ドーナツ

無銘

11月の満月の夜、ドーナツ草は花を咲かせる
真っすぐに6歳児の背丈ほどに育った草は畑に整然と並び
その先端につぼみをつける
月が高くなるにつれつぼみは固さをほぐし、やがて羽化したばかりの昆虫の羽のように
薄く透明な花弁を開き始める
満開となった花は月の光を受けて虹のように輝き、ドーナツ畑は水面がきらめく湖のようだ
だが月が傾き山に沈んでしまうとその花はドライアイスで作られた彫刻のように
瞬く間に気化して消えてしまう
そして東の空が色調を変えはじめると、ドーナツ草の茎のてっぺんに小さな塊がうまれる
それは空が明るくなるにつれ大きさを増していき、村が朝日を浴びる頃には穴の開いた
立派なドーナツとなる


ある登山家が連なる高山の峰を踏破していると
もっとも高い山の頂き近くで
男の死体を発見した
その死体は冬山を登るための服装を身に着けてはいたが
持ち物といえばその手に握られていたカメラと
針がない方位磁石だけであった
山頂の方向を頭にうつ伏せで倒れている彼は
全身を雪に埋もれかけていて
登山家は岩と見間違え素通りしてしまうところだった


その日むらびと達は夜明けとともにドーナツ畑にでて
それぞれの持ち場につく
村の入り口には近隣の村から手伝いにやって来た人々の姿もみえる
男たちは手にハサミを持って畑に入り出来立てのドーナツを摘み取っていく
女とこどもたちはふたり一組となって細い竿の両端を持ち
摘み取られたドーナツを受けとるとその輪を竿に通してぶら下げていく
竿がドーナツでいっぱいになると
この日のために畑のわきに何本も立てられた竹竿までもっていき
洗濯物を干すようにそこに掛けると、あらたな細竿をもって畑に戻る
ほとんどのドーナツはプレーンだが、ごく稀にチョコがかかっていたり
粉砂糖がまぶされているドーナツが実る
すると作業をしている人々のあいだで歓声があがり、ほかの者もそれを知ることになる


彼は写真家だった
ある日のこと、広告の写真を撮影するために
スタジオにモデルの女性がやって来た
若く美しい女性だった
打ち合わせの時の彼は特段の関心を持つこともなかった
だが撮影に入りファインダー越しに彼女の姿を見たとき
雷に打たれたような衝撃をうけた
抗えない衝動を感じた
撮影が終わったあと彼は刹那の躊躇を経て彼女を食事に誘った
彼女は快くそれに応じ、ふたりは約束を交わした
そしてレストランでの3度目の夕食を終えたとき
彼は暮らしを共にすることを提案した
彼女はすこし考えていった
あなたは冬になると山の写真を撮りに行くのがライフワークだといっていました
だけどわたしはあなたの帰りをひとり待つのは耐えられそうにありません
4度目の食事のあと、ホテルの部屋で彼は方位磁石の針を彼女に渡した
それは細い金の鎖に繋がれネックレスのように仕立てられていた
これはぼくが山に登るときに唯一の頼りとしている方位磁石から取ったものです
彼女はそれを受けとると首につけた
金の鎖にぶら下がった赤と白の針は照明を受けて輝いた
翌朝彼が目を覚ますと彼女は方位磁石の針とともに消えていた
連絡も取れなくなり
ふたたびその声を聴くことも顔を見ることも身体を抱きしめることもなかった


収穫を済ませた人々はひとりひとつずつのドーナツを持って畑のへりに並び
それを食べる
皆が食べ終わるとおおきな樽が用意され
竿に掛けてあるドーナツをその中に次々と放り込む
ドーナツでいっぱいになった大きな樽がいくつも並ぶ
すると男たちはまず丸太で樽の中のドーナツを潰していく
おおかた潰れると、今度はおおきなしゃもじでその中をかき混ぜる
するとドーナツは崩れていき、粒状になり、仕舞には金色のとても細かな粉になる
村びとたちは手に椀をもって樽に並ぶ
樽をかき混ぜていた男たちは樽の中の金の粉を
ひしゃくで皆の椀の中に注いでやる
金の粉を受け取ったものは畑にいくと
ふっと椀に息を吹きかける
すると金の粉はふわりと舞い上がり
畑の上に降り注ぐ
やがて畑は金色に輝く粉で薄く覆われ
まるで雪が降ったあとのようになる


彼は登山口の駐車場に車をおいた
手にはカメラと針のない方位磁石
山の頂きを望むと
はらりと雪が舞い降りてきた
頬でとけて一筋のしずくとなって流れた

ドーナツ

ドーナツ

  • 自由詩
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-11-20

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