タイムシェアリング株式会社


プロローグ


数年前だった。武田淳一は、アメリカのカリフォルニア州アラメダ郡オークランドにいた。そこから程近いスターバックスコーヒーの奥の席でノートパソコンをいじっている。チャイナタウンが目の前にある。コーヒー店に入店してからもう二時間程が経過していた。西海岸らしい湿気の少ない天候。日差しが店内に入り込む。店員がそれを見兼ねて、入口付近から一つずつ左から順にブラインドシートを降ろし始めた。武田はその光景を横目に見ながら、自分のスマートフォンにタッチをした。それを耳にあてる。数回のコール音の後、相手が出た。
「先輩。電話待っていましたよ。アメリカってすごいですね。キラキラしていますよ。」
「そんなに待たせてないだろう。観光じゃないんだから頼むぜ・・・でセッティングは?」
「バッチリです!!」
電話の相手である鈴木は武田の後輩にあたる。といっても一0歳程の年齢差だ。鈴木の方といえば、今ラスベガス州ヒューストンのダウンタウンから西へ一0キロ。アップタウンにある同じくスターバックスコーヒーにいる。
何故か、二人とも、右腕と左腕にそれぞれ腕時計をしていた。
「そっちの現在の中部標準時刻は?」
「はい。今一四時五五分です。そちらは?」
「そちらはってさー、そりゃ太平洋岸標準時刻から二時間遅れの一六時五五分に決まっているだろう。二時間の時差じゃん。」
オークランドとヒューストンの時差は二時間だ。広大なアメリカでは国土の東西に四本の時刻滞図線が張られている。簡単に言うと、五つの地域でそれぞれ一時間ずつ時差が発生している。東から、米国大西洋岸標準時、米国東部標準時、米国中部標準時、米国山岳標準時、米国太平洋岸標準時、の五つがそれだ。
「よし、五分に予定通りタイムシェアリングのテストを行う。俺たちの開発の集大成だ。」
「はい。超緊張ですね。」
「じゃあ頼むぞ。」
そう言って二人は携帯を切った。再びパソコンに目を向ける。このモニターの画面の真ん中の「TIME OK?」をクリックする、それと同時に実験用のコマンドが走るのだ。コマンドがグーグルの電波時計の設定時間に指示を与え、電波時計の時間繰上演算の係数を変えることができる。
 近年WEBの時間を読み込む所謂電波時計のシェアは生産レベルでは九九%となっている。残りの一%は高価なクラシック時計の「ネジまき式」だけだった。
『このグーグルタイムの時間の繰上係数を変更できれば、時間軸のコントロールができる。』
武田はそう確信していた。三年間の構想の集大成がもうすぐ実施される。

オークランド時刻一七時00分に、ヒューストン時刻一五時00分に同時になった。
『よし、タイムシェアリング実行だ。』
武田と鈴木がそれぞれの場所で同時に画面中央をクリックした。コマンドが走り出す。
しばらくして、今度は武田の電話が震えた。バイブ機能だ。もちろん鈴木からだ。
「お疲れさん。・・・はいよ・・・そっちは順調か?」
「はい。指示通りにここの時間係数を変更しました。一時間を五0分で繰り上がる設定を実行しました。先輩の方は?」
「うん。予定通りだ。こっちは、一時間が七0分で繰り上がる設定コマンドを実行した。これで、時間係数が変わったはずだ。一時間ずっと時計を見ている奴なんていないからな。きっと大丈夫だろう。」
「確かにそうですね。何かワクワクしますね。」
「お前若いな・・・。俺たちが時間係数を変更しても、グーグルタイムの一日の合計が二四時間になっていれば絶対にエラーにならないはずだ。絶対にばれない。それが今回の実験だ。きっと上手くいく。じゃあ一時間後に。」
再び二人が携帯を切る。そして、一時間を過ごすために武田はスターバックスの店内を凝視した。今この地区は、一分前から七0分で一時間という時間設定になっているはずだ。もっと言うと一分の秒数が約八五.七一秒となっているのだ。あくまで時空が云々のファンタジー的な空想とは異なる。単に電波時計の進ませ方が一部変わっただけだ。アップタウン地区も同様にだ。テスト後、すぐに逆の設定をすれば、この両地区の時間演算は実質変わらなくなるばずだ。残った一口のコーヒーを武田は一気に飲む。本日のコーヒーのコスタリカだ。酸味が強く武田の好きな味の一つだ。そして店内を再び観察する。
『誰もこの事態を掴んでいないみたいだな。当たり前だけど。』
そして、テストの不安からくる落ち着きの無さを薄めるかのように、新しいコーヒーを再び購入して席に戻った。今度はショートサイズにした。最初の一口目はやたら熱い。

その後、武田と鈴木の二人はそれぞれの機器端末の時刻を確認する。表示時刻はそれぞれパソコン、携帯電話、左腕の時刻が同時にオークランド時刻では一八時00分に。鈴木のヒューストン時刻では一六時00分になった。
今度は武田から鈴木に携帯を掛けた。一コールで鈴木がいつものように元気よく出る。
「お疲れです。調度一時間が経過しました!!」
「はいよ。お疲れさん。というわけで一時間が経過だ。テストは終了。あとはグッスリ寝て明日合流しよう。」
「やったー。明日は観光ですね。本場のそっちてせ大リーグ観たいです!!」
「結果がよければな。ていうか、男二人でいくのかよ。つまんねー。」
「大丈夫ですよ。」
「どっちの大丈夫なんだよ・・・で確認だ。右腕のネジまき時計の時刻は?」
「はい。右腕の時計はヒューストンダウンタウン時刻で一五時五0分です。そして、パソコン他端末の時刻は全て一六時00分です。バッチリです。先輩の方は?」
「うん。こっちもうまく行ったみたいだ。俺の右腕の時計は一八時00分で、パソコン他端末は全て一八時一0分だ。よし、問題ないな。そっちの地区の一0分を計算上こっちに貰った形だね。オーケイ。明日の同時刻までに何かしらのパニックや騒動が起きなければ、このテストは成功としよう。観光はその後だ。」
「了解です。」





プロローグ(了)


よく晴れた夕刻。雲は高い位置にあってそろそろ太陽の色が変わる、そんな時間だった。
「・・・何か面白いことねぇのかよ・・・」
高校生だろうか。どこの部活にも入っていない所謂「帰宅部」の数人がファーストフード店で、携帯のゲームをしながら呟いている。
その隣の席では、サラリーマンらしい男が、タブレット端末で、メールや、書類の確認をしていた。そして、スマートフォンがなり、その携帯に出る。
「・・・はい。解りました。大変申し訳ございません。書類は明日までに、何とかします。ご安心下さい。はい。今後ともよろしく・・・」
そして、電話を終えて一人呟く。
『今日は徹夜か・・・忙しい。ここ二ヶ月休みはないし。そういえばまともな時間に昼食もとっていない・・・』

暇な時間をもてあそぶ人間、時間がなく心が殺されていく人間・・・を西日が照らしていた。

あなたの余った時間を購入して、時間の無い人へ販売します。
タイムシェアリング株式会社 このHPにたどり着けますか・・・。



タイムシェアリング株式会社-一


父の余命が残り六ヵ月。そう診断を受けた。愛媛県立松山総合病院にはその後二ヵ月後に入院となった。家でのモルヒネの処置ももう限界に達していたようだ。最近では、痛いのかどうかも、よくわからないらしい。単に痛みを抑える領域から、末期症状の深刻な状況といえる記憶喪失にまでフェーズが代わってきた。意識が朦朧と最近はしているようだ。モルヒネの量が当初に比べてかなり増えた。おそらく原因は病気の進行だろう。モルヒネはある意味麻薬の体を帯びている。

危篤状態に陥ったという内容を、次女の亜由美が妹の携帯にメールをした。調度時間は、午後一九時00。確かに電話を掛けてもその電源が切れていた。妹は今、四国から遠くはなれた東京にいる。新宿駅南口の高島屋タイムズスクウェアの一階の化粧品会社に勤務していた。基本的にオープン時間に売り場に携帯の持ち込むことは原則禁止だ。そのため、このメールの内容を確認できたのは、閉店の二0時00分のその後だった。百貨店は閉店してからも三0分近くは閉店業務が残っている。閉店の業務を終えた後の二0時三0分過ぎようやく携帯の確認ができる。
「父危篤」のメールをようやく知った妹の真由美は、まずは、母の由美子の携帯に電話をした。が、病室にいるのか、姉にもかけたが、その電話にでる気配はない。最新情報がつかめない。しかし、幸いなことに、明日は水曜日のため、真由美は休日だった。そして、南口から、京王百貨店のある西口へ向かい、とりも取りあえず、新宿駅西口から出ている高速バス、羽田空港行のエアポートリムジンバスに乗った。衣類は実家にあるだろう、たいした心配はない、それ以上に父が心配だった。

都庁を抜け、新宿インターから高速バスが首都高速四号線に入る。ここは合流が短い場所だ。高速バスは代々木を過ぎ三宅坂を霞ヶ関方面に向かう。そして、レインボーブリッジを廻り、羽田空港に到着する。バスの中で真由美は、先日買ったスマートフォンの画面に食い入った。ようやく、使い方と手つきが慣れてきた頃だ。今から搭乗できる東京-松山間フライト便をチェックしているのだ。
首都高速に入った辺りから高速バスの窓には、一0月の秋雨が打ち付けはじめた。雨は秋雨前線でしばらく続くらしい。とくに明け方までが一番激しいという予報が出ている。
新宿-羽田空港間の高速バスは、この時間だと約四0分で到着する。
『まだ飛行機はあるはず、まだ二0時台だし』
そう思っていた真由美はそのスマートフォンから、各航空会社のサイトから、『羽田発・松山空港行き』の便を検索していた。大手から中堅、そして最近の格安航空会社も然りだ。急な搭乗の場合の正規料金は仕方ないが、今は四国到着が第一だ。

最大手がやはり東京-松山の便数が多い。しかし、最終便は二0時四0分で終了。丁度フライトした頃だ。そして中堅どころでは二一時二0分が最終便だった。そして、検索をまた続けた。真由美の眼から涙が溢れ、そして少しの間の後、その頬に涙がこぼれた。そう、すべての便を調べたところ、もう今日搭乗可能な便がないことがわかったのだ。
『今からいっても間に合わないんだ』
その事実に気が付いた。松山は、飛行機以外の交通手段はない。明日の便に変えるしかないのだ。
『あと一時間あったら・・・』

本能的に、スマートフォンの検索ワードにその言葉を入力した。
『もし私にもっと時間があったら・・・』
そして「検索」をタッチした・・・。全くそのままの入力ワードのサイトが一つ出てきた。そしてタッチする。
高速バスは激しい雨をワイパーで掻き分けながら臨海副都心から大井までのトンネルに入る。しばらく雨がないだけでどこか安心する。ワイパーのレバーを「3」から「OFF」に運転手は引き上げた。彼にとってはこの日の高速バスは、これで終了となる。


渋谷区笹塚・京王線笹塚駅に昨年できた駅ビル「笹ぱんだスクウェア」があった。六階建て地下二階。その地下二階は食品館となっている。さらにその下、地下三階にビル用の倉庫がいくつかある。ここに一度商品を集めるための小スペースだ。その一番奥の業者用の倉庫スペース。その倉庫の一室に扉があった。扉の真ん中には小さく立札があった。
「タイムシェアリング株式会社」
その扉の中には、二人の男がいた。医者のように何故か白衣を着ている。何の事務所だろうか、とにかくパソコン、サーバーの台数が相当数ある。だが、事務所そのものは倉庫の一角なので一五畳程しかないようだ。
「ボス、今、依頼が入りました」
助手の鈴木がいった。
「緊急?」
「ボス、ウチの依頼はいつも緊急しかないでしょ。早く審査してください。」
「面倒くせー。今から駅近くでデートの予定なのに。全く邪魔するなよー。三0歳超えると一回一回のデートが日本シリーズ並みに貴重になるんだぜ。」
「いいから早く審査して下さいよ、会社立ち上げから数年間。安定顧客ゼロ。まだまだ資金繰りが厳しいんですから、全くボスなんでしょ。」
「常連なんていたら大問題じゃん。それで依頼人は?」
武田はタバコをとって一服した。そして咥えタバコのまま、その依頼画面を見る、吐き出す煙は空気清浄機へ向けられ白い煙は不自然に吸い込まれていく。
「今、新宿~羽田の高速バスの中から見たいです。依頼人のGPSとそれまでの検索履歴から見ても・・・もう、早くして下さいよ、」
武田はもう一息タバコを吸い、スーッとタバコの煙を吐き出した。鼻から今度は吐き出す。すると下からの煙までもうまく空気清浄機が吸い込む。
「はいよ。まかせろよ」
武田はしばらく、その画面を見つめた。時々画面を変える。ちょうど耳にあたるかどうかの、一般的とも言える髪形。そして大きい目。三五歳にしては少々若く見える。
「・・・。ふーん、そういうことね。よくあるパターンね。」
「そうみたいですね。親の死に目に会えないのは最大の親不幸って言いますし。」
「依頼者は麻生真由美か・・・もう一度目を通して考えるか」
その時、武田の手が止まった・・・。そして、その後、別のタブレット端末を手に取り、さらにパソコンのキーボードに触る。
「・・・もしかしたら、あんまりないパターンかも・・・」
一人武田が呟いた。そして立ち上がる。タバコの火を揉み消した。そして、鈴木に指示を出す。

「オーケイだ。この真由美ちゃんに九0分のタイムシェアリングを実行してくれ。同年代のニート辺りが適当だろう。朝から『食っちゃ寝』みたいな奴らならゴロゴロいるさ。そいつらと交換だ。」
「了解です。悲しいですね、そんな感じの人は毎年増加の一途ですから。みーんな、生活保護、または雇用手当とか・・・ひどい世の中ですね・・・でました。データを見たら、大阪がこの時間多いのでその辺の人間を対象にします。この時間から定期的に寝るような人がいいですね。」
助手の鈴木は、パソコンから大阪の地図を検索した。該当者のピックアップだ。アイドル集団にいるかのような、クリクリとした目と筋の通った鼻、小さい顔が、画面を次々と変えていく。
「では、この人の時間を頂きますね。丁度、親の金で昼間から飲んでて、もう寝ちゃうみたいだし調度いいかも、フェイスブックの傾向をみても明日休みみたいなので、バッチリです。」
「よし、じゃあ頼むわ」
「はい。タイムシェアリング実行します。時間は九0分です」
そして鈴木が、画面の決定ボタン「TIME OK?」をクリックした。

昨日までしばらく続いた棚卸のせいか、松山への便がないとわかったその後、いろいろスマートフォンで検索する間に、真由美は、少しうとうとしてしまったらしい。バスはちょうど、首都高速を下りて、しかも、羽田空港第一ターミナルを過ぎ、第二ターミナルへ向かっているところだった。降り続いていた激しい雨は、その時は、すでに小雨になっていた。路面にたまった雨が集団となり水溜りを作る。それを太いバスのタイヤが引き裂いていっては、また元の水溜りに戻る。水溜りは空港のあゆらる照明を移し輝いていた。
バスが止まった。もう乗る飛行機はない。だが、終点だ。真由美は降りるしかない。とにかく降りるしか。
『すぐに京急線で引き返さないと・・・。』
そしてバスを降りようとしたその時、真由美が急に足をとめた。バス車内の正面のデジタル時計の時間が・・・二一時00。おかしい、確か首都高の三宅坂あたりでそれに近い時刻だったはずだ。時が止まっていたのだろうか、一瞬そう思ったくらいだ。その後、事態が理解できず自分のスマートフォン、腕時計、他の乗客の腕時計を盗み見た。確かに今時刻が変わって二一時0一になった。
真由美は驚くと同時に、すぐに空港のカウンターまで走った。今からいけば、二一時二0の最終には間に合うかもしれない。

笹塚のバーで、三日前に出会った女性と武田はカウンターで飲んでいた。二0代前半らしい女性が隣にいた。武田はワイルドターキー、シングル・ロックを舐めてグラスを置いた。
『・・・こいつ駄目だ。性格悪い。金掛かりそうだし。覚えてろよ。俺は貧乏なんだ。最初のデートでも割り勘しようと考えているくらいなのだ。』
その時、バー・カウンターに置いてあった。武田の携帯が震えだした。振動の度に右へ右へと携帯が動く。
「ごめん。ちょっと弟のアーノルド・シュワルツ・ネッガーから着信が・・・。」
そういって携帯を持ってバーの玄関に走った。
『全然うけないなー。』
そして電話に出る。
「はいよー。鈴木ちゃん。元気に残業?」
「って、やらせているのはどっちですかー、全く!!とり急ぎ、任務完了です!!ボス、こんなもうからない処理していいんですか?ひとつの処理で大赤字ですよ。」

「タイムシェアリングの審査基準とモットーは、深く公共性に高い影響が与えられるか、
利用するものが時間そのものの大切さ自覚しているか、タイムシェアリングにより極端に得する物がでないか、の三つからくる社会貢献じゃん。十分だよ。」
「そんなぁ、ボスは二六歳女性、真由美ってのが効いたんでしょ。」
「それは前提だ。当たり前だろ!!」
そして携帯を切った。
「オーケイちゃん!!」
携帯の画面を見つめてそう呟き、またバーに戻った。
「いやいや、ごめん。シュワちゃんから相談でね。最近筋肉のハリが悪いってー・・・」
『やっぱりうけない。』

急に飛行機を利用したのが初めてのため、真由美は飛行機の正規料金の値段の高さに少々驚いていた。
『・・・旅行ツアーだとどうしてあんなに安いんだろう?』
そう考えたが、すぐに頭を父に切り替えた。依然として母、姉からの連絡はない。心配が募る。もう、死んでしまったんじゃないか・・・もういっても無駄じゃないか・・・こういう時はどうしても、悪い想像しか浮かばないものだ。
羽田から松山空港の便は搭乗者が少ない。一0月だからだろうか、飛行機の足元まではバスでの移動となる、そして搭乗しても、電車のようにすぐに動き出す訳でもない。荷物のチェック、安全説明、滑走路での離陸待ちなど、その全てが今の真由美には、もどかしくてならなかった。と同時にさっきから引っかかる、ある感覚があった。
『絶対におかしい、時間が確かに私だけ止まった、いや、急にゆっくり流れた・・・誰もそんな感じはないし・・・落ち着いているし、変なニュースないし、自分だけ時間が増えた???』
飛行機の窓から羽田空港の管制塔を見ながら、その目を自分のスマートフォンに移す。
「お客様、携帯電話の電源をおきりください。」
「ハッハイ!すいません。」
小さな声で真由美は呟き、すぐに電源を切ってカバンに携帯を放り込んだ。その後、しばらくした後、飛行機が東京湾に向けて飛び立っていった。

翌日は晴れた。武田と鈴木はコーヒーを飲んでいた。朝二人でコーヒーを飲むのはほぼ日課に近い。
「昨日はどうだったんですか。そのデートは・・・。」
「途中からうざくなってきたよー、マジで。いきなり質問攻めさ。大学は?とか。」
「いいじゃないですか、いい大学なんですから」
「その後、年収は?とか。」
「それはまずいです。」
「両親の職業は?とか。」
「豆腐屋ですもんね。」
「バカにするな。」
武田が鈴木のおでこを叩いた。
「だから、なんだこいつってね。急にどうでもよくなったよ。ところで、昨日はありがとな。無事タイムシェア終了ね。」
「そうですよ。一体どうしたんですか、一人の特定の依頼は、儲からないし、個人的感情が軸だから基本的に止めろっていってたのに。ボス!!」
「まあまあ、そうカッカしないで。・・・仕方ないじゃない。こんな内容を読んじまったらさ!!」
武田が新聞のコピーらしい紙を鈴木に渡した。かなりの枚数だ。
「今朝ね。国会図書館に行ってきたのよ。でこれこれ。二五年前の飛行機墜落事故だ。覚えているか?羽田発松山空港行の。」
「・・・ありましたね。航空史史上最悪の大惨事で、確か六00人近くが死んだやつ」
「そう、年末の一番混雑する便さ。ちょうど俺が小学校五年生だったかな。特番中のテレビにテロップが次々に出ていたのを覚えているよ。行方不明、行方不明ってね」
「僕は、その翌年に生まれたので細かくはわかりませんが、今でも毎年その時期に特番やってますよね。」
「うん、あれで空港制度がいろいろかわったからね。」

その事故は、日本の航空史に残る大惨事だった。日本の大手航空会社「ジャパンエアートランス」はこの年末年始の時期にもちろん大混雑する。飛行機は帰省客を運んでの稼ぎ時だ。その便の離陸二0分後だった。エンジン不良によるものか?低空飛行に入り、南紀白浜付近で墜落、炎上した・・・。原因は航空会社側の整備不良という見解が大方だった。しかし、本当の原因は、離陸時のバードストライクによるエンジン出力の低下と、経年の老朽化が起因していたことがわかったが、それも数年たった後、たまたまブラックボックスが発見されたからわかった新事実だった。つまりは、整備不良という航空会社の不備というよりは、事故的な側面が高いということが判明したのだ。

当時の死者は六一0人。生存者はたった四人。
麻生哲也 妻の久美子 長女の亜由美 次女の真由美 だった。
事故の直後は「奇跡の家族」と報道されたが、ある報道がこの状況を一変させた。

武田は国会図書館で集めてきた資料をまとめた形で説明を続けた。
「この麻生一家は、そのジャパンエアートランスのパイロットであったこと、しかも社員利用枠でこの混雑時に、ほとんど無料に近い料金だったこと、しかも、家族で座っていたシート付近、これが後にしらべた結果だが、事故が起きた際に、機体でもっとも事故時の損傷が少ないとされる座席スペースだったこと、これらがワイドショーの一面を次々と飾ったんだ・・・」
研究所が静かになった。鈴木がコピーを見つめる。確かに、「奇跡の家族」の見出しが「卑劣な家族」「悪魔の家族」にある時点で突然変わっていた。さらに武田は続けた。
「ひどいバッシングの末、父の哲也は自主退職し、その二年後に自殺未遂。その後四国各県を転々としたが、すぐに近所にばれて就職もできず、子供はいじめで登校拒否・・・。挙句、家族は離散して、子供は親戚の家を預けられた。その後、皆、飛行機はもちろん乗り物にすら乗ることができなくなったらしい。トラウマって奴でね。」

「・・・もしかして、この依頼人って。」
「そういうこと、依頼人は麻生真由美だ。その麻生真由美が『一五年振りに父に会うため、飛行機に乗りたい』って依頼だからね、仕方ないね。個人的な事情だけど、今回は特別かなってね。昨日の依頼画面の言葉にいろんなものが詰まっていたよ。ちょっとハートが揺れたね。」
武田が続けた。
「物事は、その価値が一番わかっている人が使うのが一番いいってもんさ。高いから、いい車ではなくて、こんなにいいから高いってわかってる人が乗った方が、いいもんだ。車でもブランドでもね。カバンなんて、なんでもいい、と思っている人がヴィトン持っても何とも思わない。丈夫だな、くらいしか。時間さえわかればいいって奴が、ロレックス持っても意味ないでしょ。重いな、くらいしかない。そんなもんそんなもん。」
「確かにそうですねー。人のこだわりや趣味はみんな違いますからね。味の好みもみんなそうですね。」
「そうそう、でもね。大体のことは、お金で解決できるんだよ。頑張って給料貰って昇進してってね。豊かさを追求してね。でも、どうしてもお金で解決できないことがある、むしろお金があるほど、なくなっていくものがあるんだよ。忙しくてね。それが時間だ。」
「それがウチの会社ですね。」
「そういうこと。時間をもっとも欲しがっている人に、もっとも時間を無駄に使っている人が分けてあげる・・・。」
「でも儲からないですよ、こんなんじゃ。もっと、お金があって忙しい人に絞りましょうよ。」
「これからだ。これから」
「ところで、時間を供給したニートは、どんな感じなんですかね。」
武田はデスクから一枚の紙をとり、助手に渡した。
「フェイスブック解析による、過去一ヵ月間の生活パターンを改めて確認してみた。実家暮らし、一日の睡眠時間は一二時間。土日の日雇いで小遣い稼ぎ。平日はワイドショー見たあと、夕刻まで、ウトウト。そして、一九時には寝る。その九0分を頂いただけだ。多分何も気付いていないさ。後で深夜に『タイムシェア戻し』をやっとくから。これは俺がやっとくわ。」
「いいんですかね・・・この会社・・・。」
「いいよ・・・この人が時間の価値がわかってくれたら、いいだろ。まだ若いよ。みんながよければそれでいい。これからこれから。じゃあ、サイト利用料請求書をメールで真由美ちゃんに発信よろしく!!いつもの時間差請求で。」
「はい。個人時給単価差額算出ですね。」
「わかってるじゃん。」


『【麻生真由美のこれまでの生涯獲得収入からの時給単価】マイナス【大阪のニートのこれまでの生涯獲得収入からの時給単価】』=タイムシェア手数料        







タイムシェアリング株式会社-一(了)

太陽から放たれた陽射しは八分一七秒から一九秒程で地球に到着する。しかし、その約八分の間に陽射しの速度は一定感覚なのか、はたまた、初速が速いのかは、科学という推論はあるが実際はわからない。いわば計算上の数値だ。簡単なのは、受けるものが約八分程度であれば、世の中は何とも思わない。それでいいのだ。
プロ野球のピッチャーが投げるその一球。キャッチャーミットに入った瞬間に乾いた音が当たりに響く。急速は一四八キロ。だが、初速が速いピッチャー、打者の手前まで速度が落ちない球威のあるピッチャー。いずれも一四八キロの場合がある。まあ、成績に大きな差が出るだろうが、数値は同様なのだ。そのため速球派となる。簡単なのは、その一四八キロのストレートを持っていることだ。だがそれは数値としての結果でしかない。成績とは比例はしない。

留学中での飛び級の後、大学で留年した二三歳大学四年生。高校卒業後、予備校で浪人した二三歳大学四年生。高専卒業後、編入し一年間地球を旅した二三歳大学四年生。彼らは、一般的には二三歳の大学四年生なのだ。その過程は別だが、時間の過ごし方が違うのだ。いや違うだけなのだ。

あなたの余った時間を購入して、時間の無い人へ販売します。
タイムシェアリング株式会社
このHPにたどり着けますか・・・。


タイムシェアリング株式会社-二


猪俣真一。今年二九歳。中堅商社「アジアン・リテール」で、主に日本の一00円ショップ向けの商材をトレードするのが、彼の担当だった。昨今の一00円ショップブームは去ったが、逆に一00円のコンビニ、一00円のコーナー増設のスーパーなど、一00円というスタイルが安定化してきたため需要に波がなく、逆に底堅くなった。彼にも部下がようやくできて、仕事の面白みが最近わかってきた。
そんな彼が泣いていた。
前には、大きな墓石があった。変な言い方だが、新品の墓石だ。
『畜生』
猪俣は心の中でこう吐き捨てた。墓石の下には、彼の恋人だった「麻紀」が眠る。
まさか、こんな身近に「ストーカー殺人」が起こるなんて、そしてもっとも彼に近い人間が刺殺されるなんて、彼は未だにその現実を受け入れることができなかった。
二0日前の夜だった。恐怖におびえる麻紀の声が携帯から聞こえた。そういえば最近何だかマンションの様子がおかしい、そんなことを言っていた。震える声で『すぐ来て・・・』だった。タクシーで二0分後、そこには、すでに息のない彼女がいた。すぐに彼は雄叫びとともに、警察に電話をした。その時だ。住所を言おうと周りを見た。するとこちらを見ている人間がいたのだ。それに気付いたのか、その瞬間に男の影は消えた。
最初は、猪俣が代々木警察署の刑事に徹底的に調べられた。恋人となればそんなものか、と最初は思った。そして、そのうち、代々木警察署の捜査陣営に、ここ最近怪しい男が付近をうろついていたという聞き込み情報が入ってきた。
麻紀も言っていた。歯科衛生士である彼女は、事件の二ヵ月前程から変にしつこい患者がいて困っていると言っていた。
「何か気持ち悪い感じなの・・・最後の診察の時は変な手紙を置いていったし・・・。」
「・・・そこには何て書いてあったんだ。」
「・・・君は僕に相応しい人間としか思えない、って始まっていたの。さすがにゾッとしたわ。」

「・・・もし俺があの日に夕食を一緒していたら・・・」
二0日前の事件当日、猪俣はもともと麻紀と夕食をとる予定だった。しかし、会社に夕刻ハードな商品クレーム情報が走った。船便でトランスポートした商品の搬入数が違ったのだ。初歩的なミスといえば、ミスだが貿易商社としては致命的だった。担当者は猪俣の部下だった。すぐに二人で取引先に飛んで行ったが、担当は緊急会議中で、対応して貰えなかった。仕方なく、猪俣は、担当の後輩とともに、その会社にある一階のアメリカ系のコーヒーチェーンでしばらく時間を過ごした。
『ごめん、今日はいけそうもない仕事で無理だ。』
猪俣は麻紀にメールをした。しばらくして返信が帰ってくる。
『仕方ないみたいね、今度は奢って貰うから、覚えとくように!!』
ちょっと冗談染みた内容で猪俣は内心少しホッとした。それがある意味最後の猪俣と麻紀とのやり取りとなってしまった。

『もう、もう少し事件の時、もう少し時間があったら・・・。』
先方を待つ間に何気なくスマートフォンにその言葉を猪俣は入れていた。

笹塚の駅ビル地下三階の倉庫スペースの奥に扉がある。そこには真ん中に小さくプレートが貼ってある。
『タイムシェアリング株式会社』
その白い扉の向こうには二人の男がいた。
「ボス、今依頼がきましたけど・・・これも個人的な怨恨ですよ。通せませんね。差額も弱いし。それに過去に戻っての調整は無理ですからね。」
「何言ってんのさ、世の中の仕事はどんだけ社会貢献をするかだぜ。視点はまずはそこ。俺たちの会社は社会貢献してナンボだ。・・・でも過去の調整はさすがに無理なのは確かだな。」
と武田。さらに続けた。
「しかし、時間とは、だね。だってよ。ホンのわずかのタイムラグで、すごく傷つく人が世の中には、沢山いるんだ。そのわずかが少しずれただけで、その傷は一気に小さくなったり大きくなったりする。そういうもんだ。殺人にもあったりする。タイミングで何ともなかったりする・・・。」
「そんなもんですかね。」
「そんなもんさ、階段を必死で駆け上がって、ギリギリで電車の扉が目の前で閉まったら、『ふざけんな、この電車もう乗るもんか!!』って人がいるし、逆に乗れた場合は、『よかった、いい運転士のいる電車会社だなー』ってなるわけよ。小さな傷はそのうち治る。跡もなく。小さな傷はその時は痛いけど経験になる。大きな傷は跡が残る。後は時が経つほど、恨みや復讐を生む。人間は、他のダメ出しをして屈辱を与え、傷をつけて自分がすごいんだ、と認めさせようとする習性がある。だからダメなんだよね。一人が大きく傷つくよりは、多くの人が小さく傷ついた方がきっと世間は上手く回るんだよ。俺たちタイムシェアリング株式会社はその調整ができる!!」
「ボス、すごいですね。その年齢でさすがです。依頼の話から自分の話になっていましたけど。」
「さすがだろう?俺もそう思う。だが・・・これは、オレが昔よく通っていたバイク屋のおやじの言葉なのだー。」
「パクリですか。」
「いや、それ以上だ。ほぼスルーパスに近い。どうだ。参ったか。」
「その度胸は尊敬しますが。」
研究所に沈黙が走る。その後二人は、この依頼を無視することにした。完全に個人の感情であることと過去の時間の引き延ばしは、さすがにできないからだ。

事件の後、猪俣は数日の休暇をとり葬式、通夜を終えた。そして朝、数日振りの出勤の支度をしていた。午前八時。コーヒーを飲んだ。テレビのワイドショーでは、国民的なアイドル集団の解散が宣言されていた。人気恒例のイベントの後、全国ツアーで解散するらしい。その放送が、猪俣の時間とは全く無関係に別次元に流れているようだった。朝から一方的に流れる電波が猪俣の頭を素通りしている、そんな感覚だ。
「よし、いくか。」
猪俣はその重い腰を浮かし、久々に会社へ向かった。環七と甲州街道の交差点である「大原」を渡り、京王線「代田橋」駅へ歩く。首都高速下の六車線の横断歩道を渡ったその時だった。すれ違う男に猪俣の目が止まった。
『あいつだ。』
猪俣は金縛りにあったように、その足が止まった。直後に青信号が点滅を始めた。
『間違いない。あの男だ。』
その目にハッキリと見覚えがあった。あの時、麻紀の部屋を見ていたあの時のあの眼に間違いない。思いがけない偶然だった。猪俣は渡り始めた横断歩道で足をとめ、引き返し、その男の後を着いていった。男はそのまま水道道路を新宿方面へ向かい、笹塚十号通り商店街の手前で曲がった。猪俣も当然その後ろを尾行した。そしてひとつのアパートに入っていくのが確認できた。その日は、そのまま自分のマンションに戻った。
『焦ってはダメだ。まずは奴の正体を探ってやる。』
会社にはすぐに有給休暇届を出した。猪俣は翌日から逆にストーカーになったように、その男のアパートを監視し始めた。ネット通販から小型のカメラを購入して、その男のマンションが見える箇所に置いた。そして、画像をハードディスクに常に落とす状況にセッティングをした。
その日から一週間、猪俣は彼の行動を監視した。その男の動きを追って傾向を掴もうとした。昼間はほとんど外出をしない。外出はいつも二0時以降。そして、朝七時頃に帰宅。別に酔っている感じではない。
二週間目。ようやく駅からアパートまでの帰宅ルート、生活パターンに一定のルールを猪俣は見つけ出した。猪俣は、何としても、この男を捉えて警察に突き出し自分の手で麻紀の仇をとりたかった。そして、何故彼女なのかを知りたかった。さらに調べを続けた。
『香川圭介』これがその男の名前だった。現在三一歳。調べると、前科二犯、いずれも婦女暴行だった。その被害者は、香川が胆石で入院していた時の病院のナース、もう一人は、別の耳鼻咽喉科に通院していた際のナース。いずれもナースだ。暴行時に大声を出したためか、全て強姦未遂に終わっている。当時の新聞の社会面に書いてある。
『白衣を見ると興奮した』と。
猪俣は自分が調べた内容に注目した。
『そんな理由だけで・・・麻紀は・・・。』
男の素性が、わかるほど、彼は『警察に突き出したい』という想い以上に『復讐したい』というこの想い、執念の方が強くなっていった。

武田はスーッとタバコの煙を吐いた。研究所の中は彼一人しかいなかった。昔のことを考えていた。今から、一二年前、新人として、日本を代表する大手企業に入社し、昼夜、土日を惜しまず仕事に明け暮れたこと。そこで、恋人、友達、全ての接点とが擦れ違い、多くのものを失ったこと。その悔いが、時折脳裏をかすめる。そして、同じ時間をもて遊ぶ多くの同世代がいることにも気付いた。
「しゃあねぇー。その仕事手伝ってやるよ、データまとめりゃいいんだろ。」
かつての友人に資料作りを頼んだ。彼は、劇団員志望で、普段は時間が有り余っていた。
二時間分を武田は依頼した。そして、その二時間を彼は大好きなバイクで一年振りに箱根を回った。無心にバイクを楽しんだ。快適な気持ちだった。

ある手紙をその男のアパートに猪俣は投かんした。もちろん彼が家にいない夜の時間に。
『お前が、麻紀を殺した犯人だ。俺は証拠を握っている。取引しろ。その気があれば、お前の部屋のベランダに三日以内に、布団を干せ。俺はいつでも、お前を警察に突き出せる・・・。』
猪俣は、香川のアパートのポストに書面を投函していた。

武田はバイクに乗りとにかくスピード上げた。車を次々とかわす。東名高速、箱根ターンパイクを周回し旧道を回る、そして二時間後に職場に戻った。その時にハッキリ気付いたのだ。すべての人に公平に与えられているが、全くその人によって価値が異なるものが「時間」であるということを。あるものは「潰したり」あるものは「欲しいのに無かったり」する。すべての人が等しく所有しているにも拘らずだ。不思議な気がした。突然この考えが頭をよぎったのだ。それ以降、武田は本当に忙しくなると何故かこの考えが頭をよぎる。これが人間関係の一番の価値観のギャップとして、人類の課題になっていくのではないか、時折そうまで考えたりした・・・。

翌日、香川のアパートにはっきりと布団が干してあった。そしてまた投書をする。
『・・・三日後に、代々木公園のトイレの裏に来い。そこで、証拠を渡す。交換金額は三000万円だ。時間は午前三時00分だ。』
猪俣は、自宅へ帰った。録音用のハードディスクを、ジャケットの内ポケットの中にいれた。勝負は、香川の自白をとることだ。そして、いつ襲われるかに備えて、護身用の果物ナイフ、小型の催涙ガスを入れた。三日後が勝負なのだ。
しかし、気になったのは、警察の動きだった。まずは、いろいろな資料から、前科のあるものから調べるはずだった。歯医者の客という接点もある。いつ逮捕になっても不思議ではない。
『そろそろ逮捕が近いはず。』
そう猪俣は予想していた。ただこのまま逮捕されては自分の気がはれない、何としても、香川を自分の手で制裁を加えなければならない。自分が麻紀と食事をとっていれば、恐らくこの悲劇も起こらなかったはずだ。この事件は自分のせいだ。それから当日まで準備はもちろん、彼らの監視活動を続けた。怪しい動きがあればすぐに捉えたい、それが猪俣の香川への執念でもあった。当日が迫る。
 
深夜一時00分。代々木公園三時00分の時間までまだ時間は有り余っていたが、余裕がないのか、猪俣は早々と代々木公園へ向かい部屋を出た。徒歩で約三0分。道中何があるかわからない。よって、甲州街道を新宿方面へ歩き、中野通り、井の頭通りとメイン街道を通る。明かりの量が大きい程、安心できるのだ。そして途中で警察へ電話をした。香川との待ち合わせの時間より少しずらす。何としてもまずは自分で自白させ、自分の恨みを晴らしたいのだ。すぐに代々木警察署が電話をとった。

「中野のマンションで、起こったマンション歯科助手殺人事件をしっている。その犯人と早朝代々木公園で接触する。必ず犯人を上げてほしい」
早朝といえば、四時以降に彼らは捜査にくるだろう。猪俣は深く息をした。このまま警察に通報した方が安全なのは解っていた。だが、自分が何もできずに、香川が手の届かないところへいってしまうことが、何よりも悔しかったのだ。自分で解決できるものは何もない。それに香川と二人の時間が長い程、猪俣も危険になるのだ。

武田は珍しく深夜残業をしていた。時間調整プログラミングの新規開発・調整をしていた。来年にはウインドウズとマックのOSが変わる。そうなった場合のシミュレーションも同時にしているのだ。数年前から世界の時計軸は電波になった。今電波時計の普及率は今年に入り八八%。生産・出荷レベルでいえば九九.七%になった。後はレトロで高価なネジまき式の市場だけだ。キー・ポイントととしては、このネジまき式ユーザーには、タイムシェアを絶対に実行しないことだ。一瞬で怪しまれる。タイムシェアリングの主な仕組みは、ウインドウズ、グーグルの基幹に入り、その時計の演算方式の一部を調整すればいいだけだ。各レイトでみているので、その設定を地区ごと、地域毎にここの時間を読むように設定をさせている。さらにこれを一般の時計が読みにいく。これがタイムシェアの基本だ。単純な仕掛けだ。だが、問題は数年毎に変わるOSの変更だ。単純なOS変更ならば問題はないが、それぞれの基幹システムの仕組度にアップデートしていく、そのタイミングが常に難しいし読めない。大好きなハンバーガーを食べながら考え込む。だが武田にはもっと大きな問題があった・・・それは深刻かつ最大の問題だった。
『次のOSに、日本語入力機能が残っているのか!!』
だった。これか胆だ。武田はローマ字入力がまるでできない。一番苦慮するのが新しく会った人にメールを打つ際のアドレス入力だ。これが厄介だ。武田はまだワープロが、日本語で「あいうえお」が左から並んでいた頃からおもちゃのように使っていた。幼稚園の時だった。それから三0年近く慣れた日本語入力が基本となっていた。それが次世代OSで対応しているか、が最大の彼の興味だった。そしてハンバーガーを齧る。
『そういえば・・・。』
武田は画面を切り替える。この前依頼があった猪俣という男のことが不意に頭に浮かんだ。依頼者の携帯の依頼時の当時のGPSを調べて履歴を追えば、瞬時に依頼者の居所がわかる。モニターを見た。すると深夜にも関わらず。男のGPSが移動している。
『この時間にどこにいくんだ。ウォーキングか・・・。』
GPSの表示が一時三0分現在少しずつ移動をしている。住まいと思われるマンションを出て、代田橋から笹塚、渋谷方面に移動しているようだ。
『ご近所さんだったみたいね・・・しかし、なんだこの動きは?』
何だか、無性にいやな予感がした。気になった武田は、最近のGPS移動履歴をおった。二週間近く、部屋にマンション籠りがちだ。そして定期的に近くのマンションにいくだけだった。
『・・・確か依頼人の名前は猪俣といったな』
さらに過去の履歴をおった。そして、その通っている男のGPSの履歴も追ってみた。そしてその時期の事件、ニュースに照らし合わせる。
『そういうことね。こいつがその犯人ということね』
すると、さらに猪俣が通っていたマンションに住んでいると思われる男のGPSをそのマンションの発信地点に合わせ最新位置情報を追った。すると、猪俣とその男のGPS発信が少しずつ近づいていくのがわかった。
『オイオイオイ、人が残業中に何か起こるのかー。何だか猛烈にいやな予感がする・・・。』
武田は電話をとって鈴木にかけた。

午前二時00分。猪俣は代々木公園に着いた。しかし、待ち合わせのトイレ付近ではなく、入口付近の明るい場所にいた。まさか、ここでは何も起きないだろう、猪俣は香川の顔を知っているが、向こうは知らないはずなのだ。そんな少々楽観的な気持ちを持っていた。心臓の鼓動が高まっていくのを感じた。そして、そんな気持ちを抑えるように自分のスマートフォンをいじっていた。ネットを見てこの空いた少々の時間を縮めたい。しかし、不安だ。猪俣は腰を浮かして近くを歩いた。一度公園を出て、近くのコンビニにいく。しばらくそこで時間をつぶそう。そう思った時、猪俣は一人男に気づいた。仕切りに携帯で話している。が、不自然だった。顔に携帯をあてているが、別の胸元のイヤホンで通話をしているようだ。猪俣は直観的に感じた。
『刑事だ。もういる。』
焦った。これでは普通に香川が逮捕されるだけだ。それではまずい。ただのナース好きの変態とされ、国民全体から笑われる。そして、被害者もその渦の中でかき消されてしまう。絶対にそうだ。だからその前に香川を自分の手で、奴を麻紀と同じように傷つけたい、しかし、これでは・・・先に逮捕されてしまう。
『ただ単に逮捕されるだけだ。麻紀の恨みがこれでは晴れない。』
猪俣は悔しかった。どうしようもなく歯がゆい気持ちに苛まれた。逮捕される前に自分の手で、一撃だけでもいいから、自分の悔しさをぶつけたかった。そうでないと彼女との日々が全て無意味なものになってしまう、そんな気持ちがした。もう、香川の逮捕はどうでもよかった。自分が納得したかったのだ。確かに警察を舐めていた。もう少し遅く連絡していれば、あと一時間でも時間が遅く進めば、俺は納得できる。あと一時間時間が遅くなれば・・・。どうしていいかわからず、本能的に、検索をした、
『もし、自分にもう少し時間があれば・・』
いつの間にかスマートフォンで検索をしていた。
『あと一時間、あと一時間あれば・・・俺は納得ができる。』

鈴木が研究所に戻って来た。相変わらずのジャニーズ顔だ。
「ボス、休憩貰ってすみません。飯食ってきました。」
「どこで?」
「近くの豚骨ラーメン屋ですよ。二時三0分までやってます。ボスもいったらどうすか?今なら替え玉無料ですよ。バリカタ旨いっす!!」
「替え玉っていっても、ただの小麦粉の小さな塊だろ。原価なんて、一0円もないぜ」
「もう、そんな言い方だから、女に嫌われるんですよ。結婚できない理由はそれ。性格ゆがみ過ぎ。」
「俺はいつも現実を言っているだけだよ。」
「・・・ところで何か緊急な依頼でも入ったんですか。」
「おそらく新規の依頼でも入っていそうな気がしてね。どんな感じ?」
助手の鈴木が、モニターを見る。そして鈴木がパソコンを開いた。
「本当だ。新しい依頼が一件入っていますねー。しかし、このOS切り替えシミュレーション作業中だと、困りますね。タイミング悪いっす。」
武田はいつも吸っているマルボロミディアムをとった。タール八ミリが最近は一番旨く感じる。一二ミリが最近は少々きつくなってきたようだ。フーッと、天井に向かって息を吐く。今日は空気清浄器の電源をいれていない。煙は広がるいっぽうだ。そして鈴木がいった。
「ボス、この依頼人、この前の猪俣ってやつですよ。明らかに個人的な怨恨ですよ。これじゃ、ウチの会社の基本理念に反しています。社会貢献どころか、個人の復讐ですからね。また無視しますよ。」
武田は、吐き出す煙をじっと見ていた。天井に広がる。地下三階でいいのだろうか。そういえば、この地下のオフィスには、換気扇がない。煙が天井付近をフワフワと浮いてゆっくりオフィスの端へと流れ出した。ゆっくりと進む。煙の一団はスモールスケールの雲に似ていた。小さな空がそこにはあった。
「まあ、そうカッカしなさんなー、そういわず、許可しましょ。最近仕事無いし、そろそろタイムシェアしないと俺たちのシステムが錆びつくだろう。」
「マジすか?まずいでしょ。この希望の男はきっと罪を犯しますよ。履歴みたらやばいっすよ。復讐する気満々ですよ。最悪殺人者になりますよ。それか彼が逆にやられるかですよ。どちらも絶対に良くないですよ。」
「まあ、そういうな、お前はまだ若いよ。許可しな、所長命令だ。」
「どうなっても知りませんよ。もう癖になったら、どうなることやら・・・。」
「うまくいくさ。というわけで、二分後に依頼の実施だ。だが、希望時間の一時間ではなく、半分の三0分のタイムシェア実行だ。」
「なんか、中途半端ですね。どうなっても知りませんよ。」
「どうにかなるさ。」
鈴木は、パチパチとキーボードを打ち始めた。そしていつもの「TIME OK ?」の画像をクリックした。
「では。タイムシェアリング実行します。時間は三0分です。」

どうしていいか、わからなかった。冷静に公園を見ると刑事らしい人間が六人近くいた。もう香川は逮捕されるのは時間の問題だ。待ち合わせ時間を前に彼は逮捕されてしまう。どうしていいかわからず、猪俣は時間の三0分前に待ち合わせのトイレの裏に着いてしまった。
『もうどうにでもなれ。』
半ばやけくそだった。もうどうでもいい。自分も、今後の人生も・・・。
『ん・・・』
何故かわからないが、目の前に香川がいた。時間を間違えたのか・・・何故かわからないが、待ち合わせの三0分前なのに目の前にいた。
「予告時間にきてやったぞ、お前か?俺が殺人者という証拠があるっていう奴は?」
猪俣は当惑した。
『こいつは間違いなく香川だ。何だ、時間にはまた三0分もあるのに。』
「早くその証拠を渡せ。渡さないと、お前を殺すぞ。あの歯科助手と同じ、切り刻んでやる!!」
香川の刃渡り二0センチと思われるアーミーナイフが光った。
『なめるな。』
猪俣は小学生の頃から続けている空手で足払いをした。その後、香川に馬乗りになった。そして、その香川の顔面を殴った。右に左に渾身の力で殴った。
「貴様、貴様、貴様!!麻紀を返せ、麻紀を返すんだー!!」
香川が殴られながら、今度はその右手を突き上げた。まだその右手には、鋭利なアーミーナイフが握られている。
「死ねぇー!!」
その時だった。
「やめろ!!」
太い声が辺りに響き渡った。二人はその声の方向に振り向いた。そこには、数人の屈強な男がいた。その後何人も人が増えていく。
「代々木警察署のものだ。香川。観念しろ。」
次に香川はその刑事たちに襲い掛かった。しかし、多勢に無勢だ、一瞬で腕を固められた。
「離せ!!離しやがれ。」
「離すもんか、署でゆっくり言いたいことを聞こう。」
刑事は手錠を香川に掛けた。
「猪俣さんだね。あんまり危ないマネをして貰っては、君も危なくなる。」
猪俣は、肩を落とした。
「君には未来がある。犯罪者になって貰っては困るよ。無茶しないことだ。」
「・・・すみません。すみません。」
猪俣はその場に泣き崩れた。

代々木公園にいくつもある都の監視カメラのデータがモニターに移っていた。鈴木と武田は騒動がひと段落したことを確認した。そして互いの顔を伺う。
「ボス。ケリがついたみたいですねー。猪俣も香川を殺さず、香川も猪俣を殺さずに済んだ。タイミング良かったですねー。それにしてもカメラ回線に勝手に入り込んで大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃない?こういうケースの場合は、ガードしていない方に問題があるってなる業界だからね。それに都には一杯税金も払っているしね。いいでしょう。」
そう言って、武田は再びタバコを美味しそうに吸い始めた。同時に小型の空気清浄機のスイッチもオンにした。吐き出す煙が同じ方向に流れていく。
「万事休すかな。香川も逮捕され、猪俣の復讐心も少し晴れ、警察も死者もなく逮捕できたって訳だよ。いいんじゃないかー。」
少しの間が空いた後、再び武田は新OS対策のシュミレーションチェックを始めた。武田はため息をつく。がいつの間にかそれが欠伸に変わっていた。もう明け方だ。
「もし一時間を供給して、あと三0分あったら、猪俣が殺されるか、香川が殺される、また悲しむ人間がでる。そして、復讐心が生まれる。もともとの予定通りの時間だったら、先に香川が逮捕され、猪俣の復讐心は永遠に残る。気持ち、想いもすべて背負った復讐の男になる。だから三0分を供給して気持ちを晴らして、同時に相手が逮捕されれば、彼にとっても、世間にとってもいい循環となる。少しの時間調整で、一人の男が救われるんだ。そして相手の罪も変わらない。一人の男が確実に納得して次の人生のステージへの歩みとなる。今できる状況では、きっとこれがベストでしょ。」
助手の鈴木はじっとモニターを見つめた。
「さすが、ボス・・といいたいところですけど、これじゃ全く儲からないっすよ。この前
と同じじゃないですか。ボランティアじゃないんです。格好よく語っても貧乏なんですよ。貧乏会社。」
「まあね。そう言わないでさ。そろそろ帰ろうぜ。もう今日はいいだろう。」
「そうですねー。明日に備えましょうか。」
武田は大きく伸びをした。
「あー眠い。夜が明けてきたぜ。明日という今日にでも請求書メールで頼むわ。月末近いから、請求タイミング間違えないでね。」

『【猪俣のこれまでの生涯獲得収入からの時給時間金額】マイナス【香川のこれまでの生涯獲得収入からの時給時間金額】』=タイムシェア手数料








タイムシェアリング株式会社-二(了)

時間の単位は考えてみれば不思議だ。秒になる時は百の単位で繰り上がる。一00メートル走の記録が九秒七九のように。しかし、分・秒の単位は六0で繰り上がる。
「ボス、そういえば、何で単位の基準が六0と一00で違うんですかね?」
と鈴木がいう。
「知るか、太陽暦、太陰暦、二四進法、一二進法って、いろいろな基準があって今に至ったんだろう。」
「起源はどこからなんですか。」
武田が口を開く。
「もともとは神聖ローマ帝国さ。で、十字軍遠征。その後、大航海時代、アメリカ大陸発見。アジア進出という歴史さ。」
「よくご存じで」
「なぜ俺がよく知っているかわかるか・・・。」
「いえ。」
「俺が天才だからだぁー、どうだ、参ったかー。」
「・・・ボス。面倒くさいです」

あなたの余った時間を購入して、時間の無い人へ販売します。
タイムシェアリング株式会社
このHPにたどり着けますか・・・。
 

タイムシェアリング株式会社-三


武田は朝七時から今日もプログラムの設定をしていた。彼にしては珍しく集中していた。そして一三時頃、突然その手が止まった。六時間程、鈴木との会話のない作業の連続は最近ない。そして、武田は両手で目をゴニョゴニョと擦る。
「ハー!!作業に飽きたのだー。体が固リング。というわけで昼飯兼ねて散歩にいってこようっと。緊急連絡あったら、電話ちょ。」
笹塚の駅ビル「笹ぱんだスクウェア」の地下三階から従業員用の階段でテクテクと上がり、一階に着く。一回のATMで、来月の家賃の事務所費用の振込をした。そしてプラプラと近辺を歩く。
『まずは何か食べるか・・・。』
武田は駅ビル一階にあるどこにでもあるファーストフード店に入った。研究所から近く、長く居られるので週に三回は利用している。ここでボーっとするのが、武田の日課だ。いつものように、まずは、荷物や本を空いている机に置き、その後、注文をしにカウンターに行くのだ。
武田はメニュー・カウンターの前で悩んでいた。いつもここで足踏み状態になる。
『悩ましい・・・このハンバーグが二枚とチーズが二枚入っているハンバーガーがある。で、今日のテンションとしては、これが食べたい。しかし、しかしだ。普通のチーズバーガーを二個買った方が合計金額が安いのだ。何て発見だ。うーん、何故だ。前者が二八0円。後者が二個で二四0円。おかしい。絶対におかしい。何故なんだー。わからん。原価は二個の方が高いはず。この二枚入りを発注する奴はどんな人間なんだ。ネオリッチ層の象徴なのか。わからん。全くわからん。二枚の肉を食べてる感、チーズを食べてる感が、普通のチーズバーガー二個以上の達成感を得られるからだろうか?でも二個の方が満腹感という最大の快楽への到達に極めて近くなる・・・わからん。わからん。』
昼時だ。後ろに行列ができる。だが、武田は全く気にしない。
「お客様、お客様!!」
二十歳前後らしい笑顔の女性店員が悩む武田に声を掛けた。
「俺のこと?」
「はい、あの・・・メニューが決まっていないのであれば、あの決まってから・・・。」
と店員は言った。そして武田。
『何故俺はこんな見ず知らずのアルバイトにプレッシャーをかけられなければならないのだ。わからん。全くわからん。』
そして、武田は店員にいった。
「あのー、そもそも、コレとコレのそれぞれの製造原価はいくらなんですか?」
「は?」

結局ハンバーグ&チーズ二枚入りのハンバーガーを注文し、店内で黙々と食べていた。そしてセットメニューのポテトを人差し指と親指でつまんで定期的な作業のように口に運ぶ。
「???」
武田のその手が再び止まった。
『・・・そもそも何でこの商品名が、ポテトで通じるんだ。わからん、ポテトといえば、単にカテゴリーの名称だ。ポテトの料理など何十種類もあるのに、何故この商品だけがポテトというカテゴリー全般の冠を与えられているんだ。』
武田は真剣に悩んでいた。
『考えてみれば、ただ切り刻んで油で揚げただけだ。それだけでこのメインタイトルをゲットするとは・・・貴様やるな。しかも、人間に箸もフォークも使わせず直接手で食べさせるというのも、何て偉そうな奴なんだ。強敵だ。強敵・・・ポテト、スーパー恐るべし・・・。』
「うーん。一00%理解不能だ。」
武田がそう呟く。その時、目の前に男が座った。
「ボス!!やっぱりここにいた。何度も携帯鳴らしたのに、どうして出てくれないんですか?」
「決まってるだろう。それは多分、俺が着信している時に、携帯の通話のボタンを押していないからだろう。」
「それは操作方法でしょ。」
「それよりいいか鈴木。大発見だ。」
武田はポテトをひとつ摘まんで鈴木の顔の前に突き出した。
「このポテトはだな。ただ、揚げているだけなのに、ポテトというメインカテゴリーの名前を欲しいままにしているんだ。素材名イコール商品名だ。この不思議な現象に俺は五分前に気付いてしまったのだ。いえーい。」
すると鈴木が大きく息を吸い込んで武田に向かって声を上げた。
「そんなことはどっちでもいいです!!・・・早く事務所に来てください。何だか、気味悪いお客さんが来て、ボスがいないと僕が言っても、『ではしばらく待たせて貰います』ってドッカリと座っているんですよ。これじゃ仕事出来ないですよ。」
「どうやら、ポテト以上の緊急事態のようね。久々のお客さんかもしれない&初めてのパンピーの来社だ。よし、戻るか!!」
武田は残ったハンバーガーを口にいれた。そしてまだ大量に残っていたポテトを隣の中学生に差し出した。
「あと推定三一本程残っている。プレゼントだ。」
完全に中学生は戸惑っていた。

研究所に戻ると、一人の男がじっと、真ん中の椅子に座っていた。年齢は五0代半ばくらいだろうか?髪の毛が旺盛のようだが少々白髪が見える。また生え際はうっすらと白いモノが目立つ。実際は、白髪が多いのだろう。長身のようだが体は細い。
その男が研究所に戻って来た武田を見て、スッと立ち上がった。武田もどうしていいかわからないが、とり急ぎの礼儀を取り繕う。何だろう?こんな事務所に自分から訪ねてくる人はこれまで初めてだ。まだタイムシェアリングの仕事は世間に知られてはいないはずだし被害届が出るような事態も何より証拠も無いはずだ。
「お忙しいところ、すみません。突然お邪魔しまして、私こういうものです。」
男が名刺入れから名刺を差し出した。武田もさすがにあわてて名刺を取り出す。作ってから一度も名刺交換したことがなかったことにこの時、武田は気が付いた。名刺には「タイムシェアリング株式会社 所長 武田淳一」としか記載していない。
「武田です。」
どこかたどたどしい。
『なんだ。このオッサンは・・・。』
相手の名刺を受取り、武田はその名刺を見た。
『・・・コッカコウアンイインカイ・・・イインチョウ・・・ハカマダヨシノリ・・・。』
そこには書いてあった。その二秒後、武田は我に返った。
『国家公安委員会 委員長 袴田義則。』
その顔が引き攣った。
「はじめまして、あなたにお会い出来て光栄だ。いやぁ、でも辿り付くのに苦労しましたよ。」
武田は目を丸くした。目をパチパチパチパチ。同時に鼻もズズッと啜った。
「国家公安委員会!!」
武田は叫んだ!!
「武田大ピーンチ!!」
しかしその男、袴田の表情は穏やかだった。
「まあまあ、驚くのも『大ピーンチ』もわかりますよ」
武田は一層警戒した。一体何の用なんだ?
「公安としても、苦労しましたよ、というか、初めは信じられなかった。小規模時間コントロールを商売としている、そんな会社があるとは。しかも、からくりは簡単。わずかな人々の錯覚と気づきの裏をつくようなスキマ商売・・・実に素晴らしいではないですか。」
武田は一歩引いた。いきなりここまで言ってくるとは、こちらこそ信じがたい。約二年程タイムシェアリングを運営している。だが、利用者は累計でも五0人もいない。
「・・・ハムですか、ようこそわざわざ。いつかはこんな日がくるとは思っていましたが、ちょっと予想より一0年近く早いなぁ・・・この会社を裁くつもりですか?それとも、国が使うとか・・・政治、軍、外交、情報活動で使うとか?」
「公安の公をとっての通称『ハム』と呼ぶとは・・・切れ者です。」
「単に警察小説のファンだからですけど。」
「・・・ハハ、何か勘違いをされているようですね。そちらの会社をどうかする等は毛頭ありません。」
そして袴田は笑った。嫌らしい笑みでなく、屈託のないそれだった。
その後突然、袴田が頭をさげた。
「今回は、国を代表してあなたに依頼をしにきました。」

研究所の隅の机を囲み三人が座った。
「タバコ吸いますか。」
「大好きです。最近は喫煙者迫害が厳しいですから、肩身が狭いですので。」
そして袴田は今回の依頼内容の説明を開始した。
平成二0年前後以降、特に受験においての「不正」が多数まかり通っていた。隠した携帯を持って、わからない問題に対して「回答依頼」を入れる。そして瞬時に回答がくる。そう、試験時期に不正回答を斡旋する「知の集団」と言われる一大組織「ナレッジリターンズ」の存在だった。設立以降、今や一大シンジケートとして、センター試験、公務員試験、司法試験等で裏で暗躍する組織らしい。たまに週刊誌で取り上げられ、世間でも話題になっていた。
「今では、組織の力が大きくなってね。スマートフォンの小型化、操作性の向上で益々犯罪は巧妙になった。また、この不景気だ。実際受験生の暴走でなく両親も加担して、将来の安定している『エリート』にさせたいという願望もあり、組織が益々強固になっているらしい。これまでとは違い親や生徒が組織に一問毎に高額の支払いをしている、という噂も聞こえてくる。」
袴田の説明の後に武田はこう続けた。マルボロを銜えながら吸い込みそのまま煙を吐き出した。煙が目に入り滲みて痛い。
「つまりは、単なる犯罪から、需要と供給がマッチして益々厄介な国家的問題になっていると。」
「そういうことです。一説には、現在の各試験突破者の一0%近くが、『ナレッジリターンズ』を利用していると言われています。」
「深刻だね。」
「全くその通りなのです。逆に、頑張って努力し、官僚になっても、ちょっとコミュニケーション能力がない、ちょっとした仕事のミスをする、それだけで、『ナレッジ・ユーザー』と思われ職場が疑心暗鬼となり悪循環に陥ったり、教育産業もこのいくと総崩れに近いです。試験制度もどうやって良い問題、試験にするかではなく、どうやって不正を止めるかばかりに注力し・・・事態は確実に国家レベルの危機なのです。」
タバコの火を灰皿で消す。武田は、口癖でタバコを吸う感じ多い。こうして消されたタバコの灰はとても長い間に消されてしまっていることが多い。
「で?ウチに何の依頼を?」
少し下を向いた後、袴田はまた顔を上げた。
「次の成人の日に行われるセンター試験で、御社の技術の提供をお願いしたい。センター試験の開催場所での時間を各箇所で調整し、回答依頼をしても受けるタイミング、返信のタイミングがずれて混乱を巻き起こし『ナレッジリターンズ』の横行を止めて欲しいのです。」

 依頼の大きさに二人は最初黙って顔を合わせただけだった。
「すげえ話だ。スケールがでかすぎる・・・もう少し詳しく言ってよ?」
武田が返す。
主従が逆転したように、袴田は礼儀正しくなってきた。逆に武田はタメ口に近づく。
「はい。試験時間の予定を各科目でずらし、『不正』ができないようにして欲しいのです。特に、試験対策と同時に、合否が分かれる難問でのタイムシェリングです。ここで一0分でも依頼と回答側がずれれば、不正回答率もその時間数に応じて低下します。」
「・・・そういうことね。わからなくて依頼するであろう問題を『ナレッジ』に依頼する際に時間をずらす、逆に回答を受け取る際の時間を予想して、ずらし、やり取りのタイミングをずらす、だね。」
そう言って武田は天井を見た。何か考えているようだ。そして、ウンウンと顔を上下する。数回続ける。
「その通りです。主な対象は、理数系のテストです。去年からセンター試験は一日制になりましたので、初日の午後ですね。」
池田はその間もウンウンと顔を上下する。何回も続ける。そして、顔の動きが止まった。
「面白そうじゃん。やってみるぜ、なあ鈴木。」
「ちょっと、簡単に言わないで下さいよ。今のセンター試験って確か五0万人規模ですよ。調整ができる最低人数五0万人のタイムシェアはどこから同時に引っ張るんですか?」
確かにその通りだった。五0万人の時間を使えば、五0万人規模の時間調整というスケールが必要になる。
「確かにそうだなー。最大の問題は人数だ。」
すると、袴田がバックの中からいくつか書類を取り出した。
「ここに、全国の同時期の団体旅行届、修学旅行のデータ、刑務所のデータなどがあります。海外も含めてです。この特に海外在住の夜にあたる人たちからの睡眠時間をありあわせれば五0万人はあります。」
「この人たちの睡眠時間との主に交換をする訳ですね」
「そうです。」
「しかし、睡眠しているという確証は?」
「そこは御社の技術でお願いします。武田さんの技術であれば、世界の携帯のGPSの動きでその人が活動しているか、寝ているかの推測もできるでしょう。」
「ばれてるね。確かにそうだ。」
「どうですか、やって頂けますか?」
「答えはイエスだ。いいだろう。やってやるぜ。しかし、二つ確認がある。一つ目は金だ。今回は五0万人規模だ。交換する人たちの人生の時給単価の差額、所謂ウチの手数料だが、莫大な金額になるかもしれん。その辺のお支払いは大丈夫なの?国家財政は最低で、国会もねじれたり、ねじれなかったりでしょ?」
「そこは、大丈夫です。明治から続く政府埋蔵金があります。」
「へー、やっぱり結構あるのね。」
「二つ目は?」
「二つ目は、このやり取りと今回の件が、絶対にリークされない保証はあるの?この件に加担して、違法で逮捕、というにならないのかい?俺らのやっていることはOPENにはできないでしょ。」
「ハッハハ。むしろ逆です。このやりとり、埋蔵金の使用が世間に知れれば、我々としても国家的問題、世界的問題になります。むしろ、我々から今回の件はリークして欲しくありません。あなた以上に。無期限のNDA (秘密保持契約)を双方で結びます。お互い墓場まで持っていきましょう。」
少しの間が開いて、お互いが握手を交わした。
「ウチのモットーは社会貢献ですから。」
「ご安心ください。そもそも現在の法律であなた方を裁くものはありません。そして、被害届も誰も出しません。あなた方の仕事に一切の支障はでないはずです。」
「確かに」
「まあ、しかし、法律ができて、被害届が今後出た瞬間にあなた方は逮捕・起訴ですが。」
「怖い怖い。」

武田は、またファーストフードにいた。というか、よくいる。いつものようにボーっとしていた。一0年程前の事を思い出していた。武田が社会人になって、数年経った頃だった。武田の会社は、勤務時間を図ったり、シフト管理をしたり、駐車場の時間機器等を製造・販売している上場会社だった。武田の勤務は東京銀座支店。そして、新卒からようやく慣れた四年目の時だった。大手のタバコ産業の新工場の立ち上げと同時に、工場勤務時間・シフト管理機器を納入した。所謂社員証を機械に通して出勤・退勤・休憩・シフト管理・工数管理をするものだ。勤務パターンは、六パターン、雇用体系は社員、派遣、アルバイトの三つだった。休憩時間は三時間毎、またそれぞれの時給単価も異なる。しかも、土日でシフトも時給単価も変わるホテル、業界では病院に告ぐ超難関な設定なのだ。竣工式の納期に備えて、武田はパソコンで組んだ設定をカードリーダー端末へデータ送信する。大規模な設定だ。
九月一日無事工場は竣工した。華やかなセレモニーとともに無事工場が稼動した。しかし、工場の稼働から、その二ヵ月後の給与支給日に大混乱が生じた。
そう、設定が一部違っていたのだ。僅かな設定の差だった。そのため、二か月経った後の給与からの僅かな三0分の差の賃金が発生した。会社から支払う総額は変わっていないから二ヶ月間誰も気が付かなかったのだ。かなり詳細に追っていかなければ気付き難いものだった。数百円の僅差が出ただけだったのだ。しかし、電波時計ということで、誰も設定が原因と思わず「そんなもんか」と思っていたらしい。武田が会社に戻ると、会社の支店長から激しいカミナリがその日の夕刻、武田に直撃した。
「若くて少しできるからって、調子に乗りやがって!!あの栃木工場がうまく稼働すれば、全国三三工場に自動的に納品なんだぞ。それがお前の確認業務が怠ったせいで!!」
武田はカミナリくらいながらも、じっと下を見ていた。
『そんなに重要なら、若手の俺に任せきりにすんなっての。全部オレが悪いことにして・・・。』
その瞬間。武田はあることに気付いた。
『しかし、二ヵ月間二000人が気付かないってすごいよな。電波時計の信用もすごいけど・・・。てことは、ある特定の人数分、数時間だったらコントロールできるのか・・・こいつは大発見だ!!これは面白いことができそうだ!!』
武田は満面の笑みを浮かべた。
「お前一体何がおかしいんだ!!お前は気でも狂ったか!!お前なんか、お前なんか、辞めてしまえぇぇぇ!!」
武田は、その時スッと背筋を伸ばした。
「不肖武田。お言葉の通り本日付で退職致します。今日まで、一一一五日、大変お世話になりました。」
「おお、お前、俺はそんな意味ではなくて言葉のあやで言っただけで・・・。」
「いやいや、支店長の言葉なんか全然響いてませんよ。」
「貴様!!」
そして武田は机の荷物をサッサとまとめた。その場で手書きで退職届を書いて、朱肉に指を押し当てそこに指紋を捺した。
「はい、支店長これを。じゃあ、みなさん。サイナラ―!!」
武田は走って会社を出て行った。
久々に興奮していた。解放されたという感慨と、新しい世界の希望を感じた。
「よっしゃ。やるぞー!!」
銀座の三原橋交差点を走って有楽町の電気量販店に走った。

それが会社を興したきっかけだった。それからは夢中だった。会社の内容も言えないため、銀行の支援も頼めない。とにかくアルバイトをしてお金を貯める毎日だった。
『早いね。一0年は・・・。』
残ったハンバーガーを口に入れ、武田は口をモグモグ動かしながら、スマートフォンを取り出した。今回の「ナレッジリターンズ」の犯行阻止へのシュミレーションの為だ。
『こりゃ久々興奮するぜ。しかも依頼は日本政府だからな。』
深夜。武田と鈴木は研究室の一室にいた。今回のミッションのシュミレーションを何通りも考えて組んでみた。
「うまくいきますかね。」
と鈴木。
「余裕だよ。余裕さ。特別な技術はない。」
研究室にはいつもFM放送が流れている。
『今年のあなたの印象に残ったニュースをメールでガンガン送ってください!!送ってくれた方全員、会員ポイント二0倍プレゼント!!』
「ボス。一年は早いですねー。この前元旦かと思ったら、もう年の瀬の一二月ですよ。」
「そういうこった。一日は長いされど人生は短い、ゲーテだね。あっという間に一0年とか経つぜ。お前も。」
「ところで、今回のミッションは実際のところどうなんですか?」
「余裕さ。余裕。そんなの余裕シャクシャクだ。」
「何いっているんですか?一人の一時間のタイムシェアとは訳が違うんですよ。一0万人ですよ。五0万人。タイムシェア調整範囲は、地球規模なんですよ・・・そんなの上手くいく訳ないですよ。」
「大丈夫だって、一人の一時間なんてチョロイだろ。チョロイものは、何倍何十倍になってもチョロイってもんさ。」
「一対一と二対五0万人では違いますよ。五0万対五0万なら、そのままチョロイですけど。」
「何だよ。弱気だな、俺を信じろ。目玉焼き一個作るも五0万個作るも同じさー。チョロイチョロイ・・・。」
「同じタイミングで五0万個ですよ。一個ずつじゃないんです。」
「何だよ。弱気だな、俺を信じろ。同じタイミングでもな、目玉焼き一個作るも五0万個作るも同じさー・・・ん・・・どう見ても同じじゃないな。確かに無理だ。」
「ボスは、一度に目玉焼き何個作れますか。僕はリアルに六個位が限界ですよ。うまくいったとしても。ボスの場合は?」
「なめるな、オレの場合は・・・一三個位いけるぞ」
「すごっ、料理いける口ですか?」
「いや、多分そのウチの一0個位は黄身が割れている可能性が高い。人には出せん。」
「ダメじゃないすか、僕の半分以下だし。」
「そういうことだ。どうだ、参ったか。」
「逆にかなり参りました。」
武田は深くため息をついた。
「ヤバい。確かに余裕ゼロだ。一からやり直さないとダメだな。センター試験までの日数は?」
「もうすぐ日付が変わって調度一ヵ月後です。」
「スーパーピーンチ!!今日からスーパーシフトだ。徹夜もありうべし。」
「了解です!!」

二人はその日から、連日深夜までシュミレーションを重ねた。地球の時差レベルで、深夜時間の睡眠レベルが一番深い時刻の集団とセンター試験の受験生との時間交換を行うわけだ。これを科目毎、地域毎でタイムシェアをさせていく。一つひとつの地域に三0分~一時間ずつの時差とともにタイムシェアの交換地域を変えていくのだ。
「確かにこりゃ、やばいな・・・。」
時刻は深夜三時二四分。二人は同時に手を止めた。そしてハモった。
「あー、今日は限界!!終了!!」
武田は冷蔵庫から、缶ビールを二本とって一本を鈴木に投げた。鈴木がうまくキャッチする。
「飲もうぜ。貧乏だから、社内ビールで勘弁な。」
「はぁい。貧乏には慣れていますよ。好きじゃないと、この誰にもいえない仕事なんて出来ないですからね。」
「悪いな。でもよ。このミッションが成功したら、五0万人差額がドカッと入ってくるぜ。政府公認の秘密裏だから、税金もないべ、国税も来れないし、ドカッと現金が入るぜ。」
「ということは、来月末は、豪遊ですねー」
「あー、キャバクラでドンペリをピッチャーでオーダーだな。金粉を乗せてさ。しかも一0日間連日だ。」
「テンション、アゲアゲ!!っす」
「ありがとうな。今回の目玉焼きの件がなかったらきっと失敗していたよ。感謝してるぜ。サンキュー!!」
ビールをグイッと飲んだ。
「今回のミッションについては、ウチとしては、かなり難しいミッションであることが、シュミレーションでわかったはずだ。」
「はい。」
「だから、いきなりのぶっつけ本番ではまずいと思った訳だな。俺たちは。」
「はい。」
「というわけで、今回はあまりに壮大なミッションの為、あえてリハーサルをやろうかと・・・。」
「リハですか。」
「そうだ。このミッションを成功させるには、リハが必要だ。」
「どんな感じでやりますか?」
「ちょうどいいタイミングがあるじゃない。」
「タイミング?」
「そうだ。年末年始というビックタイミングがある。」
「まさかぁー。」
「そのまさかだ。年末年始のカウントダウン前後がある。ここでタイムシェアを実行する。ここで少しずつ、世界のカウントダウンをずらして俺たちの技術が通じるかを図る。一番起きている人間がいるもっともシビアな時期が地球規模で一時間ずつ時差とともにやってくる。これをちょっとずつずらすんだ。リハーサルにはもってこいだ。極めてセンター試験の構造と似ている!!」
「大丈夫ですか?」
「もちろん!危険な兆候がでたらその瞬間中止するさ。」
「でも、その日はみんな時間に注目してますし、起きてますよ。危険です。」
「大丈夫だ。旧暦を基準にしている国は結構ある。そこはそんなに盛り上がっていなく、普通の日々になっている。彼らの時間を頂くんだよ。」
「興奮しますねー。」
「あー、精神的勃起だな。」
そしてリハーサルの作戦を練り始めた。

数日後。マンションに戻って武田はボーっとテレビを見ていた。
『年末は、やたらと特番が多いね。締りが無くてつまらんわ。』
武田は自宅でテレビを惰性的に着けていた。音がないよりはいい、そう思っているだけだ。自宅は研究所から歩いて一0分程のマンションだ。午後一九時00。ようやく落ち着いた頃だった。シャワーをした髪もようやく乾いてきた。今日までリハーサルの為に三0時間通しで業務を続けた。シュミレーションとプログラムにとにかく明け暮れた。そもそも武田と鈴木の二人は職人気質なのか、籠って何かをすることが多く、さらにそれを何とも思わない。そして設定がある程度完成し、ようやくのひと段落。帰宅。それが今だ。缶ビールを一本飲んだら、いつの間にか横になっていた。ボーッとしながら考える。
『・・・こんな生活でいいのか?もう三五歳だし。そういえば、自炊一回もしたことないな、ファーストフードばかりいくし・・・まあ、でも独身だからなー。独身で自炊でバランスいい奴なんて気持ち悪いし・・・。』
惰性的に着けている特番のテレビ番組からは今年の一0大ニュースが流れている。増税、クーデター等毎年のような話題と、死去、結婚等が伝えられている。そして。
「あ・・・。」
テレビでは「ナレッジリターンズ」の特集が放映されていた。今年の推定収入は二0億という試算が出ていた。特に、進学・受験に大きな人生の比重が置かれるとされる「中国」や「韓国」での被害が著しい。そして五位に日本が着ている。
「なーんだ、五位なんだ。一位か二位かと思っていたけど。」
その後、テレビにパネルが出てきた。ジャーナリストが説明をしていた。表は受験産業、教育産業の市場と「ナレッジリターンズ」市場の比較だった。つまりは不正市場占有率だった。すると、もっとも高い比率にあがっていたのは何と日本だった。
『こいつはひどい。』
二枚目のパネルが出た。そこには政府の対策案も出ていたが、たいした内容はなく、携帯持ち込みのチェック体制の強化、引き出しのない机の完備、手荷物検査の二重化、などでだった。
『まあ、でも不正して大学入っても仕方がないけどな。苦しむのは自分だし。それにしても、こういうの犯罪でやるとはね。よくやるわ。いい商売だぜ。』
武田はその後も、ボーっとテレビを見た。といよりテレビを無機質に眺めている、という感じに近い。
もうすぐ一年が終わる。放送されるワードも「今年はどんな一年でした?」ばかりだ。午後九時。武田は、一旦千葉の実家に帰ることにした。
『年末年始は、リハーサルで実家に帰れないからな。今のうちにたまには帰ろう。』
一泊用の軽装で地下鉄に飛び乗った。この時間の上り方面はすぐに座れた。地下鉄のシートの隅に座った。寄りかかれる特等席だ。約一時間半で実家ある駅には着く。武田は、携帯音楽プレーヤー取り出しを指で操作して聞き始めた。だが、一曲目のBメロ辺りで既に寝てしまった。

某局のFM放送が研究所には、流れていた。
『・・・回・・・紅白歌合戦!!』
華々しい入場の雰囲気がラジオからでもわかった。その後、審査員の紹介が続き、アイドル女性グループの曲が流れ始めた。
「・・・はじまりましたねー、今年はどっちが勝つんですかねー」
鈴木が少々高揚して言った。
「・・・エエ!!!本当にそんなの気にしてドキワクしている奴なんているんだ!!キモワル!!」
「ウチの実家では、毎年親戚揃って見ていましたからね。」
「そっかー、まあでも安心しろ。大丈夫だ。どっちが勝っても、ドローでも何でもお前の人生には一ミリの影響もない。」
「まあ、そうですが・・・。」
「いいから飯でも食っとけ。二二時から、準備に入る、各地のセッティング確認からだ。それまで、数時間は逆にゆっくりしていろ。今夜はタイムシェアリング・ハッピー・ニュー・イヤー・プレリリースさ。」
「タイトル長いですよ。予行演習でいいですよ・・・じゃあ先に何か食べてきますね・・・でも、大晦日に一人で食べるのって何かとっても寂しいなぁ・・・。」
「うっせーな、だったら駅で誰かナンパしたら?」
「一晩中空いていたら頑張りますけど・・・二二時でさよならじゃないですか。着いてくる方がおかしいですよ。」
「確かに。まあいいか、たまには二人で何か食うか。」
「そうしましょう。そうしましょう。」
二人は、研究所近くのとんかつ店に入った。「カツ」で「勝つ」というこれからのリハーサルの縁起を担ぐ意味もある。そういえば、二人とも今日はまともに食事をしていなかった。そのためか、「はい、ロースかつ定食です。いつもありがとうねー」とやさしい声で高齢の女性が運んできた瞬間に、二人は一気に黙々と食事を開始した。ライスお変わり自由なので、それぞれ三杯ずつ食べた。そして、一息着いて二人はまた研究所に戻った。徐々に緊張感を覚えてきた。

 ラジオで流れる歌合戦から毎年定番の出場者が毎年定番の歌を歌っているのが聞こえた。過剰な感情移入と、奇妙な程の声のブィブラートが視覚と聴覚にやたらと引っかかる。
「よし。あと五分で二二時だ。この地球で最初に元旦を迎えるのがキリバス共和国のクリスマス島だ。その次がトンガ、日本、オーストラリア・・・地球の一時間単位の時差に合わせる。」
「うわー緊張・・・。」
二人の前には、一二台のパソコンのモニターがあった。それぞれの画面が二つに分かれている。一時間毎に都市にパソコンでスカイプセキュリティケーブルを引いている。右からキリバス、トンガ、日本(渋谷)、オーストラリア、香港、という形で西側へ向かいその緯度を代表する都市の繁華街が写っている。もちろんプログラムの実行とモニタリング、その実行確認のための配備だ。
二人は最終のチェックに余念がない。
あと一0秒で二二時になる。リハーサルの開始だ。

武田がキーボードのエンター・キーを押した。そして、一気に事務所のサーバー、各パソコンが稼働する。各機器のファンか周り音がした。
「・・・よし、スタートだ。まず、これから三一日の大晦日に入る深夜のニューヨーク刑務所五0人の一時間をキリバスの五00人に六分のタイムシェアをする。0時00分~一時00分を一時間六分にする。各都市・地域の電波時計の時間繰上係数を変えるんだ。」
「了解です。アメリカ大西洋岸標準時刻の電波時計の設定を五四分で一時間にし、その差となる六分を、アジアオセアニア地区の一時間に内包させ、一時間六分で一時間になるように変更をかけます。」
「やるじゃん。でもいつもの掛け声はないの?」
と武田がノリノリで言った。
「もちろんいきますよ。タイムシェアリング実行します。ニューヨーク刑務所の服役者の睡眠時間の一部を他の地区をシェアします。」
少々の沈黙。モニターに対象地区が移る、グーグルのストリート・ライブ・ビューアで確認する。そして日本時間の0時に、武田は、同様のことをアメリカのテキサスの中央標準時刻の孤児院施設と、その時、富士山に登山している四00人とで同係数の演算でタイムシェアリングを実行した。そして、韓国ソウルとメキシコシティ、タイとカリフォルニア・サンディエゴと、それぞれ軸をスライドしていく。
「OK。順調だ。モニターでも、混乱はないな。次は?」
「次はインドのニューデリーでいきます。」
「OK。ここで同時に六都市の起動となるわけか。よし続けて実行だ・・・。」
武田は第一0起動パソコンの操作に入った。だが、その手が止まった。事務所の各機のファンの音がより高音を奏でた。
「・・・ボス、どうしました。こちらに反映データが来ませんが?インド側で何か反応が・・・。」
「ちょっと待て、一端リセットだ。どうもおかしい。」
武田のPCの動作が突然止まった。モニターも固まっている。
「そっちは?」
と武田。
「こっちも画面が切り替わりません・・・今、エラーがでました。」
「よし、一端全て止めよう。オール解除だ。」
「はい。」
「ちょっと休憩しようか。言い忘れてた。あめましておめでとう。今年もよろしくな。いい一年にしような。」
「こちらこそ、今年もよろしくお願いします。ボス。」
『なんだろう。プログラムと設定は完璧なはずだ。操作か?』

武田と鈴木は一台ずつパソコンを調べ始めた。ルーター周り、サーバー関連、パソコンと全て洗い出す。どこにどんな問題があるのだろうか。ラジオからは、『今年はこれが来る!!』という妙な番組が流れている。内容は陳腐だ。単に事務所が無音よりはいい、という位の意味しか二人にはしかない。二人が手を止めた。
「わからんな。」
「ハード関連は、問題ないみたいですね。」
「原因がわからない程厄介なことはないな。」
「こういう時はあんまり深く考えない方がいいですよ。」
「そうだな。かえってわからないスパイラルに陥るからね。」
「そうです。『原因不明なんてない』が口癖ですから、ボスは。」
「そうだな。もう一度頭を冷静にしようか。」
元旦の深夜三時00分を超えていた。濃い目のコーヒーを入れて二人は同時に飲んだ。
カップをデスクに置いた。一息して武田が再びにパソコンに向かった。システム制御時の状況を再度チェックしてみた。
「そういうことね。鈴木ちゃん。ありがとう。わかったよ。単に、リソース不足だったわ。容量は足りているけど、同時にシステムが稼働した先、強力な負荷がサーバーにかかったみたいね。ニューデリー実行時のタスク・マネージャーを確認してよ。」
鈴木がパソコンに触り、さっきの状況の履歴を確認した。そして、頭を抱える。
「リソース九九.七%だ。これじゃあ固まってしまいますね。そういうことですね。きびしいなぁ。」
「そうだな。とりあえず・・・とんだ初日の出になりそうね。いい歳にしようぜ」
「ボスは今年中に結婚でもしてください。」
「誰と?」
「それは自分で探してください。」

二人は、その後六時まで原因を調べた。原因は、単純だった。単に当時に同様のコマンドが、各システムを追いに行ったことによる動作容量不足だった。そして対策は簡単だった。
「サーバー買うの?買いたくねぇな。」
「仕方ないですよ。」
「だって、この負荷に耐えられる台数だと、最低もう四台必要だろう。でもって、あれこれソフトいれたら二00万円位かかるんだぜ。もっと今の動作を軽くして、耐えられるように出来ないのかよ。」
「ある程度の軽減が出来たとしても、サーバー四台分相当の軽減なんて出来ませんよ。もし出来ていたらとっくにやっています。仕方ないですよ。これが終われば、ガッポリいけますよ。ドッカリとすわって、ドンペリ・ピッチャーですよ。」
「お前会社の金と思って気軽に言ってくれるのね・・・でも、この年末年始にOPENしている電気屋なんて最近はないよね。」
「そうですね。五日頃購入、その後セッティングして、テストしてか・・・プログラムを移して、さらに動作チェック・・・時間的に厳しいですね。」
「まあ、そういうなよ。容量だけの問題ということがわかっただけでハッピーさ。プログラム設定上、システム上は問題なかったんだ。ただバケツが足りなかっただけだよ。」
すぐに武田は、企業業務用総合商社のECサイトへアクセスした。ここのサイトは法人向けのOA機器が他より断然安い。
「うわ、やっぱり高い!!・・・畜生・・仕方ないから発注しよう!!・・・えーいクリックだ。勇気あるクリック!!・・・そしてこの瞬間に会社資金がそこを尽きてしまったのであったー・・・。これうまくいかなかったら倒産だっぺ。」
「本当ですか?」
「リアリー。これで会社の口座には八万円しか現金が無くなったのであーる。」
「購入してもしなくても時間の問題じゃないですかー。」
新年を迎えようやく世の中が動き出した五日頃、二人は研究所にいた。サーバーが、今日納品されたのだ。二人は黙々と初期設定と接続、他のシステムからの設定のコピーを新サーバーに一台ずつ、貼り付けていく。
「ボス、これ意外と時間かかりますね。」
「仕方ないわなー。」
「コピーって厄介ですよね。同時にコピー、貼り付けしたら、処理時間も半分になるわけで決して早くならないんですよねー。」
「ちっちゃいこと言うね。違う違う。ただ待っている、っていう発想がおかしいんだよ。四台同時にコピー、貼り付けで、大量の処理時間を一括させ・・・あえて時間をまとめて、その時間を活かせばいいんだよ。そういうわけで、一気にコピー・貼り付けして飯だ。飯食おう!!」
二人は、大晦日にいったとんかつ屋に再び言った。もちろん、「カツ」=「勝つ」だ。二人はカツ丼の特盛しかも玉子二倍煮というオプションを注文した。一0分程してカツ丼が運ばれてきた。蓋をあけると湯気が二人の前に立ち上る。
「うわぁー。テンション上がりますね。」
「うわぁー。スーパー旨そう。」
そしていつものように、二人は無言で一気に食べ出した。一0分程で完食した。そして、コーヒーを飲む。
「カツ丼考えた奴って天才だな。豚肉のソテーとかでは飽き足らず、さらにカツとして揚げて・・・とんかつ定食では満足せずさらに出汁で煮込む。いいか!!揚げたものを煮込むんだぞ。これはすごい自己否定だ。サクサク感を犠牲にしているんだぞ・・・これは職人のプライドをズタズタにするものだ。そして、そこに溶き卵イン!!これでサヨナラ勝ちな訳だよ。さらにこれを白米の上に載せるなんて、実にセンスがいい。実にいい。この全てのバランスが頂点に達したのがザッツ・カツ丼なのだ。」
「もういいですよ。」
「しかもここの店のすごいところは、出汁がまんべんなく白米にかかっているということだ。普通は、カツ煮をご飯にスライドする時に、確度が急になり過ぎで、左右一方に煮汁が偏るという恐るべき事実がよくある。しかしこの店は違うのだ。」
「もういいですよ。」
「そして隠れヒーローがこの秀逸な米だ。旨く煮汁を吸収できるように少々固めに炊いてある。貴様はそこに気付いたのか!!!!」
武田はいよいよ自分の言葉に興奮をしてきた。
「貴様はこの素晴らしい事実が集約された一杯にそこまでの感慨を込めて食べたのか!!!」
「もういいですよ。」
「一体どうなんだ!!」
うざい上司の典型的な姿がそこにはあった。


いよいよセンター試験の当日になった。この日は受験生にはあいにくのこの冬一番の全国的な大雪となった。東京では明け方までの雨が雪に変わり、都心でも五センチの積雪が観測された。これに首都圏の各交通機関が悲鳴を上げた。特に都心は雪に弱い。全国一斉のセンター試験の会場も開始時間の延期、調整を踏まえ大きく混乱していた。
武田と鈴木の二人は、万全の体制を整えて午前七時からデスクに着いていた。FMから流れる交通情報が二人の耳に入ってくる。
「ボス。大変ですねー受験生は。僕も六年前を思い出しますよー。」
「あー、俺もそうだったなー。雪でね。ニュースで『受験生は滑らないようにしてほしいですね』とか良く言っていたなー。オレの試験会場だった吉祥寺なんてよー。雪の影響ででJRが遅れてさ。試験が九0分遅れになったんだよー。ビビったなー!!懐かしいぜー!!しかもそんな日に限って、俺はすごく開始時間前に着いちゃってやることなくてね・・・。」
武田と鈴木がそういっている途中で二人は無言になった。研究所が一寸静まり返る。
「やばい!!試験時間の変更があるかもー。」
「ということはタイムシェアリング・セッティングとスケジュールの変更が・・・?」
「そういうこと。大ピーンチ!!ネットに試験時間変更の発表があるはずだ。全国各地区チェックだ。情報も次々に変わるぞ。その都度、設定の変更だ。やばいなー。いきなりこれかよ?」
二人は全国の試験会場データを集約した。
「畜生間に合うか―!!あと一時間じゃないか。」
「やるしかありません!!」
「確かにな。でもいいねー、この土壇場のパニックは。いかにも今回のミッションの偉大さと比例しているわ。高額報酬待ってろよ。これがないと倒産なんだ!!」
その時、武田の携帯が震えた。
「携帯もブルッてるねー。」
そしてスマートフォンを押す。
「はい。大ピンチ社長の武田でーす。」
「袴田です。おはようございます。」
「電話そろそろ来ると思ってましたよ。おはようございます。」
「そうですか。ところで、もうお分かりかと思いますが、大丈夫ですか。何だか豪雪のようで。」
「もちろん大丈夫ですよ。天気予報も含めて設定していますから。ご安心して下さい。ではちょっと立て込んでますので失礼しまーす!!」
武田は電話を切った。
「ボス、もともと予想していたんですか?」
と鈴木。
「・・・いうな、それ以上は。俺にウェザー・シェアリングの技術はない。」

危惧していた通りだった。約一0分で各地域の豪雪のための試験時間変更情報が二人に集まった。東京二三区内の試験会場では、試験開始時間が雪の影響で変更するという発表が相次いでいた。しかもバラバラのタイミングだ。六0分毎に後ろ倒し。九0分毎の後ろ倒しスケジュールなど、地域によってバラバラだった。
『これは参ったな、「ナレッジリターンズ」にとってはありがたい展開になった訳だ。受験生からの回答依頼は、回答の進行で同じ頃に押し寄せるのが通年のはず。だが、今年は試験時間が変わってくる。一度にどれだけ依頼をさばくか、ではなく、回答依頼が複数にわたってくるチャンスが来るわけだ。逆に十何に対応できる。』
武田は、センター試験の時間割が書いてある文部科学省のホームページを見た。全国の私立大学、国立大学の共通試験がこの一日に集約される。勝負は、この一日なのだ。

主な時間割スケジュールが確定された。内容はこうだ。
① 国語 九時00分~ 地区により、九時四0~分 一0時00分~開始。
② 社会科 一0時四0分~ 地区により一一時二0分~ 一一時四0分~開始。
③ 数学 一二時二0分~ 地区により 一三時00分~ 一三時二0分~開始。
④ 一時間休 各試験スケジュール毎
⑤ その後、英語、理科の選択科目となり、午前中の通りに予定をスライド。
⑥ 一部小論文(主に文系)

これが主な試験科目とそのスケジュールだ。それらに対して武田と鈴木の予測はこうだ。彼らも受験を経験してきているので何となく科目の感覚は残っている。そして二人の予想がこれだ。

・ 国語は、問題に対して依頼する文章が長いため不正は難しい。唯一国語で不正し易いのが、最初の設問の漢字問題だろう。よって、国語は、最初の漢字にタイムシェアリングを集中させる予定にする。後半の注意は古文の単語問題とする。

・ 社会(主に日本史/世界史)科目。ここは、暗記問題が中心なので、もっとも重点スライド科目として、タイムシェアリングを随時実行予定。

・ 数学は、基本的に計算機持ち込み可なので問題なし。問題は、後半の微分積分と証明問題。ここは、問題そのものが、何らかの形で写メされる可能性が高い。問題への回答は、過程表記がなくても回答のみで点が入る仕組みだ。公式・証明が全て回答できれば高得点となる。ここが今回、回答依頼が集中すると予測されるタイムシェアリングの中核領域だろう。

・ 午後の英語の最大の課題は、以下の二つだろう。長文関連は、国語同様ナレッジリターンズに回答依頼し難いので、回答依頼は英単語の設問・文法の設問が中心となるだろう。

・ そして最大警戒の選択科目が理科だ。化学、物理、生物ともに、法則への公式・証明、暗記に関する記号問題がある。設問もシンプルで長文もなく、一問毎に得点が高いものが多い。ここは例年不正の温床となるらしい。特に、物理は、問題数が少なく、方程式、証明作業が多く、回答依頼が殺到するらしい。ここはタイムシェアリングのポイントになる。しかも問題も写メしやすいのだ。

・ 最後の小論文は対象外とする。

これが、武田と鈴木が相談した結果の見解だ。これらのポイントで、タイミングよく対象毎に時間係数を変え、タイムシェアリングを実行し、不正回答依頼と回答タイミングをずらせばいいのだ。そして、豪雪による試験開始時間変更の予定が最終確定した。
・九時00分開始試験会場A(当初の予定通り)
・九時四0分開始の一次遅延開始時間会場B(以降四0分ずつの試験科目を繰り下げる)
・一0時00分開始の二次遅延開始時間会場C(以降六0分ずつの試験科目を繰り下げる)
各会場にそれぞれA、B、Cとマーキングがされていった。

試験スケジュールは思ったよりもシンプルに三パターンでまとまった。しかし、A会場の回答依頼で、B会場、C会場からの回答依頼も『ナレッジリターンズ』が予想できてしまう。いずれにしても厄介だ。
だが、この情報を確認した武田は、安堵の表情を浮かべた。
『よし、これは運がいい。新規設定はなしで、会場毎のチァイムの都合に合わせている。対象箇所の種別の振り分けで済む。』
武田は能裏でガッツポーズをした。
『いけるぞ。』
あとは『ナレッジリターンズ』の妨害だけだ。こればかりは予想がつかない・・・。

綿密な携帯・身体チェックを終えた全国の受験生がいよいよ会場にぞろぞろと入りだした。全国の不安げな若者の表情が各地の会場で移動をしているのだ。国語の時間が刻々と迫る。問題は漢字だ。しかし、漢字と一口にいっても容易ではない。『ナレッジリターンズ』に依頼するパターンは主に二つに分かれる。ひとつは、『わからない設問毎に依頼をかける』パターンと『一通り問題を終えた後、わからないものを一気に依頼する』パターンの二つがあるらしい。武田は、過去五年分のセンター試験の内容を調べ、今年の傾向を予測した。その結果、漢字の問題は、いきなり冒頭に来るか、読解問題の文章に罫線があり、それぞれの最後にその漢字を書かせる、読ませるといったいずれかだった。
『このパターンは変わらないだろう。』
事前に袴田から問題が貰えればいいのだが、所轄が異なるので難しいという回答があった。センター試験は文部科学省、国家公安委員会は警察庁の所属だ。また、この極秘裏なミッションの内容と、問題の漏れ防止に全精力を注ぐ文部科学省からの事前の問題入手は難しかったらしい。確かに理由に困るだろう。

各科目については、それぞれ一0~二0分のタイムシェアリングの設定パターンを組んだ。どう依頼され、どう応えるか、そのパターンまで全て考えたのだ。
「あと五分で国語が開始です。」
モニターを見て鈴木がいう。武田が頷く。
『なめるなよ。当時の俺だって、試験全科目で全国ぶっちぎりのトップだったんだ。不正をする受験生の依頼する内容、それを受ける人間と指示する人間の考えることなんて予想がつくぜ。』
「よし、いよいよ開始だ。九時開始のAグループ。最初に漢字の設問を想定してタイムシェアリングの実行だ。万が一、最初に漢字じゃなかったら、最初は長文読解のはず、多少ずらしても受験生は夢中で本文を読む。その場合はいきなり回答依頼はできない。ありがたい教科だ。予想が外れても後で調整できる。問題がわからなくてもパターンでいけば、必ず俺たちは勝てる。」
「了解です。・・・緊張しますね。」
「そうだな、確かにしびれるな。」
「いよいよです・・・では、タイムシェアリング実行します。対象はセンター試験Aグループ会場の受験生。対象地区は日本全国。タイムシェア供給地区は世界各地。時間演算係数を変更します。」

午前九時。センター試験Aグループ会場の試験が開始となり、その後Bグループ、Cグループと随時開始となった。一体『ナレッジリターンズ』は、何処で体制を作っているのか?どういう組織なのか・・・。武田は頭のどこかで常に考えていた。
『何が何でも合格させる、か・・・昔家庭教師やってた友人がよく言っていたな・・・。』
試験開始から二0分が経つ。
「Aグループ試験会場開始二0分経過。どうだ。漢字でも、長文でも次のパターンに移行する時だが。」
「順調です。九時開始冒頭で時間係数の速度を落としました。今頃ナレッジは、依頼がこなくて混乱しているはずです。」
「よし。二0分時点の容量は?」
「一科目目の冒頭、最初のタイムシェア実行で、タスク・マネジャー稼働率は九%です。さすが、二00万円ですね。」
「タイムシェア対象者は?」
「こちらも予定通りです。タイムシェア対象は、日大系列の修学旅行生です。カリフォルニアのオレンジカウンティ―で現在深夜四時00分前後です。」
「了解。寝ているという証拠は?」
「GPSの過去一ヵ月の経歴から安定睡眠と判断される熟睡型をピックアップしました。同様に、カリフォルニアの刑務所からも四000人規模。南米の中産階級以下、日産工場の勤務の第二パターン、及び、ヤマハ発動機工場の第三勤務シフトより、それぞれ、一時間ずつずらしました。」
「で、受験生には、二0分ずつの分配で、予定通りか?」
「はい。万事今のところ順調です」
「よし、次は九時四0分組Bパターンだな」
「はい。問題は、九時四0分と一0時00分の全てが動いた時の容量ですね。」
「よし気を抜くなよ。お互いに。」
再び武田と鈴木はモニターに釘付けとなった。そして武田は独り言のようにモニターに向かって口を開いた。
「努力した人間が報われる、そんな社会を守らないとな。じゃないと、世の中がおかしくなる。向上心がなくなったら、生きている意味がなくなる。これを絶対守らなければならない。」

午前中は、想定が大凡当り大きな問題はなく終わった。
「ミッション実行度・・・四0%といったところだね。」
「そうですね。思ったより何事もなくいってますねー。あっという間にお昼ですよ」
「確かに・・・。でも逆に不安だな。」
「不安?」
「あー、うまく行きすぎているんだ。だってよ。相手は毎年二0億円規模の集団だ。こちらは、残高八万円。すんなり行く訳ないだろう。」
「まあ、資金繰りでいえば・・・うまく行く訳ないですね。」
「うん。まあ、一例だけどな。ここまではいいんだよ。うん。問題はここからだ。奴らがすんなりこのまま黙っている訳ないだろう。きっと午前中で何かに気が付いたはずだ。『おかしい』ってね。」
「そうですね。問題の依頼と回答の時間のズレがあるので、依頼者が質問しても、回答にやたら時間がかかる。仮に依頼の回答をうけても、それを記入するには、他の問題にとっかかっていてタイミングがずれる。もう大混乱ですからね。」
「そういうこと。そんな混乱があれば、まじめに一問ずつしっかりやっている奴が俄然有利になるって奴さ。」
「そうですね。」
「うん、でもなー。ここからなんだよ、ここから。念のため、トラブル対策用に、ダブルセッティング、トリプルセッティングは構えているけど。まあ、警戒しとこう。」
「はい。」
「彼らは二0億円といっているけど、毎月売上が二億円前後あるわけじゃない。試験時期に集中して稼ぐわけだ。つまりこの一日が最高の稼ぎ時なんだ。血相を変えてくるに違いない。」
鈴木が息をのんだ。そして、何回かひとりで頷いている。
「そうですね。確かにこのまま終わると思わない方がいいですね。」
「まあ、やられたらやり返す、モグラ叩き戦法しかない。さて、今日唯一ホッとできる一番対象の多いAグループの昼休憩時間だ。午後のために随時休憩しよう。」
「はい。お腹すいたので何か食べますね。長寿庵にしますよ。馴染みが一番。ホッとリラックスできます。」
「おう。俺、かつ丼とミニたぬき蕎麦のセットね。」
「あ、とられた。じゃあ僕は、カレーうどんとミニカレーのセットにしよっと。」
「お前、カレーにカレーか?」
「はい。こういうトリッキーな一日は、トリッキーな注文がいいかなって。」
「いいねー。オレもそうしよう・・・じゃあ・・・天ぷらそばとミニ天丼のセットで。」
「やりますねー。じゃあ電話しますねー。」
「うん、頼むわ。」
鈴木は携帯をとった。少々注文電話が長くなった。
「どしたのよ。」
「何度も注文の確認するですよ。カレーにカレーですか?天ぷらに天ぷらですかーって。あーもう無駄に疲れました。」

午後の科目である英語と理科の選択科目が始まった。
二人は予定通りタイムシェアリングを開始した。
「予定通りです。英単語の設問からでしょうね。その後ヒアリングですから、時間的に少々タメがあります。」
「よし。」
そして、鈴木はそのまま英語の豪雪による開始時間が遅れている地区のタイムシェアに入った。同時に武田は、最大の難関といわれる理科の準備の最終チェックを始めた。化学・物理・生物の三パターンで設問のパターンが異なる。しかも、設問のパターンもまるで違う。全く異なるパターンが同時に走るのだ。つまり五0万人の三倍のタイムシェアリング設定パターンが実行されなければならないのだ。
「そっちはどうですか。」
「今のところ大丈夫だ。この理科さえ終われば、ドンペリの一斗缶だぜ。」
「僕あれからいろいろと思ったんですけど・・・ドンペリは、普通の瓶でいいですよー。」
「お前、そこまで本気で期待してたのか?」
「もっちろん!!」
二人の表情にも少しずつ余裕が出てきた。そして豪雪地区の英語の開始もようやく終了を迎える。
「・・・ボス。なんか変です。」
「何が。」
「タスク・マネージャー表示は現在六二%レベルですが、動作が・・・何か動作がつっかえます・・・。おかしいです。」
「何だって?」
武田が鈴木のデスクに駆け寄った。そしてそのパソコンから、各設定を武田自身が再度送った。
「・・・確かに、今動きが一回シンクロしたな・・・一部ロックも見られる・・・。ん、これは・・・、この症状の記述はどっかで・・・。」
武田はその手を止めた。
そして、自分の個人用のIPadをチェックした。しばらく無言になる。そして、IPadの画面上で人差し指を次々と動かす。
「・・・これだ。」

そこには、新種のウイルスの記事があった。一見容量負荷のような症状だが、容量不足ではない。そして、クリックする毎に次第にロックしていく。新しいウイルスパターンだ。最近このウイルスが業界を席巻したニュースは記憶に新しい。つまり、どこかを破壊するのではなく、その時に一時的にそのパソコンを使わせない、というスポットウイルスだった。その名も「STOP IT」
「来たなー。反撃か!そうこなくっちゃな。何が『知の集団』だ。オーソドックスな手で来やがって。」
「どどどど、どうしますかー。」
「・・・けっ、バカな連中だぜ、想定済みだ。」
「そうなんですか?」
「あー、第15パソコンの右下ショットカットのフォルダをあけてセットアップだ。設定を更新しろ。俺が誰かに妨害されたとしたら、まずは、この新種ウイルスの『STOP IT』を使うからな。でもなー。向こうから見て、この試験に何かしらの妨害者がいる、そう判断したこと、そのことを掴んだことは、確かに『知の集団』と言えるかもなー。でもね。俺が七九時間籠って作った対策ソフトで一気に防御壁ができる。」
「了解です。指示通り更新作業に入りました・・・でも、でも時間が。全ファイルを更新するのに時間がかかります。」
「何分だ。」
「一サーバーの更新作業で五分です。計二0分前後です。」
「次の理科の開始時刻までは?」
「あと二0分です。」
「仕方ない。英語の残り時間は捨てよう。理科については、試験開始二0分後からのスタートでいく。物理の場合は回答に入るまでに時間を要する。つまりは依頼にも時間がかかるってことさ。」
「ならいいですけど。」
「問題はここからさ。奴らがここの異常指示の場所、IPを掴んだということだからな。警戒しないとな。」
「はい。」
「畜生。嫌な予感がするぜ。」
更新ファイルが画面上で設定ファイルを送り続けている。
「じれったいねー。」

 英語の試験が各会場で終了となった。いよいよ最大の課題科目の理科が始まる。二人にもナレッジにも重要な局面だ。そして、ファイル更新が終了する前に試験が始まった。
「ボス、すみません。ようやく更新作業完了です。物理の時間開始七分後ですが、早速タイムシェアに入ります。」
「オーケイ。」
「では、通常時刻での試験地区に対して実行を開始します」
「急げ。」
「理科のタイムシェアリングを開始します!!」
「よし、いけ!!」
鈴木は設定を実行した。そして一分後のタイムシェアリングのコマンドが作動する。
「ふー、危ないねぇなー。」
武田が額に滲んだ汗を右手の甲で拭った。その時だった。バチっという音とも共に、研究所が暗くなった。日中だが、地下の事務所なので全てが暗くなる。
「なんだー?」
「停電?停電ですか?」
「ブレーカーじゃないか?サーバー追加・増強したし、暖房ガンガンだし。」
鈴木が、事務所の奥のトイレの上にあるブレーカーまで、真っ暗な中をスマートフォンの明かりを頼りに近づいていった。
「ボスゥー!!ブレーカーは上がったままです。」
「オーケイ。察しがついたよ。戻ってきな。」
鈴木が戻ってきた。
「今携帯でニュースみているけど『原因不明の停電発生、地区は都内各地』だってよ。」
「何でですかねー。」
「決まってんだろ、あいつらだ。」
「マジっすか。」
「ついに強行手段といったところだな。一つ目は、試験そのものをスライドさせ仕切り直す、二つ目は、俺らの作業をさせない、しか考えられないだろ。アジアの新興国じゃないんだ。いきなり停電なんて今の日本じゃ考えられない。」
そして、研究所の各サーバーが同時にシャットダウンしていった。指令等のパソコンの一台だけが、緊急用バッテリーで動いている。
「やばいですよ。試験会場は大混乱です。その中、依頼する携帯端末だけは生きているわけでしょ。これじゃ完全にやられます。」
「まあまあ、気にするな。」
武田はライターの火を頼りに事務所の倉庫まで歩いた。
「よっこらせっと。」
そこには巨大な赤い色をした金属のケースがあった。
「なんですかー。」
「この日のために買いだめした充電バッチリのバッテリー&発電機でござる!!」
「いつの間に。」
「あらゆる状況を考えてまっせ。何か嫌な予感してたからね。」
「このバッテリー。高いんですか―。」
「いやいや、六万円程ですよ。チョロイチョロイ。リサイクル業者から倒産した会社のものを譲ってもらったのさ。」
「不吉ですね・・・ということは今の会社の現金残高は?」
「イェス、実はバッテリー購入で残り二万円なりぃ。」
「・・・・・・。」
「まあまあ、そんな涙目にならないならない。残り二00万円も二万円も変わらんさー。では接続開始だ。バカめ、俺たちに抜け目はない。」
「そしてお金もない。」
「うるせー。」
「そうだ!!こんなノロノロやり取りしてる場合じゃないですね。試験中でした。」
「そうね。でも平気平気、大丈夫大丈夫。俺たち以上に試験会場の方がパニックさ。作戦通りだー、掛かったなー。何かあったら停電を起こす。下級のテロリストの常套手段さ。おバカな人たちだよ。これでテストは終了だよ。」
確かにそうだった。東京地区の会場はパニック状態だった。受験生の六0%が東京会場での試験だった。よって、人数的にもそのインパクトが大きくないはずはない。
「連中は、試験そのものを破壊して、違う日に変更させたいのさー。東京地区の受験生が全国の六0%。主要大学は七0%だからね。」
「何言っているんですか。スライドになったら・・・。」
「スライドにはならないよ。英語までは試験が終わっているんだ。一からやり直す方が異常だよ。大丈夫。ちゃんと手は打っているからさ。あいつら墓穴を掘ったねー。他の四科目は終わっているんだ。全てがやり直しにはなる訳ないじゃん。それにぃ。」
「それに?」
「バックには国がいるもーん!!」

試験は、理科(化学・物理・生物)で大混乱となった。そこで停電が発生し、そのまま強制的に試験が終了となった。文部科学省からはこの異例の事態に対し、報告発表が翌日に行われた。
『・・・回、センター試験に関しての発表を致します。』
文部科学大臣が、国会記者席で発言をしていた。
武田はすでに研究所で鈴木とビールを飲んでいた。
「どういう発表をするんでしょうか?」
「安心しろ。ミッションは無事終了だ。もっと早く飲もうぜー!!」
記者会見が続く。
『・・・昨日のセンター試験は豪雪により、一部地域、特に首都圏で試験時間が複数発生するという混乱が発生しました・・・しかし、試験は、午前中の国語、数学、社会、そして午後の英語までは、豪雪という混乱はありましたが、滞りなく終了しました。ですが、残りの理科の試験開始から三0分前後、都内で大規模な停電が発生しました。一部地域では、受験生が大変な混乱に見舞われました・・・原因については、各電力会社を中心に調べております・・・。』
グビグビとビールを飲み続ける武田。そして、タバコに火をつけてスーッと息を吸う。そして吐き出す。白い煙が天井を漂う。テレビに映る記者会見では、文部科学大臣の隣に一人の男が座っていた。国家公安委員長の袴田だった。彼が口を開く。同時に武田も声を上げた。二人がテレビと至近距離で同時に話をはじめた。
『この度の停電は、一部のテロリストによる行為だと判断しました。その結果、文科省との協議の末、豪雪の混乱はありましたが順調に行われた四科目については、そのままやり直しをせず、結果は正しい試験結果とし、その点数を決定とします。また・・・。』
武田は鈴木を見ながら、両手でVサインをする。さらに続けた。
『・・・理科の結果については、三四分までの開始時間と回答率を反映の上、以降行われる試験に加点し総合点をもって受験生の点数とします。よって昨日のセンター試験の結果は正式な結果とすることを本日決定しました・・・。』
記者からどよめきがおこった。
「じゃあ、理科を得意とする受験生はどうなるんですか。」
袴田はその質問に明確に回答をした。
『理科を得意とする受験生は、主に理数系希望の受験生と推測されます。よって、今回のセンター試験の結果は、文系、理系の受験生を分けて、それぞれの上位の一定のパーセントを加点して、足きりラインを決定します。文系、理系を同率で見ることは避け、理系は理系希望者内での正解率を出して加点します。科目の得意不得意については、今年度のこまでの模擬試験の結果の0.七五倍の加点を加えていきます。これで、公平に極めて近くなると判断します。これを国家公安委員会、文部科学省としての最終決定とします・・・。』
記者たちは黙った。明確な回答とその気迫に。記者も質問できないような雰囲気だった。『それでは、センター試験に関する会見を終了します・・・。』
簡単に言えば、『知の集団=ナレッジ・リターンズ』の不正行為は、武田・鈴木の妨害が原因で、ほとんど機能しなかった。二人の妨害行為により試験は無事に乗り切ったのだ。その意味で、このミッションは見事なまでに成功したといっていい。武田・鈴木コンビのミッションは無事に事無きを得たのであった。
テレビの会見の模様を見ていた武田が言った。
「どうよー。このミッションは完全遂行が焦点ではなく、試験をどんな形であれ成立させるところにまで持ち込めるか、が一番大切なところだったのさ。だから、午前中乗り切った瞬間に決まったなー、と思ったね。後は依頼人である政府側がセンター試験成立への後押しをしてくれればそれでいい。最初から分かっていたよ。袴田さんが最終的にはバックアップしてくれるはずだとね。」
「もう。だったら最初から言って下さいよ。」
「念には念だろ。敵を騙すには味方からってね。ハハハ、ごめんちゃい。」
武田がそう言った時だった。研究所の扉が突然開いた。びっくりして二人は扉の方向に振り向いた。
「何舞い上がっているんですか―。お二人とも。」
開いた扉の先、そこには袴田がいた。
「エエー、今テレビに出てたのに!!」
「何をいっているんですかー。国会からここまで、車で飛ばせば一0分ですよ。」
「まあねー」
と武田。
「今回は実に見事なミッションの遂行でした。日本を代表してお礼を申し上げます。」
「イャッホー。ドンペリドンペリ、ピッチャー、ピッチャー」
武田が完全に狂い始めた。
「ドンペリ?ピッチャー?」
鈴木がすかさず間に入る。
「いやいやいや無視してください。この人風邪薬の飲み過ぎでビール飲んでちょと酩酊状態でして・・・。」
「何だと鈴木、俺たちはドンペリの一気なりぃ・・・。」
「ボス、お許し下さい。」
といって鈴木が武田の鳩尾に一発パンチを放った。武田は崩れた。
「大丈夫ですか?」
と袴田。
「はぁー、ボスは・・・何だかんだ言ってもやっぱり、神経すり減らしていたんですね。元来。まじめな人ですから。『絶対に国の秩序を守る』って、デスクで寝てた時言っていましたから。」
袴田と鈴木の二人が武田を見つめた、よく見るとその口から泡が吹いている。
「ドン・ペリニヨン・・・。」
意味不明な独り言を言って、そのまま武田は眠ってしまった。それを見て袴田が口を開いた。
「鈴木さん、私も今は忙しいので今日はこれで失礼します。改めて今回はありがとうございました。で・・・報酬の件ですが。」
「はっはい!!」
「御社の規定通りでいいですか、タイムシェアの対象者同士のそれまでの時給単価差額ということで・・・。」
「はっはい!!もちろんです。請求は一括で袴田さんにお送りします。」
「あのー、本当にいいんですかー、契約書通りで。」
「はっはい、もちろんです。」
「わかりました。後で何を言ってもいけませんよ。」
「文句なんて、ナッシングです!」
「わかりました。御社の契約書の契約条項を順守します。」
「ああああ、ありがとうございます。」
「いえいえ、こちらこそありがとうございました。」
そして、袴田は振り返って帰ろうとした。しかし、もう一度振り向く。
「そうそう、念のため、二人とこの事務所を二か月間の間、保護観察下にしますね。」
「保護観察下?」
「はい、試験の後、入学金が入るまでの二か月間です。」
「は、はぁ、でももうそんな心配は・・・。」
「まあ、そう言わずに、この意味はこれからきっとわかりますよ。」
「これから・・・ですか?」
「はい。まあ、深く考えないでください。」
「でも、秘密はお互い漏れるはずは・・・。」
「はい。そこは一00%心配していません。信用していますよ。」
「だったら・・・。」
「もう一度いいます。あまり深く考えないでください。」
袴田はそういって研究所を出て行った。
「何か、あるのかな・・・。後味悪い。」
そう独り言を言った後、鈴木は武田の体を方を揺らした。
「ボス!!ボス!!!起きて下さい。大丈夫ですか。」
武田は既に寝ていた。深く深く。

タイムシェアリング株式会社。その初めての大型ミッションは完了した。
「ボス!!ボス!!!起きて下さい。大丈夫ですか―。」
鈴木の声が研究所に繰り返し響き渡った。

数日後のことだった。武田は、袴田が記者会見で言っていた内容から、今回のミッションの契約に関して報酬額の計算と確認作業をした。
「よしよしよし、ドンペリ一斗缶の計算をするぞー!!」
ノリノリで武田は気合が入っていた。ようやく緊張感から解放されて、昨日久々に深く睡眠がとれた。その後、武田はエクセルで報酬の為の時給演算を組んだ。興奮の中の一瞬の静寂。全ての設定が完了して報酬金額の為のエンター・キーを押した。
「ハウマッチ!!!」
武田はエンター・キーを押す。その二秒後だった。武田は椅子に座りながら後ろにひっくり返った。そして後頭部を打ちながら呟いた。
「ヒェー。死ぬぅ―。」
ひっくり返った武田のその口からは泡が吹いていた。
「どうしたんですかー。億単位ですかー。ビックリして気絶ですかー。」
鈴木が武田を抱き起しながら言った。そして武田のいじっていたモニターの画面を見た。そこには・・・。

『【受験生のこれまでの生涯獲得収入からの生涯獲得から時給単価】マイナス【修学旅行生のここまでの生涯獲得収入&刑務所生活者のこれまでの生涯単価】』=タイムシェア手数料=【マイナス二億八千万円】

鈴木もその場で倒れこんだ。
『ドンペリどころか、水すら飲めなくなるぅー』
・・・この時期受験をしている普通の学生はほぼ無報酬、そしてこの時期に海外で集団旅行をしているメンバーとのこれまでの獲得単価、また、タイムシェアをした刑務所の犯罪者もその大半は、犯罪時に巨額の金銭を獲得していた。つまり後者の方が圧倒的に収入が高額だったのだ。犯罪者の多くは、殺人か、大金獲得者だった。そのため、まだ一般の大学すら決まっていない受験生と、そこまでの獲得単価が大きく異なることは、当然といえば当然だった。
「ひぇーヒェー。ひぇーヒェー。ひぇーヒェー。ひぇーヒェー。」
二人は、泡を吹いて同時にその言葉を繰り返していた。

契約書にはこう書いてある。
『差額に関しては以下とする。甲が乙に対して、その差額をそれぞれ請求することを原則とする。その際の利用者の単価については、双方の意思に関わらず、その時の経済環境、生産状況を基準とする。甲の差額については、全額作業量として請求できるが、依頼事項の処理に関して、甲が乙に対してその単価の損失を被れば、差額はすべて保証されるものとする。』

「死んだ、死んだ・・・。」

一週間後、タイムシェアリング株式会社の口座に、謎の名義人から突然二億八千万円が振り込まれていた。これを二人は袴田の口座にそのまま振り込む。今回のミッションの収支はトントンとなった。契約書にはさらにこう書いてあった。
『依頼事項の重要性が、甲乙の利害に関わりなく、社会的な行為の場合について、双方の損失が出た際は、甲と乙が負担しなければならない』
契約事項が威力を発したのだ。しかし、研究所の資金は、すでに二万円しかない。もうすぐ月末の支払いも近い。
「ボスゥー。」
「それ以上言うな。」
「やってらんないですよー。」
「気にするな。いいバイトがある。しばらくは耐えがたきを耐えましょう。」
「・・・泣けますね。」
「オレの枕はここ一週間は乾かないな・・・」
二人の初めての一大ミッションが終了した。二ヵ月の保護観察処理による監視・・・どうも引っ掛かったが、『ナレッジ・リターンズ』の崩壊へ向けて追い詰めることができたことは明らかだった。そして、これは同時に彼らの会社的な信用度を大きく高めることとなった。
「タイムシェアリング株式会社・・・倒産確率一00%なりぃ。」
武田が涙目で言った。













タイムシェアリング株式会社-三(了)

世界は三六五日で一年が変わる。しかし三六六日で一年が変わる日がある。それが閏年だ。四年に一度の二月二九日の発生がそれにあたる。だが何故二月二八日で調整が二九日なのか。そもそも、他の月には三一日というのがある。翌月の三月は三一日まで固定であるのだ。これを基本的に三0日にして三一日がない歳を作った方がそもそも不公平感がないし納得がいく。二月を三0日にして、三月を三0日にした方が釣り合うはず、誰もが一度は思ったはずだ。
この閏年の起源をみてみよう。地球の自転は二四時間で一周ではないのだ。正確に言うと、地球の一周にかかる時間は、二三時間五六分四秒なのだ。そして、この三分五六秒の調整がこの閏年なのだ。
ユリウス暦の置閏法では一暦年は平均三六五.二五日とされている。そう。この0.二五日が四年間で一日になるという計算方式から来ている。
では、何故二月での調整なのか。その理由は意外と単純である。単に当時の古ローマ暦が、二月末で一年が終了ということだったからである。三月が一年の初めであったので、溜りにたまった三年分のツケを四年目の最後の年末の日で帳尻をあわせた、ただそれだけのことだ。
二一世紀現在もその勘定方法で世界が回っている。考えてみれば、それだけでもどこか可笑しな印象を感じる者も少なくないだろう。時間の概念というものは、それだけ普遍的でタブー視されてきた証かもしれない。単なる計算方法なのだ。もしかしたら、二年に一度一二時間の日があってもいいのかもしれない。例えば、サマータイムでの調整もいいかもしれない。または、八年毎に二月二九日三0日の二日間があっても問題ないわけだ。そう、時間とは人間の考えとコントロールによって、定義づけられたひとつの概念だけなのかもしれない。すべては普遍ではなく、人間のコントロールによるひとつの定義。これが時間なのだ。動物、魚、昆虫など他の生物は、そんな概念はなく、違った時間軸をもってその生を刻んでいるのかもしれない。また人間もそうだ。少々その概念の定義を調整さえできれば、人間は時間をコントロールすることができるのかもしれない、そのカラクリに気付けばだが・・・。



あなたの余った時間を購入して、時間の無い人へ販売します。
タイムシェアリング株式会社
このHPにたどり着けますか・・・。


タイムシェアリング株式会社-四


武田は今日もパソコンのモニターの前でぷっかりぷっかりとタバコをふかしていた。センター試験で実施した一ヵ月前のタイムシェアリング。そこでの五0万人規模のタイムシェア・コントロールの成功の後、中々仕事の依頼がなく、会社の資金も底をついている。悶々とした日々が続いていた。
「つまんねーなー。何か興奮することないのかよ。」
「昼間から勘弁してくださいよー。これじゃあ腑抜けちゃんですよー。」
「だってさ。仕事もこないし、金もない・・・だから事務所でジッとしているしかない毎日・・・。あー、つまんねーなー。何か興奮する依頼は無いのかよー。」
最近は、マンションに早めに戻る。どうも、最近テンションが中々上がらない。武田は、金儲けとか、コツコツと努力する仕事とかが昔から苦手だ。どんなに困難でも、儲からなくても、そこに意義と激しいインタレストとテンションがないと気合が起こらない。そう、生きる醍醐味を感じることができる、そんな日々を求めているだけなのだ。
「食え食え、飯だ飯だ」
そういって武田は、ヒマワリの種を一0粒程とり、ひとつずつ目の前の籠の中に落としていった。マンションで飼っている黄色味がかったハムスターがその種を無心で食べていた。
あっという間に一0粒程完食。そして、もう一0粒程武田は取り出して同様にハムスターに与える。
「今日もよく食うなー、ブイヨンは。毎日籠の中なのに元気あるよ。尊敬するわ。」
ハムスターの名前は『マギー・ブイヨン』。最初に部屋にコソコソ紛れ込んで来たのがきっかけだった。居心地が良かったのか、数日何故か武田の部屋に住みついたのだ。捨てるのも酷な感じがしたので、四日目に籠を購入して正式に飼うことにした。それからもうかなり経つ。
名前をどうしようか、と悩んだ五日目。ボーっと武田が考えていた。が、その途中でハムスターはウトウトと寝てしまったのだ。その小さい体を丸くした姿が、固形コンソメの「マギー・ブイヨン」にどこか似ていた。単に黄色くて小さい塊だっただけだが。
「よし!!お前の名前はマギー・ブイヨンに決定だ。これからは、ブイヨンと呼ぶぜ。」
武田らしいよくわからないネーミングだった。
「よし。ディナーのあとは、余分なカロリー消費のために、運動なのだー。」
そして、武田はブイヨンを、かごの中の回転台に乗せた。エネルギーを得たブイヨンは、その滑車の上で一目散に勢いよく走り出した。
「走れ、走れ、ブイヨンダッシュ!!」
カラカラカラカラ滑車が勢いよく回転を始めた。
「いけ、ブイヨン。お前はジャイプール五輪の強化選手だ。走れ走れ走れ!!」
勢いよくブイヨンダッシュが続く。そして一分程した後、突然ブイヨンがその足を不意に止めた。だが、滑車の勢いがまだ残っており、滑車の勢いにつられてブイヨンの体がクルクル回転してしまった。数回程回転してようやく滑車が止まった。その表情はポツンとしている。
「そうか、お前途中で気付いてしまったなー。そう、お前は年齢制限で五輪には出れんのだ。」

今日もランチは近くのファーストフードだった。
チーズバーガー二個と野菜ジュースが武田の定番だった。本人的には、穀物(パン)、肉類(パティ)、チーズ(乳製品)、野菜(野菜ジュース)ということで、かなりバランスがとれていると思い込んでいる。魚はないが・・・。
『わからん。さっぱりわからん。不思議度一二0%だ。わからん・・・。』
気が付けば、武田はチーズバーガーを解体し目の前に広げていた。
左から、上のパン、ピクルス、溶けかかった上で無理矢理に剥がしたチーズ、ハンバーグパティ、下のパンが並んでいた。
『わからん。さっぱりわからん。不思議度一二0%だ。わからん・・・摩訶不思議だ。世界のミステリーだ。』
「・・・ス・・・ボス、武田さーん!!おーい。」
ハッと武田がなった。
「な、ななな、何だよーお前はいつも突然現れる。」
「もう、いつものここですか。完全にここの店員はボスの事、ヤバイ人が今日も来た、になっていますよー。」
「そんなことないよ。みんな笑顔で対応してくれるし。もしかしたら、俺に気があるのかなー、なんて時もあるし、こっちも警戒しちゃうのよね。」
「違いますよ。こういう店は、基本スマイル0円が定番でしょ。」
「ホー・・・そうなんだ。精神的ショック。しっかし、自分の笑顔を大バーゲンとはつれないね。性悪、小悪魔ですなー。あの娘たち。」
「・・・・・・・・ボス。」
「ところでどうしたの、そんな焦って。仕事の依頼もないんだからのんびりいこうぜー」
「仕事がないから、焦ってるんですよー。全く。」
「・・・そんなことよりこれを見ろ。このチーズバーガーを。不思議だろ。」
鈴木が、目の前に解体されたチーズバーガーを見た。
「・・・こうしてハンバーガーが解体されている方が僕は逆に不思議です。」
「そうじゃない。いいか、よーく見ろ。この食材を。この世界的チェーン店がだな・・・おかしなことになっているのだよ。」
「どういうことですか。」
「いいかー。ひとつ理解できない点があるんだー。わからないかなー。」
「・・・・うーん、そういわれても。」
「やっぱりなー。お前はまだまだチルドレンだなー。全然ダメだ。」
「それ複数形ですよ。」
「やっぱりなー。お前はまだまだチャイルドだなー。全然ダメだ。」
「言い直さなくても・・・。」
「いいかー、ここに並ぶチーズバーガーの構成の中で・・・上のパン、溶けかかったチーズ、ハンバーグパティ、下のパンまでは、実はアメリカからのインポートなのだ。しかし、しかしだ。このピクルスだけがななななんと、国産なのだぁー。どうだ!!スーパービックリだろう。実に不思議だ。何故ピクルスだけ国産になったのか、この経緯、打合せ、商談の模様まで考えたら、実に不思議でならない。ここには、決定的な理由が何かあるはずなのだ。これを解明できたら、ノーベル食育化学賞ものだぞ。」
「そうですかー、単に野菜関連だから、鮮度も考えて国産にしたんじゃないですかー。それに、パンの小麦粉、パティのビーフの大量生産はアメリカのメリットがありますが、ピクルスはそこまでアメリカにこだわっても意味がないと思ったとかでしょ。確か他のレタスとか、サラダも国産とか聞いたことあるし・・・。」
「・・・おおおお前、成長したなー。かなり説得力がハイグレードだ。ようやくこの俺を超えたか・・・うんうん。」
「普通に考えればそうでしょう。」
「・・・うんうん、今、俺は感動している、部下の成長を・・・俺は確信した・・・今日からお前が社長だ・・・うんうん・・・実に英断だ。」
「仕事も資金もない状況で社長を降りないでください。ズルいですよ。」
「あらそう。じゃあ、もうしばらく俺?」
「はい、もちろんです。」

そんな二人のやり取りを回りの人々はドン引きで聞いていた。三0代と二0代らしい男二人が解体されたハンバーガーを挟んで手を取り合っていた。
「これからもがんばろうな。俺たちは兄弟みたいなもんだしな。」
「はい、兄貴~。」
「弟よ~。」
「はい。そこまでです。」
一人の男が大声をあげて、どっかりと隣にすわった。細身で初老の男だった。黒いスーツを着ている。
「はは、袴田さん!!」
そこには袴田がいた。『ナレッジリターンズ』の受験不正行為の妨害を依頼してきた張本人で国家公安委員長という凄まじいまでの肩書きを持っている。
「ご無沙汰しております。しかし、お二人のやり取りは相変わらず見ていて楽しいですね。」
「よく言いますよ。袴田さんも上手くやりましたよね。国家財政の危機だー、みたいな中、わざと時給単価が高い人たちのリストを提示して、タイムシェアリングを無償で実行させる。見事ですよ。五0万人だからガッツリ儲けられると思ったら、今では夜は二人ともアルバイトですよ。笹塚の『海戦!!飲んでって劇場』で。朝の四時まで。」
「あれあれ、アルバイトですか。それはよろしくない。」
「よくいいますよ。ナレッジとのやり取りで、新たにサーバー買ったりして大変だったんですよ。」
「そこまでは知りませんでした。それにインフラ関連の問題、それは御社の問題ですよ。」
「まあ、さすが国家ですね。要領がいいですよ。お見事お見事。で、今も保護観察下。」
「なんだか棘がありますね。」
「もともと棘だらけで依頼したのは袴田さんでしょ。さすが次期大臣だ。まあ、でもね。すごくシビレルいい経験させて貰いましたよ。久々に興奮したし。で・・・今日は何で僕らに?保護処分の解除とかですか。そもそもミッションの後、こうして僕らと会っていることも避けたいはずですが・・・。」
「まあ、確かにその通りですが。」
「何かありますね?」
「いやいや大した用件はありません。今日の私は衝動的にハンバーガーが食べたくなっただけです。そしたら、たまたまこの辺りにいたのでつい。そしたらお二人がいらした。」
「ウソ八百%」
「はは、まあそうおっしゃらずに。」
「で、要件は?」
「はい。では要件です。明日の午後もう一度、今度は事務所に伺います。お時間を作って頂きたい。ご予定は?」
「仕事なーんにもないのでオーケイですよ。待っていますよ。委員長。」
「嬉しいです。ではそういうことで。」
「はあ・・・。」
そういうと袴田は立ち上がった。そして出口に向かおうとし、彼の癖なのか一度こちらに振り返る。
「あ、そうそう、さっきのピクルスですが、野菜関連の関税が高いから、国産で供給した方が断然安い、単にそう言う事です。では、明日お会いしましょう。」
そういって袴田はドアの奥へその姿を消した。
「いいスーツだなー。二0万円以上はするな。」
「いいすねー。」
「おれのスーツは激安の殿堂ダンヌ・ジャルクだぜ九八00円の。」
「僕もです。」
「明日会った時、お金借りよっと。」
「僕もです!!」

翌日武田は午前一一時頃に出社した。すでに鈴木がいた。外はあいにくの雨だった。天気予報は面白いくらい当たる。一時間毎の予報、スポットローカル予報など、実に巧みだ。
「しばらく雨みたいですね。」
「かもなー、まあ、ウチの商売に天気は関係ないからいいけど。」
「ですねー。でも、天気が悪いと・・・。」
「何故かテンションが下がるね。まっ仕方ないよ。そうだ。これ見ろよ。」
武田は新聞を取り出した。そこの社会面を指差す。下段の左の真ん中付近の記事だった。
『今年のセンター試験の傾向が出ているよ。約五年振りの傾向だってさ。』
「何故五年振りなんですか。」
「模擬試験の結果と合格者の結果がこれまでのナレッジのお蔭で、参考データにならなかったんだよ、きっと。でもこうして傾向が出たってことは、今回は模擬試験の成績の内容がそのままセンター試験の結果に反映された、ということさ。」
「じゃあ、改めて大成功だったんですねー。」
「そういうこと。社会的には・・・。」
「会社的には?」
「言うなー。」
その時、乾いたノック音が二回響いた。そして研究所の扉が開く。
「こんちにわ。袴田です。お邪魔しますね。」
武田、鈴木が振り向いた。
「待っていましたよ。」
「それはそれは。ありがとうございます。」
「どうぞ。」
武田が、研究所の隅の椅子に袴田を迎えた。
「嫌ですね。雨ですと気持ちまで暗くなってしまいます。」
「へー。袴田さんもそうなんですかー。」
「人間なんてそんなものですよ。」
「今コーヒー出しますよ。六種類ありますが、お好みは?」
「すごいですね。六種類も揃えているなんて。」
「ええ。インスタントコーヒーの濃い目、普通、薄目のホットまたはアイスで六種類です。」
「では、濃い目のホットを。」
その後、少々のリップサービス染みたたわいもない会話が続いた。特にセンター試験での当日のこと、大雪での混乱と停電の話などが中心だった。
「ところで、今日は何でウチに。」
武田がようやく本題に入った。
「・・・そうですね。残念ながら今回はタイムシェアリングの依頼ではありません・・・ところで最近変なことありませんでしたか?」
「変なこと?・・・最近は変なこととかじゃなくて、ことが何にも無いです。・・・なんですか、その喉に芋が詰まったような言いっぷりは」
「奥歯に物が挟まった、ですよ。」
「それそれ。」
袴田の表情が少しずつ暗くなってきた。
「・・・いえ、全く確信がないのですが、少しでもお役に立てればということで。」
「その内容は?」
「あくまで噂ですが、例の『ナレッジリターンズ』が動き出しました。」
「どういうことですか。」
「威信をかけて全力で、この前のセンター試験の結果の調査を始めたらしいということです。そしてこの一ヵ月で、年間二0億円規模のグループが必死に調査を行い、どうやら人為的に試験時間のコントロールがあったことを掴んだようなのです。」
武田は濃い目のホットコーヒーを口に運ぶ。少し冷めていたが。
「で。」
「そうなれば、彼らはいずれここを突き止めるでしょう。そして・・・。」
「そして。」
「あなた方は狙われる。」
研究所が静まり返った。
「エエー、マジでー。かなり面白そう。」
と武田が笑顔で言う。
「何を言っているんですか。ボス、殺されますよ、暗殺です。暗殺。ア・ン・サ・ツ。」
鈴木が泣き声で言う。
袴田は微笑を浮かべる。
「そこは大丈夫です。彼らの七年間の動きを見る限り、強行的な手段に出ることはありません。傷害、殺人等はありません。あくまで、これは推測ですが、彼らはここの技術を盗んで、運用して我が物として、次の商売につなげたいはずです。まあ、かえって厄介といえば厄介ですが。・・・彼らはここのタイムシェアの技術が欲しくてたまらないはずです。この技術がパッケージ化できれば、かなり巨額のお金が動くはずです。受験という限られた枠から飛び出し、政治、犯罪、戦争、スパイ活動など・・・ここの技術で世界は変えられますからね。」
「それは過大評価を。」
「いえいえ、ここの技術があれば世界を変えられます。もっとも運用する者の善悪によりますが。」
「何でもそうだろ。」
「確かに。」
「で、それを俺たちに言ってどないすんねん?」
「何故関西弁。」
と鈴木。
「まずはお伝えしないと思いました。また、今何かお二人に直接的にアプローチがないかも確認にきました。センター試験で折角の御縁ができました。そしてきっかけを作ったのも私です。」
と袴田が俯いて言った。
「この技術を犯罪者が得て世界を変えてしまう、そんな国際シンジケートがこの国から生まれてしまっては、この国の誇りが許しません。」
「国家的威信にかかわると・・・。」
「そうです。この国の清廉さ、潔さ、実直さ、真面目さ、勤勉さ、はこの国の宝です。これを失う訳にはいきません。」
袴田が言った。そして武田が鈴木と顔を合わせる。
「まあ、話しはわかったよ。簡単に言えば、奴らが近いうちに、ここに現れるかどうかして、俺たちのタイムシェアプログラムを拝借にくる。注意しろ、ということね。で、これが商業的に使われたら、日本の危機だ、だから注意しろ?てなことをいいに来た・・・訳ね。」
「はい。そういうことです。明確にいいます。前回の依頼は終わっていません。前半戦が終了しただけです。」
「待ってました。どうぞ。」
「前回の依頼は、あくまで、あなた方の技術力、実力を見させて貰ったひとつの試験です。『ナレッジを一時的にでも抑えられるかどうか』の実験でした。だから。」
「俺たちを騙して無償に持ち込んだ。」
「そういうことです。何せ予行演習みたいなものですから。」
三人のコーヒーがもう冷め切っている。武田は徐々に笑顔になっていく。
「ということは、いよいよ本番の後半戦をする時だと。」
「はい。国としても彼らの正体がつかめませんでした。ですが、今回明確に、彼らが動いてくるそのタイミングを得ました。ここの技術の奪取のためにです。これは千載一遇のチャンスです。」
「そんなに厄介なの。あいつら?」
「彼らの年商が二0億というのもあくまで推定です。組織はあるが事務所はありません。それぞれの個人で動いてパソコンでやり取りをし、わかるものから、早い順で、依頼、回答をする感じなのです。専門のもの。社会人で仕事と併用しているもの。教授。弁護士等もいるようです。総勢二0名。ひとり当たりの年収一億ということです。副業としてはいいようです。」
「すご。」
と鈴木。
「一人一億、得意の分野が分かれていて二0名でフルジャンル。あらゆる依頼に即時回答する。普段は個人で動く、またその個人のネットワークもバラバラ。これじゃ、捜査のしようもないと。」
そして武田。
「その通りです。しかし拠点にしているデータセンターや口座などの実態は必ずあるはずです。何かのダミーとして実態はあるはずです。」
「で、これが依頼なわけね。」
「はい。ですが冒頭言いましたように、タイムシェアリングの依頼ではありません。ズバリいいます。彼らは必ずここの技術を盗みに来ます。その中で組織崩壊のため、彼らの正体を明るみにして欲しいのです。」
「・・・何だか凄いことになってきましたねー。」
鈴木が小声で武田に呟く。
「いいねー、スーパーインタレストだ。完全にオトリになれっていうウチの技術とは関係ない依頼な訳ね。」
「さすがです。一言でいえば、彼らのエサになって下さい、ということです。大丈夫です。生命の危険はないでしょう。多分。」
「よく言いますよ。窮鼠猫をつまむ、って言うでしょ。」
「噛むです。」
「そうそう。彼らも身の危険を感じたら、何をしてくるかわからないでしょう。」
「それはそうですね。人間ですから、正当防衛本能は出るでしょう。」
「その際は?」
「依頼の内容はタイムシェアリングではなく、あくまでオトリ要請です。万が一の時は警察と公安の出番です。」
「怪しいな。まあ、いいや。」
「お引き受け下さいますか。」
「そうはいくか!!内容はいいぜ。楽しそうだ。でもなー、金だよ。金。前回のは試験だ? マンマとやられたよ。まあ、そうだとしよう。で今回はいくらなんですか。明確な対象も不明。こっちの強みのタイムシェアの使用も不明。だから時給差額も不明。俺たちの契約条項が通じない訳よ。」
「そうですね。今回はどの対象で、どのタイミングで、オトリになる中で何回タイムシェアが実行されるかわかりません。ただ、タイムシェアを使って彼らを混乱させ、正体を少しずつ解明していくことになるのは明確ですが。」
「確かに、今回俺たちは多数のタイムシェアを実行して、彼らに包囲網を作り、焦らし、焦らせ、その正体を具現化していくってね。しかも、向こうから俺たちに近よってくるわけだ。やりようによってはいけるよ、委員長。でも、今は運転資金もないし、また国家のためとはいえ、ただ働きはできませんよ。したくても無理。契約のしようがない訳だ。」
「おっしゃりたいことは一00%理解しています。今回はタイムシェアの依頼ではありません。そのためタイムシェア差額ではなく、スポット料金で国家協力をお願いしたいのです。」
「わかってるじゃない。委員長。素敵だぜ。」
「報酬から明確に回答します。まず依頼をお受け頂いた翌日に一億円をそちらの口座にお振り込みをします。そこで、セキュリティ機器、防衛準備、オトリにかかる費用、インフラ費用を全て賄って下さい。また、彼らの正体が解明され、一名以上の逮捕状が発行された時点でもう一億円をお支払します。お支払したこの二億円の中から経費を引いた金額を全て報酬とさせて下さい。活動期間は、依頼の承諾から二ヵ月間。春の公務員試験までを目安とします。また、もし、この間に御社の技術が盗まれてしまった場合。活動機器、活動費用は補償しますが、差額はすべて返金して下さい。」
二人の眼が丸くなった。合計四つの眼が丸くなる。
「すすすす、鈴木君。ちょっとこちらへ。」
少々声が裏返りながら、武田は、鈴木を呼んだ。
「はははは、はい。ボス」
「浜加田さん。」
と武田。
「袴田です。」
と袴田。
「ちょっと裏で相談しますので五分程お待ちください。」
武田と鈴木は、裏の流し台のあるスペースにいった。二人はゴニョゴニョと顔を接近させて話しを始めた。
『聞いたか。二億円だぞ。二億円。サマージャンボに近いレベル。それにセキュリティ機器なんて一00万円もあれば揃えられる。しかも二ヵ月の期間限定じゃん。これはおいしい、デリーシャス、最大のチャンスと言える。』
『そうですねー、いよいよ念願のドンペリ・ピッチャーですよ。あと、フェラーリでコンビニいったりしたりして・・・。』
『だってよ。もし技術が盗まれても経費は負担してくれるわけでしょ。こりゃ、マイナス理由はないぜー。受けよう。受けよう。』
『はい。もちっすよー。』
『だってよー、「海戦!!飲んでって劇場」の深夜シフトの時給が一,0五0円だぜ。二億円って言ったら、自給時間の換算だと約一九万五00時間に相当するんだぜ。』
『さすがボス。計算が早い!!早い早い!!』
『つまり二一年間一瞬も休まずに『海戦!!飲んでって劇場』で働いてようやく二億円だ。それが二ヵ月だってよぉ。』
『何回、「はい!よろこんで」って言うんですかねー!!』
『二一年間ぶっ通しだと、一時間五回として九0万回は言うな。』

二人は、事務所の給湯場から出てきた。調度五分後だった。
そして、袴田の目の前に二人は座った。
「どうですか、まとまりましたでしょうか?今回の依頼受けて下さいますか?」
その質問の瞬間、二人は軍隊のように席を立ちあがり揃って返事をした。
「はい!よろこんで。」
そして座る。
「何か居酒屋みたいですね。」
「そんなことはありません。委員長のその国家の為という強い意志に深く感銘を受けました。やはり日本人として、この日本国の秩序を守るのが、この国に生まれた男子本懐だと思います。日本は大義の国です。」
そして、武田はスッと袴田へ手を伸ばした。袴田も握手と思い手をさし出した。が、握手ではなく武田はメモを渡しただけだった。そこに書いてあったのは・・・。
『国際東京信用銀行 牛込支店 普通 ×××××××× タイムシェアリング(カブ・・・。』
そしてようやく握手をした。
「明日の振込待っています。」
武田が涙目で言った。

「では、私はこれで。」
袴田が立ち上がった。そして、出口に向かったところでいつものように足をとめた。
「そうでした。言い忘れていました。彼らが何か仕掛ける場合は徹底した情報収集から入ります。常套手段として、まず、怪しいという者の盗聴からアプローチを開始します。くれぐれも突然のプレゼントや、電話機器、セールスマンの振りで訪問時に瞬時に盗聴器の設置等が予想されます。お気を付け下さい。」
「はいはい、ありがとうございます。と言いたいところですが、よく言いますねー。」
そういうと、武田は手に握っていた小さい物体を袴田に軽く投げつけた。
「はいよ。小型盗聴器発見。俺たちが給湯室にいる時、机の裏に早速付けたな。依頼主が活動を常に知りたいのはわかるけどねー。」
「ハハ、さすがです。ちょっとしたテストです。わざと煽るためにアドバイスしたら、その前からばれていたなんて恥ずかしい限りです。」
「小型の電池式だ。アルカリハイブリット式だから、二ヵ月程発信が可能なタイプだねー。さっすがー。ミッションとピッタリだ。」
「安心しましたよ。あなたの底知れない感じに。しかし、何故わかったのですか?」
「特異体質なんすよ。新しい電波に慣れるまで実は少しアレルギー出るんですよ。俺。」
「ほう、そんな体質が。」
「昔から。だから地下で磁場が安定した職場にしたのですねー。」
「感動に値します。では。」
そう言って、袴田は静かに研究所を後にした。バタンと扉がしまった。
「お国のミッションは固いなー、全て試されているよ」
「何か急に怖くなってきました。そもそも安全なものに二億円は払わないですよね。」
「まあ、そこはいいんじゃないの。基本的に口止め料も含まれているから。」
「そうですかー。」
「しっかし、厄介だな。こっちからは動けないんだからな。さらに完全防御もできない、確実な足跡を残させないといけないんだ、うまくナンパに乗って、名刺貰って住所聞いて、コンドーム付けずに射精させて、体液を鑑定して証拠を残す、って感じだ。うまく、流されていくのを意図的にばれずにやるなんて難しいな。だって正体がわからないんだぜ。」
「ところでボス、はじめて聞きましたよ。電波アレルギーっていうの。どんな感じなんですか?」
「そんな体質な訳ないだろ。だいたいそんなんだったら今のこの世の中生きていけんわ。山奥で自給自足とかしない限りは。」
「なーんだ。」
「依頼に返事して座ったあと、膝が少し机の裏に触れた。その際わかっただけ。」
「何故あんな、うそを?」
「これから何が起こるかわからないからなー。ヤバい人間とか想像つかない恐ろしい奴って少しでも思わせた方がいいでしょ。相手は疑心暗鬼になって勝手に混乱しだすからね。返って状況が浮き彫りになったりする。そんな状態を横目にシンプルに活動する、だよ。」
「袴田さん、怪しいんですか?」
「いや、彼は清廉で真面目だと思うよ。ナレッジの一員とかでもないと思う。だが、もっといろんなことを知っていると思うんだよ。何か隠している、そんな気がするんだ。」

翌日の午前中に正しく一億円が研究所の口座に振り込まれていた。
その後も、二人は『海戦!!飲んでって劇場』のバイトを続けた。誰がどう見ているかわからない。平静を保った今の生活を送っていると見せた方がやり易いからだ。自分たちから変化を作ったら、新しい変化がわからなくなる。
数日が普通に流れていった。その頃から、何故か、郵便物が増えてきた。『お試し商品』が主だった。何故かモニターキャンペーンでずれないハンガーが送られたり、近くのコンビニで購入した際、特典としていきなり景品が渡されたり、いつものファーストフードで何故かおまけの玩具を貰ったり、だった。同様のことは鈴木にも及んでいた。
「最近運がいいんですよ。いろんなものが当たるみたいで。」
『こいつバカだなー。』
だが、武田は何も言わなかった。ここで急に黙ったら警戒される、または、タイムシェアと関係ない人間と思われてしまう。それでは足跡が出てこない。あくまで『あなたの狙いは間違っていませんでした。この二人がタイムシェアの人間です。』とさせなければ進展がない。適度に、鈴木から漏れ出てくるくらいが適当だろう。細心の注意は袴田関連の依頼だとばれないことが絶対条件だった。そこは鈴木も自覚している。あの日以来、袴田関連の話題は一切何もない。ポイントはわかっているらしい。
武田が袴田と連絡を取る時だけもっとも慎重になる。
そんな警戒心の日々がしばらく続いた。

『嫌な毎日だぜ。』
武田はイライラしていた。こういう日々を送ると、あらゆるものが自分たちへのエサに見えてしまう。ナンパされるのを待っている日々、監視されているのかイマイチはっきりとわからない日々。そういえば、鈴木もどこかイライラしているように見える。そう、本当の会話がOPENにできないのだ。どこでどう監視されているかわからない。
伝えたいことはよく紙に書いた。ポンポンと鈴木を叩く。そして紙を見せる。
『プールいこうぜ。』
そして近くのスポーツクラブのプールにいった。二人でプールに入った。飛び込んだ。真ん中で二人は話す。海パン一枚の二人だ。さすがに盗聴はないばすだ。久々に本音で武田が話す。
「依頼から今日で二週間だ。きついなー、こういうピリピリした感じ。」
「きついですねー、この感じは。だって、セキュリティー機器買うのも怪しまれますから、返って何もできませんよ。何か人質に近いですねー。」
「そうだな。」
ひとりの男が入ってきた。筋肉質で、華麗に飛び込んだ。すごいスピードでこちらに迫る。そして目の前で止まった。そして顔が突然ザバーッとあがった。
「うわぁー。」
と二人。目の前には袴田がいた。
「どうしたんですか。袴田さん。」
「だいぶ参っているようですね。」
「どうしてここに。」
「いや、俺が呼んだんだよ」
そのまま、三人はプールの中心で話をしていた。
「袴田さん、これじゃあ埒があかなくてどうしようもない。ていうか、逆に言うと、このパターンじゃ、向こうのペースでしかない。」
「確かにそうですね。」
「そこで・・・。」
「そこで?」
「もう盗聴だ、警戒だとかではなくて、全てそういうものとして、逆に攻めようかな、と思ってね。」
「攻めるとは?」
「簡単です。引っかかりに行くのではなく、こちらから攻めて正体を突き止めに行く、ということですよ。」
「攻撃は最大の防御、ですね。」
「そう、できれば今日はそれを了承して欲しくて来て貰いました。」
「攻めれば、逆に向こうがビビります。ペースもこちらで握れます。戦略も図れます。」
「確かに。」
「仕掛けられた盗聴器で逆にプレッシャーがかけられます。政府、俺たちが、本気で彼らを上げようとしていること。そして、俺たちが、タイムシェアを次々と実行して奴らを追い詰めていることを流し続けていきます。」
「主軸を変えようという訳ですね。」
「その方がいい。」
「来ますよ。窮鼠猫を噛むが。」
「今の感じだと、その方がマシです。」
「いけますかー。」
「何かそっちの方が俺らしいし、健全な気がするよ。騙され待ちよりね。ひとつずつ自分たちで突破していく方がいいよ。頭も冴えてキレも出てくるし。」
鈴木が静かにプカプカと仰向けに浮きはじめた。
「そうっすねー。勝負な感じがしていいかもしれませんね。何せ二億円ですから。」
「そういうこと。もとい、国家の為に、だね。いいかい、そんな感じで袴田さん。ていうか、この展開も予想済みでしょ。」
「遅かれ早かれそうなるかと思っていました。あなた方は考える方々ですから。与えられた状況の中で動く人間と、状況そのものから見直す人間、その二パターンがありますが、お二人は後者と判断していましたので。」
「なら、話が早い。明日の午前一0時00から動きを変えます。」
「わかりました。当局の体制も変更します。また、これからは全てオープンでいきますので、連絡を一日一回以上下さい。あと、明日から、警備員等の人的なガードマンを事務所に常時二人設置します。あと、マンションも。」
「マンションもかー、窮屈だなー。その経費は?」
「残念ですが、当初の一億円からの毎日一八万円という経上となります。」
「仕方ないなー。一ヵ月約五四0万円か。悔しい。まあしばらく様子を見るか。ところで今回のこの二億円は、どっから出したんですかー。だいだい今このうるさい時、ポンッと二億円なんて。」
「大丈夫です。聞いたことがあるでしょう。旧民政党の不正政治資金献金疑惑を。」
「ハハ、そういうことね。もともと不正献金があるといわれている二0億円の民政党の政治資金ねー。で党は解散になり、今では、新自由党、国民党、日本改革党に分かれてしまった。欲しいけど誰も手がつけられないというブラック・キャッシュね。」
「そう言うことです。二0億円の一0%がどうこうではなく、残り一八億円を何とかして自陣に持ち込みたいのが本音です。来年衆参ダブル選挙ですからね。」
「大丈夫か?この国は?」
「政治家はダメですよ。この国は政治主導、官僚主導ではなく、あくまで経済主導ですからね。今後も混乱は続くでしょう。」

研究所に戻り、二人は明日からの準備を始めた。動きも変わる。ほとんどこの事務所に戻ることはしばらくなくなってくるだろう。基幹プログラム設定等をクラウド関連に完全移行し、最低限必要なその中のコア・プログラムは、小型の携帯ハードディスクにパターンに分けてコピーを移した。ハードディスクは二0個を超えた。一0cm×五cmのハードディスクを機能に応じて色を付け分けた。そして、昔学生の頃に使っていたギターのエフェクターの箱にそのハードディスクを並べて入れた。同様の作業を隣で鈴木が行う。他USBポートのタコ足をそれぞれ一0個ずつ。これで何かあった際に一0個のハードディスクが同時に作動することが可能となる。他のノートパソコンの余計なデータを全て消す。明日から何かの際に備えて動作環境はなるべく軽い方がいい。メール環境も急遽変更した。ウインドウズメールから、検索ソフトのグーグルメールへの移行だ。この最大の利点はメールサーバーを持たないということだ。つまり、サーバーへの攻撃もし辛くなる。一般的なメールによる攻撃の危険性が下がる。それにしても、コピーや貼り付けには相変わらず時間がかかるのが厄介だ。
「遅い!!」
いつの間にか深夜を超えた。二人はカップラーメンをズルズルと食べていた。
「三食カップラーメンは辛いですねー。」
「まあ、そういうな。」
と武田は言って紙に文を書いた。
『明日の一0時からはオープンだ、旨い飯でもまずは食べようぜー』
すると、鈴木はその文に大きくマルをいれた。
休憩のあと、再び移行作業の後半戦に入った。その時だった。武田がひとつのパソコンのメールに気付いた。
「・・・何だ、こんな時間にメールか。迷惑メールは弾くようにしているからな。」
「あ、僕にも・・・久々の新しい依頼ですかね?」
鈴木が言う。メールの内容は二人とも同じだった。

『タイムシェアリング株式会社 武田様 鈴木様 
この度は、突然のメール大変恐れ入ります。実は、折り入ってのご相談があります。御社の得意とするタイムシェアリング技術を是非購入したいと思っております。簡単に言えば企業M&Aとなります。金額は現在のところ二0億円程度を考えています。つきましては、返答を下さい。なお打ち合わせはこのメールのみとさせて頂きます。実際にお会いすることはお互いのためにしない方がよいでしょう。ではご検討をお願いします。

                                   
                     ナレッジリターンズ

なお、このメールアドレスは、IPスクランブル機能を入れていますので、どのパソコン端末から発信されているかはわかりません。無駄なご尽力をなさらないように。』

「来たな。正面からだ。」
武田がいった。
「ボス、それにしてもすごい金額ですよ。二0億円ですって、一生遊んで暮らせますよ。多分闇金なので、税金もあまりかかりませんよ。」
「確かにすごいなー。二0億円だってよ。」
そして、武田がメールの返信コマンドを押す。そして、手をおもむろに手を動かした。

『ナレッジリターンズ御中
この度は、弊社の技術の買収につきまして、ご興味を下さいまして誠にありがとうございます。この技術については、当社の完全オリジナルのものですので、いろいろと活かせる場面も多いかと思います。よって、今回のお誘いには是非こちらとしても歓迎致します・・・。』
「ボス・・・。」
と鈴木が横から言う。武田はさらに続ける。
『・・・しかし、御社の御提示頂く二0億円という金額につきましては、遺憾ながら妥当性を感じません。以下の金額がこちらからの希望金額となりますので改めて検討下さい。

技術提供、及び技術権利譲渡希望金額 五000億円

             タイムシェアリング株式会社 武田』

そして、武田は送信ボタンをクリックした。鈴木は唖然とした表情でいる。そして武田は叫んだ。
「なめるなーっつーの。小っちゃい小っちゃい。」
「・・・いやボス。でも二0億円で・・・す・・・・。」
「バカ言うな、この技術が善悪関係なく活用されたら、世界で一兆円二兆円なんて軽くいくぞ。二0億円なんて安すぎるんだ。」
「でも・・・僕らは今日もアルバイトなんですよ。」
「それは違うぜ。儲かっていないのは、現社長の経営能力の問題だ。」
「ボスのことじゃないですか。」
「その通り。どうだ、参ったか。まあいいさ。これで双方オープンだからな。両社の問題になったわけだ。やり易くなったね。まずはしっかり朝までに準備準備。」
そして、武田はまた紙とペンをとった。
『買収が絡んできた。とりあえず、俺たちは変な契約、書類、適当なハンコに気をつけよう。ていうか、ヤバかったらハンコも全て今日捨てた方がいい。まあ明日の一0時からは、オープンで話すけどね』
そして、鈴木に渡す。
「オーケイ?」
「イェッサー!!」
そして朝まで設定の移行を続けた。全て一台のノートパソコンを中心にタイムシェア技術の所有と実行ができるようにするためだった。

朝一0時00分。目覚ましが鳴った。
二人は事務所でようやく目が覚めた。といってもさっき寝たに等しい。
「・・・さてと。」
また足元がふらつく。
コーヒーポットに挽き豆を入れてしばらくしてコーヒーを飲む。
「おはようでーす。ボス。」
鈴木が起きた。椅子を並べて寝ていたのだ。
「おーおはよう、お前もコーヒー飲む。」
「はい。濃い目でお願いします。」
「はいよ。そのつもりだ・・・あと、なんか飯買ってくるわ。」
そう言って、武田は研究所の扉を開けた。とそこには、屈強そうな男が二人立っていた。
「今日から警備に当たります。ジャパンガードセキュリティです。よろしくお願いします。」
「強そうね。」
「はい。柔道八段 剣道七段 空手黒帯 ペンチプレス二00キロです。」
「それで警備員?もったいないね。」
「よく言われます。」
「まあ、いいや、よろしく。僕たちが危なくなったら楯になってねー。」

全ての設定を終えた後、二人はそれぞれのマンションに戻った。そして、家電・小物を徹底的に調べた。すると・・・。
・武田マンション新聞受け
・武田マンション机の裏側
・武田マンションエアコンのリモコン内蔵式
・武田マンションコンセント内蔵式
・鈴木マンションデジタル時計の裏側
・鈴木マンションテレビ用リモコン内
・鈴木マンション携帯電話充電器内
に盗聴器があることが分かった。それらを二人は鈴木のマンションへ持ち込みんだ。機器に向かって二人は叫ぶ。
「ふざけるなー。なめるなー。ぶっ飛ばしてやる!!」
そして二人はその機器の群れを破壊した。いわば戦線布告だ。しかし、破壊したのは。七個中五個。二つのリモコン内蔵式は、それぞれ持ち帰ることにした。あえて気付かずにいて、置いておくことで相手を油断させ主軸をこちら側にもっていく算段だ。武田は破壊した五つの盗聴器を袴田にバイク便で送り、入手ルートの特定、販売先、最近の使用等のデータの依頼をした。
『それにしてもテレビ・空調のリモコンに内蔵とは驚きだ。昨夜俺と鈴木のマンションに侵入したということか?怖いね、しかし、バカだな。これらは不法侵入した確実な証拠だぜ。墓穴掘ったな。』
翌日、袴田から連絡が入った。
『昨日の盗聴器の件ですが苦労しました。ハハ、あそこまで破壊されていたのですから。ですがわかりましたよ。秋葉原で販売しているものでした。基盤を照合したところ、製造はおそらく、今から四ヵ月前。取扱販売場所は秋葉原のラジオ会館に三件あることがわかりました。今から、その店の資料をメールします。』
数分後、袴田からメールが来た。そこの店舗は小型マイクと小型録音機、小型発信器を発売している、つまりは盗聴器屋なのだが。次に、周辺のカメラデータを探した。現在は主要都市のところどころにカメラがあるはずだ。
『あった。』
秋葉原のA-二0ブロックとT-八三ブロックのカメラがここを映していた。そして、さらに画像データを追った。この辺は武田の得意とする領域だ。すかさず、鈴木の携帯に電話をする。鈴木も自分のマンションにいた。武田がリモコンのマイク穴を抑えて話す。
「ちょっと、ナレッジの件でお前に派手に電話するわ。合わせろよ。」
「了解です。全てセットして待っています。」
そして、指から手を挙げる。その後わざとテレビを付けチャンネルを回した。リモコンに気づいていない状況のアピールだ。そして堂々と武田は電話で鈴木に話した。あえて聞こえるように。
「お前とオレのところにあった盗聴器だが、秋葉原のラジオ会館で購入したことがわかった。多分四ヵ月前だろう。そして、四ヵ月前からのA二0ブロックとT八三ブロックのカメラデータがある。これを解析すれば、奴らの買収の件、そして盗聴の件が判明するはずだ。」
と武田は話す。そして鈴木が続ける。
「でも、この四ヵ月のデータをどうやって、確認するんですか?四ヵ月間のデータを見るには四ヵ月間かかります。」
「大丈夫だ、ラジオ会館の店は一0時00分~二0時00分の開店時間だ一0時間一二0日分を見てやる。」
「でも通しで見ても、一二00時間で五0日分です。それをどうやって人物特定をするんですか。」
と鈴木。
「やるしかない。このまま待っていてもいつかやられる訳よ。だから先に向こうを叩くんだ。ナレッジはこいつらですって、国に挙げたら俺たちはヒーローだぜ。それに不正もなくなる。前回のセンター試験のように日頃の努力が報われる世界になる。もし、逆になったら、タイムシェアが商売となり、巨大な不正が横行するんだ。」
やや演技くさい。
「まあ、いずれにしても先に首根っこを抑えてやる。」
「えー、五0日分ですかぁー」
「バカ、俺たちの強みを活かせよ。」
「もしかして・・・。」
「そうだ。タイムシェアリングを実行する。五0日分の誰かの時間を貰って、これらのデータを一日で確認してやる。」
と武田。
「多分直接購入した者がイコールナレッジとは考えにくい。きっと関係ない奴に依頼しているはずだ。だから購入したものをさらにカメラで追ってタイムシェアを繰り返す。そうすれば、この四か月間で購入した者、依頼したもの、全ての人物の居所がわかる。」
「確かにそうですね。」
「その後は俺とお前で一人ずつ洗っていく。短期間で彼らに辿り着くには、タイムシェアをとことん使っていけばいい。俺たらの一二0日が向うの一日位にな。」
そう言った後、リモコンの穴を武田はそっとふさいだ。
「ちょっと煽り過ぎかな。」
「僕も悪乗りしました。」
「ちょっと抑えるか?」
「今さら返って不自然ですよ。」
「そうだな、まあ、生きている感じがして面白くなってきたよ。じゃ、話しを続けるぞ。」
「はい。じゃあ早速タイムシェアを実行して奴らの正体を掴みに行きましょう。」
「まあまあ、そう言うな。このマンションじゃあ、以前盗聴器も置かれたくらいだからここに籠るのは危険だ。場所を変えよう。それに、パソコンを一気にひろげたら、アンペアがきっと足りなくなるよ、どうせ。」
「じゃあどこで。」
「明日、新宿ステーション・プラザホテルのスイートを予約した。ここならアンペアも強いし、数日の生活道具、タイムシェアのスペースには十分だ。それに。」
「それに。」
「最上階にスイートは一つしかない。何があっても、エレベーターと階段の入り口を抑えればいいんだ。そこに警備員を配置する。」
「完璧じゃないですかー。」
「気をつけろよ。もうつけられているからな。」
「ステーション・プラザホテルまで無事集合すりゃ勝ちだ。」
そして、リモコンのマイク集音の穴をまたそっとふさぐ。
「よし。では予定通り実行しよう。詳しくは後で話す。とにかくタイムシェアの全ての準備をしておいてくれ。確実に今から尾行されるだろう、もしかしたら襲撃もあるはずだ。」
「ヒー。」
「今はじっとしていろ。テレビでも見てゆっくりしてろ。テレビでも見てな。」
「ボスはマンションですか?」
「あー。今警備員を一人さらにここに読んだ、そいつと一緒にメイン通りから新宿ステーション・プラザホテルに向かうよ。大丈夫だ。」
そしてはまたリモコンに指を充てる。
「移動する時用に、別会社のガードマンを頼んだから安心だ。いずれにしても勝負は明日さ。」

鈴木と武田のマンションに例の巨体のガードマンがいる。そして鈴木は考えた。
『困ったなー、ゆっくりしろっていっても、外にはガードマンがいるくらいだし、しかし、どうやって連絡してくるんだろう。盗聴されてるはずだ。極端にいったら、彼らに乗り込まれるかもしれないし。・・・取り敢えずわざとビールでも飲んで余裕たっぷりアピールしようっと。テレビでも見て考えるか、そういえば、さっきボスがテレビテレビって言ってたけど、何かいい番組でもあったっけ。』
そして、テレビを見た。その瞬間だった。
「そういうことかー。」
鈴木はテレビにゆっくり寄って裏側を見た。そこにA-六サイズの封筒があった。封筒には太字で書いてあった。
「ここから、五0センチ上でそのままの姿勢で読むこと」
と大きく書いてあった。
そして鈴木は封筒をその指示のもと開けた。

『よー、元気?気付いたかな、この手紙。ここに前にきた時から怪しい感じのカメラ、電波、来る時にこの土地ににつかわしくない奴が見えたからね。トイレで書いたのさ。今から指示を出すので、遂行願う。

その一、全ての必要な荷物を持って二0時三0分にそこを出ること。
その二、トイレの窓から出ること。ここは死角になっていて、外からは見えない。
その三 その際部屋の電気、テレビは全てそのままにしておくこと。
その四、その際鍵をチェーンまでかけること。
その五、窓から出たら、水道管を通じて一階に下りるように。下りたと同時に袴田さんの車がくることになっている。車は黒のプリウスエレクトリック。ナンバーは品川五一は 0000。
その六、その後は袴田さんの指示の通りにせよ。
その七、すべての動作については、すべて無言で実行すること。』


しばらく鈴木は姿勢を変えなかった。どうやらこうしていると、テレビの後の棚とかをいじっているようにしか見えないらしい。すぐに、荷物を纏めているのがばれたらおかしい。鈴木は手紙の内容を頭に叩きこみ、元の位置に置いた。そして振り返る。すると、死角と思われる部屋の隅に機材がまとめてあった。多分どさくさに紛れて武田がずらしたのだろう。さすがだ。
荷物を持ってトイレの窓口から鈴木は外へ出る。だが、窓が小さい。調度胴体幅に近いのだ。意外と声が出せないのがつらい。あまり気にしていなかったが、こうしてみる二階は結構高い。
『よいしょ、よいしょ。ウチこんな会社だったかなー。これじゃあ、アクション映画だ。』
上半身が調度出たところだった。
『待て待て、このまま出たら体だけで荷物はそのままだ。』
そして、鈴木は一度トイレに戻った。
『そうだ。』
調度トイレ脇に引越しで使ったビニールロープがあった。
『よし、これを使って、と。』
鈴木はグルグルと荷物を縛っていく。そしてまずは、荷物を窓から降ろしていった。するするスルスルと荷物がまず降りる。その数回の繰り返し。そして、最後に本人が下りる。
『帰ってこられるのかな?このマンションに。』
水道管パイプに足を引っ掛け、荷物の後、鈴木はそのままゆっくり降りた。下りた後、すかさず荷物を集めた。
『何かが足りない・・・あ。』
荷物の一部が木にかかっていた。
時刻は二0時三0分になっていた。
『あそこに引っかかっていたんだ。確かあのケースの中身は、パソコンだ。ということは、ヘビーなはず。』
予想通りケースが木の枝の重さに耐えかねて落ちそうになった。
『やばい。』
同時に荷物が落下した。鈴木は落下地点に滑り込んだ。そしてスーパーキャッチ。
『セーフ。セーフ。』
そして裏のゴミ集積所の横の出口から出た。そこからでれば袴田が待っているはずだ。
『あれ、袴田さんが・・・いない。』
その瞬間だった。奥から一台の車がきた。武田のメモの通りのナンバーの車だった。
車が鈴木の前で止まる。鈴木が助手席を開けその車に乗り込む。
「早く乗って下さい。」
と袴田。慌てて鈴木は助手席に乗る。そして車が走り出した。
「どうしました。三分遅刻ですよ」
と袴田が言う。
「脱出に手間どって・・・。すみません。」
「街を一周して誤魔化しましたよ。」
「それにしても静かに走りますね。」
「はい。一00%電気自動車ですから。こういう時は目立たなくていいですよ。」
「これからどこへ。」
「最終的にはホテルに向かいますが今は言えません。尾行されているかもしれませんから。それらの確認のあと、ゆっくり打合せをしましょう。まあ、安心してゆっくりしていて下さい。とり急ぎは、西へ向かいます。甲州街道、中央高速道のメインを走って様子を見ます。」
「何か不安ですね・・・。事が大きくなってきますし・・・。」
「確信に迫っているという証拠です。ご安心下さい。」
鈴木は押し黙ってしまった。不安でいっぱいだった。フロントガラスを見ると、街並みの明かりが目に入る。その時だった。前のダッシュボードからカチ、カチッという音が聞こえた。
「委員長・・・ここ、ココから音が。」
鈴木が指を指す。
「ココから音が・・・。きっと爆弾ですよ。時限爆弾」
調度、高井戸付近で信号が赤に変わる。
「そんな訳はありません。全てチェックしています。仕掛けるタイミングはありません。」
「だって、おかしいですよ。ほら、また、カチカチと音が」
そして、袴田が手を伸ばして、ダッシュボードを開けようとした。
「何してんですか!!開けたらボンですよ。」
「絶対にそんな事はありません。公安特別車です。あり得ない。」
そして袴田が抵抗する鈴木を抑えて強引にダッシュボードを開けた。
「アー、あー、アー、あー!!」

「ボン!!!!!!。」
という激しい声。
「うわぁぁぁー!!!」
という二人の声。
「何やってんの二人で仲良く」
後部座席にニヤニヤした武田がいた。
その時信号が青に変わった。
鈴木と袴田が口をパクパクしている。そしてダッシュボードを指差す。恐る恐る二人はダッシュボードを再び見た。するとそこには一匹のハムスターがいた。
「何故、ハムスターが・・・。」
そこには黄色のハムスターがマイペースでノソノソと歩いていた。
「紹介しよう。彼こそが『マギー・ブイヨン』伯爵なのだー!俺の同居人の。」
「なんでここに。」
「だって、ブイヨンちゃんは日本のウインターがダメなのよ。だからマンション出るから一緒に駆け落ちなのさ。暖房ないとご臨終だからね。」
「で、ここにですか」
と袴田。
「もっちろん、だって車の暖房の構造上、ダッシュボードはポカポカ保証ロケーション。」
げんなりする二人。
その時、後ろから激しいクラクションが鳴った。「信号青だ、走れ」のサインらしい。
「早く走れってよ。」
と武田。そして車が走り出した。車は甲州街道を西を西へと向かった。
「しかし国家公安委員長がドライバーなんて、中々ないね。余は満足なり。」
「ボスはどうやって、ここに。」
「制服がよく似ている別会社の警備員と二人でマンションから外に出て、そいつを巻いて袴田さんの車に乗ったのさ。」
「同じようなもんですねー。」
「そうそう。まあねー。あと、一時間位で気づくんじゃないかー。様子がオカシイって。」
「どうしてわかったんです?部屋のカメラのこととか。」
「一般的には、部屋の角の天井付近の一番見えるところに、カメラって置かれるらしいよ。これは前に委員長から聞いたてね。ちょっと穴開けてそこにレンズ埋め込むんだって。そしてお前のマンションいった時に見たら案の定穴があってさー。それが出来る奴って、昨日から俺らのところに来ている警備員しかいないじゃん。だからヤバイって思ったのよ。」
「武田さんから人物紹介の連絡が来て、警備員の人物紹介をしましたところ、こちらで聞いている人物と全て名前が一致していました。ですが、念のため、身体的特徴を再度調べたところ・・・。」
「俺とお前のマンションにやつだけ違っていた。」
「そうです。昨日からの武田さんの部屋のガードマンは、現役の日本ウェルター級のボクサーです。」
「でもオレのところにいたのは、元ラガーマンのごついやつ」
「それに、鈴木さんのところは、登録の名前は日本人ですが、祖父が西ドイツのクォーターで、瞳が青く一九三cmの長身が特徴でした。実際はどうでした?」
「どっからみても、下町の両津勘吉でした。」
「ということです。この名前の二人の戸籍を調べると昨日から何と日本を出国していました。手が込んでますね。それで明らかなすり替えとわかりました。」
「二人の特徴までは追えず、か。」
「でも、その出国した二人が彼らに頼んだようで、相変わらず足がついてません」
「すごいね。俺たち人気者じゃん。」

袴田の運転するプリウスエレクトリックは、そのまま甲州街道を走り、国立・府中インターで一般道から中央自動車道に入った。わざとしばらく一六0kmで走り、その後八0kmに。それらを五キロの走行毎に定期的に繰り返した。
「ねえ、袴田さん。このウインドウとかってやっぱり強化ガラスだったりするの?」
「そうですよ。通常より少々重いですが、四四口径の五メートル距離発射までビクともしません。」
「すご。車体は?」
「エンジン/電気の使い分け・併用はもちろんです。最大馬力は、二八0馬力。レクサスエンジンのターボ仕様ですね。タービンの調整とか大変らしいですよ。」
「その性能に、この一般車ベストセラーのボディが載っている・・・見た目は大衆車、力は超人並み。すご。」
車が八王子料金所を過ぎる。ETCレーンではなく、敢えてチケット・現金レーンでいく。その後さらに大月方面へと加速した。青海付近にくると途端に周囲は暗くなる。深夜に近い。すると、前に表示がでてきた。中央自動車道と圏央道の分岐の表示だ。袴田は、左ウインカーを出し、そのまま圏央道方面に入った。
「どこへいくんですか?」
と鈴木。
「実は私にもわかりません・・・政府仕様車でのナイトドライブなんて、こんな時しかできませんからね。しばらく楽しみましょう。ほら夜空がきれいだ。」
「いいなー、俺も運転したい。後で変わってよ。」
「結構ですよ。もうすぐ関越道です。そこで一時間程軽食でもとって休憩し、そこでチェンジしましょう。」
「運転しても後の口外はNGでしょ。誰にも話せないのね。つまんねー。」
「もちろんです。」
圏央道と関越道のインターチェンジの「鶴岡ジャンクション」に入った。さすがにこの時間は空いている。土日の場合は、もっとも渋滞するポイントだが、平日の深夜はすれ違う車も少ない。そして、車は東京方面の分岐に入った。
「戻るのね。」
「はい。」
「じゃあ高坂辺りでメシ?」
「いえいえ、あそこはちょっと大き過ぎですので三芳にしましよう。」
「ボス・・・あの僕トイレに・・」
「我慢しろよ。あと二0分位で着くから。」
「はあ~。」
その後、関越自動車道を上り方面へと合流した。上り方面では徐々に車が増えてくる。練馬インターの表示も出てきた。車は関越自動車道の上り方面最後となる三芳インターに入っていく。車を旋回させ、一角に駐車する。鈴木はトイレへ。武田はコーヒーを飲む。袴田はタバコを吸う。時刻は深夜一時00。売店系はこの時間は全て閉まっていた。自販機しかない。袴田が予め用意していたおにぎり、唐揚など二人に渡した。
「どうぞ、かみさんが作ったものです。ご一緒にいかがですか。」
「ラッキー!!ありがとうさん。」
「ゴチになります!!」
車の中で三人は黙々と食べ始めた。
「旨い!!醤油味が効いている!!疲れた体にいいねー。ほらブイヨンちゃんも食べろ。」
と武田。袴田は食べている途中でその手を止めて、携帯していたノートパソコンを開いて見る。いくつかの動作を行ったようだ。何かをいろいろチェックをしている。そして、区切りがいいらしくノートパソコンを閉じた。
「失礼しました。」
その後、また三人は黙って食べ続けた。その後疲れているのか、目覚ましをかけ三0分程車で仮眠をとることにした。三0分はあっという間に経つ。
「じゃあ、運転はオレで。」
「はい。約束通りそのように。」
武田が運転席に乗り込み助手席に袴田が後部座席に鈴木が座る。エンジンスイッチをいれた。
「では、いきますかー。」
「はい。いきましょう。まず、ここ三芳インターのETC出口から降りてしまいましょう。」
「そう来ると思ったよ。」
この三好インターは、休憩所から直接外に出られる珍しいインターのひとつだ。車はそこから降りた。実際はETCからの入場でないとダメだが特別だった。
「ところでここからは?」
「一般道で帰りましょう。池袋方面に国道二五四号川越街道を真っ直ぐですね。」

プリウスエレクトリックが、国道二五四号線川越街道を上り方面へ走る。前後に多くの車が走る。関東の大動脈ならではだ。
「そろそろは話をしてもいい頃でしょう。」
と武田。
「そうですね。」
武田がハンドルを握る助手席で袴田が話を始めた。
「・・・甲州街道の一般道から、途中、中央道に入り圏央道、そして関越道さらに三芳インターで降りて一般道、そんなルートをとるものはまずいません。また、一番コスト単価の高いルートのひとつです。そしてエレクプリウスの後部のナンバープレートには小さな穴が空けてありカメラが入っています。追尾してくる車の撮影が可能です。そして、三芳インターまでのデータを先程本部にノートパソコンからデータを送りました。」
「すご。」
「ありがとうございます。そして三芳までの四時間で共通したナンバープレートがないか、また、この間に、数回現れた不審なナンバーがないかを現在分析しています。そして、さらにこれから行くとされる新宿ステーション・プラザホテル近辺にそれらの車がにないかを確認させています。」
「すごいです。ボス、これならやつらなんてコテンパンです」
「さらに・・・だ。」
「もうお分かりですね。」
「あー、このルートには一定的に全てNシステムが配備されている。だから、ここでも怪しい人間、複数回通ったり、Uターンしたりという車も同時にキャッチできる。」
「さすがです。こうして、違和感のある車両を探し出して、新宿付近と統合します。」
車はそのまま池袋方面へ進む。車は和光市から練馬区へ入った。
袴田の携帯電話が鳴る。いつもの物静かな感じで数分会話が続き、そして電話を終えた。
「どないでした?」
「厄介ですね。該当する車が八台もいました。」
「八台!!」
「ナレッジも勝負どころと判断しているようですね。あとは武田さん、鈴木さんのタイムシェアの実行による犯人の正体探しです。」
「プレッシャーかけないでよ。とっても弱いのよ。俺は。」
「いつもの感じで心強いですよ」
車はいよいよ山手通りを右折し豊島区から新宿区へ入って行った。

新宿ステーション・プラザホテル。新宿西口を出て東京都庁との間にあるホテルには、覆面警官二0人程が既に配備されていた。一0人は宿泊客として前日から。最上階のスイートルームの下に家族、カップルとして泊まっている。そして、武田の運転する車も、そのまま新宿ステーション・プラザホテルの駐車場に入っていった。
その瞬間だった。新宿ステーション・プラザホテルが停電に見舞われた。すぐに非常用電源に切り替わり、数分後回復した。が、近辺とホテルは混乱した。
捜査陣は一部混乱したがすぐに平静を保った。簡単に言えば、ナレッジからの宣戦布告だ。

三人は機材を並べて一気にセットアップに入っていた。
「よし、いよいよ大詰めだ。いくぜ、準備だ。映像を解析して奴らの正体を暴く。」
「はい。」
二人はタイムシェアリングのため、二0台のノートパソコンを一斉に広げ、電源をいれた。
「いくぜよ。日本の明日が待っているぜよ。」
武田が叫んだ。そしてスイートルーム特設の六0インチのモニターに四ヵ月前の秋葉原の映像を映し出した。タイムシェアを使って二四時間で一気にナレッジの解明に行く。
「準備オーケイ!!」
すべての機器が並んだ。
「ではいきます。タイムシェアリング実行します。四ヵ月間の秋葉原の映像解読を実施します。」
鈴木はエンター・キーを押した。同時に二0台のパソコンが動き出した。四ヵ月分を二四時間で確認するためのタイムシェアリングには相当の時間数調整が必要となる。
深夜四時を調度過ぎた頃だった。
「ところでこれだけの時間数は、どこから拝借を。」
と袴田か尋ねた。
「悪いが、今回は一か月前の逆を頂くぜ。センター試験五0万人分の時間数をね。こいつを少々頂くぜ。」
「大胆ですね。認可します。」
二人の両手のブライドタッチが目まぐるしく動く。後ろには袴田いる。はじめて袴田はタイムシェアの仕組みを目の当たりにした。
「こう言ってはなんですが、タイムシェアリング・・・意外と単純なんですね。」
「ばれました?」
「はい。ばれてしまいました。」
「著作権あるからパクらないでね。」
「お約束はできませんね。国家的危機があれば、パクるかもしれませんよ。」
「その時は了承しますよ。」
「しかし本当に単純だ。地域毎のグーグルタイムを地区ごとにピンポイントで変更し、時間係数を変え、それを別の場所で逆反映するだけなんて。」
「そう。だから、グーグルが独禁法になって分社化とかされたら俺たちは全滅。この電波時計にほぼほぼ統一された現代だから出来るだけなのさ。」
作業に集中する。あと約二三時間を乗り切れば、ナレッジの正体が判明し組織の壊滅に大きく前進する。そして二億円近い高額の報酬が二人を待っている。
その時だった。新宿ステーション・プラザホテルの二階が出火した。火の回りがやたらと早い。明らかな放火だ。一0分後消防車が集結する。ホテルの従業員が各階にまわって非難を促した。そしてスイートルームにも従業員がマスターキーをもって、流れ込んでくる。従業員がドアを開けた。一人のホテルの制服を着た男が火炎瓶を投げた。
「お前何やってんだ!!」
ひとりの従業員らしい男を他の全員が取り押さえた。はじめてのナレッジの手掛かりが判明するのだ。部屋は火炎瓶で激しく炎上している。が、そのスイートルームには誰一人いなかった。
ホテルの火災、スイートルームの炎上を武田・鈴木・袴田の三人は遠くから見ていた。
新宿ステーション・プラザホテルのスイートが唯一眺めることかできる新宿インターナショナルホテルのスイートに三人はいたのだ。双眼鏡から覗くその部屋の状況に、三人は安堵と恐怖を覚えた。
「ステーション・プラザホテルの駐車場に入って、車から降り、別の新しい車に乗り換え・・・場所移動・・・作戦は成功でしたね。」
と袴田。
「怖いよね。」
「バレバレで動いた作戦が逆に功を奏しました。ステーション・プラザホテルのスイートが唯一傍観できるこの場所は貴重です。でも油断は出来ませんね。」
「そうだな。思ったより、ナレッジの行動にはタメがなく早かったからな、相当焦ってるようだ。」
「はい・・・来ますよ。ここにも。」
と袴田。
「うん。時間の問題だな。わりぃけど、袴田さん認可頼むわ。犯人の割出にはあと二三時間前後。このままではここは突き止められるからな。いいですか。」
「内容によりますが。」
「よし、タイムシェリングの対象を広げろ。」
と武田。
「対象は?」
「悪いが、受験生全てから時間を頂こう。塾に通う小学六年生と、来月試験を迎える中学三年生からも少々時間を頂こう。」
「全受験生からの時間を少しだけ徴収するわけですね。許可しましょう。」
「ありがたい!!これならタイムシェリングの対象は、一00万人以上だ。当初の五0万人と足せば、四時間で作業完了できるぜー。良い子は寝ている時間だ。時間帯も調度いい。」

午前七時。四か月間のデータ解析が完了した。その結果ひとつの場所が浮かび上がった。
「ようやく足跡が見つかりましたね。早速行きましょう。朝一乗り込むはベストですよ。さあ、体力が限界なのはわかっています。ラストスパートです。」
三人はインターナショナルホテルのエレベーターを降りて地下駐車場に向かった。二人は、昨日乗り換えた車のカローラ・エコリミテッドへ向かって走った。
「お二方。そろそろ彼らが嗅ぎ付ける頃です。さらに車を変えましょう。こちらです。」
三人はカローラ・エコリミテッドと逆の方向へ走った。
「さあ、これです。」
目の前には、形の古い軽自動車があった。
「軽ですか?」
「はい。地味な程いいですよ。こういう時は。でもご安心下さい。防弾ガラス&装甲車並みの強化ボディ、そしてエンジンは、六六0ccですが、馬力は一一0馬力もあります。」
「すごい規制違反。」
そう言うと同時に三人は軽自動車に乗り込む。運転は袴田。そして、イグニションを回して、サイドブレーキを下し走り出した。すると何故か新宿ステーション・プラザホテルの従業員の制服を来た数人が、軽自動車とすれ違いにホテルの中に走り込んできた。調度軽自動車と入れ替わった形だ。軽自動車がホテルから飛び出した。制服の連中は誰も気づいていないようだ。
「ハハ、危機一髪でしたね。」
と袴田。
「では、割り出した神谷町まで向かいましょう。首都高に乗ればすぐに到着です。」
午前七時半。虎の門の神谷町第三二ビレッジビルの三七階に三人はいた。エレベーターではなく、念のため階段で駆け上がった。
「・・・足が超マジでベリースーパー痛いわ。そういえば二日間徹夜だし。足にくるわ。しかし随分立派な事務所ね。」
目の前には巨大な扉があった。
『ファースト・ジーニアス・コーポレーション』と書いてある。
タイムシェアで事務所を割り出したのがここだった。いよいよナレッジに乗り込む。秋葉原のカメラから割り出した人物を追いに追った結果、ようやく数人がここに通っていたことが判明した。四時間前からの検索でわかったのだ。
「さて、どうしましょうか。」
「どうもこうもないだろ。そのうち社員の誰かがここにくる。」
「そうですね。」
「プールで言ったべ。攻撃は最大の防御だってね。」
武田はそういうと、ドアに手をかけた。
「待ってください。捜査員がもうすぐきますから」
「へへーんだ。俺はセッカチなの。」
壁際に走り、今度は逆に扉に向かって武田がドアを蹴り開けた。勢いよく扉が開く。
三人が中に入った・・・しかし、そこには、誰もいなかった。
「はいはーい!!タイムシェアリングの代表が参上だぜ!! オラオラ誰もいないのかよ!!」
さらに武田が叫んだ。そして歩き出す。すると、後ろで激しい音がした。扉が閉まったのだ。
「そこまでだ。」
「やっと出できたな。ようやくだぜ。」
と武田が振り返って言った。
「バカな。カッコつけやがって。入口は全てロックした。警察でもここにはしばらく来られんぞ。」
すると、その男たちは鈴木と袴田の二人を後ろから掴んだ。
「あらあら、君たちはウチの研究所にいた巨漢ね。」
「あー、そうだよ。最初からゲームはこっちのものだ。」
「ハハ、ゲームに例えるわけね。ゲームね・・・なら、ビビるなよ。」
巨漢の二人が警戒し身構えた。
「・・・俺はドラクエを五時間でクリアした。魔界村も一機も死なないで二周クリアができるぜ。」
巨漢の二人が唖然とする。
「何言ってんだ。こいつ。」
「いや、そっちがゲームで例えたから、俺もそのゲームの実力をPRしよう、とね。」
すると、また一人現れた。屈強な男とは逆に、小柄で細身の男だった。その顔に武田は見覚えがあった。
「やっぱりだ。」
三0代半ばと思われるその顔には薄笑いが浮かぶ。
「さすがだな、武田。久しぶりだ」
「ふーん。何だか、嫌な予感がしたぜ。そもそもこのナレッジのやり方は、お前らしかったもんなー。ファースト・ジーニアス・コーポレーション代表、もとい元サイバー・スチューデント代表。富田貴之君。」
「一五年振りか。こうして会うとはな。」
「卒業旅行のシリコンバレー以来か。」
「そうだ、お前は学生の頃からいい加減な毎日だったが、しっかりバイトで日本盤フェイスブックの礎『合コン.COM』を開設した天才だったからな。」
「よくいうぜ。お前も格安通信家庭教師。『ファミリー・スタディ』でガッポリ稼いだくせに。学力を上げる、ではなく、試験問題専用の突破講座だ。その進化版がこことはね。」
「過去の話は今はな無しだ。グスグスしているとそこのハムさんが要請した警察が流れ込む。」
「セキュリティバッチリじゃないの。」
「そうはいっても、国家権力は強い。もって三時間だってところだろう。」
「逃げられるのか。」
「余計な心配だな。」
「お知り合いですか?」
と袴田が言う。
「簡単に言うと同窓生ね。こいつ学生の頃、塾講師としては、かなりのものだったけど、ひねくれたのよ。大物政治家の息子の受験に失敗して。でもって、何が何でも受からせろってね。無理やり筑波大学の二次募集で受からせたんだよ。そして、その政治家から当時二000万円近い報酬貰ってね。そこからこいつは別人になった。」
「俺は、親から多額の教育費で東大に入った。だがわかったんだよ。世の中の仕組みはそこにはないってね。」
「うっせーな。で、俺たちをひっとらえてどうすんの。殺すような度胸はないだろ。」
「確かにそんな馬鹿な度胸は俺にはない。むしろ逆だ。お前のタイムシェアリングの技術を奪い取り、韓国、中国で巨万の富を得る。そして、ブリックスに乗り込む。新興国の官僚クラスを握り世界をとるんだ。」
「はいはーい。質問!!世界とってどうすんのよ。」
「お前とは話し合っている暇はない。俺は世界の構造を全て変えてやる。努力が云々という価値基準の異なる仕組みから、金という共通の価値を高めるんだ。世界の軸を作ってやる。努力でも身体能力でもなく、資産価値基準という統一概念の世界を作るんだ。」
「それやってどうするの。それでお前は納得するのか、下らねぇ。」
「フン。相変わらず空気が読めないようだな。状況を理解しろ。お前は今は手も足もでないんだ。」
「空気なんてそもそも見えねーよ。空気はただ吸うだけだ。」
「この二人がどうなってもいいのか。」
「あー、どうなってもいいさ。所詮は他人だ。」
驚いた表情の鈴木と袴田。
「冷たい方です。」
「そうですよー。ボス、助けて下さいよー。」
「人の事にかまってるヒマないのよね。」
「武田。タイムシェアの技術を渡せ!!」
「答えはノーだ。」
「この二人はどうなってもいいのか」
「イェス!!アイアム」
「わかった本気のようだな。」
「いつだって本気だぜ」
「仕方ない、見せしめにまず一人やれ。こいつは何だかんだいって情に弱い。」
巨漢がその拳を高々と振り上げた。それと同時に武田はポケットのスマートフォンのタブレットに触った。
「よしタイムシェア実行だ。受験生諸君、さっきの残った時間をまた使わせてもらうぜ!!」
武田が叫んだ。そして武田の実行したタイムシェアが遠隔操作で機材のある軽自動車に届く。武田の時間が一000倍に増強した。巨漢の拳が降りあがる一瞬に対して武田はそこに一二0秒を得た。一瞬対二分の戦いは明白だった武田は悠々と二人の手を離した。同時に巨漢二人と富田に武田は拳を振り落す。武田には、巨漢二人、富田がスローにしか感じない。
二人は倒れこんだ。気絶しているようだ。
「いやだね。手が汚れるわ。」
すかさず、袴田の内ポケットから手錠を出し、巨漢と富田のそれぞれの手首につなぐ。もちろん手錠の間には会社の入り口の取っ手を介した。これで二人は動けない。これらを悠々二分で完了した。巨漢と富田にとっては一瞬だが。
「ははー、完了だ。前半戦は俺の勝利なりぃ。」
「ボスー。」
「遂に出しましたね。奥の手のマイ・タイムシェアを。」
「そういうこと。会社立ち上げた時のテスト以来だね。」
「しかし、悠長にしている時間はありません。追手が来ますよ。」
「だいじょーブイ!!」
そして、武田がスマートフォンを取り出す。
「では、おいらの最後のタイムシェアリング実行だぜ。」
「それはどんな・・・。」
「今日は土曜日だ。この時間の独身公務員はみんな寝てるぜ。」
「まさか。」
「その通り、これは国家問題なりぃ。というわけで、国家公務員の昼間まで寝ている。独身者一二0万人のタイムシェアを実行さー。俺たち三人にシェアだ。一瞬が三時間になりまーす!!では皆様ご唱和を。」
そして三人が深く息を吸い込む。そして揃って叫ぶ。
「ラスト・タイムシェアリング実行しまーす。」
武田はスマートフォンをタッチした。同様に、コマンドが全ての機器に指示を発信する。
「よっし。今から一八0分で、奴らのメンバー、証拠を掴みにいこうぜ。これですべてが解決だ。その後もう一億円も入るぜ。」
三人は事務所の奥へとかけていった。

思ったより中は広い。年商二0億円のナレッジと、現資産一八0億円の『ファースト・ジーニアス・コーポレーション』の事務所は複雑だった。営業部、総務部、開発部など多数の部署がある。三人はとにかく各部署に走る。まさに一流の会社だ。
「目指すは、『ファースト・ジーニアス・コーポレーション』内のサイバー・スチューデント部のシステム・電算部だ。」
と走りながら叫ぶ。
「ところで、いくつかよろしいですかー。ホッホッ。」
と袴田。
「はい。走りながらですがー。ホッホッ。」
と武田。
「さっき巨漢と富田の動きがスローになりましたが、タイムシェアにはそんな効果はないですよね。ホッホッ。人の動きのスピードまで変える機能は無かったと理解していますが。ホッホッ。」
走りながらよく話ができる。
「あいつらバカなんだよ。オレが『タイムシェア』って言ったら、ビビりやがった。ホッホッ。」
「どういう事ですか? ホッホッ。」
「簡単に言えば時間に飲まれるているんだな。ホッホッ。あいつらタイムシェアがどういう仕組みかわからないから、俺が『タイムシェア』って叫んだら怯んだんだよ。ホッホッ。」
「もう少しわかり易くいうと?ホッホッ。」
「美食家からこれは甘いですよー、って言われたら食べたそのもののから無理矢理甘さを探し出す、霊能者からここは霊が出ますよー、って言われたら勝手に霊を見つけ出す、先入観で体が反応するんだ、ホッホッ。」
「それで武田さんが、タイムシェアリングと言った瞬間体が意識して固まった・・・ホッホッ。」
「そういうこと。ホッホッ。だから奴らは体が大前提の時計に反応した。勝手に体が強張ったんだろうな。人間は意識が支配しているからね、ホッホッ。だから自分たちがスローになったというよりは、ホッホッ。俺たちがタイムシェアで恐ろしいスピードを獲得したという錯覚に陥っていると思うよ。ホッホッ。」
「じゃあさっきのは博打みたいなものですね。ホッホッ。」
「イッツ・ア・ビギナーズ・ラック!! ホッホッ。」
と武田。
「あともう一つですが、ホッホッ。さっきのタイムシェアですが。公務員対象でしたよねー。ホッホッ。今日出勤して緊急でここに来る要請される警察も含まれていませんかー。ホッホッ。」
「確かにあるうりかもー。ホッホッ。」
「こちらへの出動部隊が極端に少なくなるかもしれません。ホッホッ。」
「エエー、ホッホッ。」
と鈴木。
「その時はその時でしょ。ホッホッ。最後は人間なんて運だぜ。これまでの行いの。ホッホッ。」
「これまでの人生に自信あり、ですねー、ホッホッ。」
「あるわけないでしょー。はい、ペースをあげて ホッホッ。」
広い事務所の複数に分かれているドアを一つずつ、三人は走って開けていった。

フロアを上がった三八階の奥に、何も部署名の書いていない如何にも重そうな扉があった。そこを総務部から拝借した。鍵で開ける。
「間違いなくここだ。富田のやろうは昔からエロイ奴だったからな。肝心の場所は秘密にするんだよ。好きなものを最後に食べる嫌な奴だったからなー。」
三人で思い扉をあけた。そこには目を見張る光景があった。サーバーにしてざらに一00台はある。さらにその一00台は二0台ずつ五ブロックに分けられているようだ。一00台の稼働しているサーバーの点滅が星空のようだ。
「すご。」
「すごいですねー。」
「さすがは、サイバー・スチューデントという日本トップシェアの通信家庭教師システムと、ナレッジシステムの基幹だ。家庭教師に登録させて、ナレッジで合格させる・・・完璧だ。入会額が安く合格の報奨金で稼ぐ成果報酬方式・・・あいつやるな。とにかくデータを頂こう。」
ここに乗り込んで一時間が経過した。残りの時間は二時間もない。
「武田さん。早速作業に入りましょう。目的は二つです。ひとつは、これまでの犯行の証拠をつかむ、もう一つは、このシステムの破壊です。」
「ラジャー。間に合うかな。相当のセキュリティロックが入っていると思うが。」
「やるしかないですよ。ボス。」
「そうねー、いいこと言うじゃん。確かにその二つを終えれば追加一億円だからな。」
三人は五ブロック分かれて箇ヵ所に座った。
「すご。これ全てウインドウズ12NTプロだ。やるなー。発売は来年だぜ。畜生。まだ販売すらしていないシステムの把握と破壊とはね」
「いきますかー。」
「いくしかないでしょー。」
三人は一気に作業にかかる。まずは、ウインドウズ12NTプロの把握からだ。
「それにしてもさっきラスト・タイムシェアリングと言っていましたけど、今回で終了なのですか。」
「仕方ないでしょー、国家にもばれ犯罪集団にも狙われ今回こうして派手にタイムシェアした。これではこの先いろいろと気付く奴が出てくるでしょ。もう限界ですわ。人間引き際が大切だよ。奢って視点がぶれたら人間が変わっちまうからね。」
「もったいない。」
「もったいなくないよ。これでもう一億円入るからね。」
「ハハ、相変わらずの頼もしい位のマイペースですね。」
「俺のいいところだね。まあ一億円で新しいことするよ。別のことにまた挑戦すればいい。人生は永遠に突き進んでいくものさ。止まって安心したら進化が止まるぜ。命は使い切ってなんぼさ。」
「よいですねー。私ももう少し若ければ、とよく思いますよ。こんながんじがらめの官僚だと毎日がつまらない。その点今回のミッションは実に楽しい、生きている充実を感じます。」
「へへ。年齢を理由にした時点で逃げてますよ。年齢は関係ない。問題は諦めないハートだ。」
「参考にします。」
三人は座り作業をしながら話を続けた。
「生きることは戦うこと。それの積み重ねしかない。でも、こうしてウインドウズ12NTプロに、無難に挑むなんて袴田さんお見事ですよ。」
「嬉しいですね。まだまだ私もいけますかね。」
「一00%いけるね。」
さらに一時間が経過した。現在の五ブロックのデータ、つまりハードディスクのコピーがようやく完全に完了した。次は破壊の開始だ。五ブロック中四ブロックのシステム破壊までは完了した。といっても、最新のウイルスを全てのサーバーと端末に感染させただけだったが。
「あと一ブロックの二0台だ。しかし、このキラーウィルスは便利だねー。一度ウイルス入れたら、勝手に増殖して組織を内部から破壊する。怖いね。」
「はい。バーチャル癌ウイルス。これが略称です。残り一時間程あれば・・・順調ですね。」
と鈴木が言う。
「そうだ。袴田さんいいですかー。」
「はい?」
「さっきのデータのコピーを、そのハードディスクにもコピーして下さい。あとここにも。それで三つだ。俺と鈴木と袴田さんの三人がそれぞれ持っていよう。その方が安全だ。例え誰かがやられてもね。三人が持ち歩けば向うのリスクは三倍になる。」
「確かに。では、接続してダブルコピーをやりましょう。」
「お願いします。」
三人はそれぞれの最終作業に入った。もうウイルス注入と、コピー&ぺーストがメインだ。簡単にいうと、待ち時間が中心だ。それぞれの画面には、フォルダからフォルダへのデータ搬送の表示が繰り返れる。しかし、問題は「残り時間」の表示だった。
「残り時間が、ウイルス、コピーの完了まで残り九0分か。」
「どうしました?」
「いや、俺たちのかけたタイムシェアリングの時間が残り五0分程。そしたら、連中がくる。でもって、コピー&注入の残り時間があと九0分だ。間に合わないかもな。」
「私思うのですが、全てのデータを引っ張る必要はないのではないかと・・・一部あれば、それだけで証拠になって起訴は可能です。」
「そうはいくか、【これだけしかやってません】で情状酌量型に入れば意味ねぇよ。全てのデータをぱくる!!」
「でも時間が・・・。」
「大丈夫。ギリギリまでコピーしてやるさ。それに・・・。」
「はい。コピー、貼り付けの残り時間は残り時間が少なくなる程加速して短縮しますから。」
と鈴木。
「そういうこと。もしかしたら短縮される可能性もある。だからギリギリまでやろう。しかし、こうして待っているのも効率が悪い。というわけで全員お片づけを始めて・・・脱出方法でも考えましょうかー。」
「確かにそうですね。ここのフロアは奥地ですから、逃げ道がありませんでしたね。」
「どうしよっかー。窓からかっこよく飛び降りて、そこでヘリがキャッチするとか・・・。」
「ここ三八階ですよ。それにヘリは要請していません。建物が近すぎなのでこの距離では無理でしょう。」
「何だよ。飛び降りたら自殺になっちゃうのね。といってもここの正面突破はキツイなー。エレベーターも四機あるけど、遠いし場所も集中しているからなー。困ったなー。」
三人が天井をボーっと見つめ考え続ける。何かいい手はないのか?その時、武田がモニターを確認する。

コピー&ペーストの残り時間に変化見られた。
「時間が追い付いてきた。いい感じだわ。このままのペースだとタイムシェア時間を追い越しそうだ。ラッキー。」
「はい。予想通りですね。」
「でさ。今思ったんだけど、このビルってとっても新しいじゃん。てことは、避難梯子みたいの各階にちゃんと設置してあるんじゃない。避難器具とか。」
「確かにそうですね。探してみましょう。」
三人は辺りを探し始めた。すると、フロアの隅に一角の窓があり、そこに小さなベランダがあった。調度人が二人入ればいっぱいとなるスペースだ。その入口に四角い鉄の箱がある。真ん中だけプラスティック製だ。そこを武田がパンチをした。中に手を入れて右に回すと鉄の蓋が開いた。
「あった。」
中には救命服と非難食があった。そして鍵も。どうやらベランダの避難梯子用と思われた。案の定ベランダには避難梯子があった。三人がそこに駆け寄る。
「おお。すげえネーミングだ。避難梯子『タスカルンジャー』だって。」
避難器具の中から何やら目的のつかめない防護服を発見した。
「折角なので、さあこれを着て下りましょう。」
「この下は誰かいないのかよ」
「大丈夫でしょう。さっき走っている時確認したら下は家庭教師会社ならではでした。参考書の教科書室でそこのベランダです。この時間ではまだ誰もいないでしょう。」
「オーケイ、ベリーチャーンス!!おい、そろそろコピー完了だろ。時間がない。みんな荷物持って下に降りよう。」
「バッチリです!!いよいよ脱出ですねー。」
三人は上下のツナギを着る。不思議なオレンジ色の救命着だ。
「ところで、このヘルメットはどうします。」
「なんか良いことあるだろう。持っていこうかー。」
「でも荷物になりますよ。」
「じゃあ、みんなで被っていきましょう。」
三人はひとつずつ梯子を降りて行った。もちろんシステム・電算室には中から鍵を閉めて机も押し付けてある。時間稼ぎ位にはなるはずだ。

再び三七階に三人が到着した。
「さすが『タスカルンジャー』だ。ラッキー。午前中の資料室には誰もいないのね。でもここも相手のホームエリア。ところでさらにこの下の階は?袴田さん。」
と武田。
「この下はスポーツクラブですね。三六階と三五階は会員性の有名フィットネスクラブ、オリンピアスポーツクラブです」
「じゃあ、続いて下りていきますか?」
「はい。」
そして三人は、再び三七階の『タスカルンジャー』で下の階に降りて行った。そろそろ彼らが電算室に乗り込んで来る頃だろう。

三六階はさすがに人気があった。朝の有名スポーツクラブは一流企業のビジネスマンで溢れていた。武田たち三人は、そこにオレンジ色の上下ツナギの姿でドカドカと中に踏み込んでいった。
「なんだー、君たちは、」
ジムが騒がしくなる。突然ベランダから、オレンジ色のツナギの三人が現れたから当然だ。
「どもども皆様おはようございまーす。この度は、お世話になります。神谷町ビルライフの早朝スプリンクラーの点検でございます。お世話になります。どうもどうも。」
と武田。
「何だよ。ビルの点検かよ」
「はい。今日は六ヵ月点検です。皆様にご迷惑は掛けません」
「張り紙も通達もないじゃないかー。」
「予告したら、ビルチェックになりませんからね。ほら、お父さんも糖尿病の前日だけ素食になったりしませんか。」
「うーん。確かに。」
「それと一緒。だから抜き打ちなんです。」
「そうなんですかー。それはそれは。」
その時だった。火災報知器らしいベル音がジム内に響き渡り作動した。激しい音が連続しスポーツクラブに動揺が走る。
「何かしました?」
と小声で袴田が武田に言った。
「あー、三八階の電算室を出る時タバコに火をつけてそのままにしておいた。しかも五本も。」
「では引火?」
「はい、って言ったら放火犯になるので・・・俺知りません。でも今頃上は大混乱中でしょ。今がチャンスチャンス。みんなで下にレッツゴー!!」
三人はエレベーターと階段を使い分け、念願の一階に着いた。
「さあ、こっちです。」
と袴田が一階のメインゲートに駆け出した。
「あれれ、地下駐車場の軽自動車は?」
「返ってあそこにいったら危険です。タクシー使いましょ。で、メイン道路を使えばセイフティですよ。それにしてもこの沢山のハードディスク重いですねー。」
待望のビルからの脱出がようやくできた。虎の門の桜田通りが目の前だ。袴田が手を挙げ三人はタクシーに乗り込む。
「どちらへ。」
と個人タクシーらしい白いタクシーの運転手が言う。
「虎の門のピースレジデンスへ。」
タクシーが発進した。

 三人は車からの景色を眺めていた。新しいビルが左右に並んでいる。桜田通りにはこれから出勤のために会社に向かうビジネスマンが大勢早足で歩いている。
「これで安心です!!まだデータは確認していませんがもう大丈夫でしょう。」
三人は、タクシーの中で両手を叩きあった。
「やったー!!これで一億円だー!!イチオクエン!!イチオクエン!!イチオクエン!!」
「やったー。これで豪遊ですよー。飛鳥IIでドンペリ一斗缶ですよー。」
「イチオクエン!!イチオクエン!!イチオクエン!! イチオクエン!!イチオクエン!!イチオクエン!! イチオクエン!! イチオクエン!! イチオクエン!! 」
逆方向から多数の消防車がすれ違うのも気が付かない程に二人は騒いでいた。
目的の虎の門ピースレジデンスには数分で到着した。タクシーが止まり三人はそのマンションに入って行った。袴田がすぐに鍵を掛ける。六LDKの豪華な部屋だ。
「さあ、もうご安心下さい。ここは日本政府公認のセイフハウスです。主に難民や脱北者を守る拠点のひとつです。前はアメリカ大使館、後は国会です。しかもどちらにも地下で繋がっています。壁は超強化壁、窓も防弾、中は完全防音、誰が来てもレーダーキャッチ撮影が作動します。」
「すご。」
「はい。もちろん今日以降今後は秘密にして下さいよ。場所も全て。それにしても、あなた方にはセンター試験から含めて感謝しかありません。見事に相手の心臓にハードパンチを食らわせました。これで正体もわかるでしょう。そして利用者も全て判明します。すべては終わりました。」

武田は広いマンションの天井を見つめていた。白く広いソファに深く腰をかけていた。目を閉じればすぐに眠ってしまいそうだった。
「袴田さん。本当にこれで終わりですかー。」
「いやいや、もちろんこれから依頼者の特定、その道義的責任、犯罪の立証と忙しくなりますよ。」
と袴田。
「違うよ。俺が言っているのは、そういうことではじゃなくて。」
「といいますと。」
「委員長、俺をなめちゃいかんよ。」
「は。」
「ひとつ質問がある。明確な回答が欲しい。何故今回公安が動いたんだ。本当に犯罪組織ならストレートに警察が動くはずだ。だが、何故公安なんだ。そもそも国家公安委員会の役目は、警察の公正な活動、官僚、国会議員の適正業務を監視し告発したり警察組織、官僚機構の統治がそもそも役割のはずだ。」
「警察も人手不足ですから。」
「何度も言わせるなよ。俺をなめるな。」
「なめてなんていませんよ。」
「では、オレの推理というか、仮説を言おうか。」
「どうぞ。」
「そもそも毎年二0億円が動いていて、これまで明るみに出なかったことがそもそもおかしい。そして家庭教師と回答集団、受験競争の苛烈化、それらにより受験生はこの少子化の中でも減らない。誰もが受験を受けられ合格するようになるのであれば少子化の中でも受験生は増える。国立大学、私立大学のOBとOG、私立高校、小学校の運営、すべてがうまく回るんだ。つまりナレッジによって教育産業が潤う仕組みだ。人為的にね。そうなればイコール文科省の予算も全て回る。全国の教育委員会にも予算が回る。族議員の面目も立つ。地域の教育産業が潤い、族議員もその票も教育委員会の支持基盤で安泰だ。つまり・・・ハッキリ言おう。」
「どうぞ。」
「ナレッジの母体とバックの黒幕は、文科省に群がる族議員、官僚じゃないのか。だから公安が動いた。そして俺たちのような、アンダーグラウンドでしか動けないコンビに依頼をせざるを得なかった・・・。」
「武田さん。それ以上言ってはいけません。ここからはあなた方のミッションではありません。」
「わかったよ。否定しないところを見ると当りみたいね。教育産業からの癒着と裏金が、ナレッジのそもそもの資金だった訳ね。そして選挙地区の家族、子供を合格させて外に口外出来ない絶対の支持基盤と票が得られる、そういう仕組みか。」
「建前は教育産業の少子化による衰退を止める、ですかね。」
と袴田が言う。
「とぼけちゃって。全部想定しているんでしょ。」
「さあ、私にはさっぱり。」
「まあ、ここのハードディスクの中身で全てが分かるわけね。」
「そういうことです。」
「さて、このデータをどうしよう。ここには推定二万人近いナレッジの利用者のデータがある。約七年間の顧客データだ。」
「これで全てがわかります。凄まじいデータです。国会議員、県会議員、芸能人など誰もが知っている著名人のお子様ばかりでしょう。財力=合格の図式です。彼らを退治しなければなりません。」
「しかし、どうしてそんな風に袴田さんは気合を入れるのさ。もうすぐ定年でしょ。敢えてそんな犯罪集団の撲滅より、無難にしていればガッツリ退職金が入るじゃないの。」
すると、立っていた袴田が武田と鈴木の向かいのソファに腰を下ろした。そして床の絨毯を見ながらタバコを取り出した。そして火を付ける。袴田は冒頓と話をし始めた。
「私事ですが・・・私の両親はとても貧しかった、戦後の満州で私を生み育ててくれました。それは差別と貧困の極みでした。そんな中で帰国し闇市で金を作り、一人息子の私を一流の世界に通じる日本人になって貰いたいという願いとともに、心血を注いで、私を教育してくれました。全てを投じて。そして、私も全力で努力をしました。満州帰りという理由だけで学校では常に虐めを受けました。私は・・・当時の東京の人間に勝つために、一流の日本人になって両親や家族を育むために、未来の日本を作るために懸命に生きてきました。」
「だから許せない、と。」
「そうです。努力をしその成果として高い成功と繁栄が獲得できる。それが強い国家になる原理原則です。確かに教育はお金が掛かる時もあります。しかし、そのお金はその個人の努力に助長する環境作りの為でなくてはなりません。不正の為では絶対にならないのです。不正で教育産業が潤う、そんな仕組みは絶対に許してはならないのです。」
「そりゃそうだ。」
そして、袴田は再びソファから立ち上がりセイフハウスの二0畳の真ん中で佇む。深く息をした。それを確認すると武田と鈴木の二人は、いよいよ持ち帰ったデータ機器をバックから出して情報の整理を開始した。モニターには資金援助をしていた者の名前が次々と上がってきた。

・元 文部科学省 政務次官 小西武幸
・元 大阪府教育委員会 委員長 佐藤秀樹
・元 代々木進学アカデミー 代表取締役会長 桐生宗利

「すげぇな、こんな大物までが資金援助しているのか。利用者もすごいねー、大物がいっぱいいる。女優の徳永峰子・・・落語家の大家、伊集院正嗣とゾロゾロいるぜ。みんな子供がかわいいのね。」
その時武田の手が止まった。資金援助リストの一人に目が留まった。

・元 京都府教育委員会 委員長 袴田啓二

「袴田啓二。」
武田が言った。
「どうやら気付いてしまいましたね。恥ずかしい限りです。啓二は私の弟です。昨年ガンで亡くなっていますが・・・彼もユーザーでありナレッジの中核となる支援者でした。息子をどうしても医学部に入れたい、ですがその期待に沿えず息子は国立大学受験で二浪してその挙句にナレッジです。教育委員長の息子が三浪では面子が立たないということらしく・・・。癌で末期の頃、モルヒネで意識が朦朧としている中、最後に啓二はこの事実を私に告白しました。そして組織の深さを同時に知りました。」
「ちなみにその息子さんは?」
「医学部に入学した後、結局授業に付いていけなくなりその後はアルバイトばかり。授業にも出席せずに・・・。そしてアルバイトの歓送迎会の際、急性アルコール中毒で亡くなってしまいました。身の丈に合わなかったんでしょう。学力だけでなく、いろいろな背景も含めて。」
「親も受験以降、重い荷物を持ち続け・・・子供も同じくその荷物を背負い続けた・・・結果家族は逆におかしくなった、か。」
「はい。ナレッジ・ユーザー全員がそうとは言えませんが、他にも同様の者が深層にはいるはずでしょう。」
「ふーん。やっぱり正面からいかないといいことはないみたいね。まあ、もうちょっとでデータ纏まるから、もう少しで。ナレッジ・・・その存在の意味がわかるだろうよ。」
「はい。」

武田と鈴木の二人は作業を続けた。開始から二時間程が経過している。気晴らしに付けっ放しにしていたテレビから速報ニューステロップが入った。ニュース速報の表示が忙しく続いている。テレビのニュースが伝えていた。
『文部科学大臣 突然の辞任 持病の悪化によりしばらく入院へ。』
さらにニュース速報が続く。
『防衛庁 事務次官 突然の辞任 両親の介護に専念のため・・・。』
『歌舞伎俳優の大御所 突然の引退 視力低下のため演技に支障が・・・。』
三人は次々に流れるニュースに唖然として眺めていた。
「おいおいおい、タイミングが一緒だと逆に怪しまれるぞ。アホか。」
と武田が言う。
「ところで袴田さん。これからどうすんのよ。このデータは明確な証拠だ。」
「もちろん。資金援助している全ての者。利用した全ての者を逮捕し起訴します。」
武田はそれを聞くと黙り込んだ。今度は武田がタバコを吸い始めた。少々の沈黙が支配する。そして武田が口を開く。
「やめたら・・・完全解明は。」
袴田が驚いた表情で武田を見た。
「何を言うのですか。これは、れっきとした組織犯罪です。テロリストに等しいです。国家の根幹を揺るがし国力の弱体化へ直結します。」
「これでナレッジも正体が判明してもう解散だ。組織は全て壊滅。資金源もなくて解散だろ。それでいいじゃない。」
「では努力無しでのうのうと今を生きている彼らはそれでいいんですか。彼らに努力の大切さを伝えるのと、これから同様の事態が発生しないように犯罪集団にけん制をします。今後も同様の犯罪集団が現れないためにも。」
「まあね。悪さをした奴を放置する訳にはいかないよな。でもさ。やっぱり止めたら。」
「何故です。犯罪は犯罪です。別に個人的な感情ではありません。」
「それはわかっていますよ。袴田さんの個人的感情ではなく、国家的使命であることは。」
「どうしてですか。どうして。」
と鈴木もいう。折角の今日までの努力がある。
「いーや、俺は反対だ。本当ならこのデータを渡したくないくらいだ。ここで壊したいくらいだよ。」
「意味がわかりません。どうしたのですか。」
「別に気がおかしくなったわけじゃないよ。ただね。」
「ただ?」
「このデータを遡ると七年前のセンター試験の履歴から始まっている。そして総勢二万人近い利用者、不正・回答依頼があるのがわかった。だからダメなんだよ。」
「もっと明確に言って下さい。」
「言いたくねーな。いいか、当時の利用者は今二0代後半に差し掛かかっている。この少子高齢化の日本を背負う生産資源だ。そして二0代を中心に二万人が利用していました、と俺たちが派手に公開したらどうなる。」
「それでいいんです。犯罪は無くなります。」
「犯罪はもうあのビルを出た時点で起こらないよよ。だが、この事実が明るみに出たら、この手があったのかいうことで、多くの第二、第三のナレッジが出てくる。それに。」
「それに?」
「確かに受験では不正を行った。でもそれを悔いて、その後努力して努力の大切がわかった奴もいるだろう、それらを悔いている両親もいる。ちゃんと生きていこうと誓った両親、そして利用した二0代もいるだろう。袴田さんの弟さんのように利用以来みんな重荷を背負って、逆に努力の大切さがわかった者もいるかもしれない。つまりは・・・不正に負けないように利用の後、正面から努力した奴もいっぱいいるはずだ。必死で追いつこうとした奴もいただろう。途中でついていけなくて悔いた奴もいたはずだ。やっぱり努力すべきだったとね。大学に入って在学中に、社会の一員になってわかったことが、きっといっぱいあったはずだ。その中で、俺たちが今このデータを一気に暴露して一体何になるんだ。二万人とその周囲がみんな傷付くんだ。」
「じゃあ、努力してきた受験生はどうなります。」
「益々努力するだろう。こんな連中に怪しい奴に負けてたまるかってね。それに受験が全てじゃない、そこからの努力で人生が決まるんだ。」
「じゃあ、このままでいいのですか。」
「いいってことはないよ。ただ・・・今暴露したら大学に何とか入って、ちょっと何かあった奴がいたら、会社でちょっとミスした奴がいたら、みんながみんな疑うよ『あいつナレッジ・ユーザーじゃないのか』ってね。健全な学び舎、職場まで疑心暗鬼で妙な感じになるよ。オレが言っているのは、一時の細工でそこに合流しても、結局は自分の努力で巻き返していかないといけなくなるんだよ。今ここで過去のカンニングを暴露しても、何かが良い方向に変わるのか?いや変わらないよ。返って犯罪の見本ができて、分子が増殖するだけだ。社会は大混乱、教育産業も大混乱、返って学力試験なんて無意味だ、ってなるんじゃないか。データの公開はあまりにハイリスクだ、俺はそう思っている。」
部屋が静まり返った。袴田も武田も、それはどちらも正論だったからかもしれない。その静寂を袴田が破る。
「おっしゃることは理解しました。しかし、私は国家公安委員長です。国家に使える人間として、職務の遂行を怠ることはできません。法治国家です。法律があるかぎり、それに則して生きていく、そして法律を犯しその犯罪を未来の教訓として人々は強くなる、これが法治国家の原理原則です。」
「わかってるよ!!」
珍しく武田が叫んだ。
「わかってる。オレが言いたいのは、第二第三の袴田さんの弟さんみたいなのが出てきて欲しくないんだ。もう不正はしない、そう心に決めた奴の想いの方が何よりも大切なはずだ。」
そして再び静寂が支配する。武田はコピーが完了したハードディスクをパソコンから外した。そして袴田にそれを差し出す。
「まあ俺たちは影の作業員だ。依頼の通りこれを渡すよ。オレがどう言っても最終的には国家判断だ。これを渡さなかったら俺たちは犯罪幇助になるからな。」
差し出されたハードディスクを受け取る袴田。
「二00ギガバイト二万件のデータが入っている。後は俺たちにはどうにもできない。任務は完了だ。」
「わかりました。あとはこちらで判断します。責任をもって審議にかけ民主主義に基づいて判断します。」
「わかったよ。」
「ありがとうございます。ただひとつだけお約束します。任務遂行者としての武田さんの先程の主張を私から責任をもって閣議で確実にお伝えします。ですが、もしその主張が通った場合。報酬のお支払はできません。これまでに使った経費は別ですが。」
「出た!!マジで。」
「エエー、また報酬ゼロですかー。こんな危険な任務で!!」
と鈴木が叫んだ。
「そのことは理解していますか?」
「確かにそうだね。俺の言ったことがその通りになったら結局組織はなかった、不正もなーんにも無かったってことになるだろう。いくら不正献金からの捻出といっても、無かった事実に金には動かせないからね。」
「いいんですね。」
「嫌だけどいいよ。仕方ない。」
「嫌ですよー!!やだやだ、だってボスはもうタイムシェア使わないんでしょう。無職ですよ。明日から失業ですよ。どうするんですか。」
「まあ、いうなよ。そうなったらの話だ。それにウチの経営方針を覚えているかー。『一人が大きく傷つくよりは、多くの人が小さく傷ついた方がきっと世間はうまくまわる、タイムシェアリング株式会社は、時間の価値を通して社会貢献する』だ。一方的に告発するよりは、関係者全てが重い荷物を背負っていく。よりよい社会のために社会貢献する。これが社訓だよ。社訓とぶれて営利営利になったら遅かれ早かれウチも潰れるぜ。」
「・・・あの報酬がなかったら明日にも潰れるんですけど。」
「うーん。確かにそうだが。」
そして袴田が言う。
「とりあえず、今回の内容は閣議にかけてその上で決定します。私にも後はどうにもなりません。さあ、もうすぐ政府護衛がきます。それまで食事でもしましょう。ここはなんでも揃ってますよ。ミッション終了を祝して私が腕を振るいましょう。学生の頃三ツ星フランス料理店でまかないをしていましたので、きっとお二人の舌を喜ばせることができますよ。」
そう言って袴田は食事の用意をはじめた。冷蔵庫を空ける。
「見てください、これを。」
そこには霜降りの分厚い肉が三枚あった。
「A-五ランクの和牛ですよ。豪勢に朝からステーキといきましょう。これはいいお肉ですね。ミディアムでいきましょう。ソースは袴田スペシャルですよ。ご了承下さい。」
「いやった!!言われてみたら腹ペコペコです。了承します。早く食べたいです!!」
肉が焼けるテンションアップの音が部屋中に響いた。さすがに袴田だった。フランベをしている。三人は袴田特製ステーキを食べた。
「うま。」
「うまうまううままうまうまうまうまぁ。」
「おいしいですねー。」
食事が終了したと同時に、国家公安委員会の数人と警視庁の数人が現れ、三人はようやく保護された。任務が終了したのだ。

霞が関までの黒いクラウンの中で、三人は後部座席に座る。虎の門から霞が関までほんの数分で到着する。
「ところで、スマートフォンからのタイムシェアですが、あそこまで簡単にできるようになったんですか。」
と袴田。
「いや、緊急にそなえて設定しておいた。緊急事態用にね。でも二回分しかなかったからね。もう一回ピンチになったら終わっていたよ。」
「ほう、相変わらず見事ですね。」
「聞き飽きたよ、その台詞。しかし、一日って長いね。」
「そうですね、ちょっと五.六時間伸ばしましたし。」
「まあね。」
「・・・本当にもうしないのですかタイムシェアは?」
「あー、もうすることは無いだろうなー。」
「勿体ない。あなたのその技術があれは何だってできます。」
「そうかな。たまたまグーグルタイムへのサーバーに接続が出来ただけだよ。電波時計のシェアが高いってだけ。」
「あなたの技術があれば、例えば災害があって一刻を争う緊急時でも、例えば脳溢血で一刻も早い搬送が問われる時でも、人質の救出でも何でも活用ができます。たくましい国家の最先端の技術になります。」
「もちろんわかっているよ。最初はそれも考えた。でも直接的に人の生死に関わることは避けた方がいいかもって思ってね。」
「どうしてです。」
「もしタイムシェアがオープンに使われたら、きっと・・・貧困で困っている人と権力者が同時に病気にかかった場合、きっと権力者を優先することになるよ。金か、命令によってね。どうしても同時の場合は順序がつけられる。でもその人にとっての人生の重みはその人にしかわからないんだ。だから損得勘定が出る温床には触れないことにした。生死は自然であった方がいい。事故・災害・病気・・・ここをコントロールしたら、神の領域だよ。でも、まだ神の粋までの技術は無いし、そんな敬虔深い人間でも俺はないからね。俺は。そこは控えた方がいい。それが理由。」
「惜しいです。」
そう言って袴田は、車から皇居のお堀を見つめていた。皇居のランナーが時計と逆回りでランニングをしている。カラフルな衣服が目に留まる。昼間の陽光が皇居を美しく照らしている。皇居を中心に人々が走る姿そのものがどこかこの国に似ていた。走ることには不正はない。ランナーは皆自分の意思の下、自分の体に鞭を打っている。いつの間にか三人ともその姿を無言で見続けていた。

一週間後。一枚の通達が研究所に届いた。それを武田と鈴木は一目散で確認をした。紙は横書きの通達で一枚だった。
『・・・今回のタイムシェアリング株式会社への依頼は、全ての政府発表をしないもの決定しました。また今回の依頼の詳細については袴田の個人的な依頼とし、詳細の調査の結果、証拠が無かったものとする・・・。』
「よし。これで日本も救われる。同様の犯罪も出ないだろう。よかったよかった・・・。」
と武田。そして二人はコーヒーをガブ飲みした。そしてカップをデスクに置く。
「・・・てことは!!」
『・・・今回の報酬については、そもそもの事件がなかったと判明したので、掛かった経費・費用は政府補填とするが、報酬については一切の支払いの義務は無いものとする・・・また、今回の件については、当初の秘密保持契約の通り全ての事象の口外はないものとし・・・』
二人の顔が蒼くなった。鈴木の眼がうつろになり口から泡が出て後ろに倒れた。
「ヒー・・・潰れる。タイムシェアリングは倒産だー。」
と鈴木が聞き取れない程の小さな声で言った。武田も涙目になっていた。二億円に心のどこかで期待している自分がやっぱりいる。前に倒れ込んだ。
「・・・社会貢献なりぃ・・・なりぃ・・・皆様、タイムシェアリング株式会社は資金繰りの問題で廃業します。応援して下さった極僅かな皆様さようならー。バイバイ。」
すべての気が抜けたのか、二人はそのまま数日そこで爆睡した。

さらに一週間後、二人は研究所にいた。
事務所にはもう何もない。武田と鈴木の椅子だけだ。
「あーあー、看板下ろしたのに・・・この事務所の解約条件は六ヵ月前。だから一気に払うか六ヵ月使うかだからなー。使う方を選んだけどどうしょう。なーんもない。売れる事務機器は全部売ったしー、どうしよう。」
「ボスが言わないで下さいよー。」
「もうボスじゃないぜー。」
「出た。逃げトーク・・・でも今回の件で昨日袴田さんも国家公安委員長を辞任でしょう。本当にナレッジの件は闇の中に入りましたねー。」
「そうだな。でも俺たちのこれからの方が真っ暗闇のダークサイドだぜ。これから何しようか。こうして一日中座り続けてもな。どうしよう。何したい!!」
「どうしましょ。」
「・・・そうだ!!ラーメン屋やるか、今流行のガッツリ系の奴。」
「僕はさっぱりしたラーメンが好きです。」
「うっせー、個人の趣向を言うなよー。ビジネス的視点が大切だ。全く何がさっぱり系だ。俺さっぱり系嫌いなんだよ。」
「バリバリ個人の趣向じゃないですか。」
「・・・それにしても金ないな。『海戦!!飲んでって劇場』フルタイムシフト入れた?」
「はい。週七日に。」
「・・・腹減ったな。」
「はい。」
「何かやったら腹が減る。何もしなくても腹は減る。寝たら起きたで腹は減る・・・。あー、暇でおかしくなりそうだー、携帯ゲームしよっと。」
「もういい歳して。」
「お前もすぐにそうなるさー。」


             タイムシェアリング株式会社 (了)

タイムシェアリング株式会社

タイムシェアリング株式会社

概 略 ウェブによる電波時計のシェアが世界で99%となった時、二人の主人公がウェブサイト時計の時間繰上係数をコントロールすることに成功しました。例えば1分を70秒で繰り上がるように、また逆に1分を50秒で繰り上がるように。そこに目をつけた2人の男とその周りで起こる人間模様を描きました。構成は「プロローグ」の他、4章から成るオムニバス形式です。30代半ばの主人公武田と、後輩キャラの鈴木。協力する官僚袴田の絶妙なやり取りももう1つのこのストーリーの醍醐味と言えます。携帯端末による不正という現代の病気と、それに立ち向かう3人の戦いを、主人公の軽やかな性格が、ひとつのエンターテイメントを助長しています。

  • 小説
  • 長編
  • 冒険
  • アクション
  • コメディ
  • 青年向け
更新日
登録日
2012-12-08

Copyrighted
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