小説 オペラ「ナクソス島のアリアドネ」

かおるこ

 オペラを小説に仕立てたものです。第一回は「ナクソス島のアリアドネ」からプロローグの場面を取り上げました。

前書き

 小説 オペラ「ナクソス島のアリアドネ」

 本稿はオペラを小説化したものです。オペラの台本に書かれた台詞、歌唱、ト書きをもとにして、人物の動きや舞台装置などを交えて小説風に書いています。

 第一回目には、リヒャルト・シュトラウス作「ナクソス島のアリアドネ」を取り上げました。作曲者はリヒャルト・シュトラウス。台本はフーゴ・フォン・ホフマンシュタールです。このオペラはドイツ語で書かれています。1916年の作品です。


 解説 ナクソス島のアリアドネの登場人物と舞台

 オペラ「ナクソス島のアリアドネ」は、プロローグとオペラ本編の二幕で成り立っています。
 プロローグでは、オペラ「ナクソス島のアリアドネ」が上演されるまでの経緯が描かれます。このプロローグも歌唱を伴うオペラ作品です。
 本編は「ナクソス島のアリアドネ」そのもののオペラが上演されます。
 今回は、プロローグ部分だけを小説風に書いてみました。
 
 登場人物
 作曲家  若い男性の設定だが、女性歌手、メゾソプラノが演じる。
 音楽教師 作曲家の先生。
 プリマドンナ オペラ「ナクソス島のアリアドネ」のアリアドネ役
 テノール歌手 同 バッカス役

 ツルビネッタ 喜劇芝居のヒロイン
 振付師    喜劇芝居の振付師
 ハレルキン  喜劇芝居に出る役者(四人)
    
 執事長、カツラ係、将校、召使いなど。
 本編のオペラに登場する三人の妖精役、道化芝居のハレルキン、スカラムッチョたちはプロローグでは舞台上には出ていても歌や台詞はありません。
 作曲家、その先生の音楽教師、喜劇の振付師、プリマドンナ、執事長などは、人名が明らかにされていません。従って、本小説では、作曲家、音楽教師、振付師、プリマドンナ、執事長という表記にしました。

 

 プロローグの舞台
 豪邸の一階または半地下。左右の壁には幾つかのドアがあり、出演者の楽屋、控室があります。花火の入った箱、ピアノなども置かれています。上の階に続く階段やオペラの舞台装置の裏側が見えています。
 時代は17世紀、場所はウィーンと思われます。

 プロローグのあらすじ
 17世紀のウィーン、ある大富豪の豪邸、ここで盛大な宴会を催されます。宴席のあとでオペラが上演され、最後に花火が打ち上げられるという段取りです。ところが、豪邸の主人は、オペラに続いて道化芝居の喜劇を上演しようとしています。オペラの作曲家や出演者はまだそれを知りません。
 ここから騒動が巻き起こります・・・

 台詞と歌唱
 プロローグの台本はドイツ語の散文で書かれています。
 歌唱方法は「台詞に抑揚を付けた歌唱」が大部分を占めています。登場人物の中で執事長は歌わずに台詞を語るだけです。
 なお、本小説では、歌い上げている部分の大部分を台詞として語っているように書いています。

 では、小説 オペラ「ナクソス島のアリアドネ」の始まりです。

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「ナクソス島のアリアドネ」より、プロローグ

 小説 ナクソス島のアリアドネより、プロローグ

 登場人物
 作曲家  若い男性の設定だが、女性歌手、メゾソプラノが演じる。
 音楽教師 作曲家の先生。
 プリマドンナ オペラ「ナクソス島のアリアドネ」のアリアドネ役
 テノール歌手 同 バッカス役

 ツルビネッタ 喜劇芝居のヒロイン
 振付師    喜劇芝居の振付師
 喜劇芝居に出る役者(四人)執事長、カツラ係、将校、召使いなど。

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 ここはウィーンのとあるお屋敷。今夜は大勢のお客様がやってきて、豪華な食事が振舞われ大宴会が催される。当家の主はウィーン随一のお金持ちであり、料理に酒に、はたまた余興にも惜しみなくお金をつぎ込む。ただし、何でも自分の思った通りにいかないと気が済まない性格である。世間では、成り上がり貴族と揶揄され所以である。

 宴会の後にはオペラが上演されることになっていた。その名も「ナクソス島のアリアドネ」。若き作曲家がこの日のために力を注いで作曲した正統派オペラである。
 このお屋敷の一階には広間があり、これまでにもたびたび音楽会や演劇が催されていた。その広間には数日前から、荒れ果てた絶海の孤島、すなわち、ナクソス島のセットが設けられていた。
 さて、お客様たちは広間で宴会の真っ最中であり、オペラの開幕時間がすぐそこに迫っていた。
 舞台裏のオペラ出演者の控室では準備が進められている。そこには楽屋が幾つもあり、ピアノが一台、それに最後に打ち上げれる花火なども置かれていた。
 オペラの出演者たち、とくに、主人公アリアドネ役のプリマドンナは楽屋で念入りなメイクの真っ最中だ。しかし、どう見ても、オペラに出演するとは思えないようなピエロの衣装を着た人や、仮面を手にした人たちが何人もウロウロしていた。

 そこへ当家の執事長が召使いを伴って現れた。今夜の準備状況の確認のためである。執事長は控室への階段をゆっくりと下りていった。その後を追うようにして、六十歳がらみの紳士がやってきた。今宵のオペラの作曲家の先生に当たる音楽教師だ。
「ここにおられましたか、執事長殿、お屋敷の中をずっと探し回っておりました」
「ほほう、何かご用がおありですか」
 呼び止められた執事長は大仰に振り返ったが、音楽教師だと分かると、
「今夜の催し物の準備で、大変に忙しくしております。なにしろ、こちらのご主人様はウィーンで一番のお金持ちでありますから、あれやこれやとお申し付けが多いのです」
 そう言って階段を下りていこうとする。
 音楽教師は執事長が階下に着くや、素早く前に回り込んで押しとどめ、
「一言だけです」
 と切り出した。
「いま聞いたばかりなのですが、それが、本当とは思えないようなことでして、その話を聞いて驚いているところでございます」
「手短にお願いします」
「今晩、このお屋敷で催される祝宴で、私の弟子が作曲家したオペラの後に、まさかとは思うのですが、別の出し物が用意されているとか・・・」
 音楽教師は一言だけでは収まらず、言葉を選びつつ、遠まわしに事実を確かめようとしている。執事長は、そんなことは百も承知だとばかりに打ち上げ花火の入っている箱を覗き込んだ。
「・・・それも、イタリア喜劇のような滑稽な芝居が上演されるそうで、そんなことはあってはならぬことです」
「どうしてですか」
「やってはならぬことです!」
「何ですと」
 執事長は花火の箱の蓋をバタンと閉めた。音楽教師の言葉にいささかお冠の様子だ。衝撃で花火が爆発しそうな勢いに、召使いはもとより、そこに居合わせたピエロたちも何事かと驚いた。
「そんなことは作曲家が許すはずがありません」
「『許す』とは・・・当家のご主人様以外に誰が許すというのでしょうか。そもそも、あなたたちは、ご主人様のお陰で音楽を披露することができるのではありませんか」
「私が申し上げているのは、初めのお約束と違うのでないかということです」
 音楽教師はなおも食い下がる。
「ナクソス島のアリアドネは今夜の催しのために作曲されました」
「その点は、取り決められた報酬と、さらに、幾ばくかの謝礼を添えて、私がお渡しすることになっています。なにかご不満でも」
「お支払い能力のことではありません。ナクソス島のアリアドネは非常に真面目な作品です。上演の仕方も大事なんです」
「しかし、盛大な食事の後で、どのように催されるか、それは当家のご主人様のお決めになることですから」
 執事長は、屋敷の主人が決めたと言いながら、まるで自分が差配しているかのような話し方である。音楽教師はいまにも怒りだしそうな権幕だ。
「オペラを腹ごなしの余興のように扱われるとは!」
「いいですか、食事が終わったら、まず、オペラが上演され、そして9時には花火が打ち上げられる。そこにある花火を盛大に、ドカンと・・・」
 ピエロが『ドカン』に合わせて両手を広げ、舞い上がった花火が広がるマネをした。執事長はいかにもと頷いて召使いに花火を運び出すように指示した。
「その間に喜劇が挟まれたというだけのことです。よろしいですかな。では、これにて失礼いたします」
 執事長は反論を許さず、さっさと階段を上っていった。音楽教師が何か言おうとしたが、花火を持った召使いに遮られてしまった。
 当日の、しかも、開幕直前、予定になかった喜劇が割り込んできた。その分、オペラは上演時間を短くカットしなければならないだろう。アリアドネの歌うアリアを削らせるか、それともバッカスの歌を何小節か割愛するか、どちらにしても、弟子が納得するとは思えない。
「弱ったな・・・弟子の作曲家に何と言って説明したらいいのやら」
 音楽教師は作曲家を説得するため、重い足取りで舞台のセットの奥へと歩いていった。

 今度は、ピンと髭を生やした将校が現れ、お目当ての楽屋の前に立ち止まった。ツルビネッタのいる楽屋である。案内をしてきた召使いが楽屋のドアをノックする。
 ツルビネッタはオペラの後で上演される喜劇の主演女優で、その喜劇の題名は「浮気なツルビネッタと四人の愛人たち」。まさに地で行く逢引だ。
「ここにツルビネッタさんがいらっしゃいます。お化粧もできているかと」
「下がってよろしい」
 将校は召使いを押しのけ、気取った様子でツルビネッタの楽屋へ入っていった。せっかく逢引のお膳立てをしたというのに、すげなく突き飛ばされたとあって召使いは面白かろうはずがない。
「女と見れば見境もないんだから、まったく、とんでもない将校だ」
 そうは言うものの、召使いは将校が入ったツルビネッタの楽屋のドアの前で見張り番をした。知らずに誰かが入ろうものなら、それこそ大騒ぎだ。

 ちょうどそこへ、オペラ、ナクソス島のアリアドネの作曲家が駆け込んできた。こちらは三十歳前後の若者だ。
 作曲家は楽屋の前に立っている召使いを見つけると、
「君、君、すまないが、バイオリンを呼んでくれないか。最終的な打ち合わせをしたいんだ」
 と頼んだ。
「バイオリンは来られませんよ、第一、足がありません。それに、今ごろは人の手に掴まれているのでね」
 召使いが作曲家の言葉を茶化した。
「僕がバイオリンと言ったら、それは演奏家のことだよ。楽器のことじゃないんです」
 作曲家はからかわれているとは知らず、真面目に受け答えした。
「ほほう、それでしたら、その人たちは、これから私が行くところにいるはずです。あなた様とお喋りしているヒマはございません」
「どこですか」
「食堂です」
「なんですって、開演間近だっていうのに、のんびり食事をしているなんて」
「私が食堂と言ったら、それはお客様のテーブルのことです。我々が使う食堂ではないんです」
 召使いは先ほどのバイオリンの一件を見事にやり返した。反対に、作曲家は一本取られたようなものだ。
「お客様の宴席の場で演奏しているわけです」
「それなら、アリアドネ役のソプラノ歌手とアリアの稽古をするとしよう」
 作曲家がソプラノ歌手、すなわちプリマドンナの楽屋と思い込んで、ツルビネッタの楽屋に近づこうとしたので召使いが手を振って制した。中では将校とよろしくやっている最中だ。たとえ作曲家といえども入れるわけにはいかない。
「あなたが話したいというお人はそこにはいません。決してお入りにならぬよう」
「僕はオペラの歌手とはいつでも打ち合わせができるんだ」
 召使いはそれには答えず、ピエロをツルビネッタの楽屋の前に座らせると、エヘヘと笑いながら立ち去った。
「ふむ、僕を一人、ドアの前に置き去りにして行ってしまった」
 作曲家はバイオリン奏者にも、歌手にも会えず、イライラしてせわしなく辺りを歩き回る。
「今夜、いよいよ僕のオペラが上演されるんだ・・・ああ、けれど、まだ直したいところがたくさんある」
 突然、作曲家の頭にメロディーが浮かび、誰に聞かせるともなく口ずさむ。
「♬全能の神よ、ああ、このときめきを~♬」
 メロディーを五線紙に書き留めようと作曲家はポケットの中を引っ張り出したが、紙は見当たらない。
「そうだ、バッカス役のテノールに教え込まなくちゃ。バッカスは神であることを、そして純情な青年であることを」
 作曲家がバッカス役の歌手の楽屋はここだったかなと、ノックしたとたん、内側から乱暴にドアが開けられた。飛び出してきたのは、バッカス役のテノール歌手と鬘師の二人だ。
 バッカスは「こんなものを被らせようというのか」と、カツラを投げつけた。鬘師はそれを拾い上げて「仕事はきちんとやっているじゃありませんか、あなたの怒りやすい気質が問題なんです」と顔を真っ赤にして言い返した。
 オペラのことで頭がいっぱいの作曲家は苛立っている鬘師を呼び止めた。
「何か紙をお持ちではありませんか、いま浮かんだメロディーを書き留めたいんです」
「持ってません」
 バッカスの態度に憤った鬘師は作曲家の頼みに耳を貸している余裕はない。あっさり頼みを断った。
 尋ねる相手が悪かったのだ、またしても一人取り残される作曲家だった。

 なおも、作曲家がせっかく浮かんだメロディーを忘れまいとして反復しているところへ、
「ねえ、将校さん、聞いてよ」
 将校と腕を絡ませてツルビネッタ役の女優が楽屋から出てきた。
 年のころは二十代半ば、コケティッシュな可愛らしい顔立ちのツルビネッタ。髪をきれいに結い上げ、肩や胸が露出した艶めかしい姿だ。
「私たちの出番はオペラの後なんですって。お客さんが退屈したところへ出ていって笑わせるのは大変だと思わない? 」
 ツルビネッタは作曲家の前で立ち止まり、フフッと笑いながら手にしたバラの花で彼の頬を撫でた。
「うまくやれるかしら、私たち」
 年かさの将校と楽屋で逢引をしておきながら、作曲家をそれとなく誘惑する。これこそ浮気なツルビネッタの本領発揮というところだ。
 純情で直情的な作曲家はたちまち、この可愛い娘の魅力のとりこにされてしまった。後ろ姿をボーっとして見送っている。しかし、彼女はオペラの出演者ではないと気が付いた。名前を知りたいが、さて、誰に尋ねよう、うろうろしていると、舞台セットの陰から出てきた男がいる。ツルビネッタに会釈しているこの男は喜劇の振付師だ。
 そうこうしていると、楽屋のドアが開いて作曲家の先生である音楽教師が現れた。背後からアリアドネ役のソプラノ歌手、すなわち、プリマドンナが顔を出して、「伯爵様を呼んでくださいな、今夜の催し物のことでお願いがあるんです」と言った。このプリマドンナは何かにつけて伯爵の権威に頼ろうとしている。

「あの娘は誰ですか」
 作曲家が音楽教師をつかまえて尋ねると、あれはツルビネッタだよ」という返事が返ってきた。
 ツルビネッタ? その名前には心当たりがない。
 当のツルビネッタは喜劇の振付師と一緒に階段の踊り場から作曲家を見下ろした。
「オペラの後に出ていって笑わせるのは大変よ」
「何も難しいことではないですよ。オペラは退屈この上ありません。私の方がはるかに楽しませるアイデアを持ってます」
 喜劇の振付師は踊り場の手すりに片足を乗せておどけて見せた。
「誰なんですか」
 ますますツルビネッタのことが気になる作曲家だ。
「気に入ったかね。ツルビネッタは、今夜、オペラの次に舞台に上がることになっている。ツルビネッタが主役の喜劇さ。男たちが彼女を取り巻いて、口説いたり、ケンカしたり、面白おかしく踊ってみせるそうだ」
 作曲家が何度も尋ねるので音楽教師は思わず、オペラの終演後に別の出し物が上演されることを言ってしまった。しかも、歌や踊りのある陽気な喜劇であることまでも。
「なんですって!」
 これが驚かずにいられようか。この日のために作り上げた神聖なオペラの直後に、あろうことか喜劇が上演されるとういうのだ。
「僕のオペラの後に別の劇だなんて・・・面白おかしい、滑稽な踊りですって。嫌です、絶対」
 音楽教師が落ち着かせようとしたが、作曲家はどんどん頭に血が昇る。
「喜劇だなんて、そんな薄っぺらなものでは、アリアドネにおけるテーマが、人生の永遠のテーマが遠ざけられてしまう・・・もしかして、先生は、このことをご存じだったのですか」
「さっき聞いたばかりで驚いているんだよ。だがな、私は君よりもずっと年上だ、世の中の処世術だって心得ているさ」
「僕の神聖なオペラの世界と、汚れた世界の間に橋を架けようとしているようではありませんか。これがメセナの正体だというのか。こんな世界では、もう何もメロディーは浮かばない・・・メロディーが・・・」
 作曲家は悲嘆にくれて頭を抱え込んだのだが、すぐさま思い直し、今度は明るい笑顔を見せた。
「そうだ、メロディーが浮かんだんだ・・・召使いに腹を立てたとき、それに、バッカスがカツラを投げ捨てたときにも。この世のものとは思えないような美しいメロディーが。こうです、先生、聴いてください」
 そう言って作曲家は胸に手を当てて歌い出した。
「♬ヴィーナスの息子よ、憧れと甘い調べを与えよ
  ラララ、ラ~ララ。我が若き心、我が望み。
  男の子、全能の神、あーああ~♬」
 美しい調べに音楽教師も思わず聞き惚れている。
 歌い終わると、作曲家は五線譜を受け取ってさっそくメロディーを書き始めた。彼を励まそうと、ピエロや道具係たちも作曲家の周りに集まってきた。
 ところが、みんなが作曲家に注目しているので、この場の主役は自分だと言わんばかりにツルビネッタが仲間に声を掛けた。
「ほらほら、みんな、私の鏡と頬紅と、口紅を持ってきて」
 喜劇に出演するハレルキンたち四人が鏡や口紅を手にして、ツルビネッタのご機嫌を取ろうとする。音符を書き込んでいた作曲家はツルビネッタのことが気になって集中できなくなった。楽譜とツルビネッタを交互に見ている始末だ。
 そこへアリアドネ役のプリマドンナが姿を現し、
「早く伯爵様を呼んで・・・」
 と、言いかけたが、目の前には派手な衣装を着たハレルキンやピエロが跳ね回っているではないか。
「この人たちはいったい何者なの。だから、伯爵様を呼んでください、伯爵様を・・」
 それを遮るようにツルビネッタが割って入った。
「オペラは退屈なんでしょう、それなら、私たちを先に出してくれればいいのに。不機嫌になったお客様を笑わせるのは難しいのよ」
 これを喜劇の振付師が愉快そうに囃し立てる。
「難しいことはありません。お客様は食事の後で眠くてしかたない。オペラを観ても拍手はお義理程度。ふと目が覚めて、次は何かなと思いつつプログラムを捲ると、
『浮気なツルビネッタと四人の仲間たち』
 明るいメロディーに、分かりやすいストーリー。これこそ、こちらのお芝居です。お客様は、これは面白いと身を乗り出して劇を見る。そうして、帰りの車の中で覚えているのはツルビネッタの踊りだけと、そういうわけです」
 振付師に合わせてツルビネッタと四人の仲間は、ステップしたり、ターンしたりと盛り上げる。プリマドンナは目を回してひっくり返りそうになった。音楽教師が彼女を支えて椅子に座らせた。
「あんな話に怒ってはなりません。今夜の主役はアリアドネですぞ。それを歌うのはあなたです。お客様は玄人の通の方々、その前でアリアを歌い上げるのです。明日になれば、街中どこでも、アリアドネの素晴らしい歌声で持ち切りになること、間違いありません」
 あなたこそ今宵の主役と説得されてプリマドンナは納得の表情だ。

 オペラと喜劇の出演者たちが、やれ退屈だ、いや、オペラこそ今夜のメインだと、お互いに競い合っているところへ、再び屋敷の執事長が姿を現した。オペラ歌手と喜劇の役者たちは勢ぞろいして執事長を出迎えた。
「当家のご主人様から至急のお言いつけがあります」
 執事長がおもむろに切り出した。いよいよ開演だと思った音楽教師は、位置について、と号令を掛ける。
「お任せください、オペラは三分後には始められます」
 執事長は「喜劇の振付師はいますかな」と、ぐるりと見渡した。慌てて振付師が前列に飛び出した。
「みなさん、揃いましたかな。さて・・・当家のご主人様は、今夜の催し物について、急遽、お考えを変えられました」
 考えが変わった・・・そう聞いて、誰もがギクリとした。
「プログラムを変更していただきます」
「変更? この期に及んで何と言うことを仰るのですか。オペラは準備万端です」
「変更は大歓迎。オペラよりもツルビネッタが先に舞台に出るのでしょう」
 音楽教師と振付師が同時に声を上げた。
「いいや、そうではなくて、喜劇は後でも先でもありません・・・つまり、オペラと喜劇を同時に舞台で演じていただきます」
 屋敷の主人からの伝言とは、オペラと喜劇を同時に上演するということだった。
 執事長の口からそれを聞いてその場は大騒ぎになった。
 音楽教師が「同時にですって」と声を上げれば、プリマドンナはまたも「伯爵様を」と金切り声を出す。テノール歌手は「主人は頭がおかしくなったんじゃないか」と詰め寄り、ツルビネッタは「急がなくちゃ」と化粧道具を手にしてそわそわし出した。
 作曲家は呆然として椅子に座り頭を抱えた。
 執事長はみなが慌てふためくのを面白そうに見ている。
「これがご主人様からの言づてです。二つの出し物をどのように演じるかは、みなさんにお仕事です」
「我々の仕事ね」
 音楽教師は力なく肩を落とした。
「まさにその通り。ご主人様はあなた方の技量を高く買っておられる。歌手と役者が総出演し、音楽もそのまま使って、悲劇と喜劇を一緒に見てみたいと仰っているのです。そのうえ九時には花火が盛大に打ち上がりますので、時間ピッタリに終わらせていただきたい」
 作曲家は「ああ、悪い予感が的中してしまった」と自嘲気味だ。さらに執事長が追い打ちをかけるように言った。
「ご主人様は何事も自分の指図の通りにおこなわれることを望まれています。実を申せば、この数日間というもの、大変ご不興でおられます。というのも、お屋敷の中に荒れ果てた孤島の舞台セットが設けられたのですから。そこで、陽気な喜劇の出演者が島に現れて楽しくしてもらいたいと願っておられるのです」
 執事長は「みなさん、急いで取り掛かってください」と言い残して帰っていった。

「聞きましたか、さすがはご主人様。絶海の孤島など、このお屋敷には悪趣味というものです」
 振付師はもっともだと言わんばかりの表情だ。すると、作曲家は、
「これは人間の孤独の象徴なんだ」
 と、声を絞り出して言った。
「海と・・・岩と、そして木々、それだけでいい。そこに人間が現れたらオペラが台無しだ」
「でも、今のままではお客様は退屈で眠りこけますぞ」

「これは如何したものか・・・」
 音楽教師は何とかできないものかと腕を組んで考え込んだ。
 ただでさえ、オペラの後に喜劇が上演されることになって、アリアの一部をカットしなくてはならない。そこへもってきて同時に上演するとなると、オペラのどの場面に喜劇を割り込ませたらいいのだろう。そもそも、作曲家が同時に演ずることなど承諾するとは思えない。
「ああ、せめて二時間あったら、何とか解決策を講じるのだが」
「解決策などあるんでしょうか。先生、もうここにいても仕方ありません。帰りましょう。失うものなど何もないんです」
「君はそう言うが、当てにしていた多額の収入はどうするんだ」
 オペラを中止しようものなら数か月分の収入が入ってこなくなるのだ。途方に暮れている音楽教師に比べ、喜劇の振付師はいたって元気だ。
「二つの出し物を同時に演じるという提案、そんなに難しく考えることはありません」
 と、音楽教師に進言した。
「君は二つのものを同時にできると言うのかね」
「簡単ですよ。オペラは長すぎる。死ぬほど退屈だ。冗長な部分をカットして、そこへツルビネッタの一座が入り込めば、両方ともうまくやれるんじゃないですか」
「長すぎるとか、退屈だとか、あんまり大きな声で言わないでくれ、作曲家が本当に自殺しかねない」
「作曲家の彼に尋ねてください。このままオペラが日の目を見ないでお蔵入りになってもいいのか、それとも、ちょっと短くしても今夜ここで上演する方がいいのか」
 うなだれていた作曲家が顔を上げたものの、「ダメだ、楽譜は火にくべた方がいい」とまた肩を落とした。
「誰か、彼に五線譜と赤鉛筆を渡してあげて・・・諦めるのは早すぎますよ。我々が尊敬する大作曲家ですら、最初の作品を上演する時は大変な苦労があったんです」
「先生、振付師の彼が言ったことは本当でしょうか」
 作曲家は諭されて、やや前向きになってきたようだ。
 振付師は音楽教師を呼び寄せ、
「彼がちゃんとカットするようアドバイスしてあげてください。こっちはツルビネッタと相談してきます。彼女は自分自身のことを演じるだけですから、造作もありません。仲間たちがアドリブで合わせるでしょう」
 と言って、ツルビネッタと手筈を相談し始めた。

 作曲家が譜面を捲って、どうしたものかと思案していると、オペラの出演者、アリアドネとバッカスがやってきた。
 アリアドネ役のソプラノ歌手が「バッカスの方をカットするように言ってください」と音楽教師に囁けば、バッカス役のテノール歌手は「アリアドネの歌をバッサリ削ってください。あの女がキイキイ歌うのは辛抱できない」と、音楽教師に耳打ちする。
 双方から注文を付けられた音楽教師はテノール歌手に対しては、
「ソプラノのアリアは二つカットさせます。でも、このことは黙っていてください」
 と言って安心させ、返す刀でプリマドンナに向かって、
「バッカスの歌を半分に削るように指示します、でも、知らんふりしておいて」
 と、言い含めるのだった。

 一方、振付師とツルビネッタはオペラのストーリーについて話し込んでいる
「アリアドネというのは王女でして、テセウスと駆け落ちしたのですが、ナクソス島に置き去りにされてしまうというのがオペラの筋書きです」
「結局はうまくいかない、得てしてそういうものなの」
「彼女はテセウスを慕い、死を願うんです」
「死を願う・・・そうは言っても、つまり、別の男が欲しいだけよ」
 二人の会話を聞き付けた作曲家は、
「違う! 」
 と叫んだ。
「彼女は生涯、一人の男性だけを慕い、その後は死ぬことしか思わないんだ」
「でも、死は来ないわよ。代わりに来るのは、あなたみたいな青白い顔をした誰かさんでしょう」
 ツルビネッタがサラリとかわした。音楽教師も、「来るのは若い神バッカス」と言い添えた。
「ほらね、ちゃんと次の恋人が現れるのよ」

 音楽教師と振付師がひそひそ話しを始めた。
 作曲家がこのピンチをどのように乗り切るか、まさしく彼の将来の分かれ目だ。屋敷の主人から無理難題を押し付けられたが、誰も、この場でオペラがお蔵入りになったりすることは望んでいない。言い付け通り、喜劇と一緒に上演したい。これまでの経験からいろいろとアドバイスはしているが、最後は作曲家自身の決断に掛かっている。
 そしてツルビネッタこそ、彼の力になると・・・
 作曲家とツルビネッタの二人きりにしておくために、彼らは、テノール歌手たちを誘って楽屋の中へ姿を隠した。

 しかし、ツルビネッタと二人になった作曲家は遠くを見やり、思いつめた様子で考え込んでいる。
「彼女はバッカスを見て、死をもたらす神だと思った・・・彼女の瞳にはそう映る、それだから、死ぬためだけに・・・バッカスの船に乗る・・・いや、本当に死ぬんだ」
「あなたは女性のことを良くご存じなのかしら? 疑ってしまうわ」
「アリアドネはあなたとは違う。生涯、一人の男性を慕い続けるのだ」
「子どもみたいなことを言うのね」
 ツルビネッタは頑なに思い込んだ作曲家に半ばあきれ顔だ。
「ハレルキン、スカラムッチョ、みんな聞いてる? 」
 クルリと向きを変えて舞台セットの裏に隠れていたハレルキンたちに早口でまくし立てた。
「いいこと、私たちは「ナクソス島のアリアドネ」というオペラの中に割り込むのよ。ストーリーは、ある王女様がいて、恋人に捨てられ、島に置き去りになったんだけど、次の男性はまだ現れない、そんな話ね。私たちは偶然、絶海の孤島にたどり着いたってことにしてさ、陽気に騒ぎましょう。私が合図するから、そのタイミングを逃さないようにしてね」
 オペラと喜劇をまとめて上演するというのだから、ツルビネッタたちは舞台に飛び出すタイミングが大事だ。ハレルキンたちはツルビネッタの話に、承知したと囁き合って舞台セットの背後に引っ込んだ。

 作曲家は陶酔したようによろめきながら呟く。
「アリアドネは死に身を委ね、もはや存在しないんだ。変容の秘儀へと身を投じ、新しく生まれ変わる。そして、再び蘇り、バッカスの腕に再生する・・・これ以外、どうやって神になれるというんだ」
 そこで大きくため息をついた。
「ああ、僕も生きてはいられない、ひと時も堪えられない」
 ツルビネッタは忍び足で彼の側へ駆け寄り、
「そこに私が入っていったら、いけないかしら」
 と言いながら、作曲家の肩に手を置いて寄り添った。ツルビネッタに見つめられ、作曲家は動揺した。
「ああ、こんなひと時に、いったい何を仰るのですか」
「このひと時はすぐに消え去ってしまうけれど、眼差しは多くを語る。そう思わないかしら」
「その眼差し・・・あなたの瞳」
「男たちは私のことを良く知っていると思いこんでいる。そりゃあ、舞台の上ではコケティッシュに演じているけれど、心から演技しているんじゃないわ。本当の私は、寂しがり屋なの・・・」
「なんと可愛い娘なんだ」
「バカな女って言ってちょうだい。私は自分だけを一筋に思い続けてくれる人を待っている女よ」
「ツルビネッタ、あなたには純粋な人だ・・・」
 作曲家がツルビネッタの手を握り引き寄せた。
「このひと時を忘れられようか」
「・・・ああ、もう行かなくっちゃ」
 ツルビネッタは作曲家の手を振りほどいて歩きだした。

 開幕の時間が迫っている。これ以上、お客様を待たせるわけにはいかない。音楽教師が出演者たちを呼び集めた。
「みなさん、用意はいいですか。アリアドネ、ツルビネッタ、スカラムッチョ、ハレルキン。ステージへ急いで」
 音楽教師の掛け声で、オペラに出演するアリアドネ、三人の妖精、それに喜劇に出てくるスカラムッチョやハレルキン、ピエロたちが一斉に楽屋から出てきた。
「まあ、なんということよ」
 プリマドンナが目の前で動き回るハレルキンやらピエロを見て目を剥いた。
「私がこの人たちと一緒に舞台に出るなんて、お断り」
「冷静に」
 音楽教師がなだめに掛かる。
「舞台へ出ないよう追い払ってちょうだい」
「落ち着いてください。あなたと彼らの間には、実力差に大きな隔たりがあると思いませんか」
「隔たり・・・それどころか、世界が違うのよ」
「おっしゃる通り、それを舞台上で示す絶好の機会なんです」
 プリマドンナは大げさに頷くと、ドレスの裾を翻して三人の妖精とともに舞台へと向かった。

「先生! 僕は決断しました」
 作曲家は楽譜の束を抱きしめて叫んだ。
「この世の生きとし生けるもの、その存在は限りない喜びに溢れている。詩人は言葉でそれを讃える。僕は音楽で、人間を、そして愛を讃える。ああ、勇気が湧いてきた」
 音楽教師は作曲の肩を抱いて、そうだと励ます。これでオペラは上演できる。
「音楽とはいったい何でしょう。音楽は全ての人に愛を、生きる勇気を与える。そうでしょう、音楽こそ、この世の中で最も優れた神聖な芸術なんだ・・・・」
 作曲家は楽譜を天に向けて掲げた。ツルビネッタと心を通わせたことで作曲家は目覚め、オペラを上演したいという気概が燃え上がってきたのだった。
 ところが、作曲家が一人陶酔の世界に浸っていると、スカラムッチョやハレルキン、ピエロや仮面を被った怪しげな連中が飛び跳ねたり、駆け回りだした。
「みんな、僕の神聖な場所で何をしているんだ」
 作曲家はたちまち現実の世界に引き戻された。
「君はそれを認めたんじゃなかったのか」
「ああ、こんなことなら、いっときと雖も心を許すのではなかった。こんな現実には堪えられない・・・死んだ方がマシというものだ」
 作曲家は頭を抱えて駆け出していった。

   プロローグ 終わり

あとがき

 プロローグに続いて「オペラ本編」が上演されます。
 オペラ本編を簡単に紹介します。
 幕が開くと荒れ果てた島で、大きな岩屋があります。アリアドネが眠っているところへ三人の妖精が現れます。ここで、アリアドネは「全ての物が清らかな国がある」という長いアリアを歌います。そこへ、ツルビネッタの一座が割り込んできます。ハレルキンたちはツルビネッタの気を引こうとし、道化師たちは大道芸を披露したりと大騒ぎになります。それがすむと、ツルビネッタが「偉大な王女様」のアリアを歌います。これがまた歌手の技量、技巧の見せ所で、終わったとたん拍手喝采となります。そこへ、妖精がバッカスの到来を告げ、アリアドネとバッカス、それぞれのアリア、二重唱となって幕が下ります。

 今回の小説では、プロローグのみで、オペラ本編は取り上げませんでした。
 と言いますのは、ナクソス島のアリアドネは演出が可能なオペラで、プロローグ、本編とも一定のスタイルがないのです。演出とは、音楽と歌詞、台詞はそのままで、時代や舞台の設定を変えることです。読み替えとも言われます。

 通常の演出では、プロローグの出演者は、男性は長めの上着、執事はカツラを被るなどして、いかにも17世紀の雰囲気を醸し出しています。オペラ本編は絶海の孤島の舞台装置が作られて、ギリシャ神話をイメージした神々の衣装を着ています。
 これをそっくり変えてしまいます。
 私がDVDで見たもので、プロローグは緞帳幕が下がっているだけで出演者は幕を出入りするだけという演出でがありました。この演出では、本編のオペラは、レストランが舞台となり、そこにやってくるお客さんの人間模様が描かれています。本編のオペラは、通常のオペラとしては上演されないわけです。とはいえ、音楽、歌唱は原作通りなので、結果的には「本編のオペラを上演した」ことになります。
 他には、ナクソス島がハワイのようなリゾート地になり、出演者はアロハを着て、アリアドネはテラス席でグラスを傾けていたりする演出も見られます。

 オペラには時代や背景を替えて演出できる作品と、原作に従って上演することの多い作品とがあります。ワーグナーの「ニーベルンゲンの指環」は演出可能、ヴェルディの「アイーダ」は演出には不向きと言えます。
 ニーベルンゲンの指環では神々がジーンズを履いていたり、ワルキューレがナース姿で登場したり、ジークフリートでは軍用機が置かれた演出もありました。
 モーツァルトの「フィガロの結婚」は演出が可能で、貴族たちが現代のスーツ姿で登場する舞台もあります。
 歌舞伎では、台詞と下座音楽をそのままで、大星由良助がスーツを着たり、助六がジーンズ姿で新宿三丁目で暴れるなんて想像できません。

参考資料 日本語訳の冊子、字幕などを引用しました。
CD  1986年 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 Grammophon
DVD 2003年 メトロポリタン劇場オーケストラ Virgin
DVD 2006年 チューリッヒ劇場オーケストラ DENON 

小説 オペラ「ナクソス島のアリアドネ」

小説 オペラ「ナクソス島のアリアドネ」

オペラを小説に仕立てたものです。

  • 小説
  • 短編
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-10-11

Copyrighted
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Copyrighted
  1. 前書き
  2. 「ナクソス島のアリアドネ」より、プロローグ
  3. あとがき