少女と鵺
あ
「おい、寝んな、仕事中じゃ」
「・・・・・あ」
目を覚ますと、そこは私の職場だった。
あまり言いたくは無いが、医大の精神科だった。
「何か酷く疲れた顔してんのう。『寝て疲れる』って究極を極めたなお主」
私が黙っていると、医者がカカッ、などと笑いながらそんなことを言ってきた。
「・・・・・・はい。少し、嫌な夢を見ましてね」
「・・・・・・・ほう」
ズイ、と顔を近づける医者。
この人は言うまでも無く精神科医なのだが、一度この人が診てもらったほうがいいような気もする。
決して尊敬などしていないと言っては嘘になるが、しかしここで言う『助手』は私しかいない為に、この医者と常日頃二人っきりになってしまう。
この医者は『黙ってると死ぬ病』に罹ったらしく(本人が言うんだから間違いない)、やはり私にいろんなことを教えてくれる。それは時に心に響き、時に性欲を膨らませ、時に無性に眠りたくなる、そんな程度の話であった。
「こりゃぁ、傑作じゃな。精神科医の助手がそんなことを言っている場合か。ボールに対して一心不乱に恐怖の念が渦巻くピッチャーのようなものか」
「喩えが長すぎます。もう少し手短に頼みます」
私が言うと、
「精神病に罹った精神科の助手とか?」
・・・・・なんだかこの医者、患者にストレスばっか与えて自殺させてるような気がする。
「もっとリラックスせんかい。そんなんじゃぁ人生損するぞ」
「もしもその結果が貴方のような人間になってしまった場合にも損しかしていない気がしますが」
「酷い事をオッシャル」
「・・・・・なんで精神科医になんかなったんですか」
「頭が良かったから。キ〇ガイを見るのが好きだったから。カニバリズム(※食人、人肉愛好家)だから」
「最後はいらんでしょう!」
モップを両手に距離を取る私だった。
「嘘じゃよ、嘘。」
ニィ、と笑う医者。
人間の犬歯にこれほどまでに恐怖を抱いた事は無い。
「それより、最近変な病が流行っているそうじゃ」
「変な病?」
「そ。変な病。」
アンタがその『変な病』に罹っているんじゃないのか、と言いそうになったが口を塞いだ。
「・・・・・はたしてどんな」
「考えた物、想像、妄想が幻覚になって出てくるという病。」
「貴方が第一発症者なんですね、お察しします。さぁ、そうと決まったらさっさとこの病院の精神化に行きましょう。あれ?そういえばあなた精神科医でしたね。残念ながら、この病院には精神科医が一人しかいないんですよ」
「・・・・・お主、何故そんなにイライラしている。残念だが男に生理は来ないぞ」
妄想で妊娠でもしたのか、と医者。
「相手は誰じゃ」
「やめてください」
話を戻す。
「つかそれ、明らかに私達の分野じゃないですか」
「想像妊娠が?」
「違がいますよ。その『妄想病』ですよ」
「当たり前じゃ。ジャぁないと情報が回ってこないでしょう」
「患者が来たんですか?」
「来たわけじゃない。ただ、もう日本の裏側ではそんな病が流行ってる。あえて国名は出さないけど、ヒントはチリとかアメリカとかブラジルとか北京とか」
「自分の言った事に対して責任を持て!」
危うくスルーしそうになった。
「何が?」
「あからさまに国名言ってんじゃないですか」
「え?県庁所在地言っただけだけど」
「日本は広いな!」
せめて『首都』って言ってくれ。
アメリカって。
チリって。
ブラジルって。
随分東に片寄ったな、日本。
「しかし、凄い病気ですね」
「『凄い』っていうより夢のような病気だよねぇ。死んだ妻を思ったらきっと私は目の前に居る君を妻と認識するんだろうねぇ」
うんうん、と医者。
ガチで嫌だった。
「とりあえず、そんな病。」
「ほう」
「が日本に来るかもしれない」
医者はつまらなさそうに、そんな事を言った。
い
「でもねぇ、そうゆっくりも言ってられないんだ。」
医者は静かに言った。
「恐らく、この日本にもそのウイルスは来てるだろうし、それにウイルスじゃないのかもしれない」
私が始めて聞く、この人の重々しい声。
「これが人間がたどり着く最終地点なのかもしれん。猿から進化し、周りは森からビルに変わった。これは人間の持つ知能が上がった、生きる環境が変わったということでもあるが、今まさしくこれが起こった。外国に比べその症状が出ていないのは日本が昔に鎖国をして外国との接触を避けたから・・・・・・?いや、もしもこれがさっき述べたように最後の人間の進化だったら関係ないことか。」
まるで独り言のように言う、医者。
やはりこの人は只ならぬ人物なのかもしれない。
「しかし、まだ日本国民にはその症状が現れていないのですし、それに日本にそのウイルスがこないかもしれないじゃないですか」
私が言うと、医者は静かにこちらを向いた。
「さっきワシが言ったことを覚えておらんのか。」
「ええと・・・・・さっきですか?」
私は考えた。
「国・・・・?」
「その通り。アメリカ、中国、ブラジルはもうその症状が出ておる。アメリカが感染源だとすれば、もう中国まで行っている。アメリカと中国の間に位置する日本なんぞあっという間じゃろうに。また中国が感染源だとすれば、もうアメリカとブラジルに症状が出ているんじゃから、その間の日本はもう遅い。」
「・・・・・なるほど」
どっちにしろ、もう遅いのか・・・・・?
「では、簡単な実験をしよう」
医者が言った。
「なんでしょう。」
「ワシは空を飛べる。お主も、そして世界中の人間も」
いきなり何を言い出すのだ、この人は。
「ほれ、ワシは今空を飛んでいるぞ」
「・・・・・・え」
その瞬間。
医者がフワフワと中に舞っている姿が、私の目に映った。
「・・・・・凄いですね、医者。まさか本当に空を飛べ・・・・・」
・・・・・・・。
・・・・・・・・。
・・・・・・・・・。
これは。
「はい、一名だーつらーく」
恐らく絶望の表情を浮かべているであろう私の表情を見てか、医者がケラケラと笑った
う
「・・・・・笑い事じゃないんですけど」
焦る私を見て、またも医者は笑った。
「何を言うか。妄想症を治す程度で治るよ、多分」
医者はそう言うと、ポケットからメスを取り出して私の腹部にその刃先を向けた。
「え、ええ!?や、やめてください医者!」
「・・・・ん?」
私が言うと、医者は不可思議な顔をした。
「何を?」
医者が言うと、私の視界にはコーヒーのカップを手に持った医者が映った。
「・・・・・は」
・・・・・・そうか。
連想してしまうのだ。
目の前の老人の言動や、自分の思考を。
現実になってしまうのか。
「・・・・・・ふむ。落ち着きたまえ」
医者は全てを即座に理解したのか、特に不安の表情も無く話した。
「すまなかったな。君は、私の言動を『置き換えて』しまうんだったな。」
ふむ、と医者。
「ならば、私が自殺すれば君は下手な想像をしなくてすむのかな?」
医者はまたもやポケットからメスを取り、今度は自分の喉へ向けた。
「・・・・・マグカップでどうやって自殺するんですか?医者。」
「おや。君、凄いねぇ。」
医者は暢気に笑った。
「ただ、私もそれにかかったかもしれない。さっきから、君が妻に見えてしょうがない」
・・・・・・。
「やめてください」
「お、戻った」
「・・・・・どうするんですか」
「やばいねぇ。病院内まで来たって事は、もう地上は楽に歩けない」
「・・・・・本当ですよ」
「ふむ。とりあえず、テレビを点けてくれ。」
「・・・・・はい。情報源、情報源っと」
リモコンのスイッチを押しテレビを見ると、そこでは臨時ニュースがやっていた。
「・・・・・・・」
「・・・・・・・」
そして、私達は少々沈黙した。
「・・・・・医者」
「なんだい」
「・・・・・これは?」
「・・・・・・君にも見えているなら、どうやら『私の世界』ではないようだ」
そこには。
日本を含む、アジアに無数の核が落とされている映像が映った。
え
「え・・・・・核って・・・・・」
「ふむ。ワシはリトルボーイしか知らんぞ。」
これは、なんなのだ。
次々と、爆発が起こっている。
人の血肉は恐らく、一瞬にして消え去るのだろう。
「せ、医者・・・・・これは、どんな、どういうことなんでしょう・・・・?」
「被害妄想の一種だね。良く言えば常に周りに気を配って、緊急事態にすぐ対応できる軍隊を配備しておいたんだろう。悪く言えば、奴さん、少々頭が弱いのかね。全く、一体『どこからどんな攻撃を受けている』んだか。どこの国かは知らんが、遅かれ早かれ私たちは軍医に呼ばれるかもしれん」
それかその前に死ぬか。そんな事を言った医者の表情は笑っているが、その目には少なからず怒りも混じっていた。
「だめだね。もうじき北海道にも大きなクレーターが出来あがるに違いない。」
「・・・・・と、止める事は?」
「出来るわけが無い。まずこの核のことを調べ、それから国を特定しないと。だが、その作業を終える前に皆全滅だ。」
「・・・・・まさか。」
国から、国へと。
「・・・・・それとも、」
影響を受けることがあれば。
「核を撃ってきているのは、一国だけではない・・・・・?」
それは、その国の悪夢として国に表れるに違いない。
「それかもしれない。」
「・・・・・・なんでそんなに冷静なんです、医者。」
「別に。私だって焦ってるさ。」
「そんな風に見えません。」
なら、と医者。
「いきなり奇声を上げてみせようか?それともメスを持って君の両腕を切り落とそうか?いや、両足?君の望むほうを言いたまえ」
「な、なんですかいきなり」
「だから、私だって焦っているんだよ。君が『冷静を解け』と言ってるんだから、なんならサイコパスなってあげようというだけさ」
「私は別に・・・・・」
「なら、黙っておれ。不快極まりない」
静かな一括と、少々気押される私。
ズズ、とコーヒーを啜る程度のほんの小さな音でもなければ、私はそこに固まっていたであろう。
「・・・・・すみません」
「・・・・・しょうがないことさ。死を受け入れるには時間がかかるからねぇ」
「死んだ事があるんですか?」
「今知ったよ」
少し微笑むようなその言葉は、私の雁字搦めになった思考回路をいとも簡単に解いた。
「・・・・・ありがとうございます」
「なにをいまさら」
「・・・・・外へ出ても、良いでしょうか」
「あまりオススメはしないがね。」
そう言いながらも、あっさりと私に鍵を渡す医者。
「・・・・・頑張ってちょ」
それだけ言うと、医者は自分の首に手をかけた。
私はそれを自分の想像の世界だと想像し、ドアを開けて世界へと出た
『終』わり
そこには少々の走行車と、曇った灰色の空という日常風景なるものが私の視界に映った。
「・・・・・最後くらい、キレイな景色を見たいもんだ」
だれに言うでもなく、
しかし独り言でもなく。
ただの我儘を、世界へとぶつけてみる。
「・・・・・あと何時間だ?」
私の生涯を終えるまでの時間を少し考えてみたが、すぐに止めた。
「・・・・・まぁ。早まっただけの事だと踏み切るか」
深い深呼吸をした後、静かに目を瞑り、考える。
キレイな景色。
それは、どんな生物から見ても。
色鮮やかな、そして幸福を現実にしたような世界。
私は、目を開いた。
「・・・・・・・・」
すると、そこには先程までとはまるで正反対の色が存在していた。
透き通るような青、綺麗な緑。少々の、私と関わりを持つ黒と灰色の長方形の物体。
色鮮やかな赤、桃色、橙色。
「・・・・・御伽話じゃないんだからさ。」
あろうことか、目の前にはあの大妖怪、鴉天狗が仁王立ちしていた。
「・・・・・中学のころは、妖怪に夢を馳せていた」
少し、笑ってしまった。
すると天狗は、訝しげに私を見ると、何かをこちらへ投げて大空へ飛んでいった。
そしてその『何か』も、私の記憶の中の色より華やかな色となって私の視界に映った。
「これは、提灯か・・・・?」
それは、中々に見覚えのある北海道神宮祭の提灯だった。
「友達と男二人で良く行っては、必ず帰りに酒を飲んだなぁ。あの時はくだらないことばかり話した。
懐かしい記憶にして、幸福な記憶。
今、私の目には『記憶』が映っている。
『妄想』の中にも、『記憶』は入ってくるのか。
「・・・・・・いや」
私は、少し考えてみた。
もしかして、この世界は全て私の妄想、夢なのではないのだろうか。
私が産まれ、知識を身につけていき、そしてあの病院に勤め、この病にかかる。
これらは全て、私の想像した世界なのではないのか。
始めから、終わりまで。
何から何までもが。
私の、記憶が。
全て。
あれもこれも、それもどれも。
嬉しさも悲しさも、憤怒も嫉妬も。
「・・・・・む?」
そんな私を肯定するかのように、鵺に乗った少女が楽しげに空を飛んでいた。
「・・・・・しかし、望んでいない終わりも来るのか」
だが。
それも、俺の妄想の一部なのかもしれない。
「・・・・なんて」
目を瞑り。
目を開く。
・・・・・・思ったよりも小さい、と思ったのは恐らくまだまだ遠いはるか上空にあるからだろう。
あれに、ここらを一瞬にして破壊し、粉砕する威力があるとは思えないのも。
「・・・・・さて」
死んでも、そこは天国でありますように。
死んでも、この病は治りませんように。
どうか。
いつまでも、幸せな世界で。
少女と鵺