雪は行進曲に乗って

瀬戸かもめ

     一


 彼女はしゃがんでいる私の横でリップロールをしている。音がしなくなったので見ると、彼女は直立の姿勢で唇をあひるみたいにしてまんまるい目で無表情に音楽室を眺めている。それから右手にもっていたマウスピースを唇にあててバズィングする。遠くにいる巨大な蚊の鳴き声のような音。Bが合わないのか何度か吹き直した。高い彼女の視線はどこを捉えているのだろう。
「雪は吹かへんの?」すぐ彼女は、左手に持った楽器にマウスピースを差しこむ。
「え」夢中になって顔ばっかりみてた。「吹く」
 私は開けはなしたままのケースから楽器を取り出した。それからスライドを拭いてオイルをさす。その間に彼女はチューナーメトロノームと一緒にロングトーンを始めている。……でもどうしてだろう、朝からわれを忘れて真冬の顔を凝視してた。けど、なんだかよくわからないまま私も吹き始めた。
 ロングトーンを終えてリップスラーを始めようと、私はチューナーメトロノームのテンポを上げる。なんとなくチューニング管に目を落とす。黒と金の世界に映る私は、どこか細長くって金色で変な顔だ。普段は気にしないのに今日はなぜだか気になった。
 そのまま吹いて、気づいたら基礎練を終えていた。
 もやもやして空中に浮いているみたいな気分だった。廊下を歩いている途中、ぼんやり予鈴が聞こえた。
 教室に戻ると、いつもの二人が机を挾んで待っていた。
「森田おそい」琴音がふざけた顔で言う。
「なんかやってたん?」
「ん。いや特になんもやってないけど、冬休みどっか遊びに行かへんかなって話してた」と、ありさが眼鏡越しに楽しそうな目を向けた。
「そっか、でも私、おじいちゃん家に行くから会われへんかも。吹部だって練習あるし」
「そっか、それはしゃあない」「うん、しゃあない」二人が顔を見合わせている。
「でも、雪、ちょっとさみしい……」ありさは両腕を前へ伸ばす。かわいそうだから私はハグしに行く。あったかくてやわらかい。普段の距離で感じるより強い、優しい匂いがした。
 そっと放して笑いあう。何秒かくっついただけなのにほっこりした。
「ありがとう」
「どういたしまして」わざとらしく、ありさが笑った。
「琴音は?」一応訊いた。
「私はいい、かな……」
 琴音はちょっと恥ずかしそうだ。なんだか私とありさが恥ずかしいことでもしていたかのような、妙な雰囲気になった。
 先生が教室に入ってきたので二人に手を振ったあと、席に戻って授業の準備をした。
 それから授業を聞く。特に実技の科目もなく四時間あっという間に過ぎた。

「雪、おべんと!」ありさと琴音が寄ってくる。二人は、前と斜め前の人がよそへ食べに行ったのでその椅子を借りる。
「いただきまーす!」琴音が調子よく大声で言う。つられてありさも同様に呟く。
 私も同じようにして食べ始める。みんなお腹が空いていて、無言の時間が続く。でもいやな感じはしない。心地よい静寂だ。……あと、何回この時間があるのだろう。単純に計算したらいま二年の冬だからあと十二か月くらいはあるかもしれない。でも、終わりがあるってなんか変だな。
「雪、大丈夫?」琴音が心配そうにしている。
「うん、大丈夫やで」
「ならいいけど。でもちょっと悲しそうやった」
「お弁当このメンバーであと何回食べれるかなって考えててん」
「せやな。それ考えたらさみしいかも、うん」ありさがいつになく大きく頷く。
「いま青春って感じせえへん?」と、琴音。
「うん」と、私。
「青春といえば恋って感じするけど、みんなどう?」と、ありさ。「私は推しがおるけど、告れそうにないなぁ」眼鏡の奥の目は少し悲しそうだった。
「うーん」私たち二人は瞑してうなる。
「私もいるけど、無理っぽい」琴音は残念そうに返す。
「私は、……よくわかんない」
「というと?」琴音に訊かれる。
「恋愛感情、ってのがピンとこない」
「心が飛び跳ねそうになる、って感じだよ」ありさが即答した。
「ふうん。あ、あるかも。……あ、でもちょっと違うかな?」
 気づけば私は下を向いていて、二人がにっと頬を緩ませたのを感じた。

 放課後の練習は合奏だった。三学期のコンサートに向けての練習。終わったあと疲れたので上を向いて一息ついた。前の譜面台と椅子を整え、ふらふらしてトロンボーンパートが普段使っている教室前方のグランドピアノ横のスペースに帰る。
 トロンボーンパート、といっても部の人数が少ないから実は二人しかいないのだが。
 一緒に楽器を片づけていると真冬が話しかけてきた。
「クリスマスコンサートのときも思ったけどさいきん雪ヘンじゃない? 大丈夫……?」
「え」
「なんか、気づいたらぼーっとしてるしなんか魂抜けてるみたいやし。こないだ『ジングルベル』のときリピート忘れてたし。体調わるいんかな、って……」彼女は急に声を落として、「あ、もしかして好きな人おるん? あ、うちは特に偏見とかないから相談してくれていいで」
 最後少しはにかんだ表情が気になった。
 真冬の口が固いことは知ってる。けど、私にもよくわからない。それなのになぜか顔が熱い。
「赤い……。図星やね。冬休みに入ってからやったら相談に乗るよ。一緒に遊びに行きたいなって思ってたし」
 急な提案に戸惑う。「……うん。行こ」声の下にはピアニシモとフェードアウトがついていた。
 部長が指揮者の場所にやってくる。「終礼を始めまーす。みなさん何か連絡はないですか」きょろきょろする。「ないですね、じゃあ終わります。ありがとうございました」
「ありがとうございました」みんなで礼をする。その直後には普段のようにほうぼうで話し声が聞こえる。
「雪、今日いっしょに帰らへん?」
「うん」
 他の部員たちに挨拶して、二人で帰る。駅まで歩く道すがら右にいる真冬のほうを見た。目が合う。
「なに?」真冬は微笑みながら軽く首を傾げる。優しい目なんだけど、なぜか見ていて少しつらかった。
 そのまま冬休みのことや勉強のことなどを喋って帰った。裸の街路樹に風が吹きつけてなんだか寒そうだった。

 夜ふとんに寝ころび、SNSの通知をチェックしながら今日の出来事を思い出していた。
 もしかして、私の好きな人は。……いや、ないない。うーん、あれ? 待てよ。もしや、ま……。
 好きだって気づいた。……どうしよう。
 白くて背が高くて優しくてかわいくて。ほっぺた触りたいし抱きしめたいし、それに……待て待て。もしや、これが恋なのか?
 顔をおさえたまま走りだしたい衝動に駆られる。
 でも、急いではいけない。遅すぎず速すぎず一定のテンポで進まなければ。真冬との仲が不協和音をたてて崩れるのが一番怖い。耳の奥でうなりが聞こえる。


     二


「今日くもってる。寒いなぁ」
 冬休みの一日。昼前なのに気温がてんで上がらない。
 私は両手をこすり、間に息を吹きこむ。今朝、普段持っている手袋がなぜか見つからなかった。私の整理が悪いだけだけど、今日はついてないのかもしれない。
「うん寒い。真冬、耳当てしてんねんな。いいな……あったかそう」
「ふふ、いいやろ。お母さんに買うてもうてん」
 商店街は冬に備えて買い物をする人の群れに溢れていた。どこか歳の暮れのさみしさと幸せとのいりまじったような様子だ。赤と緑のリボン飾り、リース、クリスマスツリー、サンタさんやトナカイなどで店先は賑やかな色をしていた。
 真冬は暖かそうな恰好をしている。ダッフルコート、厚手のスカート、タイツ、ボアブーツ、マフラー、それと手袋に耳当て。私より全体的にあったかそうなのだ。今日私はズボンにしたのはさておき防寒具がマフラーとコートだけで、少ない。
 寒いから無言ですたすた歩いていった。

 真冬が選んだ、車の通る道沿いのファミレスに入る。正午少し前だからか、すんなり入れた。
 店員さんが来て水とメニューを持ってくる。メニューを開いて迷う。軽い緊張の一方で一緒にいることの喜びがこみあげる。
「ごっはん、ごっはん」
「雪どしたん?」
「え、私いま何か言ってた?」
「うん、小声で歌ってて楽しそうやった。よっぽどお腹すいてたんやね」
「え。いや、そんなことないで」笑って流す。
「決めたらメニュー貸してな?」
「あ、うん。占領しっぱなしやった。ごめん。決めたで」
「ほ、ありがとう」彼女は受け取るとぱらぱらめくっていたが「これ」と言って頷いた。
「ほう」ウニとイクラのパスタ。私が絶対に選ばないであろう品。
「真冬、ウニ好きなん?」
「うん。最近読んだ漫画に出てきた女の子がウニ好きで、急に食べたくなって」
「ほう。黒髪の幼女?」
「そう。……って雪も知ってたかぁ」
「へへへ」
 店員さんが来て「ご注文はお決まりですか」と訊いた。私たちがそれに答えると、彼女は去っていった。
「あ、そや。お手洗い行ってきてもいいかな」と真冬。
「うん。場所はわかる?」
「前来たからわかるで。また行くときあったら教えるよ」「ありがとう」
 しばらくして真冬が帰ってきた。座って少し経つと、店員さんが飲み物と料理を持ってきてくれた。ウニの生臭さと、私が頼んだジェノベーゼの匂い。俄然お腹が減る。
「いただきます」一緒に手を合わせる。
「おいしい」口を閉じたまま真冬が言う。「一口いる?」
「ちょうだい」私はおそるおそる言う。彼女は麺を巻いたフォークをさしだした。
「あーん」
 彼女に悪気はなさそうだ。むしろ少し悪ノリしている。いい機会だから私は便乗して麺を口に入れた。ふと、間接キスみたいと思い赤くなる。そしてむせた。さいわい麺は口から出なかったけど、呑みこんでしまって味はわからなかった。
 結局、二人とも懲りて無言で食べた。
 スパゲッティを食べ終わって、飲み物をちびちび吸う。同じような姿勢のまま向き合う。真冬がまんまるい純真な目をこちらに向けた。
「えっと。雪ってありさちゃんのこと、好きなん?」
「え、なんで」いきなり言われて戸惑う。
「だって、こないだ教室でハグしてて嬉しそうやったから。……もしかして、ちゃうかった?」
「ちゃう。ありさは友達やで」
「そっか。でも、大丈夫? なんか言いたいことあったらゆうていいねんで」
「うーん。いい」
「わかった。じゃあもう出る?」
「うん。そうしよ」
 別々に勘定を支払って店を出た。
「ねえ、あっちはどう?」真冬が鞄に財布をなおしながら、左を指さした。
 まだ時間が早いから、真冬についていくことにした。車が通る道の歩道を歩き、細い脇道に入って商店街に至る。
 私はこれをデートだと思おうとするけど、目が合うたび彼女の目がいつも私を現実に連れ戻す。
 心はあったかいけど、どこか寒いんだ。だってさ、君は私を見てくれるけど私のこころに気づいてなんてくれない。
 少しふてくされていたら、左手を急に握られた。
「ねえねえ行こー? あっちの方が面白そうやで」彼女は私の手を握って離さない。私は目をそむけたいくらい恥ずかしかった。
「ほら」彼女は飾り窓の中の耳当てを指さした。白い毛糸で、ふわふわしてそうだった。「雪、耳当ていいなってゆーとったやろ? 入ろうや」
「うん」私は流されたまま硝子戸に手をかける。
 気づいたら扉は開いてて部屋の中にいた。
 暖かい室内で、さっそく真冬は防寒具の棚まで行って耳当てを物色する。
「あった。これ雪に似合いそう!」彼女の手にあったのは飾り窓にあったのと同じものだった。白い毛糸が編んであって、耳に当たるところに白いふわふわの毛。
「え。これ可愛すぎひん? 私に似合うやろか」
「大丈夫やで。雪はかわいいから」自然に放たれた一言なのになんだか頬が熱くなる。
 彼女は私の頭を耳当てで挾んだ。顔が近かったから一瞬心臓が跳ねた。
 けどられないようにと思い、正面の鏡に向かう。ちょっと似合ってるかも、という気がした。
「え、それでいくらするん?」
 彼女は値札を探して私に見せる。
「ちょっと高い、かな」
「じゃあ、うちいくらか出したろか? クリスマスプレゼントでもいいで」
「え、別にいいで。大丈夫」嬉しいけどとりあえず遠慮した。
「そっか、残念。似合うのになぁ」
「うーん。……やっぱり買う」
「やった」真冬がにーっと笑った。
 会計を終え、店を出るとやはり外は寒い。帰り道、駅に向かって歩く。
「あ、雪……」
「ん。呼んだ?」
「ううん。降ってきた」
「ほんまや」
 白いふうわりした雪粒がゆらゆら舞って降りてきた。寒いなか外に出てたけどちょっと得したような気分になる。ふたり空を見上げると灰色の中にどこか光が感じられた。
「真冬、手袋忘れたから、手つないでもいい?」
「雪にしては珍しいなぁ。いいで」
 手袋の温さなのか手の温さなのかわからないけど、とにかく暖かくて、こころが満たされた。遠くに見える紅い夕暮れ。電飾眩い冬曇りの商店街の空がどこか優しく感じられた。
 真冬の顔を見る。にっこりした、いつもの優しい顔。


     三


 冬休みの年内最後の部活。音楽室は木管と打楽器が使っているので金管は別の教室で練習する。
 合奏まで時間があったので一緒に基礎練した。今日はよく音が噛み合っていた。終わった後ふと外に視線がいく。教室の窓の外でたった一つ暖かさを持っている光が淑やかに踊るのが見えた。
「雪、まだちょっと時間あるけど何かしたいことある?」
 私は鞄から楽譜ファイルを取り出す。
「真冬、『アルセナール』合わせよ」
「おっけー」
 私はメトロノームを取り、テンポを108に合わせた。
「じゃあ、一、二、一、二、で入って」
「うん」
 楽器を口に寄せる。感じる時間が延び、メトロノームと心臓の鼓動が聞こえる。
「一、二……」
 二人軽くうなずき合い、目を合わせて息を吸った。

雪は行進曲に乗って

雪は行進曲に乗って

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-09-29

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