情景

北爪 正人

情景

どんな人でも必ず心に残る光景の一つ二つは必ず持っていて其れを情景と言うのでしょうが
歳と共にそれに出逢うことは少なくなっている様です。いや70年も生きて来ると独房にでも繋がれていない限りは幾多の印象的な光景には出逢ってはいるのですが、何故か私の中で心に残る景色は幼い頃のものばかりなのです。
三島由紀夫は自分が生まれて直ぐに浸かった生湯の
タライの縁にあたる陽の光がきらきらと輝いていたのを覚えていると何かで書いていましたが
それ程に幼い日に見た光景は不思議に記憶のアルバムに残っています。
ここに挙げた写真は生後から小学生に上がるまでを過ごした極楽寺稲村ヶ崎の写真でありますが、
長野県は佐久の小さな町で生まれて物心付く前にこの地へ移った場所で長野の記憶が全く無い私には此処が生まれ育った記憶の地でもあります。
鎌倉の山からの湧き水が最後に小さな小川となって海に流れ込む地ですが、最近訪れ70年程になるその当時の風景と殆ど変わっていない事に驚かされました。この小川の少し上流で私の家族4人が暮らしていたのは終戦後から4、5年経た時代ですが
この場所が言わば自分の中の記憶の最初の光景です
夕方この橋を渡り父母に連れらて姉と私は海岸べりの銭湯へ行くのが楽しみでした。帰りに当時進駐軍道路と言われ車など殆ど通ら無い蒼い月明かりだけの路上で父に手をひかれて見上げた稲村ヶ崎に昇る満月は記憶の底に情景として今でも残っています。人が自分の中に貯めたもの、其れを私は記憶の淵と名付けています。
恐らく脳にあるであろうその記憶の淵の水は幼い頃は未だとても清く澄んでいて、だからこそ幼い日の光景を現像液の様に永遠の記憶の印画紙に焼き付けてくれるのでしょう
ここ何年か前より写真撮影を始めてますが
しかし幼い頃の記憶の情景に勝る写真はいまだに 撮れずにおります

情景

情景

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-10-04

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