春を待つ
桜のきせつがおわり、けれど、きみはいつまでも、桜の木をみあげている。はだか、といえる、いまの姿を、慈しんでいるのか。細い枝が、すこしだけ、骨のようにみえる。テレビのなかで、うたをうたうひとたちが、うたをうたう以外のことをして、わらっている。スマートフォンの電波が、ちょっとわるいだけで、世間は、おおさわぎする。そういう時代なのだと、きみはいって、春をまちわびている。ぼくがいいと思うものを、まわりのだいたいのひとはみんな、よくわからないという。情緒が、うまれるよりもさきにおとずれる、あれは、とまどい。
土にまみれ、黒くよごれる、きみの手指。
星がとりこぼした、もの。
ときに感情。
ときに生命。
ときに、なまえすらつけてもらえなかった、なにか。
たいくつだから、バウムクーヘンをたべているあいだに、きみがぼくの好意に一ミリでも、ふりむけばいいのにとか、雑なことを想ってる。ちょっと前の流行りの曲を、なつかしいと感じながら然して重みもない甘やかな年輪を、はがすようにたべていく。
ベランダで、たばこを吸いながら、きみが、ながめる景色には、いまはまだ、秋と冬をこえるために眠っている、彼がいて。
春を待つ