小川のほとりの物語

無銘

親愛なる優秀な染色家のO氏に捧ぐ

 動物たちが暮らす森のはずれの、小川のほとりに小さな染め物屋さんがありました。

 山から冷たい風が吹き始めるこの時期は動物のお客さんが次から次へとお店にやって来て、染め物屋さんのお姉さんは大忙し。今朝も色とりどりの染料が入ったガラスの瓶を作業台にならべ終えたところでさっそくウサギがやってきました。

「おはよう、ちょっと早かったかな」

 ウサギは朝ごはんをまだ口の中でもぐもぐとさせているようでした。お姉さんはエプロンを両手のひらでさっと払うといいました。

「おはようウサギさん、ちょうど支度が済んだところです。今日はなにを染めますか」

「そろそろ冬毛に変わってきたんでね、これを合うように染めてもらいたいんだ」茶色いベストを差し出しました。

「それではすぐに仕上げましょう。少し待っててくださいね」

 お姉さんは貝殻の粉でできた、山のてっぺんに積もった雪のようにまっ白な染料が入った瓶を選ぶと筆を浸してベストをあっという間に染め上げました。

「おまちどうさま、これでいかが」

「わあ、なんて素敵な白だろう。これなら冬毛にぴったりだ。ありがとう」

「喜んでいただけてなによりです」

 ウサギはさっそくベストに腕を通すと、ご機嫌なようすでぴょんぴょんと帰っていきました。



 入れ替わるように店に入ってきたのはカラスのおばあさんでした。カラスはよたよたとお姉さんの前まで歩を進め、ふうっとため息をつきました。

「いらっしゃいませ。どうしましたカラスさん、ご気分がすぐれないようですが」

「ここのところお日さまが低くなって、日差しも弱くなったでしょう。体が冷えてしまってねえ。それでショールを肩にかけているんだけど、長く使っていたから色褪せてしまって、お日さまに当たってもちっとも暖かくなりゃしない」

「それはお困りでしたね。ショールを新品のように染めて差し上げましょう。出来上がるまで窓辺でお日さまにあたり暖かくして待っていてくださいね」

 お姉さんは炭で作った、新月の夜の闇のように真っ黒な染料を桶に満たし、そこにショールを浸しました。引き上げるとショールは艶々とした黒色でまるで新品のよう。染めたショールを裏庭の物干しにかけて、お姉さんは店内にもどりました「乾くまで少しお待ちくださいね」。見るとカラスのおばあさんは柔らかなお日さまの光につつまれて気持ちよさそうに居眠りをしていました。



 遅めのお昼ごはんを食べ終わったちょうどその時に、表からにぎやかな声が聞こえてきました。戸口に現れたのは野ネズミのお母さんと7人の子どもたちでした。子ネズミたちは店に入るやお互いに突いたり叩いたり、店内のあちこちをちょこまかと走り回ったりと大騒ぎ。

「騒々しくてごめんなさいね。これ、お店の中では静かにしてなさいといったでしょ。ほらほら弟を殴ったりしちゃだめ。お店のものを勝手にいじらないの、壊したら大変でしょ。ああもう、ほんとうにごめんなさいね」

「いえいえ、元気で可愛らしいお子さんたちですね」お母さんネズミの傍に立っているいちばん小柄な子ネズミにお姉さんが微笑みかけると、子ネズミははにかんだ表情ですっとお母さんの後ろに隠れてしまい顔だけを覗かせました。

「元気すぎて困っちゃうわ。そうそう今日お願いしたいのはこれなんだけど」

 お母さんネズミは抱えていたトートバッグから、とっても小さなグレーの靴を取りだして台の上にならべました。靴はぜんぶで7足ありました。

「この子たちの靴なんだけど、どれも同じデザインでしょう。よく間違えてしまってけんかになっちゃうのよ。かといって、それぞれ違うのを与えたら『こっちの方がいい』と取り合いになってまたけんか。まったく、きりがないのよ」

「なるほど。それでこれらの靴を色分けするんですね」

「そうなの、お願いできるかしら」

「かしこまりました。でも、こんどは色の取り合いになったりしないかしら」

「そこは大丈夫なの。この子たちふしぎと色の好みは違っていて『自分の色』みたいなものがあるのよ。だから虹の七色に色分けしてもらえるとありがたいわ」

 お姉さんは木の実や草の葉や、花びらから作ったいくつもの染料の瓶を選ぶと、それらを混ぜ合わせ虹の七色を作っていきました。いちばん小さな子ネズミはお姉さんのそばに立ち、その作業のようすを目を輝かせながら見つめていました。ほかの子ネズミたちは相変わらず騒いでいましたが、お母さんネズミはソファーに座って熱心に編み物をしていました。

 しばらくすると台の上には七色に輝くとっても小さな靴が七足ならびました。それは誰かが虹の端っこを切り取ってそこに置いていったようにも見えました。お母さんネズミは靴をトートバッグに大事そうにしまうと店から出ていき、その後ろを子ネズミたちがやっぱり大騒ぎをしながらついていきました。いちばん後ろの小柄な子ネズミは、にっこり笑いながら小さな手を振ってドアから出ていきました。



 お日さまが山の向こうに隠れ、空がラベンダー色に染まるころになるとようやく客足が途絶えました。お姉さんが店じまいの片づけを始めようとしたそのとき、とんとんとドアを叩く小さな音が耳にはいりました。

「いらっしゃいませ」お姉さんが声をかけてもドアは開きません。不思議に思い開けてみると、そこには母親と子どもであろう親子連れが立っていました。森では珍しい、お姉さんとおなじ人間の親子です。まだ幼い子どもは母親の手をぎゅっと握ってこちらを見ていました。

 母親はか細い声でいいました。「まだ大丈夫ですか」

「いらっしゃいませ、もちろんです。さあ、寒くなってきましたからどうぞ中に入ってください」

 弱々しい足取りで店に入ると母親はいいました。「これを染めていただきたいのです」。すると子どもが無言でその手に持っていた布を差し出しました。お姉さんが受け取り見てみると淡い緑色のスカーフでした。

「かしこまりました。このスカーフを何色に染めましょう」

「これと同じ色に染めて欲しいのですが」母親はハンドバッグから一枚のスカーフを取りだすとお姉さんに渡しました。「出来るでしょうか」

 それは朱色をしたスカーフでした。その鮮やかな色合いにお姉さんは思わず息を呑み束の間みつめてしまいました。

「これは……。素晴らしい色ですね。なんというか、今まで見たことがない色です。でもどこか懐かしさも感じてしまい、引き込まれてしまいます。ほんとうに素晴らしい。この色を再現するのは難しいですが頑張ってみます。お時間はよろしいですか」

「もうお店を閉める時間なのでは。ご迷惑ではありませんか」

「迷惑だなんてとんでもない。こんな素敵な色を作るなんて光栄です。少々お時間をいただきますが、どうぞそちらでお休みになってください」

「ありがとうございます。それではお言葉にあまえて」

 母親は子どもの手を引きソファーまでいくと、そこに身を沈めました。お姉さんは改めて朱色のスカーフを眺めました。それは見れば見るほど不思議な色をしていました。店にあるありったけの染料を次々と組み合わせて色をつくってみましたが、似たような色にはなりますが、どこか違っているような色にしかなりません。しばらく作業をつづけ、ちょっとひと息つこうかとふとお客さんの方を見てみると母親は目をつむって息苦しそうにしており、子どもはそのようすを心配そうに見つめていました。お姉さんはハチミツがたっぷりと入った温かい紅茶のカップを両手にソファーまでいき、それをテーブルに置きました。「お待たせしております。ハチミツの紅茶をいれましたので、よろしければどうぞ」

「ありがとうございます、いただきます。さあおまえもご馳走になりなさい」

「ご加減がよろしくないようですが、大丈夫ですか。もっと暖炉の薪をくべましょうか」

「いえ、このままで結構です。しばらく体調がすぐれないもので。ご心配をおかけして申し訳ありません。でもこうして休んでいれば大丈夫ですから。ああ美味しい紅茶、体の芯から温まります」

 それではとお姉さんは作業にもどり、またいくつもの色を作りました。何度もなんども繰り返し色を作っているうちに、段々と近づいている手ごたえを感じ、ついに同じ色ができあがりました。淡い緑のスカーフを染め、仕上がったものを眺めたお姉さんはやり遂げた充足感とその色の美しさに思わず深くため息をついてしまいました。

「お待たせいたしました。大変お待たせして申し訳ありませんでしたが、なんとか仕上げられました」ていねいに折りたたまれた、朱色のスカーフと染め上がったばかりのスカーフ二枚を差し出しました。「これでいかがでしょうか」

「ああ、なんて素晴らしい。どちらがどちらか分からないほどそっくり。ありがとうございます」

 母親は染め上がったばかりのスカーフを子どもに持たせ、もう一枚をハンドバッグにしまうと何度もなんども深々と頭を下げて、子どもの手を引きながら真っ暗になった森の奥へと帰っていきました。



 それから数日後のことでした。染め物屋のお姉さんが午後の休憩でお茶を飲んでいるとクマのおじさんがやってきました。

「あら久しぶり。ああ、もうそんな季節ですものね」

「そろそろ準備を始めないとね。私の頭は毛が硬くってごわごわしているから枕がすぐに擦れてしまって困る」

「ふふ、今年は何色に染めます」

「そうだなあ。今年はアケビの色にしてもらおうかな。私はあれには目がないんだ」クマは舌なめずりをしました。

「かしこまりました。いい夢を見られそうですね」

「だといいがね」クマは腋に抱えていた大きな枕を作業台の上にどんと載せました。「それじゃよろしく頼むよ」

「ちょうどお茶にしてたんです。お飲みになられます」

「いただこうかな」

 お姉さんが店の奥に向かうと、クマはその背中に声をかけました。「この辺は針葉樹ばかりだから味気ないね」

「そういえばそうですね。クマさんのおうちの辺りは今頃きれいでしょう」台所でお茶をいれながら返します。

「うん、そりゃあ見事なもんだ。染料の材料を集めるときにでも寄ってみるといいよ。おまけにハチミツのパイもご馳走しよう」

「わあ、楽しみ。ぜひお邪魔しますね」

 お茶を受け取ったクマはソファーに腰掛けました。「紅葉といえばふしぎな話があるんだ」

「ふしぎな話って、なんです」お姉さんは椅子をテーブルのまえに持ってきてそこに座りました。

「私の家から少し離れた場所にもみじの若木があってね、それがいつまで経っても葉が赤くならないんだ。一昨年も、去年も緑の葉をつけたままで、赤や黄色に色づいた森のなかで一本だけ浮いた存在で、寂しげというか、哀れな風情すらあったんだ」

「そのもみじはおそらく今年も青い葉をつけたままだろうと思っていて数日前まで実際そうだったんだが、昨日行ってみるとなんと真っ赤に紅葉していたんだよ。森のなかのほかのどの樹よりも鮮やかに色づいてそれは美しいものだった」

「へえ、ふしぎな話ですね」

「だろう。赤くならないもみじもふしぎだったが、それがある日とつぜん紅葉したんだからなあ。なにがあったのかなあ」

 クマは首をかしげて考えを巡らせていました。そしてふと思い出したようにいいました。

「そうだそうだ、それと残念な話もあったんだ。その若木の近くには森でいちばんの古木のもみじがあって、毎年この時期になるとそれは見事な紅葉を見られたんだが、つい先日とつぜん倒れてしまったんだ」

「まあ。そのもみじなら私も知ってます。立派な樹でしたよね」

「うん。この森の象徴のような樹だったな。なんせ年老いた古い樹だったから枯れてしまったのだろうけど、みんな毎年たのしみにしていただけに残念だよな」

「残念ですね。それでそのもみじはどうなったんです」

「さあ、私も知らないんだよ。行ってみたらもう切り株だけが残っていた。おおかた誰かの家になったか、あるいは薪になってしまったのかもしれないね」

「そうなんですか」

 お姉さんとクマはしばらく無言でお茶をすすっていました。



 数日後、お姉さんは染料の材料を集めに森の奥に向かいました。森のなかは冬の気配が色濃く感じられ、おもわず身震いをしてしまいます。そのときふと先日の話を思い出し、クマおじさんの家の方へ歩を進めました。

 その若木はすぐにわかりました。少しひらけた場所の中央に立つその樹は、細く小さいながらもその枝には色鮮やかな朱色の葉をいっぱいに茂らせ、天から差す一筋の光を全身に受けて光り輝いて見えました。辺りを見渡してみると、少し離れた場所に大きな切り株があり、それはまるで円卓を思わせました。気品と風格を携えひっそりとそこにありました。

 染め物屋のお姉さんはもみじの若木を見つめました。ため息が出るほど美しい朱色の葉を眺めつづけていました。

 ふいに冷たい風が森のなかを通りすぎていき、小さなもみじの枝葉を揺らしました。それはお辞儀をしているようにも、手を振っているようにも見えました。

小川のほとりの物語

小川のほとりの物語

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-11-01

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted