消音
水のなかにいるときの、音がきこえにくい感じを、再現しているみたいに、この街では無意識に、透明な膜につつまれた気分でいる。雑音、というものが、あふれるようになったけれども、いずれはなくなるよと、預言者気取りで、ネムがいう。例えとして、自動車。未来に向かって、どんどん、音は静かになっていくのではないかと。家電製品、電車、工場、かんぺきな防音設備の家、ビル、地下室、ドーム型施設。ひとの声も、楽器の音も、機械音も、みんな、あるはずなのに、ないものとなっていく。
だれかのわるぐちも、好きも、きらいも、たすけても、届かなくなってしまうなんてこと、ないかな。
しろくまがいう。わるぐちときらいは、届かない方がいいんじゃないか。ぼくは、ひと呼吸おいて、ああ、そうだね、と頷いて、しろくまのからだに抱きつく。ネムは、こわいよ。インターネットのなかで、しらないひとたちに崇め奉られてるの、神さまみたいに。いいね、が、すべてのひとみたいに、ならないでほしい。大丈夫だって、ネムは笑っているけれど。ぼくのからだを、すこしだけずらして、しろくまがテレビのリモコンを操作して、パッ、パッ、と切り換わる画面の、なかの風景やひとびとがみんな、つくりものみたいにみえることがある。しろくまのおなかのあたりに、あたまをすりつけながら、なんでもいいから、平和であってほしいと思う。きょうも、あしたも、あさっても。
消音