鉈持シリーズ『びゅうどろろろ』

鷹尾 銀二

鉈持シリーズ『びゅうどろろろ』

鉈持シリーズ 短編集
森で出会った黒い塊の話

 びゅうどろろろ
 びゅうどろろろ

 私たちは、ただそれが飛び散るのを見ていることしかできないのです。何度も。何度も。

 視界は緑に覆われている。深い緑の間を縫うようにして、僕は彼の背を追った。彼の歩く速度が尋常なく早いのも、彼の足が長いのもよく理解した。うん、理解はしている。できれば、頼むから、僕を森に置き去りにするのはどうかどうかやめてほしい。少し速度を落としてくれといったところで、『勝手についてくるといったのはお前だろう。』と、ごもっともなことを言われるのは目に見えているので、思っても絶対言わない。そうだ、弱音なんか吐いている場合ではない。絶対に、絶対に食らいついてやる。僕が汗だくで、息を切らしているというのに、前を行く彼は汗はおろか息も切らしていない。あいつ、本当に人間かよ。

 びゅうどろろろ。
 びゅうどろろろ。

 実は、先ほどから何やら後ろから怪しげな音がしている。音というより、声か。気になって仕方がない。そして、振り返ろうとすると決まって、前を歩いているヨツギさんから声がかかる。
『振り向くな。絶対だ。』
 振り向くなって。振り向くなってさぁ。振り向いちゃいけない”何か”が、後ろに迫っているってこと?怖いじゃん。ねえ。怖いじゃん。どうしてくれるの?ええ?余計、気になるじゃないか。

 びゅうどろろろ

『ひぃ!』
 耳元で一際大きく、音が聞こえて飛び上がる。明らかに”何か”が真後ろにいる。背中がぞくぞく、冷や汗が流れる。身の危険を感じて、僕は後ろを振り向いた。

 ぬるり

 首に何かが絡みつく。これはなんだ?長くて、黒い、小さな…
『…子供の手?』
 首に絡みついた黒い手が、僕の首をぎゅっと絞めた。酸素。今まで僕を生かしてきた酸素。そこにあるのに、僕はそれを取り入れることさえできない。ああ、弱い。僕は弱い。人間は弱く脆い。弱いから搾取されるのだろうか。弱いものが強いものに淘汰されるのが世の常か。息を吸うことさえもままならない。ここにいることさえ。ただ、この世に存在することさえ。許されないのだろうか。許す。許す?誰にだ。ああ、酸素。君が恋しい。白。黒。白。黒。点滅。ああ、し…『だから、振り向くなっていったんだ。』…、酸素。酸素。酸素。酸素。涙。
 肺一杯に酸素を求めた。魚みたいにパクパクと口を閉じたり開いたりして、必死に酸素を吸い込んだ。ああ、ただいま世界。息を吸ったり吐いたりを繰り返して、まだ整わない呼吸のまま声がしたほうを見上げると、鉈を構えたヨツギさんと切り離された黒い小さな手がぬるりと落ちていた。
 どうやら僕の首を絞めていたのは、大きな黒い塊のようだった。そいつは、ヨツギさんの背をゆうに超えている。笠と覆面の上からもひしひしと伝わるぐらい、ヨツギさんは”それ”とにらみ合っていたが、あごに手を当て少し考えるそぶりを見せて鉈を鞘に納めた。黒い塊は、びゅうどろろろとしばらく声を上げていたが、ヨツギさんが『わかった、こちらで解決しておこう』とつぶやくと、どろどろと地面に溶けて跡形もなくなってしまった。一体全体、あいつは何者だったんだろうか。てか、僕さっき死にかけた。ぼんやりとさっきのことを考えていると上から視線を感じた。

『少年。お前のせいで面倒ごとに巻き込まれた。だから、俺は振り向くなと言っておいたのに…。』
『いや!あの状況ですよ?僕じゃなくても絶対振り返りますって!!!せめて!せめて、なんで振り向いちゃいけないのか、理由を教えてください!』

 僕が死にかけたのに、ヨツギさんが全く心配していないのに少し悲しくなった。ああ、あんたはそういう奴だよ。いや、あの状況で振り返らない奴がいるだろうか?さすがにあの至近距離で声が聞こえたら、全てじゃなくても何人かは振り返るやついると思うぜ。どう思うよ!ええ?

『だって、お前状況教えたらビビッて騒ぐじゃん。俺、騒ぐ子供苦手なんだよね。』
『子供って、俺あんたと3歳差!』

 ヨツギさんは、はいはーい!と空返事をして、背負っていた背負子を地べたに降ろした。

『休憩ですか?』
『違うよ?』

酷く嫌な予感が頭をよぎった。覆面越しだが、ヨツギさんがにんまりと笑った気がした。

『今晩ここで野宿だから。』
『えぇえええええええええ!』

 嫌な予感は的中した。殺されかけた場所で野宿なんて。不安すぎる。

 あの後、ヨツギさんは木に背中を預けて眠ってしまった。日はあっという間に沈んでゆく。僕は、なぜヨツギさんがあの黒い塊を切らなかったのかについて考えていた。そもそも、あの黒い塊。小さな手で僕の首を絞めたこと。何かを伝えようとしたのだろうか。だとしたら。いやいや、何かを伝えようとしたからといって、僕の首を絞めるのはやめてほしい。そうだ、理由があろうがなかろうが僕の首を絞めるのは間違っている。酷いじゃないか。
 何かを伝えたいのなら、伝えたい相手に直接訴えるべきだ。だがしかし、人ならざる者にそれを訴えてもどうにもならない。諦めよ。何を伝えようとしたんだろう。ぬるりと首を絞められた感覚を、今も鮮やかに思い出すことができる。息を。酸素を。そう、酸素。求めていた。何を。酸素。いや。酸素。うん。酸素?ああ、酸素。酸素か?うん。酸素だ。違う。酸素じゃない。
 そうだ。求めていたのは。

 ”生きること”じゃないか。

 そうか。ああそうか。僕があの時生きたかったように。彼らもまた、生きたかったんだ。
 そっか。ただ、生きたかったんだ。

 目頭が熱くなって、よくわからないけど涙が出た。僕の方が殺されかけたのに。それでも酷く悲しくなって。

 差し伸べたのに、届かなかった手。自分が殺された。衝撃と悲しみに暮れる暇もなく、次から次へと。昨日の自分の骨の上に、どんどん積み重なっていく骨。ああ、酷い。もう辞めてくれと、何度吠えたかわからない。酷いじゃないか。酷いじゃないか。僕らの命はこんなにも軽いのか。そう。軽い。命が軽いのだ。吹けば飛んでしまうぐらい。ああ、軽い。タンポポの綿毛みたいに。飛んでいくみたいに、酷く軽い。
 こうやって、積み重ねてきたんだ。憎悪と悲しみを。慈愛、そして優しさを。だから手を差し伸べた。だから手を…。

『起きろ。おい、起きろ。』
『ヨツギさん。…てか、周り真っ暗。なんも見えね。』

 僕もいつの間にか眠っていたようで、起きていた時に沈みかけていた日は、もうすっかり沈んでしまっていた。暗い上に森の中で更に見えない。近くにいる、ヨツギさんを判別するのでやっとの状況である。おかしいな。いつもはランプに火を灯す時間なのに。寝ぼけた頭でぼんやりと考えていると、ヨツギさんが回答をくれた。
『じきに明かりが向こうからやってくるさ。』
 いや、答えになってねぇし。まじ。どういう意味だよ。
 答えは本当になった。ぽつりと向こう側から明かりが近づいてくるのが見えたのだ。少年は面倒くさいからここにいなさい。と頭をポンポンされて、イラっとした。だけど、しょうがないよな。あれが、やばいものだったら僕はなんもできないもん。はーいと答えて、成り行きを見守るに徹する。
 明かりは、どんどん近づいてきて、目を凝らせばその正体が見える位置で止まっていた。
『人…ですね。』
 そう、つぶやいたときには、隣に居たヨツギさんはどこかに姿を消していた。仕方がないので、ランプを持っている人を監視し続けることにする。その人は、黒いスーツ姿で、キャンプ用のランプを片手に持っているようだった。そして、こちらからだと少し判断に苦しんだが、片手に縄のようなものを握っており、その先には子供が拘束されて繋がれている。何のために?そんな問いも思い浮かばぬうちに合点がいっていた。そうか。あの子供、売られるんだ。

 衝撃。悲しみ。憎しみ。私の上に重なる。骨。骨。骨。

 骨。

 理解。あの子供が売られる前に、ここでどうなってしまうのか。僕の中ですべてがつながってしまった。このままにして置いたら、あの子供は…。

 ゴォォン!

 低く鈍い音がした。カランカランと男が持っていたランプが転がった。光が闇の中に散らばる。ああ、綺麗だ。ランプで照らされた現場をよく見れば、ヨツギさんが木の棒で男の頭をぶん殴ったらしかった。ああ、痛そう。いい音したもんな。って、ええ?棒折れてるじゃん。きゃあ、さわやかゴリラ。
 ヨツギさんは、子供に少し話しかけるそぶりを見せた。子供を拘束していた縄を解き、倒れた男の胸倉をむんずとつかみ引きずりながら彼はこちらにやってきた。子供はよろよろとヨツギさんの後をついてくる。

『さあ、少年。この子のお守りを頼んだ。あと、ランプに火をつけてくれ。俺は、こいつを処理するから』
『は、はい。』

 僕は、ヨツギさんのランプに火を灯して、子供を自分の方へ呼び寄せて、座らせた。ぐぅとお腹が鳴ったのを聞いて、自分の鞄に入っていたおにぎりを一つ差し出した。子供は、少し戸惑っていたが、『お腹すいているんだろう?おたべよ』というと、大きく頷いておにぎりを受け取った。その子供は、どうやらこの森を抜けた先にある村に住んでいるようで、優しい家族の下で育ったようだった。これならば、僕らが森を抜けるときに一緒に村まで送り届ければ問題ないだろう。僕は少しばかりほっとした。腹が膨れて、話をしたら、眠くなったようで。子供がこっくりこっくり船をこぎ始めたから、横になって眠っていいよと、草の上に毛布を敷いてあげた。疲れていたのだろう、子供はすやすやと眠ってしまった。

『さすが、子供同士。打ち解けたみたいだな。』
『ヨツギさん…って、何してるんですか?あれ?』

 僕が指さした先では、先ほどヨツギさんにぶん殴られた男が木の幹に縛り付けられていた。

『早めのクリスマスかな。ていうか、捧げもの?』
『嫌です!僕、あんな飾り絶対嫌ですよ!』

 ヨツギさんがあいつを殺す義理はないのだろうが、あいつが逃げたらまた同じことをするのだろうか。また子供を攫うのだろうか。攫った子供を…。あいつが逃げたら…。また、この子も…。ポケットの中で折り畳みナイフを握りしめていた。きっと、こいつはまた同じことを繰り返す。僕が、どうにかしないと。立ち上がろうとすると、ポンと肩に手を乗せられた。
『フタバ君。お前が裁きを下さなくても問題ない。』
『なぜです?あいつ、また逃げ出したら同じことをしますよ。また、子供が殺されます。』
『問題ない。昼間の事を覚えているか?適任がいる。あいつを裁くのは、俺でもお前でもない。』
 ヨツギさんにそう言われて、合点がいった。そうか、彼らはそのために、この世にとどまっているのだ。
『それにすこーし眠くなる薬を嗅がせといたから、効き目は抜群!明日の昼までぐーっすりさ!きっと、効き目が切れるころにはこいつの存在ごとなくなっているんじゃないかね。』
 それのために彼らは、僕らにあうまで苦しんできたんだ。
 負のサイクルを断ち切るために、苦しみの感情をずっと繰り返していたんだ。きっと。ずっと。
 そうか。この断罪は、開放か。全ての事に意味がある。彼らは、それを待っていたんだ。

骨のみが知る

びゅうどろろろ
びゅうどろろろ

木の幹を彩る人の飾りをの周りを、黒い大きな塊がぐるりと回った。
塊は手を伸ばし、男の体を包み込む。小さな細い腕が、ずぶりと腹を刺し、びゅうどろろろと内臓を引き抜いた。

びゅうどろろろ
びゅうどろろろ

塊が縦にばっくりと割れて、大きな口が顔を出す。
悲鳴を上げるまでもなく、ただ眠っている間に息絶えた男の亡骸を、塊はズルズルと口の中に押し込んだ。しばらく、もごもごと、その巨体を動かしていたがごくりと音を立て、巨体が脈動した。巨体は静かに、土の上に横たわる。その黒い体は、みるみる白い綿毛に変化した。まるでタンポポの綿毛のようだった。

 びゅうどろろろ

大風が吹く。

 びゅうどろろろ

沢山の綿毛が、大風に乗って空を舞う。彼らは、新しい命のサイクルに身を委ねた。全てのことに理由がある。生命の始まりにも、理由がある。

嬉しそうに、大空へはばたくタンポポの綿毛たち。

その光景を、草の上に転がった骨たちも嬉しそうに見守っていた。

鉈持シリーズ『びゅうどろろろ』

だいぶ、抽象的な表現が多いので、皆様の解釈にお任せいたします。

鉈持シリーズ『びゅうどろろろ』

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • ホラー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-10-04

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