ウィークエンド

ワカメ

 辺り一面に水が流れ込んできたのは日曜日の午後2時くらいだった。

 2時くらいというのもなんというか曖昧で当てにならない。僕が多分そのくらいの時間だと思ったから、きっとそんなくらいだろうという根拠のない自信で、とにかく、そのくらいに、水槽の隅っこにヒビが入ったかと思うと、そこから、部屋そのものを沈没させるくらいの量の水が、一気に吹き出してきたのだった。
 僕はその時、目を見張った。
 あのサイズの水槽が砕けたところで、そもそも、水槽が勝手にひび割れるというのもおかしな話だけれど、とにかく、砕けたところで、周りの床が少し水浸しになるだけ、飛び出たドレミファを回収して、新しい水槽をどこからか調達するまで、バケツに水を張って、どうにでもなる話だったのだけれど、明らかに水の量はおかしかった。
 部屋を水没させても有り余るくらいの水が、一気に押し寄せてきた。


 僕は予期することも、避難することもできなかったから、他の家財やその他もろもろと一緒に、その濁流に飲み込まれて、グルグルと薄暗い渦の中に吸い込まれていった。


 なんでこんなことになったんだろうと、渦に中で考えて、それから、不思議とそこでは呼吸ができることに気がついた。

 
 なんだこれと思っているうちに、玄関の郵便ポストの口から滑り込んできた手紙みたいに、中年の男が一人、部屋に入ってきた。


 「こりゃいかん」


 カーネルサンダースの人形みたいに、にこやかに微笑みながら、男は手に持ったステッキをぐるぐると回していた。
 僕はそのおじさんのことを、ドクと呼んでいた。
 理由は特にない。なんでも知ってそうだったからドク。ドクターのドク。

 「宇宙の破滅だ」

 宇宙の破滅、と、自分の服が、月面みたいにふわふわと膨らんでいる中で、僕は返した。

 「この部屋の時間だけが、逆流している」

 「ビックバンとか、そういう感じのことが起こっているって訳ですか」

 そもそも、ビックバンなんて、ファンタジーとかゲームの中での、技の名前ぐらいでしか、聞いたことのない人生だったから、僕は全く何が起こっているのか理解できなかった。

 「世界の破滅どころじゃない」

 なんとかしないと、なんとかしないと、とそこら中を行ったり来たりするドクは、見た感じ何かを探しているようだった。

 僕は、時限爆弾みたいなものを想像して、とりあえず彼を手伝うことにした。


 「ドク、何を探すの」
 「ここは、君の潜在意識が作り出した空間なんだ、君が一番大事にしていて、つい最近なくなったもの、それはなんだ」
 ドクは、部屋の隅に畳んであった僕の服をぐちゃぐちゃにしながら、僕に言った。
 ドレミファ?
 「ドレミファだ」
 なんだそりゃ、とドクは箪笥の中の服までぐちゃぐちゃにしながら聞き返す。
 「ドレミファっていう熱帯魚で、4匹で」
 
 そうかそれだ、とドクは言った。僕は探すのにも疲れ果てて、以前と何も変わらない街の景色を眺めていた。
 穏やかな午後だった。
 何かをするにはもってこいの、雲ひとつない快晴で、すぐ外で、子供が数人集まって走り回っている。
 近所のおばさんは犬を散歩しているし、おじさんは車に乗ってどこかに出かけようとしている。要するに、とても穏やかな休日の午後だった。


 ドクは頭をボリボリと掻き散らす。まるで死ぬほど難しい数式を制限時間以内に解かなければ死ぬみたいに、ぐうぅと唸りながらその場にしゃがみ込む。
 真っ白いスーツに、赤いネクタイ。店の前に立っていれば、それと見間違うぐらいの、素晴らしいくらいにそれだった。

 「餌だ」
 いきなり立ち上がって、僕の方を向き直ったドクは、ヒトラーみたいに、片手を振り上げながら言った。
 「餌をもってこい、誘き寄せるぞ」
 「違います」
 僕は、ちょっとムカムカしていた。この後に及んで。
 「何が違う」
 「ドレミファは、魚じゃないんです、魚のように見えて、違うものなんです」
 ドクは、壁に拳を叩きつけて、僕に言った。
 「声というか、音なんです」
 終わった、と、ドクはそのばにへたり込む。

 音を誘き寄せる方法なんて聞いたこともない。
 「どうすれば止められるんです」

 というか、この世界は、僕が勝手に作り出した、現実とは全く関係のない、実際には存在しない世界ではなかったのか。
 そんなものがなくなったところで、誰も困らない。
 穏やかな日曜日が、次元の狭間に消えていくだけの話で、僕自身だって、現実の僕がいれば、生きようが死のうがまた復活できてしまうわけだ。
 そんなもの、無くなればいいじゃないか、と気づいたところで、庭先で子供たちが笑った。
 天気雨みたいに、キラキラひかる笑い声が、部屋の中の無重力の空間にまで響いてくる。


 僕がそれを取り止めもなく見ていると、ドクは察したように、中に浮いたままの僕を見上げて言った。

 「終わった、宇宙の破滅だ」

 子供たちの笑い声が途切れて、窓から強い光が差し込んだかと思うと、強い衝撃が怒涛のように押し寄せて、日曜日は次元の狭間に吸い込まれていった。

ウィークエンド

ウィークエンド

ドレミファの続きです。

  • 小説
  • 掌編
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-11-14

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