日陰
日陰
いつ降るのかを知って現れる
そんなあなたたちなのでしょうから
いつ降るのかを予想する
私たちを不思議に思うことでしょう
いつ降っても構わない
どころか、すぐにでも降って欲しい
あのリズムと強い脚、自然な冷たさを愛する
あなたたちだと思うから
降ってくることに備えて
道具を揃えて、身に付ける
私たちのこと何なんだろうって思ってる。
喉元を膨らませて
その眼差しを固定して
宙を見上げる
その邪魔をするように、そこにいる
人のこと。
私という、この日陰。
リハーサルは
晴れ。
気温は三度、
冷え込みは強くなりました。
辺りは、そのうちに暗くなって、
でも今はまだまだ明るい。
北西に吹いたらいいなと思う風は、
摂理に従い、
やや反対方向に。
私が予想するのは、
肌に触れて消えそうな
仰いだ顔に、泣きそうな
きらきらしていて
瞬きそうな、
それでいてあなたたちも待ち望む
曇りのない、雨の降る日。
私たちとあなたたちのどちらにも属さない生き物の名が冠された、大切な嫁入り。
私は、
大事な時に一緒に居れなかったから
出来ることを探して、暗中模索。
晴れない霧に立ち尽くした
即興で、あの自由な音楽を後悔した。
あの頃、
私たちの命が尽きるのが当然視されるぐらいに長い年月、
切られる前に育てなきゃいけない樹々に囲まれて
大切になる出会いばかりを果たしていたことに、
ずっと後になって気付いた。
今みたいに、
空を見上げて予想する、
そこから繋がるもの全てに関わろうとする、
遅々として前進しない、
けれど確かに進んできた
私になれた、そう思えるのも。
「誰かに許されるのでも、自分で自分を許すのでもいい、許されるきっかけに対して許されてもいいと思える自分がそこにいなければ、その時に生まれていなければ。」
許せる自分なんて生み出せない、
そう思うだけの大切な理由も自分の中にあって、
理屈で解き解せるような、簡単なものじゃないっていう面倒臭さ。
それでいて変われるのも人だけど、
変わらないと誓えるのも私と名乗れる、人たち。
だから
最後に自分を許すのは自分で、
それを
誰よりも強く阻むのも自分で。
ここのところの理由を述べようとすると口籠もる私は考え過ぎるから(よく言われる癖で)、
「人は単線形で生きている訳ではない。だからじゃないですか」
って変わらずに「先生」と呼ぶ、私が好きな人が面と向かって言ってくれるところは目に浮かぶように想像できるのだけど、その例えにある、ある種の終わりの無さ。誰にとっても正しい答えなんて、ゴールなんてそこにはないから、果てまでも寄り添うあり方だってきっと選べるこその差異に預けられる、人の心。
渦にもある中心は、だから頼りになる。
道半ばで日陰となっている私が振り返って、見ることができない光源。ちゃんと見てもいないのにその有り様を好きなように思い浮かべられる、自分勝手さ。並列的に存在させられるものの間を埋める乱暴。論理の筋も因果の流れもない、神様も見てはいない。だからこうしてばっと開いた傘みたいに、直視できないものを直視できるように、私が勝手に行う許し。未だ知らない未来に向けて、潮の満ち引きみたいにあの時の自分を許さないって面と向かって何度言われても、同じことを言い続ける私という自己中心的な関わり。
「私は、そのためにお姉ちゃんをしている」って、空に向かって、焼き直しのように。迷わないように。爪が食い込むくらい、しがみつける何かにこの私がなれるように。
時間は兎に角かかる、
だから素朴な疑問として手の中に収めて孵るものをブースの中で観察し、合間に記録する。それを終えれば紙の上に大きな文字で、改行は少なく、また噛みやすそうな言葉は避け、聞き取りにくい、分かりにくい表現を書き直す推敲を、選んで流す音楽は金管楽器が主役になる、何かをしながらでも耳に残る印象深い、問い合わせに応じる準備が整った比較的長い、横文字のタイトルを探す。
整った準備。
息を吸って、公に
「こんちにわ。」
「こんばんは。」
そして、
「おはようございます。」
朝の道、
出かけて直ぐだからまだ帰らない
私と出くわした
合唱をしないあなたたち、
見上げるのは
いつか降るからと気にしている、私の仕事場。
気まぐれだからと了解し合う
蛙の緑と、白い息。
下ろしたカフで守られる、
今日の私で言いたかった事が伸ばす影を連れて行く。
直に当たる、
おかえりって、私の方から口にして。
日陰