見えないツインテール

 わたしはだれ?
 高校のテニスコートの横を歩きながらふと思った。中でボールを打ち合っている大きい女の子たちの声がひびく。楽しそうでどこかうらやましい。
 呼ばれてわたしは後ろを向いた。名前をさけびながら優歌ちゃんが、後ろから足音をひびかせたのだ。水色のランドセルの中で筆箱がはねる音。すこし荒い息づかい。彼女がわたしに追いついて、両ひざに手をついて息をととのえる間、きいろいぼうしの下でツインテールのかみがゆれる。
 学校に行くのはゆううつだ。大きらいな制服を着なければならない。けれど、優歌ちゃんと二人で登校する時間はすごく幸せだ。
「おはよう」
 わたしが言うと彼女もにっこりして返し、横並びで歩きはじめる。
 とてつもなく近いから、すぐに学校に着いてしまう。着くと教室の外のくつ箱の前でわかれてしまう。他の人がいるときに話しかけるのは苦手だから、学校では優歌ちゃんにできるだけ声をかけない。
 学校はいやだ。授業はたのしい。休み時間はこわい。だから、感情をけす。なにも感じなくていいように。
 ちょっと前まで優歌ちゃんやほかの女の子たちはいっしょにあそんでくれたのに、みんな最近つめたい。とてもさみしくて、苦しい。なぜなのかわからない。ドッチボールでわたしがよけてばかりだから? それともおにごっこで足の速いわたしがすぐタッチするから?
 そのかわり、きもい男子たちにつきまとわれる。そいつらは後ろから急にやってきて体そう服のズボンを下ろしてきたり、いきなりかんちょうしてきたりするのだ。すごくきらいだ。バナナのかわですべって、両目をはしで突いて勝手にしんでほしいくらいに。あと、わたしをへんなあだ名でよぶ。思いだしたくない。
 でも、ちょっとだけなれてきたのか、今日はうまく感情をけせた。今日はズボンを下ろされなくてよかった。悪口もたった五回しか言われてない。でもけっきょく、今日の一日でよかったのは給食の赤魚がおいしかったこと、くらいしかよくわからなかった。もう何も思いだしたくない。
 六時間目のチャイムがなって、先生が終わりの会をする。はじまるとき、黒板のとなりのそうじ当番の表をみる。ふたりとも当たっていなくてよかった。それから黒板を見ながら連絡帳を書く。連絡帳のはんこ待ちの列に並ぶのもいやな気分だ。先生がおそいから、きらいなやつに後ろから頭をなぐられたりする。でも今日は運がよかった。
 おわりの礼のあと、わたしは筆箱をランドセルにしまっている優歌ちゃんに話しかける。
「優歌ちゃん、いっしょに帰ろ」
 彼女はにっこりしてうなずく。
 いっしょに歩きだして学校を出る。それから彼女にさそわれるまま遠回りの道へ入る。古い家がいっぱいつめこんであって、枝分かれしたどこもまっすぐじゃない道をいく。
 わたしのあこがれている優歌ちゃんは、わたしのとなりで歩きながらツインテールのかみをゆらす。わたしは自分のかみがスポーツがりにされていることなんて、それか制服のきゅうくつな半ズボンをはいていることなんて考えないようにする。ただ優歌ちゃんの笑っている顔だけ見ていられたら、自分がめいっぱいふしあわせでもいいんだ。
 がんばって男の子を演じなければならない。男の子の制服をきせられている立場だから。ひとりっ子だから。それとなぜかはしらないけど女の子が好きだから。だから、女の子の格好がしたいし女の子として生きたいなんて、だれにもいえない。苦しいけどがまんするしかないのだ。
 心の中でわたしは、彼女と同じスカートとツインテールをゆらしながら下校する。後ろも見ないようにしてランドセルも同じ水色だと思ってみる。じっさいは違うなんてことはわかってる。でも幸せなときくらい、いやなことは考えたくない。
 女の子どうしなのに、ふたりっきりだからどこか恋人みたいでうれしい。遠回りだから途中の家の二頭のおおきな犬にあいさつする。まっ白とまっ黒の二頭はどこかやさしい目で、うとうとしている。それがかわいくて、優歌ちゃんと目を合わせて笑いあう。なぜだかわからないけれど言葉がなくても通じ合っている気がした。
 おおきな犬の家からまた歩きはじめたときに思った。今だけは、女の子どうしでいさせてほしい。……神さま、もしいるのでしたら、魔法をかけて一日くらいは女の子でいさせてください。どうか。……気づいたら目があつくなっていた。視界がぬれて、ぼやけている。
「大丈夫? けんちゃん」
「うん。ありがとう」わたしは泣きながら口だけで笑う。
 彼女はかなしそうな顔で、せなかをさすってくれた。たぶん彼女は、わたしがいじめられたことを思いだしていると考えているのだろう。わたしはふたりの幸せな時間を台なしにしたような気がして、目を指でこすってからすぐ笑って歩きだした。
 彼女も同じマンションに住んでいるが、家に帰るときはひとり。エレベータを降りる彼女に手を振る。首からひもでぶらさげたかぎでドアを開けてもひとり。
 制服を着替える。下着を脱いだときに思う。わたしもいつか胸がふくらんできたりするのかな。体はなにも返事してくれない。きっとそうなるだろうと思うことにする。きっと、いつかは。
 わたしは毎日おもう。「けんちゃん」なんていう人間はわたしじゃなくて、わたしの生まれつき着ているよろいであって、ただの他人なのだ。じゃあ優歌ちゃんは、わたしを女の子だと思ってくれているのだろうか。もし違うのなら、すごくかなしい。
 だから、わたしは毎日おもう。
 わたしはだれ?

見えないツインテール

見えないツインテール

すこし自伝的な掌編です。

  • 小説
  • 掌編
  • ミステリー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-09-29

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