画狂北斎の黙示録

修禅寺アキラ

その一.お蝶の幻想と朋友馬琴のこと


 文化四年秋。
生首を描こうと思った。
 今朝厠(かわや)で突然蟋蟀(こおろぎ)が戸板の節目に止まり、そのままその眼光がいきなり宙を撥(は)ねたかに見えた。その瞬間、それは息を殺した間がしばらくあり、やがて鮮やかに躍動して来る怪しき魂に襲われたのである。しかもそれは無意識のうちに背負い込んでいた重荷であり前々から懸念のあった画題であったのだ。遂にその答えを得た。           
蟋蟀(こおろぎ)はしばらく動かず、そして音色さえ隠していた。止まったままを依然眺めていると銀色の羽(はね)の奥からあたかも嘲笑の響きが聞こえてくる。中橋広小路町の版元、和泉屋半蔵の顔が次第に浮かんできた。
「師匠の描く鳥獣略画や職人略画は卓越でその右に出る描き手はいませんが、ここはひとつ物怪(もののけ)の流行にて、あっと驚くような妖魔の如き刺激画を描いてもらわないと」 
摺り物の世界にこのところ怪しき画材が蔓延(はびこ)る兆しがあった。世の不安を表わしているのだろうか。怪しきとは悪戯に幽幻の描画であろう。人々はみな自らの怪なる魂を覗き見ようとして世にも有るまじき恐怖の画に興味を持つのだろう。しかし、余の思いつく刺激画とは単なる嗜好を漁るが如き上っ面の怪奇ではない。
摺り物の世界では今や豊国の天下になっていて美人画を幽霊に化した画は確かに凄味を帯びていて幽幻さは絶品である。故に日本橋界隈の書問屋はみな先を争い豊国に描かそうとしている。和泉屋半蔵もそのなかのひとりであった。
自分が花草木、鳥獣の略画に傾注するのは画法の真髄はみな魂の形象を探る所以であってその作業こそ真の画道と確信している。それなのに人々は今や怪奇なる画のみに興味を示しているのは恐らく畏るべき神秘の世界に遭遇したいためであろう。
 今閃いた画題はその人々の欲する畏るべき心霊に間違いなく怪奇なるものと合致して興味を極めることであろう。畏れたる根源は人々みな心に持っているが果してその生首の表情を如何に描いたらいいものか。                
足元の蟋蟀(こおろぎ)に注ぐ自分の息遣いが俄かに昂揚し始めその描画の構想に対する炎がまるで魔性の輪のように繋がっていった。

小伝馬町・待合茶屋のお蝶の部屋に行く。秋の夜長である。開けた二階の障子戸から闇夜の風が入ってくる。虫の音も少し混じる。それを耳にしながら依然と考えつづける。美人画の幽霊を如何に打ち崩さんものかと思い巡らすことしきり。肝心なのは描く画材なのである。果して生首が物怪(もののけ)になるのだろうか。姿を化かす幽霊はその恐怖の心を届けるが残忍な生首の場合はどうか。亡霊なるものが果して画のなかに表現できるのだろうか。
「豊国の物怪(もののけ)ねぇ。そりゃあぞっとするわよ。深川の待合に来る旦那衆にもたいそう評判だって聞くわ。あたしも一度猫の子一匹通らぬ丑三ツ時にこの隅田川の先にある宵町茶屋の柳の下で吾妻下駄の着流しでもって手招きしながらたたずんでみようかしらねぇ」
「馬鹿。吾妻下駄ってなんで履くんだ。足のある幽霊なんて見たこともねえや」
 笑うと膝枕するお蝶の柔肌が小刻みに揺れて妖しき熟女の馨りが襦袢の裾から仄かに匂ってくる。稀有な刺激画或いは真髄に届く残酷画なるものを如何にして表現したものか。得体の知れぬ妖怪を描くことは今まで経験がなく極めて難解な事態だ。とはいえ所詮、絵師の宿命とは時として眼で実際に視たものを描かず湧き上がってくる絵心をもって描くことだってある。それは手練(しゅれん)手管(てくだ)の画技(えわざ)を生業(なりわい)としている絵師の為せる技なのだ。
「生首はどうだ、お蝶。しだれ柳の陰に立つ幽霊と互角の勝負ができゃあしねえか」
 色香が混じる膝枕のうえでいきなり覚醒したようにつぶやいてみた。生首という未経験の画材に惑わされてきたがようやくその苦心も解けていきそうであった。人々の興味を惹き付けるための画業(えわざ)の素性がまどろみのなかで僅かに湧き起こってくるのである。姿図の幽霊に足らないものを補えばいいのだ。物言わぬ生首がそれを凌ぐ何かを語る。対抗すべきはこの一点だけに絞られる。
「やだよわたしは、生首も幽霊も。大体今流行の物怪(もののけ)のいかがわしさったらありゃしないよ。それに軽薄だしさ。みんな興味本位よ。そんなことも知らないでその流行に踊らされて画材に血眼になるとは情けないね。ま、人々はみな、怪奇なものに飢えてるのよね。その気晴らしを物怪(もののけ)にて紛らわそうとしてるのよ。それを何よ、師匠は幽霊を負かす負かさぬなどと…」
 言われてみればお蝶の言うこともわかる。
「わたしはね、師匠のそういう勝ち負けにこだわるところが嫌いよ。他人(ひと)は他人(ひと)、描きたいものを描けばいいじゃない。何も描きたいものを競う必要はないわ。豊国は豊国にしか描けない画を描くんじゃない。師匠は師匠の画を描けばいいじゃない。何も負かす負かさぬの話しではなくてよ。わたしはね、思うのに師匠の往年の浮世絵はいったい何処に行ってしまったのかしらと思うの。巷に踊らされて版元に煽られてあげくに画材の迷っている今の姿を見ると昔初めて会ったときの師匠はいったい何処へと…画材ひとつにしろ今のように疑心暗鬼の態はひとつもなかったのにさ」
お蝶の神妙な声が膝枕のうえで心地よく流れつづけた。
お蝶と出会ったのは嘗て勝川門下に居た頃で浮世絵が栄華を極めていた時期だった。余が昇り龍の如く役者の似画請け絵師として人気を博していた頃で当時は界隈を闊歩していたものだ。しかし、往年の云々とお蝶は言うがその頃は他に何でも描いた。衆人の好みも多様であったから人々の興味を注ぐものならいかがわしい卑俗な絵も描いたのである。
「やいお蝶、浮世絵、浮世絵といかにも高尚な言い回しをするがお前も聞いたことがあるだろう、猥褻画のことを。あれもすべて浮世絵なんだぞ」
「おやおやなんていういいぐさなのかしら。師匠自身が描いた絵、もはや勝川春朗の名をお忘れなの。わたしはね、何も猥褻画の類を言っているのではありませんよ、卑しくも一世を風靡した役者絵師としての力量、元はと言えば春水の流れを汲む誉れある役者絵じゃないか。そのことを表裏に諭してあげているというのに。もう嫌いっ」
「……」               
「それを何だい。今の師匠は物怪(もののけ)の衆人目当ての版元の手篭めにされているかのような体たらく。そんな姿が情けなくてわたしは言っているのよ」
 余が兄弟子との些細な喧嘩が因で勝川一門追放の憂き目に会い、唐辛子売りなどして極貧を舐めた日々もあったが破門後も狩野派の画法や俵屋宗理の画風に惹かれ己の筆を磨きつづけられたのはその陰にお蝶の存在があったことは否めない。今宵よもや、役者絵師で誉れ高き春朗の名を呼び覚ませてくれ叱咤激励してくれるのはやはりお蝶をおいて他にない。花の盛りは過ぎたといえまだまだ色香の残っている姐御肌、絵師なりたての頃以来贔屓(ひいき)にしてきた甲斐があるというものだ。
しかし、今や余の画号は北斎。狩野派、宗理、光琳を真似てはいるが模倣にあらず独自の画風を築き上げているつもりだ。だから嘗ての世界で競った歌川派豊国を相手に勝川派一門の名において美人画幽霊より凄まじき心霊図を描こうと言っているのである。この決意が何の体たらくであろう。
心地よい膝枕に微妙に奇しき音が響く。今朝の厠(かわや)の蟋蟀(こおろぎ)の鳴き声が聞こえてくるようだった。
「お蝶、頼みがある。さっきから言っていることは真だ。人の生首を描きたい。何処かにその伝手(つて)がないだろうか」 
「……」
「怨念の沁みついた斬られた生首だ。この世を儚(はかな)み惨(むご)たらしいものが滲み出ている転がった生首だ。性別は後回しでいい」
「自分で探したら?…」
 お蝶の声は途切れ再び沈黙が覆った。間に灯る行燈(あんどん)に静けさが張り詰め更にその度を増していった。  
 
数日後、他の版元の仕事で馬琴宅へ赴く。
神田明神に住居を構える戯作者馬琴の処も随分と派手になったものだ。玄関先に生垣があり敷き詰めた石の渡りを踏み入ると庇の陰から紅葉の枝が押し寄せてくるように突き出ている様は風情よりもこれ見よがしにという感じだ。晩秋にはほど遠くまだ葉の色づきはこれから先のことだがそれらはすべてまるで金子の如く輝いているのである。前版の「水滸伝」では版元の角丸屋にも多大な儲けが入ったことだろう。その証拠に今回の気遣いは並々ならないものを感じた。きっと調整の段取りもあらかじめ行なっているに違いない。
 調整とは読本・「南柯夢」の六丁裏の挿絵の件に関する打ち合わせである。「南柯夢」は三分冊の構想で三つの挿話にて構成されている。六丁裏はその第一挿話の完結部分であった。余が既に描き上げていた下絵を過日角丸屋に渡したのだがそれを馬琴に見せたところ馬琴の意図するところと違ったようである。版元・角丸屋長次郎としてはその場で説明がつかず恐らくは本日の招きを講じたものと考えられる。     
馬琴とは初対面ではない。数年来の付き合いでこれまで数多くの作品を生み出してきた。従って彼の性格は知り尽くしている。「水滸伝」のときにも余の挿絵のことで諍いがあった。彼は余の絵を評して慿空(ひょうくう)結構(けっこう)の戯墨(げぼく)だと言い放った。見たこともないものをまるで見たように描くの例えだが、彼の謹厳にて実直な性癖にはほとほと閉口させられる。そもそも未だ嘗て見たこともない支那の風物を何を以ってその真偽を確かめることができようか。あのときの気難しい彼の表情が今回も表われるのだろうか。
通さた八畳敷の居間でやがて三者の会談が始まった。先ず角丸屋長次郎が包みを取り出し、「南柯夢」六丁裏下絵の版下を二人の眼の前に置いた。既に馬琴の意向を聴聞している気配が長次郎のその所作に現われていた。置くと黙ってただ後ろに下ってしまうのである。
久方の交合だったから始めに馬琴は趣意の片鱗を面に出さず二言三言、時候の挨拶などを交わした。
「その後、如何ですか。お住まいは今度は本所荒井町とお聞きしたが、住み易いですか?」
 確かに前回の時と住居は変えていた。しかしその問いには何か微妙な皮肉が隠されているようにも聞こえた。それは余の転居癖を指していた。
「住むところ何処も同じだ。気が変われば又、何処かへ移ろうかと思っている」
 余が性癖の質感を少しも隠さず生粋快活に答えると馬琴は苦笑した。
「最近はどうですか?忙しいですかな?」
「いやそれほどでも」
 生首の画の構想の件があったがまだ形が煮詰っていなかったので秘すことにした。しばらく他愛のない雑談のあと早速今回の用件を聞くため本題に入った。
「ところで、今度の六丁裏の下絵の件で何か趣きの異なる所存であるとのことだが」
 問うと馬琴の表情が次第に強張っていくのがみえた。それは繊細に面に出ていたが彼はしばらく口を閉じてしまった。今をときめく読本界の寵児が恐らく切り出そうとする言葉を選んでいたに違いなくそれはあたかも苦渋の一端を覗かせる瞬間ともいえた。
 六丁裏の場面とは主人公半七が情死に趣く場面でこの作品の完結部分であった。余が描いたその場面は男女の痴狂の荒みたる背徳を寒夜の風景に見立てて描き表わしたものだった。馬琴の物語の諭旨は常に外れたことを行うと遂には懲らしめを受けるという筋書きにある。従ってその絵は寒夜の単なる風景画ではあったが荒れ果てたすすき野に食を漁る一匹の野狐を加えて描いていたのだ。余としてはこの野狐の影が重要なのであった。
ところが果たして馬琴が切り出した内容とは、風景の画、いかにも殺伐として物語の意に添うものだけど余所に野狐の姿があるのは如何なものかと静かに答えたのであった。後ろで下がって見守っていた角丸屋の俯きも肌に伝わってきてこれで前もって相談していたことが分かった。更に馬琴が野狐の絵にこだわっている理由がその食を漁る様が如何にも気に入らぬと見えたのである。
「つまびらかに成らないのが男女の情けというもの。野狐の虚しき幻を描くことによってその趣きが容(かたち)となっているではないか」
「それは違う。この場合、男女の様不祥にあらず。敢えて情死に赴くのは世を儚(はかな)むのが普通の感情では。決して抓まれたような類ではない」
議論は伯仲し、角丸屋はただ後ろで苦心の色を浮かべていた。
「納得できないのはこの野狐の食を漁る様子で如何にも男女を誑(たぶら)かせているような趣きの影があることです」
馬琴はそれ以上何も言わず口を閉ざしてしまった。
「そもそも男女の痴狂たる様は異常なことなのだ。だからその心は謎であり不祥だ。しかしこの物語の裏には世の倫を外すことは懲らしむべきだと告げている。だからわざわざ奇しくも化身に譬えているのだ」           
 依然と馬琴の表情は固く遂には議論の収拾の目途も立たず後ろで待つ角丸屋の表情にも益々困憊計り知れないものがうごめいた。
結局、余の意を汲まないのならその下絵の結論は出ずと判断し、遂には業を煮やして自ら席を立ち馬琴の住居を後にした。

本所荒井町から佐久間町に居を移したがまたも三日と持たず新たに浅草馬道に転居した。生首の画のことや馬琴との違(たが)いのこともしばらく影を潜め相変わらず室内の有様は四方八方荒れ果てて食い物と半紙の取り乱したなかで暮らす。其の毎日の生活のなかで獅子の図を描くことだけは怠らなかった。何度も気に入るまで描き直しその半紙を丸めては放り投げるの態である。不乱に魔除けの図を描くのもひとつに戯作者馬琴との融合を願っていたかもしれない。それと再婚した妻とも別れ独り暮らしの画稼業にも心痛める息子のことがあった。他に娘が一人いたが既に嫁がせ案じることはなかったが博打好きの息子には持て余した。今は行方知らずの放浪息子だったが悪しき噂を聞く度に倅に取り憑いた悪魔を払うために始めたことだった。
また、部屋の一角には汚く乱雑に積み上げた家具の柱のうえに蜜柑箱を少し高く釘付けにしてなかに余が信仰する妙見信仰の御身の像を安置していた。妙見信仰に至った経緯は若い頃、自然の威力を眼の当たりにしたためであった。天地に耳をつんざく雷鳴の轟きと降り落ちた稲妻の光裂く大震動に驚愕しその情景を忘れまいと思ったからである。人の知恵をして及ばぬ力が自然には宿っている。それを畏れる心は真なりと悟った所以であった。妙見の教えはその原点を常に宙に広がる星に求め其の象徴を北斗七星に定めていたのであった。      
転居してからしばらく経ったある日、突如として角丸屋が訪れたときはいつものように獅子の図を描き終えて丸めた半紙を外に向かって放り投げたときであった。馬琴の処で三者が集まって以来のことだったのでその驚きようは尋常ではなかった。彼はその後、余を探して奔走していたらしく居に入ってくるなりしばし呆然と佇み手に握ったその半紙をゆるりと開いて見つめ直していた。
「よくもここがわかったな」
「師匠もお人が悪い。住居が変わったのならその旨知らせてくださればいいものを。おかげで麻布から七軒通、日本橋までの版元を書問屋も含めて全部尋ね廻る始末でさ」
言われてみればもっともなことだった。角丸屋を座敷に上がらせ先ずは茶の一杯も馳走しようと思ったが隣もわからぬ付き合いだったので小奴が居るかどうかもわからない。ただうろたえるばかりだった。
「前に居たところは隣に小奴の居た処だったので呼べば土瓶に茶を入れられたのだが」
「どうぞお気を遣わないでください。いやいや、この半紙に描かれた絵はやはり師匠の絵だったとは…さきほど居の外に投げ出されたのを見つけたのが偶然にして幸い。まさに思いが通じました」
と角丸屋はやっと見つけたという安堵の様子を浮かべている。やがて顔をあげてかしこまった表情を浮かべながらその後再度馬琴の処に赴き所見を仰いだ気配でそのときの様子を報告し始めた。
「戯作者先生の意を汲むのも版元の仕事ですが挿絵師匠の了解もとらずに勝手に版下を彫師へ発注することも相成らぬのが版元の仕事です。愈々完結部分の稿も終わっていることでして、どうでしょうか、このあいだの件を進めさせていただくわけには」    
角丸屋としては出版の準備を早急に取りまとめたい様子だ。  
「それで、馬琴の意向は?寒夜の景色画を承知したのか?」
尋ねると角丸屋は言いにくそうに黙り込んだ。
「何と言っているのだ?」
更に強く聞き質すと渋々と角丸屋の答えるには、景色画の趣きは善いのだが添えて描いてある食を漁るが如きの野狐の態は如何にも蛇足であって削除するようにと申し受けたことを白状した。これには呆れ果てて俄かに憤りが込み上げてきたので大声を張り上げた。
「伝えておけ、余が表わした寒夜の野狐は馬琴の著述を汲んだうえに補ってやった絵。どうしても野狐を削去せよと言うなら前回からの分の挿絵を全部返還しろ。余は今後馬琴の著述の絵に一切筆を下さないと」
これを聞いて角丸屋は大いに困惑して返す言葉もなく握り締めた獅子の画を何度も見開いては眺めた。
やがて思案に暮れ彼はすごすごと退散していった。
再び机に向かい獅子の画のつづきを描こうとしたが集中できず結局その日は一枚も描けなかった。ただ角丸屋が余の放り捨てた獅子の画を拾ったことが不思議でならなかった。

どしゃぶりの雨のなかを不足していた画工材を買い求めるため浅草の道具問屋を見てまわる。市村座の前を通りかかったときふと見上げると雨に煙る演(だ)し物の看板絵が眼に写った。怪しげな雰囲気はあるがたいそう珍奇な景色が覆っていてまるで亡霊が立ち回っているかのようにぼんやりと見える。何という雑な描き方かとわが眼を疑いながら突っ立っていると往来する人々が怪訝そうに立ち止まった。それは尾上梅幸演じる化け物の看板絵だったがまわりを取り巻く物怪(もののけ)の拙筆はいったいどこの門手の作品なのか。ただ悪戯に見せびらかしたように稚拙にて淡白であった。まさに衆人の目を眩ますかのような態がある。
眺めていると春朗時代の屈辱の出来事が思い出されてくる。何と因縁は巡りくるものかと胸に迫った。それは兄弟子春好に眼の前で破り捨てられた自分の招牌絵のことであった。その出来事以来、将来当世一の画工となってこの日の恥辱を漱(すす)ごうと勉強忍耐の結果、今日の姿にまでたどり着いたのだ。遡れば狩野派を学び、俵屋宗達の一門宗理の画法を真似、或いは光琳のわざを会得するために費やした精力は返す返すも一途だった。やがて屏風絵、黄表紙、錦絵、摺り物等にその成果は滲み出て巷の画界に轟き、弟子の数は入れ替わりが絶えず、その門下は至る処に散在するに到った。画料が尽きたときにはその都度自らの画号を門下に売りその報酬で急場を凌いだ時代もあって、其の行為は卑賤だと陰口されたが平然そのものだった。
昔、屏風絵のことではこんなことがあった。  
本郷に屏風絵の書き問屋の集まる処があった。有名だったので各地の藩士は自分の城主から授かった絵を注文するためそこを訪れていた。
 あるとき津軽藩の使者が訪れて狩野派の流れを汲んだ屏風絵の注文をした。書き問屋は狩野派の絵師を知らなかったので大いに困り誰かその伝のある者を周囲に尋ねたところ、なかにひとり知っていたものがいて彼が余の居所を教えたのだった。
「某(それがし)は奥州は津軽の城主、津軽越中守の使者だ。屏風絵の件で御願いに参った。本郷にて聞くところによると狩野派の画法を知っているのは貴殿であると受け賜わったが」
 思わぬ珍客だったので取り組み中の画業の手を休めてその使者の姿を顧りみた。
「お上の好みは狩野探幽の画風で、屏風に描いてもらうべき絵師を探していたところ、貴殿が昔狩野派の画法を学んでおられたと聞き、その真意のほどをお聞かせ願いたくまたお上の願いである御地へ参上していただければ有り難き幸せと…」
果たして過去の門下生が告げたものか。しかし何も隠す理由も見当たらなかったので一瞬図惑ったが取りあえず答えて言う。
「確かに狩野派の画法を学んだがあまりにも唐突な話。今は忙しくて手が空かないので暫し検討の暇を頂戴したい」
 是非にと言われても直ぐには津軽への旅支度などできるはずはなくその日はとりあえず引き取ってもらった。
 狩野派の画法を継ぐ絵師としていったい誰が余の名を告げたのだろうか。勝川派を破門された経緯は一説に余が狩野派の画法を学んでいたからのごとき噂されたことがあった。しかし画工たる道、他派に学ぶことの多ければ、果して模倣そのものが本流の外道といえるのだろうかとその話を門下の者に告げたことがあったかもしれない。  
 しかしこの話も狩野派を継ぎたい気持を表わしたわけではなく常に自分の画工の道を貫く心得を説いたまでのことである。ところが実際にあとから狩野派からも破門されることになり結局、画工の道とは流派の秩序が一番重要なことだと思い知らされることになる。  
そもそも破門の原因は兄弟子であった狩野融川の拙画を余が軽笑したことにあった。その画はひとりの童が竿を持って柿を落とそうとしている図だったがその竿の端は既に遥か柿のところを過ぎてしまっている。にもかかわらず童の尚も足をつま立つ姿が描かれているのは何の意味があるのかと述べたからであった。この発言が師に触れて個別の趣旨を謗(そし)る類のものとされそれがもとで排斥を受けたのである。つまり思ったままを言ったことが師弟の秩序を壊わすものと見なされた。これが世の流派の規律であったのだ。
しかし、破門は余の画道にいっさい障りはなかった。余が究した狩野派の画法はその後充分に生かすことができたのである。
それからしばらく経ったある日、津軽藩の使者が再び訪れた。しかし室内を相変わらず取り散らかしたまま画業に熱中していたので相手になることが出来ず色よき返事もしなかったので再度帰らさせてしまった。
愈々十日余りしてひとりの家臣が現われた。
「余は津軽の家臣だ。城主が貴候を招くと仰っているのに応じないのは何故なのだ」
 家臣は鼻息荒く高飛車な態度だった。当方の身なりと室内を訝しく眺めた後、懐から金五両を取り出し更につづけて言った。
「これは軽微だが受け取られたい。再三のお願いだが今回はとりあえず藩邸へお越し願いたい」
 しかし、依然として余の何も答えず画業に執着しつづけているのを見て、
「若し貴候が描いた絵が城主の意に適ったら更にまた若干の報酬を与えよう」
 と焦りながら声高に迫ってきた。しかしその性急な態度に対しても心が乗らずただ画業に熱中して返事をしなかった。
結局、また家臣も帰っていった。
 数日過ぎてから果たしてかの家臣が又やってきて同行を促した。今回はその面構えが苦悩に満ちていて付き人は緊張している。
「本日こそはご同行願いたい。さもなければ某(それがし)の面目が立たず城主に対して忠を背くことになる。貴候は如何なる理由でそれを拒んでいるのだ。。ただ黙っているのは不届き千万、若し先般同様に拒否したる返事の繰り返しならば重大な決意に及ぶぞ」
 家臣には先般置いていった五両に威を借りた期待の形相があった。だが反面半ば悲壮な気配も写っていた。しかし即座に同行し兼ねる状況にあったので今回も拒否すると忽ち家臣は大いに怒り、「ならば愈々貴候を斬って、某も自殺する」と言い放った。  
 傍らの付き人は俄かに慌てて家臣をなだめ、しきりに余に向かって同行を促した。余は仕方なく今は同行し難き状況であることを理解賜わらないのなら先に受け取った金五両を返却すればいいのだと思い、「明日、人を遣わし該金を藩邸へ返す」と返答すると忽ち家臣と付き人は呆れ果てたようになってしばらく動かなかった。そしてやがて憤然として帰っていった。  
このような早急な仰せは如何に赤貧な生活に潤いの救いとはいえ描く準備が定まらないまま同行するということは如何にも無謀である。承るとなれば慎重に図ることこそその報酬の値打ちに添うものであって軽んじて請合うのは余の性に会わないことだったのである。
 数ヵ月後、屏風の構図が出来上がったので招きの連絡はなかったが突然その藩邸へ赴き屏風一双を描きあげた。その家臣はまさに驚いて余のことを「見上げた奇人だ」と拝した。

市村座の前で依然と雨に濡れつつ立ち尽くしていた。
とにかく今は相変わらず役者絵の絵師多しといえ稼ぐ流派は決まっていて歌舞伎役者の意向もあり看板絵は大方が鳥居派が占めている。ましてや今をときめく市村座の看板役者、音羽屋梅幸の演(だ)し物は全て鳥居派が握っているはずだ。
その大御所は清信であろう。清信の画風は役者絵の新派といえたが眼の前の絵、これほどまでに手抜かりの思慮浅き怨霊の図を描くとは思わなかった。覇者の奢りか瞬時の手抜きは合点ならず益々憤懣やるかたないままようやくそこを離れた。
再び雨に濡れつつ歩を進める。路傍の溜まりのなかを音を立てて踏みいったときふと過去の鬱憤を晴らそうと考えた。勝川派破門は元はといえば招牌絵を破った兄弟子春好との不仲にある。あのときの屈辱をまさに晴らす機会が訪れているのではないか。市村座も驚く怨念の姿図を今の北斎に描かせれば有無を言わせねえ。生首の画の構想もある。
忽ち例によって躍動してくる怪しき魂が沸き起こってくるのである。鳥居派一門の拙筆が本来破門受けた勝川派ではなくいわばお門違いではあるが嘗ての春朗が目醒しのいい腕試しになるに相違ない。
確か茅場町の橋の袂に看板屋問屋があったはずだ。雨は煙りいずれが茅場の方向なのか草鞋(わらじ)の脚に泥がつきまとった。

「水滸伝」といえば馬琴、馬琴といえば北斎が巷に流れる合わせ絵師だ。それをお蝶が知らぬわけがなかった。
「それじゃ気心知れた相手じゃないか。その版下の絵、野狐を消せの消さぬなど筋書きと何の関係があって?とばちり受けるのは版元の角丸屋じゃないか」
「馬琴はわかっちゃいねえ。完結場面にこそ物語が生きようっていう要の締めっくりに難癖つける愚かさよ。食を漁る野狐の姿の暗示こそ効果てきめんなのによ。削除しては何の響きも伝わりゃしねぇよ」
「おやまあ、其れが朋友同士の有様なのかい。互いにいがみ合っていては先の進まない話じゃないか」
「仕方ねえよ…馬琴はわからねえんだよ」
「ところで生首の話はどうなったの?豊国と勝負じゃなかったのかい?」
「勝負はするわさ」
 余は答えたものの実のところこの間見た市村座の看板絵のことを思い浮かべていた。生首の件と亡霊の看板絵が重複してくるのである。摺り物でいくか看板絵でいくか、いずれにしても今流行の物怪の図を仕上げなければならない。
お蝶の膝枕から見上げる障子戸に今宵も月影はなかった。いつもの待合茶屋はまるで深まる秋の気配さえ感じられない。
「ところでお蝶、この間頼んでおいた生首の伝手はないのか。前にも話したようにその決意は消えていない。愈々着手しょうと思う」
 言っている裏側で着手するのは先に看板絵の方にあった。雨に煙っていた市村座の看板絵が眼に浮かぶ。生首も亡霊もいずれも妖魔の描写だ。あの拙画を超えるものを描きたい。
「実はな、お蝶。このあいだ芝居小屋の絵をみたときに思ったんだが…」
「?」
「物怪(もののけ)繁盛の浮かれ芝居にあやかってあんな絵じゃだめだ。今着手するのは看板絵が先だ…」
「何を言っているの?看板絵?まあ、呆れた。このあいだまでは摺り物の豊国負かすは生首の怨念こもった絵じゃなかったのかい?それが今度は鳥居派一門に殴り込みかい?」
「そうさ。いったん棲みついた魂は納まりきらねえ…土砂降りのなかの梅幸が泣いてらあ」
つぶやきながら余は襦袢からはみ出ているお蝶の膝をまさぐりながらその手を次第に奥へと進めていった。
「芝居の看板絵は鳥居派一門が占める世界じゃないの。何処に師匠の受け手があるやら」    
お蝶は嘲笑を洩らしながらもその吐息が喘ぎ始めた。
「斬られた首に限らねえ、怨念がさ迷っている生首だ。どうだ何処かに死人の霊を呼び戻す霊媒師がいないか?」
「いい加減にしておくれ。そんなもの知らないよ。本当に描きたけりゃ、五反田の処刑場へでも行ってきたらどうなのさ。盗人、罪人の拷問に打ち首、晒し首、惨たらしい懲らしめの数々が拝めるさ。よくもまあ飽かずに生首、生首なんぞと…そんな下拙なもの描いて何の役に立つというのだい。嘗ての勝川派の花形の腕が泣くわさ」
「……」
「そんなに気色の悪いものにこだわるつもりならいっそ、昔描いたという医術図があるじゃないか」
「医術図?」
「阿蘭陀甲(か)比丹(ぴたん)依頼の医術人体図のことさ。ほら、百五十金だの七十五金だのと画料でひと悶着のあったという話だよ。人体の臓物などを描くんだといってたいそう苦心してたじゃないか。それは参考にならないのかい?」
 それは今考えても煮え繰り返る思い出だった。四谷の医師がいて、余が日夜丹精凝らして描いた人体図を阿蘭陀甲(か)比丹(ぴたん)は百五十金で買取ってくれたがその医師は薄給なので半減にしろと言い出し、やむを得ずして苦汁を呑まされたのだ。
「何を言やがる。勘違いをしてやしねえかお蝶。いいか、描こうとしているのは臓物でなく、何度も言うように恨み辛みの生首なんだ」
 擦る手が膝から股座へと忍び寄り柔らかなお蝶の肌はやがて息荒く短い叫びに変っていった。
「なら、想像してお描きになったら。もうわたしは身も心もよだち気が変になりそうだよ。そんな野暮な話はやめにして早くわたしをよがらせておくれ」
行燈(あんどん)の灯りは今宵も怪しく揺れ、絹擦れの音を静かに包んでいった。
「見てろ。今に描き上げてやろう。それは生半可な幽霊が腰を抜かして仰天する生首の妖怪だ」
 
野狐の蛇足とはいったい馬琴はその寂寥な風景画をどのように捉えているのだろうか。痴狂の情死こそ不可思議な霊に誑かされた男女の謎ではないか。余が補足した野狐が魔性の醍醐味を描き表わしているという演出なのだ。どういう思慮の狭き短絡の持ち主なのか。余が会得した宗理の画風は寒夜の野狐こそこの世の類みな虚しからずが自然の理を表わし、互いの尊厳を悪戯に貪ると一方において必ず厳罰の報いがあると知らしめているのである。                 
退散していった角丸屋もあれからしばらく姿を見せず浅草馬道の埃風にも閑寂の態が吹き荒んでいる。
 朝の日課は再び魔除けの獅子の画を描き、米びつを下敷きに半紙を広げる。気に入った獅子画が完成するまで筆を持ちつづけ、昼を過ぎても食せず渇いても茶を入れず踏み場のないほど散在があろうと無頓着だった。他に鳥獣略画や職人略画の方も相変わらず執着しつづけて夜更けの闇のなかでも眼を凝らす。
 そろそろ画料が底をついてきたが略画の売り先は未だ決まらなかった。いずれ版元が見つかるまで煩わずに貯めて置くことにする。
過日雨のなかを茅場町の看板問屋を歩いたとき市村座の請け絵の伝手を聞いていたがその詳細は日本橋の鶴屋にて乞うように案内があった。主人の九佐衛門が出てきて言うのには「絵師の得意とするところの絵を持参して賜わば一考して返事しよう」とのことだった。早速帰って筆をとり数日来こだわってきた生首の画に真剣に取り込もうと思ったが臨場感あふれる怪奇な素画とはいったいどんなものなのか。なかなかその描画は完成しなかった。
描きたいのは切り撥ねられた武者の首。しかし単に惨たらしさを表現するのではない。見開いたその眼に死霊が宿っていなければならなかった。宗理の画風では幽玄さはあっても死霊の響きが出ない。余の生首の画は死霊の魂を描くのだ。
二、三日考えても埒あかず眼が疲れてきて柱を見上げるとそこに蜜柑箱の御身が俄かに輝いていた。
促されるまま又筆をとる。苦慮算段し、心魂を注ぎ込んだ。

昔、馬喰町に風変わりな女祈祷師が居た。人々が言うには、蝋燭を頭にかざして髪振り乱し難語を流暢に放ち、時折疼くように伸吟する。風変わりとはこのときの声をいうのであった。誰しもこの声に堪え難たく病の悪霊はこれによって出てしまうと信じていた。
望むのは霊媒師であったが祈祷師とて同じこと、何らかの霊を読み取れるに違いない。果してその祈祷師の霊の眼にこの武者の死霊が映っているだろうか。そして武者の死霊がこの世の怨念を語っているだろうか。歩を急ぐ手には描き上げたばかりの生首の画があった。
馬喰町に着き祈祷師の住居を探すが噂の地所が見当たらず暮れいく路地を迷う。心許なく進んでいくと朽ちた屋敷の影が見えてきてそのなかでうごめく気配があった。招牌の標示もなかったので単なる住居かと思いながらも何か不思議と惹かれる感じがする。辺りは静寂で往来がなかったので尋ねて確かめる伝手もなくただ惹かれるまま表口の前に立つ。黙って耳をすますとなかから呪術の如き奇声が響いてきて穏やかならず。瞬間的にここがその在所と直感した。
急いでなかに入るとなかは薄暗く既に客が入っていてみな黙って頭(こうべ)を垂れ、ひたすら無気味な仕業を見守るかのようにして座っていた。
祈祷師の叫び声が聞こえた。噂どおりそれは凡そ女の声色ではなく怪しく震えて張り裂けそうであった。まさしく淫乱に狂う伸吟を思わせた。両手を振りかざして狂わんばかりの演技を行い頭にかざした蝋燭の灯りはその都度、線を描くように揺れていた。
「阿檀地(あたんだい)、阿檀地(あたんだい)」
 絶叫は続く。
「阿檀地(あたんだい)、阿檀地(あたんだい)」          
 狂おしいような伸吟はつづく。白装束に身を包んだ祈祷師の発する唱文の阿檀地(あたんだい)という謎は奇妙である。
やがて息荒々しい声色も萎えて祈祷師の肩が小刻みに震え、その響きは静かになっていった。終了後しばらくのあいだ部屋は黙ったままであったがやがて安息の色が現われ、緊張を解きほぐした客人たちの影が動き始めた。それらは一様に紅顔し悪霊の払われた面持ちで立ち上がった。
あとから入った余の身なりの甚奇さに眼を配らせたがさしたる表情も浮べず次々と帰って行った。祈祷師は余を次なる客と思ったのかしばらく間を置いてから眼を見開き余の様子を観察した。
「いずれの紹介でおいでか?」
 それは冷やかな問いかけを感じさせたが口元は麗しく老けてはいるが艶女の気配が漂っていて祈祷の魔性は微塵にも感じられなかった。さしたる縁故もなかったので正直な経緯を答える。
「で、その画をお持ちか?」
 祈祷師の顔色が興味を示した。画の由来や素性等一切を語らず、ただこの生首の武者の表情に天地に何かを語ろうとしている容が顕われているか。霊感豊かなればそれを読み取ることが出来るであろうと心託して画を渡した。
 画を見て祈祷師の眼はしばらく動かず。どのような返事が出てくるのかと固唾をのみ見守るが祈祷師はただ黙すばかり。やがて逸る気持を押えきれず「何か語っているか?」と問い質す。しかし依然と祈祷師の眼は動かずただじっと画に見入って硬直したままだった。
「その霊は何と言っているのだ?」
 尚も高まる心を静めながら祈祷師の動きを見つめていたがその様はまるで何かの餌食になったように動かない。そのとき余の眼に願っていたものを感じた。同時にその確信が全身を貫いていくのがわかった。そして突如響き渡った祈祷師の慄きの声にその証しを固く受け入れたのである。
「阿檀地(あたんだい)、阿檀地(あたんだい)」
 画を持つ祈祷師の手は小刻みに震え眼は凍りついたまま離れなかった。阿檀地とは法華経にある写音なり。

鶴屋の主人九佐衛門の驚きたるやこのうえなし。持ち込んだ画に眼を通し、暫くの後稀有な幽霊画と絶賛した。これまでの態度を急遽(きゅうきょ)一変し出版の意向へと腹積もりを変えた。市村座の看板絵を描きたいと申し出たが彼は取りあえず演(だ)し物の語り絵巻の錦絵に関心をもったふうだ。
浅草馬道の居は俄かに忙しくなり三日に一度鶴屋下請けの板下工、摺り工等の出入りが甚だしく近所の噂は忽ち広まって茅場町の看板問屋にまで広がる。ひとみなこの生首の画を見て一見凄然、心魂を揺るがした。
ほどなく錦絵が出版された。しかし嘗ての屈辱これにて晴らそうと思っていたので市村座看板絵の執着は断ち切りがたく怪談劇の看板絵の受注を今や遅しと待ちつづけた。
しばらく経ったある日、鶴屋の九佐衛門がやって来て果して吉報を届けてくれた。
「いよいよ顔見世狂言の興行がある。師匠の力筆を賜りたい」
 と言って金五両を置いて帰っていった。忽ち奮高まって茅場町に馳せ看板問屋と詳細につき打ち合わす。演(だ)し物には残念ながら怪談劇はなかったが願っていた歌舞伎の看板絵だ。鳥居派一門の風靡(ふうび)絶大なるなか廻って来た御鉢、まさに望みしところと引き受けて対抗の意気込み益々盛り上がる。
 顔見世狂言の看板絵を描き終えた頃、ほどなくして居を訪ねる者があった。歌舞伎界の大御所菊五郎が三代目、尾上梅幸の使者であった。梅幸の技、世に高し。なかでも幽霊に扮する技は巧みで人気を博していた。生首の画の噂がやがて梅幸の耳に入りその絵師は誰かと尋ねたところ問屋の衆人が余の名を告げたのである。
「大御所が三代目のおっしゃるには、過日師匠の画を拝見したところ大そう気に入り稀に見る形象画、次の扮装の参考にしたいと申された。ついてはこれと同じような幽霊画を一枚描いていただければ有難き幸せと申されている。お願いできるであろうか?」
 大御所の直伝とあってはその頼みを厭わず承諾したい気持はあったが扮装の参考とは何事か。その高圧な使者の言動も少し癪に触ったのでしばらくの猶予を願い出る。
「して期日の目途は?」
「いずれそのうち」
 使者は戸惑って表情を曇らせたが懐から紙に包んだ金子を取り出し上眼遣いに膝の前に置くと、                
「しからば早急に返事をお願いする」
と、言い捨てて居を後にした。

相変わらず鳥獣略画、職人略画に没頭しながら寝食を忘れることが多かった。画工材を買いに出ることもしばしば。鶴屋の錦絵や市村座の看板絵の報酬は決して少なくはなかったが貯えは常になく衣服は破れていても厭わずに常に柿色の袖なし半天を着用していた。室内は相変わらず乱雑で塵の散らかりは眼を覆うばかり。佐倉炭の俵、土産物の桜餅の籠、鮨の竹の皮など、物置きと掃溜めとが一緒になっていた。関心は常に、唯一に絵画に専念しているためであった。
 日課に励んでいるときでも常に大御所の直伝のことが頭にあった。しかし余の画法は一画一点にてその命が宿るべしとしていたので森羅万象に生命の存在があるように鳥獣や人の略画にもそれを疎かにはできないという信念が筆を休めなかった。結果、工夫を懲らした略画の種類は益々増えていった。
 ある日、俄かに往来が騒がしくなって何事か奇妙な様子がしていたが外の出来事なので一向に気にも留めずにいた。
「ご免」
 入り口で誰か訪れた声がしたが知らぬふりをしてひたすら画法の探求に没頭していた。やがてなかの様子をちょっと伺った客人の驚きわたる溜め息が伝わってきたかと思うと彼はすぐに戸外へと飛び出していき戸外に待たせている籠屋に何か大声で指示をしている様子である。周りには人々が集まっているらしく益々騒がしくなってきた。
 再び入り口に立つ人の気配がして、籠屋の者がどうやら勝手に室内の下に敷物を敷き始める様子である。びっくりしてその者に「何事か」と問うと彼は「梅幸が御大にてお成りがこんなに室内が不潔では心苦しく、御大からも敷くようにと仰せつけがあったので…」と、答えた。
 暫くして御大が敷かれた毛氈のうえを堂々と歩き来て散らかした座敷のうえに上がってきた。客の来訪があっても元より茶、煙草の設けはなくこれまで訪れた客人は概してその粗末なもてなしに呆れ果てていた。この日も御大にもてなす術もなく背を向けたまま米びつの机に向かって無頓着に描きつづけるのである。これを察した梅幸はあっけにとられて言葉も発せず。暫く沈黙した後(のち)、「先だっての儀、如何にまとまりしや。段取りの様子をば伺いたい」と、穏やかに言ってはいるが真意のほどはさにあらず表情に憤然たる影が現われていた。余が返答せずにしていると再び黙して次を語らずただ散在している室内の様子を奇妙なものを見るようにして眺めていた。
 黙殺するかのように依然と略画に取り組み、客人を顧り見なかったのでとうとう梅幸は性根尽きて黙ったまま毛氈のうえに立ち上がり、汚いところを後にするかのようにして立ち去っていった。                
不敬に亘る挙動は始めの来訪のときから既に眼についていて無礼千万なこと甚だしかった。室内に居座っているあいだも余の腹の虫は最後まで納まらず遂には御大を帰らせてしまったのである。
この性分は昔から直らず癇癪に一旦触れたら誰であろうが世に媚びることはいっさいなかった。無礼な振る舞いは余の最も癇癪の虫に触れるところだった。 

読本「南珂夢」の六丁裏挿絵の件はその後依然と沙汰がなかった。角丸屋が果たして馬琴と調整したのだろうか。麹町五ノ蔵へ出かけて探ってみようと思ったが腰がなかなか上がらず散らかした作画と画工材のなかに相変わらず居座る。
年が改まって住居を今度は浅草の聖天町に移した。時候も立春が迫りこの前角丸屋が訪れたときからもう半年は過ぎていた。
戯作者と挿絵師の意見が合わないということは出版の主として大いに迷惑しているところであって彼は恐らく百方を奔走しているに違いない。巷の書問屋の意見を集めて参考にしているのか。しかし、誰がいったいこれを解決することができよう。やはり一度馬琴の処を訪ねて確かめてみようと決意した。
紅梅咲き匂う浅草誓教寺境内を抜け八丁堀から神田へ向かう。馬琴の住居へ着いたとき玄関の景色、先に見た紅葉の葉はとっくに盛りの色は消えていた。
「既に第一の挿話は完結した。第二、第三の物語もその稿は角丸屋の手元に渡っているはずだが。実は各々の挿絵がまだ出来上がってこないので某(それがし)の方に何かあったのではと心配していたところだ」
 馬琴の表情にはもはや先般の苦渋は無く余の突然の来訪に驚いていた。ことのほか喜び親しく招き入れてくれた。例の件は果たして解決したのだとそのとき思わずにはいられなかった。それに会わない間に次の第二、第三の物語が既に進んでおり原稿が角丸屋に渡し済みとなればかえって角丸屋の方に別の意向が生じたのだろうかと心配になってきた。
「角丸屋とは一向に交渉がないのでそんな話になっているとは知らなかった。角丸屋はその稿の挿絵の依頼を誰かにと考えているのだろうか」
余が怪しむように洩らすと馬琴はそれを聞いて呆れて笑い飛ばし、
「何を馬鹿なことを。角丸屋にとっては今日在るのは先の水滸伝しかり、挿絵は北斎師匠があってのこと、よもや今回の作品の途中に戯作者の意向も聞き入れずに絵師を変えるなどという不敬な魂胆を起すはずがないではないか」
 と言った。
「それに師匠はまた住居を変えている。角丸屋が師匠を尋ねようにも迷う道理ではないか。だから未だ届けられないのだ」 
真(まこと)、年の初めに転居していたので言われてみれば合点がいかないわけでもない。
「そうであるかもしれない。早速、角丸屋へ出向きその稿を拝見することにしよう」
 失笑しながら答えると余のその呆けたる様を馬琴は観察して健やかな笑い声をつづけた。馬琴の笑い声を聞きながら角丸屋がいかにして六丁裏挿絵の悶着を解決したのだろうかとふと思った。そしてその大いなる彼の妙意を感じないわけにはいかなかった。
 久しぶりの歓談で馬琴は大いに喜び、食を用意してまで遅くまで語り合った。
帰途に着く。夜も更け静まり返った道に犬の遠吠を聞く。その響きが夜空に渡り闇のなかにこだました。
馬琴が折れたのはなぜか。あんなに難色を示していながら本当に角丸屋の説得に応じたのだろうか。馬琴がその詳細について一切触れなかったのは今後のことを思い憚ってのことなのだろうか。
夜空を見上げると北斗七星の形は見えなかったが進みいく胸のうちには仄かな輝きがあった。それは信仰の輝きのように思われたので大切に仕舞っておいた。
 
ほどなく「南珂夢」が出版された。巷で大いに話題になる。
市村座へも看板絵の打ち合わせのため通うことが多くなった。あれから、暮れに梅幸が再び訪れて前回の不敬を謝り、改めて幽霊画の作画を願い出たからである。願い出の内容は梅幸が演じる怪談劇独道中五十三次のなかで扮装する妖怪変化の画であった。           
しかし例によって描く扮装図の中味が思うように決まらず悶々とする日を送っていた。公演が夏に迫っていたが各々の幽霊画をひとつひとつ吟味する時間がなかった。
「よくもまあ呑気で居らっしゃること。御大の催促はないの?」
 お蝶の部屋にも薫風が忍びよる季節が到来し暦はすでに八十八夜を過ぎていた。
「妖怪の芝居を考えれば考えるほどかえってその役者の衣装が気になりそれに似合う肝心な魔物がよく見えねえ。追っかけるほどそいつは逃げていきやがる」
「何を言ってるのさ今更、いいかい、御大に気に入られて頼まれたんじゃないか…何を悩むことがあるのさ。思ったままの画を描けばいいのさ」
 相変わらず膝枕のうえでお蝶の声が響く。開けたいつもの障子戸に闇の静けさが漂い行燈(あんどん)の影が怪しく映る。
 生首画の残酷味は馬喰町の女祈祷師の霊眼を震わし茅場町の版元鶴屋九佐衛門の食指を動かせ更に歌舞伎役者尾上菊五郎が三代目、梅幸の胸を打ったのだからそもそも余が描きあげた絵心のなかに棲む魂とは如何なるものなのか。それをそのままもう一度引き出せばいいのだが、その画を追っていくとなぜかその影は再び掴むことが出来ずまさに妖怪変化のように立ち振る舞うのだ。いったいこれは何によって狂ってしまうのか。今にして思えば最初厠(かわや)で見た蟋蟀(こおろぎ)の羽(はね)の形象を見てからそれは始まっているような気がしてくるのであった。
「何を迷っているのさ。生首を描こうと言っていたときの意気込みはどうしたのさ。吉原あたりに通ってくる旦那衆の話では中村座で公演中の怪談劇がえらく人気だという噂だよ。一度観に行ったらどうなのさ。確か番町皿屋敷とか言ったかねえ」
「どんな化け物をやっているのだ?」
「屋敷伝説の怪談劇さ。腰元お菊の幽霊が評判だそうだよ。怨念がつきまとう芝居だそうでそりゃあ恐ろしいの怖いのなんのっていう噂だよ。あーあ、もう厭々。お化けの話なんぞしたくもないと思ったのに師匠が来たらすぐこの話、心の安まる気がしない。数えれば豊国の幽霊画を負かす、負かさぬから始まり……」
自分の魂に棲む新たな妖怪の図は依然と浮かび上がってこない。それは皿屋敷の如き怨念にはあらず。目指している図は再び霊の奇を表わしたいのであった。生首の死霊の怨念とは違う新たな妖怪の霊がそれだ。しかし追う眼を益々凝らしても烈火の如く熱きを注いでも依然とその影は霧中に隠れるようにしてその先を見せず。
お蝶を引き寄せて耳元で呟いてみる。
「馬喰町の女祈祷師に生首の画を見せたとき蒼白となって阿檀地(あたんだい)、阿檀地(あたんだい)と叫びやがった。阿檀地(あたんだい)とは如何なる呪(まじな)いか」
「あっ…」
 短いお蝶の声が洩れ、次第に深い吐息と変っていく。その妖しい魔性はいつものよがり声となって重なり益々絶叫へと変貌していくのである。
「その祈祷師の慄きはまさに魔性の眼をしていたぞ…女の魔性が潜む眼の奥にはいったい何が棲んでいるのか…知らねえか」
「何を独り言を云うのさ…女はみな魔性さ」
 お蝶の途切れ途切れの声に妖しき艶は更に光ってやがてお蝶の眉に顕われてきた。息荒く喘ぐ表情が突如としてあの祈祷師の面に見えた。

妖怪変化の扮装図がほぼ出来上がったので梅幸の楽屋を訪れ付人に届ける。後日、御大の使者がやってきて御大が大そう感激していたと云い又金子を包んで帰っていった。夏の公演が間近に控えていたので彼は多忙を極めているだろうと思い会わなかったのだが不敬だったと反省する。
梅雨がつづいていたが着る物の替えはなく相変わらず柿色の半天を着ていた。それは更に色褪せて湿る。夜が更け蚊が多いので蚊帳のなかに入って近づいた夏の公演のことを思った。御大の扮装観たさに思案に暮れる。今は門下に画号を継いで入ってくる報酬金の当てはない。しかしその祝儀の金の工面は大いに急を要していた。思案をしながらふと蚊帳の外を見ると静かに星の煌きが夜空の果てに無限に広がって何かを語ってくるようである。このとき、この蚊帳を売り捌いて祝儀の替わりにしようと忽ち思いついた。これは妙見のお告げであると信じた。
公演初日を迎えたので早速蚊帳を売り、其の金弐朱を得てこれを懐にし市村座に赴く。観劇もそこそこに楽屋裏に馳せ、梅幸に面会した。梅幸は喜んで招き入れたが出幕の時間が迫っていてあまり余裕が無い様子だった。其の金弐朱を紙に包んで渡すとこれで初日の祝儀を果たしたと早速帰途に着く。梅幸は大そう恐縮してその後また使者を遣わして居を訪れた。  
蚊帳を売却してしまって夜な夜な蚊に刺されたが安然として筆を執り画業をこなす。
そのことは梅幸の知る由もなかった。

 ようやく請けていた仕事も一段落したので再び人物略画と鳥獣戯画の類に精を出す。魔除けの獅子の画は朝一枚と決めた。室内は相変わらず掃除する者なし。塵屑の山、不潔この上なく散らばる。出入りする米商、薪商らが売り掛金の催促に訪れると版元鶴屋等から送ってきていた画料の包みをそのまま放り投げて渡す。なかに幾らあるかを確かめずに渡すので商人等は後から包みを開き少なければ催促し多ければ密かにこれを納めた。それほど画に熱中していた。
 あるとき人物略画の動きが思うように描けず、特に身体の写実が歪に感じられて結局ひと晩考えた末、翌朝五ツ木町の接骨医を尋ねることにした。骨格のつなぎの理を研究して動きのある時々の形状の輪郭を掴もうとするためであった。三日ほど通いつめてやっと人の肩の裏側から屈折したときの筋肉の動きを把握した。それを版元鶴屋へ怪談絵巻の請け画の見本として持ち込んだ。鶴屋は大いに喜んで彫師へ発注し絵巻の更なる出版準備を進めてくれた。

夏前に発刊された「南珂夢」の評判が良かったので角丸屋はすぐその続編を希望した。馬琴はそれを頼まれた後、度々浅草聖天町を訪れて続編の困惑を述べていた。帰っていくときにはいつも室内の乱雑さを嘆き次回には自分のところで飯を馳走する用意を約束して居を後にした。無精好きの余としては願うところであった。           
元より馬琴の戯作は勧善懲悪の物語が多く、流行っていた怪奇談の色は薄かった。それは人の稗史に纏(まつ)わる立身出世の戦渦を華々しく語ることを得意とし、その話は唐の史伝に根幹を為すことが多かった。自らの生活も絢爛で最近では楼を築して篭っていた。家人を寄せ付けず著作に専念するためである。訪問客があったときでも決して楼に上がらせず自らが楼を降りて下にて用を済ましていた。
 角丸屋が愈々その続編を望んでいたのでその打ち合わせをするため馬琴の住居を訪れた。家人が取り次ぎ、やがて楼を上ることを許可する案内を受けた。これは特別の計らいで普段の知己には与えぬ作法であった。
 楼を上って室内を見渡せば「水滸伝」のとき用いたと思われる稗史、唐の史伝の類の資料が多く陳列されその戯作に賭ける熱意のほどが伺われた。先ずは続編の打ち合わせを差し置き世間話に興じる。お互いの性癖は知り尽くしているのでざっくばらんな暮らしの趣きなどを虚飾なく述べ合った。その後、角丸屋からの依頼の件である「何柯夢・後記」の話に入り、馬琴は再び続編の必要の是非につき疑問を投げかけた。彼は思慮困惑の色を呈しながら、前編で完了している話に果して続編のネタは如何にあるべきかを問うていた。
「そこに積み上げたる多大な稗史があるではないか。ネタは幾らでも見つけ出すことが出来るだろう」
 と言えば、馬琴は、「稗史はひとつだけだ。前編でそれは完結している」と受け入れず。
「新しき稗史を進めて戯作するところに読本の妙味があるというもの。その裏側には深々にて享楽の悦を誘うのにじゅうぶんなネタが転がっている。嘗て余も戯作の経験があればその極意の使い技を覚えている」
と助言しても馬琴の稗史はひとつという厳格にて融通の利かぬ性格は緩まず、
「既に完結しているものを結び継ぎたる物語は難儀だ。それはまるで前編を偽りとみなして補うようなものだ。敢えて進めるのであればそれは続編ではなく全く別物の話となる」
 と言って依然と続編の疑義を変えない。
日は暮れ結局、議論は終らず。継ぎたる意志はあっても馬琴のこだわる難癖には納まりはつかなかった。
 やがて食の振舞いを受け、帰途に着く。

 市村座の看板絵の評判が良くなかった。みな異口同音に奇な絵だと噂した。鶴屋九佐衛門は未だ嘗て鳥居派以外の絵に見慣れていないからだと言って具体的には余の描きたる人物は概して細くいわば痩身なるのに比べて鳥居派のそれは手足を太くしているのが特徴であると説明した。観客の多くは鳥居派の看板絵に慣れ親しんできた経緯があったため忽ち余の看板絵の生業は次第に疎遠になった。
 再び自分の画道に精を出す毎日であったが画工材の調達で財は底を尽き夜明け近くまで食を摂らないこともあった。常に自分の志すものを学ぶためで朝まだきより小夜更けて人の寝静まる頃まで筆を握る日がつづいた。
 その多くは人物略画と鳥獣戯画の類であったがその礎となる基本画法に精魂を注いだ。幅広く試みて表わした手段は紙の上だけでなく、極小の技量を何処まで可能なのかを試そうと例えば米粒のひとつにその筆を下すこともあった。従って机の上に散らばっている米粒はみな作品であった。 
 寒の入りの頃、突然朝早く馬琴がやってきた。母の年回忌を忘れずついでに続編の相談にきたのである。早速、机の上の米粒を眺めて言った。
「何たる粗末なことをしているのか。ひとりで居るとこうも堕落しているもんかね。本日は師匠の御母上の法事ということで参ったのだが果たして思っていた通りの有様だ。少しは片付けたらどうなのか。」
 馬琴はぶつぶつ言いながら紙包みを取り出して幾許かの香典を差し出し机の上に置いた。
「ところで続編は書いているのか?」
 角丸屋から頼まれたと言っていた「南珂夢・後記」の話を馬琴に尋ねてみた。馬琴は思い出したようにその件の用事を真っ先に言うべきだったと気づいたふうで懐から再び袋に納めたその稿を取り出し膝の前に広げておもむろに説明をし始めた。書く気になったらしい。続編の内容はすこぶる順調に進んでいるらしく馬琴の力量を節々に発揮しているものと見えた。やがて要所の挿絵の段階に入ったのだが室内の寒気が著しく時々体に震えがきた。鼻水が止まらないので無造作に散らばっていた半紙の紙を引き寄せては鼻をかむ。
 続編七丁裏の箇所であった。例によって如何にも理に尽くし難き場面に遭遇した。何度も鼻をすすりて情景を検証するも腑に落ちない。  
著されていた場面とは主人公の全介が祖父の仇敵を討とうと阿通に挑む情景が詳細に述べられているところだった。全介が桐の下駄で阿通の放った手裏剣を受け止めるという条文である。その前を読むと全介が下駄を脱ぎ捨てて松陰より飛び出そうとするとある。阿通が投げた簪(かんざし)を咄嗟に気づいた手裏剣の丁と受けたる下駄とあるならば既に脱ぎ捨てた下駄を手に持っていたという勘定になる。敵を討とうとするときに臨み脱ぎ捨てていた下駄を再び手にとるという理はありえない。馬琴にこの項を指摘すると彼は戯作者のそれぞれが持つ流儀というものを察し得ぬかと言いたげに終いには不機嫌になってしまった。
 しばらく頭を休めようと思い馬琴に見せたいものがある様子を示しながら散らかった室内を掻き分けてようやく拡大鏡を見つけた。机の上に散らばった米粒のひとつひとつを寄せ集め手にとって拡大鏡を覗き込んだ。
「描かれているものを当ててみよ」
 やがて拡大鏡を馬琴に手渡し指に乗った米粒を差し出す。 
「?……」
 馬琴は怪訝な様子を浮かべつつ受け取った米粒を拡大鏡で覗き込む。
「見事だ」
 米粒に描かれていた略画の鮮明であることに馬琴は絶句して言葉がつづかなかった。机の上に散らばっていた米粒のひとつひとつは作品であったのかと呆れて再び返答も出来ず挿絵の論議もひとまず退いてしまった。
 結局、続編七丁裏の結論は出ず馬琴は昼過ぎ帰っていった。
馬琴の置いて帰った続編の稿を再び読み返してみる。確かにその条文には新しい趣向が溢れているかにみえた。全介と阿通の関係を仇敵討ちの因縁としながらもそれを譬えて手裏剣の簪(かんざし)を受け止めるのは桐の下駄とし、更に下駄は今宵の島台云々とするところはあたかも契りを交わす妹背の如きを思わせる。しかし、趣向は新規だが下駄を今宵の島台とするのはあまりにも奇抜さを通り越している。
 鼻水が止まらず背筋に寒気が襲ったがその場面の挿絵に関してやはり納得が出来なかったので画工材の買う都合もあり、ついでに再度馬琴に会おうと決めて机の上の香典包みを無造作に袂に入れ早速座を立つ。
 朝会っていながら再び夕べの来訪に馬琴は少々驚いていたが心を開いて楼へ上がることを案内した。
「朝お見受けしたところ少々身体が病んでいる風に見えたが具合はどうなのか。無理をして来なくても又別の機会もあったろうに」
 相変わらず馬琴の部屋は書物の類、雑多を極め其の量多かったが整然として四方の棚に納まっていた。又室内の掃除も行き届きこの上なく清潔だ。
「たいしたことはない。ここ数日、夜明け近くまで描いていたので少し顕われたに過ぎない。今、そこまで所用があったのでついでに寄った」
 しばらく談笑するが自然と朝方の続編七丁裏の論争のつづきとなってお互いが舌禍する。
契りを交わす象徴としての島台と簪、それと仇敵討ちという場面で巡り合わせるという図を馬琴は要求するのである。馬琴の言い分は、独自の演出を用いているのであってその情景は理を超えるかもしれない、しかしその表現の趣向においてこそ興なれば妙たる面白さを加えることが出来るのだと言う。
 しかし余としては幻のような不可解は創意を持って描くことはできてもこのような趣向そのものを図に表わすとなると淡色浮き出でてその水に交わらずが如き思いが巡るのであった。
ついに埒あかず余は鼻がむず痒くなったので袂から紙を取り出して鼻をかむ。その紙を放り投げたのを馬琴はしばらく眺めていたが忽ち顔色が変わって、
「これは今朝持って行った香典を包んだ紙ではないか」
 と、その声は怒りに満ちていた。
「このなかにあった金は必ず仏事に供せし金、他に消費してはならないはずなのに…」
 その紙は確かに今朝馬琴が持ってきた香典を包んでいた紙だった。金は既に画工材を購入した際に費っていた。罰悪く相手の厚情を複雑に吟味すると自ずと沈黙せざるを得なかった。
 やがて投げ捨てた空の紙包みを眺めて笑いながらまるで供養の本意を伝えるかのように馬琴に答える。
「君の言うとおり賜わったところの金は他に費ってしまった。しかし、そのような精進物を仏前に供し、僧侶を雇い、読経してもらってもそのようなことは世俗の虚礼である。供養とは父母から貰い受けた命をば長寿を保つことこそ真に親に対して孝なるになるのではないか」
 それを聞いて謹厳な馬琴は呆れて声も出ず。とうとう挿絵の論争もまた断ち切れてしまった。

略画を描く器物は米粒のほかにも益々増えていった。室内にはその物至る処に散在し、あるとき鶴屋九佐衛門が訪れたとき眼を見張らせて驚いた。
米一粒に描かれた雀二羽は特に逸品であった。肉眼ではそれを確認することが出来ずやはり拡大鏡を使用してそれを眺めた。更に徳利、猪口、切組灯篭等に描き込まれた画にも同じ形象はひとつもなくそれぞれが逆に描かれたり横に描かれたりして趣向がこらしてあった。又、鶏卵、升等に描かれた曲画の妙技は他に類がないほどであった。 
 鶴屋はこの妙技を書問屋の仲間に報せた。その噂は忽ちときの将軍家斉公の耳に届いた。
「よくもまあ気を抜いてこんな処で油を売ってていいのかい?」
 相変わらずお蝶の膝枕で怠惰と耽る。開け放しの二階の障子戸に入る夜風が今夜は特に緊張に怯える。将軍の前に出ることは無上の栄誉だが未だ嘗てない作法なので緊張このうえない。増して献上する絵となればまさしくそれは闇のようで皆目見当がつかない。これこそ縛りつづけてきた妖怪のような気がする。
描こうとする絵の構図を考えるがそれもまた見ようと眼を据えると忍び寄ってくるのは膜だけでこれまでと同じようにその先が見えない。これは未曾有の闇だ。
「上様の話、まだ正式に決まったものではない。近々に内命があるということだ」
「だけどそんな大事なときにこんなところで遊んでていいのかい?音羽屋三代目、梅幸御大のときだってそうじゃないか…だいたいが師匠は呑気なんだから」
「暫くすれば忽ち籠の鳥だい、内命をもらったら最後それから七日、八日は身の預かりてんで外出も儘ならねえ。してみりゃ今夜ぐらいが最後だ」
「でもさあ、返し返しも至上の誉れじゃないか。ときのお上からの直々のお召しの声に預かったとは。こうなったら立派な絵をお描きよ」
お蝶は何かに酔いしれるようにつぶやいていた。              
「残念だね。だって師匠はもとはといえば勝川派一門の出、破門されてなければ勝川派にとっては名誉なことだったろうにねえ」                  
声の表情は知り合った当時を思い出していた。               
「師匠の名は嘗ての勝川春朗。今でもわたしの胸に刻まれているのは華々しき役者絵。わたしにはそれしか覚えがないよ。最近の物怪(もののけ)だの妖怪変化などとこだわる師匠の姿は何と奇しく思いであったことやら」
お蝶の語り口が流れるなか依然と眼を凝らしながらも掴もうとする構図の浮かんでくるのを待つ。その闇のなかにはただ威光の影に隠れて身を潜めている未知の息づかいだけが澱んでいた。   
やがて嘗てみたことのない闇は消え再び通常の待合茶屋の二階に戻った。
「お蝶、下駄は今宵の島台っていう条文がある。どう思うか?馬琴との次の作品のことだが」                  
吹く夜風が障子戸を抜けて耳に蘇ってきた。こんなときでも気に懸かっていたのは馬琴との論争のことである。その内容の一部始終をお蝶に聞かせてやる。
「何よ、いきなり」
聞いていたお蝶は条文を理解したのかしないのか議論を敢えて避けるように次第に熱き手を寄せてきた。
「邪魔をするのは理の為せるわざさ。そんな野暮なことばかり言ってないで夢を見させるのが描き手の力量っていうものよ。お忘れになったのかい?」 
と、忽ち溶けいくようなしなり声を出し始めた。
外の闇は更け今夜も犬の遠吠えが響く。やがてお蝶の伸吟がそれに重なって洩れた。

暫くして果たして将軍家より誉れの内命があった。関係の画工材を調達したあとおもむろに上意の沙汰を待つ。師走の風冷たく一気に巻き上げ、落ちて舞う枯葉の音を拘束された浅草聖天町の居にて聞く。
谷文兆といえば南画の達人と噂されていた。彼の描く山水図に右に出る者はいなかった。眼の前に現われたのは紛れもなくその本人であった。
空青く晴れ渡り当日の浅草伝法院の中庭は息詰まる緊張が漂った。家斉公が正面に座り先ずは文晁が描き表わす絵を覧するのである。難なく文晁は描き終えた。大家の筆は流暢に流れ、幽玄な景色図を仕上げて周りの観衆が静かにどよめいた。
次に余の番である。平然として畏れることなく前に進み、愈々筆を握って描き始めた。
先ずは花鳥山水を描く。左右の観衆の感嘆の声が洩れる。次に長く継いだ唐紙を横に広げて敷き、刷毛を持って藍色の絵の具を長く引き延ばした。それからおもむろに携えてきた鶏を籠のなかから取り出し更に捕えながらその足に朱肉をつけたあとこれを紙のうえに放った。鶏は思う儘にその足跡を紙のうえに印を残して歩きまわった。
描き終えてこれは立田川の風景なりと一拝して退いた。         
立田川は晩秋の楓樹を賞する名所である。その絵はその楓葉が立田川に写る風景を表わすため鶏を放ってその楓葉の色を印したのであった。凡そ無情の物を描くことは極めて難しい。しかし今、無心の鶏をかりて無情の楓葉を描いたのである。
真に妙なり、真に奇なりと観衆はその奇巧に驚いた。
そのとき傍らにいた谷文晁は手に汗を握った。

浅草伝法院でのことは忽ち大いに伝わった。その名は四方にて喧しく噂となる。連日のように画を謂う者が聖天町の居に踵を接してやってきた。またある者は門下に就こうと笈を背負って戸口に押し寄せた。
 しかし、平常と同じように余の生活を変えることもなく日常の課題に先ず勤しむことを第一とした。それは相変わらず人物略画、鳥獣戯画の類に打ち込むことであった。客人の話を聞いても机に向かいつづけていて返事をしないときもあった。故になかには学ぼうとしていた画法に間違いがあったと諦める者もでてきた。その去っていく者に対して余は顔を上げて言葉を贈るのである。
「描くというのは心が形をなし、出来上がった画の容(かたち)というものにはその心を含んでいる。だから一心不乱に描けば自然とその眼が開き人の情(こころ)というものが描けるものなのだ」
 傍らで聴く者はその極意を胸に仕舞って持ち帰っていき再び広く伝えた。
 また年が明けて更に室内は騒がしくなり、注文が益々増えて訪れる書問屋の数は増えた。一枚の絵の画料を上げ、入る報奨金も豊かになったが費やすほうも多く金銭感覚には無頓着だったのでいっこうに貯まらなかった。従って相変わらず赤貧洗うが如しの生活だった。例によって近所の米商や薪商らが次々に訪れ、投げられたその付けの代金の多ければ言わず少ないときは催促した。
 
請けていた仕事中でも常に「南珂夢・後記」のことが頭にあった。論争して物別れになったままの七丁裏場面の挿絵の件である。
邪魔をするのは理の為せるわざ…か。
やがて温かいものが流れ出るようにしてその場面の版下に取りかかった。喧嘩をしていてもその情に常に動かぬものがあった。打ち込みし簪、今宵の島台…馬琴の演出どおりの情景だ。馬琴の満悦した様が映るようである。工夫を凝らし幾度も重ねて刻しつづけた。
前回は馬琴が知らぬ間に折れてくれた。室内の窓を開け放ち寒空の彼方を眺望すると春近き夜更け、闇の彼方に北斗七星の如き星が光る。寝静まる闇に犬の遠吠えが響き、微風が密かに早春を伝えていた。
これを完成すればまた何処へと居を移そう。余の脳裏にまたぞろ転居癖の芽が葺き始めていた。

画狂北斎の黙示録

画狂北斎の黙示録

  • 小説
  • 短編
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-10-14

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