宿

宿

茸の出てくるミステリー 縦書きでお読みください。

 
 今日、無事に卒業論文を提出できた。二人の友人は、昨日すでに提出している。締め切りは十二月半ばであるから、まだ一週間ほど余裕はある。我々三人は同じ文学部外国文学科で僕はポーを、山科はカフカを、澤田はコクトーを選んだ。どちらかというとどれも古典的な幻想系の詩人小説家だ。多くの人が論文を書いているので、とっつきやすい面もあるが、本気で取り組むとなると、自分で新たな視点を探さなければいけないので、いい評価を得るのはとても難しい。
 ともかく終わらせた。三人とも大学院にすすむほどの語学力もないので、早々と就職先も決めてしまった。僕は出版社、山科は新聞社、澤田は出身地の市役所、と言っても司書の資格を取ったから市の図書館に勤める。
 二人に卒論を提出したことをスマホで連絡すると、いつもいくスナックに集まろうということになった。
 店に行くと二人はもう来ていた。
 「水木、三人でどこか卒業旅行に行こうよ」
 山科が僕に言ったので「そうだな、だけど外国に行く金はないよ」と答えると、澤田もうなずいて「温泉だな」と言った。
 「東北かな」、と言うと、澤田が「俺、宮城だぜ、実家に戻るのだから他がいいな」という。
 「そりゃあそうか」
 僕が長野、山科が神奈川だから、北海道か九州かだ。
 「暖かくて金のかからないとこ」 
 これで北海道とはなし、それにお金をかけないなら、本州からでないということだ。大阪、京都、奈良は航行の修学旅行やらで何度か行っている。もういいとするとどこだろう。
 そう言うことになり、一月半ばの期末試験期間が終わってから行くことにした。最近、テスト評価は少なくなり、ほとんどがレポートだから、テスト期間はあってもないようなものだ。しかし、合格かどうかは試験期間が終わらなければわからない。
 それから何度か話し合った結果、伊勢から名張に行こうと言うことになった。そのきっかけは、山科が大学に来る途中で、よく行くパン屋のおばあさんに旅行のパンフレットをもらったからだ。古風な紙でできている宿の案内だった。集まった時、山科がカバンからそのパンフレットをとりだした。パンフレットは、伊勢の隣の名張にある、語り部が昔話を部屋にきて話してくれるという、語り部旅館のものだった。
 「伊勢参りもしたことないな」
 「三重か、たしかにな、古典で習ったところだしな」
 「伊勢神宮には一度は行ってみてもいいよな」
 「そんなとこで探すか」山科が面白そうと言うと、澤田も名張湖の旅館は、安くていいね、温泉もあると僕も同意した。確かに食事も良さそうだ。それで一泊一万だ。高くない。その前に伊勢神宮の近くに宿をとり、神宮を見てから名張に行くことにした。名張にはよく知られている赤目の滝もあるそうだ。こうして伊勢に一泊、名張に一泊ということになった。それまで、バイトをして、旅行資金をためておこうということになった。
 年が明け、期末試験期間が始まったが、われわれは学校にもいかなかった。
 試験期間もおわり、確実に単位は大丈夫ということになって、計画を煮詰めて、いく日を決めた。新幹線は自由席だし、東京駅に朝早く集まることにした。
 二月にはいってすぐの日、まだ寒いことは寒いが、天気に恵まれ、東京駅に集まった我々は、晴れ晴れした気分で新幹線に乗り込んだ。
 久しぶりの旅行で新幹線から窓の景色を眺め、無駄口をたたいていると、あっという間に名古屋についた。名古屋からは近鉄にのりかえる。
 まだ午前中に伊勢市についた。宿のチェックインにはまだ間がある。宿は駅の近くである。三人ともリュックなので、宿に荷物をおくことをしないで、そのまま歩いて7分ほどの外宮に参拝である。
 「平日なのに意外と人が多いね」
 「いつもそうみたいだよ」
 「外宮って、豊受大御神だよな」
 「住むところ、食べるところ、きるところに神あり」
 「そうか、人間の本能を平成にしてくれる神か」
 「もう一つの本能の神ってなんだ」
 山科が言う。澤田がなに言ってるんだという顔で、「もう一つの本能は種族保存だよ、子安神社、性の神社って、ここにはあるのかな」と説明した。
 澤田がパンフレットを開いている。伊勢神宮とは内宮、外宮、以外に百いくつもある神社の総称だそうである。
 「内宮に子安神社があって、安産祈願をやってるぜ、木華咲耶姫が祭られている」
 「そりゃ人間に重要なことだもんな、安産や子育て、その前の性もはいっているんだろうな」
 「そうは書いてないが、男と女が人間として暮らすに重要だから守ってくれてるだろ」
 「そう言ったことも、内宮の天照大御の神がかなえてくれるさ」
 「結びの神はやっぱり出雲大社だろう」
 「そうかな、ここにはいないのかな」
 そんなわけのわからない話をしながら外宮にいく途中で「御神田で見つかったお米、結びの神」と書かれた宣伝があった。
 「やっぱり何でもかなえるのか」
 それでもゆっくりと、中を見て周り、内宮に行くバスに乗った。無料のバスだった。もう二時過ぎである。内宮を見る前に、店の並んだ通りにいき、名物の伊勢うどんの店に入った。いっぱいじゃ物足りないな、澤田が言うので、二杯も食べてしまった。確かに美味しいうどんである。
 そのあと、内宮にいった。子安神社など、ゆっくり見て廻った。二十年に一度、大きな社を建て替えるという。そのような驚きもあるが、伊勢神宮そのものが、我々の住んでいる世界とは違う感じをもつのは、それこそ全体が心霊スポットのようなものになっているわけだろう。違った時間の流れを感じる。SFでいえば時限がちがうといったところだろう。
 「こういった場所が日本人の原点なわけだから、卒業研究で取り上げた西洋の文学を理解するのは、その国に生まれたのではない我々には無理だよな」
 僕がそういうと、
 「そうだよな、卒論出したけど、まず日本語に訳された小説を読んで、日本人の誰かが書いたか訳したかの、評論を読んで、それでまとめたのだから、おれたちゃ作者のほんとうのところはなにもわかっていないんだよな」
 山科もうなずく。
 「まあ、しょうがないことだよ、その国に言ったからって、すぐ作者がりかいできるわけはないしな、作者の育った時代、環境、様々な本人しかわからないことを、推測しているだけだから
 澤田が行ったとおりである。
 それから、宿にはいり、温泉につかり、夕食まで部屋でビールを飲んだ。
 ポー、カフカ、コクトー、みな言葉は違うが、本人たちの宗教観はわからないが、キリスト教が昔のその国の根底にあり、そこから生まれた作品と、神道と仏教の二つの宗教をもつ日本の文学作品とは、同じ人間をえがいていても違う世界になるのだろう。現代になって、確かにヨーロッパなど西欧と距離感は狭まったにせよ、大きな違いがあることは確かで、それがあるからこそ文学は面白い。ポー、カフカ、コクトーだって、国、ことばの違いが、作品に強く色づけされていているからこそ惹かれるのだろう。もちろん、最後は作者の個性になるとは思うが。
 我々三人がそろって来てみたくなって、この年になって始めて伊勢神宮に来るということは、日本人だからかもしれないが、違う国の作家を卒業研究に選んだのは、それぞれの個性もそこにあるということである。
 次の朝、伊勢神宮を離れ、名張に向かった。名張は意外と近い。近鉄で伊勢中川で別のラインに乗り換え、一時間十数分で着いた。荷物をもったまま駅からバスに乗り赤目の滝を見に行った、そこでお昼を食べ、ゆっくり過ごすと、駅に戻った。
 予約した語り部の宿は駅から少し離れている。パンフレットの地図は大雑把なもので、道がはっきりしない。歩くと三十分とある。結局迷う可能性があるので、タクシーに乗ろうということになった。タクシーの運転手に宿の「語り部の宿」と名前を言うと、知らないと言う。パンフレットを見せると、こんな宿あったかといった不思議そうな顔をされた。それでも住所が書いてあればわかりますと連れて行ってくれた。
 確かにそこには昔ながらのたたずまいの宿があった。大きくはないが、由緒がありそうな建物である。
 運転手は「ああ、ここね、語り部の宿っていうんだね、古い宿だよ」と笑顔になった。地元では名前が違うのだろうか。
 大きな提灯が下がった玄関にはいると、広々としたラウンジがあり、仲居さんが丁寧に出迎えてくれた。部屋に案内されると、赤目八と言う部屋だ。十畳ほどの広い部屋にもう一つ六畳ほどの部屋があった。六畳のほうにはすでに三人分の布団が敷いてあった。トイレと洗面所もついている。学生の身分としてはちょっと贅沢。
 露天風呂に入ったりしていると、食事の時間になった。食事はかなり豪華なものだった。ビールはいっぱいだけにして、部屋にもどって、販売機で買ったビールを空けた。ビールが空になる頃。澤田が時計を見て言った。
 「語り部の人はいつ部屋に来るのかな」
 もう八時である。宿に着いた時、語り部のことを聞くべきだった。山科がちょっと帳場に行ってくるよと、立ち上がったとき、
 「よろしいでしょうか」と、
 廊下から若い女性の声がした。来たと思った僕は「はーい」と返事をした。
 「失礼します」
 入ってきたのは、赤いミニスカートをはいた色の白いきれいな娘に手を引かれた大きな顔をしたおばあさんである。
 「語りの者です、よろしくお願いします」
 若い娘は座布団を二枚、壁の前に置くと年寄りを座らせた。きれいな娘の足がまぶしくて、皆そっちばかりに目がいった。
 「語り部のキヌおばあさんですの、これから三十分ほどお話しします、ここは生ビールももってきてくれますのよ、よかったらお飲みになりながらお聞きになってかまいません」と娘が言った。
 澤田が三つお願いしますと言っている。
 若い娘が、電話で帳簿に電話してくれた。
 おばあさんが「キヌでございます、よろしゅうに」と深くお辞儀をした。黄色の大きな目をぎょろりと我々にむけたが、見えていないようだ。
 「おばあちゃん、今お客さんにビールがくるの、ちょっとまっててね」と声をかけた。
 「あいよ」
 語り部のばあさんが返事をした。
 ビールはすぐに来た。我々はテーブルを前にして座り、娘さんは、おばあさんの隣に座った。二人の前にはお茶がおかれた。
 おばあさんの隣で、横座りになったミニスカートからはみ出した足が気になる。
 「昔このような女がいたという話がございます」
 語り部が話だした。戦後すぐの話だった。
 「お客さまはまだ若い、しかもこの恵まれた時代にお生まれになり、戦争の話しは聞きたくないかも知れませんですのう」
 おばあさんの声は大きくはないが低音でよく通る声だ。
 「戦争にいく直前に、兵隊に行く男にとりあえず嫁をと、結婚をさせられましてな、処女を亡くし、まだ気心も知れない男を戦場に向かわせますのじゃ。それは男に戦意の高揚をもたらし、五体満足で帰ってくるまじないのようなことでありましたろうし、それでも処女をささげた嫁は、帰ってくるまで、男の舅、姑の面倒を見まして、家を守るという、けなげに働いたのでございますよ、そういう女がたくさんおりました。男が何事もなく役目を果たして帰ってくるなどということは稀なこと、多くは戦死、片足、片手がなくなって帰ってくるということなど当たり前、命があってよかった、とさえいわれたものなんですよ、江戸川乱歩さんはご存じでしょう」
 我々三人はうなずいた。
 「乱歩さんは名張のお生まれなのでございますよ」
  それは知らなかった。
 「乱歩さんのお書きになった、芋虫というお話をご存じですかの」
 乱歩は知っていたがその話しは知らなかった。
 「戦地から生きて戻った旦那は、手足が根本からなく、耳は聞こえなくなり、声も出せず、ただ目だけは見えるというありさま、しかし生きる本能、食べることの欲求はすさまじく、もう一つの本能、性の欲求も激しいもので、芋虫のようにただのたうつ旦那を、けなげに世話をする女房の心の中をえぐったお話でございますよ、もちろん、すべてもがれた男の心の内もよく現した人間の物語でございます、これからいたしますのも、戦地に行ってしまった、この場合は、お互い恋に落ち、相思相愛の夫婦の話しでござます」
 娘が茶碗を持たすと、おばばは茶を一杯飲んだ。
 「あ、そうでございました、フランスの小説家も、同じような、恋人と離れて、戦争にいった男の話を書いているのでございますよ、ジョニーは銃をとったという題でございました、作家の名前はドルトン、トランボさん、戦地からかえると、感覚は見ることもすべてだめ、話しもできない、四肢も壊疽で切断、話しの手段は首頭をふること、そこにモールス信号はご存じでしょ」
 みんな首を縦に振った。
 「モールス信号で皮膚をたたき伝え、頭をふってモールス信号で答えるんでございます、ジョニーは、最後に殺してくれと、皆に伝えるんでございますよ、映画にもなりました」
 山科が語り部に聞いた。
 「乱歩は、その小説をパクったのですか」
 「とんでもありませんぞ、乱歩さんの芋虫は昭和4年、1929年、トランボさんのは1939年ですから、乱歩さんの方が10年前に書いておりますのです、違う国でも人の思いつくところは同じなものでございます、しかしトランボさんのお話は反戦、乱歩さんのも反戦家から激賞されたようですが、芋虫で本人が書きたかったのは、人間そのもののようでございますよ」
 僕は乱歩の芋虫の主人公が「殺してくれ」といったのか知りたかったのだが、語り部はそれ以上話さなかった。ちょっと読んでみたくなった。
 「今日お話しするのは、いい家族に囲まれた恵まれた環境に育った二人の終戦直前の話しでございます」
 話し部のおばばはまたお茶を飲んだ。僕たちはビールを口にした。
 「名前は鬼塚信太郎と公美子でございます、信太郎十九、公美子十七で近所同士の幼なじみ、信太郎は体も大きくしかも数学の天才とうたわれ、公美子は、その町の小野小町といわれた美女、そのうえ気立てがいい。どちらの両親も信太郎が二十歳になったら添わせようとその準備に怠りなく、二人は時として、どちらかの家で両親とも食事をしたりしておりました。
 終戦日はご存じでございましょう」
 皆うなずいた。
 「昭和20年8月15日、1945年でござますよ、お話は昭和18年、もう勝敗はわかっているのに、日本は勝勝と、民衆が圧力をかけられていたときでございます、その二人の村は山を背にした豊かな扇状地にありました、田畑は肥え、戦時中でも食べ物に不足をしておらず、軍に米や野菜をたくさん供しており、お褒めいただいておりました。
 信太郎と公美子は二人で会いたい気持ちがなかなか押さえ切れません、兄弟や親を交えた集まりばかりで、二人だけで会えたらどのように嬉しいか。
 ある秋のよく晴れた日、信太郎は公美子と公美子の祖母の三人で裏山に茸を採りに参りました。林の下にはたくさんの茸が顔を出し、倒木で滑子の大群を見つけた祖母は大喜び、背負い駕籠をおろし、一人でしゃがみ込み一つ一つ丁寧に摘み始めました。二人は茸を採りつつ、もっと奥に入っていきますと、斜面に穴があるのを見つけました。大きな羊歯が入り口を覆っております。熊の穴のようではありません。中を覗くと真っ暗だと思っていたのが、ぼーっと穴の壁が薄明かりに照らし出されています。
 信太郎がなんだろうと、穴に一歩入ります。公美子も後に付いていきますと、穴の奥には大きな茶色の茸が一面に生え、かすかに光っているのです。中にはえもしれぬ香りが渦巻き、ふっと二人は顔を見あわせ、どちらからとなく唇を合わせてしまったのでございます。信太郎の手が公美子の胸に触れたとき、祖母が公美子を呼ぶ声、あわてて、二人は気持ちを残したまま穴からでてまいりました。公美子は穴の中の大きな茸を一本とって駕籠にいれ、祖母のところに急いだのでございます。二人の顔は上気したままでございます。
 「ようけ滑子が採れた、ほれ」と祖母は自慢げに駕籠の中を見せます。信太郎と公美子の駕籠には茸が半分も入っておりません。「ばあちゃんすごいなあ」といいながら、公美子は駕籠の中から、穴の中に生えていた茶色の茸を見せました。そこではもう光っておりません。「おや、はじめてみる茸じゃな」と祖母も手に取ってみますが、「こりゃあ食えんじゃろ」、といいます。茸は信太郎が手にのせると、手の平をはみだしています。とても長い大きな茸です、松茸のような形をしているが違う香りがします。
 「もういいじゃろう、うっちゃりな」と祖母はいいますが、公美子はその茸を駕籠に戻します。信太郎さんにも滑子半分やろう、みんなで食うてくれや、と三人は林から出たのでございます。
 別れ際に、信太郎の目は熱ぼったく公美子を見つめ、「今日夜中に」、と一言、公美子の手をぐいと握ったのです。
 皆寝静まった真夜中、とうとう二人は山の中で待ち合わせ、穴の中で抱き合ったのでございます。それは信太郎が二十歳になったその日でございます。比較的におおらかだったその村でも男女二人でいるところを見られれば家に迷惑がかかる。月明かりを頼りに、二人は裏山でこっそりと待ち合わせ、初めての逢瀬をすごしたのです。結婚は来年の夏、待ちきれない気持ちは分かります。でしょ、今の方はがまんなどしませんものね」
 語り部はちょっと笑って三人の顔を見た。三人ともちょっとうつむいた。
 「林の暗がりの中、二人は穴に入りました。たくさんの茸の光は二人を包み、その中で抱き合ったのでございます。茸が二人の素肌に触れると、ぽきりとおれ、不思議な香りが充満し、二人の気持ちが高揚し、茸の中ではじめての睦ごとは終わりました。
 その晩、それぞれ家に戻りましても、もう一度抱き合う夢を見たということでございます。
 次の年の夏、戦争中ですから豪華な挙式はできませんが、鬼塚家の母屋で親戚が集まり行われたということです。新居として、鬼塚家の離れがあてがわれ、鬼塚家の奉公女が食事の世話、部屋の掃除など手伝いにいったということですから、恵まれすぎていると言っていいでしょう。それでも、信太郎は村のための事業に力を注ぎ、食事は公美子がほとんど自分で考え、作っていたということでござます。
 ところが、あのご時世、赤紙が信太郎のところに参りました。新居を構えて10日目でございます、その一週間後には、一つの連隊に入れられ、船に乗らなければならなくなったのでございます。まさか、鬼塚家の跡取りにという思いで、だれもが驚いたそうですが、両親は公美子に信太郎のことは、知り合いを介して頼んでおくから安心しなさいとなぐさめたのでございます。
 皆で信太郎を送り出し、公美子は信太郎の母親と一緒に畑をやったり、鳥の世話をしておりました。うわべは平静を装っておりましたが、心の中では信太郎様、信太郎さん、ばかりでございます。母屋で両親たちといっしょに食事をとるようになりましたが、寝るときには一人で離れの自分の寝所に戻ります。寝床に入りましても、考えるのは信太郎さんのことばかり。
 一月がたち、信太郎から南洋の島に向かう手紙をもらいました。そのときばかりはさすがの公美子も相好を崩して手紙を手に取ります。手紙は検閲を受けているらしく、どこから出したとか、妻への思いなどは書いておらず、勇ましく戦うということが述べられていただけでしでございました。それだけでも、公美子には元気でいることがわかり嬉しいことにかわりはありません。手紙の最後には村の立派な茸を思いだします、滋養のある茸をた食べて体に気をつけてくださいとありました。それは公美子に裏山の奥の穴の中の茸を思い出させました。当然のことでしょう。手紙をもらったその日、公美子は駕籠を背負って裏山にいきました。茸をとりながらあの穴に入りました。茸は変らずぼーっと光って洞窟の中を照らしています。公美子あの夜を思い出し体が火照るのを押さえ切れませんでした。公美子は穴から一本の光る茸を採ってかごにいれ、家に戻りました。茶色の茸は自分の部屋におき、採った茸を持って母屋に届けたのです。
 両親達と一緒に食事をして、あとを片づけ、自分の離れに戻りました。
 布団を敷くと、穴の茸がプーンと強い香りを放ち、公美子は茸に手を伸ばしました。茸から人肌の暖かさが手の平に伝わってきます。信太郎さんの匂いがする、暖かい。公美子の体はだんだん熱くなり、寝間着の胸の中に茸を入れ、横になりました。直接茸が胸に触れると、乳が熱くなり信太郎の唇が思い出されました。そしてそのまま眠りについたのでございます。その夜、夢の中では穴の中で茸に囲まれて信太郎に抱かれていたのでした。
 朝起きると、足下にはしなびた茸が転がっていました。
 信太郎さんは無事なのだろうか。あの手紙が届くまでに何日もかかっているはず。
 なにもなければいいが。公美子は次の日も穴の中に入り、信太郎の無事を祈りつつ茸を採ると家に戻ったのです。
 その夜も茸を胸に入れ布団にはいると、夜中に茸が公美子の肌に吸い付き、胸を吸い下の方に降りてくるのです、そのとき信太郎さんが私を抱きしめているのに気がつくのです。
 このように、公美子は毎日茸を採り、茸とともに布団に入り、夜中には信太郎さんが腰に手を回しているのです。
 ある時、信太郎さんのその手が敷き布団の上に横たえられ、動きませんでした。彼が手足を動かさず、頭をもたげて乳にかぶりつくのです。公美子は茸の傘をとると、それを信太郎さんの腕に押しつけました。茶色の胞子が腕につくと、だいだい色に光って、信太郎さんの手が持ち上がり、いつものように公美子を抱きしめたのです。公美子は夜毎の信太郎の訪れが待ちどおしく、昼間の仕事が少しばかりおろそかになりました。どうしたのと、信太郎のお母様は心配してくださいます。
 その夢は茸さえあれば毎晩訪れてくれます。ある夜、信太郎さんの頭がないことがありました。これは大変と、茸の傘をちぎり信太郎さんの首にのせました。胞子がぱらぱらと落ちると、信太郎さんの頭があらわれ、公美子の乳を吸ってくれるのです。朝起きると、信太郎さんになにもなければいいがと、少し心配になりますが、畑の面倒をみたり、婦人部に参加したりしていると落ち着いてきます。山に行き、穴の中の茸をとって、手の平が暖かくなると、すべて忘れてしまいます。夜になれば信太郎さんが布団に入ってきてくれるのです。
 そして終戦を迎えました。しかし半年経っても、一年経っても信太郎は戻ってまいりません、信太郎の両親は戦死の知らせもきていないのだから、必ず戻ると言ってくれます。公美子もその言葉を信じておりました。穴の茸を採ってくれば必ず信太郎さんがきてくれるのは、生きていて私を励ましてくれているからだと思いました。
 ところが、二年目を迎えても、信太郎は戻りません、気を落としていたのは両親の方でした。信太郎は死んだのだろう、公美子さんには幸せになってもらわねばなどと言い出す始末。逆に公美子の方が必ず帰るからと慰める役になっておりました。
 秋になったある日の夜中、兵隊姿の男が疲れた様子で、鬼塚の家の門をくぐりました。皆寝静まった家の玄関の前でいったん立ち止まると、離れに向かいました。
 男は巻いていた脚絆をとって、縁側に上がると、障子を開けました。月の光が居間の畳を照らします。帽子を取ると、髭は伸びていましたが、明らかに信太郎。信太郎はその奥の公美子の寝ている部屋の障子をそうっと開けました。
 そこで、あっと、声をあげました。棒立ちになって、布団の上でもつれ合っている男と女を見たのです。
 月の明かりで公美子の上の男の背が見えます。
 まさか公美子が。
 信太郎の驚きはもっと大きくなりました。
 男が振り返ったのです。
 それは、自分でした。自分が自分を見た。公美子もその自分も幸せそうでした。
 公美子と一緒にいた男はすーっと立ち上がり、あっという間に目の前にきて信太郎を見ると、そのまま信太郎の中にはいってきます。信太郎は体が火照りました。
 自分の生き霊。
 布団の上では素裸の公美子が茸を胸にだいて息を弾ませていました。
 生き霊の自分が、自分の中に消え去ると、公美子が信太郎に気がつきました。
 無事でお帰りだったのですね、よかった、そう言って、公美子は起きあがろうとしました。そのとたん、両手と両手が根本からちぎれ、顔から目が、鼻が、耳が、口が消え、手足を失った白い肉体が布団の上にころりと転がりました。
 公美子と呼びながら信太郎は、ただの肉の塊になった公美子の体を抱きしめたのでした。
 信太郎は戦地で一度も女を欲しいと思わなかったのです。自分は生き霊になって公美子の元に訪れていたからだと悟った信太郎は、目も鼻もない公美子の顔を吸いました。
 敵の銃弾は一緒にいた仲間を次から次へ死に追いやりました。手足を貫き、目を耳を口を砕くはずだった銃弾は、公美子がみな受け止めてくれていたのです。帰ってきた今、その銃弾は公美子の四肢をうち飛ばしました。
 信太郎は公美子の両腕両足を拾い、肉の固まりとなった公美子の白い肉塊を抱え、裏山に入りました。あのときも月の光が明るい夜だった。穴の中に入ると、茸が光っています。
 公美子の肉体を茸の上に横たへ、両手。両足をあるべきところにおくと、信太郎は肉の固まりを愛撫し始めました。白い公美子の肉塊は芋虫のように悶え、信太郎はやがて交わったのです。
 朝になり、穴の中で茸に囲まれた信太郎は公美子の肉塊に吸い込まれ消えていきました。
 こうして公美子もいなくなり、鬼塚の家は最後の火が消えた竈のようにくすんでしまいました。
 数年後見知らぬ茸の生えた穴に、女の骨の固まりの中に男の骨が固まりになって入っているのがみつかりました。それが公美子と信太郎の骨だとは誰も思わなかったということでございます。
 語り部のおばあさんは話しを終えると、お茶を一杯飲んだ。
 聞き終わった我々のビールは半分も減っていなかった。
 「面白かったですか、どうぞビールをお召しあがりください、温まってしまいませんか」
 娘が三人を見て微笑んだ。おばあさんがお茶を下においた。
 「この宿はね、鬼塚の土地に建てられましてね、ここは調度その離れがあったところだそうだよ」
 僕たちは驚いた。
 「本当の話しじゃないんでしょ」
 乱歩の小説から作った話しだと思ったからだ。
 「鬼塚家に伝わった話しで、きっと似たようなことがあったのでしょう、戦争は悲惨でございます」
 「ありがとうございました、おもしろい話しが伝わっているのですね」
 「そうだすよ」
 「このお勘定は」
 山科が聞くと「宿の勘定に入ってますだ」とおばあさんは言った。
 「さてと」おばあさんは娘の手に捕まって立ち上がりながら「学生さんたち男三人で我慢しきれんじゃろう」と言った。
 どのような意味だろう。一番大人の遊びをしている澤田が「そうですね」などと言っている。
 娘のスカートがおばあさんの手に引っかかりちょっと持ち上がった。白い大腿がちらっと見えた。ドキッとしたのは自分だけではなかったようだ。
 しかし「ありがとうございました」と僕が言うと、二人は部屋から出ていった。
 「おもしろい話だったな」
 「うん」
 「もう一度風呂いってこようか」
 我々はまた露天風呂に入った。とてもいい湯だった。また缶ビールを買った。
 「あのばあさん最後に言ったのはどんな意味だ」
 「わかんないな、それにしてもきれいな娘だったな」
 みなうなずいた。
 ビールが足りなくてまた買ってきて飲んだ。
 そのうち眠くなった。 

 語り部のおばあさんが部屋を出ていく後ろ姿がみえた。入れ替わりに娘が浴衣を着て部屋にきた。
 彼女は明かりを暗くすると浴衣を脱いでいった。
 みんな、はっとした。ストリップを呼んだのか、僕はそう思った。
 裸になった娘は静かに畳の上に横になると、体をくねらせて、寝たまま踊った。と言うより動いた。畳の上を芋虫のように這った。
 最後に我々の方を向いた。手招きをするのでみなでそばによると、娘は茸を手に持って上向けに寝ると腰を上げた。
 澤田がのぞき込むと、服をはがされ、吸い込まれ、女のからだの中に入ってしまった。山科も吸われていった。
 僕は逃げようと思った。逃げなければと思っても足が動かない。女は白い肉の塊になって自分の方にいざってくる。目の前にくると、女は足を持ち上げた。吸い取られる。そう思ったときに、時計がなった。
 目を開けると布団の中だった。三人も目覚ましで起きたようだ。7時半に朝食の会場に行かなければならない。
 急いで支度して、赤目八と書いてあるテーブルに座って食事をはじめた。二人とも無言である。
 僕は思いきって、「変な夢を見た」と言った。
 すると、俺もだと、二人とも言った。
 「茸の女がストリップした」
 俺もだと言った。
 「あ、あそこに、語り部のおばあさんと孫娘の二人がいる」
 澤田が離れたテーブルを指さした。
 「ほんとだ」
 確かに昨日話しをしてくれたおばあさんだ。
 僕はそうっといった。
 「あの娘が夢に出てきた子に似ていないか」
 二人もうなずいた。
 現実と夢がわからなくなるというような経験今までにはなかった。
 仲居さんが「ご飯あまり召し上がらないのね」
 とお櫃の中を見て笑った。
 僕は聞いた。
 「あそこのおばあさん、語り部の人ですよね」
 仲居さんは笑った。
 「鬼塚のご隠居さんと、お孫さんね、この旅館の持ち主よ、旅館をやっているのは若女将、おばあさんは旅館には興味ないの、自分で書いた怪談を、お客に聞かせて、楽しんでらっしゃるの、ご隠居さんは書いたものを自費出版して楽しんでいるのよ」
 「おもしろかったです」
 「ご隠居さんの話し聞いたのかね、そりゃあラッキーだったこと、となりの娘さんきれいなお孫さんでしょう、まだ二十歳、踊りの名手」
 「おばあさんは目が悪いのですね」
 「そんなでもないけどね、自慢の孫をお客さんにみせたいのよ、それに、気が向けば、お孫さんは話しの後に踊ってもくれるのよ、踊りの研究してるんですよ、だから自分もおどるんですって、きれいな体してらっしゃる」
 「予約するのですか」
 「いいえ、ただよ、望めばやってくれるのよストリップ」
 我々は顔を見合わせた、残念そうだ。
 仲居さんは笑いながら、隣のテーブルにいった。
 仲居さんの冗談だろうと思って、語り部のおばあさんと孫を見た。
 その席にはもう誰もいなかった。仲居さんも消えていた。 

 宿の勘定を払うとき「語り部のお話おもしろかったです」と言った。
 「赤目八でございますね、語り部はご予約されていませんでしたね」
 帳場の若女将らしき人に言われた。
 我々は「え」と顔を見合わせた。
 「でも、昨日きかせていただきました」 
 「予定には入っていませんけど」
 女将は予約表を見ている。
 「鬼塚さんというおばあさんとお孫さんがきました」
 女将はおかしいなと初顔をした。
 「うちは鬼塚旅館ですが、鬼塚という語り部さんはいませんよ」
 山科が持ってきたパンフレットを出した。鬼塚旅館とあり、語り部旅館とは書いていない。下の方に、語り部、1時間5千円とあった。
 僕は「鬼塚セツっておっしゃっていました」
 それを聞いて、
 「鬼塚セツはたしかに、三代前の女将でした、どうしたのでしょうね」
 と女将は笑った。
 持っていたパンフレットをだした。
 「こんなに古いパンフレットどうなすったんです、一時、語り部を売りにしていたことがあるようですが、今、語り部を頼む方は少ないんです」
 我々はまたもや顔を見合わせた。

 だが思い出深い卒業旅行であった。あれから、三人とも、日本の文学に興味を持ち、小泉八雲読んだか、とか、上田秋成読んだよ、とか日本霊異記読んだとか、メイルでやり取りしたものである。卒業して二年ほどすると、出版社に勤めた僕は東京にいたが、新聞記者だった山科は九州博多の支社に転勤し、澤田は実家のある宮城だし、みな離ればなれになった。その後、最初に山科が九州で結婚し、次に僕が結婚した。結婚式はみな忙しく、離れていたこともあり、お互い出席できなかった。澤田が結婚するということになったとき、是非行ってやろうと、山科と僕は何とか時間を作った。結婚式の前の日に行って、三人で飲もうということになった。東京にいるぼくに宮城は遠くない。だが九州の山科には遠い。彼は飛行機で羽田で乗り継いで、仙台に行った。
 我々が泊まるホテルで、澤田と会った。
 「よう、久しぶりだなあ」
 六年ぶりの再会である。ホテルの近くの牛タン屋でビールの乾杯ということにした。三人とも三十近くになり、それなりに貫禄がでてきた。
 「どんな奥さんだい」山科が澤田に聞いた。
 「茸が好きなんだ、よく茸採りに一緒に行ったよ」
 「内のも茸の料理が好きだよ」山科が言った。
 「俺のとこも、茸の料理をよくするよ」僕がいうと、皆笑った。
 学生時代の話しで盛り上がっている時に、「あ、来た」と、澤田が店の入口を見た。「彼女が挨拶したいっていうから、後できていいよと言っておいたんだ」。
 僕は飲み屋に入ってきた、色の白い、うりざね顔の女性を見て、どきっとした。山科も目を見張って「似ている」と言った。
 澤田が「誰に、似てるの」と笑いながら聞いた。
 山科が「俺のかみさん」そう言って、僕を見た。僕は山科の言ったことにもっと驚いた。「僕のかみさんにも瓜二つだよ」僕も言った。
 「えーー」澤田が笑った。
 「ほんとだよ」僕も山科も言った。
 山科の奥さんの写真はメイルで見せてもらっているが、結婚式のもので化粧をして高島田だったからそうは思わなかった。二人ともうちの家内の写真も結婚式の時のものしか見ていない。
 僕は言った。
 「卒業旅行の時の、語り部のおばあさんの孫、似ているんだ」
 自分でもうちのかみさんの顔を思い出していた。
 澤田の彼女がテーブルに来た。
 「これからも、よろしくお願いします」
 語り部のおばあさんの孫の声だった。

宿

宿

大学卒業が決まった三人が、乱歩の生まれた名張の、語り部の宿に行った。

  • 小説
  • 短編
  • ミステリー
  • 青年向け
更新日
登録日
2021-12-03

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