夜になる
夜になる
暗い橋の下、無音の中で影が踊る。おそらくそれは社交ダンスだろう。それより細かい分類は、私にはわからなかった。ただ、二人組の影たちがくるくるとゆるやかに舞うから、そう判断しただけだ。目を凝らしても影がひとり分しか見えない組もあったが、その手の先にはもうひとり分の空白があるらしかった。
橋の下を抜けて、川辺に立つ。大きめの飛び石が黒い流れに溶けかけていて、渡るのに難儀した。飛び石の中には千鳥や亀の形のものもあったはずだが、どれがそれだかは分からないうちに渡り切ってしまった。渡った先の大きな三角州では、人々がそれぞれに憩っていた。音楽を奏でる者、酒を飲む者、連れと語らう者。様々な過ごし方が闇に紛れて、ひとつの場を形成していた。私もその中に混じるべく、あまり影の集まっていない場所を探して腰を下ろす。
そこは、三角州の先端に近い場所だった。水面を駆ける風が羽織に包まれた肩を撫でる。背後では、数人の人影が小さく輪になって、無音の中盆踊りを踊っていた。どうやら無音で踊るのがこの川の今晩の流行りらしい。顔を前に戻して、向こうに架かる橋を眺める。橋の上には、いくつかの光があった。橋を照らす光に、橋の上を走る光。すべてがその橋に関連するものだ。この河原で、影たちの手元にたまに点いては消える青白い光とは何か質が違う。それはきっと、目的とか連帯とかの言葉に関係する違いだろう。
ともかく、と思い直して、私は河原の夜の空気を吸い込んだ。今晩は何をしにここへ来たのだったか。道中思い描いていた光景を思い出し、それを再現するべく私はまず背を倒した。先程から尻の下に感じていた、湿った草と土と石の感触が背中をも包む。思いのほか石が大きく背骨が痛むので、少し身動ぎをする。意識を下から上へ移すと、そこは漆黒の空だった。視界の端で架橋が光る。
ひとまず体勢は整った。あとはこのままある程度の時間を過ごせば目的達成である。要するに、私はこの河原へただぼんやりするためだけに来たのだ。私の自宅からこの川はそれほど近くはない。ここへ来るのと同じだけの時間があれば、きらびやかな繫華街にも涼やかな竹林にも、市内の大抵の場所へ行ける。しかし今晩の私はここを選んだ。それは、この場所がいちばん、夜を夜として受けとめている気がするからだ。暗闇の中、ささやかな明かりを頼りにうごめく非人称の人影たちの姿は、夜そのものが意思を持ったものであるかのように見える。ここでは人が夜になり、夜が人になる。
私もきっと、夜になりにここへ来た。人称から逃げて、ただの影になるために。背後の影たちが遠吠えの真似事をはじめた。月明かりが厚い雲の向こうにぼんやりと姿を仄めかす。
夜になる