真冬の憂欝

悲しい恋の物語

真冬の憂欝


 波の音がしている。『星子さん、僕だ、僕だよ、死にぞこないの僕だよ。』
 死にぞこないの僕がまだこうして生きていて君に手を差し伸べている。苦しいから、苦しいからだ。
 敏郎さん、強くならなくちゃ。敏郎さん、強くならなくちゃ。
 僕はじゅうぶん強いつもりだ。でも厳しいんだ。あまりにも現実が厳しすぎるんだ。
 ----そして僕は現実と夢との境があまりよくわからなくなって陽炎のようにゆらゆらと揺れて歩いていた。


 いつまでこの苦しみが続くのだろう
 僕は疲れ果て
 寒さに震え
 そして寒くて森の中へ入ってゆけない
 いつまでこの苦しみが続くのだろう


 僕が死ぬのは
 きっと暖かくなってからだろう
 寒いと僕は
 森のなかへ入ってゆけない
 寒くて森のなかへ入ってゆけない


 僕は寂しかったから、だからだと思う。君にあんな気違いじみた手紙を出して、僕は、僕は本当に狂っていたのかもしれない。僕は馬鹿だった。君にあんな手紙を出してかえって君に嫌われてしまったこと、僕は、僕は、本当に馬鹿だった。
 僕はあのとき悪魔に呪われていたのかもしれない。僕の手は何者かに操られているようだった。ペンを持った僕の手は無意識のうちに動いていた。そうだ。僕は何者かに操られているようだった。ペンを持った僕の手は無意識のうちに動いていた。そうだ。僕は何者かに操られていた。何者かが僕の手を操っていた。


                  (11月20日)
『私…生きることが解らないの。敏郎さん、解る? 私には解らないわ。私には生きることの意味が解らないの。』
(僕はうつむいたままだった。僕はなんて答えていいか解らなかった。激しい北風が僕の部屋に吹きつけていた。僕は答えることができなかった。
 冷たい北風はテレビやステレオのアンテナを通している穴から僅かに部屋の中に入ってきていた。僕はぼんやりと立ちつくしたまままだエアコンのスイッチを入れずに冷たい部屋の中に立っていた。
 去年の僕は死ぬことばかり考えていた。去年のちょうど今ごろは毎日毎日県立図書館や市民会館に勉強に通っていた。でも死ぬことばかりを…市民会館では7階まであるのでそこから飛び降りることばかりを考えていた。
 去年の今ごろ僕は死神にとりつかれていた。呪われたような留年のしかたをした。そして一年経ったいま僕はふたたびピンチに立たされている。同じ科目でまた留年するかもしれない。毎日毎日そのことで頭がいっぱいで僕はもう決して死ぬことなんて…そんな親不孝なことは決して考えるまいと…そうすると去年のように呪われたような留年のしかたをすると思って試験期間中だけは明るく…心を明るく保っていこうと心掛けていた。
 僕はふたたび去年のように敗れ果てふたたび去年と同じような暗い暗い正月を迎えるのかもしれない。でも進級できてたら僕はどんなに希望に満ちた正月を今度は迎えることができるだろう。
 僕は進級できてたら今度は元気一杯に正月を迎えてそして元気一杯に正月の間も勉強の予習にあてることだろう。
 本当に進級できてたら僕は今度は明るくなれて今までのくよくよした自分から脱却することができるのにと思う。
 僕はこんどは明るい正月を迎えたい。明るいクリスマスや正月を迎えたい。


 星子さんへ                    (12月11日)
 僕はいま勉強しながら死ぬことを考えていたけどやっぱり死ぬことはだめだなあと思い直している。親のためやっぱりどうしても自分は死んではいけないんだと僕は思い直した。親のためどうしてでも生きなければならないんだと思い直した。たとえ試験に落ちていたって死ぬことだけはやめなければならないんだと思う。本当に苦しいけど…試験の結果が分かるまでとっても苦しいけれど受かっているかもしれないしそれに受かっている可能性の方が高いと思うから死んではいけないんだと思い直した。
 でも落ちてたらと思うと僕の心はとても重くなって本当に死んでしまいたくなる。
 いまシトシトと雨が降っている。僕の心のような雨が僕が寝ている間から降っていたんだと気がついた。今年また留年したら何のアルバイトをしていったらいいのかと思う。


                          (12月12日)
 僕が恋人を見つけたとき、僕に第2の人生が始まるだろう。僕が恋人を見つけたとき僕にきっと新しい幸せな人生が僕を待っていてくれるだろう。きっと近いうちそうなるだろう。僕に新しい人生が、幸せな人生が、僕を待っていてくれるだろう。
 恋人を見つけよう。すると明るくなれるかもしれない。元気を取り戻すことができるかもしれない。新しい時代が始まるかもしれない。
 恋人を見つけよう。僕に元気をつけてくれる、僕に笑顔を作らせてくれる、恋人を見つけよう。


 星子さんへ
 去年、なぜ再試がなかったのかなあ、あの教授は僕が精神科に通院していることを知っているからだから再試をさせなかったんだろうと思って僕は今夜激しく落ち込んだ。医者のくせして精神科の病気に偏見をもつなんて僕はあの教授に対する怒りと憎しみに支配されていた。今年また落ちたら僕はその教授のために殺されたんだと…極端に言えばそう言えると思う。この一年の苦しさ…僕は何度も自殺しようとしたほどだった。○○先生に救われて僕は今まで死なずに生きてきましたけれどもし○○先生と巡り合うことがなかったなら僕のこの一年間はどんなに苦しいものとなっていただろうと思う。
 今少し希望に満ちている。今年はたぶん留年せずに進級できるだろうと思えるから来年の最後の年を勉強に打ち込んで僕は優等生に変身してそしてアメリカに留学してそして僕の喉の病気や言語障害の研究をしようかと思っている。
 今年は本当に苦しい一年間でしたけどどうにか生きてこられて本当に良かったと思っている。僕は成長してもう自殺なんか考えないような自分になった。本当に苦しい一年間だったけれども僕はもう以前のクヨクヨした自分ではなくなった。ふたたび希望がかすかながら僕の目のまえに見えてきた。
 新しい時代が僕にとって始まろうとしている。もうクヨクヨしないこれからは明るくなった自分がこれからの一年、二年間を送っていくような気がしている。



 星子さんへ (12月8日)
  もうこの海もすっかり冬の様相を呈してきました。星子さん、お変わりありませんか。僕もすっかり27才になりきった感じがしています。
 4度目の留年をするかもしれないという恐怖とこの頃毎日戦っています。今日、大事な試験が終わりました。でも僕の胸の中は不安でいっぱいで久しぶりにこんなに寒いのにこの浜辺へ学校から帰ってきたあとクルマでやってきました。 
 僕の不安な胸の中はこの冬の荒れた海のようです。今にも氷ついて割れてしまいそうな感じがたまらないわびしさ淋しさと一緒に湧いてきます。
 やっぱりこの海は終末の海だなあという感じが湧いてくる。もう僕は駄目でもうこのまま海の中へ飛び込んで消えていきたいとつい思ってしまう。
 でも僕には親がいるから…僕は星子さんのようには死ねない。僕には親を養っていかなければならない義務がある。星子さんのように海に飛び込んで死ねたらいいけれど僕にはやはり死ねない。僕には義務がある。僕はどんなに苦しくても生きていかなければならない。
 よく考えてみると星子さんが死んでから11年が経つ。暗い11年だった。寂しい辛い11年間だった。僕の人生は星子さんがあの夜の海に飛び込んだときにもう終わっていたのかもしれない気がする。
 もうだんだんと夜も更けてきている。でもクルマの中は暖かく音楽が流れていて僕は幸せだ。
 いつかきっと僕はこの海を星子さんでない誰かほかの女の人と歩くだろう。それがいつのことになるか解らないけれど。それが一日も早く来ることを僕は願っている。一日も早くそんな日が来ることを。
 僕の心は揺れている。創価学会に戻るべきか、そして戻れば茨の道が僕を待ち構えていることを知っているから、僕はとても迷っている。
 かつての元気だった僕の姿は、でも心の中には罰への不安があった。その不安に追われるように一生懸命一生懸命信心をしていた。
 そして僕は今、
 僕は絶望ばかりしていた。いつもクヨクヨしていた僕だった。でもこれからは僕は負けない。僕は真実の信仰に戻るのだから、これからは僕は決して負けない。
 これからはどんなに厳しいことがあっても信仰の力で乗りきっていく。僕は7年間の退転から再び立ち上がり、人のため苦しんでいる人のために、僕は命を賭けて戦うだろう。僕はもう自分の幸せを追い求めることはやめよう。文学への野心は捨てよう。ただ苦しんでいる人のために、僕はこれから毎日命賭けで戦ってゆく。
 僕は死ねない。母を幸せにするまで、父を幸せにするまで、今までとても苦労しながら僕を育ててきてくれた父や母のため、僕は死ねない。
 僕が死ぬときは、父や母が既に亡くなっているときだろう。そのときでないと僕は、どんなにしてでも石にかじりついてでも死ねない。父や母に親孝行し尽くすまで、僕は死ねない。
 幸せは何処にあるのだろう。窓を開ければ海も見えるし山も見えるし大きな公園も見える。でも幸せは何処にもない。陽の光に輝いている海だって山だって公園だって、幸せは何処にもない。


 星子さんへ
 明日、試験ですけど僕はこの一週間ほど創価学会に戻るべきかどうしようかとても迷っている。創価学会に戻れば元気は出ます。でも…
 喉の病気が戻れば、僕は明るくなって、そうして青春を謳歌することができるようになる。星子さんを死なせたようなことをもうしないでいいようになる。喉の病気さえ治ったら僕は明るくなれて、もう宗教のことを考えたりとかしないでいいようになる気がする。喉の病気さえ治したら。
 (※僕はこの冬休み喉の手術を受けようと思っている。そして治ったら。)



                     (12月16日)
 僕は死のうとした。もう決して死ぬことなんて考えないようにしようと思っていた僕だったのに僕にはまだ死神がとりついていたのだろう。また呪われたような留年を僕は迎えようとしている。今度のクリスマスや正月こそはと思っていた僕だったのにまたまっ暗いまっ暗闇のクリスマスや正月を迎えようとしているようだ。
 僕は昨夜お酒をたくさん飲んだ。たくさんたくさん吐いた。母にたいへん迷惑をかけた。魚をたくさん吐いた。ケーキをたくさん食べてほとんどすべて吐いた。いま頭は二日酔いでボーッとしている。眠れなかった。睡眠薬をたくさんたくさん飲んだ。死にきれなかった。僕の体はもう睡眠薬には非常に強くなっている。赤玉ポートワインを半分ぐらい飲んだ。1、8リットルの赤玉ポートワインを半分ぐらい飲んだ。


 星子さんへ (12月17日)
 冬の海は厳しい。とても飛び込めやしない。とっても寂しいし、それに辛い。冷たくてとても飛び込めやしない。冷たすぎる。ちょうど僕らに対する世間の…ちょうどそのようだ。冷たすぎて冷たすぎて僕にはとても飛び込めそうにない。僕には夏の海…あの暖かい真夏の海ではなくてはとても飛び込めそうにない。僕には星子さんのようなそんな勇気は出てこない。僕には真冬の冷たい海に飛び込める勇気なんてとっても出てこない。
 僕には勇気がないのかもしれないし、それに僕にはまだ希望があるのかもしれない。だからまだ死ねないのかもしれないし、死なないのかもしれない。
 僕には不幸な人を救っていくという希望がまだあるし、それに僕には養っていかなければならない親がいるし、死のうにも死ねない。僕にはまだ希望や使命があるし、義務がある。僕はまだ死ねないんだ。僕はまだ死ねない。僕はまだ死んではいけないんだ。



 星子さんへ (12月18日)
 夜眠れないときなんか今でも星子さんのことを思い出してしまう。あの楽しかった文通のことなんかを思い出して懐かしさに浸ってしまう。
 もうでもあれから11年も経つ。もう忘れてしまわなければならない過去なのかもしれないけど僕は忘れられない。
 悲しい過去なのかもしれない。でも僕には幸せな過去です。きっと僕が死ぬまで星子さんと続けた文通の思い出は僕の胸から消えないと思う。いつまでも少年時代の美しい思い出として僕の胸の中で輝き続けると思う。



     (12月19日 夜 激しい肉体労働のあとにて)
 今でも思い出せるあの中学時代の懐かしい日々。星子さんやゴロとのあの思い出の浜辺での出来事。波の音。波の香り。ゴロのなき声。星子さんの車輪の音。僕の足音。星子さんの歌声。
 それらとともに苦しい中学時代の学校生活の数々が思い出されてくる。それから逃げるように夕方になるとゴロを連れて通ったペロポネソスの浜辺。
 浜辺に着くとゴロと一緒に裏の林の中に横たわって星子さんの後ろ姿を見ていた。波の音やカモメの鳴き声とともに聞こえてくる星子さんの歌声と僕らをほんのりと包み込んでくれる夕陽。


 星子さんへ
 今の日々と少年の頃の日々を比べるとどちらがきつかったか僕には良く解りません。どちらもきつかったようで…でも今の希望の喪われた日々に比べるとまだ元気だった少年の頃の方がずっと良かったような気がします。
 明日死のう明日死のうと思って今まで死ぬのを延ばしてきました。でももう延ばされないような気がします。真理は僕にはなかった。真理は…人を救える道は。


 星子さんへ               (12月19日)
 苦しみのない世界へ行きたい。争いも憎しみもなにもない世界へ行きたい。そうして静かに横たわり続けたい。静かにいつまでもそうしていたい。
 僕はいつも悔やんできた。いつも悔やんでばかりしてきた。でももう僕は悔やみたくない。これからは明るい人生を歩みたい。今度こそは明るい年月を送りたい。
 星子さん。明るい日々は来ないのかい。(…ええ、明るい日々は来ないわよ。)でも僕はこれから明るい日々を送りたい。今度こそは明るい日々を送りたい。
 僕はいつも苦しんできた。苦しい少年時代を送ってきた。そしてもう27になった。僕の今までの人生は灰色だった。僕には青春がなかった。ただ虐げられた苦しい少年時代のつづきと寂しい一人ぼっちの20代の日々があるだけだった。
 星子さんへ
 今は不安と焦燥の日々だけど僕は中学や高校の頃はいつもこんな苦しい日々を送ってきた。そのことを思うと僕は耐えられるような気もする。ただ寂しいけど…友達がいなくてとても寂しいけど…
 まどろみかけた意識の中で、僕はゴロや星子さんのことを思い出している。苦しかったけれど元気だったあの頃の自分のことを、辛かったけれど希望に満ち溢れていたあの頃の自分のことを。

 悲しい現実は僕を、思い出の浜辺へと連れてゆく。潮風に吹かれて揺れている星子さんの横顔が思い出の中に蘇ってくる。哀しい哀しい思い出だけれど、辛かった頃の…そして今ももっと辛い毎日だけれど。

 毎日題目を真剣にあげていたあの頃の僕。苦しかったけれど決して負けていなかったあの頃の僕。元気で明るくて友達もたくさんいたあの頃の僕。もう夢のようにしか見えないけど、もう今では夢のようにしか見えないけれど。

 僕の自殺は正義のための自殺なのかもしれない。正義のための自殺もあるということを、僕は知っている。

(暗い冷たい海の底から星子さんが僕を呼んでいる。懸命に懸命になって僕を呼んでいる。僕は岸壁に立ち尽くして冷たい冬の海には飛び込めないでいる。寒い北風が夕暮れの闇とともに僕を包み込もうとしている。僕らはあまりにも重たい宿業を持って生まれてきた。あまりにも重たくて僕もまた今死のうとしている。呪いなんだ、何かの呪いなんだ。あまりにも厳しくて星子さんは自ら命を絶っていったし僕もまた絶壁に立たされたような感じがしている。もう星子さんが死んでから11年半経っている。星子さんは14歳になったばかりのときに死んだ。僕は27歳になったばかりだ。 波が足元に砕け散っていっている。僕の人生のような重たい厳しい波が足元に渦巻いている。僕は死ねない。星子さんのように僕も死ねたらどんなに楽だろう、と思うけれど僕には死ねない。死んでたまるものか。僕は生きなければならないんだ。たとえこれからの人生が今までのように辛く苦しく厳しいものであっても僕は生きてゆかなくっちゃいけないんだ。
 僕が心のなかでそう叫ぶと、さっきまで僕の足首を掴もうと必死になっていた星子さんが急に再び海の底へと消えていってしまった。そうしてもう見えなくなってしまった。僕には○○さんへの思いもあるし、たとえ今度また留年してでも、そして今度の一年は辛い肉体労働ばかりの日々になろうとも僕は生きてゆくつもりだった。ごめんね、星子さん。ごめんね。


                     (S63・12・20)
 悲しみの夜は更けてゆき、僕はこれからどうやって生きてゆこうか、海に…僕の少年のころ僕のために自殺していった女の子を追って僕も海に…沈んでいこうか…とも思っている。
 でも外は寒くて海の水は冷たいし、僕は
 あのコは冷たい海の水の中に沈んでいった。とても辛かったと思うのに…僕が手紙の返事を出さないでいたばかりに誤解して…人はやっぱり自分だけが一番可愛いのだろうか。親や姉のことなんかを考えると僕はあのコのようには死ねない。冷たい海の中に、死ぬ前の苦しみに耐えてまで、僕は死ぬ勇気がない。ノホホンと、僕はノホホンとテレビを見たりしている。ノホホンと、でも哀しさをたたえながら。



 星子さんへ �@ (12月20日)
 僕の喪われた青春を取り戻したい…少なくとも青春をやり直したいという気持ちは強いです。そしてまた何が世のため人のためまた自分の生きがいになるのかと煩悶する今日この頃です。
 僕は人生をやり直したい。また今まで苦労をかけてきた親へ対する罪悪感とで僕は今にも胸が張り裂けてしまいそうな…できることならば死んでしまいたい…でも死ねない…親のため死ねない…今週の土曜日の進級判定で僕の生きるか死ぬかそれともほかの何かの道に自分の生きがいを見出すか…僕はとても煩悶しています。
 何か…何かが自分には足りない…でもそれが何なのか解らない。充実感というか何かが今の自分には欠けている。
 僕はそれがいったい何なのか解らない。僕には解らない。
 呪われたような自分の人生。少なくとも今までの自分の人生。それを思うと僕は気が狂ってしまいそうになる。僕は叫び出してしまいたくなる。
 少年の頃のあの充実していた日々に戻りたい。苦しかったけれども…たしかにとても苦しかったけれども充実していた日々に戻りたい。今思えばとても懐かしいあの頃の日々に僕は戻りたい。
 僕は死んではいけない。どんな苦境に立たされようとも、僕は死んでだけはいけない。母のため父のため僕は死んでだけはいけない。僕は自分が犠牲になってもどんなに辛くても生きていかなければならない。母のため父のためそしてほかにも僕が救えるかもしれない何人かの人のため、僕はどんなことがあっても生きて行かなければならない。どんなに辛くても、どんなに苦しくても、死んでだけはいけない。


                           (12月21日)
 もう僕らには苦しい時代は過ぎ去ったね。僕の頭の中にはカビが生えているようだ。白くて青いカビで、僕はもう考えることも憶えることもできなくなったようだ。僕は呆然と海を見つめるだけだ。星子さんとの懐かしい思い出の海を、何の記憶もなく、何の感動もなく、僕は眺めるだけだ。
 いつの日にか幸福な日が僕にもやって来ると信じてきた。でも訪れてきたのは苦しみに沈む日々だった。いつかきっと僕も幸福になれると思ってきた。でも目の前には茫洋とした悲しい海しか見えない。絶望に満ちた悲しい海しか、僕には見えない。
 遠くに山があるし、すぐ近くに海があるし、僕らの育ってきた日見はとてもいい所だったけれど、僕らは苦しんできた。小さい頃から病気でとてもとても苦しんできた。
 苦しみの季節は過ぎ去り、僕にも幸せな季節がやって来ないかな、と僕はずっと窓辺から海を見つづけてきた。いつかきっと僕にも幸せな季節が来ないかなと。


                          (12月22日)
 もしも僕に力があったなら、苦しんでいる人を救ってあげる力があったなら、そうしたら僕は全てを賭けて僕は全てをそのことに賭けて毎日全力で駆けて行くんだけど、でもそのことがない。僕には自分の力を賭けるものがない。僕にはない。

 愛子へ
 去年、僕は今頃、死ぬことばかりを考えていました。そして今年も断崖絶壁に立たされているような感じです。
 昨日、アルバイト先で、愛子の再来のような女の子と巡り合いました。あの子が愛子の再来になってくれたらいいのに…と思っている今日です。
 明るくって元気で、ちょうど愛子のようでした。あと2日後に迫った進級発表ですけれど、もしあの子が僕の恋人になってくれたら僕は落ちていたっていい、とまで思っています。
 もう全く愛子との音信も途絶えましたけど愛子元気にしてますか。僕はこの手紙をこのまえ買ったソニーのプロデユース100EXというので書いてます。あと2日後に迫った進級発表のことで頭がいっぱいで眠れなくて書き始めました。自分には死神が憑いているという死神妄想に僕は正直言ってとらわれています。本当に僕に死神が憑いていたら僕はきっとまた留年しているでしょう。でも死神が憑いていなかったら僕は進級できてると思います。
 僕は死にたくありません。僕は早く医者になってアフリカかどこかに行って病気で苦しんでいる人たちを救ったりしたいです。でも僕に憑いている死神はとっても強くて僕のそういう心をも無にしてしまうのかもしれません。
 愛子。僕はまだ創価学会に戻ろうかどうしようか迷っている自分に気付いてハッ、としています。僕は小学三年生の頃から自分から始めてそれから大学一年まで一生懸命に…自分ほど真面目にやっているのはいないくらい熱心にやっていました。小学三年の頃、苦しくて苦しくてたまらなくてもう八方塞がりだと思って(家の人は母が少ししていたぐらいでしたけど)自分から始めたのですけど、やはり僕には創価学会の血が流れているというか、僕には創価学会しかないんだという思いにとらわれています。
 創価学会をすると元気になります。でも
 死ぬ訳にはいかない。死んだ方が楽だろう…とは何度も思うけど、母や父のため死ねない。苦労してきた母や父のため死ねない。
(冷たい北風が浜辺に吹き付けてきている。僕は死ねない。死んだ方がどんなに楽だろう…とは思うけれども僕は死ねない。
 僕は27年生きてきた。辛いことが多い27年間だった。でも


                        (12月22日)
 その思いは絶望に沈んでいた僕の頭に題目の声とともに(たぶん姉の…そして母の題目の声とともに)忽然と湧いてきた。創価学会に戻ろう、創価学会の信心を再びしよう。僕は心の中で題目を唱え始めていた。久しぶりに題目を唱えていた。不思議と唱える度に力が湧いてくるな、とは思いつつも7年間否定し続けてきた僕だった。
 母のため…姉のため…父のため…僕は創価学会に戻ろう。思えば僕は半分自殺を決意してこの浜辺へ来たのだった。手に握られた柔道の帯を僕はそっとジャンバーの胸ポケットの中に蔵った。
 中学や高校の頃のように僕は再び信心をしよう。そして元気になろう。学会活動に励もう。そして福運をつけよう。
 涙が自然とにじんできていた。心の中で題目を唱えつつ僕はクルマの中へと引き返しつつあった。家に帰って御本尊様の前に座ろう。僕はとても懐かしく御本尊様のことを思い出していた。
 御本尊様すみません。お母さん、お父さん、お姉さん、すみません。


                        (12月24日 朝)
 星子さんへ。僕は久しぶりにこの浜辺に来ています。今日の夕方、進級の発表があります。僕は今日、病院のアルバイトをさぼって久しぶりにこの浜辺にやってきました。僕はプレッシャーに耐えきれなかったのです。
 病院のアルバイトを予告もしないで無断でさぼるなんて始めてだな、と思います。きっと熱田先生たちは僕が自殺したんじゃないのか、それとも神仏にお祈りしているのか、と思っていらっしゃると思います。
 家に電話かけても母が出て僕はいつものとおり家を出たことを熱田先生たちか誰か病院の人に言うと思います。そうすると病院の人たちはますます僕が自殺しに行ったんではないのか、と思うと思います。
 試験前から来てなかったからこの浜辺は一ヶ月ぶりぐらいだと思います。僕は十日ぶりぐらいにクルマを運転してこの浜辺にやってきました。僕のほとんど要らないこの赤いプレリュードは本当にもったいない気がします。
 今から森の中へ入っていって首を吊ろうかな、という気もしています。昨日は12時間ぐらいも眠りました。不思議なくらいとってもよく眠れて今朝は頭がとても爽やかです。
 去年もよくクリスマスから正月にかけてこの浜辺にやって来ていたことと思います。本当に去年のあの頃は苦しかったです。でも今年は進級できてるような気もします。でもやっぱりとても不安で今朝この浜辺にやって来ました。
 とっても悲しい眺めです。カモメは一羽さっき飛んでいるのを見かけたように思います。でも冬の冷たい海の中に消えていったような気もします。
 昨夜僕は『物質的欲望を棄て去ろう。そうして病気などで苦しんでいる人たちを救っていける霊能力者になろう。』と決意してクルマを売ることワープロを売ること、もう決してオナニーはしないことなどを想いました。暗闇の中で何度も自律訓練法に励みました。また創価学会に戻ることやキリスト教の洗礼を受けることなども真剣に考えました。
 死ぬことなんて決して考えませんでした。でもこの浜辺にやって来ると、この浜辺の景色はいつも冬は“死”を僕に想起させるものがあるようでいま自殺を考えてもいます。
 本当にさっきから誰も通らなくて冬の冷たい風だけが吹いていて淋しい浜辺ですね。僕らの出会ったときは夏でそんなに淋しい感じは全然なかったのに。
 もう僕は僕らが出会ったときから2倍以上生きてきました。出会ったのが十二の頃でしたから。
 落ちてたら今度、僕はこの浜辺に死にに来るかもしれません。寒いからクルマで…そして点鼻薬の瓶を持って。
 僕は僕の人生を想っていました。淋しかった辛かった幼い頃からの自分の人生のことを想っていました。そうして宗教者になることを…宗教しか苦しんでいる人たちを救えないことを真剣に考えていました。

『星子さん。真冬の黒い海を見ていると僕らの暗い…でも少しは明るく楽しかった少年少女時代を思い出すね。僕らの少年少女時代は本当に辛かったけどでも僕らは文通によって結ばれていたし夜遅くまで書いていた文通の手紙の思い出はもう27歳になった僕に少年の頃の懐かしい思い出として残っている。
 本当�ノあの頃は辛かったけどでも懐かしい思い出として…幸せな思い出として僕の胸に星のように輝いている。
 本当に僕の少年時代って冬の夜空のようだったけど、ところどころに見える星の瞬きはまるで僕らの文通の封筒のように見えるね。僕らの少年少女時代を彩ってきた僕らの文通の一つ一つみたいだね。』
 ----そうして僕は一人涙ぐんでいた。僕の孤独を慰めてくれるものは何もなかった。僕はただ努力と信念とだけで生きることを決意していた。僕はやっぱり一人ぼっちだった。去年と同じように今年のクリスマスも一人ぼっちだった。

『幸せは…幸せは何処にあるの?…敏郎さん… 幸せは…幸せは何処にあるの?…
『幸せは…何処にもないよ… 去年のようにまっ暗な海だね…星子さん。去年のクリスマスも寒くてとても暗かった。今年もまっ暗だね…星子さん。僕はこの一年幸せを求め続けてさまよってきた。でも幸せは僕には遂に掴まらなかった。幸せは僕には掴めないんだね。僕にはようやく解ったよ。宿命の黒い鉄鎖で僕はがんじがらめになっているんだ。その黒い鉄の鎖はほどけないよ。僕にはようやく解ったよ。人の運命って簡単には帰られないことを。僕はようやく解った。』
 ----星子さんは去年のように裸で氷に濡れて冬の夜の海風に吹かれていた。僕はどうすることもできずそんな星子さんを見て立ちすくんでいた。僕に星子さんをその可哀想な境遇から救ってやることはどうしてでもできなかった。


『五船先生、死んだらどうなるの? 死後の世界ってあるの?』
『ああ、死後の世界はあるよ。たしかにある。でも死んではいけない。自殺だけはしてはいけない。僕も何度か死のうと思ったことがある。OKホームセンターの農薬の棚の前をフラフラと歩いていたこともあった。その前でどれを買おうかと迷って立ちすくんでいたこともある。あのとき買えなかった。農薬を買うのさえお金がもったいなく思った。たった数百円の農薬を。僕はあのとき、100円使うのさえ親に少しでもお金を残しておいてやりたかった。
 僕も何度も死のうとした。森の中に柔道の帯を持って入っていったこともある。でも寒くて死ねなかった。
 真冬なのにぽかぽかと暖かい夜、2年前の12月の25日のことだった。その日の夕方、留年が決まったのだった。僕は柔道の帯を持って森の中へ入った。でも僕はあとに残された親のことを考えると死ねなかった。
 君も、今まで育ててくれた両親のことを思うと死ねないだろう。君だけの命ではないんだ。君はどうでもよくても
 哀しみの海辺で僕は君の思い出を石ころを蹴りながら思い描いていた。もう十年も前になるとても悲しい思い出を十年前と変わらない波の音を聞きながら、僕は君の思い出を、涙をいっぱいにためながら思い出していた。                       (12月26日)


星子さんへ
僕は奇跡的に進級できてましたけど、虚脱感といおうか何か言いようのない苦しみ・虚しさに襲われています。
僕は懐かしい中学・高校時代を思い出してしまいます。星子さんとの文通が僕の心の支えとなっていたあの頃の日々を思い出して。
元気だったあの頃…本当に元気だったあの頃…とっても暑がりでそしてお腹を膨らませれば大きく膨らんでいた僕のお腹。
僕はそして家に居ながら星子さんとの思い出のペロポネソスの浜辺を思い出したりして懐かしさに浸っています。そして涙が溢れてくるのを僕は懸命にこらえています。 懐かしいあの頃、元気だったあの頃、あの頃は僕にも友達がいっぱいいて毎日プールへ行ったり自転車に乗って遊んで回っていました。もうすでにあの頃ノドの病気になっていたけれど、僕は元気でした。
 そして今、僕は好きな人ができました。でもまた片思いに終るような気がしないでもないんですけれど、でも僕はできるだけ頑張ろうと思っています。
 もうすっかり正月が近くなって寒さもかなり厳しくなってきました。僕らのペロポネソスの浜辺も今頃は白いカモメが僕らの少年少女時代を彷彿とさせるように飛んでいることと思います。元気いっぱいに白いカモメが僕らの僕らの懐かしい昔の日々をそのままに飛んでいると思います。


                          (12月29日)
 29、30とあと2日間僕は一生懸命出掛けよう。あのコと会うため。あと2日間僕は一生懸命出勤しよう。ちょっと辛いけど、きついけど、
 
 星子さんへ
 波の音も昔と違ってもう懐かしさも…昔ボクに元気を与えてくれていた浜辺のメロデイーではなくなっていることに僕は今朝やっと気付いて歩いています。僕の踏みしめる砂の音ももう寂しい響きしか僕の耳には与えてくれません。
 ○○さんへの恋を適わない恋だとあきらめてしまうことに僕は今苦しんでいるのだと思います。久しぶりに胸のときめきを覚えた僕。でもこの恋も虚しく僕一人の片思いに終ってしまうことに僕は今こんなに寂しい思いをしているのだと思います。
 劣等感と淋しさでいっぱいになって僕は今朝この浜辺を歩いています。もうカモメも目を覚して餌を探して飛回っているようです。僕らの頃のカモメときっともう違うカモメでしょうけれど。
 もう元気だった頃の僕はもう還ってこないのでしょうか。僕は


                          (12月30日)
 僕は今年はこの浜辺を、恋人と一緒に歩きたいと思ってきた。僕は一年間そう思ってきた。でも僕は今年もこの浜辺を、たった一人で歩いている。誰とも手を繋ぐこともなく、たった一人で。この果てしない白い浜辺を。


 僕は一人きりだった。この一年間も。でも僕は今年の最後に、恋らしいものを経験した。まだ実るか実らないか解らないけど、僕はこの恋を追求めたい。追求めたらそこには『死』の洞穴が待っているかもしれないけど、僕はこの恋を追求めたい。どうせ実らぬ恋かもしれないけれど、僕の青春の最後の燃焼として、僕は追求めたい。


          (白い砂浜を歩きながら)
 負けるもんか。一人ぼっちの道だけど、誰も僕を慰めてはくれないけど、負けるもんか。僕は一生懸命勉強して、そうして悩み苦しんでいる人たちを救ってゆくんだ。負けるもんか。一人ぼっちだったって、淋しくったって、


                        (12月31日)
 白い砂浜を恋人と歩きたい。可愛い女の子と手を繋いで。
 僕は死にたくない。可愛い女の子と手を繋いで白い浜辺を歩きたい。

 あれから一週間が過ぎました。僕には辛い一週間でした。
 菊池さんは今いったい何をしていますか。もう正月で一家揃っておモチでも食べているのだと思います。

 僕の心は、冬の海のように荒れている。冷たい風や激しい風。死を望む僕の心のようだ。
 僕の心は飛んでゆこう。冷たい北風に乗って、遠い天草や雲仙へと、とても寒そうだけれど、とても辛そうだけれど。

 海に潜ったら、大きな鯛や小さな鯛、大きなヒラメや、大きな蟹が、僕を迎えてくれた。孤独な僕を迎えてくれた。

春になると、きっと僕の心も明るくなるだろう。今はとっても寒い冬だけど、春になったら、きっと僕も明るくなるだろう。

 高総体のときのとても目の大きなとても美しかったもう思い出の霧の中へ消えて行こうとしているたぶん活水高校の一年生だった(昭和54年6月のとき)女の子へ。

 もうあれから9年半経ちました。もしも僕らがあのとき友達になっていたら僕の青春は…(きっとあなたは僕なしにきっととても楽しい青春時代を送っていたと…そして送っていると…そしてもう結婚されているような気がしますけど。でも僕は…僕は発狂寸前で…そして自殺直前で生きています。あれからの9年半、苦しいそして淋しい年月でした。僕の傍にもしも君が寄り添っていてたなら僕はいじけることも挫けることもなくこの27歳になるまで順調な人生を歩んでいたのかもしれません。でも僕の今までの人生は…そしてこの九年半は…屈折した苦しい年月でした。
 もしもあなたが僕の傍に寄り添っていてそして僕を励ましてくれていたならば僕は今のような苦境には落ち込まなかったでしょうし僕は悔いのない青春時代を送っていたにちがいありません。でも僕の青春時代…少年時代はどんなに屈折した苦しいものだったでしょう。
 あなたが居たならば…もしも僕の傍にあなたが寄り添っていてくれたならば僕の高三の6月からの人生はきっと悔いのない素晴らしいものになっていたのに違いありません。
 あなたの瞳に照らされて僕の17歳からの人生はきっと輝いた素晴らしいものになっていたのに違いありません。もしもあのとき僕が喋れていたならば…。でも僕のノドの病気が僕とあなたを友達にすることを許さなかったと言うか遠ざけました。僕はそのときの後悔で9年半経った27歳の今も酒を飲んだとき泣けてくるほどです。

 白い浜辺を歩きたいと思ってきた。誰か美しい少女と。
 でも僕は今も一人で歩いている。冬の冷たい北風の吹くどこまでも冷たい浜辺を。
 僕は一人でいつまでも歩き続けるのだろう。いつまでも。いつまでも。たった一人で。

 星子さんへ
 僕は今年はこの浜辺を美しい恋人と手を繋いで歩きたいと思ってきました。でも僕は北風の吹くこの浜辺を今年も一人で歩いています。冷たい冷たい波しぶきがときどき僕の頬に降り注いできます。そしてそれは僕の涙に変わろうとしているようです。僕のもう泣く気力も喪せたこの頬に。

 星子さんへ
 美しい少女との出会いも僕には空しい木の葉が冬の北風に吹かれて散ってゆくように僕の胸のなかで今北風に舞いながら凍り付いた地面に落ちてゆこうとしているようです。いつもの寂しい出会いと別れがまた僕の胸のなかで…僕だけの寂しい胸のなかで起ころうとしているようです。

 僕は勉強しなければならない。女のコのことなんか忘れて一生懸命に一生懸命に…僕は勉強しなければならない。

 愛子へ
 去年も…去年もだったけど今年も愛子は僕に連絡をくれなかったね。去年の正月は留年してとても苦しい正月だったけど今年の正月は進級できてホッ、とした正月を送りました。でも大晦日も正月もずっと病院にパソコンのアルバイトに通い続けたけど。
 もう愛子からの連絡が途絶えてどれ位たつかなあ、と考えています。思えば愛子が福岡に行った年…その年の12月ごろに手紙を何通かくれたきりじゃないのかなあ…と思います。
 僕はあの頃愛子のこと考えてなくて返事を書かなかったけど、そうして僕がまた愛子のことを懐かしく思い出して手紙を書き始めるようになったのはいつのことかなあと思います。
 たしかあれは僕が学2のまだ留年していなかった年の10月頃だったかなあ…と思います。いやあの頃は愛子との思い出を他の思い出に塗り変えようとしていたのではなかったかなあ。(あの頃僕は愛子の手紙を全て捨てたのだから)僕が愛子に思い出したように手紙を書いたのはそれから2ヶ月余りして留年して泥沼の正月を迎えた時なのじゃないかなあ、と思います。
 僕はこの頃またお酒を浴びるように飲むようになりました。今日、もうほとんど病院での仕事も終りました。一年間こんな僕を暖かく見守ってくれた病院の皆さんと別れるのが辛くて。それにこれからの一年間の卒業試験へ向けてのラストスパートの勉強に明け暮れると思える日々の淋しさ・せつなさを思って僕は今とても感傷的な気持ちに浸っています。
 これからの一年間はきっととても忙しくて僕にとっては辛い日々になるのかもしれません。恋人がいてくれたならば…たとえばこのまえから週に一回ぐらい来るようになったまだ19歳の純心短大のあのコなんかと。
 でも僕は劣等感や…
 あのコはとても綺麗で東高の後輩になるし… でも僕は
 僕はそうして創価学会へ戻ろうかどうしようかとても迷っています。僕には小さい頃から大学一年まで熱心にやってきた創価学会に対する郷愁があります。でも僕には中二の頃から僕の青春を台無しにしたノドの病気への怒りと恨みもあります。僕は激しく悩んでいます。創価学会に戻れば元気になれる。でも僕は自分の青春をノドの病気によって台無しにされた恨みと怒りもあります。


 星子さんへ                   (1月8日)
 昨日、天皇陛下がご逝去されました。僕らが育ってそして一緒に生きてきた昭和の時代は終りました。そして僕の胸の中も大きく変ろうとしているのを自覚しています。
 もう僕に少年の日々の思い出は思い出として忘れ去られようとしているように思えます。僕は勉強にこれから一年間必死に燃えようと思っています。高校の頃の日々などを思い出して必死に勉強しようと思っています。
 でも高校の頃を思い出すとその頃一生懸命していた創価学会の信心のことも思い出されてきます。僕と星子さんに壁を造ったノドの病気のことなどを

 星子さんへ
 ポカポカと暖かい日ですね。あさってから学校です。真冬で一番寒くなければならないのに海は夏の海のように輝いています。そして僕の瞼のなかに去来する目を瞑れば見えてくる美しい○○さんの笑顔なんかを僕はぼんやりと考えていました。
 吹いてくる風もぜんぜん冷たくありません。波もとてもおだやかでなんだか○○さんのことで最近苦しんできたときどき“死”のことを考えている僕を誘惑しているかのようです。
 孤独だった高校を卒業してからの九年近くの日々のことを思って僕はとても悲しくなってきています。高校を卒業したばかりのあの○○さんの美しさ・明るさ。僕はうじうじといじけてばかりいた自分の情けない姿。創価学会をやめなければ良かったのかもしれない。もし創価学会をやめてなかったならば僕はもうとっくに医者になってそして人格的にも立派になっていたと思えるのだけど。
 もう創価学会に戻るのも遅すぎるような、死神が○○さんの出現とともに僕を霊界へと霊界へと手招きしているようです。


 星子さんへ                 (1月10日 朝)
 僕らの白い浜辺ももう霧に覆われて見えなくなっていているような気がします。本当に思い返せば幸せだった僕らの少年少女時代。星子さんはもう少女のうちにあの世に旅立ってゆかれたけど僕はもうあれから12年近くも生きています。12年前と全然変わらないこの浜辺の風景だけどもう僕の目には曇ってしか見えません。
 昨夜も僕は眠れずにいろいろと考えました。○○さんのこと、対人緊張のこと、それが治らないまま最終学年を続けていってもどうせまた留年するような気がすること、そしてまたやはり自殺のことを考えたりしていました。
 今日は昨日とは違って海から吹いてくる風は冷たいです。今はちょうど昔の高校二年の1月のことだと思って卒業試験や国試へ向けて勉強のみに頑張ろうという決意も僕のこの対人緊張症のためつい挫けてしまいそうになります。


 星子さんへ                  (1月13日 金曜日)
 今でも死にたく思ってしまうことがあります。何も理由がないのにそう思ってしまうことがあります。僕にはやっぱり死神が憑いているんだと、その死神がこの白い浜辺へ吸い込まれるように消えていってくれたらいいんだけどと…僕は考えています。
 白い浜辺へ僕の体から霧のように離れていってくれて、そうして毎日湧いてくるこのどうしようもない希死念慮から逃れられたならと。
 僕は心休まる静かな日々を一日も早く迎えたい。のんびりとテレビを見てて、ときどき友達とドライブとかツーリングとかに行って、何にも悩みがなくて、幸せいっぱいの日々を、僕は一日も早く迎えたい。


                        (1月15日)
 もうあのコも少なくとも25歳にはなっていることを思うと僕はやりきれない淋しさ切なさにとらわれてしまう。淋しかった。あの日からの9年半の月日。僕がノドの病気に罹ってさえいなければ、そうしたら楽しかったのかもしれない9年半。もしも僕が中学時代、創価学会の信心を一生懸命してさえいなかったら罹らなかったであろうノドの病気。そして僕は今創価学会に戻ろうか戻るまいかと激しく悩んでいる。
 今日は一日じゅう家にいて勉強ばかりしていた。ふと湧いてくる虚しさや不安感、希死念慮。その度に僕は創価学会に戻ることを考えていた。不思議と元気になれる、ファイトや根性が湧いてくる。しかし僕の場合には顔がこわばったり向かないような気がする。
 星子さんが亡くなってから一年間して現れたとても目の大きなちょっとポッチャリとした女の子は
 9年半経った今も僕の胸に理想の女性像として残像のように…まるで夕陽の中の残像のように今も僕の胸の中に残っている。
 もしもあのとき喋れてたら、僕の人生はどう変わっていただろう。僕は今まで失敗ばかり、後悔ばかりしてきた。でも僕があのコを見つけだして


 星子さんへ                   (1月16日)
 僕は創価学会に戻って元気になろう。かつての元気だった自分に戻ろう。苦しくて辛かった少年時代だったけど、あの頃は少しも淋しくななかった。


             (松山の川のほとり)
 遠い昔の思い出がある。お酒を飲むたびに思い出してしまう思い出がある。もう十年も前のことになろうとするのだけど、僕は今も思い出してしまう思い出がある。松山の川のほとりの6月始めに、僕がまだ元気だった高校三年の頃の、懐かしい�ニても悲しい思い出がある。もうきっとあのコも忘れているかもしれないけれど、僕は今も憶えている思い出がある。悲しい悲しいとても悲しい思い出だけど、今も酒を飲むたび思い出してくる思い出がある。


 星子さんへ                     (1月18日)
 もうすっかり僕も高校三年生の頃のような勉強のみに明け暮れる毎日に浸り込もうとしています。遊ぼうと思えば充分遊べるのですけど、悲しかった高校時代やとくに高校三年のとき…それに中学や小学校時代を思い出して、病気で苦しんでいる人たちを救ってゆくためにももう留年なんてしないでこのままスッ、と国家試験に合格するように頑張り始めました。
 でも一日中家に居るととても淋しいと言うかいたたまれない気分になってこの浜辺に出てきました。今外では雨が降っていてボクはこれをクルマのなかで書いています。
 もう僕らの思い出も洗い流してくれるように降っている雨です。もう本当に僕らの思い出は遠い昔のことになろうとしているようです。少なくとも僕にはそう思えてなりません。


 星子さんへ                     (1月24日)
 もうすっかりこの浜辺も変わってしまいました。僕の心が変わってこの浜辺ももうブルドーザーが来て浜辺を掘り起こしたり新しい岸壁を造ろうとしているような錯覚にとらわれてしまいます。でも本当はこの浜辺は星子さんが生きていて僕と文通したりしていた懐かしい幸せだった…そして元気いっぱいだったあの頃とすっかり変わっていません。人影のないことも…沖を飛ぶ白いカモメも…打ち寄せる波しぶきや石ころも。
 全く十数年前のあの頃と同んなじ風景です。この浜辺はきっとこれから何年も…何十年もそのままに僕がずっと生きている間変わることはないと思います。
 僕の目に映るブルドーザーが来てこの浜辺を掘り起こしたりする光景は僕のもう投げやりになりかけた心が描き出した幻なのにちがいありません。寂しさに疲れ果て…僕の頭に高三の2月から巣喰っている悪霊のたたりについ挫けそうになっている僕の目に映っている幻なのに違いありません。
 人恋しくて図書館に(とくに僕の思い出の深い長崎県立図書館に)勉強しに行っても僕は極度に緊張してしまって周りの人には迷惑を掛けるし勉強もはかどりません。高校二年や三年のときあれだけ集中してものすごく能率よく勉強できてたおにもう僕は悪霊にとり憑かれて極度に緊張してしまって勉強できません。それでとっても悲しいです。
 久しぶりに来たこの浜辺で僕は星子さんが死んでからもう何年経つかなあ、と指折り数えていました。もう10年7ヶ月経つんですね。星子さんが死んだのが13歳の5月だったからあと3ヶ月で11年になります。
 僕には本当に辛くて寂しい10年余りの月日でした。高校を卒業してからはノドの病気や言語障害のことで悩むことは少なくなりましたけど、その代わりに孤独が僕を苦しめるようになりました。中学や高校の頃の辛かったけど決して寂しさなんて味わわなかったあの頃の方が良かったような気がします。そして僕が高校を卒業してから9年近くの年月が過ぎ去りました。


                          (1月25日)
 昨夜も今朝も『死』のことについて考えていた。そして今、やはり創価学会に戻ろうかと考えている。勤行はしないでも、ただ通学のときや風呂に入っているときにだけでも題目を唱えるだけにしようかとも思っている。またそうすると僕にとり憑いている死神も去って行ってくれるような気がしないでもない。
 でも僕にはやはり疑問がある。ただ元気になるだけではないのだろうか。僕が創価学会に戻ろうと決意すると必ず悪いことが起こる。バイクが故障したりビデオが故障したり母が風邪をひいたりなど。
 僕はでも心の拠り所になるものが欲しいし、たしかに創価学会は元気にはなる。勉強を一生懸命やれるようになる。でも…

 僕は今でも浜辺を歩いている。てくてくと。もう27歳になった今も。あのはかなく悲しかった初恋の思い出を引きづりながら、あの中学から高校一年にかけてのはかない恋の思い出と幻影を追い求めながら僕は今日も歩いている。自殺のことを考えたりしながら。

 星子さんへ
 もう朝日が出てきて暗かったこの浜辺もやっと明るくなってきました。久しぶりに乗った僕の赤いプレリュードはまるでかつてのゴロのようです。ゴロのように僕にじゃれついてきたり落ち込んでいた僕の傍で僕の頬をあのざらざらした粗い舌でなめたりしてはくれませんけど。
 懐かしいあの頃の日々をつい思い出してしまう孤独なこの頃の日々です。早く僕も卒業して医者になれれば僕も元気になれるとは思うのですけど僕の対人緊張症はとても強く、そして少しも良くなってくれません。
 昨日は思い出の深い県立図書館で勉強しましたけど僕はやっぱりとても緊張してしまってあまり能率は上がらなかったようです。


           
 星子さんへ                    (1月25日)
 今日姉が来ました。赤ちゃんももう4ヶ月を過ぎて体重も6キロ余りになっています。標準より身長も体重もとても大きく、萩では一番大きいのじゃないかと弘正さんは言っていました。
 僕は昨日もそして今日もお酒を飲んでこれを書いています。4日程、完全に禁酒していたのにまた昨日から元の僕に戻ってしまったようです。学校での苦しさ、激しい劣等感と自分の病気が治らないことへの焦り。この病気が治らないことにはとても勉強の能率が上がらないこと。そして淋しさ。僕は今日、1週間ぶり考正さんのためにクルマのエンジンがかかるかどうか試してみたらバッテリーは冬のためもあって上がってしまっていて仕方なくバイクと直結してエンジンをかけて二週間ぶりにクルマを運転しました。本当にクルマって全然寒くなくって快適ですけど、やはり神経をすり減らしてしまって勉強があまりできないようになってしまいます。
 僕は対人緊張症さえ治れば女のコとも楽しくつき合えれてそして楽しい青春時代を送れるのに…と思っています。今日も看護婦さんから声を掛けられました。でも僕は石のように固くなっていて下ばかり見ています。


                            (2月5日)
 もしも僕が創価学会に戻ったら、僕は中学高校の頃のように元気になれるだろう。今もまだ次々と押し寄せる死神の誘惑も消え去るだろう。そして僕は元気になって今度こそ第2の人生を歩み始めることができるだろう。悔しいけれど。僕の少年少女時代をめちゃくちゃにしたノドの病気が悔しいけど、僕は元気になれることができる。そして母や父や姉を安心させることができる。


              
 星子さんへ                       (2月6日)
 僕は昨日から今朝までずっと創価学会に戻ることを考えていました。また今日学校から帰ってきて久しぶりに聖教新聞を読みました。でも僕はやっぱり中一の冬か中二の頃に懸かったノドの病気のため星子さんと友達になれなかったことなどを考えるとやっぱり創価学会に戻ることはやめようと今考えています。
 今お酒を飲んでいます。昨日飲まなかったから二日ぶりに飲んでいることになる訳だけど、僕の今までの人生…ノドの病気にならなかったらもっと…いやずっとマシな人生を…青春を送っていたようでとても悔しいです。

 僕らのこの浜辺も白いカモメが元気よく飛び交じっているけど、冬の北風に吹かれてそのカモメも今にも風に揺られて海の中に落っこちてしまいそうだ。あと一月もしないうちに春になるというのにとても冷たい北風が吹いている。僕の赤いプレリュードは今日エンジンがなかなかかからなかったぐらいだ。
 僕は楽に死ねる麻酔薬を手に入れた。でも死ぬにはまだ量があと2倍ぐらい要るようだ。
 僕は元気になりたいけれど、元気になるには創価学会に戻ればすぐに元気になれるけれど、星子さんと僕を結局引き放したまま星子さんを死なせたから、僕は創価学会に戻らない。たしかに創価学会が正しいと思うけど、星子さんのため僕は戻らない。たとえ僕が地獄に落ちたって、たとえ僕が自殺したって。

 でも創価学会に戻って星子さんの分までも広宣流布のために頑張って、そうして星子さんの供養をして星子さんを成仏させようかな。でも僕が広宣流布のために役に立つことって何だろう。創価学会を非難して広宣流布の邪魔をしている…そしてソ連が日本に攻め込んできたときには創価学会を弾圧して潰そうと考えている○○を潰すことを僕はすべきなのじゃないのだろうか。みんなの幸せのため…父や母や自分や星子�ウんたちのため僕は今何をしたらいいのか僕はとても迷っている。僕は何が真実なのか解らない。何が真実なのか…何を信じて生きて行けばいいのか…何を目標にして生きてゆけばいいのか僕には解らない。


                          (2月16日)
 僕らの悲しい思い出は僕の喉の病気によってめちゃくちゃにされた。だから僕は創価学会に戻らないでいる。創価学会のお祈りをし過ぎたために喉の病気になったのだから、幸せになりたいけど、元気になりたいけれど、僕は創価学会に戻れない。僕は創価学会に戻れない。戻りたいけど、戻って幸せになりたいけど。


                       �@   (3月4日)
 僕は創価学会に戻ろうかどうかとても迷っている。僕を喉の病気にさせたこの信心だけど、そのために僕は中二の頃からとても辛い思いや淋しい思いをしてきたけど、たしかに元気になれるから。本当に正しい宗教なのかもしれないから。

 もし僕が喉の病気に罹からなかったら、きっと星子さんとお友達になれてて、そうして星子さんは死なずに済んだようにも思える。でももしも僕が喉の病気にならなかったら僕はほかの女のコと付き合って、星子さんと文通さえしなかったかもしれない。なんとなく僕にはそんな気がする。喉の病気が却って僕と星子さんを引っつけたような、そんな気もする。

 久しぶりに乗ったプレリュードは、悲しい音をたてて東長崎の方へと向かっていた。



                           (3月7日)
 もしも僕が創価学会に戻ったら、窓から見えるこの光景も中学や高校と同じ(星子さんの生きていたのと同じ)光景を僕は見るような気がしてくるだろう。
 元気だったあの頃の自分にそうして戻るだろう。でも辛い日々も待ち構えているだろう。辛かったけど元気だった創価学会をとても純粋にしていた中学・高校時代。あまり喋れなかったけど、でも友達もたくさんいた中学・高校時代。苦しかったけど、でもまだ対人緊張症には罹ってなかったあの頃。あの頃は毎日学校帰りに県立図書館に寄って8時の閉館まで勉強していた。とても気合いが入ってとても能率が上がっていた。そして家では勤行と唱題や教学それに仏壇の掃除などばかりしていた。明るかったあの頃。辛かったけど幸せだったあの頃。僕は窓辺から海を見つめながらその頃の日々を思い出している。そうしてその頃の日々に帰りたいな、と願いながらも、もう一つふん切りがつかないでいる。もう一つ僕は確信と若さの情熱といったものを持てない。僕は昔のように夢中にはなれない。



                          (3月8日)
 星子さん。僕は創価学会に戻ることにした。まだ本当は少し迷っているけど、たしかに『自分は創価学会員だ』と思うだけで元気になれるし、苦しいとき(対人緊張などで)心のなかで題目を唱えると苦しさが和らぐから。そして勉強ができるようになるから。だから僕はひたむきに創価学会員としてこれからやっていこうと思っている。
 まだ勤行をすることへの疑問があって勤行はしてないけど(それにノドの病気のため勤行するのがとても苦痛だから)僕の心のなかは社会の最下層で苦しんでいた人たちをこれまでたくさん救ってきた(そしてこれからもたくさんの不幸せな人を救っていくであろう)創価学会のために頑張る情熱はとても強い。
 僕が創価学会の信心を一番熱心にしていたのは中学時代のことだから、創価学会に戻ることを思うと星子さんと文通したりしていた懐かしい中学時代の頃を思い出して目頭が熱くなってきそうです。
 もう遠く消えてゆこうとしていた星子さんの姿やゴロの姿が僕が創価学会に戻ることを決めただけでもう昨日のことのように僕の胸の中に懐かしく思い返されてくる。



                         (3月9日)
 真実は何処にあるのだろう。僕は今日も市民会館から県立図書館へ向かって歩きながらちょっぴり絶望の思いにとらわれた。もう春のなろうとしている立山の上の青い空を僕は見つめていた。真実は創価学会にだろうか、それとも、
 僕は強い不安と心配に再び俯いた。真理は何なのだろう、何が正しいのだろう、僕はどう生きてゆけばいいのだろう。


               完
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真冬の憂欝

悲しい恋の物語

真冬の憂欝

悲しい恋の物語

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-12-06

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

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