夕暮れに

苦しみから逃げる代償

夕暮れに

 僕は、夢を持っていた。それは誰かに話しても笑われそうな夢で、ちっぽけな夢で、実現するのが難しい夢だった。けれども、僕はその夢を支えにして、ここ数年間生きてきた。
 そう、生きてきた。ある日、僕はある事故に遭遇し、怪我を負った。そして、そのせいで自分の夢が絶対に叶わなくなったことを知った。この世界を誇張でもなんでもなく恨んだし、生きていくことにさえ絶望した。だから僕は、マンションから飛び降りた。それが、一番簡単に、手間もいらずに死ねる方法だったから。飛び降りている間には、走馬灯のようなものが見えた。僕のろくでもない人生を振り返ってくれて、ありがとう。ちょうど事故に遭った日くらいの記憶で、それは途絶えた。やっと死ねる。そう思った僕は、安心しつつも死ぬことが怖くなって―――

 おかしい。こうして僕が死んだことを、僕が見れるのは。一人称の死を認識するのはありえない。だが、今目の前に広がっているのは、僕の死体とそれがまき散らした血だ。悲鳴が聞こえる。聞こえたほうに目をやると、買い物帰りのおばさんがこちらに背を向けて走っていくのが見えた。どうしたんだろう、そう考えようとした時、僕の意識が飛んでいくのを感じた。
 そこから先は、あまり覚えていない。救急車が来たり、警察が来たり、住人や野次馬が来たかもしれない。もちろん家族も。もしかしたら、全部来なかったかもしれない。僕の悪趣味な妄想かもしれない。全部推測にすぎなかった。
 結局僕は、その現場に取り残された。

 ここまでが、僕に起きたことだ。死んだ昨日の晩から、今日の夕方まで、僕は当てもなく市内を彷徨っている。どこにいけばいいのかわからない。不思議なことに、お腹は全然すいてこない。怪我をしたところはまだ痛む。なんのために死んだのか。他の自殺した人も同じ状態になってしまっているのか。わからないことだらけで、頭が痛い。疲れてきたので、河川敷の草むらに寝転ぶことにする。
 ちょうど、夕日が沈んでいくところだった。生きているときは今を生きるのに精いっぱいで、夕日などじっくりと見たことはなかった。だんだんと光の筋が減っていく。そして、最後の光までもが山に吸い込まれていった。
「なんで、死んだんだろうな」
 少し立ち止まっていればわかったことだ。この世界にも、この夕日のような素晴らしい景色がまだまだあるはずだ。それなのに、僕は夢に固執するばかりで周りを見ていなかった。死んでから後悔、というのも間抜けだが、実際そういう感情も湧いてくる。
「本当に、バカだよなあ」
 山の向こうに消えていった夕日を忘れないように、両方の手を握り締める。きっと、死んでからもこうして動けるのは、神様がくれたほんの少しの慈悲なのかもしれない。それならば、僕は味わい尽くしてやろう。この世界に眠る、素晴らしい景色を。もう二度と後悔しないように、そして心置きなく消えることができるように。
 日が沈み、薄暗くなった河川敷から、僕は再び歩き始める。

夕暮れに

まあ、それっぽく作りました。生きるのは素晴らしいことです。

夕暮れに

死んだことを後悔している死人の話

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-12-08

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