君は落語が好きですか
言霊(ことだま)
横浜で生活するようになってから大学を含め五年は過ぎていた。卒業しても就職はせず「言語学」の履修を活かせる道はないものかとそのことばかりを考えて短期間のバイトばかりで食いつなぎ時には流行りのカルチャー・センターなどの「文章の書き方」講座等を覗いたりしていた。ぶらぶらする私を見て親友の楽太郎は理想の職というものはなかなかないものだよと言って呆れていた。彼は高校を卒業すると主に百科事典を扱う中堅の出版社に就職しかれこれ六年は経ち、今は横浜にあるその支社で販売調査に携わる仕事をしていた。
カルチャー・センターで知り合った油井氏の仕事を手伝うようになったのは彼が開催する文学サークルに加わったのが縁でその後、会員の文集をまとめるよう頼まれたのがきっかけだった。やがて一冊の作品集として印刷する手筈になっていたのだが編集していくうえで様々な疑問が生じてきた。老人がほとんどを占める会員の作品は自分が辿ってきた人生について書き、各々本人にしか味わえない喜怒哀楽と印象とが表現されているのであった。会員は全員が高齢者で文学サークルとはいえ凡そ純文学とは程遠く、作品集の趣旨は会員たちの自分史といえた。
油井氏にしても私よりもずっと年上だったし、何だかの文章教室に携わった経験の持ち主であると私は最初のうちは思っていた。しかし、回を重ねていくうちに私は彼の力量に疑問を持ち始めていた。極端に言うと文集をまとめるにしても会員たちが経験したことを直すことに意味があるのかということであった。その意味も含めてあるとき油井氏に尋ねようと思っていたところ突然油井氏は消息を絶ち、会合にも姿を見せなくなった。やがて作品集を出版する手筈になっていた手前、私は手紙を書くことにした。
しかし、いくら待っても彼からの返事は来なかった。
運河に近い長屋の横丁を曲がりいつものように銭湯へ行く道すがら私は考えた。返事が来ないということは相手が返事するに価しない無味乾燥な戯言と思ったのかもしれない。しかし、そうとも思えない。確かにあの作品集の趣旨は彼も同調し、ぜひとも完成させたい各人の貴重な財産であると喜んだはずだ。ところが、何の返事もないということは実は最初から関心がなかったということなのか。信じられなかった。サークルで一年間共にやってきたことを思うとどう考えてもあり得ないことだった。そもそも手紙が相手に届いていないのではないのだろうかという不安さえ浮かんでくる有様だった。
やけにその日は暑く、汗がしたたり落ちた。身体は汗ばみ、横丁の狭い路地をいくつも通り抜けてやがて「太閤の湯」の玄関にたどり着いた。
銭湯は身分の上下が張り詰めていないのが好きだ。いつも昼下がりの一番風呂だから年寄り連中ばかりで湯に浸かる彼らの表情には一様として飾らない大らかさが浮き出ている。そんな光景を眺めながらいつもは老人たちに混じって湯舟に浸っているとまるで大学時代の延長であるかのような呑気な夢心地に満たされていた。そして楽太郎は理想の仕事なんてこの世にないと言っていたが私はいずれ就いてみせると確信していた。しかし、今は淡い憂鬱感で覆われそうになる。今回の油井氏の失踪で作品集の編集が滞り、更にそのことは理想の仕事にありつく一歩手前みたいな期待感に暗雲を呈したことになるからである。
湯に浸かる周りの老人たちの姿がやがて作品集の完成を待つ老人たちの姿と重なった。それは油井氏から返事が来なくても編集を続けていこうとするもうひとりの自分の姿を虚しく嘲笑うかのようである。
「太閤の湯」から出ると、次に向かうのは「珍竹亭」という寄席をやっている小屋である。湯上がりあとの爽快な気分のまま珍竹亭の片隅で両足を投げ出し、名声には凡そ縁のない入門したての修業階級から華やかな舞台の陰で苦汁をのんできた古参まで、その彼らの語る落語を聴くのが銭湯帰りの日課になっている。このお決まりのコースはこのあと寄って酒を呑む「わらじ屋」まで含まれているのだった。わらじ屋で私は常に文学に関する表現について考えてきた。極するところ言語論の限界性について追及したと言っても過言ではなかった。「すべての感情は文字では表現できない」「感情のなかに文字は存在せず、情景においてだけ文字は必要とされる」。私はいつもそのようなことを考えた。
大通りに出て商店街を抜け自転車の往来が混雑するなか、小さな和菓子屋の路地を入ると、こころばかりの幟がその建物の前で近くの運河から吹いてくる風に棚引いている。その古い簡素な木造の階段を上っていくとそこが珍竹亭なのである。ぎしぎしと小さく軋む音をたてながら無心で上っていく姿はいつみても侘しさが半分同居しているような気分になる。
その日私はいつものように階段を上って行こうとするとひとりの女性がちょうど同じように後ろから上ってくるのが眼に映った。特に女性の着ている赤い袢纏が強烈に私の眼に突き刺さった。哀れというか見窄らしいというか、悲哀に見えたからである。しかし彼女は若い顔をしている。寄席にまるで高校生のような女性が通ってくるのはどう見ても不自然とさえ思った。それとも珍竹亭の芸人のひとりなのか。私は珍しいものに見入るかのような心境を覚えながら入口までたどり着いた。
いつものようにくたびれた畳敷きの広い座敷には太閤の湯のときと同じように頭の禿げた老人や仕事を終えた労務者が十数人ほど思い思いの恰好をして舞台に眼を向けている。相変わらず、修業中の前座が声高に噺をつづけるなか、私はいつもの場所から時折、先ほどの女性の姿を注視した。彼女は座敷の後ろの方で膝小僧を抱えて座っていた。笑い声が起きても彼女は笑わずにじっと舞台を見据えていた。落語が好きで来ているのか、それとも単なる物見遊山なのか。私の耳に入ってくる噺家の落語は次第に遠くで喋る宣伝カーの音調のように響いていた。彼女は何かを狙うかのような、それでいて澄んだ穏やかな瞳を輝かせていた。それが最初に出会った彼女の印象だった。
彼女の身を包んでいる赤い袢纏に私は微妙に惹かれるのを感じた。歳に似合わず彼女のやつれた髪の生え際に何故か神々しいほどの素朴さが宿っているように見えた。近寄って行って声をかけたい衝動に駆られたが、いったい何と表現すればいいか迷った。その赤い袢纏を身にまとった彼女をどのように評すればいいのか。例えて言うならそれまで悩み続けてきたものすべてが馬鹿らしく実にくだらないことのように写ったことは確かだ。もはや返事のこない油井氏に懐いていた絶望感をはるかに凌ぐ別次元の感情の出現だった。それは我を忘れる稀有な衝撃の瞬間だった。落語をひとりで聴きにくる。素朴で純真な容姿。それにはどこか悲哀に満ちた陰りの影が映っている。そのことだけでもじゅうぶんに私を惹きつけた。それに聴き入る瞳に不思議なほど豊かな光が潤っていてこれから展開しようとしている何か運命的な予兆を感じさせた。
私がまだ前向きでその作品集に取り組んでいたころは、油井氏を大いに信用し自分も積極的に仲間に加わって文章を磨いてきた。
「結局、文章とは表現力の問題だな」
指導的立場にあった油井氏はこう述べた。私が表現力と取り組みはじめたのはそれからである。
「各々が体験したことを表現すれば素晴らしい作品集が出来上がります。頑張ってください」
油井氏は提案した。それが一年ほど前の話だ。そして、編集を頼まれた私は会員の原稿を大切に保管し、油井氏に指摘されるまま少しずつ手直しを加えていく作業に取り掛かっていたのである。高齢者の会員が書いていることは須らく自分の歩んできた人生の想い出であり、その人にだけしか分からない感情の描写が書かれている箇所もあった。しかし、油井氏によれば、言葉は選ぶこと、表現には型があり、標準的な言葉や表現方を教科書にすべきであることを我々に強要した。文章の個性的な表現は好まなかった。例えば文章で「私の父は…」とあるのを絶対的に「私の」を省略すべきだと言った。
私は軽蔑的にこれを否定した。それは油井氏が何をやってきた人物なのか、文学に関して実績はあるのか、単なる持論を言っているだけではないのか。体裁上の好き嫌いで文章を評価されたのでは堪ったものではないという感情が湧き起こってくるのも当然だった。
そんなことが度重なり、私は遂に手紙を出す羽目になっていたのだ。
彼女を見ていると油井氏に懐くすべての感情は押しやられその無限に潜む飛翔のような発露の輝きに包まれるのであった。いったい彼女はどこで珍竹亭と結ばれているのだろうか。強い好奇心が次第に擡(もた)げ、風呂上がりの爽快感はすっかりと抜け落ちてくるのだった。もはや最初の一瞥(いちべつ)が与えた直観力が熱を帯びてきて、広間に響く噺家の声は耳に溶け込まなかった。
寄席が終わって、ぞろぞろと客が動き出す機会を見計らい私は彼女に近づいた。
「君、ちょっといいかな?」
彼女は少し驚いた様子を見せた。
「よかったらすこし話しをしたいのだけど、時間ある?」
これが私が彼女にかけた最初の言葉だった。
彼女の名前は古館ナナと言った。まだ二十歳になったばかりで、二年前九州の大分から横浜に出てきて歌の勉強をしていると語った。バイトをしながら独学である。珍竹亭を出たあと私の通いつけの「わらじ屋」に誘った。「私だけにしか表現することのできない歌を唄いたい」「こころの表現を歌にしたい」と彼女はつぶやくようにして語った。彼女のその真摯な眼差を見ると今私が抱えている編集の悩みが風がやむようにして消えた。
彼女の求めている姿勢が本物かどうか、数ある歌手の卵が消えていく現実を考えると私は正直、そのときはまだ信じてはいなかった。しかし、私は彼女を応援したいと思ったことは確かだった。私は人々の心に響く歌を歌いたい、私だけのもの、私だけが感じたもの、私だけが涙し、私だけが憧れたこと、私だけが信じたことを唄いたいと言った彼女の言葉は鮮烈だった。しかし、その彼女がなぜ落語を聴きに来ていたのか、そのときの彼女の返事を聞いたような気もするが不思議なことに覚えていない。
それっきり、私の眼の前から突然彼女の姿は消えた。相変わらず珍竹亭へは出かけていたが彼女は現われなかった。「わらじ屋」にも来なかったし、連絡先も聞かなかったので何の手だても講じることができなかった。彼女にもう一度会いたいと思っていた。脳裏の片隅にいつも寄席の階段を上ってくる赤い袢纏姿の彼女が棲み込んでしまったのであった。
「自分史なんてものはさあ、自分の生きざまを書くんだろ?」
ある晩、楽太郎と呑んでいるとき彼がぼそっと呟いた。それは私が編集している作品集のことを指していた。油井氏に出した返事も得られず編集作業も何となく暗礁に乗りかけていた。
「書く価値って何だ?」
「書いたものは残る。ただそれだけの価値さ」
「残るったっていったい誰が読むんだい?」
「わからないさ。ただ書いたものは永遠に残される」
「だからさあ、何のためにだよ」
「自分のために書くのさ。あるいは子孫のためにでもある」
私はそれだけしか答えなかった。楽太郎は苦笑いを続けながら私を見つめ、それ以上私を問い詰めなかった。しかし実際、私はそれほど情熱を傾けてはいなかった。片方では赤い袢纏の彼女の出現で私の頭のなかは不思議な好奇心が芽生えていたからである。「落語」と「歌手」の奇妙な組み合わせだけが妙にその探求心を奮い立たせた。そしてどこか孤独で、貧しく、すべての華やかさから取り残されたような彼女の面影に吸い寄された。
「落語って何だろうね?」
私は楽太郎に聞いてみた。
「落語?」
楽太郎はあっけにとられたような表情をした。
「単なる芸能じゃねえのか。それがどうかしたのか?」
「それを求めるものって何だろう?」
敢えて彼女のことは言わなかった。しかし、呟くように投げかけた問いは私の脳裏に残っている古館ナナに対してなのか自分に対してなのかもよく分からなかった。ただ落語を聴けば心が寛大な安らぎに包まれることだけは言えた。
「単なる芸能ね…」
私は酒に酔いながら何度も苦笑いした。
「落語とお前がやっている作品集と何か関係があるのか?」
楽太郎は相変わらず嘲笑した眼が楽太郎の顔が眼の前にあった。
私はいつものようにジョニ黒を飲み、深夜の一定の時間にラジオのスイッチを入れ、亡くなった牧師のことを考えた。彼はヘブライ語を勉強し、多くをイスラエルで過ごした。彼が生涯に残したものは渾然と輝き、告別式の教会にはイスラエルの大使が参列し、集まった信者のこころにその彼の功績が間違っていなかったを刻み込んだ。
「ぼくはヘブライ語を学ぶためにこの世に生まれてきたんだ」
彼は生前そのようなことを私に告げた。柔和で謙遜な彼の語り口調に一片の疑いも曇りもなく私はその言葉に彼の持つ人生の意味について考えさせられた。その彼が先日亡くなったのであった。
ラジオは静かにオープニングテーマを流しつつ始まっていた。私は編集中の作品集のページをめくりながらグラスに二杯目のための氷を抛り込み、ジョニ黒を適量注ぎ込んだ。薄っぺラな作品集には会員たちの人生が収められている。いつもならその活字が忽ち、各々の辿った人生が画となって浮かび上がってくるのだが、紙面に印刷された今夜の活字は少しも動き出さない。亡くなった牧師のことが先客として未だうまく整理されていないことが頭にあったからだ。
「神を知れば自分の存在理由が理解できます」
「と、言うと?」
「何のために生きているのかという回答が示されているからです」
「何のためですか?」
「ヘブライ語でアニー・フーと記されています」
「どういう意味ですか?」
「神こそ、それなり」
嘗て彼が私に説教してくれた言葉が廻り続けていた。
私はグラスのなかの氷を眺めて沈黙し、神と自分の存在を端的に関連させた表現について驚愕した。納得できるような気もするがあまりにも何かを超越した表現だと思った。
「ヘブライ語か…」
牧師の生前を偲びながら私はジョニ黒を飲み、宗教のことを根本的に理解しようとしていた。各々の人生を綴った手元の作品集も開いたままで活字に目を落とすでもなく傍で鳴っているラジオに耳を寄せるでもなくただ牧師の人生とヘブライ語のこととそして表現自体が持つ力のことをぼんやりと考え続けた。
どのくらいの時間が経ったのか。私は突然流れてくるラジオの声が次第に私の眠っていたものを起こすかのようにして入ってきた。偶然としか言えなかった。それは次のように語っていたのだ。
「…一生懸命やるのです。私は目指します、きっと人々の心に響く歌を唄い続けたいのです、だから頑張ります。私にはもう帰る故郷はありません。この横浜で、そして運河の片隅で静かに降り続ける雨を眺めながら…辛い仕事をしながら…でも作り続けて唄いたい…と思っています。ということでね、はい。お便りは横浜市にお住いの古館ナナさんのお便りを紹介させていただきました。…彼女頑張っていますね。シンガーソングライターね、ぜひ頑張って欲しいですね。応援しています。では次の曲、サイモンとガーファンクルでスカボロ・フェア」
私は目覚めるように我に返った。ラジオは確かに古館ナナと言った。数カ月ぶりに甦る彼女の面影が稲妻のように襲ってきた。スカボロ・フェアのメロディーが運命の彩りを描き、彼女の名前が電波に乗って私のところに戻ってきた瞬間だった。私は慌てた。ヘブライ語のアニー・フーが降りてきたのではないかと思ったほどだ。すぐさま問い合わせてみようと決めた。
「今、放送されたお便り紹介の件でお伺いしたいのですが…」
放送局に電話してみた。ところが番組の編集部署に廻され、編集部署から広報に繋がれ、また一から説明し、また番組の企画、お問い合わせ部門に廻され、あちこち堂々巡りをしているうちに、その定時番組は終了した。
私はまるで官僚的な放送局のシステムを呪い、その責任の不明瞭なマニュアルに歯ぎしりした。しかし、私の心は躍っていた。彼女は今も頑張っている、しかも電波が私にだけ伝えてくれたのだからそれだけでもじゅうぶんだと思った。
「私にとって故郷はもうありません。でも、そこへどうしても還りたいと思うときがあるの」
居酒屋で語った彼女の言葉が鮮明に甦って来た。故郷を捨て、見知らぬ街へやってきてシンガーソングライターを目指す彼女の姿が再び私にとって身近なものの存在のように写るのである。そしていずれ彼女ともう一度会えるような気がしてならなかった。あたかもそれは牧師の言う「アニー・フー」というような言語の持つ響きに似ていた。何か確かな約束事のように思えた。何故だか知らないが妙に幸せな深夜の出来事だった。
相変わらず「太閤の湯」に浸かり、「珍竹亭」の寄席へ通い、熱心に書かれた会員たちの作品編集に時間を費やした。しかし、大半は毎日が退屈だった。
そして楽太郎と相変わらず酒を呑み、私は酔うと決まって彼女のことを話すようになっていた。深夜放送で彼女の名前を聞いてから一週間は経過していた。
「しかしさあ、その彼女このあいだ横浜エイベックス・コンテストで優勝した子じゃないのかい?」
あるとき、彼は妙な情報を語った。
「いわばシンガーソングライターの卵ばかりが競う大会でさあ、そこから大物になったミュージシャンもいるくらいだよ」
「で、何で彼女だと分かるんだ?」
「確か、出身が大分で、でももう私にはその故郷はありません…とかなんとか語り、すごく憂いを含む歌でさあ…」
「名前は?」
「なんて言ったっけなあ」
「肝心なことだよ。その彼女の名前を思い出してくれよ」
「さあ、何だっけ忘れちゃったよ」
思わぬ話に私は期待に満ち溢れた。それが古館ナナであって欲しいという夢想である。酔いも手伝って私の脳裏に忽ち「竹林亭」で輝いていた彼女の瞳が浮遊してくるのである。居酒屋で語った彼女の言葉や先週偶然に深夜ラジオから流れた彼女の名前のことがあらかじめ用意された筋書きのように展開していく。私の心は焦るばかりだった。
「何という歌だったの?」
「故郷へ帰りたい、という歌だよ」
「いい歌か?」
「いい歌だよ」
「でも、その故郷はもうない?」
「そうだよ」
「なぜ?」
「さあね」
彼女がプロの歌手デビューすれば私の存在は彼女にとって何だろう。単なるあかの他人ではないはずだ。ふとマスコミのことが頭をもたげた。古びた寄席の階段を上っていく少女が遠い世界に昇っていく感じがした。押しも押されぬ人気歌手になり、もはや私の手の届かないところにまで行ってしまうのかと思うと侘しかった。しかし、そのときは私は多分、大満足をして作品集の続きに再び取り組めるのではないのだろうか。妙な安心感が漂うのである。返事のこない油井氏のことも気にせず、例えば「私の父は」と書くよりも「父は」のほうが絶対正しいといったようなつまらないことにも拘(こだわ)らなくてもすむかもしれない。
とりとめのない空想が未知の世界と相まって、その情報の真意を確かめたいとする興奮を先立たせるのである。そのくらい彼女の存在は酔うと必ず大きな位置を占めていた。
「しかし、横浜エイベックス・コンテストってそんなに有名なのか?」
「新人歌手の登竜門さ」
「優勝したってことは…」
「そのうちデビューだよ」
「名前は?」
「そんなことは知らねえよ」
「古館ナナでデビューするのかなあ」
「分からないよ」
「気になるんならエイベックスに聞いてみたら?」
楽太郎は呆れるようにして言い放った。
数日後、私は大手レコード会社エイベックスに電話した。会社のほうでは確かにそのようなコンテストが横浜で開催されたことは答えたが、詳しい内容については即答しなかった。
「大分出身の若い女性で名前は古館ナナ。私の故郷はもうないというような歌を唄った…」
「ちょっと分かりかねますが」
「だからそのコンテストの優勝者の名前くらいわかるんじゃないですか?」
「手前どもでは多くの場所でコンテストを行なっているわけでして」
「横浜ですよ、横浜で開催された分ですよ」
「いつでしたでしょうか?」
「ですから先月だったか、先々月だったか、あったでしょう?」
「横浜のどちらで行われたものでしょうか?」
「えっ…??どこだったかそんなことは忘れたよ、覚えてないよ」
「失礼ですが、お客様はどういうご関係の方でいらっしゃいますか?」
私は逆に詰問されているような錯覚に陥った。楽太郎にもっと詳しく聞くべきだったと思い少し後悔していた。それにしても会社も会社だ、始めから情報は握っている。公開することをためらっているのが感じられた。
「ちょっと彼女を知っている者だよ」
「お調べいたしましてご返事をさせていただいてよろしいでしょうか?」
「お願いします」
私は連絡先を伝えて電話を切った。問い合わせるのも簡単でないことをしみじみと知らされる思いだった。会社の対応に何か打ちひしがれたような思いに襲われ、自分はいったい何を渇望しているのかと少し情けなかった。果たして単なる思慕なのか。脳裏に残る赤い袢纏姿が何を訴えたのか。言葉の世界では表現できない確信だけがあるような不可思議な自負に駆られるのみであった。それは私だけの秘宝に思えた。
その後、相変わらず夕方になれば「太閤の湯」に浸かり、その足で「珍竹亭」で長閑な空間を過ごし、通いつけの居酒屋で様々な思索を巡らせた。その大手レコード会社から返事が来たのは問い合わせてから二日後のことで会社は次のように答えた。
「優勝者はおっしゃる通り古館ナナさんでございます。詳しい連絡先ですが当方ではお伝えすることはできません。ただ彼女は現在、長者町のライブハウスで唄われているご様子です」
「長者町の何というライブハウスですか?」
と、私は尋ねてみた。
「申し訳ありません。当方では店の名前等については詳しくは把握してございませんので分かりかねます」
それ以上は聞けなかった。それだけでもかなりの収穫といえたからだ。長者町を調べれば判明できる。私はこの新たな進展について心を躍らせた。それはまるで闇のなかで眠る深い確信の謎が再び光を放った瞬間でもあった。
「長者町にライブハウスがあるらしいが、お前知ってないか?」
楽太郎に聞いてみた。
「きっとフランシスコじゃないかなあ。伊勢佐木町の不二家の角を入って行けばあるよ。割と大人のムードの漂う静かな店だよ」
言われたとおり私はその店へ行ってみた。店は狭い階段を下りていき、洞窟のような入口の前には演奏者の写真入りポスターがひときわ目のつく場所に貼り付けてあった。その日の写真は彼女の姿ではなく別のミュージシャンだった。
店のなかは楽太郎が言ったように上品な格調が鋭く伝わってくるような重圧を感じたが、明かりに慣れてくるとそれは反ってゆったりした癒しの空間を滲ませた。フロアに並んだ丸いテーブルが舞台に向かって一見不均等に位置するように見えたがよく見ると実は均整がとれており、全体のバランスをとっていた。また少し離れたところにあるカウンターのなかに居るバーテンダーの蝶ネクタイ姿が店のすべてを象徴していた。
入口の写真にあったミュージシャンがチェロを弾いている。
「ちょっと聞きたいのだが」
私はカウンターでバーテンに声をかけた。
「この店で古館ナナっていう女性シンガーの演奏はいつやっているの?」
「古館ナナ?」
彼は首を傾げた。
「そう、シンガーソングライターの古館ナナ」
彼はよく知らない感じのように思えた。大手レコード会社のコンテストに優勝した歌手の卵の名前くらい覚えておけと言ってやりたかったが、もしかしたらこの店ではないのかもしれないという戸惑いもあった。
「シンガーソングライターですか?」
「そう」
「ちょっと存じあげないですねえ」
「ここの演奏スケジュール表を見せていただけないですか?」
内心私は狼狽していた。狼狽と言うよりやや光を失いかけたスポットライトが頭のなかで点滅し始めており、やがてそれは長者町のライブハウスと答えたレコード会社の返事を疑い始めていたのだ。
手にした店の演奏予定者の載ったパンフを眺めながら、店内に流れるチェロの音色が妖しく私の心に棲みついた確信を撫でまわしていくのを覚えた。深く棲み込んでいる確信とはいったい何なのか。そしてそれを引き摺っている己の正体はどこからやって来ているのか。レコード会社が不審そうに尋ねたように、このバーテンダーも呆気にとられたように何度もパンフに見入る私を眺めた。私の眼光に異様な影を見つめたに違いなかった。
「その方がこちらで演奏なさっているとおっしゃったのですか?」
「いや別に。本人から聞いたわけじゃないのだけど」
「女性の歌い手さんはそこに載っている方のみですねえ」
私は他のライブハウスの店を想像した。頭のなかで仄かに灯(とも)ったかに思われたスポットライトの残像はすっかり消え失せ、楽太郎やレコード会社の言葉が自分の秘宝をわざと隠し、それを消滅させるかのような存在にみえた。
その日私はカウンターで浴びるほど酒を飲んだ。バーテンダーがそっと肩を叩いて「お客様、そろそろ店を閉めますので」と起こされるまで、夢の淵を何週も巡り、チェロの音色の同じ調べの旋律を少なくとも三回は聞き、編集の壁を反芻し、油井氏への不信を肯定し、更には亡くなった牧師の遺した「アニー・フー」というヘブライ語をお守りのように思い浮かべた。不思議なことに最初に見た彼女の赤い袢纏は一度も登場せず、僅かにグラスのなかで鳴る氷の欠片の音だけが耳に残った。
長者町のフランシスコには彼女の姿も演奏予定者のリストにも載っていなかったので、他の店に違いないと勝手に理解した私だったが、よく思い返してみればレコード会社の情報は果たして正しいのか、疑問を持たざるを得なかった。それと楽太郎にももう一度フランシスコのほかにどんな店があるのかも聞いてみる必要があった。
その後毎日夕方になれば太閤の湯、竹林亭の落語と相変わらず変化のない日課の繰り返しを続け、深夜になるとラジオのスイッチを入れてジョニ黒のオンザロックで味気ない朦朧とした日々を送った。
片付けなければならない問題は眼の前にぶら下がっているようで視線を集中しようとするとそれは幽かな形象だけを残して霧散した。立ち塞がるものは例えば虚栄心であったり、自尊心であったり、そしてその根源は定職も持たずただ銭湯に浸かり寄席に通う放浪生活の連続でしかなかった。作品集の完成を中途にして先ず片付けなければならない問題は既に最初にあったのではないだろうか。言語における表現性の限界についてのテーマは卒業してからも頭の片隅にあったかもしれない。
その日。私は楽太郎と長者町の寿司屋に入った。
「フランシスコのほかといえば青い鳥があるけど。このすぐ近くだよ」
「それだけか」
「そうだよ。長者町のライブハウスはこの二軒だと思うよ」
「流行っている店か」
「フランシスコよりは少し地味な感じだけど…あまりパッとしないように思うなあ」
黙って寿司をつまんだ。
「その古館ナナって本当にライブハウスで唄っているのかい?」
「レコード会社が言うのだから間違いないよ」
ビールが苦かった。私はその青い鳥へ行くつもりになっていた。
「しかし何でそんなに彼女を追っかけるんだ?」
楽太郎の歯が笑っていた。軽蔑の微笑というふうに見てとれた。昔から彼はそんなふうな目つきをするのだ。決して悪気はないが夢のない奴だった。私がアフリカへ行ってキリマンジャロの見えるコテージでロッキングチェアに背を傾け、マックス・ウエーバーの「合法的支配の価値類型」を読んでみたいと軽い冗談を言ったときも彼はピンとこないでただ軽蔑の眼差しと白い歯を見せていただけだった。私はその冗談を本気で自分の浪漫を語ったつもりでいたが、あまりにも彼の反応に手応えがなかった。もっと現実的な趣味はないのかい?といつも彼は言った。
「話は変わるけど、自分史の仲間の作品集はどうなっているの?」
楽太郎が何気なく私に尋ねた。例の作品集についても彼は最初、興味を示さなかった。しかしその夜は何故か私が取り組もうとしている行動を追求しようとしていた。
「それと、返事のこない人のことは…」
正直言って編集は中途挫折に近かった。挫折の原因は指導者の逃亡であり、指導者に対する不信感といえた。
私は黙って呑んでいた。楽太郎には分かるまいと思っていた。油井氏が私に見せた正体があまりにも不詳であり懐疑的過ぎたからである。それは私がつまらないことに拘(こだわ)ったからであり、恐らくそれを楽太郎に説明しても分かってもらえないと考えていたからであった。
「返事なんてもう要らないよ」
「何と書いたの?」
「つまらん質問だよ」
「自分史の編集をやっていくうえでその返事は必要なの?」
「もう必要のないことだよ」
こころのなかで私は闘争していた。言語論を学んだとはいえ自尊心の強い青二才だった。つまり「私の父は…」を「父は…」と端的に表現するとした彼の指導法についてであった。どちらでもいいのではないか。しかし、ただ従うためには彼の経歴における実績という大義を私は求め続けていたに違いなかった。
「編集は諦めたよ」
「辞めるのか?」
「そうだ」
楽太郎はそれ以上何も言わず黙って酒を呑んでいた。
「そろそろ行くか?」
楽太郎に青い鳥の店を案内してもらうため私は腰を上げた。外は暗くなっており、店ではもう演奏している時間だと思った。
「まあ待てよ、慌てることなんかないよ」
「うむ」
「それより、自分史ってやつをちょっと教えてくれないか?」
「何だよ」
楽太郎は酔っていた。元来彼は酒を飲んでも少しも顔に出ないので気づかないことが多い。しかし、今夜の彼は相当酔っていた。
「お前のやっている編集って何だよ?」
「だから編集だよ。仲間の書いた自分史をまとめて本にすることだよ」
「何かテーマがあるのかい?書く自分史に」
「ないよ」
「そんなことねえだろう?」
楽太郎は少し興奮していた。彼が絡んでくると饒舌になることは長年付き合っていれば分かっている。
「自分史は自分史だよ。自分の体験したことを書くのさ」
「それをなぜ編集するのさ」
「文章を直すのではなく、全体を一冊にまとめる作業だよ」
「そしたら、返事のこない人は何なんだよ?何のために必要なの?そもそもその人物とお前とはどんな関係なの?」
「この会を発足させた人物だよ。みんなから先生と呼ばれている偉い人だよ」
ぶっきらぼうに私は答えた。実際一年前、油井氏はこの会を立ち上げた。退職しほぼ人生の大半を過ごした人々が集まってきそうなサークルといえた。結果、十三名が集まり私もそのなかの一人であった。油井氏の講義は一年間続いた。彼は一人一人の文章に眼を通し、例の「私の父は…」より「父は…」と表現すべきだというふうな細かな添削を数多く行ない、文章の書き方についての指導を重ねていったのである。ところが、会員の作品を一冊にまとめて本にすると提案した彼が一番若かった私に作品の原稿だけを残して「これを推敲して編集してください」と言ったままプッツリと姿を晦ましたのだ。
「先生がいなくてもお前がまとめればいいんじゃないの?」
「ところがそうはいかないんだよ」
「なぜ?」
「みんな先生があっての会だって思っているんだよ」
「何の先生だよ」
「だから文章の…」
「その先生がいなければまとまらないのかい?」
「一部ではそう言っている」
「じゃあ、みんなして探せばいいじゃないか?」
話はまた元に戻ったように感じた。そしてこれ以上進むことは出来ないと思った。何よりも私自身が中途挫折していたからである。
私が油井氏へ出した手紙は各会員の作品における推敲に関しての質問であり、編集していく上で必要なことだった。返事がこなければ先へは進めない。ひと月近くも待った末、私は次第に情熱が薄れていくのが分かった。油井氏の本心が読めたからである。音信不通になること自体、そもそも関心などなかったのではないか。しかし、十二名の他の会員は先生はいずれ現れるだろうと言った。訳あって休んでいるだけで一年間の成果について関心のないはずはないと反論した。特に一部の会員には彼の活躍はよく知られているらしかった。
「先生ってそんなに有名な人物なの?」
「ただ、熱心なだけだよ。詳しい経歴を言わないのでよく分からないが、書くことに関しては知識が豊富なことは確かなようだよ」
「本を出しているの?」
「まあな」
「どんな」
「詩集だよ」
文学には違いないが詩は絶対的に韻文である。詩人なら「父は…」と簡略したほうがいいのだろう。しかし、私は自分史は詩ではないと力説したかった。増してや質問にも書いたがエッセーも自分史なのだろうか。つまりそれだけまとめようとしていく原稿のなかにはエッセーが多かったことも確かなのだ。
「詩人か?」
「いや、絵も描く」
「絵?」
「絵のほうが先生としては正しいんじゃないのかな。昔、日展に入選したことがあるとチラッと聞いたことがあるような気もするけど」
「本職はどっちなんだよ?」
「分からないよ」
「謎なんだな」
「そう、謎の多い人だよ」
「それでも返事を待つのかい?」
「いや、もう待たないよ」
「作品の編集はどうするんだよ」
「やめたよ…」
私はこの一年間、やり遂げたかった自分という存在を書き記すためにに「自分史」を選んだ。たまたま文章表現に関することだったので首を突っ込んだに過ぎない。「自分史」を著すには他の会員と生きてきた年数が違い過ぎた。しかし、私の場合は少なくともそれまでに至る道程のなかでそれを著わせればいいと考えた。つまり視点が他の会員のように「いかに生きたか」というより、これから「いかに生きるか」という分岐点の真っ只中にいたといえる。
完璧なまでに自分といえる自分の半生が完成するものと思っていた。そんな質問も油井氏に投げかけていた。しかし、返事がこないということは究極的には判断するのは結局、自分自身だと思うようになっていた。第一、一年間講義を受けても私にとっては油井氏の正体が分からなかったし、本人の経歴が全く掴めなかった。詩人や画家などという話を聞くと愈々文章論や表現法については期待できないような気がしていたのだ。
「さあ、行こうぜ」
私は楽太郎を促して腰を上げるとその寿司屋を出た。
青い鳥の店のなかには客が数人しかいなかった。店の雰囲気もどこかの学食のような感じでかなり質素で飾り気も何もなくただ所々に演奏者らしき写真のポスターが乱雑に貼ってあるだけだった。
「見ろよ、彼女が居るかい?」
楽太郎は一枚のポスターに眼をやって私に尋ねた。
「居ないね」
私はその店の壁のすべてを点検してから答えた。
「長者町のライブハウスって本当に言ったの?」
「言ったよ」
「じゃあ、フランシスコのほかはここしかないよな」
二人は空っぽのステージを眺めた。演奏は何も行われていなかった。テーブルに置かれたプログラムには本日の演奏者の紹介が載っていて、それは彼女の名前ではなくそして演奏が始まるまであと三十分は待たなければならなかった。
追い求めている彼女の歌とは私にとってそれほど価値のあるものなのか。歌というより追い続ける行動といった方がよかったかもしれない。ひと月前に自分の脳裏に棲みついた執拗なこだわりがすべてを支配しているようでそれが何なのか具体的には説明が出来ないのである。僅かばかりの閃きなのか、攪乱された幻想なのか、それすら区別できない。しかし、それは自分に必要なものに見えた。そして自分だけでそれを守り、育てていきたい温かい光のように見えた。私にとっては秘宝だった。
だが深夜放送から始まる一連の謎は果たして私に何を啓示しているのか。どこを探しても彼女はいないのだ。
「彼女のことを聞いてみたら?」
「そうだな」
「あそこに若いグループがいるじゃん」
「そうだな。聞いてみよう」
私は席を立ち、彼女らに近寄っていった。常連なら何か情報が得られるかもしれない。私はその三人の女子高生らしいグループのテーブルの前まで行き、隣りのテーブルの椅子を引き寄せて座った。
「ちょっと聞きたいのだけど、君たちよくこの店に来るの?」
あっけにとられたような三人の顔が私を見つめた。無視して私は続けた。
「実は古館ナナっていう歌い手を探しているのだけど、知らない?このへんのライブハウスで歌っているって言うんだけど」
「彼女は今年の横浜エイベックスコンテストで優勝したシンガーソングライターなんだけど」
今度は彼女らの怪訝な眼が私を見つめた。
「長者町のライブハウスっていうと、こことフランシスコだよね」
「若い歌い手でさあ、大分出身で、故郷を捨てたっていう歌を歌っているんだけど、すごく寂しい感じの韻律なんだけど、どこか魂に訴える清純な輝きがあって、…知らない?」
知らないという声にならない反応が彼女らの表情に出ていた。古館ナナは初めて聞く名前であるということが明瞭に表われていた。
私ひとりが一方的に熱かった。三人は一様に首を傾げ、古館ナナという名前は愚か、そもそもエイベックスコンテストがどのようなステータスを持っているのかも正直、理解していなかった。
「聞いたことないです」
仲間の一人がやっと小さな声で代表するようにして答えた。
「ああそう」
期待はここでも裏切られ、性懲りもなく追い続ける自分の秘宝が周囲の冷笑とともに打ち砕かれた。温めてきた最後の灯りが消えた思いだった。
店のライトが落ち、やがてステージが始まろうとしていた。元の席に戻った私は楽太郎に告げた。
「聞いたことがないって」
「彼女、ライブやっていないんじゃないの?」
楽太郎はうんざりするようにして答えた。
店内にマイクのテストサウンドがこだまし、スポットライトがステージを照らしだすと一人の女性がギターを持って現われた。
「今晩は。○○です」
「本日はようこそ青い鳥にお越しいただきましてありがとうございます」
滑らかなトークが流れ始め、店内の空気がステージ一点に集中した息遣いを伝えていた。
この店に来る前までは持ち続けていた灯りをすっかり失ってしまった私は虚ろな視線をステージに向けたままその彼女の語り口を古館ナナの姿に重ねて性懲りもなく無感動な幻想に浸るのであった。
手元に残った作品集の原稿は単なる資料に過ぎず私にとってはその膨大な彼らの記録はもはや何の感動ももたらさない腐敗物に似ていた。なぜこれらを貴重な財産の一部だと油井氏は語り、評価し、絶賛したのか。私の当時の意気込みもすっかり萎えた状況にあってはその分析を前向きに肯定していくことすらできなくなってしまった。
作品集の編集は暗礁に乗り上げ原稿はそのままになっていた。職のない青二才の私の二倍ほど生きた他の会員たちの原稿を推敲することはとても無理のような気がした。会員自体が体験した出来事をふるいにかけるようなことなのだ。私には油井氏の言う推敲という行為に激しい抵抗を覚えるのであった。推敲は書いた本人がすべきであって他人が行なうものではない。一年間の講義のときも常に油井氏は会員の作品を推敲した。そのため私はその度、油井氏という人物の経歴を知りたいと思うようになっていたのである。
今手元にある作品集の原稿はいわば一年間、その推敲された原稿である。油井氏が推敲した原稿を私がもう一度推敲するのである。推敲された各々の自分史が果たして貴重な財産といえるのか。個々が捉えた表現こそ貴重であり残されて価値のある記録となるのではないか。
凡そそのような事を書いた手紙は油井氏に届いたはずである。そして返事のこないまま季節は晩秋を迎えようとしていた。
「はーい、今晩は。今夜もお送りしますポップな話題とリクエスト特集…」
喧騒な一日が過ぎ、静寂に包まれた部屋のなかでラジオは流れる。私はいつものようにジョニ黒のオンザロックを手にしてロッキングチェアに身を沈めた。青い鳥を訪れてから数日が経ち何もかもが冷たく錆びれていく影が氷の結晶のなかに反映していた。そのまま無気力な放心状態を続けていた。ラジオの声は単調でまるで私の傷心を見抜くかのようにその語り口調は妙にやさしく聞こえた。
「驚きましたねえ。この秋最も注目される期待の新人、彼女の名は古館ナナ…」
放心状態が一瞬止まり、私は耳を疑った。
「たちまちオリコンチャート二週連続第一位。今最も巷で若い層の心を揺さぶるシンガーソングライターの出現といっても過言ではありません…」
ラジオの声は淡々と続く。
「では、彗星のように現れた彼女の歌をお聞きください。曲は『故郷はもうない』…」
まるで天から激しい稲妻が私の頭上に降臨するかのような衝撃である。イントロがあり、彼女のギターが遠くから始まり、彼女の魂が宇宙の彼方から聞こえてくる寸前になったとき私の胸の高鳴りはその頂点を極めていた。
古館ナナは存在していた。興奮に満ちた心のなかに目標を果たした彼女の姿が輝いている。とうとうプロデビューを飾ったのだ。やった!と思わず私は叫んでいた。自分が温め続けていた直感が成就した瞬間でもあった。私の感性の確かさが今、この流れゆく彼女の唄声のなかに弾んでいた。それは見事な広がりを見せ憂いと深さを含んだ美しい歌だった。彼女が語っていた魂がそのまま浮かび上がってくるような歌詞だった。間違いなくあのときの彼女がそこに居た。
「珍竹亭」で初めて見たときの彼女を思い起こしながら不思議な運命を感じざるを得なかった。これまでの出来事がまるで虚偽に抓(つ)まされるような思いだった。放送局の対応やレコード会社の情報、更には駆け擦り廻ったライブハウスの探聞とはいったい何だったのか。今ラジオから流れる彼女の声は紛れもなく私が追い求めてきた古館ナナではないか。
偶然とはいえまたも深夜放送での彼女との邂逅にまるで確率何万分の一かに等しいような稀有な世界を味わうのである。とにかく自分の最初の印象が裏切られなかったことが無性に嬉しかった。放送が終わってからももはや問い合わせることはしない。ほっておいても明日からは巷に彼女の人気は満ち溢れるだろう。同時に押しも押されぬ人気歌手になり彼女は雲の上と人となるだろう。
でも私は満足だった。「私にだけしか表現できない歌を唄う」と言った彼女はそれを貫き通したのだ。錆びれた心にやがて緩やかに忍び寄る決断が訪れようとしていた。
私はその夜、興奮したまま眠れなかった。
相変わらず、午後にはお決まりの日課は続いた。その時間は太閤の湯に集まる人間も同じ顔なのでお互い短く目で挨拶するか、時候の慣用句を交わすのが習わしとなる。
暮れも押し迫ったその年、いつものように私は太閤の湯に出かけ、日常の手順を無意識に遂行するかのように玄関の下足箱の番号札三十三番に入れ、ガラス戸を開けて中に入った。
番台の女将が「いらっしゃい」と声をかけ、磨きたての脱衣所の床と沸かしたての一番風呂の香りを感じつつ、二、三人のいつもの老人の姿を目に留め、脱衣箱番号三十三番の扉を開く何気ない同じ行動である。しかし、よく見ると今日は脱衣箱三十三番の扉に鍵がかかっていた。これは何かの間違いではないかとふと思った。下足番号と同じ三十三番は私の長年独占して使用してきた脱衣箱だ。なぜ今日に限って既に使用されてしまっているのか。
すでに誰かに使用されている。こんなことは珍しいことだと思った。特別に時間が遅かったわけでもない。この時間に来る人間は大抵決まっていて、今脱衣所で着替えている老人だっていつもの人たちである。彼らにしてもほぼ毎日使用する自分の脱衣箱は決まっているかに見えた。三十三番を使用している人物は今、浴槽内にいるのであろう。私はふとそんなことを考えながら突然破られた日常の些細な現象に半ば刺激的に囚われながらほかの空いている箱を探した。
常連の客はほぼ一定しており、この時間以外に私は出かけたことがないので顔を見ればすぐ分かる。浴槽場に足を踏み入れるまでのあいだ淡い好奇心が私の胸のなかで幽かに漂っていたことは確かであった。三十三番を無意識に使用した人物とはどんな人物なのか。
湯船には三人の先客が湯に浸かっていた。洗い場には誰も居ず、湯気だけが微風の漂うがごとく全体に浮遊し、天井に浸かっている客たちの心地よさそうな呆け切ったような嘆息音が小刻みに跳ね返っていた。
よく見ると湯船のなかにやはり初めて見る顔がある。白髪の老人である。首から上しか見えないが如何にも頑丈そうな体格であった。やがて、洗い場で距離を狭めて時折観察すると最初は気づかなかったある異変に私の眼は驚愕せざるを得なかった。彼の右の脇腹に鋭く抉られたような傷跡がくっきりと表れていたのである。傷口の長さは優に三十センチはあった。何かの手術の跡なのか。彼は黙々と身体を洗い流していた。穏やかな表情を浮かべ、傷口の憂いを悔やむのでもなく、過去一切の苦痛を背負うのでもなく、ただ従順に生きるかのようにその垢を洗い落としていた。彼の生きてきた過去がその所作に滲み出ているような印象さえあった。そしてその傷口が彼の人生のすべてを物語っているような気がした。
三十三番を使用していたのはその老人だと思った。湯から上がっても私はその老人のことが気になった。彼の傷口のことを思い浮かべていた。威圧感があり、また別の複雑な事情があり、他に類のない特別な傷口だと思った。言葉では簡単に表現できてもその受け取り方はきっと様々だろうと思った。
着替えを終えて脱衣場の奥に庭に面した小さな休憩部屋へと入って行った。時々私はそこで庭を眺めることがあった。そこは五坪足らずの庭に形ばかりの枯山水が施され、湯上がりの憩いの場所として常連のあいだで人気があった。ガラス張りの向こうに暮れゆく年の瀬が静かに腰を据え、そこだけは都会の雑踏から遮断された空間といえた。
庭を蔽う鉛色の空から今にも冷たい雪が降って来そうな静けさが漂っていた。二つある椅子には先客が陣取っていたがやがて二人とも立ち上がったので空いた席に私は座った。テーブルがひとつあって真ん中に灰皿が置かれている。私は煙草を取り出して一服した。
作品集のことは推敲しないことに決めていた。しかしその決断は徐々に固まってきてはいたがまだ決着は着いてはいなかった。しばらくぼんやりとしているうちに湯舟で見た老人の傷口が盛んに私の脳裏をよぎり、紫煙の輪のなかで浮かんでは消えた。果たして真実を語るうえで推敲という行為がどんな意味を持つというのか。自分史という真実を語る作品に何故推敲が必要なのか。更に第三者がどのような考えでもってそれを行なおうとしているのか。すでに記述された表現を他人が練り直したところで本人が語らない限りその真実は永遠に想像でしかない、ということに似てはいまいか。老人の脇腹に見たその傷口が次第に私に何かを語りかけてくるような気がした。
いつの間にか外に白いものが舞い始めていた。
「降ってきましたか」
突然背後から人の声が聞こえた。あの老人であった。
「そのようですね」
まさか彼が声をかけてくるとは思わなかったので私は少し緊張して答えた。そして心のなかで何故か慌てた。彼は空いていた椅子に腰を下ろすと同じように並んで大きくため息を吐きながら窓の外を眺めた。白髪が湯上がりの艶を帯びて光っていた。細っそりとした身体は湯船で見たときより頑丈で意外と凛々しく、八十を優に超えていると見えたが、もしそうだとすれば年の割には若く見えた。彼も煙草を取り出して吸い始め感慨深かげに降る雪に見入った。
「もう今年も終わりですなあ」
老人はつぶやいたあと、横に居る私に話しかけてきた。
「一年って早いものですなあ」
ニヤリと微笑した彼の眼は妙に親近感を引き寄せる魔力を宿していた。
「また一つ歳をとる。来年は八十一だよ。ハハハ」
「馬鹿ばかりやってきた…」
唸りとも苦笑いとも知れぬ籠った声が聞こえたかに思えた。
「しかし、男って懲りない動物だよねえ」
私は最初彼が意味することが掴めずただ相槌ばかりを打つしかなかったが、凡そ八十には見えない若々しさとあの不気味な傷口のせいで次第に彼の話す人生に興味を持ち始めた。
「今となっては恥じるには及ばないが懲りるだけは懲りよう…と思うのだけど」
「男ってえのはやっぱり始末の悪い動物ってことだね。へへへ」
私が本能的に合点するまでもなく老人は察したかのように微笑した顔を向け、「これだよ、これ」と小指を立てて「へへへ」と声を出して笑った。不思議とそれは卑猥な様相すら与えずむしろ穏やかで理知的な爽やかさが感じられた。彼の吐き出す煙草の煙が彼の辿ってきた人生をなぞるかのように浮いていた。まるで一直線に外の雪に吸い込まれていくようだった。
「それと男はいつまでたっても名声にこだわる…動物だよ」
休憩部屋の扉を隔てて脱衣場で話す人の声だけが聞こえた。
「男の人生とは名声を追うようなものだね」
老人だけが喋っていた。私はただ軽く相槌を打つのみで降り続く雪を見つめたままだった。しかし私の眼には白い雪のなかに洗い場で見た彼の傷跡が現われては消えた。
「しかし、やっぱり何事でもそうだが、馬鹿な真似だけは懲りるだけは懲りろってことだね。ハハハ」
老人は再び眼を据えて清涼に微笑み、満身の笑顔とともに煙草をふかし終えるのだった。
「ところでお仕事は年内いっぱいですか?」
彼が聞いてきた。
「いえ」
私は躊躇してしまった。
「無職です。ぶらぶらしています」
と返答するしかなかった。
「そうですか」
老人は遠くを眺めるようにして淡々と頷くだけだった。
「でも、世の中無事で過ごすことが一番だね」
老人はそれ以上何も聞かずただ黙った。その横顔はまるで悟りを開くかのような表情を浮かべていた。それからしばらくして、「ま、今年も無事で終わりそうだ…ハハハ」と言ってまた爽快に笑うのだった。
脇腹の傷跡のことはとうとう聞くことが出来なかった。
二日後、楽太郎と二人だけの忘年会をやった。伊勢佐木町の本通りからかなり南にある吉野町の居酒屋で、以前二人で飲んだことのある侘しい店である。暮れの喧騒から逃れるのにふさわしく瞑想の漂うような店構えだった。
「とうとうデビューしたねえ」
「勘があったね、最初から」
古館ナナの話から始まった。
「でも、長者町のライブハウスで本当に唄っていたのかねえ」
「エイベックスもいい加減なもんだよ」
フランシスコではバーテンダーに怪訝な顔をされながらも酔いつぶれるまで呑み、青い鳥では女子高生グループから知らないと言われてキツネに抓まされる思いだった。
「確かにいい歌だよ」
楽太郎が彼女の歌を褒めていた。具体的には触れない。私と楽太郎がお互いに抱く感慨のなかに彼女の歌が融和しているのだった。故郷を捨てた彼女の姿が少しも暗い翳りをみせずのびのびとした魂が煌めいている。最初に出会ったときの彼女の印象が私の期待を裏切らなかったことが、そして楽太郎にも、更に世のなかの多くの人々にも受け入れられたことが何よりも嬉しかった。
「彼女と連絡は取れないの?」
楽太郎は明白になった彼女の存在について囃し立てた。調べれば今度こそ簡単にしかも確実な情報が得られることを示唆していた。
「エイベックスにか?」
私は苦笑いをした。
眩いほどのスポットライトを浴び、ステージに立つ彼女の姿を思い浮かべた。人との出会いはほんの一瞬であり、それが運命なら私にとって古館ナナはどんな存在なのか。私のこれから先の人生に彼女は重要な意味をもたらすのか。単なる出会いに過ぎないのなら、ゆく河の水は絶えずして…と同じで特別な意味を持たない。しかし、この不思議な出会いは私の行く手において大きな意味がありそうな気がした。文字では表わせない表象の世界だった。
「でもさあ、彼女のほうも一度会いたいと思ってるんじゃないの?」
楽太郎はにんまりとした表情を浮かべていた。
「デビューを飾ってさ、コンテスト応募までの頃を思うとやっぱり懐かしいと思うだろうよ」
「そうかな」
「そうだよ」
吉野町の居酒屋に年の瀬の静謐さが広がっていた。一度だけ彼女と飲んだわらじ屋の光景が思い出された。「私だけにしか表現することのできない歌を唄いたい」「こころの表現を歌にしたい」と彼女は言っていた。実現したではないか。私は私の心に沁み渡る私だけの美酒に今夜は酔い痴れているだけでじゅうぶんであった。
「故郷はもうない…か」
彼女を祝しながら何度もつぶやいた。
「いい歌だよ…」
楽太郎も同じ言葉をつぶやきながら酒を汲んだ。
「今年も終わったな…」
「早いね。一年って」
それから私と楽太郎はしばらく黙り込んで酒を呑んだ。この一年が私にとっていかに葛藤した連続だったか。呑めば呑むほどその表象の世界は渦を巻き、そして古館ナナの赤い袢纏と牧師の信念と太閤の湯で出会った傷跡の老人とが私の定職のない生活を送るなかにおいてひとつの意志へと導いてくれるような気がした。ちょうどこの一年の結末としてはそれはほぼ自分の新たに踏み出す方向としては似合いそうな道だと確信していた。
「やめたよ、作品集の編集。ちょうどいい見納めさ」
私はポツリと告白した。
「大学院へ入りなおして再度勉強をしたい」
楽太郎は呆気にとられた顔をしてしばらく考えていたが、納得のいかないふうで、「今更、何を勉強するんだよ」と質問した。
「ショーペン・ハウエルをやる」
「何だいそれ?」
「哲学だよ」
楽太郎は私の変貌ぶりにしばらく絶句したがやがて「まあ、しっかりやれよ」とぶっきらぼうに言い放ち、新たな門出を祝すように盃を挙げた。しかし、腹の底では嘲笑していたに違いなかった。
それから延々と瞑想の漂う居酒屋での二人だけの忘年会は続き、結局夜更け近くまで飲み続けた。
切り上げる頃になったとき急に太閤の湯で出会った傷跡の老人の話について楽太郎がふと私に尋ねた。
「しかしさあ、本当にその人物が三十三番の脱衣箱を使ったのかい?」
「そうだよ」
酔いが廻っていた私はムキになって答えていた。彼でなくて誰が使うもんかと何度も心のなかで叫んでいた。
確証などあるはずはなかった。
爽やかな風が入ってくる。
私は関西の或る大学の研究室にいた。
あれから十数年が経っていた。窓の外は一面に新緑に覆われた季節を迎えていた。のんびりとした昼下がりである。私は懐かしく過ごした横浜の地をそして大学を卒業してから定職にも就かず謎のような日々を送った一年間を懐かしく思い出すのである。
この関西に仕事を得るようになってからすっかり忘れていたものが再び隆起し、時々こころのどこかでその秘宝のような憧憬の正体を探り出したくなるような気持ちに襲われた。大学院に入りなおして二年間修士課程を積み、ようやく職らしきものにありつくことが出来てはいたが毎日が無味乾燥であった。私が例の作品集に取り組んでいた不毛な活動はそれ自体実らなかったかもしれないが今から思えばその当時の一年間こそが貴重なことのように思える。
関西に移ってから楽太郎とは殆んど会えなくなった。多分、今はすっかり変貌してしまった横浜の伊勢佐木町のどこかで相変わらず呑んでいることだろう。二三か月前彼の勤めていた百科事典の会社もつぶれたと聞いた。運河近くにあった寄席の竹林亭も枯山水の庭園のあった太閤の湯も恐らくもう存在していないだろう。すべては不毛な一年間の出来事とともに消滅してしまったのだ。
新緑に射す日溜まりを眺めていると強烈にもう一度あの頃に帰りたいと思った。銭湯に響く音、寄席の笑い声が遠くから聞こえてきそうだ。あの臨場感をもう一度味わいたい。午後の講義のレジメに眼を通しながらいつもの懐古趣味が頭をもたげていた。
嘗て自分史の編集に取り組んでいたとき、言葉で過去の気持ちが表現できるかということについて「言語論」としての表現の特殊性について悩んだことがあった。そして大学院に入り直し今度は哲学を学んだ結果、心のなかで生じた例えば幻想、臨場感、憧憬などは表現には値しない不可能な怪物であることがどうやらわかってきた。私は今、その研究について毎回講義を受け持っているのだった。そして講義する内容はドイツの哲学者、ショーペン・ハウエルの「意志と表象としての世界」が原典だった。
「先生、そろそろお時間です」
部屋をノックする音が響き、大学の女子事務員が呼びに来た。本日のレジメを私は新しいものに変えていたので若干の不安はあったが意を決して教室へ向かうべく腰を上げた。一年間の彷徨を意味ある体験としてその成果に結びつけなければならない。机上の理論のなかで最も説得力を伴うものは過去の哲学者曰く…ではなく自分自身の体験を混ぜることだ、と確信していた。私は本日のレジメのなかで太閤の湯で出会った老人の話について語るつもりであった。彼の脇腹の傷が表現され得ない多くの人生を語っていることを述べたかった。ショーペン・ハウエル
にある「紙上に書かれた思想は砂上に残った歩行者の足跡に過ぎない…」云々を噛み砕いて説明するにはどうしても私のその体験が必要であるように思えたからである。
教室には多くの若者が待ち構えていた。彼らは自由奔放に自分自身の世界を持ち、お互いに混じり合いながら未知に溢れる前途に希望に満ちた理性を研ぎ澄ませて座っていた。
「今日は言語学における表現とはいかなるものかということについてお話をしたいと思います」
私は順調に滑り出した。好きな落語の噺も時折なかに織り交ぜながら一点の曇りもなかった。配布したレジメも完璧に私の本日の講義内容を補完しているという自負があった。ところが最初は気付かなかったのだが、百数名の学生のなかで一番前に座っていた一人の女子学生の姿がどことなく妙に引っ掛かった。眼の前で垣間見えているその赤い色は確実に私の忘れているようで実は未だに初々しく息づいている皮質のような気がしたのである。それは彼女の着ていた赤い袢纏にあった。多種多様な現代感覚の今日びの若者にとってそれは特に珍しくはなかったが、私にとっては衝撃的な古い皮質を目覚めさせる色彩でありコスチュームだったのである。
講義を進めていくうち私は忽ち数年前の竹林亭で最初に見た古館ナナの赤い袢纏を思い浮かべていた。途端に暗記したはずの講義ノートの脈絡が次々と剝がれ散っていくような動揺が走り過ぎた。教室という場所全体があの運河近くの竹林亭の畳敷きを思い起こさせた。噺家が私でそれを眼の前に居る赤い袢纏の女子学生がじっと聴いている光景なのだ。
不思議な妄想に駆られつつ私は時折、彼女の様子を垣間見た。彼女はただ熱心に講義に耳を傾けている。私の脳裏に残っている赤い袢纏が当時の葛藤を浮き彫りにしていた。そしてそれはやがて古館ナナに対する強烈な印象だったことが甦り自分だけが秘めてきた大切な金字塔だったことを同時に思い出していた。
自分を取り巻く世界に突然大きな壁が立ち塞がっていた。ショーペン・ハウエルも答えられない次元の違う難問題であるかのように思われた。講義を続けながら私は数年前の古館ナナに関する出来事に囚われていたのである。郷愁を何と表現すればいいのか。恐らくこの動揺を彼らに伝えても到底理解を得ることは不可能であった。しかし一方であのとき自分の眼が捉えた赤い袢纏は幻覚と言われようが私にとってはすべての始まりであったのだ。
やがて講義は終了し、私は教材を畳み何気なく教室の周りを改めて見渡した。部分的にショーペン・ハウエルのまるでその墓場から届くような苦言が緩やかに舞っていた。「地上に書かれた思想は砂上に残った歩行者の足跡に過ぎない。歩行者の辿った道は見える。だが歩行者がその途上で何を見たかを知るには自分の眼を開かなけばならない」という予め用意した私の講義ノートは大幅に脱線していたことは明らかであった。
私はカラカラに乾いた喉を潤そうと前に置かれたコップに手をやろうとしてふと前を見た。そしてこのとき教室のなかにまだ一人だけ学生が残っていることに初めて気付いたのであった。最前列に座っていたあの赤い袢纏を着た女子学生だった。私は意表を衝かれたかのように彼女を注視した。
「何か質問がありますか?」
私は声をかけた。
「いえ」
何か含み笑いを浮かべながら彼女は立ち上がり、そして軽く一礼をして席を立とうとした。季節柄としてはとっくに外れている赤い袢纏が不調和で最初から私の眼にはそれが古館ナナの化身としか思えなかった。
帰りかけて彼女は急に私に向かって尋ねた。
「一つだけ聞いていいですか?」
「はあ?」
「先生の趣味って何ですか?」
その眼が輝いて見えた。
私のほうでも彼女に対して真っ先に確かめてみたい言葉を用意していた。それは「君は落語が好きですか?」という質問をかけてみたかったのだった。
君は落語が好きですか