十月のララバイ
こもりうたがきこえる。ノアが、雲雀のためにうたうものだ。ぼくらは、世界にとりのこされた、いきものたちだ。街のひとたちはみんな、結晶になった。のらねこも。ひとりぼっちにならないように、ちいさな結晶は、おおきなかたまりとして保管されていて、管理しているのは、ぼくらである。ぼくと、ノアと、雲雀。
雲雀は、ノアのうたごえをきかないと、ねむれない。そういうふうに、なってしまった。
ぼくは、となりの部屋で、ノアが雲雀をねかしつけるのを、まっている。ノアのために、はちみつホットミルクをいれておく。テレビも、ラジオも、どこか遠い国の電波をひろってしまうため、雑音がひどい。あたまがいたくなるので、どちらも処分した。結晶なんかにならなくてよかった、と思う反面、結晶になった方がいっそ楽だったのではと思うことも、ままある。あのひとと、一度はしたかったのに、一度もできなかったことを、ノアと雲雀には、はなしていない。雲雀はまだ、こどもだから意味がわからないだろうし、ノアは、同情で、代わりをしてくれるような気がするので。あのひとの代わりには、たしかに、ノアが適しているのかもしれないけれど、そういうものではない。恋とか、愛とか、そこから派生する、肉欲などというものは。
生命活動をしているのが、ぼくらしかいない街の夜は、海の底よりも静かなのではないだろうか。
空気は澄み、必要最低限のあかりしかなく、星がよくみえる。
雲雀は、ときどき、おかあさんを呼ぶ。
ノアは、かなしそうに微笑みながら、そんな雲雀の頭を、やさしく撫でる。
十月のララバイ