ゴムまり子
ゴムまりが弾む。弧を描く。ポーンと。弾んだ先にトラックが走っていた。でもそれを追う人に対して彼女たちは声を叫ぶ事はなかった。
彼女たちには口がなかったから。
或る時から彼女たちには口が無くなった。終日の日が暮れる時、世界中でジッパーが締まる音が鳴り顔から赤い唇が消えて鼻の下には『皮膚』だけとなっていた。それはつまり世界から音が半分になったわけであり、IOVEと言う言葉も半分になったのだ。
僕はどうも寝つきが悪くて早く目が覚めた。それでスクランブルエッグを作りトーストの上に敷いて食った。朝ごはんを食べるのは半年ぶりで変な感じがした。それから身支度をし大学へと向かった。特に朝から講義があるわけではないがどうも行く必要があると感じたのだ。口にチューインガムを放り込んで歩いていた。
大学の講義室に到着すると既に先客がいた。それは茶髪でセミロングの女だった。一番前の席に座り本らしきものを読んでいた。女の背中は何処にでもいる風貌であり、僕は特に関心を示さず後ろの席に座りカバンから小説を取り出して挟んだ付箋から続きを読み出した。すると女は僕の方を振り返った。綺麗に整えられた前髪に大きな黒い瞳の女だった。だが勿論、口はなく、言葉もなかった。それで僕はいったいどうしたのだろうか? と疑問に思っていると女は立ち上がり僕の方に歩いてきた。僕の目の前に立つと目元だけで一生懸命に笑う。僕が疑問な表情を浮かべると女は小さな赤いカバンから手帳を取り出してペンでサラサラと文字を書いて僕に見せた。
(久しぶりね。私の事を覚えている?)
僕は女の顔を見るが全く見覚えがない。それで「知らないな」と言った。女は僕の言葉に対して次は携帯を取り出し何か操作をした後、画面に表示された写真を見せる。そこには中学の頃の僕が写っていた。そしてその横を女が指をさす。それで僕はなるほどと思った。
「君は中学の時に同じクラスだった◯◯◯ちゃん?」
女はコクリと頷く。
「まさか同じ大学だったとは。髪型が全然違うから別人にしか思えないよ」
女は目元で笑う。
「でもよく僕のことを覚えていたね」
女は手帳にサラサラと書いて(入学式から気づいてた)と僕に伝えた。
「そうなのか。確か君って本が好きだったよね。僕にはどうもこの小説があまり好きに慣れない。このまま、誰にも読まれずに捨てされるのはこの小説も可哀想だろう。それで、この小説を君にあげる」
そう言い僕は女に小説を渡した。女はやはり目元で笑いながら僕から小説を受け取った。その日から僕はよく女に会う回数が増えた。回数が増えたのは僕が会うために行動しているわけではなく、たまたま女が僕のいる場所にいるのだ。勿論、女から声をかけるのが物理的に無理なのであるから女が僕の肩を叩いたり、服を掴んだりして存在をアピールしていた。それから僕が渡した小説の感想を手帳に書いて伝えていた。だが僕はあまり女には関心を示さず適当に受け答えをしていた。
講義が終わり夕暮れ時間。僕は講義室でうたた寝をしていた。その時、講義室のドアが開いた。あの女が入ってきた。僕は目を擦りながら女を見た。女は何時もの表情で僕を見ていた。
僕は答えた。
「すまない。僕は君が好きじゃないんだ。だって何も聞こえないから」
翌日、僕は夜更かしをした所為で昼に目を覚ます。あくびをした所で「そんなんじゃ、卒業できなくなるよ」と声が聞こえた。僕は部屋を見渡すが誰もいない。女の声だった。
「あはは。びっくりしないでよ。それよりさ、貴方から貰った小説、私は結構好きだな。バッドエンドじゃないから。つまりね、2人が永遠にずっと一緒って素敵でしょ。だから、私も貴方とずっと一緒」
明らかに部屋には僕しかいなかった。けれども女の声だけが僕に喋りかけていた。
「貴方も私と同じにならない? そうしたらYESもNOもLOVEも全てが一つになる」
次のストーリーはこうだ。世界には衣類だけが地に落ちて残り、言葉の交差だけが浮かんでいたと。
ゴムまり子