海外旅行・言葉
海外に行く際の不安材料に「言葉」があるだろう。英語を思い浮かべるが、庶民が英語を話せない国が世界には沢山ある。タイという国は、私にとって鬼門だった。正直、行く前から不安で仕方がなかった。
何せ、タイ文字、タイ語でちんぷんかんぷん。分かるのは数字だけ。英語も通じない。タイ到着初日、食堂が忙しい時に私が行って注文すると、店員が分からず怒られたことがある。
道を聞いたって日本にいるように親切に教えてはくれない。要するに面倒なのだ。そうやって幾つかの「洗礼」を浴びていく。
まず、覚えておきたい現地の言葉は「ありがとう」「こんにちは」「トイレはどこですか?」次のステップで「数」。買い物等何かと便利。必要最小限の単語を少しづつ覚えていく。
知らず知らずの内に言葉で分からない分は、他の方法で分かろうとするようになる。表情と目、その時の状況。例えば、食堂での流れは大体決まっている。
ガイドブックのページを指差すのもいい。相手によって鼻っから分からないと決めつける人、勘のいい人様々だが前述のやり方でなんとかなる。
ある日、テレビを見てたら明石家さんまが出ていた。言葉はタイ語の吹き替え。当然、言葉は分からない。表情を追う。すると、さんまが如何に計算づくで笑いをとっているかが分かる。
普段、私達が言葉だけで判断し、言葉に振り回され、誤解を生じているか。言葉なんて分からない方が余計な話を聞かなくて済む。
人間の話す事など似たり寄ったりだ。折角、日本を離れたのだ。その方が異国情緒をより楽しめる。私達は外国へ行けば、「異邦人」なのだ。
とにかく、「百聞は一見に如かず」「論より証拠」トラブルやアクシデントがあった方が旅の醍醐味になる。
日本の常識は通用しない時が往々にしてある。いや、日本が非常識なのだろう。
人それぞれ旅のスタイルがある。それにとやかく言うつもりは無い。
私は一人でほっぽり出される方が好きだ。地元の人と同じ物を食べ、安宿に泊まり、市場を覗き、オンボロバスに揺られる。
そこでは、かつて大英帝国主義の言葉を話す必要など無い。
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