ハイリ ハイリホ(5)

一―三 パパ

 再び、竜介の声が俺のまぶたをこじ開けさせた。眠っている間に、ひざから下がソファーからはみ出ている。二度寝のせいか、足癖が悪い証拠なのか。母胎を足が突き破ってしまった感触だ。ふにゃらふにゃら。
 不安な気持ちなのか、それとも何かを達成した充実感なのか。お前がお腹の中にいるときには、よく蹴られて痛い思いをしたよ。お医者さんに相談すると、元気ですくすくと育っている証拠ですよ。将来は有名な陸上の選手になりますよとおせいじを言ってくれたけど、人間なんて生まれる前が一番いいね。こうして成長してしまうと、陸上選手どころか、ふとんを蹴り上げることしか役立たないのだからと、俺の体にふとんをかけ直しながら口癖のように母が言っていたのを思い出した。くすくすものだ。
 それとも、もう少し大きな声で自分を笑えばいいのか。かっかっかっだ。次は、くっくっくっだ。そのまた次は、けっけっけっけっだ。そして、最後に、こっこっこっだ。
 発見したぞ。か行は、笑いの宝庫だ。笑いで世界を平和にするぞ。ちょっとメモっとこう。まあ、これぐらいで自分を笑うのは勘弁しといてやろう。
 寝相が悪いと言えば、竜介もそうだ。二時間置きに時計回りにふとんの上を回転している。朝目覚めたときには、元の位置に頭が戻っている。だから自分も他の家族も竜介の寝相の悪さには、気づいていない。二時間ごとに、私がふとんをかけていることはもちろん知らない。
 俺の寝相が悪いのだから、竜介の寝相が悪いのも当然だ。子供の遺伝子が親に伝わることはないのだから、親の遺伝子が伝わったのだろう。そう、すべて俺が悪いのだ。だが、竜介にとって親である俺も遺伝子を受けた子に過ぎない。そうなると、俺の親も寝相が悪いだろうし、その親も悪い。そのまた、親も悪い。
 どんどん世代を遡ってゆけば、人間の祖先、いや、生物の祖先そのものが、寝相は悪いのだ。寝相が悪い遺伝子を生み出し、変異させることなく、さらに特化することで、受け継がれていった。何故なのだろう。
 俺が思うに、どんな生物でも、睡眠が必要だ。だが、その睡眠中がもっとも敵から攻撃を受けやすい状態にある。攻撃される、すなわち死、種の滅亡となる。種を維持していくために、睡眠中でも絶えず体を動かし、こちらが眠っていることを相手に悟られないようにする必要がある。そのために生み出されたのが、寝相の悪さ遺伝子なのだ。この遺伝子を引き継いだものが、生き延びることができ、子孫を残すことができたのだ。俺もその一人だし、竜介もしっかりとその一人に選ばれたのだ。
 それじゃあ、今、生き残っている人間は、全員、寝相が悪いということか。それなら、俺の存在価値もたいしたことない。これからは、道端で人に会ったときに、「こんにちは、いいお天気ですね」の替わりに「今日も寝相が悪かったですか。少し、寝不足気味ですか。でも、そのお蔭で生き残ってよかったですね」とあいさつをすることに切り替えよう。
 遺伝子の話はもういい。なん慰めにもならない。とにかく、俺は寝相が悪いのだ。正真正銘寝相が悪いのだ。ソファーから足がはみ出したのは、寝ながら頭がほんのちょっと、そうほんのちょっと下にずれたのだろうと思い、元の位置に頭を戻そうとした。
 ぐきっという音がした。首がくの字に曲がったのだ。あいさつをする時、お礼を述べる時、あやまる時の、頭を下げるくの字ではない。本当のくの字だ。苦の姿だ。元々、バランスは悪かったかも知れないが、頭はソファーの肘置きから上にあったはずだ。
 肘置きから落ちた俺の顔からは、テーブルの椅子が見える。少し目を転じれば、フローリングの上に輪ゴムが落ちている。何故だ。何故、輪ゴムが落ちているんだ。昨日の夕食のとんかつの横に添えられていたはずのキャベツも輪ゴムと仲良く並んでいる。
 今週末は、竜介と一緒に、大掃除だ。掃除機に、モップに、たわしに、雑巾に、掃除道具すべて総動員の体制で臨むぞ。早く除いてしまわないと、輪ゴムやキャベツが化石となって、次々とフロアに積み重なってしまう。恐竜やマンモスの化石ならまだしも、しなびたキャベツや輪ゴムの堆積された床なんて真っ平だ。この家が地震か大洪水で埋もれてしまい、後の世に、発掘された時、祖先は、よっぽど掃除が嫌いだったのか、それとも、キャベツと輪ゴムの化石に何らかのメッセージが込められているのかと、仏壇の前で語られても困る。
 語られてもいいが、しなびたキャベツやぷつぷつと切れる弾力性のない輪ゴムが俺の形見というのも情けない。せめて、年に一度の盆の時ぐらいは、俺のことを思い出して、いい人だったね、と思って欲しい。いや、正月にも、お墓参りをしてもらいたいし、春分の日、秋分の日もそうだ。忘れていた、俺の命日もある。そうなると、年五回だ。まあ、これくらいのぜいたくは許されるだろう。どうせその頃、俺はその事実を確認できないのだから、要望だけはしておこう。
 ひょっと、極楽の雲のすき間から様子を伺うことができても、地獄の深い暗闇に射す一筋の光を見上げたとしても、俺の声は届かないのだから。とにかく、立ち上がらなければ。立ち上がらなければ前へ進めない。例え、頭を叩かれようと。俺は、むちうちぎみの首を押さえながら、ソファーから体を起こし、床に足をつけ、背を伸ばした。ドーンという音が俺の両耳近くで響く。
 目からは、綺羅星が発するのが見えた。漫画の光景だ、省エネ時代に適応した、人間懐中電灯か。それはいいとして、今度は、天井に頭をぶつけたのだ。本当に、頭を打ちつけられた。誰だ、こんなところに天井を置いているのは。家の中を天井がぐるぐると回っているのか。うーん、天井説じゃあるまいし、天井を置くわけはないか。しかし、本当に、痛い。首の次は、今度は頭か。頭のてっぺんから足先まで痛みが瞬時に通過した。通り過ぎついでに、雷みたいに地面までに痛みが抜けてくれれば楽なはずなのに、何故かしら、足先から跳ね返って頭に戻ってきる。
 だから、痛みは消えない。この痛みが頭からまた足先に戻る。痛みが体の中を何度も何度も周遊している。俺を弄ぶのがやめてくれ。痛みに耐えかねる。だが、痛みの速度はどのくらいなのか。神経の伝達速度なのだろうが、これを利用して何かビジネスチャンスはないのだろうか。意識の宅急便はどうだろうか。俺が考えていること、思っていることが、口に出さなくても、瞬時に相手に伝わる。遠くの大事なあの方に、ちょっとした心のお歳暮を贈りませんか。
 なんていい響きだ。妄想なら得意だが、口下手の俺としては、考えていることの半分以上も口に出せなくて、理解されず、また、思ってもいないことまでも相手が勝手に想像して、誤解を受けたり(正解の場合もあるが)、辛い目に会ったりすることもあるが、もうそんな心配もない。まてよ、いいことばかり伝わればいいが、こんちくしょうやふざけるなという悪い感情までもが相手に筒抜けになってしまえばどうなるのだ。
 インターネットのように世界中に張り巡らされた神経の中を、中傷したり、罵倒したりする意識が駆け回る。家族中、地域中、会社中、日本中、果ては世界中が、感情戦争になってしまうだろう。第四次世界感情大戦。それは、国と国との戦いから、個人と個人の戦い、相手の存在を消し去ること目的としたものになる。せっかく、寝相の悪さを利用して生き残ってきた人間なのに。
 その結果、誰もいなくなり、人間以外にとっての世界が平和になる。これが本当の平和なのか。難しいことを考えていたら、再び痛みが襲ってきた。
 頭に手をやる。幸いこぶもない、背も伸びていない、出血もしていない。なでなでしてやる。痛いの、痛いの飛んで行け。飛んで行ったら、誰かに引っ付いてしまえ。自分の不幸は他人の蜜。他人の不幸は自分の生きる喜び。子どものおまじないだって、たまには役に立つ。しかし、ずっと俺は子どものままだ。おかげで、少しは痛みが和らいだ気がした。痛みが消えたのか。痛みさえも感じなくなったのか。
 それにしても、疑問だ。生きていること自体が、疑問の連続だ。朝起きて、パン一切れの疑問を食べ、昼にはうどん一杯分の疑問を食べ、夜には、ステーキ一皿分の疑問を食べる。寝るときに、今日一日の疑問を五回ほど反芻しながら、咀嚼し、翌日の朝、全てを便所に流す。
 疑問が、疑問のまま、何の解決もされずに垂れ流される。垂れ流された俺の疑問は、下水を通り、他人の疑問と混じりあい、疑問収集施設に集められ、処理される。処理といっても形だけだ。集められたすべての人間の疑問は、そこで沈殿し、上澄みの解決可能な疑問、解決されたと思われた疑問だけが、海へと流される。
 体制を壊すような、人間の存在自体を危うくさせるような疑問は、底深く澱のように溜る。何世代も、何世代もの澱は、永遠に解決されることなく、堆積し、地層化する。やがて、地の底から、怒りにも似たマグマが噴出し、地上の俺たちに降りかかったとき、体全体を疑問が蝕み、存在を亡きものとする。そして、人間たちの時代が終わりを告げ、新たな生物が、この地球を支配することになるのだろう。その新生物も、一時期のおいては、この地球を支配し、自らの時代謳歌するものの、解決できない悩みが大爆発をした時に、滅び去る。この繰り返しだ。
 生物の進化の話はどうでもいい。俺は、今、自分の身に起こった疑問を解決しないといけない。何故、天井に頭をぶつけるんだ。いや、ぶつかったんだ。俺は、いつからこんなに身長が伸びたんだ。それとも、寝ている間に地震でも起きて、二階が落ちてきて、天井が低くなったのか。それなら、もっと大きな音や揺れがあっただろう。
 地震にも気がつかないなんて、よほど俺は熟睡していたのか。さっき天井に頭を打ったように、何かが俺の頭に落ちてきて、気でも失っていたのだろうか。それなら、竜介は大丈夫なのか。俺を呼んでいるからには、元気な証拠だ。子供を守ってやる立場の親が、子供に守ってもらっている。主客転倒だ。母屋の代わりに、ひさしがメインとなっている。
 まあ、いずれ、こういう時がくる。親がいつまでも子供を守れるわけがないし、また、そうであっては困る。それが、早いか、遅いかだが、まだ、竜介は小学生だから、守ってもらうには少し早すぎる気もする。その分岐点はいつなのか。そこからが、親の威厳がなくなる時だ。
 一番早いのが体力の分岐点だ。日頃から、会社と家の往復、たまの休みも家でごろごろでは体力、運動能力の低下は、日に日に増すばかりだ。昔ランニングをしていたおかげで、今なら、家の近くの池の周りを竜介と競争しても勝てるし、(翌日には、必ず、足がパンパンに張っている。二日連続の勝負はきつい。)庭の地面に土俵を描き相撲をしても、親の力を見せられるが、竜介が中学生になると状況が変わるだろう。
 俺の親がそうだった。力くらべの相撲を父親とやり、初めて勝ったのが中学生の頃だ。身長も親より大きくなり、力も強くなる。子が親を上回る時だ。その時の、その瞬間の、親の気持ちは一体どうなのだろう。子供の成長を祝う気持ちか、それとも、会社で誰も相手にしてくれず、嘲笑の的の自分が、唯一、力を誇示することができた対象からも見放された喪失感なのか。もうすぐ、その結果がわかる。全ての親が感じることができる特権だ。
 その次は何だ。勉強か。いや違う。今の子供の勉強は俺たちの頃よりもさらに難しくなっている。パパ、これ教えてなんて言われても、学校の先生か、塾の先生に聞きなさいというぐらいだ。指示はできても指導ができない。学校や塾の先生だって大変だろう。
 俺と同級生の仲にも、小学、中学、高校の教師がいる。昔とった杵柄だけでは、教師面はできないだろう。まして、学校の勉強から遠ざかった俺なんか、勉強面においては、すでに親の立場などないのだろう。また一歩、また一歩、竜介が俺に近づき、俺を追い越す。ハードルが低すぎるだけなのか。元々ハードルに値しなかったのか。
 いかん、いかん、我が身に帰れ。意識よ、現実に戻れ。もう一度、頭や顔の辺りを触ってみるが、なんら傷跡や痛む箇所はない。もう、大丈夫だ。頭に外傷はないが、問題は中身かも知れない。竜介がこちらを見ているのに気がついた。

ハイリ ハイリホ(5)

ハイリ ハイリホ(5)

パパと僕の言葉を交わさない会話の物語。一―三 パパ

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-12-07

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