが、それは同情をもらう恥ずかしい心であり、本人はベンチで夜明かししても、今日は疲れるな、の一言で済ませる能天気な男だ。むしろ、自由の身が確認できて幸せなのだろう。

 賑やかな商店街の辻に修験者らしき僧が般若心経を唱えている。
だが、良く見ると怪しい。
見るからに粗末な姿だ。
頭には、色あせて、ところどころガムテープで壊れかけた竹を押さえつけた網代笠を被り、濃紺の作務衣に、黒カスリの法衣をまとい、白足袋は指の跡が汚れて黒ずんでいる。賽銭を入れる鉄鉢は、本物では無い。あれは、百均で売っている、黒いアクリルでできた、深底の皿に違いない。
頭陀袋には、山伏では無いのに
明暗と白抜きで書いてある。
草鞋を履いているわけでもない。
市販の草履だ。
どうみても、托鉢僧とは思えない風体だ。

はい。その怪しい托鉢僧は私です。

私は偽坊主である
托鉢という姿を利用して人の情けをいただいて、暮らしの糧にしている卑しい男だからだ。
残念ながら深く考えてもその答えにたどり着く。乞食だ。
そう思うなら辞めれば良いのだが、そうはいかない事情がある。いずれにしても、自ら本格的に寺で修行をして、仏教の道を極めたいという意思が無く、日々の糧を得るために僧の姿で町中を俄か仕込みのお経を唱えながら時間を潰している男だからだ。
多摩川の、茂みで暮らす人々に想いをめぐらし、あの青いテントで月を見ながら暮らすのも趣があっり自然と私も溶け込めるのではないかと、鉄橋を通過する東横線の車中で考えた事もある。
だが、気がつけば妻もいるし二人の子供もいるので、無責任な男には最低なりたくないので、風太郎だけは憧れだけで、できないでいた。
そこで、自然発症的に生まれてきた発想が托鉢と言う生きるための荒業の術、偽坊主だ。
街角で時間にしばれれず、人間に頭を煩わせることなく、野良犬の如くさまよい歩くのは、若かりしとき北アルプス連峰や、冬の戸隠連峰を歩いた心境と私にはさほど変わらない。
夏の常念岳超えで、飲み水が無くなり頂上付近の草の葉っぱに僅かに残っている水滴をなめたこともある。
私はもう60歳を超えた白髪の男で、名前は山奈一郎と言う。学生時代は、付和雷同的に1961年6月19日に安保反対の運動に熱を注いだ事もある。
横浜港の岸壁に出航前のアルゼンチン丸に乗り込んでいる愛しい人との永遠の別れのテープを手にしていた青春も遥か昔のことだ。
私は托鉢のほかに糧にしている技がある。八卦占い師だ。社会的な認知は人それぞれだから深く考えない事に決めている。
刀も使い様で人を幸せにできると信念があるからだ。なんとなく托鉢と共通点があると思っている。
それと、托鉢だけでは糧にならないので二股稼業になる。
私の乞食托鉢の姿は至って簡略化されている。網代傘の下は白髪が首までで伸びていてゴムバンドで丸くとめている。
よく修行僧が頭つけている網代笠は、いつも黒い1000円で買ったバッグにしまい込むので、二つ折りで、使用するときに丸く形を整える。
保存が雑だから網代笠の所々に編んである竹ひごがずれていて、みっともないからガムテープで修復してある。とてもじゃないが、これだけ取っても偽坊主の風体とわかる。
法衣は栗色だが、その下には薄汚れた作務衣で輪袈裟はしている。よく見ないとわからないのだが賽銭を入れる鉄鉢は100円均一で買った黒のアクリルでできた、深みのある皿である。鉄鉢は重いので敬遠した。草鞋は減るので下駄屋であつらえた草履だ。

陽射しが強い。夏も盛りだ。
私ポロシャツのラフな姿で、黒い法具の入れたバッグを持って関内駅を降りて、商店街に通じる地下の通路を通り横浜でも1,2を争うなマリナード商店街にで出た。
今は往時の華やかさに比べると高島屋の撤退もあり人影も少なく感じる。
それでも商店街を一歩離れる脇道には昔からの色香の匂いが漂うロマンの町でもある。なんだかんだ言っても浜っ子たちには縁の深い大通りだ。
入り口にかまぼこ形の大きなアーチがある。
アーチを通り抜けると敷石が綺麗に並んだ道がある。
その道の200メートルほど両側にはびっしりと商店が並び一直線に延びている。伊勢佐木長者町の交差点を渡るとその先にも商店街だ。
この通りには、欅並木があり、その樹の下には半円形の石のベンチがあり時間を持て余す老人達の格好の癒やし場だ。
天気がいいと千葉から来たという逞しいエプロン姿のおばあちゃんが石のベンチに座り野菜を広げて売り捌いている。
隣で托鉢をすることもあるので、おばあちゃんは野菜を全てを売り尽くす商売人だ。
時折、老人バンドが石のベンチを囲み、普段着の姿で数人の仲間と昔懐かしい演歌をギターを弾きながら唄っている。
(夜霧よ今夜も有難う、北へ、赤いハンカチ、幸せはここに)などの昔のヒット曲だ。
私は修験僧姿だが、頭で歌っていた。
4人ばかりの演歌グループの老人たちが昔を思い出しながら演歌を歌う姿はどこか儚い。
私と姿こそ違うが、この牢人演歌チームと根っこでは結ばれていると思う。
同世代の感もあり、戦後は進駐軍のコッペパンで生き延び連中だと思うので、同級生と同じなのだ。
色々な想いで生きて来て、たどり着いたのが。幸せの演歌の道だ。

伊勢佐木長者町の交差点を超えてしばらく歩くと青江三奈の伊勢佐木町ブルースの記念碑がある。その近くにある欅の下で私は托鉢をすることにした。定番の位置ともいえる。ほっとする場所でもある。
その前にポロシャツから法衣に着替えないと托鉢もできないので私はいつもの通り脇道にある駐車場に行きカバンを降ろして法衣に着替える。見られると恥ずかしいので、人気を避けるようにしている。駐車場は人気がないので安心だ。
いい歳をして恥ずかしも何もないと思うのだが何となく後ろめたさを感じているからかもしれない。

石のベンチの側に小さな植え込みがあり、欅が色濃く立っている。私はこの欅の下が好きだ。お地蔵さんにもなったような気分だからだ。
両手で賽銭を入れる鉄鉢代わりの器を持って左手首には数珠をかけ、網代傘の紐を顎にかけ輪袈裟を整えていざ出陣だ。
先ずは一心不乱で商店街の道にある小石を目で探してその小石を見つめるようにして般若心経を唱えるのだ。一点を見つめると姿勢が崩れないからだ。
胸には黒い頭陀袋を首から下げて袋には修験者らしく明暗と字が書いてある。
『かんじんざいぼさーぎょうじんはんにゃはらみやじー しょうけんごうんかいくー』
般若心経を二分ほど終えると、また同じことを繰り返すのだ、飽きると観音経とか日蓮正宗26とかごちゃまぜだ。
私は宗派にとらわれていない。というより、どのお経でも気持ちが落ち着くのと、区別や深い意味も知らないから無責任と言われればその通りだと思っている。お経は数年前に不二易断に在籍していた時、俄か仕込みで覚えさせられたから、その名残として体で覚えているのだ。
修験者ならば、脚絆を付けて、草鞋に白足袋に錫杖を用いているし、顔をも日焼けして猛々しいけれど、私は手抜きの姿だからおそらく乞食坊主のたぐいだろうと思われても仕方ない風貌だ。
私は正当な修験者では無いから
凛とした正装で托鉢をする事はむしろ正当な修験僧を冒涜するのではないかと思っていたから、偽者らしくても良いと姿には拘りがなかった。
般若心経は慣れているせいか声明も適度に低音で、なんとなく風情があるような気がする。

一人の買い物カゴをさげた老婆がゆるりと財布から100円玉をとりだし、笑顔を浮かべながら賽銭を入れていった。
なんの願い事をしたのだろうか、それとも、私が哀れに見えたので寄付をしてくれたのたのだろうか。
娘が嫁に行かないので、何とかして下さいと、仏様に祈ったのたのだろうか。
私は、おばあちゃんの願い事を真摯に受けてとめた。珍しい事だ。普段は、金の音だけが嬉しいのに、健気な人を見ると、私が触発されて、惹き込まれるのだ。
私が修験者らしく立っているだけで、おばあちゃんの気持ちが楽になるのなら、私が一緒になって祈れば、相乗効果も有るかもと、単純に考える。布施をした人もそれを受けた人も、救われるのかも知れない。八卦占いでも、相談者から学ぶ事が多々あるのと同じ景色だ。

托鉢をしていると大体、悪くても30分に一回は賽銭が入る。また二時間経っても入らない事もある。
賽銭が入らない時はお経にも身が入らないものだ。こんな時は姿勢も、悪く、キョロキョロしだす。
不思議と体が痒くなったり、トイレに行きたくなるものだ。
緊張感が無くなると、余計な雑念が入りこんでくる。アメーバが栄養を求めて動くように。心身が侵されてくる。
こんな時は移動をする。適当な雰囲気がある所までだ。電信柱の下、四つ角の辻、思い切って駅を変えるとか、判断は自分だから、それなりに楽しい。縛られないという自由の有り難さを感じる。
私は托鉢を始めてから、六年歩ほど経つ。八卦占いもしているが。
働き盛りの歳なのにまともな職業を選ばない。妻子がいる男なのにだ。
妻の由恵は働き者で子供だけが生き甲斐だ。夫の私は、今では、重箱の隅に追いやられたネズミみたいに小さくなっている。
私を追い出したいだろうが、子供の事を思うと、強く言えないのだ。其れと、毎月少ないけれど私が、なんだかんだ言いながらでも、どこからか、お金をもってくるから、無視する事もできないのが本音なのだ。
このような夫婦は何と言うのだろう。愛の無くなった抜け殻夫婦かも知れない。
それでも太陽は毎日のように出てくるから、四人家族はその太陽を受けて生き続けているようなもので、夢も希望とは無縁のくらしを余儀なくされていた。

時は戻って来ない。この頃は職業を選ぶと言う一般的な頭脳は動いていないで、なんと言うのか、職業と言う壁が厚くて、乗り越えて行くパワーが生まれてこなかったと言うことだ。
理由は一般的に言えば身勝手で縛られるのが嫌いで、わがままと言う事だ。その結果、流れ流れて淵にたどり着いたのが乞食托鉢と八卦易者だが、根っこは他にあると思う。この得体の解らない魂は何処から来た魂なのか考えてみると、おそらく私の五臓六腑が産んだ血の巡りが創り上げた性格だろう。
性格は親の躾もあると思うが、私は、大の大人だからそこに持っていうのは卑怯になる。
まあ、多分、安易に事を考えて、吟味もろくにしないで、実行してしまって、反省を忘れて、その上にさらに上乗せして来たからだと思う。気がついたら、世間の大きな壁に前が塞がれていたということだ。

私は東京中野で酒屋の長男として生を受けた。戦時中で産めよ増やせよの時代で上が三人の姉で下が三人の男で、初めての男だから、両親はやっと酒屋の跡継ぎが産まれたと、たいそう喜んだらしい。喜ぶのはいいのだが、一郎は甘く育てたと、その後、姉達からも聞いたことがある。当時は、玩具など簡単には手に入らない時だから、私は姉たちの玩具で間に合わせたと言う。赤い人形を背負った私がいたという。
幼い三歳のころ、東京大空襲に遭遇し、父と若い母は子供五人の手を引いて近くの小学校に作られていた防空壕に避難をして助かったと教えてくれた。その時、反対の東大分校に逃げていたら命はなかったかも知れないという。
人の命はどこでどうなるか分からないものだ。それが、白髪が濃くなるまで生きている。運命とは筋書き通りいかないのは常識だが、まさか、乞食坊主になるとは青春の華やかな恋心を思い出すと思いもよらない世界に辿り着いていた。
とにかく酒屋の息子として大事に育ててくれたらしいが、本にはその自覚はない。親を困らせた記憶は幾つもあるが。
私は銀行みたいな硬い酒屋はやりたく無いと、親に反抗して家を飛び出しだしたは良いけれど、世間知らずの上に、金の使い方を知らない男だから何一つ最後まで仕上げた職業はない。みな、止まり木だ。
挙げ句の果てに、結婚をするからと、親の金で、川崎に居酒屋を始めたのはいいのだが、自転車操業に追い込まれ、苦し紛れに禁断のバクチに身を染めて店を潰し、それからというものは親、親戚から嫌われて、貧乏神と罵られ、生きるために職場を転々と泳ぎ回り、ついた先が今なのだ。修験者の托鉢さんには迷惑だけど、目鼻がつくまでよろしくと言う事です。

 昼過ぎから日曜日なので、商店街マリナードにある場外馬券売り場の近くの電信柱の脇で托鉢した。
今日はjra競馬開催日だ。商店街の中程にある。
ビルの入り口は競馬ファンで出入りが激しい。
こんな日は、終わるとオケラ街道になるのだか、時として気前の良いファンも出てくるから、私はそれを狙って馬券売り場の入口近くで托鉢をしてお布施の入りを待つのだ。托鉢の意義は一先ず置いといて、時を無駄にしたくないハートが作用するのだ。
私としては、魚群が来たか、大間のマグロ釣りみたいな漁場だ。
信心深い方には
(仏様をなんと思っているのだろう。仏ぶって、浅ましい。分別のない修験者よ)とお叱りを受けると思う。でも、今の私は背に腹を変えられない、暮らしの現実が壁になっていて、仏様どころでは無いのです。

マグロにあたりがあった。
五十前後の労働者風の男が
(今日は運気がいい。ん万円儲かったから、お布施だよ、運気が下がらない様にな)と、気さくな表情でお布施をしてくれた。
私はその人の顔を笑みを持って礼を云った。
言葉をかけることは托鉢の世界ではご法度と聞いているが、そこは素人、感情が顕になるのだ。網代笠の先を指でつまんで
(ありがとうございます。大枚入れてもらい)と、数枚の千円札に目を離さず礼を言った。
(坊さんも暑いのに大変だね、元気出してよ、俺は貧乏人だが、たまに、当たると、分かちあいたいのよ、)
といいながら、千円札七枚と玉淺を恵んでくれた。
(私も若い時は競馬に凝ってね。家一軒、馬のエサ代にしましたよ)と返答したかったのだが、そこはこらえた。
親しみ安い人相出し、競馬談義でもしたかったが、仕事柄、相手のお布施をした善意の気持ちを踏みにじる事になるので、軽く会釈をして一歩退いた。

風が吹いていたので私は後ろ向きになり、千円札が飛ばされないように急いで鉄鉢(アクリル皿)から取り出し頭陀袋にしまい込んだ。
こんな良き日はめったに無い。
鉄鉢に千円札が入って、風に飛ばされても、その千円札は追いかけてはいけないらしい。
その札は誰かに拾われて役に立つからだと、数年前に在席していた宗教団体の先輩から、そう言われた事があるが、私は修行が足らないのか、風に飛ばされた千円札は恥も外聞も無く追いかける事にしている。
時々、風が危ない場面をつくることもある。
そうかと思えは、お布施を盗んでいく若者に出逢った事もある。
(お坊さん、この金少し貰っていい。ダメ)
その辺で遊ぶ青年だ。高校生ぐらいの男だ。
私は、黙して様子を見ていた。
青年は鉄鉢に指を入れて、数百円取り出して、軽く頭を下げて去って行った。
私は
(おい、困るよ、持って行っては、浄財だぞ)
と言いたいところだが、ここは一番、ホンモノの思考で、なすがまま、流れに従った。
『あいつの顔は明るく快活な少年だ。よほど金に困っていたのだろう、いいではないか。持って行けよ』と言葉はかけなかったが、何か良いことをした気持ちになった。
白足袋も汚れてきた、草履の紐もだ。洗濯をたまにはしないとね、と思いながら華やか通りを歩いていると、坊さん、坊さんと後ろから若い男性の声がするので振り向くと
『わずかだけど』と五百円玉を鉄鉢お布施を入れて去って行った。
若い男だけれど徳を持って行った。私も時々同業者というわけではないが、駅前でチリーンと金を叩くお坊さんにお布施する事がある。気前良く千円札だ。貧乏しているが、そのぐらいのことは、当然と思っている。そうです。武士は食わねど高楊枝という独りよがりです。

托鉢は嫌いではない。占いの団体に属していた時は、かなり托鉢をやらされた。占いと托鉢は関係ないと思っていたが、当、団体は心願成就の御祈禱も行っているので密教の法要の訓練をやらされたから、少しは仏縁があるかもしれない。
毎年、正月の三が日は朝九時に千葉駅のロータリー近くで数人が修験者の姿で般若心経を唱える。薄着だから寒いが、それがまた新鮮で気持ちがいい。新年を迎えて慶賀の行事だ。慣れてくると托鉢もいいものだ。
この宗教法人をやめたのは、私が信用していた教務の山崎さんが辞めたので、彼に続いたのだ。人間的に頼れる人柄だったが、幹部と齟齬が生じて辞職をしたのだ。
私はこの八卦占いを糧にする仕事が、宗教法人とは知らないで、日刊現代の新聞で見つけて応募したのだが、いまいち、納得できなかったが、山崎さんの人柄に納得をしてこの不二八卦易断に入ったという経緯があるので、彼が退職をしたので、これ幸いと思い私も辞職することにしたのである。仏の世界では還俗た、
山崎さんは退職してから、故郷の京都に帰って行った。彼の語るによると、身内はいないという。芸者さんの子供だったらしい。
時々、寂しいし剝がれ声で電話をくれた。
『おい、川奈よ、俺は、お前を見習って托鉢を始めたよ。今日はお布施も多かったので、お前とゆっくりと話せるよ』と懐かしそうに電話をくれた。
『山崎先生、もう一度一緒に酒でも飲みたいですね』
『お前は酒を飲めないくせによく言うよ』
『また、一緒に仕事ができるといいですね、身体を大事にしてくださいよ』
彼は電話の奥で涙がにじんでいるようだった。托鉢で生計を立てるのは容易なことではない、まして宿なしで頑張っているという山崎先輩だから、その苦労の姿は私には想像できるからだ。
八卦易断は彼から教わった。
『世の中の書は読みつくせない、人の言葉も語りつくせない、故に八卦をもって、世の深淵を探る』ということが、伝統文化だと教えてくれた先輩だ。『易断は八卦を通して人の幸せを導く術であるから、人を欺罔して騙取してはならない』とも教わった正統派の先生だった。
山崎さん辞めた理由は私と同じだと思う。どこの宗教団体でも寄進とか、お布施で組織は成り立っていると思うが、競争原理が動くのでどうしても金の世界になる。それが我慢できなくてやめたと思う。
暫くして電話は来なくなった。連絡をつけようにも携帯電話の出始めの時で持っている人は少ない頃だったので、いつも来るときは公衆電話からだった。今頃、山崎先輩はどこでどうしているのか、私は心配している。
私はこの組織で易断という占いを学習させてもらったし、托鉢という生きる術を会得できたし感謝しているが、金を集めるのが苦手で心が離れて行った。

私は普通の日は十時頃。家族と住む鶴間の貸マンションを出ていく。
黒い大きなバックに法衣、草履など一式を詰め込み妻の由恵がパートに出たのを確かめてから家を出ることにしている。見つかると、怒り始めるからだ。
由恵は
『托鉢など修行もしていないのに。笑われるからやめて下さい』
と、日頃から私に言っているが、効き目がない。最近では私は野良猫扱いで放置されているみたいだ。彼女にしてみれば、呆れて常識が通じない男なのだ。ごく、当たり前の話だ。おかしいのは私である。でも、この一線というのか、托鉢の一件は、今はやめられないのだ。その理由は、自由な時間が取れるから、趣味の油絵がたまには気分晴らしに描けるし、他人様に会う機会が少なくてすむし、自作自演のドラマが見る事ができるからだともいえる。それに食うだけの糧はつかむことができるからだ。これらは自分のご都合主義だが、実際は思うような職場がないということだ。年齢的にも無理なところがある。由恵もそのあたりの気配はわかっているようだが、世間体が気になるようだ。

今日は何処の場所にしようかと横浜線の中で考えていた。場所は大船、戸塚、藤沢、横浜辺りが定番の、場所だ。時間的には昼から夕方の4時頃には托鉢を終わらせる。
今日は、天気が良く雨の心配が無いのでマリナードに行くことにしたのだ。
ジャンバー、黒靴姿で移動するのだが法衣姿に着替える必要があるので托鉢をする目標の場所近くにある駐車場が着替える所だ。これも
定番だ。紺色の頭多袋にはオニギリと冷たいお茶のボトルが入っている。一日立っていて10000円ほどになると、お経を、やめて帰る支度をするのが日課だ。まれに、横浜西口で筮竹占いをすることもある。
この頃は托鉢に慣れていたので、始めたときの罪悪感はないが、どこかに偽坊主と言う後ろめたさはある。
賽銭はお寺に納めるのではなく、生活費を稼ぐ糧になっているからだ。
こんな考えでは仏様が許すわけがない。罰が当たると思っても、罰はなかなかこない。来ないところを見ると、そのぐらいの托鉢なら許容範囲なのかもと、仏様に手を合わせて許してもらうことにしていた。
私は仏様の判断を仰ぐ為にこれまでして托鉢をする理由を聞いてもらいたい事がある。
『いつの日か必ず辞めますからそれまでは偽坊主と呼ばれてもかまいません。今は諸般の事情があって托鉢をしています、それまでの間勘弁して下さい』と。
マリナードは私にとっては故郷のような場所だ。
『あすこに行けば、何とかなる』という、安心感が醸成されているからだ。まるで、恋でもしているよな雰囲気だ。1人相撲だが。
その訳はと言うと、行き交う人の姿が人間臭く、生活の臭いがあるからで、溶け込みやすいからだ。腹が減れば、富士そば、kenntaki-、天や、100均、着物、何でもあるし、夕方になれば、夜の蝶々が飛び交うし、爺バンドも勝手に歌っているし、深夜になれば、若い歌手の卵が賽銭ボックスらしき物を置いて、一人で歌に酔いしれていたり、いくつもの人間ドラマが集まっているからだ。私もその辺りの出演者気取りだ。
 今でこそフリーターは社会的認知はあるが昭和35年頃はそんなキレイな名前はない。当時は仕事が続かない怠け者のの、レッテルを貼られていた。
長男のくせに、私は親の稼業である酒屋の跡を継がないでいたか転職転の連続だ。その数は両手では数え切れない。
主な職業は自衛隊、焼き芋や、ラーメンの引き売り、建築営業、不動産、焼肉屋、劇団営業、占い師、あるある、ほんと、数え切れない。無いのは人に迷惑かける仕事だけだ。
普通の感覚では猫もついてこない。
生活力の、ない男は結婚をしてはいけないのだか、それが、オスとメスの世界だから自然発生的に由恵と巡り合い禁じ手を破り、今は二人の子供にめぐまれている。幸せな男だ。無論、由恵の子供を一人前に育てようとする本能がそうさせているのは間違いない。私は生殖本能のあるはオスだ。一言で言うとそうなる。
別に僻んで言うのではないが、当時の世間は高卒では殆ど出世の見込みがないのが相場だ。勿論、立派な人も多い事は承知しているが、劣等感が強い私は当時はそう判断をしていた。社会に出るなら大学を卒業しないと世間には通用しないとね。
私は父から勘当を言い渡された親不孝者だから、ろくに勉強もしていない。
感動される前は、どうせ酒屋を継ぐ羽目になるのだから、学問していても無駄だと、酒屋は体力だけでいいと、浅はかな考えをもっていだのだ。だか、周りの意見と、見栄もあって、大学は受けることにした。
予備校は一応、通ったが、数学、英語が全然追いついて行けず、講義が嫌になり浅草のフランス座に行ってしまう愚か者だ。同じ予備校に通う頭の良い友人がフランス座に行こうというので断り切れない事もあった。
彼はかぶり付きで、一番前だ。
私にはそんな心臓は恥ずかしくてない。
大学入試は、彼は、有名校の、法科に合格だ。フランス座で遠慮していた私は試験に落ちた。大袈裟に言うと、頭脳は善悪には関係ない事は解っているが、天は無慈悲な判断をするものだ。
入試を止めて、卒業試験を難しくすればいいではないかと当時は思っていた。
努力をしない己を棚に上げて、屁理屈ばかり言っていた。

托鉢をするには托鉢許可証が必要と言う人もいますが、
私は托鉢をするには特別な許可は要らないと思っている。
偽坊主だとか本者の修行僧だとか区別はつける必要も無いと考えている。
本人の認識の問題だから臆することはない。
私は寺に在籍していないから許可証はない。なくても気にしたことはない。寺は自分の胸の中にあり、人様にどう思われようが、我が道を行くしかないからで、遭難しかけている男には許可証は荷物になるだけた。


戸塚駅の商店街で托鉢をしていた時があった。この地は一郎に取っては賽銭の集まる場所でお気に入りの所だ。道幅の、広い処は反対側を通る人とどうしても離れているから縁が薄くなるのだ。
工事をしていて店が休みのなのでその場所で成り行き任せの般若心経を唱えていると目の前で突然ビッタと止まり
(ご苦労様です、南無妙法蓮華経)と小さな声でポツリと、唱えた。
その声の男の足元を見ると、工事現場で見かけるゴム製の黒い足袋を履き脚絆を巻いている。
私はガムテープで修理した汚れのある網代笠を指先で上げてその男を見た。
そのお人は修行僧だった。修験者らしくその道の身なりがきちっとしている。
黒の法衣にタスキを掛け南妙法蓮華経と書いてある。
頭は丸刈りだ。手足は脚絆で覆われている。頭陀袋には布教の冊子が数冊入っていた。私みたいに顔を見られるのが恥ずかしいからと網代笠で顔を隠している男と違う。
正々堂々と自分の顔に責任を持っているので網代笠など不要なのだ。私は自分が見透かされているような気持ちになり、頭を垂れて詫びを入れた。

(門前を汚して申し訳ありません、私は偽坊主です)と素直に謝ったのだ。私はこの辺りのお寺に縁のある方だと思ったからだ。
するとその修行僧は間髪いれずに
(偽坊主の中に本物が入るのです、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経)と唱え去って行った。
(偽者の中に本者がいる?そうなのか、もしかすると私の事?そんなことはあるまい、一般的な事を言ったまでだ。確かに贋物の中にも間違えて本物が交じる事もある。修験者はこの日照りの強い中で、お経を、唱えるだけでも、本者とお世辞を、言ったに違いない、)
と謙虚にとらえていたが、私はなるほど良いこと言ってくれる坊さんだな、と悦になった。
偽か、本者かは当人の心一つで決めるものだと、常々思っていたので良き理解者も、いるものだと嬉しかったのだが、そう思うのも束の間で、修験者のお坊さんは、偽の中に本者もいると言ったのは私の事を言ったのではなく、一般的な有様を言ったまでだと解釈をした。なぜならば、私は仏の道を究めようとする意思がないし、ただ日銭が欲しい為に坊主を装っているだけだからだ
しかし、ただの日銭稼ぎの托鉢僧ではないと、自負している部分もある。
私は仏道修行とは無縁ではない。そう思うのも根拠が少しある。
8年前に気にいっていた民話劇団の営業を巡回通り訪問しないで、団長から叱責されて、反抗したものだら首になり、次の仕事を考えていたが、今更仕事らしい仕事などあるはずがない。警備員か宅地建物取引士を、活かすしか無いと思い日刊ゲンダイの、就職欄を見ていると占い鑑定士の募集広告が、目に入った。
とにかく新聞広告の職業欄が人生の窓口であり。糧になっていた私だから興味ある広告を探すのは得意だ。
運命鑑定士募集固定給25万、歩合給あり、月50万以上。宗教法人が営む八卦易鑑定師だ。布教活動の一つだそうだ。
占いという、特殊な世界は何か論理的ではないので及び腰だったが、自分さえしっかりと道を歩いていけば、魅力のある仕事になるのではないかと面接に行くことにした。そして日本国中、筮竹を持って旅する事になった。
そのおかげで仏様に縁が出来て、感謝している。
劇団の仕事も、一人で、冬の北海道の轍を超えながらの、孤独の営業だから、精神的に強い男にならないと、ノルマは、こなせない。
この、孤独の積み重ねは仏道に通じるところもある。

私は劇団営業の、仕事をしながら絵を描くことが生き甲斐でもあったので、それも閑静な風景が好みだったから、各地のお寺や神社巡りも暇を見つけては巡っていた。
その旅の中で、自分の半生を振り返りこれから何を目標にしていこうかと想いをよせていた。
しかし家族を思う為に仕事をするのだが、どうも己の性分に合わないと決め込めこむとどの仕事も長続きしないのだ。
まるで土の中のモグラが地上にあ顔を出し。辺をキョロキョロ眺めては(あれ。此処は僕の好きな場所では無い)と直ぐ土のかなに隠れでまた、次の穴から顔を出すようなものだ。
だが。
世間では、これを飽きっぽい性格だと単純切りで、終わらせてしまうが、私の視点は少し違う。歪なのだ。
よく説明できないが、根底に絵を描くと言う私には糧ににならない魂が足をひっぱているかも知れない。
自分では気にいった絵ができたなと思う時は、必ずと言っていいほど、暮らしが壁にぶつかっているときなのだ。
これはなんでなのだろう。
仕事探しは頭を使うので、それから逃れる事ができるからかも知れない。
いや、絵を描いている時は、自分との、戦いができかるからだ。
浪人が池の端で、釣り竿を垂れている心境に似ている。
じっとして、浮きの一点を見つめて、世の軋轢を忘れて時を過ごす時と、同じだ。

劇団の営業の暇をつくって東尋坊を訪ねた事がある。
自殺防止の立て札を見て、
(私はこの断崖から落ちる勇気は恐ろしくて出来ないな、でも正当に死ぬ要素が固まれば死ぬ事は意外とスムースに行くのかもしれな、でも。臆病な私だから、がけを覗いて逃げ出すな)
と、出来もしない空想の下に、眼下の潮の激しさを眺めていた。
それから近くの禅宗の永平寺を訪ねて勅使門の階段の下に座り水彩画を描き始めた。春も終わりを告げ辺りの木々は濃く染まっていて、杜は静かだ。勅使門に通じる階段の勾配はきつく、下から見上げると静寂に囲まれた厳かな門は歴史の重みを間近に感じた。
スケッチをしながら、思い出した事がある。
半年前頃延暦寺で坊主見習いを新聞で募集していた記事を読んで応募しようかと思った事がある。給料も20万円出ると言うから真面目に一から出直すつもりで応募しようと考えていた時を思い出していた。しかし、家族をの事を思うと身勝手すぎると思いその事は忘れるようにした。
出家すれば思いは通せるだろうが、家族を取り残して、いや、守るべき生命を放置して、佛の道に己を生かして行っても、仏様は(お前はバカか、出ていけ)
と怒鳴るだけだとバカさ加減に呆れていた。
そんな洒落にもならない由無し事を頭に錯綜させながらスケッチノ筆は終わった。
やたらと、深い緑が多く、鳥のさえずりさえ聴こえてこない。
でも、こうして、雲水さんの側で仏様の雰囲気を味合う事ができた事に満足した。

山手線の中で日刊ゲンダイを読んでいたのも運命だ。もう一枚新聞を捲れば鑑定師応募の記事にあえなかったかも知れないのだ。
人間の運命はめぐり合わせでの中で生かされている事を感じていた。宗教に格段の興味がある訳ではないが、なぜ神社仏閣が多いのだろうと素直に考えてみると興味が湧いてきて自然と惹かれるようなっていた。
気にいっていた、劇団の営業職も自分の不手際で首になり、途方に暮れていたところに現れたのが☰占いと言
そんな事から、川奈一郎は仏様とは縁が無いわけではない。

マリナードの欅の下は托鉢の場所として私が落ち着く処だ。背には太い欅の幹があり頭上には緑の葉隠がある。そばのベンチには年老いた人がのんびりと座っている。
私はこのステージの真ん中に立ってお経を唱えているから、演劇で言えば主役みたいなものだ。
通行人との、距離感も案配がいい。人通りが多ければ良いとも言えない。ボツンと坊さんが立っていると思わせる事が演出として大切だ。人通り多いと、考える隙がないから素通りする確率が高いから布施は集まらない。
托鉢行とは言え街場で修行するのだから御布施が無いとなると、遊んでいるなと、天は立腹するかもだ。
そんな事ないな天はお布施が入らなくても怒るはずは無い。

私は不二易断本部では、法名を覚成と呼ばれていたが還俗して法名を返したので今はない。当時は得度を受けるのに戒律を暗記させられたが、今は覚えていないが、常識を守っていれば、戒律と遜色はないと思っている。
托鉢するには托鉢許可証が必要と言う人もいるが寺に縁の無い人間は托鉢禁止の法律があるわけでない。日本には信教の自由と言う立派な法律がある。表現の自由もある、公序良俗に反していなければ大方の事は許されるから川奈一郎はその主旨に従って行動しているのだと思っているので、その延長が托鉢業だとの、信念なのだ。
私は仏様を信じると言うのか、身勝手で、自分に都合のいい時だけ仏様にお願いする、その他の衆と同じレベルかそれより下ではないかと思っている。
托鉢をするのは生活費が、欲しいだけのことだが、奥には己の生き方を支えるために用心棒になって不埒な考えが起きたとき(バカヤロウ)と叱って貰いたいからだ。

夕暮れ近くになり。私は商店街の中央付近にある場外馬券売り場のあるビル付近に移動した。
入り口近くには競馬ファンが激しくうごめいている。警備員も案内業務で忙しそうだ。
私も昔は競馬場にはずいぶん通った。のめり込み。馬券の買い方もいつしか大枚を注ぎ込むようになり、一戸建ての家を売る羽目になる経歴があるから、この馬券売り場は何となく身近に感じていて、古い友人に会う感じでもあった。
ギャンブル依存症という輩は治す方法が難しいといわれるが、私なりの対策はある。
お金を全部使い果たすことだ。かける金が無くなれば行きたくてもいけない。よく八卦占いでギャンブルに勝つ方法はないかと、いう人がいるが、そんな人には
『私が知りたいよ、やめれば勝てるさ』と冗談交じりにいうことがある。ギャンブルは魂を惹きつける魅力がある。玄人筋は女をとるかギャンブルをとるかというと、大方の人はギャンブルに走ると、昔から伝承継承されていると聞く。私の経験でも答えはギャンブルだ。依存症は大方所得の少ない人に多いと思う。富裕層は株式といギャンブル的要素があるから、それで満足をしているはずだ。ギャンブル依存症を治す方法は結局金の縁を切るのが一番だと思う。それでは答えにならないが、ギャンブルの楽しさは暮らしの一環と思う人もいるから、一概に悪だと決めつけることは当然できない。人それぞれの価値観や生き方があるので、依存症が悪いとは言えない。ギャンブル依存症はギャンブル施設が解体されれば治る。人間は金に振り回される世界に生きている以上、瞬時の金もうけに頭が走るのも自然だ。その戦いから負けたものは潔く身を切ることだ。
と、私はギャンブルで戦いに破れ、落ちるとこまで落ちた人間だから、答えにならないけれど、場外競馬場に情熱を燃やす人たちを観ていて、ふと、昔の私を思い出していた。

ビルの前の欅の下で托鉢を初めてしばらくたつと職人らしい60歳前後男が近寄って来た。ニコニコ笑っていた。
[お坊さんよ、俺、今日、競馬で儲かってさ。ついてたよ、小銭みんな入れておくよ、つきが落ちないようによろしくだ]
そう言いながら小銭だけではなく、千円札6枚あとはバラ銭一握りを鉄鉢に入れてくれた。
風が吹いていたので千円札が飛ぶ可能性があるので鉄鉢に入れた途端、手で抑えて飛んで行かないように手のひらで押さえた。坊さんが禁句とされている
(ありがとうございます)
とついつい言ってしまった。
世間一般的には、
(ありがとうございます)と言うのは、入れた本人らしい。坊さんは黙していて千円札が何処に飛んで行こうが札を追いかけてはいけないらしい。
でも一郎坊は千円札が逃げ出さないように捕まえて離さなかった。
競馬は最終レースが終わり、出口から人が出てくる。次々と。
一郎坊の前はオケラ街道に早変わりだ。下を向いて寂しげに歩く男が多い。なんで男は博打が好きなんだろう。女の姿はまばらだ。
昔から戦士と言えば男だから闘争本能があり、剣が馬券に変わっただけなのかも知れない。
六千数百円入れていった男はさぞかし、馬券で儲けて、そのおつり銭をお布施した事で喜びが倍になったのだ。
そう思うと偽坊主であろうと、何であろうと鉄鉢を持ち続ける男は天からの使者ではないか、何も臆することないぞ、と己を振るい立たせ般若心経を一層声高に唱えていた。




この金を使えば家庭が崩壊するという大切なお金を馬券の餌に協力してしまった過去のある私だからオケラ街道の人達は昔の同士なのだ。
マリナード商店街に、華やかな灯りがつき始めた。通りを見渡すと道の両側は色とりどりの看板で華やかだ。
一郎坊はそろそろ托鉢を止める準備にかかり始めるため黒い大きな
バックを、背にして歩きだして
人通りの少ない関内駅に近い植え込みに入り人気のない機械設備の箱のそばにカバンを下ろし。中から服を取り出し着替えを始めた。
作務衣のパンツを脱ぐので、下着が丸見えになるので人影の少ない場所を選んだのだ。
本格的な宗派にいる修行僧は、植え込みで通勤着に着替えるはずが無い。
一郎坊は托鉢許可証が寺から交付されている坊さんでは無いから、後ろめたさが常に心を過る。
修行をする事に不退転な気持ちがあれば、何も恐れるこのは無いから、植え込みで着替えるなどは不謹慎なのだ。托鉢許可証が無くても、己の修行だと思えば自然体でお経を唱えれば良いはずだ。
だが、一郎坊は僅かな生活費を稼ぎたい為に坊主姿になり、お布施を入れさせている、言わば偽坊主と言われても言い訳が出来ないのだ。
徹底的に己を見詰める気持ちが無いから自分で偽坊主にしてしまっている。
本格的に坊主になる気持ちがないから偽物に見えてしまう。
でも、人は偽物か本物か見た目だけでは判断出来ないから、それをいい事にして、辻に立っているのか一郎なのだ。他に勤めでも考えればいいのだか、やりたいことは他にあるとか、縛られたくないと言う我儘が長く続いていた結果が
植え込みで着替えをしているのが本人なのだ。
植え込みから出てカバンを背負い石畳の歩道に出ると一人の男が待っていたように声をかけてきた。
(もう今日はお勤め終わりですね、時間があれば飯でも食べませんか、聞きたいこともあるのですが?)
(何だ、親父さんか、今日は仕事なしか、いいね。よろずやの方は金にならないのか)
この五十歳前後の男はこの通りに棲み着く演歌グループの仲間の一人だ。
普段は何をしているかさっぱりわからない。なんでも周旋屋もどきらしい。この当たりのフラフラ男は大抵の場合生活保護を受けているからその一人かもかもしれい。
(飯か、俺はもうたべたよ)
(そう言わず、レストラン行きましょうよ、金はあるから)
執拗に迫るので同行する事にした。ファミリレストランは夕餉には早すぎるのか空席が目立っていた。
(話しって何さ)
(いや、いつも托鉢をする姿を見てて、どうすれば出切るのかと思って、お経は何でも良いのかと、俺にできるかと思ってさ)
彼は一郎みたいに托鉢をしたいらしい。一
(関内で托鉢すれば俺とかち合うではないか、やるなら他でやれよな、)
(もちろんですよ、先輩には迷惑かけませんから、ところで、法衣なと何処であつらえばいいのですかね、)
(仏壇屋で聞けば大丈夫だよね、それより、お経の一つぐらい覚えていないと、仏様に申し訳ないぞ)
とうやら一郎の真似をして日銭を稼ぐこんたんらしい。マイペースで自由にしてきた托鉢に邪魔者がしのんできた。
とめることは出来ないので、彼の質問に適当に答えてその場を立ち去った。
一月ほど経って関内駅に降りて、いつもの様にマリナードに行くと、立派な法衣をつけたお坊さんが、急に横道にそれた。
一郎に相談してきた男だ。
彼は一郎と会うと気まずいのか逃げるように消えて行った。
一郎は挨拶位して行けば良いのにと思ったが。彼は彼なりの考えて托鉢をしているのだから無視する事に決めた。
それにしても、托鉢をさも、簡単に行うとは、同じレベルに捉えられていると思うと自分のしている事に恥を覚えるのだった。
恥と思うなら止めれば良いのだが、資本が無くて、直ぐかせげるのは今のところ托鉢しかないのだ。折角全国を旅して学んだ易も世間の需要がないからイマイチだ。でも、この二つで贅沢しなければ暮らしはなんとかなる。
ある日
(今日はおめでたい事があってさ、菓子を貰った。おそそわけだ.真面目働けよ)
と中年男性が捨て台詞を言い残して菓子を頭陀袋に入れていった。
柏餅二つだ。
真面目に働けよは余計なお世話だが、的を得ているので、苦笑するしか無い。
真面目に働くという事は食い扶持を稼ぐだけの事としか、思えない
我がままな一郎だからスンナリとは受け入れられないでいた。
今の一郎は自分なりの、世界が何処かにあるのではないかと、彷徨い歩いているようなものだから、その杖として托鉢をしているようなものだった。

今日は托鉢慣れした戸塚の駅に立つことした。ここの商店街は古くからあるせいか店の雰囲気が泥臭い感じで親しみやすい雰囲気がある。
2間ほどの道幅の商店街は人通りが密なので托鉢が目立つので賽銭が入り易い。
今朝は妻の由恵が、パートにでかけたあと、ベランダに置いてあるいつもの黒いバックを取り出して静かに家を出た。
芳恵に見つかると 
(まともな仕事をしてください)と言われるので出てからにしていた。
由恵は何を言っても効かない亭主だから、説得をしても無駄だと思っているから、嘆き節を言っているようなもので言葉にも投げやり気味で力が伝わって来ない。
乞食をすると止められないと言う人もいるが、あながち外れてはいない。人間の本能である自由が侵されないし、人を、気にしなくて済む。
一郎の場合は家で絵でも描いて時間を潰したいのだが、芳恵にそんな力は無いし、食い扶持ぐらいは稼がなければならない。
絵を描く時間がほしい一郎が生み出したのが、托鉢だ。
何時に托鉢に行こうが、帰ろうが制限が無いのが魅力なのだ。
般若心経は生きる経典だと感謝をしている一郎だ。
辻に立ち般若心経をゆっくりと倡えているだけで、飯にありつけるのだから、仏典は生きているのだ。
幸い子供たちは独立していて親父が何をしていようが、関心はない。
辻で托鉢をしていると一郎の場合、仏様を路上に置く事にしている。何も本物の仏像入らない。仏様を道に置いたら、まわりの人々が驚いてバカヤローよばりするのは、当たり前だ。
一郎の、仏様は道のどこにでもある様な小石だ。教を唱えながら道路の一点にある小石は立派な仏様に変身してくれると信じているのが一郎なのだ。
その一点の小石が、仏様だから、見つめてお経を倡えていれば姿勢が凛としてくるからありがたい小石だ。
かんじざあぼさーはんにやーはらみたじーしょうけんごーうんかいくうーーーとお経を始めると己の雑念が消えていくのだ。
例えば、もうすぐ家賃の支払い日だな、とか、今月はパチンコで損が増えたな、とか、ブクブク湧き出す小さな悩みが忘れられるのだ。
托鉢を続けていると足元に脚絆を巻いて黒い地下足袋が目についた。
笠を、少し上げて顔を見ると凛とした修業僧が頭を下げて言った。
(南妙法蓮華経、ご苦労さまです)
黒い法衣にタスキをかけ、ズタ袋を下げ見るからに正当な修行僧の姿である。一郎は慌てた。偽の坊様の前に本者の坊さんがお経をしているのだ。一郎は慌てて謝りをいれた。
(庭を汚してすいません、私は偽坊主です。)と素直に言った。すると(いや、そうではありません。偽の中に本者があるのですよ)そう言ってその場から去って行った。
一郎はなにか大変有り難い言葉をもらったと思ったのだ。
(そうか偽者の中に本者か、そうかも知れないな、俺には偽者に見えるけど、あえて本者と言われる部分が有るとすれば、正直者ぐらいかな。家内には迷惑かけっぱなしだが、これも己に正直だから、結果として迷惑かけているに過ぎない。
時がゆるせは、比叡山で給料20万円で人材を募集していた時があった。応募するか悩んだ時もあったが、家族を放置出来ないのでやめた。
強いて坊さんの点数を言えは30点ぐらいだ。
その根拠と言えば、数年前に、良く考えもせず、宗教団体でもある、易鑑定所に席を置いた事だ。
ここで、仏様の縁に触れて、お経や托鉢など基本を学んだ事ぐらいだ。
托鉢は千葉の周辺駅で朝から夕方までやらされたというか、やらしてもらったと言うべきか、嫌いでは無いので、なんとなく身についた。
この不二易断会には寺がある。
全国のホテルで易の鑑定をしてそのお布施で成り立つ組織なのだ。易断の成績がわるい鑑定士は、お寺勤務となり、修行させられる。
修業が足らないから人を救えない、お布施も入らないと言う事らしい。
営業マンではないのだから、矛盾していると思うが、一理はあるので納得する。
一郎は鑑定の成績が悪く二月ほどお寺勤務になった。祈願料としてお布施を貰うのだが、それが出来ないからお寺送りということだ。
寺勤務は祈願している人のためにお祈りをするのだ。朝早くから、掃除、お経の連続だ。
そんな暮らしの中で、一郎は一人で法衣を纏い寺の本堂に座り般若心経を声を唱え始めた。時は夜の8時だ。
(よし、今夜は今から、明け方までこの広い講堂で本尊を前にお経を唱えるぞ。なにか見えるかも知れない。この数本の灯りの中で真剣にお経を唱えれば、なにか出てくるかも知れない。その何かに会えたら本望だとの思いでいた。
ガランとした空間に流れるものは一郎のお経の声だけだ。誰でも興味ある人なら知っている、教本を手当たり次第に唱え続けた。
鑑定士の乗せられ大枚を布施した人の怨念が出てくるかも知れない。感謝の言葉をかけに来る魂も来るかもしれない。
空間に蟻一匹がお経をあげているようなものだ。灯りの乏しいところだ。
明け方の3時ごろになり、そろそろ潮時と思い立ち上がった。
なんにも見えなかった。なんのためにしたのかも、分からない。
ただ時間の過ぎるのを待っていた感じだ。
て、言う事は我慢比べをしただけなのだ。
悟りとか反省とか、心を揺さぶるものは出てこない。
体力だけは自信かついたようだ。
その日の午前中は庭掃除だ。午後も似たような作務があり、日照りが強いからといって休むわけにはいかない。成績が悪くて、反省しろと、寺送りになった身分だから自由が無い。
でも、このまま、寺に残りお経三昧も悪くはないなと思ったりもした。
結局40日程で寺を出ることになり再び地方に鑑定士として派遣されることとなったのだが、成績、つまりお布施を上げる自信が無くなり退会する事にした。
きつくて、辛くて、精神的にも耐えられなくなったのだ。
どこの教団でも似たようなものだと思うが、この時はお布施をいただくだけの仕事なのかと、猜疑心が一郎を、襲っていたのかも知れない。
そんな事やらで、托鉢は生きる術だと会得していた。

戸塚駅前で帰り支度をして、西口の、階段を上がって行くと、中腹に先程のお坊さんが(南妙法蓮華経)と唱えながら立っているではないか。一郎は近付いて言葉をかけた。
(あのー、先程は失礼しました。失礼で無ければ、食事でも如何ですか)と話しかけた。
修験僧と思える出立のお坊さんは快諾してくれて、一郎は寿司屋を薦めたが、蕎麦屋か良いという事で時間はずれの人気のない蕎麦屋に行った。

(私は川奈と申します。不二易鑑定所にいた易の占い師です。訳あって托鉢をしている者です。よろしくおねがいします。)
(私は日蓮宗の日拓と申します。
この近くの寺に、今は母屋を借りて住んでいます。普段は山梨の本山の麓にある、祈祷所にいます)
(実は私は普段托鉢だけではなく、横浜の、西口で夕方から占いをしています。時々、祈願を頼まれるので、よろしければ、お願い出来れば有り難いのですが、どんなもんでしょうか)
(良いですよ。一度、山梨の南部にある私の住まいに来ませんか)

天ざるはを食べ終わっても一郎は、本者の行者さんに遭って、話は熱を帯びて来ていた。
(もう直ぐ桜が満開になる、綺麗ですよ。温泉も近くにあるし、たまにはいいのでは)
冬も終わろうとしていたので、訪ねる約束をして、別れた。
3月になり半ばをすぎる頃桜前線が静岡にきた。この時を待っていたように一郎は日拓和尚の自宅に出かけた。
その日は朝から快晴で熱海から甲府行きの電車に乗り換えて身延線の南部駅に着いた。
無人駅だ。ホームから見渡すと小さな、日用品などを扱う商店がポツンとあるだけだ、見渡すと一本の坂道が正面にある。両側には壁に囲まれた古い家が点在している。
坂道の電信柱のそばに中古の乗用車が止まっていてその側に白い作務衣姿の日拓上人様が白い歯を見せて笑みを浮かべて一郎を迎えに来ていた。
『遠くからご苦労様です、疲れたでしょう』
『いいえ、そんなことありません。さすがに春とは言え、少し寒いですね』
簡単な挨拶をすますと二人は車に乗り込み上人の自宅に向かった。ピンクの桜と淡い緑に包まれた狭い道を何度もめぐりながら瓦葺の小さな古い自宅についた。
車は入り口まで入れないので、家のそばの空き地に止めて、緩やかな石段を上がっていった。玄関の入り口近くに芙蓉の花が大きく開いていた。
間口一間の玄関を入るとすぐ右側に厳かな祭壇があり、隣接する日当たりの良い縁側に案内された。上人は座布団を持って来てくれた。祭壇は二間幅で三段づくりだ。
年季があるのか、黒光りをしている。上人が常に座っている座布団の前には日蓮宗の経本が10冊ほど積まれていてた。
木魚(しもく)の代わりなのか桜の木を丸太切りにした飴色の木魚は凛として己の陣地を確保していた。
祭壇には酒、米、野菜など供物がならべてある。卒塔婆が並び、透き通った提灯が華やかさを彩っていた。正面には【南無妙法蓮華経】と上人直筆の文字が書かれた掛け軸がある。10畳ぐらいの空間が仏様で占領されているようだ。
一郎は恥ずかしながら封筒に入れた一万円を
『気持ちだけのお布施ですが』と言っ
て差し出した。
上人は『それでは、川奈さんの発展と健康を祈りましょう』よ祭壇の横に一郎を座らせて、奥に一度引っ込むと、紫の法衣姿の上人が再び出てきて読経を始めた。
低い声で、重量感のある読経だ。ゆっくりと始まるがだんだん桜の厚い根のような木魚(しもく)がリズミカルにうなりだした。その迫力は凄いの一言だ。
まるで、雷鳴が轟くような迫力だ。
この上人の読経を聞いて、己の糧にしている托鉢が偽りか、許されるのか、と言う罪深さの葛藤が一挙に吹っ飛んだ気がした。
(俺の托鉢を観ていて悪人と思う人はそれでいい、善人であると思う人は勝手にそう思えばいいことだ。俺は、俺の流儀で仏を敬愛しているからそれで托鉢をするのを勘弁してください)ともやもやを上人のぢ迫力のお経で断ち切ることにした。
上人は在籍していた日蓮正宗の本山、身延山へ行きましょうと、案内をしてくれた。
荘厳な正門をを過ぎると白い作務衣姿の上人は広場の待合室に案内してくれてお茶を飲み終えると構内の受付に行き、知り合いなのか、一郎を友人だと紹介をして、廊下をスタスタ歩き出した。立正安国論の由来文字や、構内を一巡すると外に出て日蓮さんのお墓を案内してくれて一郎には難儀な話をしてくれた。
上人は比叡山で勤めをしてこの本山に来たと言う。七面山の山の中で一人で立てこもり荒行をしていた滝のそばまで案内してくれた。その帰り道にふもとの小さな農村の畑の中の石垣に二人で座りどちらかともなく話を始めた。時折、村の人が会釈をして行った。
『不二易断をやめてから路上で占いをしていると人生相談も多いでしょう』と上人は問いかけてきた。
『そうですね。占いで元気をもらいたいのでしょうね、この間は子供のいる40代の婦人が占いにきて、亡くなった父にここまで頑張ってきたという自分の姿を見せたいから、知り合いの霊能者さんがいたら教えてください。と言われましたよ』
『私の知り合いで静岡に女性の霊能の人がいますよ、よければ紹介をしますよ』
『そうですか、もしまた横浜西口の私の占いの場所に来たら話してみますね』
一郎は劇団の仕事をしている時に下北半島の恐山に立ち寄りイタコさんの世界を考えて見たことがある。本人が信じて救われるのであれば法外な布施を取らないならば理解できるなと思ったことがあるのだ。
一郎は托鉢を糧にしているが横浜西口で一人で粗末な机を出して占いをしている。上人は仏の道より今日は一郎の占いに興味を抱いていたようだ。
草むらで歓談す二人はまるで旧友のように身近に感じるようだった。
上人はまだ時間があるといい、上人が一年前に勤めていた観光地のある場所に連れていってくれた。
そこは身延山久遠寺近くにある観光バスが十数台とまれる駐車場のある観光施設だ。今は人気も無くなり閉館していた。
広い入口には鎖がかかり、人の気配は全くない。上人は鎖を上げて一郎を中に誘導した。
中に入ると赤い鳥居が幾重にも続く敷石の上をしばらく歩くとまだ使えそうなホテルがあり、カーテンに閉ざされた調理場も見えた。
その奥に祈りをする伽藍堂があり、ここに上人は専属の貫主として務めていたという。
上人は更に奥に入り仏像が20像安置されているお堂を案内してくれた。
格子窓から中の仏像を見ると埃で気の毒そうな仏像だ。上人も仏像にすまなさそうに手を合わしていた。
こうにも無残な姿に変貌してしまった施設には観光資源として魅力を失った事が一番だというが、経営者にも問題があり、トップの間で主導権争いがあり、問題の糸口がつかめないそうだ。従って解決の糸口がないため、上人は流浪の民となったらしい。
上人の住む庵は家賃は二万円だという。一郎はそのくらいなら俺にでも出来ると親しみも深くなっていた。
その日の帰りに上人の庵の近くに天然温泉があるから寄っていきましょう、と言うので温泉に行った。
最近できたという温泉施設は広い広場に玉砂利を敷きしめ、建物は数寄屋風の湯につかると着いてる。中に入り廊下を進むと男専用の岩風呂があり、湯につかると、上人のは知り合いの人なのか、声を掛けられていた。
一郎はここしばらく温泉など行ったことはない。温泉を楽しむほどの精神的な余裕もないし、金も当然ながらない。てなことで久しぶりの湯舟は有難く、久しぶりに汗をかいた。
上人は長風呂だ。一湯につかっていることもあるそうだ。
温泉をでると身体は神経の絡みが解けたように弾んでいた。五分ほど歩くと上人の庵だ。
こたつに入ると上人は夕餉の支度を始めた。
鯵の干物と、けんちん汁、と、キムチの平凡な品揃えである。勿論、不満などない。
一郎は話す言葉も領域が狭いので占いのことを話し出した。托鉢を糧にしているならば、せめて日蓮さんや、お経や、仏教の事などを聞けばいいのだが、人間の生き方などセオリーなどを求める求道者でもないし、その辺にいくらでもいる、生命保持だけが取り柄の親父さんだから、上人に何を質問していいのかわからないのが本音なのだ。まさか競馬の話など不謹慎で、博打好きで人生行路を間違えた、等々話せる雰囲気ではないのだ。いや、本音の自分を聞かせたら上人も話に乗ってきたかもしれない。むしろ、荒行をしたという方だから、本音を聴くことができれば、それなりの重い意味と一郎にとっては身につく力を下さったかもしれない。
上人はこの見ず知らずの男を歓待してくれるのは占いに興味があり、乞食同然の姿で托鉢をする一郎の生きざまに興味を超えて同胞との位置付けをしてくれたのだと思う。
お供えの一升瓶を少しずつ飲みながら夜が深くなるのを待つ二人だった。
『時々、占い相談をしていて思うのですが、世の中、考え色々、価値観色々で、こんがらがった糸をほごす道具というのか、役目というのかよく解りませんが、占いはそのために存在していると私は思うのです。ですから、中には、相談者が祈願とか厄払いとかで気持ちが少しでも晴れるなら、わずかな、お布施で相談にのってあげたほうが良いと思います。その節はよろしくお願いいたします。私には恐ろしくて因縁解脱などの作法も知りませんから』
『分かりました、その時は何時でも相談にのりますよ』
私は祈願するにはお金がかかると言われるのではないかと心配をしていたのだ。上人は人のいい方だと更に追認した。
その夜はぬくもりのある布団で眠りについた。
上人とは、その後も、お世話になる事になった。

托鉢と占い師の兼業だが、占いは会話があるから、それなりに生きている実感はあるけれど、托鉢は孤高の世界で話し相手もいないから退屈だな、と思ったりもする。

根無し草の暮らしは、この時で七年も経っている。
年齢的にも、まともな仕事と言えば交通誘導警備員しかないのが常識だ。勿論、輝かしい職歴があれば別だか。一郎の場合自慢する程の職歴は皆無だ。
世捨て人では無い。そんな粋な男ではない。ひたすら自分に都合良く生きているだけだ。
妻の由恵が懸命に二人の子供を育ているが、一郎には子供を世話する気力も無くなっている。
子供たちと戯れる金が不足しているから仕方のない事だと言い訳をしいる。
托鉢は職業とは言わないと思うが一郎にとっては、糧を生んでくれるから立派な仕事などだ。
何故、妻の由恵は反対するのか考えてみた。
由恵は世間体だけで判断している。
周りの人々の職業と比べて、家の父さんは托鉢をしていますと言えるはずがない。恥ずかしい事だと思っている。
歴史のあるお寺の坊さんならばいざ知らず、乞食同然で、法衣とやらも、ヨレヨレの汚らしい姿で街を歩いているのが私の亭主とは言えるはずがない。普通の夫婦なら離婚だ。
でも何故か由恵は離婚しようとは言い出さない。
(離婚するなら、すれば、私は子供が不憫だから、離婚しないだけよ)と言葉には現さないが、腹のそこでは憎たらしい夫と思っているはずだ。
この数年は、一郎がどこで何して働いているかも由恵は分からないし、聞きもしない。
夫婦関係はいつ切れても不思議ではない状況だった。
このような会話の無い夫婦だけど
不思議とどこかに縁があるのか、飯だけは一郎が、家に居ると対した料理ではないが、並べてくれる。
無言で食べている一郎がそこに居るのだ。
黒い網代笠や法具の入った黒のバックはいつもベランダの隅に置いている。
部屋が狭いので法具といえども仕方ない。
大事な物だからと、由恵には言えないのだ。
托鉢は由恵に煙たがれているから、彼女がパートに出たあとに、一郎は托鉢に行くことにしている。事を大袈裟に、しないよう小さくなっているのだ。

勿論、子供達は何も知らない。焼き芋の引き売りを、していたのは知っているが、乞食坊主などとは知らないし、言わない。
なぜそこまでして一郎は托鉢にこだわるのか理由は明らかだ。
自由な時間があると、好きな絵がかけるからだ。
絵描きになる夢は捨てていないが、金にならない事は充分知っているが、なぜか、捨てられないのだ。
絵を描くことは、魂を、記録するようなものだから捨てるわけにはいかないのだ。それを維持するには托鉢は、もってこいの暮らしを支える、稼ぐ方法なのだ。
戸塚の駅周辺は区画整理が進んで、近代的な街になる。
一郎にとっては、町並みが整理されると、コンクリートビルの中に皆が行き交うようになるので人情味が薄くなり、お布施も少なくなると思っている。
お布施は何処に立つかが、一日の運命を決めるのだ。
買い物カゴを手にして、普段の装いで、孫の手を握りながら歩いている風景が一番頼りになる。
ビルの中では托鉢は辺りの雰囲気と合致しない。
また、ビルの中の商店はみすぼらしい坊さんが店の前に立つと客が入りづらい事もあり、敬遠されるので、一郎は行かないことにしている。托鉢は辻に立つのが一番
似合う。

戸塚は安定して、お布施が入るのは商店街が古いからである。
この、戸塚も近代化の波に覆われて行くから、托鉢はもう、だめかもしれないと考えていた。
道路の幅と言い、人の通りもあるし、何となく人情味がある様に感じていたので托鉢も行き場を失いかけていた。
藤沢、大船、は戸塚の半分以下しかお布施が集まらい。
でも、どこにでも托鉢に立てる気楽さがあるから戸塚を失ってもなんとかなると自信はあった。
そんな思いから半年がすぎた。
戸塚は、以前とすっかり様変わりしていて、托鉢の、ポジションを探し廻るのだが、人の流れがすっかり変わってしまっていた。
今までの商店街は高い塀に囲まれ、二期工事が始まるようだ。
残りの商店は新しい商業施設のビルに吸収されて、托鉢に立てないことはないのだが、人気を感じられないので戸塚は托鉢
ローテーションから外す事にした。
仕方なしに新規の場所を求めて厚木の駅に行き、ロータリーの側にある大きな欅の下で托鉢を始めた。
目の前はバス停で人気もある。だが、思う様に布施がないのだ。
やはり、どんな仕事でも言える事だが、新規登場では信用が無いのか、(あら、な~に、この人)と言う感じで冷たい雰囲気が漂うのだ。これなら、今からでも遅くないと決断して、慣れた、マリナードに戻ったのだ。
マリナードは慣れているせいか、落ち着く。
お布施の入る予感は何時でももっている。この場所は、顔を売れているし、信用もあると勝手に思い込んでいるから、馴染みがある。
賽銭を入れて行く人は女性が多い、特に年配の方が、て目立つ。
歳が重なるにつけて、悩みも増えて来るのか、あるいは、人間的な深味が出てくるのか、女の性なのか解らないが、中年女性と、おばあさん達だ。
ほとんどが無口だけれども、時折声をかけていく人もいる。
(寒いのにご苦労様です)
(少しだけと、ごめんなさいね)
(お茶後で飲んで下さい)
(体2気をつけてくださいね)
皆。心の温まる言葉だ。
一万円札が入った事もある。
よほど幸運な事があったに違いない。深く頭を下げて黙って通り過ぎていく。品の良いおばあさんだった。もしかすると千円札と間違えたのかも知れない。
多すぎるからと言ってお釣りを出すわけにはいかない。
ありがたい事ですと、天にお礼をした。

横浜の、西口で占いをしていたが、お客様が来ないので、その場で托鉢姿に着替えて、人通りの多い川の橋に立った。夜も九時を超えていたが、人通りはある。
紺色のあせた、作業着に茶色の法衣を着て、鉄鉢代わりの黒のアクリル製の皿を左手で支え、その上に汚れたお経の本を置いて、唱えだした。
経本が、飽きてくると般若心経だ。これは空を見ていても覚えているから、楽だ。
だが、人の歩く速度が早すぎて、素通りする人が多いのだ。
ゆるりと歩いてくれる道だと布施も多くなるのだ。
こんな遅い時間に托鉢をするなんて聞いたこともないが、一郎は賽銭欲しさに、ただひたすらに般若心経を唱えていた。
一時間ほど経ったが御布施はゼロだ。
反応が悪いので元の占い場所に戻り、法衣を脱いで占いの席に座った。
やはり托鉢の、夜行はいただけない。
(この夜更けの坊さんは何でこんな所にいるのだろう。乞食同然だ。人の情けにおんぶして、意気地の無いやつだ)
と思って通り過ぎて行く人もいるはずだ。
一郎はふと考えた。
(もしかすると、俺は街中を彷徨う野良犬と同じだ。人間社会には溶け込む事が出来なくて、組織とか人間の営みとか、の得体の知れない塊に溶け込む事が出来なくて、それも真剣に考えたわけではなく、気がついたら野良犬のごとく、生きるために餌を探し歩く人間になっていた)と、自然に受け容れられた姿だと思っている。

托鉢の教義が云々と言う自覚は無く、托鉢という衣をまとい、食うがためという本音をしまい込み、街を餌場にしているだけなのだ。
見栄も、出世もとうの昔に何処かの路傍に置いてきて今は垣根の無い隠遁暮らしだ。
何も、最初から隠遁暮らしを願っていた訳ではない。
青春は何でもできるものは挑戦しようと熱血漢溢れる男だったが、
数字ばかりが先行して、理論武装がなって無く、倒産や不渡り手形など、社会的制裁を嫌というほどうけ、1本立ちの目がなくなってしまっていた。
正に野に放たれた野犬に落ちぶれていたのだ。
背伸びしている時は上を見てばかりいるので気が付かないが、足元の、基礎が、不十分だと、グラついて崩壊するのだ。

そんな時に餌の手段として頭を過ぎったのが托鉢だった。
不二易断にいた頃、知り合った仲間の一人が托鉢して、世を忍いでいたのを聞いて、この道に首を入れたのだが、最初は、恥ずかしいやらで、戸惑いだらけだったが、慣れてくると、リズムに乗ってこなせるようになった。
托鉢については深い見識はない。
修行を、深めて、悟りを開き、人を導くなどの高い理念はない。
お人好しだけが取り柄の男だから、人に迷惑をかける事は恐ろしくてできない。
なにか人生の重みに耐えきれず、はみ出した男とも言える。
托鉢をしていて感じるのは、何と言っても、人の原点は愛と思った事だ。
愛は人の優劣を超えてくる。
金額にもよるが。
鉄鉢に入れる僅かな賽銭でも、入れた方は大きな感動と、善行という愛の魂をもらう事ができるのだ。
そう思うと、一郎の生き様から絞り出た托鉢であろうと、世に役立っているとも言える

ねこ姉さんから電話が来た。例の
一級建築士との恋路は、一郎の読み通り、4000万円、まんまと取られた。
一郎も占いで毎回五千円ほど5回ほどもらっているので、厳重に金を貸すのだけは止めた方が良いと、アドバイスしたのだか、焼け石に水だったのだか、一月ほど経ってから、
(私、お金貸して戻って来ない、連絡も来ないけれど、悔やんでも仕方ないので、彼との結婚、諦めました)
と顔を伏せるようにして、恥ずかしそうにしながら横浜西口の占い場所に訪ねて来た。
彼女が騙されてから一月は経過していた頃の電話だった。
戸塚駅の裏通りにあるスナックバーの白いドアーわ開けるとママさんらしい年増の人が声をかけてきた。
(占いの先生ですね。皆さんお待ちかねですよ、すぐわかりました。道が狭いからね)
すると、すぐ横にある、ボックスから猫ねえさんが出て来た。
結婚詐欺にあっても憔悴しているかと思ったが化粧塗もよく元気らしい。
『よくわかりましたね。その節はご迷惑をおかけしましてすいませんでした。私はこの店でアルバイトをしているの。今日は猫の大好きな仲間を呼んでいますからね。よく当たる占いの先生ですよと言ってあります』
『元気でなによりだ、相変わらず猫たちは20匹もかってるの。ご苦労さんだ』
『だってさ、かわいそうでしょう。誰かがお世話しないとね、去勢手術してあげないと増えるばかりだからお金もかかるのよ、何とかいい方法はないかしらねー』
『ないさ、皆さんの方がよくしっているでしょう。保健所でつらいけど処分するしかないのでは』
保健所の言葉を聞いて3人の占い相談者の一郎を見る視線がきつくなった。
『占い師さんて優しい人かと思っていたけれど、先生は薄情なのですね』猫ねえさんは言い返してきた。
『優しいよ。俺は。保健所には猫を出したくないさ。だから家ではかわないことにしているさ。動物は好きだよ。純だからね。どうしたらいい。と相談するから言いたくないことを言ったまでだよ』
一瞬、白けたが、保健所での処分は耐えきれない人達だから、
『方法なんか考えるだけ無駄でしょ、私達は猫を救う運動をしているのだから、最後まで飼い猫よ』
誰かが、そう発言をして猫ちゃんの話は終わった。
いよいよ占いだ。
だが、保健所行きの言葉が気に入らないのか、皆さん占いに乗ってくる雰囲気が感じられないのだ。
猫ねえさんが、友達を促すのだが『後でね』と熱が入らないのだ。仕方なくママさんが
『来年の運勢を教えてください』とカウンター越しに手を出してきた。手相を見てもらう仕草だ。
『占いはもう良いのでは』
私は猫の件で興醒めだと思い占いを止める事にした。
いい加減な、仕方無いから、という儀礼的な態度で鑑定してもらいたいと言われても、占う価値は無いので、断って帰ることにした。
猫姉さんは出口まで、送ってきて
引き留めたが、私は帰った。
その後の彼女の、生き方は知らない。おそらく、猫たちに囲まれて、生き甲斐を再発見していると思う。

私は何で托鉢姿で辻に立つのだろうか。自分に視線をあててみた。
托鉢をやめると、生きていく糧が取れない。
他の仕事は年齢的にも無理がある。市役所の老人対策の、植え込みの、掃除ぐらいだろう。
交通誘導警備員も年齢的に採用される見込みはない。
覚えた八卦占いは、生活必需品では無いから、定期的な収入には出来ない。
私の人生の経験則から抽出されたのが托鉢だ。
恥ずかしいとか、言っている時間はない。
人間ってなんとか知恵を絞れば出てくるものだ。
仏様は生きようともがく者には、生きる為の武器を貸してくれる。
その、武器が私の場合、托鉢だ。
武器を、借りるには、条件がある。
一つ。
着ているものを捨てること。肩書、名誉、強欲、出世、財、などの鎧を身に着けていると、中身が見えないから、医者の仏様は検診できない。困り果てて、鎧をぬいで、また、いらっしゃいということになる。
医者の仏様も、外科、内科、精神科など、専門があるから、よく調査をしてから検診を受けた方が良いと思う。私の場合は、最初は外科手術を受けた。大船の観音様は名医だと評判だからそこに行った。とにかく、出血が止まらない、つまり、競馬や麻雀などで階段から落ちて、血が止まらない、つまり、金が出ていくばかりだから、外科に行った。外科医の仏様は、荒療治で有名だ。私を手術台に乗せるといきなり、全身の血を抜いて、つまり有り金全部をこともあろうに競馬にかけさせて、持ち金全てを馬に寄付してしまったのだ。仏様は術後に言った。
『どうだ、楽になっただろう、血がないから、当分の間家で静養しなさい』
血がないと生きていけないから、精神科を紹介するから、そこに行きなさい』と家に近くにある本通寺の仏様を紹介してくれた。
精神医の仏様は私に向かってこう言った。
『お前さんは、血がないから、ここでは新しい血の話をする。理解したら、外科の仏様にもう一度行きなさい』と言って私を座らせて真の理を語り始めた。
難しい言葉もあって理解できない所もあったが要約するとこんなことだ。
一万円札の札はお札とも読むだろう。そうなのだ、神々が宿る札なのだ。お前はその札を博打という手段で神々を冒涜したから取り上げてしまったのだ。血がないと生きていくのは無理だ。お前は外科手術を受けた以上、新たな血を入れないと生きていくことは出来ない。今日は新たな血をお前に入れるため、放蕩に侵されて、退廃した脳の細胞に活を入れるから心して拝聴しろ』と言って般若心経ををゆるりと重い声で唱えだした。
精神医の仏様は難しい講義を始めたが私には難題で理解出来なかったが、この世はすべて無だ、それを自覚しろと、いうことろだけが解ったような気がした。
平たく言えば、勝負事も勝ち続けることはできない、いずれは損をするということだろう。そんなことわかっているが、仏様が言うと脳細胞が勝手に反応して、新たな生きる術を、魂を産み付けてくれた。仏様のおっしゃる幾つかのハードルを越えることができた、私は外科の大船の観音様に新たな血を入れてもらうため写経とやらの仏様の精神を踏みにじらないために誓いの文をお願いした。それが、托鉢に繋がっている可能性がある。

二つ。
仏様が生きるために貸与してくれる武器というか、知恵袋というのか、それを受けるのはまだ条件がある。
仏様には昼夜はない。全てがお見通しだと言う事を自覚することだ。夜、布団の中にいるときでも幻となって、諫めに来る。仏様が一貫して根底に流れている血脈は『愛』の一文字だけだ。全てに行為に超越するのが愛なのだという
(いいか、一郎よ。どんな生き物でも、親子の関係は血より濃いだろう。野原の小さな花でもよく見ると一本の茎に小さい花もあれば、きれいに咲いてい花、枯れて行く花、皆、同居しているだろう。これが、天が決めた愛の形だ。お前の花は花では無い。一人で勝手に咲こうとしているから、
仲間から外され、ほら、一人ぼっちだろう。愛を忘れていくらお経が上手でも、それはお経では無いぞ。ただの、遠吠えだ。
お前に取り敢えず、托鉢と言う活きる術を与えるが、愛を忘れて、金食い虫になったら、容赦しない。いいな。仏の御心を無視した罰は地獄より、厳しいぞ。斬首晒し首なんて言うもんじゃない。
天にも登らせない。腹を空かせて山道をひきずり回す。両手を縛り付けてだ。死んだ方がマシだと、吠え面かいても、生き地獄にあわせるぞ。わかったな。そうか、それなら良し。明日から、托鉢と言う術を、そなたに授ける。念を押すが愛の、意味を弋考えてお経を唱えろ。さぁ、行け、親不孝者。)

そう、言い残して私の寝床から、姿を消した。私は、ハッとして目を覚ましたが、そこには影も姿も無く、居たのは、野良猫だった、モナが、布団の脇で 健やかに寝ていた。
だから、二つ目のご法度は、愛と言う事になる。
一つ目の、鎧を捨てろ。
二つ目の、(愛)がすべて。
この二つが、できるから、托鉢が出来ると言うことになる。
これが、必須要件だ。
私は、夢の中で仏様から教えてもらった教示を守ることで、托鉢が出来たと思っている。

とは言え、現実は生身だから私の場合は教えは理解できるけど、日々の中で、なかなか、仏様のご教示を実践できない。困ったもんだと思いながらも街角に立っている。
今日は横浜の駅前に立った。
交番のそばのガードレールの前だ。後ろにはタクシーが客待ちをしている。行きかう人は托鉢に見向きもしない。皆さん忙しそうだ。
『おれは、お前みたいに、暇な男ではない』と言っているように聞こえる。
網代傘も相当痛んできた。昨日の夜、笠の裏側にガムテープで破れている穴を修理したのだが、テープがはがれていた。そんな事をめぐらしながら般若心経を小さな声で唱え続けていた。午後一時過ぎにきてもうすぐ三時だ。誰も見向きもしない。今日の横浜駅は仏縁がない。皆さん元気なのだ。私の出る幕ではないのだと思い場所を移動することにした。
さてはて、どこに行こうかと考えた。着替えるのは面倒なので托鉢姿で電車に乗り込んだ。坊主は座ることができないので窓を見ていた。
矢張り、私の托鉢の故郷、関内駅の近くにあるマリナード商店街に行くことにした。腹が減っていたのでケンタッキー・フライド・チキンに入りセットを食べた終わると、定位置の欅の下に立った。
お布施というのかお賽銭というのか、意味は違うかもしれないが、浄財には間違いない。私はその入れ物だと思いながら金額を頭で計算をしている。、
今は四千円ぐらいとかだ。それぐらいしか楽しみはない。孤独である。当たり前の事だが孤独に強くないと務まらない。
(観自在菩薩 行人般若波羅蜜多時ーーーーー般若心経)
今日の敷石の仏様は白い米粒ほどの石だ。姿勢が崩れないよに、一点を見つめ、軽快にお経を唱えた。
三十分経過しても、誰も近寄らない。お経の、トーンが、落ちてくる。
お経も口の中こもって、出るのが嫌なようだ。
こんな時、八卦占いで旅した思い出が、浮かんで来た。
広島県呉の安宿で、易断をした時だ。
海辺に近い和風の宿で玄関の近くに見事な松が宿の歴史を教えてくれているようだった。
二人連れの女の親子が受付さんに案内されて、和室に陣取る私の和机の前に座った。
女の子は精神疾患を持っていて落ち着かない。急に立ち上がる辺りをキョロキョロしだした。五十ぐらいのお母さんは、女の子の手を握り座るように促すが、座らないで、立っている。
お母さんはすまなさように軽く会釈をした。身なりは、作業着を着て、仕事の、途中に着たようだ。
お母さんは小さな声で、話しかけて来た
(あの、料金は二千円でいいですか?)
(はい、大丈夫ですよ)
(実は私達親子は国から保護を受けて暮らしているのです。その他にパートで、掃除の、仕事をして、3万円ほど、貰っています。二人で寮に住んでいるのですが、
私は仕事の帰りにお腹か減って栃木でラーメン屋さんによってラーメーンをどうしても食べてしまうのです。国にお世話になっているのに悪いと重いながら食べてしまうのです。この事はわるい事でしょうか)と言う相談だった。
私はエッと声を上げそうになったが、堪えてよく答えを考えるため沈黙をした。そして、
(そうか、腹減るよなー、国はね、ラーメン食べたぐらいで文句は言わないよ。遠慮しないで食べたらいいよ。身体悪くするとかえって、面倒なことになるからね)(ありがとうございます、これで安心しました)
母親は深く頭を下げた。
(お嬢さんは何年生、)
(小学校6年でです。見た通り身体が思わしくなくて)
(そうだね。でもね、お母さん身体の不自由な子は、神の子と呼ばれているよ。家庭が幸せになると云うよ。私の親戚にも知恵遅れの子がいるが、みんな仲良く幸せだよ。先生もこの子が良くなるように仏様にお願いしておくよ)

私は、この、ラーメンの話を聞かされて、なんて己は甘い男だと反省しきりだった。
世の中にラーメン一杯で自責の念に追い込まれていた、女性がいた事自体びっくりしたが、それ以上に深く思うと、美しい心の持ち主に、巡り会えて幸せだった。
私は彼女の、大切な心を見せてもらい、感謝と同時に、生きる真心を見せてもらった。
呉のラーメンの、事が出てくると言う事は、(お前よ弛むな)というお告げだと思い、己に激を飛ばしたが、すぐ、激は何処かに消えて行く。
托鉢を糧にしている事は事実だが、もう一つ、隠れた祈りがある。
それは、私を仏に仕える人だと信じている人が全国に数は少ないが、いるので、その人の為にも静かにお経をあげている。お経を、上げれば私の役目は済むと、勝手に決め付けている。
仏に救われているのは私だ。
それでも、佛を、深く知ろうと思わない。難しくて、粘りがない。
 
大船駅の、商店街に、あるパチンコ屋さんの電信柱の、脇にたった。ここも何度も立つ定位置だ。
何処で托鉢をするか考えるのはは、朝の日課だ。
鳥にも縄張りがある様に私にも相性の良い場所がある。その一つが大船だ。
賽銭の入は少ないが、親しみ易い空気がある。
バチンコの、騒音は外にも聞こえて来る。懐かしい音だ。痛い目には何回もあっているが暮らしに身近な音だ。
馬券売り場にしろバチンコ屋さんにしろ、賭博場だから、賽銭が入る率が高い。
皆さんは勝つようにと願をかけて行く人もいるからだ。
雨が降ると人が歩かなくから、お手上げになる。
こんな時は近くのサテンに入り新聞でも読みながら雨のやむのを待つのだが、抵抗力が落ちてきて、殆どの場合は、帰り支度をする。
こんな時は着替える場所が無いので駅のトイレだ。
布施金の清算は、家でやる事にしている。

頭陀袋の、金は家でアクリルケースに分類して、ある程度貯まると銀行でお札に変えるのだ。
由恵には賽銭とは言わない。黙って適当な金額で手渡しだ。
機嫌よく取るわけはないから、笑いはない。黙ってテーブルの上に袋に入れて置いておく。

托鉢は足掛け六年はしている。
毎日では無いが、占いと掛け持ちだ。
いい仕事の縁がないから、長くなったとも言える。
合間を見て種田山頭火の書展が新宿の、デパートで開催されていたので、見に行った。
何枚もの和紙に一句一句が書かれていた。
その中で気に入った書があった。(分け入っても、分け入っても青い山)
学校公演の営業の、途中で、山口県の宇部に、行ったとき山頭火の銅像を見たので興味があった。
山頭火の何処に惹かれたかと言うと、家族を置き去りにして、修験僧の出で立ちで、山野を、旅したと人だと聞いていたので、私と感性は同じ様なところのある人だなと、自分なりに思っていたからだ。


1231
昼間は賑やかな商店街だが、夜遅くなると人も少なくなり、うら寂しい世界になる。
街路灯が、灯りの主役になり、派手な看板が、消えるからだ。
ところどころ、深夜営業のラーメン屋さんとか、カツ定食とか、立ち食い蕎麦屋などの食の世界が明かり。放している。
私の斜め前に、彼が座って占い客を待っている。
お互いに対角線で客待ちだが二人の姿はお互いに見えない位置取りだ。
お互いに姿が見えない方が仕事がしやすい。お客様の数を気にしなくて済むからだ。人間の心理で、親しくても、座ればライバルだ。
時間が遅くなればなるほど水商売の人が多い。
ギャバクラ、の、呼び込みさん達が黒のスーツを着こなしてお客様を、勧誘している。
耳元で囁く姿はさすがプロだ。
(お父さん、俺の手相見てよ。千円でお願い。俺、転職しようと思ってさ)
(それは、手相では、わからないよ。生年月日が必要だ。三千円だね)
こんなやり取りを、しながら占いの時間は過ぎてゆく。
少し離れたビルの暗闇で、ギターを弾きなが歌を歌う青年がいた。
時々来ている。
暗闇で、ほのかな灯りを頼りに奏でる音は、青年の好みの歌なのか、テンポが、早くて私には、ついていかれない。
夜の十二時頃になると、鑑定料は普通は7千円位になっている。
私は家が相模原なので、東神奈川で乗換えるので、京浜東北の最終で、帰るの。十二時には、引き上げるが、今日は彼の初登板だから、深夜の居酒屋で、一杯やる事にした。
お互いに、金欠病だから、ビール二本と安い煮込みで、始発まで待つのだ。
流石に深夜だとお客が少ない。一組づつ仕切られているので、気を使はなくて済むのがいい。
どこに行っても我等が行くところは薄明かりだ。
(今日は冷えましたね。)
(どう、売上は。俺は七千位だ。)
(私は、五千円位です)
(まあ、まあ。だよ、いい時もあるから我慢だな、ところで、つづきそう)
(私ですか?はい、やらないと食べられませんからね)
(奥さんが看護師さんなら、食いっぱぐれないではないか)
(それがね、彼女は、彼女で独立しているようなものだから、甘えは出来ませんよ)
(どこも同じだね、うちのかみさんも、私を当てにしていないよ。
あてにすると腹が立つらしい)
彼は托鉢の姿で占いをしている。
網代笠なと、面倒なのか持っていない。
散切り頭のままでお経を唱えている。
托鉢の功罪を聞くわけでもし淡々としていた。
話によると、理科系で、鋼材の研究畑を歩いて来たと言う。
夜明けが近い。
その日は始発の電車を待って別れた。
彼は知人が、貸してくれた一部屋を安く借りていると言う。
二人の関内マリナード占いはこうして日々を重ねて行った。



201
辿り着いたら托鉢だったと言うことはどう言う事のなのか。
答えは必死で家庭を面倒見てこなかった事に尽きる。
やはり家族を護ることは命を授かった人間の自然の姿なのだ。
それから外れて行く事は砂上の楼閣を構築するのと同じではないのかと思うようになっていた。
時すでに遅しだ。
職業は食べていくための材料と思い何でもこなして来たが、究極の材料が托鉢だ。
私の心の中に托鉢の持つ磁力に惹きつけられる様な心があるとしか思えない。
多分そうだと思う。
その心の、ルーツは何処なのか、考えてみた。
花にも色々の、花があるし、見方によると感性もある。人もそれぞれの姿があり、感性がある。
私は花に例えれば、なんだろうか。かすみ草?違う。
そんなに優しくない。
瞬間湯沸かし器と、言われるぐらいだから。激しい花かもしれない。



私は南部町の日昭上人に会いたくなった。
私の人生水先案内人に思えるからだ。
私の良き理解者だと、勝手に思いこんでいるのだ。
暮も押し詰まり落ち着かない時と思うが電話をしてみたら二つ返事だった。
ラフな姿で家を出て東海道本線で熱海で乗り換え身延線の南部町に着いたのは昼過ぎだった。
簡素な駅を降りて、線路沿いの酒屋で一升瓶を買った。
酒は何本あっても良いはずだ。
酒の、好きな上人だから。
今回は、庵まで歩いて行くことにした。
人通りの無い緩やかな坂道を歩いた。曲がりくねっている道幅の狭い道の両側は新築らしい家は無く古い家が点在していてブロック塀や、木々で仕切られ人気は、感じられない。
坂の中腹に、公園があり、大きな桜の木が一本、天空に枝を広げていた。
三四人のシニアが、ゲートボールを楽しんでいた。
公園を、すぎると石垣で、囲まれた畑があった。私は石垣に沿って歩いている。
畑はには緑が少ない。
野菜を収穫した後かも知れない。
黒い土がところどころに点在していた。
右折すると庵の瓦屋根が見えた来た。しばらく行くと石段がある。
石段の途中に扶養の木があった。
一間程の玄関があり、中に入り到着を上人に告げた。
(はい、おいでなさい。連絡くれれば向かいにいったのに、ささ、あがってください。)
(いつも車で迎えにきてくれますので、たまには、歩いて来ました。のどかな風景を楽しみながら)
(そうですか)
私は祭壇の隣にある襖を外してある板の間のざぶとんに座った。
(お世話になります、これ)私は酒と寸志を渡した。気を遣わないで下さいねと笑みを浮かべていた。
(上人様、今日は、近くの温泉で泊りませんか)
と、言うと、頭で予定を開いていた。
(そうですか、では、そうしましょう、で、とこにしますかね、近いとこですと、身延温泉です
ね)
話はまとまり夕方着にした。

白の法衣の、上人は、私を脇に座らせて祭壇に正座した。
(もうすぐ正月ですね。来年も川奈さんご家族が身体健全でいられるよう祈願しましょう)と何時ものテノールで、お経が始まった。
桜木のもくぎょは、けたたましくリズムを奏でる。
私はこの音が大好きだ。
腹の底から出てくる、轟だ。
弱った気が凛としてくる。
上人の声も中身はわからないが、ドラマだ。
始めはゆるりと始まりお経の声も
小舟か岸から離れるような光景だ。やがて岸が遠くなり波間に揺られ行く。波が激しく舟を打ち、波に方向を遮られのたうち回る。
嵐が止み小舟は目標を定め、岸に向かって漕ぎ出した。
岸には、家族が無事を喜んでいるのか、手を振っている。
上人のお経は私にはそう聞こえるのだ。私に取っては、芸術祭優秀賞なのだ。ありがたい。
上人の運転で身延に向かった。温泉につくと師走のせいか、人気は少ない。
上人の、知り合いの、知り合いの温泉宿は、メイン通りにあった。
入り母屋造りの旅館風の宿だ。
ガラス戸を開くとスノコがあり、靴を入れる三段棚がある。
軋むような廊下を行って部屋に案内された。
和室だ。廊下を挟んで窓がある。窓から、外が見える。
ドテラを着て歩く姿は少ない。
温泉街も人通りが少ないと、温泉のお湯も暖かさを、感じないのでは、とつまらない理屈が過ぎった。
十人程入れる岩風呂に二人は入った。
湯をかき回すと湯気か立ち上り温泉らしい雰囲気が出てきた。
(矢張り温泉は良いですね、上人さんは近くに温泉があるから、わざわざ来なくてもよかったのかさら)
(いや、それはそれ、これはこれですよ、ところで亡くなったお父さんと話がしたいと言っていた御婦人は、なにか言って来ましたか)
(はい、電話ですけと、お父さんに報告出来てスッキリしたとの事でした。)
婦人は亡きお父さんに(私はこの通り子供もできて元気だよ)と報告をしたいので、上人の、紹介で、静岡の女性霊能者とあって父と、会話ができて喜んでいたのだ。
私もその時に現場にいたが二人は特殊な精神の持ち主だろうと、気にしないでいた。

(そうですか、良かった)
私の感覚だと依頼者の考え方、性格が読めると、そのまま本人になりきって、お父さんのイメージと合わせて、脳裏に映る姿を伝えるのではないかと、想像している。
上人の長風呂は本人も認めているが、私には酷だ。
適当に私は時間をかけて、風呂から、出るタイミングを計っていた。
湯を出ると十帖ほどの食堂に行き、安宿メニューを食べた。
ビールを飲みながら、定番メニューに箸を付けた。刺し身、天麩羅、酢の物、煮物だ。
(たまに、宿に泊まるのもいい。ところで八卦占いはどうですか、稼げますか、) 
(食べていけるだけですよ、でも八卦占いはやり甲斐があります。人生相談が多いので苦い経験が役に立つときもあります)
(そうでしょう、無駄な苦労したと思っても、その苦労が種になり実をつけ、花も咲くのですよ) (そう言えば、昔上人が偽者のななかに本者がいるのですといいましたよね、あれは実を言うと嬉しいかったですよ。本当の偽者ですが支えになる言葉でした。)
(そうでしたか、私は川奈さんの托鉢をみてて、修験者ではないお方だと解っていましたが、お経を上げている人は皆本者なのです。仏縁ですかね)
(私みたいにお布施が欲しいだけでも) 
(あなたが生きていけないと托鉢も出来ません。托鉢は佛との縁結びになりますから)
(なるほど禅問答のようてよくわかりませんが、動機が不純でも生きるための托鉢なら許してもらえるのですね)
(そうです、賢明に生きようとしているのに、それは不純な考えだから托鉢はいけないとは、言いませんよ。今は不純でも、不純と思う心があるから真理が見えてくるのです。だから、偽者ではないのです。本者なのです)
(そうですか、だんだん托鉢を続けていくと仏様のメンバーに応募資格が取れるということでね)
(まあ、そんなに難しそうな顔をしないで。仏様は偽者の托鉢だとは決して言いませんよ)
私は、上人の言葉を聞いて托鉢は仏縁の光によって人生の生きる知恵を与えてくれるし不動の心の柱が備わるのではと思うようになった。
間があるので、近くのカラオケに行くことにした。
宿の紹介だ。
夜になるとスナックバーでホステスも入るという。
小さな店でソフアは二つある。
その一つに私達は、座った。
上人は、カラオケをするタイプではない。仕事柄、そんな余裕の金などあるとは思えない。私も同じだが。今日は、昔を思い出し、金の切れを良くした。
と言っても5万円いないだ。
安宿は、仕方ない。それよりも上人が喜んでくれる事が嬉しい。
(どうですか一曲お先に)白衣で
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はぐれ雲

はぐれ雲

  • 小説
  • 中編
  • 青春
  • 恋愛
  • アクション
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-12-10

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

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  1. 浮浪雲はぐれ雲
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