きみが神さまになった日
蟲の羽音で、目が醒める朝の、あしもとからはいあがってくる、あの気持ち悪さを、いかにして伝えればいいのだろう。ぼくにとっての神さまは、きっと、だれよりも愛しいあのひと。心臓の音を、ときどき、きかせてくれる。コーヒーよりも紅茶が好きで、明け方の空をうっそりとみつめながら飲んでいる。砂糖はいれない。ミルクも。ぼくはベッドに横たわったまま、あのひとの背中を観察しているのが楽しい。うすぼんやりとした光のなかに浮かび上がる、からだの輪郭。紅茶を飲むときにわずかにうごく、肩甲骨。上から下へ、下から上へ、なめらかな皮膚とほどよくかたい肉にかくされた、背骨の形を想像する。ぼくは、あのひとの重さをしっている。質量。つぶされてもいい。はてたあと、ぼくのからだにのしかかるとき、あのひとは、重くてごめん、と謝るけれど、ぜんぜん。むしろ、うれしいのだというと、あのひとは、困ったように笑うのだ。
あのひとが窓をあける。
つめたくて、よどみない、まっさらな空気が流れこんでくる。
夜のおわりはいつも、いみもなく泣きたい気持ちを、吸いとってくれる気がする。
どんなにかなしいことがあっても、かならず朝はやってくることを、救いだと思えればいい。
手を伸ばせば、すぐそこに。
きみが神さまになった日