ぼくを構成するのはきみ

 やわらかいものの、あたたかさに埋もれて、それは、たとえば、土のうえで眠る感覚と等しく、接触面が、皮膚が、はじめにおそってくるつめたさのあとの、あの、なまなましいほどのぬくもりを、心地好く思うのとおなじで、つまりは、きみは、そういう存在である。ぼくにはない、体毛。かたそう、と想像していたのに、きたいをうらぎる、ぬいぐるみ的なふかふか感の、きみだ。ゆびはふとい。ゆびわがはいらないから、くびわにした。きみだけくびわでは、まるで、ペットみたいで、ぼくが飼い主で、でも、ぼくらのかんけいにはそぐわないので、ふたりで、おたがいがえらんだくびわをしている。きみが深紅、ぼくが濃紺。ぼくらはふたりとも、はだが白いから暗めの色が映えるねって、鏡をみながら微笑みあった。家がちいさいことなんて、あんまり気にしていなくて、いま、ここに、ふたりが眠れる場所があるだけでも、ぜいたくなのだというのが、ぼくらの共通認識で、受信する電波を失ったテレビは、ただの平たい板となったので、とうとう処分した。そういえば、まいにちホットケーキでもいいと、むかし観た映画のなかでだれかがいっていて、ぼくも、それはとてもしあわせなことだなぁと、まいにちホットケーキ暮らしにあこがれたものだけれど、いざ、食べられるものが限られてきて、いよいよホットケーキで数日をしのがなくてはならないことになってみれば、二日ほどで厭きてしまった。きみは、ホットケーキを、ホットケーキではなく、腹をふくらすための、ただの焼いた粉だと思えばいいのだと、神妙な顔で言いながら、ぼくのひらべったい腹をなでる。そういう割り切り方を、ぼくは、できないかもしれないけれど、でも、きみのおおきな手から、ぼくの、からっぽでさみしいだけの腹部に、きみの体温が伝わって、うしなわれていた熱がよみがえってくる感じは、ぼくを、やさしい気持ちにしてくれた。いっそ、きみのもっているもの、きみが、ぼくにあたえてくれるものだけで、ぼくのからだとこころがぜんぶ満たされればいいと、そう思うのだ。

ぼくを構成するのはきみ

実はわたし、あまあま、ほのぼの、ハッピーエンドが好きなんだと、最近気づきました。
とくに、がまんばかりしちゃう健気な子が、だいすきなひとに溺愛されて、頑なな心がほどけて、しあわせになってゆくのをみていると、まるでおばあちゃんのごとく、よかったねぇと感涙してしまう。
でも、いつだってわたしも、ぼくや、きみや、わたしや、しろくまや、ノエルや、ネムたちを、しあわせハッピーにしてあげたいと思いながら書いている。世界がこわれていても、みんながしあわせならいいよね。

ぼくを構成するのはきみ

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-09-25

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