地下街の記

 夢を見た。青い空があって、私は海を歩いた。太陽が、熱い。それはずっとずっと昔の夢。
 枕元の複雑怪奇な装置から夢幻を取り出す。それを手のひらに載せ、机に置いて朝食の席についた。父と二人で食べる。父は優しく話しかけてくれるが、どこかさみしそうだ。
 食べてから食器を洗って乾かし、出かける準備をした。
 家を発ち、私は歩きだした。父に危ないと言われているので地上に出たことはない。だから、ユーグさんの店に向かうたびいつも思うのだ。この入り口の建物の上に何があるのだろうと。
 円柱形の建物の「夢幻屋」という看板をくぐるといつもの乱雑に整理された店内。店の奥でユーグさんは微笑む。ガスマスク越しの目が笑っているのだ。
「おはようございます」
 私は言いながら、頭に被っていたガラス球を外す。ほんとかどうか知らないが、父によるとこれは三十年前に飛来した宇宙人のヘルメットらしい。
「おはよう。昨日の夢はどうだったかい?」
「海を見ました。空が青かったです」
「そうか」ユーグさんは微笑む。急にユーグさんは表情を変えると私の後ろに向かって「おいイヌ、出ていけ」と大声で言った。見ると私の家の近所に住みついているフタスジイヌだった。私はリプルという名で呼んでいる。リプルはユーグさんが追い出そうとしても動こうとしなかった。
「リプル、ちょっと外へ出てて」私が言うとリプルは私の目を見て、とぼとぼと出ていった。
 私はいつものように椅子に座り、夢幻の記録媒体を目の前のカウンターに置いた。今回のものはガラス球に金属棒が入っている、吊るして揺らすと風が吹いたときに音の鳴るものだった。名前は知らない。
「さて、昨日の話を聴いてもいいかな?」
 ユーグさんは夢幻を借りた人の話を楽しみにしている。夢幻は夢の中で見るものだから寝ないと見えない。一生に見られる数は限られているのだ。
「海を私は歩いていたんです。砂浜が熱くて水は冷たくて、人がいっぱいいました」
「そうか、そうか」
「地下に潜る以前の人の記憶なので、見ていてどこか切ないです。どうしてご先祖は地下へ引っ越したのかな、って」
「それは、前に見せた二世紀前の核戦争の記憶にあるだろう? 放射能汚染が収まった後も不安だったからさ」
「うーん。でも海、綺麗だったんですよ。実物見たいです」
「ノナが大人になるころには地上に戻ってるといいな。で、その夢はどうだったんだ?」
 話を楽しそうに聴いているユーグさんの顔が見たくて、ついいろいろ話してしまう。今日もつい長居してしまった。
「じゃあ、今日は何を借りたい?」
「特に決めてないです」
「そうか、じゃあこれにするといい」
 ユーグさんが渡してくれたのは私の親指の太さくらいの直径のガラス玉だった。
「これはビー玉と言うんだ」
「ありがとう。じゃあ、いつも通りつけといてくれる?」
「ん、わかった」
 私はその無色透明の玉を握りしめて家に帰った。

 翌日、私はそのビー玉を返した。
「どうだったかね?」
「私より年上の女の子がいました。水の中です。目をつぶっててかすかな意識を手繰るようにして、手話(てばなし)で『助けて、ノナ』って言ってました。あれは、監獄ですか」
「そう、水中監獄だ。恐ろしい場所だよ」
「なんか嫌な気分でした。だって……、私の死んじゃったお母さんに似てたから」
 ユーグさんは何も言わず、ただ頷いた。
「でも、どうして?」
「君に夢幻の話をしようと思ったんだ。夢幻はプルースト現象を利用した記録媒体で、今から百五十年くらい前から作られるようになった。過去・現代・未来の人間の記憶を入れられるんだ。これは、ノナ、君についての未来の記憶だ」
「私が……、水中監獄に?」
「そう。しかし、君が罪を犯したわけじゃない。あとで釈放されることまで、私が別の夢幻を見てわかっている」
「でも、なんで」
 水中監獄は、滞在期間は短いが恐ろしいと聞く。水中に数時間漬けられて、その間看守たちは過去の記憶を蘇らせて受刑者を反省させるらしいのだ。何がなんだかわからなかった。
 泣き出した私をユーグさんは抱きしめて、背中をさすってくれた。
 帰り道を歩いていると、途中に地上からの雨漏りで水たまりができていた。水は澄んでいる。その中で、長い髪が揺らめいていた。覗いても水底はなかった。
「ノナ!」私は、それが大きなノナであることに気づいた。「ノナ、どうしてそこにいるの」
 彼女は私に気づき、三角座りで座ったまま真上の私を見上げた。
「来て」彼女はそう言って、微笑んだ。
 水の中に足を入れると澄んだ冷たい世界の中に、私はそのまま落ちていった。

        *

 これは、夢? そうか、夢だ。私は無機質な白い部屋で目覚めた。見たところ病院らしい。窓の外から地下街の無機質な灯りが差し込んでいる。白い光だから日中である。
 夢の中の私は十歳くらいで、まだ小さかった。思えば、さっきまで私は水中監獄の中にいたのだった。でも、それは全然嫌な夢じゃなかった。たぶん、記憶も過去も嫌じゃなかったから……。
「くゎん!」ベッドの下からリプルが飛びだしてきて私の顔をなめにきた。
 私の向かいの離れた壁際に、夢の中で見たよりも老けたユーグさんが立っていた。イヌアレルギーなのでリプルから少し離れたうえでガスマスクをしている。けれど、その目は笑っていた。
「夢を、見ていたようだね」

地下街の記

大学の酉島伝法先生の授業で提出した話です。ネーミングの古さを指摘されたことが思い出深いです。

地下街の記

大学の講義で提出したSF掌編です。後でセルフコミカライズしました。

  • 小説
  • 掌編
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-09-29

Copyrighted
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