ひとではなくなる日
ないている。こども。おとなも。夜になって、みんな、ばけものになったから。だよ。やぶけた、皮の裂け目から、のぞくもの。脂肪、肉、だのというなまなましいものではなく、どこかファンタジックで、ゆめみたいにあいまいな中身。月がきえる頃に、ひとびとは安らかに眠る。きゅうくつなベッドを好んで、だれかの体温を感じていないと、ふあんでしにそうになるのだ。テレビの騒々しさが、救いになる日もあるし、すれちがうだけのしらないひとが存在していることに、生きている心地をおぼえる瞬間もある。にんげんは、意外と単純にできているのかもしれなくって、でも、その明快さがいいのだと思う、とノエルに話すと、ノエルは微笑みながら、レモンの輪切りを浮かべた紅茶を飲んだ。
いつか、ノエルが天使になったら、わたしをどうか、まぶしいほどの白い光の檻のなかに、とじこめてほしい。
ふたりだけの部屋で、ちいさな円形のコーヒーテーブルに、わたしとノエルのティーカップだけが寄り添っている、日々。
にんげんだったことを忘れないまま、にんげんではないものに生まれ変わるときの、絶望。
ひとではなくなる日