硝子

青津亮

題名は、「しょうこ」とお読みください。

 Kは、頭のなかに、永遠の女を住まわせているのだった。
 女は、名を硝子(しょうこ)というのだった。二十四歳のかれとおない齢、硝子は、蒼白にしずみこんだような冷たい頬と、ときおり灯を青く照りかえす、水晶さながらに(ひか)る硬い眸をもっていた。青と白の神経的な陰翳をゆらめかせる、象牙のような女の姿で、唇だけが、血のような緋色をしているのだった。
 永遠の女、といったが、女はむろんかれのことを愛してなどいない、こんなにも美しい女性が自分を愛していると夢みるほど、かれは夢想家ではないのである。ただ脳裏で、女の徹るような姿を彫刻し、その玲瓏なきびしい心には、かれらしい神経質なゆびさきで、陰翳のすみずみにまで機微を構築して、大理石のように硬質な肢体のあらゆる肌には、各々の象徴を託し、果てはKをきんと撥ねかえす、冷たく硬い、非情なる美女を造形したのだった。かれはなによりも、硝子の冷たさ、そして硬さに焦がれた。それはかれをいつも惹きつける、死のそれにも似ているようにおもった。
 硝子というのは、はや風景であった、あるいはそれをデッサンした、奥行のない絵画であった。装飾を施された、硝子(がらす)盤のようなそれであった。そいつはかれと乖離していて、色彩は異なり、いつも自分を突き放すように、Kには想われた。それはかれに、自己憐憫の産み落とす、もだえるような悦びをもたらすのだった、非情なる宿命、かの永遠の女に奴隷化し、屈従し振りまわれるKの疲弊した顔、そんな自画像にドローイングされたひたむきな印象は、きっとかれの誤りであった。かれはかの女をおそれ、こい焦がれ、そして劇しくにくんでいたのかもしれなかった。
 硝子は、ぼくのすべてだ。
 恋人のいないかれは、なにか愛の様式のようなものに憧れ、恋愛ドラマの台詞を模し、そう呟いてみた。しっくりとこないそれであった。
 硝子は、ぼくの世界のすべてだ。
 やや足りない。
 ぼくの世界は、硝子の姿にしかない。
 被害者めいた疎外感を煽るこんな台詞こそが、淋しく甘ったれたかれには相応しいようだった。
 しかし硝子という風景画は、たしかに、かれの世界の観方のことごとくを投げ込まれ、虚空のように所有し、のっぺりとなべてを等価に照りかえしているように思われた。が、そこには、肉体というものの一切が欠けているようであった。

  *

 雨が降っていた、他人行儀にはしり去るような音立てて。
 Kは、意識のあるままに目を瞑っている惰眠に倦んで、まるで夜空のようだと思って購(か)った群青色のシーツを撥ねとばし、ゆったりと痩せた半裸を起き上らせると、ぼうっとけぶるような寝起きの気分、そいつをなんとかしようとし、煙草に火を点けたのだった。
 ゆっくりと吸い込むと、きょうは不味い日だということが判った、Kは顔をしかめさせて半分ほど吸うと、丁寧に火を消して灰を落し、また吸うために箱に容れなおした。
 はやかれに、それを「みっともないからやめなよ」と忠告するひとはいなかった。
 かれは娼婦の店を訪れようと思った、けっして情欲からではない、ただ吹き荒れるような淋しさが、ひりついた神経を日頃打ちすえるから。
 Kはまずシャワーを浴びた、起き抜けにそれをするのはかれの習慣であったが、きょうばかりは、ふだんより念入りに髪と躰を洗い、そのまま歯磨きをした。それを終えると、鍛えてもないのにみょうに厚い胸元に香水を振った、髪は、時間をかけてセットした。これはまったくもってばかげたことなのかもしれなかった、娼婦に配慮をするにしても、汗とヤニの香りを気に掛ければ充分なわけであるし、しかしそうまでして格好をつけてしまう自分の憐れさに愉快を感じ、そしてそれを補うようにして、律義に自分を嘲笑(わら)ってみせたのだった。
 かれはなにか、自分が女性に愛されない男の憐れさを演技として表現しているように感じ、その役の生真面目さが生む虚構の愛らしさに、おもわず頬がゆるんだ。まったくばかげていた。
 ミドルゲージに編まれたモックネックの黒のセーター、ユーロ・リーバイスの細身のブルーデニムに、無理をして購入した、やや高級の部類の黒のドレスシューズを履いた。靴下はグラデーションにするために、濃紺無地をえらんだ。はじめから割に短かった爪を切り、どうせ部屋ですぐに外さないといけないのにもかかわらず、ゆびさきにはシンプルなリングをひとつだけ通した。そして、これは古着に見えないだろうとほくそ笑みながら、いくぶんくたっとしたヴィンテージの紺のバルカマーンコートを、適当にひっかけてきましたという印象を狙い羽織って、ようやく完成。かれは最後に、内ポケットにぼろの財布とアメリカン・スピリット、そして百円ライターを押しこみ、腰のそれには机にあった適当な文庫本を容れて、││エドガー・ポーの肉の透き徹るような詩集であった││、寒そうに背をまるまらせ、どこか後ろめたげな様子で家を後にしたのだった。
 かれは現在の身形を、ほどほどに制抑と砕けの利いた、目立たない、しかしクールなそれだとかんがえていた。きょう、Kはパリジャンの無造作(ノン・シャラン)風を気取っていたのだった。かれはお洒落というものが、なにか自分の醜悪さを隠す手段、本心をおおい隠す様式、あるいは仮面の一種であるように思っているようにみうけられた。
 地下鉄に乗り、娼婦の町にたどり着く。
 うす汚れたビルが並び、眼を打つようなどぎつい色彩のキッチュな看板がずらりと視界を占める、客引きの男たちは怪しげだ、歩きまわり店を物色する同胞たちは、どこか冴えない雰囲気である。ぼくとおなじ、そんな心のうごきへの、他人行儀な自己嫌悪。
 こんな悪趣味で卑俗な風景が、かれには、みょうなくらいに美しく観えるのだった。欲望をひらきなおったような俗悪なリアリティが、社会秩序から毀れ落ちる悪徳をすくうところというグランジな印象が、Kの眸には、はや蠱惑めいて映るのである。
 ごみを漁っていた鴉が、いま翔び立つ。不吉な鳴き声、ポーの詩を想い出す、「NEVERMORE(またとない)」、そう、またとない出逢いが、いま迫っているのだ。かれは胸がどぎまぎしてきた。
 慣れた格安店に入る。会計をし、待機室で待つ。受け身で待つというのは、お姫様気質のあるかれの、好きな時間なのである。待っているとき、もっとも胸が高揚しているといってもいいすぎではないのである。部屋に入り、娼婦が来さえさえすれば、高揚というよりは安心があるのだから。あるいは、幸福と呼んでもいいものがあった。そいつは、セロトニンの分泌という現象にすぎないけれども。
 スタッフに呼ばれ、部屋に案内される。淫靡というよりは、仄暗いだけの、簡素で素っ気ない部屋である。せめてものという印象で、ひかえめな灯は赤みがつよい。かれはコートを脱いで一人で待った、胸の鼓動が聞こえた。ばかみたいだ、かれはそんな自分をきちんと冷笑し、ずっと凝視していたのだった。
 ノックの音、心臓が飛びでそうな気持になる。
 扉がひらいた。
「失礼します」
 いくぶん暗い、しかし、どこか不良な声であった。
 白いドレスを着ている。海のおもてのように波うつ光沢は、うまれては消え往きうつろってはあらわれるとも表現されるような象牙色(アイボリー)を夢のようにゆらめかせ、橙色の灯があたる半身のみが、さながら黄昏が射すようにして、色っぽく照っている。水商売の衣装は、たとえ生地や仕立がチープなそれであっても、後ろめたい暗闇の粒子が這入りこむことにより、こつぜんと艶を薫らせるようにKには想われる。明るい髪は茶と金の中間、どちらかといえば金髪だろうか、白い木を、刀ですと削いだような優美な痩身をしている、メイクは濃く、ちらと視線を遣ると、切れ長の眼元を際だたせるように、めじりに、うわむきの緑がはいっているのが見えた。
 かれは娼婦に美貌をもとめない、なぜってかれは、虚無の慈愛の海による、全肯定の抱擁を欲しているだけなのだから。しかし、きょうの女性の容姿は、かれごのみであった、いうなれば、肉体的に惹かれたのだった。もしプライベートであったら、かれを歯牙にもかけないようなひと、そんな連想をひきおこす、女の冷然とした躰と顔つきの印象が、かれの心の琴線を、つよくふるわせたのだった。くわえて、かれは単純に、線のほそいひとが好きであった、肉体の印象にとぼしいひとが、このみなのだった。
「あ、初めまして! え、すごくキレイですね」
 女性に慣れていない、初心でおとなしく、愛想だけは好い下僕、そんな仮面を、さっと被ったのだった。こいつはかれに、よく似合った。
「ありがとう。初めて?」
「何度か来てます」
 娼婦のため口は、かれをいつもよろこばせる。
「そうなんだ、あんまりこういうお店来なさそうに見える」
 よくいわれるが、どういう印象なのかいまいち解らないのである、それを知りたかったが、「どう見えるんですか」という質問をし、自意識過剰をさらすことを怖れて、適当にながした。
「そうですか? たまに来ちゃいますね」
 にこにこしている。そんなみずからの顔を、ずっと、自分に視られている。卑しい、臆病者の笑みが、眼の裏に映っている。本性を隠さなければいけない、そうでないと嫌われてしまう。好かれるなんて、期待はできないけれども。せめて、「接客が楽なお客さんだな」という印象を与えたかった。
「あ、ぼく、風俗で興奮できなくて、勃たないので、抜こうとしなくて大丈夫です。いつも、性行為みたいなことしてないです」
「え、なにしに来たの?」
「…ハグがしたくて」
 娼婦はやさしげにほほ笑んだ、かれは、その愛らしさに撃ちぬかれた。
「そういうお客さん、噂では聞いたことあるけど、初めて。いいよ、ハグしよう」
 かれはほっと胸をなでおろした、時折、それを理解してくれない娼婦がいて、むりにかれを射精させようとし、それにKは仕方なしに応えようとするも、勃起さえもできないかれの様子に、彼女たちはプライドが傷ついたような、苛立ったような、あるいは軽蔑をするような視線を投げるのである。かれはそんな眸に撥ねかえされるのが淋しかった。軽蔑は、かれにはただ淋しいのだった。理解して欲しい、忖度して欲しいという、甘ったれた気持がつよいのが原因であるようにおもわれた。かれには、愛のない無関心のほうが、よっぽど淋しくないのだった。
 ところで、はやばやと彼女に、自分が店では不能なことを伝えたのは、あとになってそれを知らせると、「貴女には欲情できない」というメッセージが伝達されてしまう、そう推測していたからなのだった。
 かれはひとを傷つけることを極端に恐れていた、悪意や敵意、それらの連れ込む他者との対立が怖く、くわえて、かれの情緒は、他者のそれを自己本位に置き換え共鳴してしまい、すぐに痛んだり、ざわついたり、唸ったりするのだった。それに振りまわされるのが苦痛だった。こいつは、美化するようなものではないとKにはかんがえられていた。そうでないひとを軽蔑する資格なんて、あるわけがない。優しいとはちがう。神経のせいだ。
 かれはほんとうの意味で、優しくなってみたかった。が、どういう意味がほんとうなのか、まったく解っていないのだった。
 そもそも、先に伝えたとしても、「貴女の容姿がタイプではない」と受けとるひとだっているように推定される。それがこわくて、不安の波紋に、かれの不可視の仮面は波うっていた。
「若いね、」と、女は、かれの手にそっとゆびをのせる。
 怖れにも似た高揚がはしった、喉が、からからに乾いた。
「何歳?」
「二十四歳です」
「私より、六つも下だ」
 二十四歳、通説どおりにいえば、まだ、年上に憧れやすい年齢であった。手をにぎられた。眼を合わせられない、いや、かれは誰に対してだってそうなのだけれども。
 視界の端で、にっこりと笑っているのが見える。くろめのほとんどが隠れてしまう、そんな飾りっ気のない笑顔が、かれの眼を、ひらめく眩暈のように打つ。
 女性に仮で享け容れられるという現象の、セロトニンの生産性ははかりしれない、はや麻薬だ、そう感じられた。大金を払う意味なんて、ここにはあるに決まっていた。
「シャワー浴びよっか」
 するするとドレスを脱ぐ、かれも無駄に決めこんだ服を脱ぎはじめた、けっきょく、すぐにこうなるのだ。虚しさを感じた。
 かれはちらちらと、彼女の優美なる脱衣のうごきに眼を遣ってしまう、とおくから硬く照りかえす、銀の月を眺めるようなまなざしで。躰がしなるようにうごき、やがてはしろく華奢な裸体が、うっすらと灯にさらされる。湖の畔で、月光に濡れるアルテミスのそれさながらの、どこか、少年性を連想させる硬い躰である。
 容姿と接客態度しか知らない、しかし、こんなにも素敵なひとに愛される男がいる、あるいはいたということが、かれにははや信じられない想いだった。彼女に愛されたら、果たして、どんな気持になるのだろう。
「ほんとに勃たないね」
 つん、とかれの陰茎をつついた。こんなかるがるしい振舞が、可愛らしくて、可愛らしくて、かれははや息がくるしくなるのだった。
 夢のようだった、いや、これは夢であった。おおくの娼婦にとって、店での自分は、ほんとうの自分ではないはずだった。そう、ネットで読んだのだった。娼婦の、仄暗い部屋でのキャラクターは、ほとんどの場合、女優の演じる、男好きのする役にすぎないらしいのである。彼女たちはたいてい、現実の自分と仕事の自分を夢として切りはなし、夢想にほうっと浮かぶ、虚構の自己をサービスすることがおおいらしいのである。いわば仮面を被っているのだ、もしやすると、かれが娼婦の部屋にたびたび訪れてしまうのは、仮面同士の交流が、そのうすい膜の張られた業務的な抱擁が、内気な臆病者にはここちよいからなのかもしれない。そして、客なべてをゼロとして等価に全肯定したようなハグ、それが落ち着くのだった。
「AVの観すぎだとおもうんですけどね、」
 かれは突かれるように、なんどか使った言訳をひねりだした、いわなくてもいいはずであった。
「裸に見慣れちゃったのかもしれませんね」
「最近の女優さんキレイだもんね」
 冷汗が出た、そういうことでは、ないのである。かれはただひとつのことを、どう言えば嫌われないか、どう伝えればすこしでもいい印象をもってもらえるか、ともすれば客として好かれるか、その思考を逡巡させた。けっきょく、かれはそんな期待をしはじめていたのだった、こんな思考は、神経をどっと疲れさせるため、なるたけしたくないのだけれども。
「いや、あの」
 しどろもどろなかれに、ふしぎそうな表情をし、問いかけるように顔をかたむける、きらめく髪がしろい頬にかかって、はらはらと揺れている。まるで、しゃんと銀の音色が響くよう。なんて優美な仕草だっただろう。もういちど、おなじうごきを見たいとおもった。カラコンを付けていることにようやく気付いた、西洋人のそれのような碧の眸は、彼女の東洋的な美貌に、むしろ、よく似あった。
「お姉さんも誰と比べるとかじゃなくて、すごくキレイです。いま緊張しまくってて、変なこと言ってるかもしれないですけど」
 早口でまくしたてていた。
 彼女は大口をあけて笑いはじめた、Kは自分の女性の好みが、「笑顔が可愛いひと」という、至極月並なそれであったことを、二十四のいま気が付いたのだった。その瞬間、すこし自分が好きになった。
「ありがとう。気を遣わなくていいよ、リラックスして」
 手をとられた。リラックスなんてできるわけがない、なぜって、貴女の手が触れているのだから。しかし、魂が融けたようなこころよい感覚が、かれの手先の神経からはしったのだった。が、さっきの言葉がどんな印象を与えたのか、それがどうにも気がかりだった。
 会話しながらのシャワーを終えた。かれはふだん無口なのに変にしゃべりすぎた、こんなこと言わなきゃ好かった、そんな、Kの習慣である会話後反省会がはかどりそうだった。
 彼女の接客には、しばしば娼婦に見られるような疑似恋人の感じがなく、お世辞もいわず、それがかれには、ひじょうにこのましく映ったのだった。さばさばしたとした態度で、しかし、そんな素っ気なさの奥に、かれへのいたわりがあるような印象を受けた。素なんじゃないかと思った。ふだんかれは、娼婦に対面さえすれば、むしろ落ち着きはじめるのである。娼婦の部屋とは、Kに安心と幸福を与える、個室の仮面舞踏会であったのである。しかし、彼女の容姿や振舞がはなはだしく好きな感じであることと、彼女はいま素顔でいるのではないかという愚かな期待が、かれの心臓を、いつまでもばくばくと鳴らせていたのだった。
 黙って躰を重ねる、なるほど、たしかに重ねただけである。絶えず鳴るような淋しさが、そのほとんどをかき消される。これを求めていたのだ、かれはかみしめるように、眼を、ぎゅっとつぶった。ひとの肌の心理作用というのは、凄まじいなとかれはかんがえた。
「こんなんでいいの?」
「え、最高です。幸せです」
「一万くらい払ってるのに」
「それ以上の幸福です」
「心臓の音すごいね」
「こんなことできない人生なので」
 嘘が全くない返答であった、正直に自分の気持をいうのは、とてもたのしいことであった。しかし癖で卑屈なことをいい、彼女に返答をこまらせ、自分の評価が下がっただろうということを自責した。
 抱き締めているあいだ、この瞬間が永遠につづいてほしいと想った。月並な表現というものには、やはり普遍性があるとおもった。時計の針が、止まればいいのに。
「あ、あの」
「ん?」
 真顔で、ふたたび首をかしげる。癖だろうか、それとも、媚態めいたテクニックなのだろうか。いずれにせよ、彼女がやると、あまりにも愛らしく映る仕草だった。それが、肌の距離とそのやわらかさに反し、とおく硬く感じた。
 おそるおそる、言葉をつづけた。
「もし、よかったら、キス、していいですか」
 また声を上げて笑いだした。
「そんなこと? そういうことする場所だよ。みんなもっとすごいことしてるし。いいよ」
 接客中のひとはみんないいひとだ、ぼくには楽だ。そう想った。ショップ店員しかり、看護師しかり、仕事の様式に自己を合せる人間は、人間ばなれして優しいと想った。かれは甘えているのだ。嘘でいいから、優しくされたいのだ。
 娼婦は眼をつぶる、しずかに瞑想するような表情、めじりの緑が光りとなって、しろい水面で静謐にただよっているよう。こんなにも美しい顔に、自分の卑しい唇を押しつけてもいいのだろうかと、視線はさ迷った。が、折角だからと、なんらかの肉欲に従って││勃起はまったくしていないけれど││、そっと、彼女に接吻(くちづけ)した。
 かれの根ぶかい、世界と乖離したような、引き裂かれたような疎外感、そいつはこの瞬間に、さっと雲散霧消するように去(い)ってしまったのだった。やわらかい唇の肉感の連続に、すべてが拭われるようだった。
 かれはそのあまりの心理作用に、おどろきに打たれたのだった。もうしてはいけない、そうまで思った。二度めには、かならず依存する。年収100万程度のかれ、果ては、容易に破産である。セックス依存症の原因が、性欲過多ではなく孤独感だという説を、童貞のかれはいま支持しはじめた。
 かれはしかし、自分のファーストキスがこの娼婦であることが、なによりの人生の恩恵であると思った。これは完全に、もっとも恵まれたキスのひとつであるはずだった。
 なぜって、かれはすでに、彼女に恋していることを自覚していたから。
 …
「また来てね」、と、帰り際にいわれた。
 それにしても、「もう来ちゃダメよ」という翳りのある美辞麗句を、ぼくはいつきけるのだろうとおもった。だれひとりこれを言わなかった。かれはこの近代文学に頻出する言葉が、色っぽくて、切なくて、すこぶる好きであった。
「あ、」
 彼女は、想い出したように口をひらいた。
「私の名前は、「飛翔」の「翔」で、翔子だよ。なんか昭和みたいな名前だけど、できれば憶えてね」
 ショウコ。かれを突き放す永遠の女と、おなじ源氏名。
 頬に接吻された、頬へのそれは、何度も経験がある。幸福の、残り香をもたらす。店を出ると、かれは頬をゆびでそっとこすり、顔をほころばせるのである。それが虚偽の感情によるものであること、仮面ごしのそれであること、そんな当然きわまることをくるしく想ったのは、これが初めてであった。

  *

 家に帰り着くと、かれは一晩中泣きつづけた。
 恋するひとと結ばれないのが辛いのではない、それはこれまでの半生となんら変わりはない。彼女がほかの客と情事におよんでいるなんてどうでもいい、かれは気持のないセックスに、魂の愛の不在を視るのだから。もし恋人がいたら、悲しいのだけれども。
 しかしかれが辛かったのは、自分が、けっして彼女のプライベートの性格を知れず、ほんとうの心に、触れることもできないということなのであった。
 かれの親友、そいつはいつも自己憐憫なのだった。

  *

 夜の海を訪れた。
 空を恋う海はまっさらな胸をひらいて、憧れに面を波うたせながらも、ラピスラズリさながらの夜天を映す。広大な砂濱は茫洋としている、夜の闇たちこめて、百合のように項垂れた街灯が白い光りの息を洩らすと、その一面の砂は、こつぜんと象牙の反映を帯びはじめる。
 鷗が立つ、この蒼みがかった風景の硬さと冷たさに、きんと撥ねられたようなご様子で。
 二十四歳の貌は老人のようにやつれていた、かれは何かを捜しもとめていたのだ、翅の欠け、傷ついた蛾が土を這うように、うろうろと、しろい腕をいつまでも彷徨わせて。
 かれは夜の海岸を歩きつづける、すべての風景が、硝子盤の装飾のようにみえる。藍いろを帯びた風景に散りばめられた憂鬱な鉱石群は、なべてが夜の虚空に沈み、その絢爛な光りを剥ぎとられ、ただ、きんと撥ねかえす硬さを示しているようだ。
 そこをあてもなく歩く、浪音はかすかに鳴る、Kはそこで乖離し歩きつづける、足音さえも、その風景の調和を乱すようである。学生時代の教室でのそれと、まったくおんなじであった。
 かれはこの冷たく硬い風景を、したたる銀の液へ融かしてみて、ささやかな青い花へと、化学変化させてみたかった。生きる意味にしてみたかった。

  *

 道徳的に生きる。
 それだけが、Kに残されているようにかれにはおもわれた。たとえ自分を救うために、俗悪なニヒリズムへ逃げたとしても、道徳、それだけは輝いてみえた。それだけがかれに、誰と比較するわけでもない自負、それをえることを許すようにもおもった。
 かれは社会的立場と、死ぬまで投薬しなければいけないと医師にみなされた病ゆえに、女性に求愛する資格がないように感じており、それは結婚であれば、猶更のようにおもわれた。くわえて、愛されるルックスもなく、たびたび襲う憂鬱といたみに抵抗して週4の障害者雇用のパートをこなすのでいっぱいいっぱいで、なかなかふつうの社会人への道筋はみえなかった。実家暮らしでもあり、車なんてむろん持っていなかった。
 しかしここで、自分を憐れんではいけないのだと自分にいいきかせてはいた、ひとのせいにしてもいけない。宿命、それはあるかもしれない、しかし、自分の責任をさがしだして、真正面から自責し、批判をし、すこしでも「ふつうの社会的責任」を果たせる人間をめざすためにせいいっぱい生活すること、それがいまのかれにできることなのだと、このとき思っていたのだった。しかし自己憐憫、被害者意識、そいつらは根ぶかかった。かれはそれに縋り、これまで生きてきたのかもしれなかった。
 そんな自分であるから、翔子さんに告白するなんてできるわけがない、ならば彼女に命を捧げたい、こっそりと見えないところで、彼女のために死んでしまいたい、それでもって削りとられた自尊心を回復し、不連続な躰を空で先人と連続させ、コスト・パフォーマンスよくこの世から消えてしまいたい、こんな、寂しがりやの右翼青年のそれのような殉死願望を、美化できるはずもなかった。そんな、自己愛しか発見されない閉ざされた献身を、ほとんど悪が善からはみ出ているような行為を、してはいけなかった。
 まるで愛のようにうごいてみたい、そこに善の感情の一切がなく、ただ様式に躰のうごきを合わせる虚しさがあろうとも。そんなふうに、かんがえていた。
 愛のうごき、その様式の脈を照りかえす真白の陰翳は、きっと、美と善の落す翳の重なる処にあった。月照りかえすと、蒼じろく燦った。そして、美と善というものは、いまかれには、世界とどうように、自分とは不連続であるように想われていた。
 かつてかれは美と善を、生殖へのそれのように欲望していたのだった、霊肉ひっくるめて連続し、産み落とせるとかんがえていたのだった。それは優しさの歪みを引き起こした。ややもすれば、美と悪の配合した狂気、背徳へ導かれるところでもあった。Kにはそれが善に視えたのだ、そいつはたとえば、人魚姫のそれのような、自己犠牲の純愛というものであった。かれはその憧れを、ついに絞殺した。
 しかしいま、かれのいだく美と善の落す翳の重なる処が、こんなにもかれを惹きつけ突きはなすのは、それがKとは不連続で、けっして融けあえないからではないかと訝られるのだった。セックス不能なのだ。さながらそれは、非情の象徴ともいえる、踏み込み成し遂げようとする悪をもふくんだ、硝子の蠱惑にも似ているようだった。つまりそれは、死のかたちとも相似していた。
 真白の善。漆黒の悪。善と悪は、明度こそ両極端であるけれど、おなじ燦きでもって、かれをきんと撥ねかえすようだった。そう、白と黒は、色彩学でいうと、おなじものなのである。そして双方とも、神秘の涙、すなわち、月光の青に仄かに濡れるのが、いかにも似つかわしいようにおもわれる。調和の水音を立てるようだ。
 逃げだしたいほどにおそろしいのに、よく意味も解せないのに、どうしてもかれを惹きつける、そんな、遥かで光る、冷たく硬い風景、かれには、そんなものこそ美しいのだった。肉の否定を望み、そいつに身を委ねたいのだった。Kはかつて、しばしば人格を全否定する人間、暴力をふるう人間、あるいは書物に依存した。いじめられっこであった、そんな憐れな自分を愛していた。可哀想な自分フェチであった。宗教はとくにかれには美しかった、四肢を緊縛し、エゴから解放されたかのような安心立命を、戒めという苦痛がもたらすようであった。
 美と善の落す翳の重なる処へ往きたい。硝子という、かれと切りはなされた風景と闘いたい。ありのままの自分に抵抗したい。闘うということは、ある種悪人になるということだ。そのためには、それに撥ねかえされた際の自己憐憫、そいつに追従する奴隷根性、これらから、まず離れなければいけないとかんがえた。
 奴隷化された、御姫様。
 メンヘラ、この、しばしばかれに与えられるレッテル、曖昧な流行り言葉を敢えて避け、きちんと自分の弱さを容れこむ箱をかんがえるならば、それは、こんな皮肉なそれになるように思われた。綺麗にすぎるこんな名称は、じつは自分の欠点だって、文脈を読むことにより、すみずみまで露呈されるようにかんがえられるのだった。
 この自画像を、被害者めいてけなげなそれを、かれはまず、破壊しなければいけないようだった。そのうごきが、かれの欲する善と、影絵のように重なるようにおもわれた。
 かれには、奴隷化された御姫様の自画像ばかり眺めてわが弱さに閉じ籠り、ありのままの環境を叩き打つ野蛮な意欲をおしころし、繊細さを衒いうじうじと愛して、そうでないひとを羨み、果ては逆恨みまでするのは、はや道徳的に悪であるとかんがえられた。Kの肉体との折合い、たとえば神経の快不快のようなものが、その道徳を構築したのだった。つまりかれだけのそれであった、他者に強要するようなものではない。されどそんな生き方には、じつは内心で、処世的なあざとい機械(カラクリ)が施されているのではとも疑っていたのだった。かれのような、他者との境界線が曖昧で幼稚なエゴイストには、つぎのようにも思われた。本心からそんなふうに生きたい人間、そんなひと、果たしているのだろうか。
 Kは、前述したような弱さこそが、もっとも無個性なものであるとかんがえていた。撰ばれた弱さなんてない、SNSを見ると、こんなふうに弱い人間は、むしろ、みんなかれに似ている。
 ところで、かの名称、かれの仮の非公式な病名に注釈をつけてみよう。かれは単に、非情な現実に奴隷のように屈従し、自己憐憫のプライドでみずからを保たせている││そう、なんらかの自尊心は、いくらかくらいは生きるのに必要だ││、受身で着付を待つだけの、御姫様きどりにすぎないのだ。

  *

 息をするだけで後ろめたい。
 かれは頭のなかで、いつも謝っていた。それがすべて、自己満足だと知っているのに。
 社会秩序から毀れ落ちる悪徳、人間、欲望、そいつらを排除し、クリーンな世の中をめざすという全体主義めいた風潮は、かれをして、はや暴力を受けているような心持へ駆ったのだった。どこか被害者意識であった、しかし、自分がそんな社会の負の要素であることは、ある角度から視れば、誤りではないようにおもわれた。そもそもかれは、物心ついたときから、自分が害悪の負の要素であると、世界と乖離した醜い存在であると、なぜかしら、そう信じ込んでいたのだった。かれはついにそんな自分を、排除すべき、あるいは矯正すべき劣等人種なのではなく、社会秩序との折合いのわるい体質をもった人種であるにすぎないという、のっぺりと虚無的な見方で逃避したのだった。いわば、人間の優劣から摺り抜けたのだった。かれは人間の価値と社会的価値を、きりはなした。これは負け犬の呻きにも似たうごきなのだった。
 どうにも綺麗に生きられず、社会的責任はとぼしい状態でしか果たせず、ふつうにならねばならぬと矯正しようとしたが、そんな自己否定と行動は、むしろかれを生き抜かせることを遮断するようにおもい、かれは、この言訳を自己にゆるしてしまったのだった。たしかに後ろめたかった、その心のうごきだってポーズであった。Kは生き抜くために、少年時代の高貴への憧れを裏切り、堕ちて往って、俗悪な意欲でもって虚無へ縋った卑俗な人間なのだった。しかしこの卑しさは、これまでのかれと、じつは、なんら変わりはないようにもおもわれた。
 しかしそもそも、人間に、全体へ献身する感情などあるのだろうか。ひとは自分を愛し、大切にし、みずからの分身を愛し、大切にして、受けた恩を返す、あるいは罪滅ぼしをする、それくらいをしかできないのではないだろうか。しかしこれだって、人間を可憐に想うには、充分すぎるようにおもった。むしろ切ない、そこに格闘があれば、美しいとさえ想った。そんな人間が、永遠のそれなどないのに他者を愛するということは、そのために争うということは、もはや悲壮であった。
 かれは全体への愛というものには、けっしてともなうのではなく、先行して、自分の所属する集団と、そうでない集団を比較してえたプライドというのを必要としているような気がした。ヒトラーは、支配の際、まずゲルマン民族の優越性を主張したではないか。こいつは、どこへいっても集団に馴染めず、ひんぱんにいじめを受け、孤立し集団秩序から落っこちていた自分だからこそ感じた、負け犬の感受性であるようにおもわれた。かれという人間には、たとえややリベラルな見方へかたむいても、美しく善い感情というものは、どうにも見付からないのだった。
 欲望を制御する献身的な理性、あるいは純愛のような奉仕、そんなものあるのだろうか?美しく善い感情なんてあるのだろうか。ただ道徳が、星のように人間とは不連続に輝いているだけではないのか。
 自分を正しいと想わないように注意ぶかく思慮をはたらかせ、他者のそれも尊重するのが要だと思った。こんなかんがえ方は、正誤のそれではなく、言葉と感情への、感受性の問題であるように感じられたから。
 しかしかれにはやはりこう疑われる、美化しえる善の感情なんて、果してあるのだろうか? すべての心は、たかが知れているのではないか。ロマン派の、魂の貴賤の主張は、プライドの太りすぎた自己欺瞞によるものなんじゃないか。欲望や本能ということばだってうたがわしい、むしろある角度から視れば、すべてそうなんじゃないか。ひとは善を憧憬するのではなく、欲望するんじゃないか。自負に捧げるために。なべての感情の価値はことごとくが社会秩序との相性、他者との関係性で決定され、じつは、すべて等価なんじゃないか。
 ぜんぜん新しいかんがえ方でもなんでもない、知的でもなかった。いつの時代にもいた、敗北者の、うすっぺらいニヒリズムであるのかもしれなかった。
 しかし、そうかんがえてみたからこそ、道徳というものが、善というものが、空たかく光るように、かれには想われるのだった。尊敬が生まれるのだ。それが美と重なるのだった。かれには美と善の区別がいまいちつかなかった。美しい善を欲望した。しかし性交したいだなんておもっていやしない、それが不連続であると知っていても、それが自分を幸福にはしない、むしろくるしみをひきおこすかもしれないと識っていても、どうしても欲望してしまう、かれを突き放すもの、それが、美と善の落す翳の重なる処なのだった。
 ぼくは、とかれはかんがえる。まず、他者と連続しなければいけないんじゃないか。
 かれは、翔子という女性を抱こうとおもった。

  *

 他者を愛するには、みずからへそうすることが条件となるらしい。ひとは自分を愛するようにしか、他者を愛せないらしい。
 かれは「すべてそれでいい」というたぐいの愛を自分にはもっていない、もしやすると、かれのような人間にはもてないのではないか。自分から拒んでいるようにも疑われる。Kは自分が許せないのだから。そもそも自分を信じられないのだ。
 であるから、Kは、まず条件つきで、みずからを許したのだった。醜くても、まちがっていても、悪い心をもっていてもいい。ただ自己批判と、その心理的省察から得た善への運動、そして、自己操縦さえ怠らなければ。それでもって、死が赦されるまで生き抜く意欲をもちつづけるならば。
 善をいだいて生き抜こうとする、そんな自分を、はや可憐に想った。そしてその花を、すべての生活する人間のそれ、生きているいのちの一群、林立した可憐な花畑へ、Kは埋れさせたのだった。自殺、ただその合理的な賢人の行為だけが、ひとを林立した可憐さから切りはなすように想った。かれははや、その淋しさのほうをおそれていたのだった。しかしかれは、自殺した人格を軽蔑できなかった、くるしみが不可視で、自分とは感受性がちがうのだ。しかも自分だって、いまにも死んでしまいたかった。
 Kはこの心のうごきによって、「いたわり」という名の愛情を、みずからへ掛けられるようになったように疑われた。また疎外感もいくらかはうすれ、おまけとして、差別的な軽蔑もしにくくなった。こいつはかれには喜ばしかった。Kは、すこしでも優しくなってみたかったから。
 準備ができた、とかれはおもった。Kは娼婦の部屋へ向かった。

  *

 かれは娼婦の部屋で待っていた。
 小汚い、貧乏人らしい、しかし、どこか悲しいエレガンスの残り香に縋ったような恰好をしていた。すなわち、あしもとだけがドレスシューズであった、それは、セルジュ・ゲンズプールを意識しているようにみうけられた。かの堕落した酔いどれ歌手は、ワイルドとボードレールを愛読していた。
「失礼します」
翔子はきょうも美しい、斜めから赤い灯があたり、湖のおもてさながら陰翳をゆらめかせる。そこに、拒絶の硬さは、前ほどみられない。
「きょうは、」
 とKは切りだした。
「翔子さんと、セックスするために来ました」
「え?」
 娼婦はふしぎそうな顔をする。
「そういうことする場所だけど…」
 彼女は、かれの顔をおぼえていなかったのだった。
「あの、以前一回会ったときは、ハグとキスだけだったんですけど、今回は、抱きたいなと思って…」
「ああ!」
 と明るい顔をする。
「覚えてるよ、いっぱい気を遣ってくれたひとだよね。きょうはえっちするの? 勿論いいよ、指名ありがとう」
 覚えてもらっていたよろこびにうちふるえた、変なことを求める客で好かったとおもった。
「じゃあ、」
 と女はかれの手をとる。
「シャワー浴びよっか」
 …
 愛のうごきとはなんなのだろう。かれはしばしばそうかんがえていた。それはおそらく、無数にあるものであった。
 恋、Kはこの感情を、「あなたとずっと一緒にいたい」のそれであるというかんがえを抱いていた。たしかにかれは、翔子というひとに、恋をしていた。どんなひとなのかもわからないけれど、しかし、彼女とずっと一緒にいたかった。どんなひとか解らない、けれどもかれは、接客態度が素敵な娼婦とは、差別を受けるレッテルに負けず、せいいっぱい努力する可憐な人間であるのだとかんがえていた。そう、憐みも混じっていたのだ、しかし、それは人間の、充分に愛くるしい生の態度であるはずだった。
 それでは愛、なかでも好きなひとに向けるそれ、かの感情は、ひとをどんなうごきへ操るのだろう。Kは、翔子を、愛してみたかったのだ。献身、しかしかれにできるのは、店に通うことだけであるようだった。
 だが、いまからする行為は、いわゆる、愛のないセックスであった。業務的なそれであった。かれらは仮面を被っていた、一方通行の恋だけがあった。情欲すら、まだ、なかった。
 シャワーを終え、ベッドに並んで座る。勃起はしていない。しかし、以前ほどに突き放されているという感覚はない。
「お兄さんのことね、」
 と翔子はいった。
「優しいから、けっこう好きだよ」
 優しい。この言葉は、かれをもっとも傷つけるのだった。自分の優しさは、臆病さと無精さのたまものにすぎないと知っていたのだ。騙していることを、突きつけられた気にもなった。かれは優しいより、つよいといわれたかった。そのうえで優しくなりたかった。
 化粧に飾られた女の顔がちかづき、そっと、ルージュの塗られた紅い唇が重なる。頬に、しろいゆびをのせる。そんな優美なうごきは、むしろかれに、愛の不在を感じさせた。様式美に本心を蔽い隠す、高貴なる儀式めいて視えた。それはダンディズムの水くささにも似ていた。
「さわるね、」
 と、融けるような演技の声でいう。
 かれの陰茎に、翔子のゆびが触れた。ごめんなさい、とかれは思った。
「おっきくならないね」
 また唇を重ね、こんどは、あたたかい舌がかれの口内に這入ってきた。ぴく、と躰を痙攣させる。受け容れられた。なぜかそう想った。
 いまのかれの肉体を勘違いさせるには、じつは、これで充分なのだった。男の肉体というのは、その単純さゆえに、どこか憐れだと思った。
 Kは女の躰を蔽い、このんでいた女性向けAVを模倣するように、彼女の肉体を愛しはじめた。…
 人間は、生きねばならないのだ。通説の善を抱きひっしで生活する大衆どうよう、自分のような秩序から毀れ落ちた人間だって、せめて各々の善を構築して抱き、ただ生き抜こうとしなければいけないのだ。なぜって、ひとの肉体はつねに生きることを欲しているからだ。全細胞はかれの死にたい気持とは他人行儀に呼吸し、心臓はあほらしいくらい精力的に鼓動し、皮膚はKの怠惰と乖離するようにいれかわり、そしてかれいわく自分には求愛する資格もないのに、愛するひとに、欲情の焔をもやすからだ。彼女に愛されてみたいと願ってしまうからだ。
 かれは情欲と自意識が乖離したような気持で情事におよび、そんな自分を、冷然と見すくめているようだった。女の心の反応ばかりをうかがっていた。半分も勃起せず、しばしば萎えた。だが、義務のようにその女体に触れつづけた。やがて女の誘うままに挿入した、なんの感動もなかった。…
 硬く冷たい無機はいつも美しく、壮麗に屹立し、いのちを硬質な音を立て撥ねかえし、有機とはいかにも気味わるく、やわらかくて熱く、なにか、えたいのしれぬ汁を垂らす、ぶよぶよとした臭いものに感じられる。かれは美しい人形になってみたかった、いたみさえも撥ねかえす、冷たく硬いものに昇ってみたかったのだ。
 されどぼくは生き抜くのだ、ぼくは、わが肉体に従うのだ。善く生き抜く、そいつが、まずもってできあがったぼくの道徳だ。肉体、いいかたを変えるなら、生理を主軸に道徳を構築し、それでもって凝視される自己に批判の鞭を絶えずくわえ、心ごと再構築させてやり、ただわが肉体と世界との折合いのなかで、感情のリアリティから出発するなまの心のうごきでもって、美をきっとみすえ、善く躰をうごかすのだ。魂の視線を、美と善へつねに向けるのだ。ぼくが従うのは他者の思考ではない、善の通説ではない、わがいのちの欲する声だ。人間は深いところでは、きっと美と善をもとめている。ぼくの肉体が欲望するもの、そいつはあるいはくるしみであるかもしれない、ぼくは、いつも退屈なのだから。
 観念的な無機物にない、生の美しさがある。きっとある。うごけるということだ。美と善へのうごきとはもしや、聖なる光りが宿るのではないか。ぼくというリアルな肉にも可能なそれとして、生の宿る美、あるいは大きらいな言葉を敢えてつかうなら、生の価値というのは、うごきつづけ汁をながす、現在の格闘と抵抗にあるのだ。そうであるならば、それによる自負をえてもいいのだ。自負、こいつは心の空白を、一時的にみたしえる。
 かれはコジツケのようにこうかんがえていた、自分でも、ほんとうには信じていなかった。魂なんて虚数ではないかと想っていた。けれども、生きるためなら、コジツケで好いと思っていた。
 すれば美と善の落す翳の重なる処へ、ぼくは往ってみたい。まるで愛のようにうごいてみたい。
 かれはつまるところ、せいぜいがつよく優しくなりたい程度の理想をもっているにすぎず、思想なんてない、かれには、生理があるだけだ。しかし、さまざまな人間がいうように、抵抗のくるしみとは、生の喜びに転化しえるのである。たえず穿たれる心の空白をみたしつづけえるのは、通説どおり、きっと、他者からの愛・承認ではない。ある種のくるしみなのである。
 他者ではない、全体でなんてあるはずもない、ただ自負に捧げるために、シラノ・ド・ベルジュラックになりたい。道徳的な武者になりたい。ひとを愛してみたい。こいつは精神という、たかが肉体のべつの名にすぎぬように疑われる、陰鬱なしろものの声ではない。ぼくの肉体の深い声のはずだ。翔子さんを抱き、その神秘と情念と複雑の交う肉体の湿った深遠へ精液を放ちたいのとどうようの、劇しく、不潔な衝動だ。不潔で好いじゃないか。世界とみずからが引き裂かれていようと、あたかも他人のように自分を想おうと、しばしば叫びながら両親や世界に謝罪し床に頭を打ちつけようと、身も蓋もないいいかたをすれば、社会的に劣っていて病んでいようと、現実と有機的に格闘し、けっして自己から眼を背けず、ただみずからの想う善へ肉をうごかす運動は、きっとどんな人間でも可能なうごき、そして、人類共通に睡る、命の叫びなのではないか。ぼくらはただ善への欲望によって、きっと林立しているのだ。淋しさなんて幻想なのだ、すべての人間の孤独は等価なんだ。
 善く、生き抜きたい。それを抱き、恋するひとの肉体と、ふたたび対峙した。
 そのとき、翔子の海のように虚ろでやさしい裸体から、月影の如く、硝子(しょうこ)が浮びあがった。
 翔子の、やわらかな乳白色の肌は、こつぜんと象牙の反映を帯び、石像さながら硬く凝固しはじめ、かれの自己本位きわまる腰づかいの与えるいたみに潤んでいた眸は、水晶さながらの澄んだ虚空を照りかえして、仄赤く暗い娼婦の部屋は、群青色の奥行なき夜空へと変貌し、女の裸体は、はや神殿めいた玲瓏な真白の燦りを、冴えるようにあたりいったいへひらめかせたのだった。虚無と非情の重層した孤独な現実。硝子。
 かれの陰茎は、すぐさま重たげに垂れおちた。
 みずからの色彩のちがう、正しく美しく善い世界、そいつから刺客のように迫る正義に打たれる自分、どうにも世界に馴染めず、椅子がないと喚き、それからきんと突き放されつづける、まちがった醜悪な自己。そんな被害妄想で、かれは現実から自己防衛してきたのだった。かれにとって被暴力は赦しであった、醜悪な自己をまっさらな雪景色、ゼロへ回帰させる罰であった。
 愛せよ。つぎにかれは、自己にそう要求した。みずからと切りはなされた、この硝子という風景を。硬く冷たい世界の根を。非情を。現実を。ぞっと氷れる雪女の青き眸を。
 かれはそいつを真正面からきっと睨みつけ、いまついに、すみずみまであかるめようとした。あたかもこれまで、自分を凝視してきたような眸で。あるいは、いつまでも鏡ばかりを眺めさせるそれのような眼のうごきで。
 そのとき、硝子の躰は、ぞっと青く燃えあがったのである。おびただしい観念は、虚無の火を放たれたことによって混合物ゆえに透き徹り、││そう、がらすは、混じり合って火を放たれたからこそ透明性をえるのだ││、烈しく摩擦しあう焔は、ネモフィラさながらの神秘の色を帯びはじめ、吹雪舞う闇にほうっと浮ぶ巨大な神殿と化して、あたかもヴェールのような衣服を脱ぎまっさらな裸体をさらけだしたように、その絶対的な非情さをあらわにしたのだ。
 項垂れるように投げだされた、その果ては空無。空無であった。宇宙のように冷たいそれであった。
 硝子、こいつはたしかに、かれには、「運命(ファム)の(・)女(ファタール)」に似ているようだった。
 かれは硝子という世界を、その、がらすの壁画さながらの壮麗さゆえに、ついに愛したのである。美しいから愛しえる、これ以上の理由がいるだろうか。あるいはおなじだけのにくしみが底にあり、そいつの反動であるのかもしれなかった。非情は、非情だからこそ美しいのだ。不連続で撥ねかえすからこそ美しいのだ。自己愛のきわみ、閉ざされたナルキッソス、しかしぼくは、このみずからの疎外感の見せた、幻の、冷たく硬い風景を愛する。ただ生き延びるために。
 かれはいま、つねひごろ被っていた仮面を、ついに脱いだのだった。激情のままに、硝子の裸体を愛したのだった。かれはありのままをさらけだした、水のように融けあいたいと想った。
 Kはそいつを、みずからの自己本位な善を胸に抱いて、まるで子供が愛する両親にするように、かれらしい甘ったれた愛情のままに、劇しく、突くように抱きすくめようとした。されどかの神殿はこれまでどうよう、かれが身をきんと撥ねかえし、かれの柔らかく脆い肉体は、うしろへどっと吹き飛ばされたのだった。
 そうであるならば、と、かれはかんがえる。硝子、この風景の女に、肉体を与えなければいけない。わが冷たく硬い観念に、有機を脈打たせ、いのちを宿らせねばならない。
 かれの陰茎は、かの象牙の石像さながらの裸体に、むしろ硬く締まってきたのだった。親に反抗する、庇護下にある不良少年の、凶暴な衝動のような情欲であった。あるいは神にエゴを叩き付ける、罰あたりな神父のようなそれであった。冒涜の悦びにも似た情欲のままに、Kはその硬質な肌、圧しかえすような粗暴さで揉みしだき、あるいは慈しむように撫でまわし、ときに迎合のうごきをし、両腕を征服の欲望のままに拘束して、ただ双方の照らしあう魂の炎ゆる快楽のためにうごき、ふたりで果てへ投げだされようとし、自分もろとも連れ込もうとし、まるで抵抗するように、撥ねかえすうごきをさらに撥ねかえすように、はらわたを蔵す腰を劇しく揺りうごかし、必要に応じて強弱をつけ、そのなによりもいとしい、硬質で冷徹な象牙の肌に、肉体のしたたらせる、花の体液のように匂いのつよい、熱く柔らかい、されど純白にドローイングされた生ける精液を、さながら、祈りのように降りそそいだのだった。「すべて(あなたを)それ(愛し)で(て)いい(いる)」と。愛と信仰の一致。そうであった。
 せつな、かの硝子盤、水音散らすような音を曳いたのだった。

硝子

硝子

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-11-13

Copyrighted
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