愛し、愛され
静かにそっと、朽ちてゆくものたちへの、はなむけを。
だれにもあいされないと、しんじている。あいされるために、だれかをあいすることが、できないから。
憐れむように、森の神さまである、アルビノのくまが、ぼくをあいしてくれているけれど、それは、ほんもののあいであるのか。彼は、うそいつわりなく、きみを、あいしてくれているのだと、椋鳥はいうけれど。
なまえのない怪物が、うまれた夜に、オムライスをたべている。
椋鳥のつくるそれは、たまごが半熟である。ケチャップライスを、まいていない。ケチャップライスは、チキンライスであり、たまごにかけるのも、ケチャップなので、ぼくが好きなオムライスである。椋鳥は、ひとりで暮らしているぼくの家に、一週間に何度かやってくる。生存確認といって、ごはんを一緒にたべる。
アルビノのくまは、あきれている。
あいし、あいされる対象が、こんなにも近くにいるではないか、と。
私はひつようないだろうと、苦笑いを浮かべるので、ぼくは、同情でもいいから、あなたにはあいされたいと、乞う。
椋鳥のことは、好きだ。好きなのだけれど、あいせるかと問われると、すなおにうなずけない。
たとえば、ぼくが、椋鳥をあいしたとして、椋鳥はぼくのことを、あいしてくれるだろうか。
しぬまで、えいえんに、だ。
ぼくは、自信がなかった。椋鳥が、ぼくのことを、一生、あいしてくれるとしても、ぼくが椋鳥のことを、ずっとあいしつづけられるかどうか。わからない。確証がなかった。根拠も。
オムライスをたべながら、椋鳥が、テレビに出ている芸能人をみて、このひとすごいやせたね、と言う。
ぼくは、そうなんだ、と答える。芸能人には、くわしくない。
オムライスをたべたあとには、アイスクリームがまっている。椋鳥がかならず、ぼくのところをおとずれるときにもってくるのがスイーツで、アイスクリームのときはきまって、オムライスなのだ。
あいさないと、あいされないのって、ときどき、くるしいと思った。
愛し、愛され