花摘恋慕

椎葉あきら

花摘恋慕


 ミキは、花がとても好きらしい。ロの字状校舎に護られて植物が我が家と宣うだろう中庭のレンガ造り花壇の前へ、昼食後だとか休憩時間に其処へ訪れては屈んでしげしげと微風に揺れている咲き誇りを眺めている様子だった。
 植物を眺める視線、横顔、少し猫に似た目付き、半袖のセーラー服から伸びる華奢な腕、それが下された屈み膝。決まり事みたいに、今にものぼせそうな花への恋心を今日も傍目から感じられた。ミキを盗み見ている私が、ショートボブカットに整えられた髪の揺れを追い掛けたい心を恥じらいと躊躇で閉じ込めながら、初めてあの姿を見付けた時の姿と大きく違った日は、無い。
 授業時間と放課後の縫い目をほどくチャイムが、いかめしく響く。空調のよく効いた教室が、私を含めた生徒たちをこぼこぼと吐き出してゆく。ミキの背中は簡単に見失った、にせよ、いつもの事だ。さして気にも留まりはしなかった。
 普段の放課後は、やや空腹になって部活中にこっそりと齧るための菓子パンを校外へ買いに行くのだけれど、ひたり、門前で歩みを止めた。なんとなく。ただ、本当に、なんとなく。ぬるく、初夏の外気温を受けては何の慰めにもならない微風が、ちょっとの間に影を綺麗に消していたミキの居場所を囁いてくれた気がして、素直にひらめきが示した道を小走りで辿ってみた。
 居た。ミキは、脳に流れてきた光景、抱えてきた期待ときっとよく似た予想と大差無く、やはり花壇の前にしゃがんで花々と目線を合わせようとしていた。なんだか嬉しくなって名前を呼ぼうとしたとき、彼女は、おもむろに咲きへとちいさな手を伸ばした。すると。
 ぶつり。
「ちょっと! ミキ、何してるの」
 いくらか幼さを宿す眼差し。それを持つあの子の、あの手が。景色がすんと彼女の周りだけ静止してしまう。思わず、駆け寄った。此方へ顔だけ向けたミキの手には、千切られた花。ちょうど、首をもがれたふうな、夏咲きのグラジオラス。ほんの二秒にも満たない、罪の味も知らないであろう美が殺害されてしまった。断たれ首が、ミキの真っ白な指の中でみるみる萎んでいく錯覚すら得られた。
 だって、と不満の形にミキの薄い唇が些かばかり尖るあどけない態度。反してくしゅり、彼女の握り込めた手指の間からは数粒の死んだ花弁が無様に落ちる。こども故の残酷と同じそれを絵に描いたかのよう。なのに、彼女の姿はどうしても私の眩暈を誘った。私と数ヶ月分くらいしか差のない筈の少女が帯びている、場違いな艶かしさの仕業に違いなかった。
「いつも綺麗だから、欲しくて。いとし過ぎるんだ。たまにこんなふうに、首だけ持って帰ってるよ」
 通し一切に、ミキは事も無さげだ。無邪気なえくぼを作って犯行動機が吐かれている。ゆっくりと立ち上がりつつ微風にやや乱される横髪を指で耳へ掛ける仕種は、たった今しがたの出来事に、どうしても私では結びつけ難かった。〝いとしさ余って〟そんな一欠片の説明で追い付かせてたまるものか。
 焼き付いてしまった様子は写真の如く、けれど一千枚には到底届かない数であっても同じ景色を繰り返している。秒刻みのフラッシュバックで、頭蓋骨の内側が今に灼けてしまいそう。
 知ってか知らずか、いいえ、気が付いていた。あれは、確信した目だ。コケティッシュな微笑で虹彩の外郭が隠れ、ミキは口にしたのだ。
「ずっとナヲの視線を知ってたから、だったりしてね。それが、今こうして近くにあるでしょ。ちょっと試してみたかった、の、かも?」
ローファーの踵が、ざりざりと、あの子に放られた花を踏んだ。そのまま、地で更に更にと骸を擦り潰そうとしている。
 正しさが。過ちが。美しさが。醜さが。全部全部、わからなくなって、ビーズ箱を窓から投げたみたいに曖昧にないまぜになって、やっぱり何も解らなくて。うまく息が吸えないでいる私の返答を待っているのは、判る。
「試すって、何を」
 最低限の言葉は、鈍臭く躓きつつやっとの動きで窒素を震わせた。ぼんやり、グラジオラスの死骸を敷いたローファーを眺めることしか、続けていられはしない。
 水溶性のインキを落とされたみたいに胸中で広がってゆく、私の中で一番きれいな感情を捕まえた。寸分の違いだって、認め難い。これは、すっかりと蜜が沁みきった恋心。恥ずかしいだとか、照れくさいだとか、きっとそういった感想もまた見抜かれているんだ。
「わたしの独占欲の強さ、見てたでしょ。引かなかった? ……ううん、ちょっとびっくりしただけ、みたいだね」
 ざり、ざり。引き摺りがちな歩調で、屈託のない笑顔を惜しげなく私だけに向けてくれているミキが、答えながら近付いてくる。
 次の、刹那だった。
 うっ、と私の呼吸が詰まった。詰まらされてしまった、のだ。ミキの手が私に真っ直ぐ伸びていて、やんわりと、首を締められている。
「一番綺麗なのは、どの、お花だと思う?」
 最後の瞬きの終わりより後は、恍惚と細まっていたミキの眼差しがくれた甘い腰の痺れ、それを加速させてゆく喉への圧迫に込もる、恋情もどきに任せる事にした。
「わたしね、一番綺麗なお花はね、ナヲだと思うんだ」
暑気が寄越した唇の渇きが、キスで潤されてゆく。
 いつかグラジオラスと同様にへし折られてしまうまでは、私が私を見失ってしまったとしてミキが捕まえていてくれるだろう。ミキの華奢な筈の靭い手に、全部、全部任せたい。恋に茹だったか、初夏にあてられたか。ばかげた願いを、頭の中で滑ってゆく想いの中からただ一つ、私は、選び取り、噛み締めた。

花摘恋慕

花摘恋慕

  • 小説
  • 掌編
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-11-09

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