僕はモブB
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WARNING 君の命の危険
「ねえ、せっかくの金曜日なのに今日もあなたと帰らなきゃなの」
「そうだよ、君は今危ない状況なんだって」
「命を狙われてるなんて、そんなことあるわけないのに。ありえないでしょ」
だって一度も、わたしの身が危険にさらされたことなんてないのよ。自信満々にそう言い放った彼女の首には、誰かに首を絞められた痕が痣になって残っている。
学校の帰り道だった。いつも通り彼女の横にひっつく僕は、この人の身を守るために絶え間なく周りを警戒している。通行人の歩くテンポが少し変わったことにさえ、僕は敏感に反応した。やがて、やはり歩くテンポがわかりやすく僕らの数メートル先で遅くなる、図体のでかい黒服の男を見つけて、彼女の手を取って路地裏に走って逃げた。逃げた先でもスピードを緩めることなく、今度は誰かの家の塀に一緒によじ登って、屋根まで逃げ込む。
瓦がローファーにゴツゴツ当たって、転びそうだ。この日のために体幹を鍛えてきてよかったなと思った。そうやって油断していたら、彼女の首元に飛んでくるなにかが見えたと思うと、彼女の身体は宙に浮いてしまった。フック型の何かを、彼女の襟元に引っ掛けて引っ張っているのだと察するのに数秒かかって、まもなくして彼女は屋根から引きずり下ろされて行った。べしょり、なんていったナマモノが潰れるような音が聞こえて落胆していると、やがて近所の人間の心配する声が彼女に集まった。また僕は、救えなかった。
小鳥のさえずりが聞こえて、ベッドサイドにある窓のカーテンが、朝だよと囁くように揺れた。夢を破壊するように起こしてくる目覚まし時計なんかより、先に起きれるなんて、今日はついてるなと思って寝起きの微睡みにぼんやりと身を委ねていた矢先、煩悩をかき消すような破壊音が鳴り響いた。慌てて布団から起き上がり、うるさいなと苛立った心を落ち着かせるように力任せに目覚まし時計をとめる。伸びをして、見慣れた自室の壁をぼーっと見つめたあと窓の方を向くと、眩むような朝の日差しが目に刺さる。ああ、朝だ。金曜日の、朝だ。
顔を洗う、着替える、朝ごはんを食べる、髪の毛を整える。朝の支度を無造作に済ませると、雑に置かれた靴を丁寧に並べなおしてからローファーを足に添わせた。家を出ると、不愉快そうに顔を歪めた彼女が待っていて、溜息を吐く。おはよう、という僕の挨拶に眉間のしわを深くさせて、文句を言い放った。
「せっかくの金曜日なのに、朝からあなたの顔を見なきゃいけないの」
「そうだよ、君は今危ない状況なんだから」
「命を狙われてるなんて、そんなことあるわけないのに。ありえないでしょ。だって一度も、わたしの身が危険にさらされたことなんてないのよ」
そう僕に訴えかける彼女のうなじには、昨日フックが食いこんだのか、えぐれた痕ができていた。
起
その現象は、忽然と現れた。なんの前触れもなく、文字通り突然始まった。
僕はあの日、いつも通り学校に行き、授業に出席して、HRが終わり家に帰る、というルーティンをこなしていたし、そのままそのルーティンの続きである帰り道彼女と他愛もない話をして手を繋いで帰っていたはずだった。その日の彼女も、いつもと違うところなんて無くて、僕はただ彼女を今日も好きだと、愛おしいと思って、帰路に入ってからもずっと隣にくっついていた。あほ毛が1本出ている、そんなところも可愛い。頭を撫でようと手を彼女の頭に寄せた時、不意に不審な動きをする車が遠くに見えた。フラフラと蛇行運転をしていて、危ないだろうと彼女を歩道側の奥に行かせる。なにごともなく、ただ僕がいる側の歩道と反対側の歩道に交互に寄っていく不思議な動きをしながら通りすぎたので、安心してしまったのが過失だった。
真後ろでタイヤと道路がきいい、と擦れる音が聞こえて、急ブレーキされたのだと気づき振り向くと、眩い真っ直ぐな光がこちらを照らしていて、思わず目を瞑る。通行人が悲鳴をあげるのがわかった。目を開けてみると、眩い光は車のヘッドライトで、視界に見えたのは、標的を見つけた肉食動物のように一直線にこらちに突っ込んでくる先程の蛇行運転をしていた自動車だった。ぶつかる!そう思い、逃げる間も身構える間もなく、目の前の車を凝視していると、僕に少しだけ掠って僕を通りすぎて、路線を変えて隣にいた彼女に突っ込んで行くのを理解して青ざめる。
車の運転手は最初から、彼女が狙いだったことに気づけたのは、彼女の真後ろにあった塀と突っ込んできた車に挟まれて、マシュマロみたいに抵抗なくぐしゃりと潰れていった彼女の死亡が、確認されたあとだった。その日、その8月11日月曜日は、彼女の命日となった__はずだった。
次の日、当たり前に憂鬱な朝。昨日の出来事は夢だったんじゃないかと現実逃避をしてみても、夜中泣きじゃくって腫れた瞼と、塀の破片が刺さって怪我をした右腕が、あれは現実だったということの証明をしていた。ところが、僕の憂鬱な気持ちを無視して部屋に上がり込んでくるお母さんが、「はやく準備しなさい!あの子、待ってるわよ」と奇妙なことを言い始めて、眉間に皺が寄った。あの子?彼女以外に朝、登校するような友達はいなかったはずなのに。
もしかして本当にあれは夢で、僕は昨日一人で小さな事故を起こして怪我でもしたのだろうか。急いで身支度を済ませて階段を駆け下り、うがいだけして前のめりになりながら玄関の扉を開ける。扉の先の光景に、僕は目を疑った。
「遅いよ、寝坊したの?」
「ご、ごめん……」
そこには今日もあほ毛が一本出ている、愛おしい彼女が頬を膨らませて立っていた。ああ、悪い夢から目が覚めた。僕は今日も幸せな朝を迎えることができるのだ。
火曜日を知らせる、火曜日限定で購買に売られるクリームパン。僕の大好物で、毎週火曜日には必ず買っている。なんだか、気分がいい。特に良いことがあったわけでもないのに、妙に現実味のある悪夢が、今日も彼女と過ごせることの嬉しさをより実感させてくれる。彼女こと、僕の愛しの高畑絢音は僕の隣でクリームパンを食べている。僕が好きなものだから、彼女も好きだそうだ。
ふと、絢音は右利きなのに左手で不器用にパンを頬張っていることに気づいた。右手は怪我をしているのか、包帯を巻いていて、
「右手はどうしたの」
「昨日の事故で骨折しちゃった」
「昨日?」
「ねえ、忘れたの?佐藤くんも一緒にいたじゃん」
ぴたりと、僕の動きが止まった。耳から脳に流れてくる情報で、引っかかるものがあった。綾音はいつも僕を「佑紗くん」と呼ぶのに確かに今、「佐藤くん」と呼ばれたのだ。付き合いたての頃、佐藤なんて苗字はたくさんいるから下の名前で呼ぶと笑って言ってくれたのに。
妙な違和感をおぼえて、更に大きな違和感に気づく。
「それって、不審な動きをしていた車の?」
「そう、吃驚しすぎて忘れちゃった?」
中々ないよね、轢き逃げの被害に遭いそうになるって。右手を使えず不自由そうな絢音が、ふふと笑った。左手だと食べづらい、って笑った。
「食べさせてあげるよ」
「要らないよ」
「照れてるの?」
「なにを言っているの?今朝からおかしいよ」
毎朝一緒に登校してるみたいなこと言っていたけれど、と怪訝そうな顔をされて、僕は今立たされている状況がおかしいという考えに確信を持った。
僕はモブB