恋した瞬間、世界が終わる 第6部 赤い星

恋した瞬間、世界が終わる 第6部 赤い星

第6部 赤い星 編

第39話「透けたカーテン」

第39話「透けたカーテン」


 ある頃から、わたしは
 「アリュール」を身につけることをやめました


わたしに訪れた変化は、性格すら変えました

それはココとの別離を招くことになりました


GIとの密な関係があったのです



高級クラブの客足は「新型マナヴォリックウィルス」の影響をあまり受けることはなかったです。
もともと、個室がメインの職場環境で密になることはありませんでした。
感染対策はされていましたが、結局、会員制という信頼関係の基盤の元で行う商売です。
売り上げの低迷もなく、わたしの業界は延命されたのです。

その日、ココは用事のため職場を休んでいました

わたしは出勤日だったので、いつも通りクラブの開店準備を手伝っていました。
本来、開店準備はボーイの仕事なので携わる必要はありません。
ですが、わたしの戦略がありました(というと聞こえは悪いのですが)。
開店準備の段階で何をどこに置いて、自分をどう引き立たせるか。
その微調整がわたしの売り上げを伸ばす手段にしていたのです。
これは、わたしの発見でした。

ママやココには“目をつぶってもらった”というよりも、
たまたまわたしが微調整した花の生け方が彼女たちに好評でした。
素質を買われたわけです。

「あなたが生けると、魅せているものの本体がこの場の何処かにあって、
 それを探し出してみたいと思う気持ちを引き起こすように感じるわ」

これはママが云ったことですが、
来店されたお客様からも好評を得ているとの理由が大きなものでした。

わたしは、花を活かしたのか
それとも、花の香りの先を示したのか


GIからも好評を得ました

「これを生けたのは、ママではありませんね?」

お客様を迎い入れる花を生けるのはママの仕事でしたが、
それがわたしの仕業であることに自ら気づいたお客様はGIが初めてでした。

「あの女性ですか」

ママが嬉しそうに、わたしの仕業だとGIに伝えた後、そこから密な関係が始まったのです。
すでにココを交えての接客で面識はありましたが、その場限りで終わる会話にしか至らないお客様でした。
それが変わったのが、その時でした。

ココが休みだった為、わたしが接客をしました。
なぜ、ココが休みの日にGIは来たのでしょうか?


ママは云いました

「今日はココが居ないけど
 GIは、あなたを指名してきたのよ
 花を生けたあなたの素質を一番に見つけたのは
 GIなのかもしれないわ」

わたしは個室で接客をしました。
そこは特別な個人を招く個室になっていました。

「あの花を生けたのは、どのような理由で?」

わたしはGIの飲み方をすでに覚えていました。
指示なく置いても支障のない面識にはなっていたのです。

ただ、その日はグラスに注いだ氷の量を誤ったのです

「理由…ですか」

わたしの手元が狂い、普段よりも多く氷を入れてしまいました。

GIが手元に置いたグラスを手に取ろうと飲み口を探したとき

「あっ! ごめんなさい!」
 
わたしの手がGIのグラスへと伸びました

しかし、GIの動きに無駄はなく。
すでにグラスを左手で掴み上げていました。

掴み上げていたグラスに、わたしの手が当たり。
GIの左手からグラスが離れ、テーブルの上で転がりました。

わたしは慌てて、GIの高級なスーツに飲み物が掛からないようテーブルの端におしぼりを当てました。
おしぼりを当てたわたしの手の先に、GIの右手が重なりました。

その感触には、暖かみを全く感じませんでした

得体の知れない手に触れてもわたしは驚くことがありませんでした。
そして何故か、わたしはその右手に触れた自分の手を離さないまま手を重ね合わせていました。
GIの香水の落ち着き払った官能的な匂いが、この場で、わたしに作用していたのです。

わたしは、GIの青い眼に心の動向を覗かれているように感じました

眼と眼を合わせてしまったら、わたしはそのまま身を委ねてしまう。
そう感じて、女としてホステスとして、最後の一線を引く意識が働いたのでしょうか。
薄いカーテン1枚を引いて自我を繋ぎ留めることに集中しました。


「あなたをもっと、知ってもらいなさい」


ーーあっけないものでした

そのたった一言が啓示となって、わたしの奥を喚起しました

GIは、わたしの薄いカーテン1枚を撫でるかのように払い除けたのです

わたしの眼は完全にGIの下へと連れ出されました

自分の無防備な手は、GIの膝へと置くように動き。
そして、わたしは腰をくねらせ、宗教的な意味合いの産物のようになり。
その行為が意味を持つように動かしました。

「…わたしを知って下さいますか?」

女でしかなくなったわたしは、自分が身につけた香水の匂いが邪魔になりました。
“アリュール”は、その瞬間で不必要なものに変わりました。
GIの言葉は、わたしの奥深い欲求を表面化させて、匂いとして解放させたのです。

メトロポリスの悪魔が、わたしの全身を覆っています

それが、黒い衣を着させるのです



明くる日、わたしはココとの共同生活へ戻ることはありませんでした。



 

第40話「SNS -星が視ていた-」

第40話「SNS -星が視ていた-」


 それは、「赤い星」

 あなたの行動を変えてしまうものーー


夢のようだった


長い廊下の先に見える、落ち着いた空間
薄明の中で、シルエットが見えて
通り交わす人々がすれ違い、行き違い、瞬間瞬間に形を変えてゆく
CGではなく、ARでもなく
何次元かわからない
うねり、飛んで、調が変わり
歩いている私は、わたしであり
時に想像すると、スターウォーズのような世界に変わり
私が選んでゆく世界は、何かの中にある


「何よりも、記憶を信じる」


波形が変わってゆくのが見える

時間軸の鼓動に、共鳴するように



トンネルの中だ
暗い、暗い
最近ようやく、足元だけ照らされた
先の方はまだ見えず
足元だけを見つめながら
進んでいるのか? 
わからずに
抜け道を目指して
いろんなことが心に
押し寄せた
涙は、暗闇では見えない
人目につかず、気づかれずに
スポットライトは、足元だけ
私の役は何だろうか?と考える

そこに

魔法のような ふりかけ
粉末がカラフルに
星のかたち 虹の流れで注ぐ
音のような粒子で
自分の居場所に掛けてくれたら

「ああ、それは花火のようだね」

ネオンライト

飛び降りる時に見えた
夜景の美しさ
星のかたち 虹の流れで注ぐ
音のような粒子で
地面に向かう
アスファルトへ
裂け目に見えた
何か降り注ぐ、綺麗なもの
夜景の美しさ
ネオンライト

「ああ、それは花火のようなものだね」


あの日、天気は、晴れだった

朝日が射し込むアスファルトに、血しぶきの彼がいた
砕かれた骨 彼が飛び降りる時に見たものは昨日だけの出来事になり
きらきらと、朝日の粒子がアスファルトから立ち昇る
包むように、迎えられた優しさのように
言えなかった言葉で返してくれたように
送ること

そこに、花が開いた


それは、あの女の子が「タンポポ」と言った
記憶の底から飛び出てきた花



もっと広く 今よりも  感性を広げて
   
    捉えれる認識を この手にするまでは


ーー携帯電話の着信音が鳴った

母親からだった

「あんた、どこに行ってるの?
 遅くなるのかい?
 たまには帰って来なさい
 みんな、待ってるよ」


昔のメールだと分かった

だってもう…


永遠に回る 届かなかったメール

なぜ、手元に今は亡き携帯電話があるのか?
そして私はいま、何処にいるのか?

私の画面に映っていた世界は、何処へ行ったのか?



私の意識が蘇るように、浮かんでくるーー



(猶予の3日目)

ーー夢を見た

それは、私が見てきた夢の距離を近づけるものだった

どこか未来の、どこかの時間、どこかの人へと繋がるような感覚だった
カーテンの先に居たのは、女性だった

顔は分からなかったけど何処かで会ったことがある

それが、私の(猶予の3日目)の選択に
重要な“誰か”であることを訴えているようだった

未来の誰かと、過去の私とが
影響し合っているような感覚だった


3日目の朝は、道の駅の駐車スペースで目が覚めた

トイレを済ませ、缶コーヒーを買いに自動販売機へ
砂糖たっぷりのものを選んだ
舌に残る甘さに不思議なコクを感じる朝だった

爽やかな朝だったが、白い霧がでていた
レースのカーテンよりも濃く、濃霧になって
見ているものを、より遠く視せるように景色に掛けている

白い霧が何かを訴えるように視界の中で動いていた
昨日の夜、ずいぶんと長い距離を走行した
眼の疲れが残っているのだろうか
辿り着いたのは、よく知らない場所だった
午前6時頃の平地と標高差がある場所での朝だった

よく知らない土地の朝は、神秘的なものだった


「mira」は英語の「miracle(奇跡)」でもある

ミラジーノとの旅は今日で最終日になる
考え事をするために、車を運転した3日間

次の仕事はどうしようか?
結局、考えずに3日間を過ごしていた
またパソコンの前に戻って、狭い世界で生きようか?

私が感じる懐かしさは、人生のうちの一時(いっとき)を
パソコンの画面上で奪ってきたのだろうか

「3日間あれば、人は変われる。」
と、本当に思っていたんだ

でも、自分の感情を纏め上げることができずにいる
コロコロと変わる天気のように
誰かの面影ばかりを追いかけていただけ


決して、暖かくはない
身体は冷えたままで変わっていない

昨日見た、『赤い星』は何だったのだろうか?

私は暖めたかったんだ
今はただ、冷え切った身体を機械的に
機械的な温もりで暖めるしかないんだ

車のキーを回した
期待を持たせるように、ほんの一瞬だけ動いて、赤ランプが点いた
エンジンの掛かりは悪いままだ

赤ランプが怪しく光る
昨日、眼に飛び込んできた星は何だったのだろうか?

もう一度、車のキーを回した
ゆっくりとした鈍い反応でエンジンが掛かった

バックミラー越しに『赤い星』が映った

 
 星が視ていた


ーーその瞬間、その時へと戻ってみるかい?



見ていたであろう夢を思い出した

いつの間にか失ったことが
頭の中で居場所を作り
路頭に顔を出す

本当のことを見つけたい

知りたい
生きていることが
忘れずに
生きていたい




 

第41話「“新”淵、オートクチュール」

第41話「“新”淵、オートクチュール」

 
 冷たさが脳内まで響いて
 わたしと彼の距離を遠く隔てたまま

 遡る記憶の川は深(“新”)淵へと達す


深淵とは、深い淵や水の深く淀んだ場所を指す語。英語の“abyss”に対応する。 新共同訳聖書では創世記に登場する単語テホムの訳語として用いられている。
フレッド・ゲティングズ著『悪魔の辞典』によると、悪魔学においては「進化の終着点」を意味し、すなわち人間の行き着く最後の未来を意味する。
(ウィキペディアより)



あの右手。
わたしを狂わせた右手。
あの夜、わたしが暖めようとしたもの。

でも、暖まることはなかった

わたしはあの夜、彼の身体を受け容れ、
確かな“熱”を感じた。
感じたと思う。

青い眼

わたしを見て、
わたしの野心を。

黒い種子

GI



あの夜に、確かな調和があったのでしょうか

“新”淵の中に、確かな一音が落とされたと、
わたしは思うのです。

涙(Lagrima)がーー


GIは、ある時、
わたしをマンションの地下へと連れ出しました。

GIがわたしをエレベーターに案内した後、階数ボタンをある順番に素早く押したのです。
エレベーターの階数表示が下へと向かっていき、そのまま見知らぬ階数を表示しました。
わたしは、地下に教会のような場所があることを初めて知りました。

GIはその時、右手でわたしの手を取っていました。

ある光度を失ったであろう空間に、高い天井があり、大きな柱が何本も見えます。
ステンドグラスから光が射し込んでいるのですが、一体、何処からの光なのでしょうか?
見上げると、チャペルにはキリストではない人物象が描かれていました。
その周囲には巨大な原石や、イビツな形の黒光りした石が散在しているように見えます。
ただ、それがすぐに何かの意味を持つ位置関係であることに気づいたのです。
GIは教会の祭壇までわたしを案内をすると、そこには大きな丸い鏡と、黒いドレスが置かれていました。

鏡の前で、GIは黒いドレスをわたしの身体に合わせて広げました。

「デザイナーにオートクチュールの衣装を作らせた」

※オートクチュールとは、パリ・クチュール組合加盟店で注文により縫製されるオーダーメイド一点物の高級服やその店のこと。
(ウィキペディアより)

シャネル らしい、シックなデザインではあります。
修道女のドレスの雰囲気を何処かで感じもします。
素材に触れると、上質なものであることがよく伝わってきます。
胸元は開いていないのですが、襟の絶妙なカットがエレガントさの中の官能を覗かせています。
腰回りからヒップのラインが印象的で、詰め方に独特な拘りがあるように感じます。
女性的な線をどのように際立たせるかを追求しているかのようです。
そして、何処か支配的な佇まいの衣装といった印象を与えます。

ーーこれを着てしまうと、本当にわたしが別な何かになってしまう

そんな非日常側への越境を予感させるのです

一体、これはどれほどの値段がするものなのでしょう…?

以前、オートクチュールについては高級クラブで働いていた時に聞いたことがありました。
そのため、わたしのような一般市民が着用して良いものなのか…。

GIが語るところによると、
衣服の中にも思想は宿っているようです。

「これを作った女性は、若いデザイナーだ
 20代の若さでシャネルの専属デザイナーになった」

「ココ・シャネル…」

わたしは、ココのことを思い浮かべました

「それは、まだプロトタイプのものだ
 君が選ばれたとき、君のための物になる」

わたしの中にはもう、ココは居ない、この人、GIの為に生きている

「君がいつか、広い世界へ行けるように」

そう云って、GIは右手でわたしの頬に触れましたーー



大きな丸い鏡に映ったわたしは、多分、笑みを浮かべています

後ろでは、GIがクリムトの絵画“接吻”のように、頬に口づけをするのですが

煌びやかなものはありません

増幅するような黒い霧の中で、黒光りした何かと愛し合っています


 冷たさが脳内まで響いて
 わたしと彼の距離を遠く隔てたまま

 遡る記憶の川は深(“新”)淵へと達す


深淵とは、深い淵や水の深く淀んだ場所を指す語。英語の“abyss”に対応する。 新共同訳聖書では創世記に登場する単語テホムの訳語として用いられている。
フレッド・ゲティングズ著『悪魔の辞典』によると、悪魔学においては「進化の終着点」を意味し、すなわち人間の行き着く最後の未来を意味する。
(ウィキペディアより)

第42話「SNS -許し、そして、愛し直す-」

第42話「SNS -許し、そして、愛し直す-」


ーー落ち葉が敷き詰められた地を歩く

鮮やかさの中で、枯れてゆく
逆光を浴びて

奥行きが増して
私の背後を暗くする


憎しみがあった
不満があった
愛していた
行き違いがあった
タイミングが合わなかった
もっと話したかった
もっと会いたかった
共に、人生を歩みたかった

私は、私を
私は、私のかつての選択を許していなかったのだ



こんなことは、二度とない
こんな人には、二度と出会えない

消えてしまった


二度目があると思えるかい?
そんな嘘のようなこと、信じられるかい?
でも、どうしようもなく引っかかって

抜け出せない

だから、彼女は消えてしまった
もういない
もう現れない
自分に言って聞かせてみた

でもダメだった

だから、彼女は消えてしまった
もういない
もう彼女は現れない
自分に言って聞かせてみた

でも無駄だった

彼女に自分の希望を託してしまった

必要な分の幸せを詰め込んでいった


ーー敷き詰められた落ち葉を踏みしめ

想い出の枯れた地を歩くのも
これで終い、もう終わりと

風が吹いて、枯れ葉を救い
光の向きを変えようと

拾い歩く姿

風が、落ち葉を救おうと



私は、想い出したい、度々に
あなたの顔や、会話のこと
声の調子や…心が通い逢った瞬間のこと
私の心に巡る、私の心の奥から、手を振る
あなたの存在を

私は、想い出したい

あなたと、居た、その時を


目を閉じた
そうしたら、雨も見えなくなる
うんざりとした、失望した気持ち
信じた分だけ、裏切られた
どこで雨宿りしたら良いのだろう?

雨の時期は終わった
これからは
これからの幸せの準備をする


目を閉じた
そうしたら、却って思い出した
うんざりさせられた、悲しい気持ち
与え続けてきたことが、見返りなく終わった
どこで心を休めたら良いのだろう?

雨の時期は終わった
これからは
これからの幸せの準備をする

目を閉じても、
灯りは まぶたに
忘れられないこととして、
しつこい希望のように
まるで可能性があるかのように
そして、それから…なんていうこと

雨の時期が過ぎた
これからは
これからの幸せを向かい入れる準備をする


ラジオから
“Eva Cassidy”の「Time Is a Healer」が流れた
大好きな曲だったーー

ぐるぐると、渦を巻くように
3日間の感情が私の中で駆け巡り
色んなことを思い出していた
辿り着いた回答について

そんな気持ちに、雲間から
虹が応えた

見逃してしまいそうなくらい
広がる雲の群れに
うっすらと掛かっていた
それに気づいた

二重になって現れた



 “虹を信じろ”



「実家に帰ろう
 やり直そう
 人生を立て直して
 そして
 もう一度、何処かの誰かを愛してみたい」



『私が愛した人

 大切なのは、新しい認識を持つことなんだよ?』



 末に広がる--



家路へと帰る道
峠を越えて、そしたら見えて来る
故郷の景色

私の背景に手を振る
両親に会おう
兄弟に会おう
友達に会おう
盆栽でもやってみようかな
そして新しい何かを
始めよう
待っていることがあるーー


峠を登る
エンジンが悲鳴を上げる
大きな負荷が乗る

煙が上がった
もう少しで峠を登り切る
登り切ったら、降下するだけ
それまで耐えてくれたら

登り切った
エンジンは煙を上げながら耐えた
何処かで車を止めて休憩しよう

ーーその時、エンジンルームから
炎が舞い上がった

そのまま炎が視界を遮り、炎上した


「えびグラタン」

なぜだか不意に頭に浮かんだ

「ああ…最後に食べたかった」


 私は、その時
 命を落としたんだ


 かつての私は、そこで生を終えたんだ


落ち葉が敷き詰められた地を歩いた
鮮やかさの中で、枯れていった
逆光を浴びて

奥行きが増して
私の背後を暗くした

憎しみがあった
不満があった
愛していた
行き違いがあった
タイミングが合わなかった
もっと話したかった
もっと会いたかった
共に、人生を歩みたかった

私は、私を
私は、私のかつての選択を許していなかったんだ


“Eva Cassidy”の「Time Is a Healer」が流れた

第43話「彼方からの手紙」

第43話「彼方からの手紙」


 わたしは 
  GI 為 作品 作る 機械
 メトロポリス 
  社会 “パーツ” なった 人々

 わたしが 
  自我 失い 狂って
 全自動 容れ物 生産
  ゆくーー




「時間だよ
 君をもっと、世の中に知ってもらいなさい」


30歳の手前ごろに、自分の将来について考えました
 
このまま生きて良いの?
ずっと、夜に生きなければならないの?

自分が深い運命の中に流されているように感じました



全てをGIが用意してくれました

高級マンションに住み。
贅沢な食事と生活。
出版先、放送先。
私は表現者として、GIに与えられたキーワードを展開させるだけ。

ただ、GIは私に一つだけ許可をしないことがありました

それは、コンピュータを使わないということです


手書きの創作です

それは、以前のわたしと変わらない部分でした。
高級マンションのある階層を書庫として与えてくれました。
情報など着想元は、手に取る重さの中に残されたのです。

わたしは肌と肌との関係も、全てをGIに捧げました

わたしは作品を描き続けました


作品を一つ描き終えるたび、一人暮らしのわたしの元にGIは突然の気まぐれで訪れました。
それは、わたしに描き終えて得る報酬、ご褒美となり、それがわたしの生きる欲求になりました。


「次の作品は、TVドラマの脚本だよ」

「ねえ、今度は誰のゴーストライターなの?」

ベッドの上で、わたしはGIの下半身を探りながら欲望の捌け口を見繕い

「秘密なの…? それもまた構わない」

探り当てたものが一旦の興味を転ばせ

「君に必要なのは、この生活だよ」

下半身の冒険が迷宮の中に落ちてゆく

「GI、わたしをもっと…!」

あの右手にわたしは触れる

「私はもっと、君を知りたいと思う」

わたしは下半身から口を離し、新たな体位を求めて行く



ーーわたしは社会を裏で魅了し、わたしはGIに魅了される


わたしは 
  GI 為 作品 作る 機械
 メトロポリス 
  社会 “パーツ” なった 人々

 わたしが 
  自我 失い 狂って
 全自動 容れ物 生産
  壊れ ゆくーー



GIが帰った明くる日

作品の構想を練っていました

キーワード以外の創作の全てがわたしの作業というわけではありません。
部分的にアシスタントや中間業者へ任せることがあります。
特に漫画の連載は一人では終えることが困難な作業です。
そこに至るまでが大変なのです。
わたしの方法は着想を、別な何かに出逢わせることで始まります。
その日は、書庫の階層で籠る予定でした。

書庫の階層へと向かうとき、わたしには決まり事があります。
それは、必要になりそうなものだけを鞄に詰めることです。

限定することが必要なのです。
それは、本当に勘に拠るものです。

「TVドラマの脚本かあ…それなら、あれを持って行こうかな」

衣装ケースから、GIに貰ったシャネルのバッグを引っ張り出しました

「んー…あ、あのメモ、何処にしまったかな」

わたしは整理整頓するのが苦手です。
ゴミ屋敷になることをGIは予測したのかもしれません。
清掃が1日1回入ります。
GIのグループ会社だそうで、特に何かが見つかっても支障はないようです。
ただ、この日は連休で祝日が続き、業者が休みでした。

高級マンション丸ごと、わたし一人で住んでいて、コンピュータ(パソコン)を使わないというルールが、この日は特別な支障になりました。
何処の階層に、そのメモがあるのか…?

しかし、わたしは自分の勘に取り憑かれるように“衝動的”に行動する為、どんな海にでも潜る覚悟を決めて戦いに挑もうと、昔使っていたアウトドア用の大きなリュックを取り出しました。

そのリュックは、捨てられないとても大切なものでした

ばあばが、誕生日にプレゼントしてくれたものです

自然が大好きなわたしに“真知子、いつか一緒に山菜を採りに行こうね”と。
亡くなる前の年にくれた物です。
結局、タイミングが合わず一緒に行くことは出来ませんでした。


高級マンションの階層からメモを探す旅に出る為、そのリュックに食料などを詰め込もうと、ポケットのファスナーを開けると、何か見覚えのある物が見えました。

「あ、これだったかな?」

宝を探り当てて興奮したかのように、リュックを逆さまにして揺さぶり、床へと物が落ちた瞬間ーー

「あ…」


そこには、見覚えのある字がありました

手に取ると、凛とした丁寧な筆跡があり、ココが残した原稿だと分かりました。
見間違うことのない、懐かしい記憶を筆跡が伝えてきたのです。

でも、なぜわたしのリュックにあったのでしょう?
ココが入れたのでしょうか?

その原稿は、見たことがないものでした。
いつ描かれたものかも分かりません。
漫画の下書きだけが描かれたいました。
わたしはその場に座り込んで、メモを探す目的も忘れ、これが本当の目的だったかのように、ただ、見入っていました。


手紙が添えられていましたーー


  
 アリュールへ


 この手紙を瓶に入れて海に流しなさい
 
 私にはこうなることが分かっていました
 それは、私がもう何度目かの円環にいるからです
 でも、トーラスという言葉をあまり重要に思わなくていいわ
 
 ただ、この手紙が届いたということは
 私がその円環から外れたということなの
 でもね、その代償はアリュール、あなたになってしまうの
 
 誰かが、誰かの円環から外れる時
 その業を引き継ぐ誰かが現れるの
 私がアリュールに出逢った時、それを感じたわ
 あなたなら、この業を引き継いで、変えてくれるのだと思ったの
 本当に勝手な判断でアリュールを巻き込んでしまったこと
 ごめんなさい

 あなたに知って欲しいのは
 今は、色んな矛盾が世の中に溢れていること
 
 それは多角的な干渉者の視点が絡まり合って
 黒から白の間の光源が乱反射してしまっているの
 というのも、宇宙がもうキャパオーバーになっているから
 宇宙は無限ではないのよ

 アバターや、クローンを増やしすぎてしまったのが原因なの
 仮想空間でも、現実でも、意識体を作ってしまうことはその分だけ
 宇宙の容量を埋めてしまうことなのよ
 人が思っているよりも、一人の人間の中の容量は大きいものなのよ

 身体を失った人は行き先がなく、誰かの“視点”に入り込もうと
 身体を奪われた人は、また異なる誰かの身体を求めて
 容れ物(身体)を奪い合っているの
 それで一人の人生の中に、色んな人の人生が混じり合っていて
 辻褄の合わない分岐や経験が起こっているの
 整理整頓が必要な時なの

 でも

 人口を減らそうとしても、それは良い手段ではないわ
 人に死の手段を与えて、その分の容量を得ることも良くない
 人を管理して、人の余分な行動で埋めてしまう容量を減らすことも良くない
 
 そういうものを解消するために、“降りてくる人”がいる
 
 私はそういう役目だったの
 

 アリュール
 あなたの田舎へ帰りなさい

 そこで、“あの花”を見つけるのよ
 
 それがあなたを取り戻してくれるわ

 その時に、(文字がかすれて見えません)


 この手紙を瓶に入れて海に流しなさい

 その人が、あなたを、あなただと、分かってくれるわ


「……ココ
 

第44話「安楽死、罪滅ぼし」

第44話「安楽死、罪滅ぼし」


ココの連絡先はすでに消していました

あの高級クラブ、あの共同生活の場へと向かう勇気もありません


世間では例のウィルスが下火になってきたことで、イベント業界など、それまでの暮らしの復興が始まりました。
わたしは急に思い立って、同人誌の即売会も再開されたのかが気になりました。

ちょうど週末、この時期。
いつも行っていたイベントでした。

まず、そこから始めようと思い立って足を運んだのです



ーーココが居るかもしれない


思い出の即売会場は開かれていました

会場に着いたわたしは、自分が着ている服が、“黒”ではないことに気づきました。
あれから黒色を好んで着ていたわたしが、意識なく別な色を着ている。
それも、白い服。

白いブラウスーー


  “アリュール、あなたに似合うと思うの”


そう云って、共同生活をしていた頃に誕生日、プレゼントしてくれた物


出会った頃、ココは黒い物を愛(め)していました。
黒い信仰が“ココ”そのものだったように思います。
それがいつしか色合いが薄まって和らいで、モノトーンのリビングが変わり。
穏やかな印象が増えて、ココが身に付ける物にも“白”が増えていきました。
そんな様子をわたしは視ていました。

そんな中、逆行して“黒”に染まってゆくわたしが居て。
少しずつ居づらくなっていったことを覚えています。

そんな“光のうちへと戻る過程”のことを考えると、
わたしは、この数年間が一瞬のうちに通り過ぎたように感じました。

そして、遠回りしていたのだとーー


会場の中、ココを探しました。
昔のように。
初めて、同人誌即売会を訪れた時のように。
人溜まりに懐かしさを覚えながら。


「きっと、そこにココがいる」


そこにあるはずの一点を探して、もう迷いのない感情で。
向かった先、居るはずの人。
別なテーブル、別なテーブルへと眼を移し、運び。
かき分けるように、時間を戻すように。
過ぎた季節の名残を感じるように、越えて。


「ココ、会いたいよ」


向かった先に、居るはずの人はもう、いません

わたしは、これが、わたしの中のただの衝動だったことに気づきました

背中を後押しするものは、もう、なく

あの香りも何処かへと消えたまま


即売会場を後にし、ココの手紙をもう一度、開きました



アリュール
 あなたの田舎へ帰りなさい

 そこで、“あの花”を見つけるのよ
 
 それがあなたを取り戻してくれるわ



「そういえば、ココのリビングにいつもあった一輪の花
 あれは、何ていう花だったのかな?
 あの花の匂いは、どんな香りだったかな…」



それでも懐かしさに焦がれて

どうしてもココに会いたいわたしは、デパートへと向かいました


化粧品売り場で、“シャネルのN°5のパルファム”を探しました

見つけたあと、サンプルを手首に振りかけました。
何度も、納得のいく香りにたどり着くまで、何度も。
揮発して香る匂いの先、自分の衝動を抑えられないまま。

そこに、ココの面影は現れません。
ココの肉体の美しさとはかけ離れたくどくどしい匂いが漂いました。

何処にも、ココの面影はなかったのです


自分の衝動が終わり、サンプルを商品棚に置きました。
シャネルのN°5のパルファムの隣りには、アリュールのオードパルファムが並んでいることに気づきました。

わたしがあの時、不必要なものに変えてしまった物


 “あなたのアリュール。今は浮いているけど、時期に定着すると思う”


サンプルを振り掛けると、N°5の奥から、アリュールの存在が揮発して時を駆けて漂い始めました。
あの時、言ってくれたココの言葉が、今に生きて来てくれたのです。


「アリュール?」


聞き覚えのある声が、わたしを振り向かせました

黒っぽい服装をした女性が立っていました

「あなたは…」

「久しぶりだね、しばらくだったけど、元気だった?」



他人を傷つけた。
人が見ていないところでしてしまった。
急に、不意に湧いてくる感情に負けてしまった。
なんども直すことをしなかった。

わたしは、他人を傷つけた


これは、罪滅ぼし


「ココさん、安楽死を選んだらしいよ」


黒っぽい服装の女性は、いつもココの新刊を買いに来ていた年上の女性でした。
ココは、わたしが急に居なくなった後も同人誌を描き続けていたそうです。

わたしのことについて、ココが話していたそうです


「アリュールには、才能があるの
 あの娘は自分で生きていける
 アリュールの声を必要とする人が待っている
 わたしは応援してるの
 何処かで頑張るために、あの娘は羽根を羽ばたかせて飛んでいったの」


ココの作品は様変わりもしていたようです


「ココさんの作品をずっと読んできたけど、本当にすごいと思う
 なんて言うのかな…作品の幅が凄い
 ミステリアスなものが多かったけど、変わった
 何だか懐かしくて切ないものになったなあ
 コンセプトが変わったんだと思う、変えたんだと思う
 理由は分からないけど、何か私生活であったのかな?
 嬉しいことなのか、辛いことなのか分からないけど
 でも、あたしは好きだよ
 ココさんの作品だから
 どんな作品だって、愛してる!
 だから、とっても今は辛いね…」


黒っぽい服装の女性は、路上で涙を流しました

わたしはその涙に目礼して
自分の贖罪を感じたまま、ただ歩き帰りました



裸眼で、考えるーー


「あの花、昔どこかで見たことがある」



ーーばあば


 ばあば、この花どうしたの?

 これかい?
 知り合いの奧さんにもらったのよ
 綺麗かい?

 これ、タンポポ?

 いんや、違うねえ
 これはーー


「そう、これはわたしの家の庭にあった」


「でも、なんで、なんで、黒いの?」


ココは、カロドポタリクルを服用し

安楽死を選んだ


「どうして…
 ココは、亡くなったの?」


「どうして、安楽死を選んだの?」


「どうして」


「どうして、もう、いないの?」



他人を傷つけた。
人が見ていないところでしてしまった。
急に、不意に湧いてくる感情に負けてしまった。
なんども直すことをしなかった。

わたしは、他人を傷つけた


これは、罪滅ぼし

第45話「午後9時、海へ」

第45話「午後9時、海へ」


 “少し、時間が欲しいの”
 


わたしは、メモ書きをマンションに残して 
夜、外へと出ることにしました

その日、海へと向かったのですーー
 

大切なものだけを背負いました

ばあばから貰ったアウトドア用の大きなリュック。
その中には、ココの手紙と、ココの原稿が入っています。

そして、
ココがプレゼントしてくれた白いブラウスを着てーー

思えば、久しぶりに夜の世界を歩きます。
高級住宅街の通りには人の姿が見えません。
代わりのように置かれた街灯が照らす夜道です。
そこには田舎の夜道の街灯のような温かさはなく、冷えた道になっています。
住まう人を選び、そして、遠ざける、遮断するためのカーテンのように。
そんな中に見えたダイドーの自動販売機。
わたしはその灯りに懐かしさを覚え、近づきます。
そこには外観から着飾った中身の異なる人のように、わたしの知らない姿になった物があるだけでした。
「それ飽きないの?」と、声を掛けてくれたマイマイガもいません。

ーーわたしの懐かしさは、ここにはないのです


国道に出ると、タクシーが向こうから来るのが見えました

わたしは手を上げて呼び止めました。
タクシーはわたしの前を少し過ぎた後、路肩へと止まりました。
後部座席のドアが開きました。
わたしは座席にリュックを下ろし、夜のタクシーに乗り込みました。

「お客さん、何処まで?」

わたしは、一番近い海岸までと伝えました

「一番、近い海岸ですか…少し時間が掛かりますが、よろしいでしょうか?」

わたしには、頷く以外の選択はありません。
ただ、GIがわたしを許してくれるのかが気になりました。

運転手に時間をたずねました

「今は、午後9時を過ぎる頃ですね」

「わかりました」


“わかりました”と、返事をした後、何故だか【午後9時】という時間が気になりました

タクシーの窓から覗く国道沿いの夜は、穏やかな表層を覗かせます。
まだ高級住宅街に面した場所だからでしょうか。
進行方向の信号が赤になり停車すると、横に見えたのは神社でした。
住宅街の小さな敷地、鳥居が人を遠ざけるように、遠景を隠しています。
夜の闇は何を祀り、信仰しているのでしょう?

その穏やかではない異質さが、この土地の表層はただの一面でしかないのだと気づかせます。
深層へと引き摺り込むような手招きも感じ、もう、落ち着かない気持ちでいっぱいになりました。

もう一度、【午後9時】という時間がわたしに訴えてきました

同時に、“ココ”のことが浮上して、わたしに思い出させます

わたしには、海へ向かう前に行くべき場所があるのだと気づいたのです

「立ち寄るべき場所があるの」


わたしは、タクシーの運転手に行き先を告げました



 『ココの安楽死』


絶望する想いを、どうにもまだ受け入れることが出来ません。
タクシーの車窓からの夜が、益々わたしを不安にさせます。



ーー祭りの時期でした

あの時とは異なる気持ち。
部屋のカーテンの向こうから来る、子供の声の誘い。
柔らかい日差しが部屋の中を照らします。
盆踊りの放送が流れ、太鼓の打音が木靈して。

不意に、笛の音色がわたしの内側に入りました

わたしが見慣れていたはずの“いつもの景色”。
普段と異なる角度から見たとき。


無数の明かりが乱反射し、眼に飛び込んできます


塊のように見えるところに目が向かい。
その隅や、縁、暗く薄暗い部分について。
何かが惹かれてしまう自分がいます。

それはとても危ないことだと心で遠ざけ、気を逸らしました

意識のわたしに気がつき、心の中を覗いていたのは、
果たしてわたしなのでしょうか?と。

自然が、ホログラムのようなものが、
わたしに訴えかけてくることは一体何なんでしょうか?


夢の中の人が、また現れましたーー


 「“きれい”という感覚が分からないんだ」

 「それは、感性の継承がなされなかったから…?」

 「親から、子へと紡がれなかった」

 「さくら咲いてる」

 彼の頭上に、大きな桜の木が見えます

 彼は「綺麗だね」と
 
 わたし「そうだね」と

 「外見的な特徴の一致が、二人の間を取り持っている」

 「その第一印象から経た現象で、ふたりは辛うじて繋がっている」


ーーそんな気がしました


 場面が変わり、夢の中の人は
 また現れましたーー


 カーテン越しの触れられそうな距離

 でも絶対に触れることのできない距離感

 「心の中の穏やかな月を視なさい」

 彼は云いました

 「分析して、解釈し」

 「その繰り返しで、習慣づけた理解に置き換わり」

 「随分と遠くの方まで行ってしまったのでしょう?」

 わたしは彼に訊ねました

 「私のいつもの通り道に有り触れた者たちが、
  異なる表層を見せる時ーー


  “ある唄が舞い始める”


 
 その時、『赤い星』が見えたのです



 そして、炎上する「せんぱい」の車が見えました



ーーわたしは、タクシーの中で眠っていました

眼を覚まし、車窓から伺えたのは懐かしい土地でした

「ここで降ろしてください」


タクシーが停車したあと

「ここで少し待っていてください」

思い立って寄り道したのは、あの田舎のレンタルショップでした


店内は少し縮小されたのか、配置がところどころ変わっていました。
あのビデオコーナーは残っているのでしょうか?
多くの人には、もう必要ではないものです。
淘汰され生き残るすべを失ったものに、誰が手を差し伸べるのでしょうか?
その居場所は…ないのです。

ビデオコーナーは消失していました

わたしは、棚という棚をしらみつぶしに見て回り、安楽死で去った“ココ”のことを何故だか重なるように浮かべながら、認めたくないものを認められるまで転々と歩きました。

「あの、お客さま?」

棚の端で声を掛けたのは、女性店員でした

「もしかして、お客さまはメトロポリスをお探しですか?」

「そ、そうです。メトロポリスです!」


わたしは、女性店員に案内されるがままに、店のバックヤードへと入りました

「店長!」

女性店員は、店内の室温とは異なる冷気が流れるバックヤードで誰かの背中に明るい話題を持ち込むような声を当てました。
バックヤードの冷気が、その先のドアの開放と共に流動し始めたあと、わたしの背後まで回ってから昇るように消えてゆくのを感じました。

「なに? 明るい声だこと」

わたしはその声の記憶を思い出したあと、表情が明るくなるのを感じました

あのベテラン風の女性店員でした

「あなたを待っていました、ずっとこの何年間。あ…何年だったかな?」

「わたしも覚えています、あなたを」


バックヤードの、その先のドアには、廃棄される予定のDVDなどが置かれていました

「お探しのものは、これです」

あるはずのなかった、返却物が戻っていました

「メトロポリス!」

「あの時、お客様が帰られたあと、何故だか気になったんです
 何故なら、ビデオコーナーは返却物が全て戻った後に撤去する予定でした」

バックヤードの照明がドアの先まで広がりました

案内してくださった店員さんが電気のスイッチを押したようです

「レンタルショップ自体も、ほとんど必要とされるサービスではありません
 だけれど、熱心に通ってくださるお客様はいるのです
 そんな熱心なお客様の中でもビデオテープのコーナーを利用される方は
 とっても珍しいことでした
 というか、お客様と、あの長期延滞の方しかいません
 わたしはこのレンタルショップに勤めて30年ほどになります
 その間に世の中で必要とされるサービスの変化を体感してきました
 勤め始めた頃、この業界は必要とされていました
 それが衰退していく様に、何故だか抗っていこうと思い続けたのです
 わたしのやりがいなのです
 こうして店長にもなり、守る立場にいますが、自分が守れるものは
 できる限り守って行きたいんです」

店長となったベテラン女性店員は、照明の広がりで明るみになった奥の棚から透明なプラスチックのケースを取り出しました。
ケースの蓋には“取扱注意”のラベルが貼ってあります。
開けたあと、大切なものに使うように乾燥剤が入っているのが見えました。

「特に印象深かった“あなた”と“メトロポリス”の縁を繋ぐこと
 それをモチベーションとして、象徴的な存在と見立てて
 また来店された際に吉報を届けられるように」

メトロポリスのビデオテープが取り出され、
わたしの手元にビデオテープの重みが乗っかりました。

「ありがとうございます、これまで、護っていただいて…」

そうわたしが云ったあと、店長と、女性店員は顔を見合わせてから

「実は、最近返却されたんですよ」

「いつ、返却されたのですか?」

2人の店員は、口を揃えて

「3日前です!」



レンタルショップの借りられていたものが返却され

 黒い種子を燃やすーーわたしは地獄の業火を導く



「お客さん」

メトロポリスをレンタルし、店を後にしました。
タクシーは店舗の入り口前でライトを点けたまま待っていました。

夜の情景には似つかわしくない明るい表情を浮かべたわたしを見て

「お客さん、無事に用事は済んだようですね」

「はい!」

「この後は、予定通りの場所でよろしいですか?」

「はい、お願いします!」


懐かしい土地で、懐かしい物事があり。
タクシーの車窓からの夜は、異質さを忘れ、どこか和らぎ、わたしの内で解けているように感じました。

「お客さん」

「はい」

「お客さん」

「はい?」

「ええと…迷いました」

「はい…?」

「迷子になりました」

「はい!?」

第46話「速度を上げた過去、光速で進む車内の会話」

第46話「速度を上げた過去、光速で進む車内の会話」

  迷子になったあとーー



「運転手さん、この道ですよ」

「ああ〜、ここですかあ、ありがとうございます!」

「はい、それからしばらくは道なりに沿って行けば大丈夫です」

なんでわたしがタクシーの運転手さんに道を教えているのでしょうか?

「お客さん、すみません
 このタクシーにGPSのようなものが無いばっかりに」

「はい、信じられない話ですね」

田舎でタクシーの運転手が迷子になりました。
幸いにも、地元だったので道に詳しいわたしがいました。
そうでなければ、どうなったのでしょうか?
こんな田舎で降りたとして、タクシーは通りません。
別なタクシーを選択することもできずに、手探りの冒険を始めるしかなかったのでしょうか。

ーー車内では、AMのラジオが流れています


夜のラジオ特有の雰囲気。
夜の時間に、曝け出す建前を払った話題。
人の隠れた本音を透かして、それでひっそり盛り上がって。

人のうちの音など、もう聞きたくない思いが溢れていました。
もっと大切なことを、夜のうちに話しておくべきではないの?と。

「一番、近い海まで時間がありますので、退屈ではありませんか?」

運転手がバックミラー越しに伺えるわたしの沈みを気にしてか話しかけました

「そのラジオ番組の所為です」

ラジオは、わたしの冷たい当たりに不機嫌さを表すかのように、ノイズが混ざり言い訳のようなポリフォニーを発声しました。
その騒めく多声に、わたしはラジオ番組の周波数自体にも居合わせくない思いが湧いてきました。

「申し訳ございません。それでは、他の局に変えてみましょう」

運転手は片手でハンドルを操作しながら、もう片方の手でカーステレオの操作ボタンを押しました。

「これは如何でしょう?」

ラジオからは歌謡曲が流れました。
わたしの知らない曲でしたが、その曲調は珍しくはない或る雛形で進行していることが分かりました。
演歌なのでしょうか、それとも、時代遅れの叙情なのでしょうか、でも心地良い音楽です。

「良い曲ですね」

わたしは運転手にラジオ局を変えたことへの返答として伝えました

「この曲はご存知でしょうか?」

「いえ、なんという曲ですか?」

「冬隣、という曲です。歌い手は、ちあきなおみという歌手です」

「…ちあきなおみ」

わたしが初めて知る歌手でした

「歌謡曲も良いものです。夜のムードに合うというと、年寄りくさい語りになりますが」

「いえ、なんとなく分かります。ゆったりとしていたり、情景があったり、ごちゃごちゃしていないので、夜の隙間に合うように思います」

わたしは普段は聴かない歌謡曲について、気づかなかった観点を見つけた気持ちになりました

「そうですか、良かったです」

その曲の数分間の運びに、わたしは涙腺に触れるものを感じ入りました



曲が終わり、ラジオのパーソナリティーがニュースを読み上げました

新型マナヴォリックウィルスについて、地域ごとの感染者数の発表を伝えます。
感染は下火にはなりましたが、晴れることはまだありません。

「新型マナヴォリックウィルスは、収束するんですかね?」

運転手はラジオの報せから、世の中の見通しの悪さに触れました

「カロドポタリクルというのが、どれほど信用できるのでしょう?
 私は、死にたいとは思うのです
 でも、それが“今”なのか分かりません」

運転手の安楽死願望の告白を聞いて、ココの安楽死がまた胸を締め付け始めたのです。

「運命は、容赦ありません
 妻は何十年もの仕事で身体を酷使して、神経をやられました
 腕が動かないのです
 老後がある、ということがとても恐ろしいです
 明るさが私たちには足りないのです」

今度は、“明るさ”。
わたしが今先ほど、明るい表情を浮かべていたことに申し訳なさを感じ、さらに胸を締め付けました。

「ジェネリックのロイドポタールBは、いつも持ち歩いているんです」

運転手は続けました

「政府のどこまでを信じて、生きれば良いのか分かりません
 私たち国民は、この先、どこまで逃れることが出来るでしょう?
 ただ逃れるだけです
 選択を伸ばすのか、決めるのか
 生かされるか、死ぬか
 逃れるだけです」


この運転手さんは、もしかしたら…わたしよりもおしゃべりかも。
胸の締め付けの先で、そんな引き比べを始めたわたしの眼には“ある”文字が見えましたーー


 “new leaves”


運転席のヘッドレストにタクシー会社と思われる名称が書かれていました。
聞いたことのない会社名でした。

「new leaves?」

わたしが小声で読み上げるように呟きました

「はい、聞いたことないですよね、まだ小さな会社なんです」

そう云ったあと、運転者はわたしの注意を窓の外へと切り替えました

「黒い服の男が見えますか?」

「黒い服の男?」

わたしは前方、運転手が座る運転席の方へ、少し身体を前のめりに移してから、運転手が指す目線の先を探りました。

「ほら、あそこです」

信号で立ち止まった時、交差点の向こうの路肩から歩いてくる黒っぽい服装の男がこちらを目視した後、歩いてくる姿が見えました。

「あれに捕まると、終わりです」

「…終わり?」

わたしは、このタクシーが警察に指名手配でもされているのかと、運転席側へ前のめりになったまま、運転手の表情を覗き見ました。

「ええ、まあ、取り締まりみたいなものです」

「近づいて来てますよ…?」

「ええ、まずいですね」

「 運転手さん? あの…どうするんですか!!!??」

「こうしますね」


 “ガコン”


振動を伴った何かの切り替えの音が聞こえました。
わたしのシートベルトがギュッと締まるのを感じ、座席がマッサージチェアのように身体を包んで固定されました。


「少し、飛ばしますね、いいですか?」


はい、と返事をする前ーー
抱きかかえたリュックが歪み、スローモーションで湾曲するのが眼に入りました。
その不自然な湾曲の過程が、わたしの一息もしないうちの現象に気づいたあと、エンジンが唸りを上げ、けたたましい轟音を発したあと、タクシーは恐ろしい速さで景色をすっとばしてしまいました。
わたしは座席に押し込まれるように、これまでの人生で感じたことのない強力な圧力を身体で受け止めました。
わたしが座る後部座席から見えるのは、乱反射して流れる光の速度でした。
わたしは遊園地とタクシーを何処かで誤認していたのかな?
あ、UFOとタクシーを間違えて乗車したのかも。
そう、錯覚させるほどのジェットコースター具合で、悲鳴をあげるべきだった気がしましたが、案外こういうのも悪くないなと妙な耐性がある自分に気づいたのでした。

第47話「返さずにいた夢、言葉」

第47話「返さずにいた夢、言葉」

  借りたまま返さず、しかも、読まずにいた本がありますーー



 ココを殺したのは、わたし

 「あなたのこと、本当は嫌いなの」

 「あなたの匂い、本当は嫌いなの」

 「我慢していたの、それに今、気づいたの」


 「わたしは、本当はあなたの匂いを望んでいない」
 
 「わたしは、本当はあなたのこと好きじゃない」


 「ココって、大した顔じゃないよね」



 どうして、その時
 わたしは言ってしまったんだろう

 中学生の頃に蒔かれた種子をどうして、今度はわたしが蒔いてしまったの?


 「君は、踊らされていたことに気づいていない?
  自分が取り組んでいたこと、自分が投げかけていたことが
  1ミリも相手に伝わっていなかったことを知ったら、
  君は、すんなり
  今まで ありがとう
  で、立ち去ることができるかい?」

  男は話を続けました

 「そもそも言語や考え方が違っていたことを知らなかったら?
  蒔いた種子に効果がないってことだよ」


  だから、

   “自分の言葉”が通じるものを作り直せばいいんだよ

  虚しい
    
   と感じることに時間を傾けることをやめるんだ



 髪を結って
 わたしは振り返ました

 「アリュール、あなたのオードパルファム
  やっと、香りが“真知子”自身に定着したのね」



ーーまた夢を見ていたようです


「あの…」

夢の光から、タクシーの車内へと、その暗順応にわたしが追いつかないまま。
夢の余韻の中に入り混じって呼び起こされる“遠景”が、わたしに現実の状況を確認させました。

「どういたしました?」

「あの、初めからその速さで海へ行ってくださっても良かったのでは?」

タクシーが急なアトラクションに切り替わる車体機能を秘めていたことに、まずは意見を述べました

「ああ、それは安全装置を解除するのに、少し労力がいるものでして」

運転手は突拍子もない行いだったことについて、特に説明する必要を感じてなさそうな雰囲気だと分かり、それ以上の説明は求めないことにしました。
何故なら、そのこと以上に知らなければならないことがあったからです。


わたしは、報せなければならない

この手紙を瓶に入れて、海へ


「new leavesというのは」

運転手が、わたしに語りかけました

「new leavesというのは、先ほど小さな会社と申しましたが、まあ、ある団体でもあります」

「団体…宗教ですか?」

「宗教といっても差し支えないのですが、まあ、組織です」

「それはどのような…?」

運転手は、少し考えたあと

「先ほど、黒い服の男がいたでしょう?」

「はい」

「あの男、いえ、彼らはこの地を管理するものです
 まあ、カラスのようなものですね」

「カラスですか?」

「まあ、厄介なものですよ」

「それと、このタクシーに向かって歩いてきた理由は関係あるのですか?」

わたしは運転手に率直に訊ねました

「はい。私たちは、あれと闘っています」

「…闘いですか? あの…血が流れるような?」

「はい。血も流れます」

「あ、あの…武器とか持って…撃って……殺したりとか…なんか」

「いえ、違います」

わたしは、危ないことに巻き込まれるのかとドキドキしましたが、殺し合いをしない闘いであることに安心しました…ん? “血も流れる”というのは…

「いえ、殺し合いではありません。消滅するか、させるか
 どっちかの争いです」

なかなか込み入った争いをしており、それに巻き込まれつつあることが分かり、わたしは、田舎にこもりたい気持ちになりました。


「黒い服、彼らはある花を探しているのです」

「…花ですか?」

「はい、それはとても希少な花で、まず見つかることはないのです」

「…その花を探している理由はあるのですか?」

わたしは、黒い服の男を見たときのように、前方、運転手が座る運転席の方へ。少し身体を前のめりに移してから、今度は、運転手の表情を覗こうとしました。

「そして、これがその花です」

「この花は!?」

運転手は、前のめりになって顔を覗こうとするわたしの眼前に、一輪の花を取り出しました。
わたしは、その花に見覚えがありました。

「お客さん、着きましたよ」

会話を中断するように、運転手は目的地に着いたことを報せましたーー


そこは、海でした


「運転手さん、この場所はどこなの?」

「一番、近い海ですよ」

見たことのない景色が広がっていました。
多分、来たことがない場所の海だと直感的に分かったのです。


タクシーのドアが静かに開き、わたしは降りました

夜明けが始まった海の、砂浜の上を歩き。
わたしは海岸沿いへと向かいます。
波の音の強弱が増幅されて、肌の上を通過しました。
足元に波の端が触れ、それから退いていきます。
その姿を見送ったあと、わたしはリュックから手紙の入った瓶を取り出しました。

波が、再び想いに引かれるよう、足元まで確認するようにやって来ます。
その波に乗せて、わたしは手紙を届けます。



波は、不思議な導線を引きました。
その現象は手紙を入れた瓶をさらって、間違うことのない軌道で運んで行きました。

わたしは次第に瓶が遠ざかってゆくのを見届けたあと、ばあばから貰った大きなリュックに、急な重みを感じたのです。

そのリュックの中に入れた物を確認しようと背中から下ろして砂浜の上に置き、ファスナーを開けると、本が入っていることに気づきました。
それは、ココがわたしに“読んでほしい”と貸してくれた本でした。



※恋した瞬間、世界が終わる -第6部 赤い星 完-

恋した瞬間、世界が終わる 第6部 赤い星

生きているの?

恋した瞬間、世界が終わる 第6部 赤い星

地上の上 路上 ログアウト マニュアル ビートニク 恋した瞬間、世界が終わる

  • 小説
  • 短編
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-10-10

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 第39話「透けたカーテン」
  2. 第40話「SNS -星が視ていた-」
  3. 第41話「“新”淵、オートクチュール」
  4. 第42話「SNS -許し、そして、愛し直す-」
  5. 第43話「彼方からの手紙」
  6. 第44話「安楽死、罪滅ぼし」
  7. 第45話「午後9時、海へ」
  8. 第46話「速度を上げた過去、光速で進む車内の会話」
  9. 第47話「返さずにいた夢、言葉」