第一話【星を詠む人/梅雨の蟹の日】

Tanakan

第一話【星を詠む人/梅雨の蟹の日】

私は宮原 紡(みやはら つむぐ)と言う。
これは私が色んな人との出逢いを紡ぎながら前に進む物語。
それはまるで星の繋がりのように。
とある公園で出会った少女と、少しだけ自分を認める。そんなお話。

第一話【星を詠む人/梅雨の蟹の日】

きっとそれは人によっては、なんでもない事だと思う。
だけどもやっぱりこんな季節は憂鬱になるのだ。

仕事終わりに帰り道、バスの車窓から見える街並みは、降り続ける雨にしっとりと濡れていて、いつもよりもどこか静かに見える。
それに、この街の梅雨は随分と長く感じる。
それは私の気持ちも同じ様で、どこか色の濃い湖に沈み込む様な、そんな事を思ってしまう。

私は本を閉じて、目的地へと到着したバスを降りる。
同じ場所でバスを降りる人たちも、どこか俯いていて、これがやはり梅雨というものかと、私はふん。と鼻息を鳴らす。
たかが天候の変化だけでこうも人の心は変わってしまう。
それが気持ちの乗らない仕事の通勤中ならば尚更そう思う。
きっとそれは誰もが同じで、そしてそれは誰かにとってはどうでも良い事なのだ。

私はバスを降りて傘を広げる。薄透明色をした傘の向こうには降り続ける雨が細く映った。
それらは傘にその身を当てるとポツリと弾けて音を立てる。
どこか不思議なリズムを奏でるそれに、歩調を合わせながら私はいつもの道を歩く。
良く舗装されたコンクリートの道は幾多の脇道に分かれながらまっすぐと続く。
そして無機質にも隔てる壁からは、朝顔がひょっこりと顔を出している。
閑静な住宅街とはよく言ったもので、ここを歩いていると不思議と街の音はしない。
朝方に音を失う街並み。
この道を歩くのは賑やかな朝の通勤時間の中で、唯一落ち着ける時間でもある。
この街に引っ越してきてもう随分と経った気がする。
最初はおっかなびっくり歩いたこの道は、今では目を瞑っていても歩けそうな気がするのだ。

それはちょっと大げさだけど。

空には分厚い雲がかかっていて、本来なら燦々と気持ち良く咲き誇る太陽はその雲の奥に姿を隠している。
それがきっとみんなをこんな気持ちにさせるのだなぁ。と私はビニール傘越しに空を見上げる。
きっと今夜は星は見えない。それだけはちょっと残念だった。

星詠みという言葉がある。

それは占星術とも読む事は出来て、簡単にいうと天体に存在する星々の動きから、人や社会の在り方を経験的に結びつける。

・・・事だと思う。

経験的にって言っても、私なんかの短い人生の経験なんかではない。
はるか昔から紡がれたこの学問や教養とも言える分野に携わる人々の経験で、それは歴史とも言える。

人が人としてあるべき姿と星を結び、そこから導かれる言葉を受け取る。

そこから先はきっとその人次第。

誰かの背中を少しだけ押す言葉達。

少なくとも私はそう思っている。

まだまだ駆け出しではあるし、それだけでは食べていけないから別のお仕事なんかをしている訳なんだけど。
まったく。梅雨ってやつは私をこんな気持ちにするなんてなんて野郎だ!
ふんと胸を張りつつ、私はそれを口には出さない。
もしそんな事を堂々と口に出して、誰にも構わず気持ちを露わに出来たのならこんなに苦労はしないだろうに。
だけども、もしそうだったらきっと私は星を詠む事はしなかっただろうから、人生は難しいものだ。何にしても。

柔らかい糸のように降り注ぐ雨音に耳を傾けていたら、
不意に子供楽しげな笑い声がした。
閑静な住宅街の向こうには小さな学校があって、ここはその通学路でもある。
鬱々とした梅雨の色合いに黄色い帽子と色とりどりのランドセルが妙に映えて見えた。

その先には小さな公園がある。
大きなゾウさんお滑り台と、端っこが少し錆びたジャングルジム。
砂場には崩れかけたお城と誰かが忘れたのだろうプラスチックのスコップの横に小さなバケツが置いてある。
これぞ公園のあるべき姿かな?私はそう思いつつそこを通り過ぎる。
公園の端っこに、草葉色の小さな屋根の下に木造りのテーブルと椅子が見えた。
そこには真っ赤なランドセルを背負った女の子が一人で座っている。
こんな時間に不思議だな?私は首を傾げつつ歩きながらその子を眺める。
純粋な真っ赤な色のランドセルは昨今あまり見かけなくなったけれど、公園の緑とのコントラストがとても綺麗で目を奪われる。
なんだかその子は俯いているように見える。
こんな雨の日だから仕方がないのかもしれないけれど、それでもその光景はなんだか妙に心の中に小さな水溜りを作る。

だからと言ってこれ以上はここに立ち止まる事は出来ないから私は足を速める。
ただえさえ人より歩くのが遅い上に、もう出勤時間は目の前に迫っているのだ。
その公園を後にして歩き始めた訳だけど、その光景だけはやっぱり・・・
心の奥でじわじわと形成された水溜りの範囲を広げていくのだった。

「それで・・・紡(つむぐ)!また出勤時間ギリギリじゃん・・・」
「へへへ。申し訳ない。」
職場に辿り着いた私は素直に頭を下げて、怒ったようで笑っている山下沙耶(やました さや)にそう答える。
まったくもう・・・とため息を吐く彼女は茶色の濃い髪が綺麗にカーブを作っていて、鼻筋のしっかり通った顔とキリリと左右対称の瞳は、まっすぐと物事を見つめている。
いかにも仕事の出来る大人な女!
まったく・・と言いつつもそんな彼女はいつものように小さなお菓子を私のデスクに置いてくれる。
ありがとうと答えると甘いものが好きだから。と彼女は頬を紅くして顔を背ける。
根っからのお姉さん気質の彼女は意外にも感情が行動と表情に出やすい。
だけどもそれは本人は気が付いていないからまた可愛らしいものなのだ。

そして紡と呼ばれた私は、宮原 紡(みやはら つむぐ)と言う。
我ながら一見、書面上では女か男か分かり辛い名前だとは思うのだけど、
その語感は子供の頃から大層気に入っている。

つむぐ・・・むぐむぐ・・・なんとも可愛らしいではないか。

そんな私はこの小さなクリニックで医療事務をしている。
医療事務が雇える程のクリニックではあるので、そこそこ繁盛しているのだけど、程よく穏やかで退屈でもない。
何ともなしにここで働かせて貰っているのだけど、それでも狸のようにでっぷりとしたお医者さんや、
沢山のお母さんみたいな看護師さんに囲まれていてお姉さん気質の先輩さえもいる。
我ながら何とも良い環境に巡り会えたものだと思い、お菓子を口に頬張る。
水気の少ないそのお菓子は、甘い香りをそのパサパサとした食感と共に口の中へ広げる。
さすがは先輩。センスが良い。
「なにやってるの?そろそろ開業時間だよー」
へーい!と私はそう答えつつ受付の裏にひっそりとあるデスクへと向かう。
そうやって今日がいつもの様に始まり、いつもの様に緩やかに過ぎていくのだ。

それはとある日の、仕事からの帰り道。いつもの公園がまるで絵画みたいに色鮮やかに浮かんで見えた。
梅雨には周囲の景色が奇妙なほどに鮮やかに見える日がある。
それが道端で雨に向かって気持ち良さそうにその身を広げる紫陽花のせいなのか、
それとも暗い色をしたコンクリートが更にそのコントラストを落とすからなのか、
雨が上がって分厚い雲の切間から差し込む光のせいなのか、私には分からない。
だけどもそんな日は唐突に訪れて、私はすっと息を吸う。
どこか湿気を纏った空気はいつもより重たいようだ。
そしてあれから度々、艶艶とした赤いランドセルを背負った少女を公園で見かけるようになった。
その姿はいつだって一人で俯いている。
何度もそれから声を掛けようかと思ったけど、見知らぬ女性が声を掛けた所で不審がられるのが関の山。
元より知らない人とおしゃべりをする事が苦手な私にはそれはとても難しい。
だけどもその子の姿は緑の中に迷い込んだ赤い蟹さんみたいで、何とも可愛らしくて、今日のような日には余計にその姿が目に映る。

よし。私だってお姉さんなのだ。
一度私は胸を張り、公園へと足を踏み入れその子の下へと進軍してみる。
なにが出来るかは分からない。
もしいつものような日だったらきっと通り過ぎているだろうとも思う。
だけど今日は梅雨の日々に稀にある特別な日なのだ。きっと大丈夫。

そう私は自分に言い聞かせてその子の下へ辿り着く。
よく見るとその草葉色をした屋根には沢山の蔦と葉っぱが絡み付いていて、急に緑の匂いが濃くなった気がする。
その小さな談話室で少女の隣に立ってみると急に街の景色が遠のいた気がした。

「ねぇ何をしているの?」

そう私が話しかけて見ると、その子は首を横に振る。あまり人見知りをしない子なのかしら?そんな事を私は思う。
もし私が同じ状況だったならば、きっと飛び上がって、しどろもどろと言葉にならない何かを口走っているだろう。
不思議と周囲からは音が消えて、この世には自分と少女しか居ないような気分にもなる。
その小さな沈黙は決して物事が停滞しているのではなく、きっと人が本心を語りだす前にある、ほんの一瞬の沈黙。
そんな風にも感じた。

「ねぇ。お姉さんはなんでいつも楽しそうに歩いているの?」

少女は顔も上げずにそう私に答えた。幼く鈴のように響くその言葉は沈黙した街の音の中で、よく響いた。

「ふーむ。何故かと聞かれても困りますな。というか見てました?」

うん。と少女は一度頷く。赤いランドセルを握る両手にはしっかりと力が入っている。

「毎日コッチを見てたでしょ?だから私もお姉さんを見てた。ウチはそんなに楽しそうに歩けない。」

どこか関西の名残は残ったままの言葉で少女は答える。
そんなに楽しそうだったか?と一度首を傾げつつも、きっとこの子は楽しくないのだなと、誰でも思いつくような事実に私は辿り着く。

「まぁ。楽しくなくても楽しそうには歩けるよね。キミは楽しくないの?」
「ウチは・・・まだ引っ越してきたばっかりだし、お友達も居ないし、お母さんも朝早くから仕事だし・・・楽しくない。」

その言葉を聞いて、それが誰かにずっと言いたかったんだね。私はそう思う。
身近な人には決して言えない言葉なんてものは沢山ある。
自分の事を何も知らない人だからこそ、語れる言葉もまた沢山ある。

「ねぇ。ウチが一人ぼっちでいるのを見てどう思った?やっぱり変でしょ?」
「うーん。変だとは思わなかったけど、なんだか蟹さんみたいだなと思った」

かにぃ!?上場は体をピクッと浮かせて私を振り返る。
艶艶と揃えられた前髪の下からはまん丸の、まるで宝石をはめ込んだような瞳が私に向けられる。
これは将来有望であるな。と私は笑みを浮かべる。

「そう蟹さん。赤いランドセルが甲羅に見えて可愛かった。」
「ふーん。蟹さんかぁ。変だね。」

そういって少女は初めて笑った。お腹を抱えて笑うほどではないけれど、クスクスと表情を崩している。

「ふふん。蟹さんだって全然変じゃないんだよ?赤くてかたーい甲羅でしっかりと自分を守って、自分だけじゃなくて周りの人もまた守ろうとしてくれるの。だからとっても優しいの。みんなの気持ちをとっても大切にしているから逆にそれで心配しちゃうの。自分以外の誰かを大切にし過ぎちゃって、時々ぎゅっと自分の殻に閉じこもっちゃう。」
「でも蟹さんはちょっと触ると逃げちゃうよ?」
「時には逃げる事も大切なんだよ。戦ってばかりいると疲れちゃうし、誰かを傷つけちゃうから。でもね、蟹さんには大っきなつよーいハサミがあるからいざとなったら、自分の大切な人をそのハサミで守れるの。優しくて、ちょっと考えすぎちゃうけど、それでも自分や自分が大切な人を守れるから。」

まぁ正確には蟹さんというより、蟹座の人の話なんだけど。
そう私は言葉に出さずに答える。少女はそうなんだーと私の顔を不思議そうに見上げながら足をプラプラと気持ち良さそうに揺らしていた。

「ウチも蟹さんみたいになれるかなー」
「蟹さんにはならなくて良いけど、蟹さんみたいな人にはなりたいよね。」
「うん。ウチは蟹座やから。そんな人になるね。」

そう笑顔を向ける少女に、もうきっとそんな人だよ。と言葉にはせずに笑みで返す。
この子が蟹座だという事には少しびっくりしたけど、だけどもそういう事は往々にして有る。
星はいつだって人を照らしていて、自身のその姿を人に映す。
駆け出した少女を見送って一足遅れて私も足を踏み出す。
大きな赤いランドセルから突き出た両手はまるで本当に蟹さんみたいだ。
そんな事を考えながら。

梅雨の雨の合間にはこういう事が稀にある。
それは日々の合間の一瞬ではあるのだけど、まるで人と人との気持ちの距離がぐっと近付いて、その人が紡いできたお話が新しくまた紡がれていく。
そういった瞬間だ。
今日はまさに梅雨の蟹の日だな。
そう思いつつ私は帰路に着く。
しかしもうあんなに無邪気に走れないなー。とぐんぐん私に差をつけて小さくなる赤いランドセルを視線の先に追いながら、私はそんな事を思った。

それからすっかりと一人ぼっちの蟹さんには出会う事は無くなった。
そしていつもの様に通勤路をふらふら歩いていると、同い年の子供たちと楽しそうに雨具を着て傘を差す少女に出会った。
あの日の表情は嘘のように消えていて、私に気がつくと少女は大きく手を振った。まるで大きなハサミのように。
その赤い甲羅のままで、自分や周りの人に想いを向けて。

なんともやるではないか。蟹さんは。

そうして私は少女たちに追い越されたまま空を見上げる。

分厚い雲は僅かに明るく見える。それでもしばらく雨は続くそうだ。

ふむふむ。今夜は星は見えそうにもないな。

私は分厚い空の向こうにある星を眺めてそう思う。

だけども私は星を詠む。

星を詠んで・・・人を想うのだ。

第一話【星を詠む人/梅雨の蟹の日】

映像版も公開中!リンクは下からどうぞ!

【星を詠む人/梅雨の蟹の日】
星を詠む人シリーズ第一話。
私は星を詠む。そうして人を想うのだ。
占い師で理学療法士である深文さんがシンガーソンガーで音楽療法士の藤井恵さんのコラボ作品!Tanakanの原作を朗読し、不思議で癒される世界をご堪能ください。

https://www.youtube.com/watch?v=AJBlxzjtqPg&t=4s

第一話【星を詠む人/梅雨の蟹の日】

【星詠みシリーズ第一話】 星詠みという言葉がある。 それは占星術とも読む事は出来て、 簡単にいうと天体に存在する星々の動きから、 人や社会の在り方を経験的に結びつける。事だと思う。 私は宮原 紡(みやはら つむぐ)と言う。 これは私が色んな人と出逢いを紡ぎながら前に進む物語。 それはまるで星の繋がりのように。

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更新日
登録日
2021-11-01

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