かもの野ざらし 第二号 令和三年十一月
なんとか第二号を形にすることができた。
ここ最近は自由詩というか散文詩に近い(と自分では考えている)短い詩を書くのが好みで、今回はその手の作品が多い。こういうスタイルが受け入れられるかどうかはわからないけれど。
今月の詩
川を渡る
彼女はいつだって鰐か年金の話しかしない。恐怖感は回転機能を排除したプロペラ機ではあるが、どうにもならないのはゴールポストが動く時で、鰐は時に秒針となってそれに抗っているという。今では検索窓に自分の名前を入れると年金の総額が示される。
アールグレイ想い出は透けやすい
夏物語
海沿いの道はバブル期の少し前から白い軌跡を描くよう飼い慣らされていた。一部はドラマ化もされたが多くは忍者のための法科大学院に改組され、あなたの健康寿命を短くするおそれがあります。
ランドセル冬のきざし匂う方へ
落葉拾う何も成せなかった手で
震度5弱
ジャズはP波だという。S波はといえば、あえて言えばキューピー人形がしゃっくりするような世界であればATMは横揺れだ。だから皆詐欺だと気付くことなく振り込むのだ。ゆりかごだけど墓場でもある。
朝食
会社を休んでひとり。濁流に浮かぶ中州でパンを焼く。自己嫌悪はいつも窓からやってくる。それに抗うことなく自分の接続先を探している。窓が秋になるまで。
老いた軍手を隠す積雪
両手
彼女は逆ポーランド記法の信奉者だった。最初の会社では後出しじゃんけん技師として採用されたが、常に誤解の中で生きてきた彼女はすぐに提督に出世した。次の会社ではドッジボール課長に就任したがすぐに平準化されてしまった。面影は記号の一種である。
鹿の目光るゆりかごから墓場まで
日曜に倒れても鹿の暗闇
西高東低見上げれば鹿
積雪
足跡が落ちている。ほとんどの場合目に見えないが辿った道には必ず落ちている。拾うことはできないが、足跡が何を蘇らせることがある。蘇って欲しくないものであってもそんなのお構いなしだ。雪が積もるということは足跡を隠すことなので一部の事典では封印と定義されているが効果はあまり期待できない。奴らは隙あらば蘇る。木の皮を喰う鹿のそばで。
路地に鹿みえない道みえる道
どこまでも削られる鹿に生まれて
ヴァン・アレン帯
夕やけに泣くしかないような地平線が実は生きているとわかった瞬間、これはラジオだと気づいた。月のよだれをアンテナにして、昔語りの好きなトランジスタは未だ革命の夢を見ているようだ。世界は波の不協和音で色付けされる。
隧道の風になりたくて半袖
高度下げるたび潮騒の興奮
全体主義
首領と呼ばれるその部屋の主は自動車教習所の踏切を兼ねており、どの家具も自己批判を強いられながら窓を開けている。
きみを照らすいつまでも星新一
夜を割るその片方からルサンチマン
地球照
月食の夜はいつも焼肉だった。彼女のハラミは溶けることはないが存在感を主張せず「都合の良い女」を演じ続けていた。そんな人間が増えれば増えるほど月は黙っていられなくなる。月は郷愁の名に傷つく。
フォルダの名前を羞恥心とする
後悔
ジャスミンティーが好きという話をしていたら警報が鳴り出した。明の鄭和が発見したとされるキリンの恋は夕方になると際限なく伸びるから、どの方向に逃げるにしても海に似て立ちはだかる。高圧的な急須に騙されている気分になる。
そろそろ既読付く頃峠越え
穴に入るポストモダンという病
サイトマップ
地下街で迷いやすい人の特徴はあごに現れるという。だからマスク世界では属性を隠して生きていくことになるし、公的には迷う人は存在しないことになる。目的地は辿り着いた場所。それは必然であり人生であるのでHTMLでの記述はますます困難を伴う。
自由律俳句について、まだ考えている。
「自由律俳句」と称しているものの多くは俳句ではないかもしれない。
ネット等で見かける自由律俳句の作者の多くは「俳句」と「自由律俳句」を別物として考えているように見受けられる。「俳句や自由律俳句」という風に、両者を並列に考えている方が少なくないように感じる。その考え方に従えば、自由律俳句と称した時点でそれは俳句ではないこととなる。もちろんすべての作者がそうだというわけではなく、単に自由律で書かれた俳句という意味で自由律俳句と称している作者もいるので、すべての自由律俳句は俳句ではないと言い切ることは出来ない。俳句の一ジャンルとして自由律を書く人は、575の句を定型俳句と称したりもしている。俳句というジャンルの中に定型俳句と自由律俳句があるという図式はわかりやすい。ただ、俳句に関心のないほとんどの人は俳句=定型俳句と考えていることだろう。
作者がそれぞれ判断すべきことなので大きなお世話ではあるけれど、自由律で書かれようとも作者が俳句として書いたものであれば「俳句」と称した方が良いのではないかと思っている。俳句と称されたその句を読むとき、わざわざ説明がなくてもそれが自由律で書かれたものと判断できるのだから。自由律俳句が俳句の一形態と考えた上で自由律俳句と称している方々は、その呼称にこだわりを持っておられるものと思うが、自由律俳句という呼称を前面に出すおかげで、俳句とは別に自由律俳句というものが存在すると解釈する人が増えているのではないか、最近そんな風に感じている。
かもの野ざらし 第二号 令和三年十一月
ここしばらく、自分が書く一行詩を短詩と称していた。それは俳句であるような川柳であるような、自分でもあまり気にせず作ってきたからだ。一時期に比べると川柳作家であるという意識は薄れ、特定のジャンルへのこだわりも失せてきた。それで、短詩と呼んでいた。
でも、それだったらただ「詩」でいいんじゃないかと思うようになった。今回は一行詩の他に、最近書くようになった短い散文詩的なものも載せてみた。これらも短詩と言えなくないと思う。で、それならば自分が詩的表現と考えて書いたものは全部「詩」でいいじゃないかと考えるようになった。
そんな風に考えていたら、自分の書いたものをどこに持って行けばよいかわからなくなってきた。ジャンルに適合させていかないと活動の場面は狭まるのが現実だ。だからこの場所が必要になった。俳句であること、川柳であることを意識することなく、書きたいものを書く。