十一月のふたご
ふたごのこどもが、わらってる。
真夜中に、金糸雀からの電話。逢いたいと言われて、でも、受話器越しに聴いた、金糸雀の、あいたい、が、やや上擦っていたので、逢ったら絶対に殴られる、と思った。殴られるかもしれないけれど、断るという選択肢はなかった。二十分後に、金糸雀の部屋に行く約束をして、パジャマの上に冬物のコートをはおった。となりで眠っていた、新堂が、おまえはばかだと、つぶやいた。でも、新堂は、ぼくが金糸雀のところに行くのを、止めないのだった。いままでに一度も、からだをはってでも、止められたことはなかったので、新堂にとっての、ぼくとは、結局のところ単なる、ひまつぶしの相手なのだろう。べつに、かなしくはなかった。さびしくもなかった。でも、なんとなく、腑に落ちない感じはあった。新堂はベッドに横たわったまま、おまえは、ほんとうにばかだと、しみじみとつぶやいた。ぼくは、そうかもね、とだけ答えて、気怠い空気が漂う部屋を出た。
ふたごのこどもは、シャッターの閉まっているケーキやさんの前にいる。
ぼくをみて、わらっているような気がする。
金糸雀に、殴られるかもしれないし、殴られないかもしれない。新堂と、さっきまでしていたような行為を、ぼくはすこしだけ、期待している。つかれているはずなのに、からだの、おくの、おくのほうは、かくじつになにかを期待している。あたえられるものは、殴られる痛みに等しく、からだのなかのあらゆる器官が、焼き切れるような刺激だ。しびれ。朦朧とする意識。おもいどおりにうごかない、四肢。支配されて、金糸雀の命令だけに反応する、まるで、あやつり人形。なのに、そんな、にんげん、としての尊厳を手離している瞬間の、あの、どうしようもないきもちよさを、ぼくは欲している。
ばかだ、と思う。
新堂の言うとおり、ぼくは、ばか、なのだと思う。
だから、ふたごのこどもも、わらっているのだろう。
ふたごはおそろいの、ショートケーキ柄のスカートをはいている。赤い点々としたものは、いちご。
十一月のふたご