狂えぬ今日へ
棘になるもの
帰り道に迷う小路に
置き忘れたものたち
皆それぞれ目を光らせて
忘れられたまま存在した
夜風は次第に冷たくなる
次の季節の準備を淡々とこなす
何かを割り切ったように
無表情に過ぎてゆくもの
置き忘れたものが増えてゆく
小さな棘が刺さるように
視線はいつも私にあった
孤独の演者
拙い演奏を続けて
観客が一人もいなくても
はじめた楽譜は終わらせない
苦しい気持ちで叩く鍵盤
終わって欲しいと願いながら
旋律を追いかけては遠のいた
誰もいない発表会で
指はもつれてしまう
それでも作曲者の孤独を思えば
寂しい曲に拙く寄り添い
僕らだけの音楽を作ろうと
俯く日に
冷たいものが降るから
天はいつもあたたかい
だからおおらかにして
人間は神様にはなれない
だから狭い心を許したまえ
拙い生き方に胸を張らせて
完璧なものなどつくれない
だからこそ愛着が生まれる
下ばかり向くことを許したまえ
空は青いことなど知っているから
恐怖
過剰なほどに怯えていた
何が怖かったのかわからない
夜になると木は威嚇してくる
壁に悪夢が映写されて
女の子が私に訴えてくる
夜は何かが見えなくなり
夜は何かが鮮明になる
だから神経は怯えていた
繰り返される音楽が
外からの白い光が
瞼の裏の世界が
何もかも怖かった幼き日の夜
始発
全てを投げ出し乗り込む始発列車
日が差し込む車両
朝か夕かもわからないほど
強い光を放って私を溶かす
どこへ向かう電車に乗ったのか
わからないまま揺られていると
車掌さんが笛を吹きながら歩く
その後ろを兎と蛙と鶏が着いていく
駅に着くたび動物が乗り込み
私の記憶は消されていった
この世で一等美しいもの
消えてゆく初雪のように
潔く生きて締めくくりたい
後のことは思い出にして
降り積もるもの
屋根の上に高く
土の下に眠る
雪の重みが魂を閉じ込める
白くなる世界が
この世で一等美しい
良いも悪いも等しくなる
最期の優しさに魅せられて
あきられたティータイム
紅茶の中に溶けていく
真っ直ぐに落ちる角砂糖
何個入れても満ち足りない
浸るほどに遠くなるもの
セピアに染まるいつかのこと
胸の中にあたたかな
それはたしかにあったもの
懐かしくなる
感傷は沁みる
痛みに近くて
焦がれて沈む
冷めた紅茶の中には
冷淡になれない私が映る
温度計
お湯を頭からかぶり
何もかも落とせたのなら
きっともう少し楽になる
冷めてしまった湯船には
寂しさ溶かして
溜息浮かべる
温度計はぷかぷかと
仕事も忘れて遊んでいる
それくらいの気概が無ければ
この気温は乗り越えられません
知っていますよ、
何度も通り過ぎた季節ですから
言い聞かされたいつかに
ベルの音に気がついた時には
扉は既に閉まっていました
いつか聞かないふりをしていた
私の中の泣き声が暗闇に響きます
ひとりになると強くなります
仲間への帰属を諦めた少女の頃
ひとりで帰れるのなら
大人だと認めてください
痛みに鈍くなることは出来なくて
生存本能が私を抱いた夜
はずれる
誰にもなれない
神様にもなれない
夢は見ている
今も見ている
それは螺子が外れて
ばらばらになった
誰かの玩具の様
銀灰色は鈍く光る
私は怒られる気がした
その場から立ち去ろうとして
水溜りに落ちてゆく
これは夢である
煙のように朝には消える
罪も罰も誰にも
存在しない朝に
情景
トロイメライ 泉に浸る
私の情景は粒子になって
私とひとつになってゆく
夢を見ている
歩きながら、ここではないところへ
心は惹きつけられてひとりでに
肉体を置いて散歩をはじめる
いつかの景色の彩度は変わる
私の水晶体の記憶は変わる
景色と溶け合う私の魂
長い夢をこれからも
寂しい動物
あなたの悲しみは知らない
私の悲しみも知らない
そうです
私たちは寂しい動物です
誰も教えてくれません
そしてある日気がつくのです
共に居て、どうなるのでしょう
空洞に合うお互いでしたか
晴天にぼんやりさせましょう
景色を滲ませて輪郭を消して
幻に生きる肉体
火球のように散る魂
無遠慮
住所の書いていない手紙が
窓から届いた秋雨の日
心許ない僕は
その文字を眺めて泣いていた
僕に宛てたものではない
僕のための言葉なんてない
それでも
差出人不明の無遠慮な手紙に
懐かしい光を見出して
跪いて涙を流している
寂しい心は手紙を呼ぶ
窓から雨粒と共に
文字が入り込む
空気中にあるものについて
名前のない感情ばかりが
空気の中に漂っている
頼りにしていた言葉が
足りなくなる時には
息が苦しくなる
酸素濃度より心の濃度を知りたい
うまく伝えられないことばかりで
言葉が最初から無かったのなら
諦められたことだろうと
文字に起こして矛盾する
何よりも人らしいのは
不合理なものだけ
青くなるもの
魚になる日は空気を吸って
泡になったあの子を弔う
叶わない想いも海に漂う
どこまでいっても消えない
心のある生き物は幻影になる
罪悪感が見せる幻は
恐ろしい形をしてる
青ざめる顔と海の色
あの子が受けた罰は
本当は誰のものだった?
秋と冬のせめぎあい
窓からの光線は白く
部屋を白々と照らす
寒々とした部屋を隅々まで
秋の空をして冬の空気を運ぶ
今年も早く冬の女王は来る
紅葉に白粉をはたき
凛とせよと命ず
背筋丸くなる寒さに震えて
凍てつく風が吹き抜けて
秋は追いやられる
季節のメモリは揺れる
秋と冬の間を震えて過ごす
四季の中の流転
冬は故郷
秋は都会
夏は田舎
春は未知
四季は引っ越しである
とどまるのは冬にのみ
長い長い冬は故郷である
秋は黄金の都会を訪れる
洒落た街並みが心を晴らす
夏は田園を眺めている
青空の下にて蝉と叫ぶ
春は見知らぬ街へ連れられて
見知らぬ文化に染まりゆく
四季に流転の身を委ね
座礁する心
泣き腫らした目に映る
海中世界は澄みわたる
鯨に寄せた想いは溶けて
塩分濃度を変えていった
さようならと伝えて
海と陸の境目にて
私がつづくために
ここに捨てていくもの
輝きは失せて
誇りは傷になる
座礁した私の目に映るのは
裏切られた子供がひとり
砂のお城を作り続ける姿
情緒不安の空に
夏に熱せられた水道管は
すっかり冷えて凍えている
やかんに絶えず水をためては
あたたかさを求めて沸かしてる
白い空にまばらの青がのぞく
傘のマークが並んでいても
晴れのマークがついていても
脈絡なく泣き出す
情緒不安の空模様
精神は呼応して安定する
泣け、泣け、私の代わりに
狂えぬ今日へ
狂えぬ本日
詩集片手に台所
銀色のシンクが
目の前の現実だ
あちらこちら
壊れたままの住居
手当不能の心の中
雑音だけは削いだ
幻想は今だ
生きてること
それ自体だとして
何一つ解決しない
覚めない夢なら苦しいだけ
夢も現実も代わり映えなく
淡々と時計の針は進むので
私の呼吸は浅いまま
狂えぬ今日へ