無辺世界
わたしのからだが、いつか、星にかえるとき。
そばにいるのは、きみだけでよかったのに、たいせつなものがふえてしまって、どうしよう、という感じ。水族館で、ずっと、巨大水槽をみているあいだにも、わたしたちは確実に、おわりにむかっていて、もう、はじまった瞬間の、この世界に、うまれでたときのことなど、遠い昔みたいに、分娩室の、まばゆい光は、あざやかさを失っている。
うまれたときのことを、おぼえているの?
きみが、ふしぎそうに、たずねてくる。
わたしは、うん、と答える。あたりまえじゃん、という気持ちをこめての、うん、だったのだけれど、きみは、へぇ、と、未知なる生命体に遭遇して、その不可思議な容貌に、あっけにとられているタイプの、へぇ、で応じる。もしや、ふつうは、おぼえていないものなのだろうかと、わたしはかんがえるが、べつに、そんなことで悩む必要はないし、わたしはわたし、きみはきみなのだと、ひとりのにんげんの、それぞれの個性を想えば、なんてことはないだろう。巨大水槽のなかでは、日々、飼育員さんが餌をあたえながらも、きっと、食物連鎖が起きていて、生殖行為が行われていて、生と死がその、つくられた海でもくりひろげられていて、わたしたちはそれらを、なごやかな気持ちで、みている。
あ、サメだ、と、きみがいう。
ほんとうだ、と、わたしがいう。
ぼんやりしている。視界も。思考も。
果てしないなにかと対峙している心持ちで、悠々と泳ぐサメをみている。
無辺世界