拘り

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 枠をどこまで失くせるか。アール・ブリュットの概念から単純に導かれるイメージは、自由奔放という主張内容を受け手に喚起させる。
 自由奔放?では、とばかりに疑問を呈すれば、例えばその狙いは表現としての意味内容を理解可能とする人の言語空間を越境するのかどうか。現に可能なものであるとすれば、誰にも理解できない表現はオリジナリティを獲得しているだけでない、誰にも語られることがない手付かずの状態にあるといえる。ここで人々の間でどういうものかと語れることがその表現を枠にはめることになるのであれば、誰にも理解できない表現は枠外の表現と形容できる。ならば、このような表現こそアール・ブリュットが目指すべきものなのか。
 東京都渋谷区公園通りギャラリーで開催中の『アンフレームド 創造は無限を羽ばたいてゆく』を構成する各作品はいずれも美術史に載る絵画の流れに回収されない、自由でエネルギッシュな部分を感じた。特に興味深かったのは、いずれの作品にも「これ!」といえるスタイルが顕著であった点である。地図や線路に倣った描き方、著名な人物と建築物をコミカルに解体する説明書、想像の霊の手によるガールズな非現実、視える世界をスケッチブックに強く表す力、数字に命を与えるイマジネーション、描く道具さえも原始に還る風景、そして焦点を絞る程に有機的な線と色の繋がりに目を奪われる緻密さ。自らの思いを表す方法としてそれぞれが自然に選び、実践してきた最適解に写るその決まりの中で史実に収まらない独自性がその生命力を謳歌している。制約の中の自由を生むその縛りが何故にこのような「外」に流れる力を生むのか。観賞後に抱いたこの感想は、展示会場を訪れる前に頭の中でぶら下げていたさきの問いかけの浅薄さを露わにしたのだった。
 楽しいという感覚があらゆる絵画表現に通底する最も基礎的な動機なのだということは鑑賞しているだけでも伝わる。楽しく描く=思うままに描くという図式からは、硬直化を生むと認識される面が否めないアカデミックな絵画表現に対する自由を核にした新たな主義主張が提示されるのだろう。
しかしながら、その核となる自由の推進力は正統と評価され得る他の絵画表現に歯向かうからこそ生まれる、とどこかで意地悪く考えてしまう。正統な絵画表現の肩に足を乗せ、力強く押し返されるから「自由」は真上の空に向かって飛び立てる。だから、自由を謳う絵画表現は他の絵画表現に依存する関係にある。他の絵画表現の対偶としてのみ、その領域を定型なく示せる。
 変化をもたらそうと試みる主張にどうしても内在する矛盾があるとすれば、それは第三者から見て、既存の枠組みの外に旅立つ者たちがどういう者たちなのかを分かりやすく特徴づける取っ掛かりがないと、既存のものを巻き込み、前に進む大きな力のようなものがそこに生まれていると認識できる印象すら抱かせることができないというものでないか。アール・ブリュットが絵画表現に関する既存の価値基準に立ち向かう主張であるなら、区画できる固有の領域を明らかに出来ないと力ある自由を実行できないのでないか。
 考えれば辿れるこの筋を追う興味はある。が、前述したとおりアール・ブリュットの表現には特徴付けられる決まり事が見事に表れている。その内側で楽しそうな声が泡(あぶく)のように膨らみ、弾け、また膨らむを繰り返している。どこを見渡しても向こう側に歯向かう意思は見出せない。
 「歯向かう」だの「立ち向かう」だのと記せる素人な私の問題意識も結局、アール・ブリュットに当て嵌めた枠組みになる。電子書籍で読むことができた批評家の対談の中で岡崎乾二郎さんが行ったと記憶する発言の趣旨が腑に落ちる。すなわち理解に基づく慣れがいつしか飽きとなり、どういうものかと評価できた瞬間からその対象となる表現の賞味期限は切れ始める。
 絵画鑑賞で感じたことをまとめ、また掘り下げてみたい動機から書いているこの文章も、アール・ブリュットを穴の空いた理屈でパックし、いつの間にか酸化させる面を否定できない。しかし、人は意味を解さずに世界と関われないし、世界を知れない。論理そのものである言葉は勿論、生命活動に向けて必要な機能を備える人の身体そのものが有する意味(=身体の機能)がある。また、表現活動は必ず表現者以外の者に向けて行われる。誰にも見せない表現はない。表現者自身という最初の鑑賞者を抜きに生まれる表現はおよそあり得ないと私は考える。
 アール・ブリュットも人が行う絵画表現である。なら、そこでイメージされる枠の消長に拘る必要はないと割り切るのが妥当でないか。正確に言えば、アール・ブリュットが動かしたい枠は何か、どうして枠を動かしたいのかと鑑賞の方針を敢えて立て、その運動の源となる生命力に目で触れることがその範疇内で夢中になっている十人十色な表現を一番楽しめるのでないか。
 彼らが見ていないものを知っている、そう言ってしまう私たちを走らせる(私個人は佐藤朱美さんが描かれた『妖精たちのいたずら』に惑わされて、また『エキサイト』して)。アール・ブリュットが見た内と外。その何処にいようとも。

拘り

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  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-09-30

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