瞬き

らっきょ太郎

 母は宝石を集めるのが趣味だった。父は湖で釣りをする事が趣味だった。そして私がみっつの時に湖で溺れ死んだ。世界中、病気だった。私もその1人である。父が残した多額の財産は海の砂ほど多かった。そのお金を使って私は医療にもちいたが何も成果をあげる事はなかった。私が治したかった病気は死ぬ事はなく慣れれば誰も困る事はなかった。それに加えてその病気を補強する為の商品が開発されて売れた。誰もその病気にはもう、気をと止める事はなくなっていた。
 私の趣味は綺麗な目玉を探す事だった。
「社長。母校の学食は何がお好きでしたか?」
 運転席からハンドルを握る年配の男が後ろの席に座っている私に質問した。
「さあ。忘れたな」
 私は外の景色を眺めながら答えた。
 ハンドルを握る年配の男は「Bランチ。チキンスープ、スクランブルエッグ、ハンバーグ、サラダ、スパゲティが付いてくる奴です。あとデザートにアップルパイの切れ端」と答えた。それから黒い車は大学の敷地内へと入り、或る大きなガラス張りの合掌扉の前で私を降ろした。私は鞄からゴーグルを取り出して着けた。そこに30人の白衣とスーツを身に付けた男や女が頭を下げて私を迎え入れていた。その全員がゴーグルをしている。
「人を集めるなと言っただろう」
 私はポマードで頭をカチカチに固めた男に言った。
「これでも数を減らしたんです」
「お前だけでいい。私は目立ちたくないんだ」
「しかし……」
「予算が欲しいなら幾らでもくれてやる。ただ、成果が出ているならな」
「うう……」
 男は青白い顔をし、息を吐きながら「では、どうぞ、中に入り下さい」と言った。男は私を案内する。建物の中に入り右奥のエレベーターの5階のボタンを押した。すぐに扉は開いて私とポマード男と数名の白衣の男女が続いて入りエレベーターは高速で目的地へと向かう。音がなり扉は開く。案内人の男が前を歩いて私はその姿を追う。そして何時も通りの内容をペラペラと説明をしながらガラス越しで生活している『同類の患者』の経過を見せる。
 私は深いため息を吐いた。
「少しも瞬きをしないじゃないか」

「社長。Bランチは食べましたか?」
 揺れる車内でハンドルを回す年配の男は私に質問をした。
「Aはトンカツが入っている、シケたヤツだ。Cはカボチャ潰れたサラダが付いてくる。SPは美味いが量が多い。太ったシャケの腹みたいに、だ。それで中間をとって私は何時もBにしていた。特に好きというよりも消去方だ。だから食べる気はない。分かったか?」
「たまには食べてくればよろしいのに」
「うるさい」
 私は不機嫌な声で表情の見えない運転手に言った。
 田舎の山奥にある真夏の景色はクーラーの掛かった車内からすると一枚の絵のようだった。こんな時に車が故障でもしたら軽く死ねるなと思っていた。
 すると年配の運転手が「社長。どうも、あれです。ボンネットから、白い煙が出ています」と言った。
「なんだって?」
「これはオーバーヒートですね」
「オーバーヒート? つまり故障か?」
「だと思うので一旦、脇に車を停車します」
 それで黒い車はゆっくりと一本道の道路の脇に停車した。年配の運転手はボンネットを開けて数分程度調べた後、車の席に座る私の方に近づいて「やはり故障です。社長。レッカーを呼ぶのでここら辺に或る喫茶店にでも寄っていて下さい」と言った。
「はあ? こんな茹で殺す日射が降り注いでる中、歩いて喫茶店にでも行けって言っているのか?」
「そうです。ここにいてもしょうがないでしょう?」
「タクシー呼べ」
「この田舎にタクシーを呼ぶには2時間かかりますよ。一応、呼ぶ予定ですが……。大学の職員に連絡をしたらどうですか?」
「今日はあいつらの顔を見たくない」
「それなら、ここで待つか、喫茶店でも行ってください」
「学生の頃、そうだ。5年前に一度行ったことがあるが、やってるかわからんだろ」
「携帯で調べたらやってるらしいですよ」
「はあ……」
 私は灼熱のアスファルトの上を歩いて行くことにした。スーツを脱いでシャツを腕まくりして、ゴーグルも着けて歩き出した。

 『庵喫茶』と描かれた看板の喫茶店に到着した時は汗だくだった。真夏の一枚の絵はやはり冷房の効いた部屋から見るのが一番良い。
 歳を取りすぎたばあさんの腕のような取っ手を押して中に入った。喫茶店の中の冷たい空気が私に覆い被さる。「ああ」小さく声を漏らして適当な席に座った。そして奥から長髪の若い女がお盆の上に水の入ったコップを載せて私の前に置いた。私は女に感謝する事もなく冷たい水を口の中に放り込んだ。再び安堵の声を出した。コップの底には切られたレモンの輪っかが転がっていた。
「もう一杯飲みますか?」
「お願いしたい」
 女は奥に戻り、それからピッチャーを手に持ち私のからになったコップに注いだ。私はそこでようやく「ありがとう。とても助かった」と言った。
「それは良かったですわ」と女はゆっくりと笑って言った。
 私は女の顔を見た。白い肌。長いまつ毛。月夜の下でもはっきりと分かる大きな目。瞳は磨いた大理石のように滑らかで白かった。
 私は思わず息を飲んだ。
 そして女は静かに、自然に、魅惑的に、地上に初めて落ちた種のように、ひっそりと瞬きをした。

 夕立。長髪の彼女を初めて見かけたのは夕立だった。校舎の中にある段々と下っていく休憩所で彼女は傘をクルクルと回していた。どうして「雨が降ると思ったんですか?」と彼女は私に聞いた。
 私、いや、その時の僕は生まれて初めて人と喧嘩をしたから、とても興奮していて、研究室に置いてあったビーカーとか試験管を天井や壁に投げつけていた。花火みたいな音をして割れていた。その合戦の延長で僕は左手の甲を怪我していた。雑巾をビニールテープで巻いて後数時間後に予定されている寮での飲み会まで適当に散歩をして気分を普段と同じ程度までに下げようとしていた。そん時にしっとりとした空から小さな唾液のような雨が降る。そして目の前で傘を持っている女から「雨が降ると思ったんですか?」と聞かれる。僕には意味が理解ができなかった。
 僕が雑巾を巻いた手を支えながら黙っていると彼女は「ワタシ、夕立を見るのが好きなんです。それで何時も、雨が降りそうだなぁ、って思うと此処に来て、夕立を見るんです。でも雨には濡れたくないから、傘は持って来ているんです。もしかしたら、君も、雨が降ると思って此処に来たんですか?」と言った。
 パラ、パラ、パラ。雨は晴れているのに何故か僕と彼女に降り注いでいた。僕は空を見上げた。顔に当たる。
「違う」
「そうなの?」そう言うと彼女は優しく微笑んで傘を持っていない手で髪の毛をかき上げた。それから嬉しそうに一つ一つの水滴を覚えるかのようにして瞬きをし、空を見上げていた。彼女の瞳は白く純粋で綺麗だった。彼女の瞬きは僕の映している『そこ』をシャッターを降ろした。何度も何度も。止まった世界。全ての意識、原子までもが静止した。それなのに彼女の瞬きだけが生きていた。人が生きている証拠は瞬きなのだ。僕はそう感じて、そう信じた。
「ねえ。建物の影に隠れないと濡れちゃうよ?」
「雨に打たれた人はみんな死ぬ」
「あたり前。じゃあ。もしも、雨に打たれた人がいなかったら?」
「雨に打たれるまで、永遠に死なない」
「それって素敵ね。でもそうなら、ワタシはきっと、確実に死ぬわ。でも、雨を知らない人って残酷だと思う。だってその後の事も知らないんでしょ」
 彼女はそう言うと頭上を見上げた。僕も続いて頭上を見上げる。その先には校舎の壁に挟まれたブサイクな虹があって、その虹を楽しげに見つめる彼女の瞳は7色が反射していた。それから瞬きをする。瞬きをした後の瞳は万華鏡のように乱反射した。光が散る。
「僕さ。研究室の実験の所為で昼メシ抜いていて腹ペコなんだ。それで、キミも一緒にどうかな? 僕のオススメはBなんだけど?」
 僕の一言に彼女は驚いた表情をする。
「この状況で学食を誘うなんて君はタイミングを選ぶのがとても下手くそね。それからBランチを進めてくる人をワタシは初めて見たわ。一般的にはSPよ。ワタシ的にもSPが一番良いと思っているわ。でも、そうね。少しだけチキンスープが飲みたくなってきたわ」と答えて彼女は「行ってみる?」と言った。

 彼女は生物学を専攻をしていた。それから溶けないキャンディーを研究していた。色々と学食で説明をしてくれたがとても意味が分からなかった。彼女いわく「溶けない飴ってステキでしょ?」だった。僕にとってそんなものバカバカしく、その話になると必ず「キミは馬鹿だ。溶けるから別の飴を舐めたくなるし、もっと美味しい飴がないかと探すんだ」と答えた。
「探すの、面倒じゃない」
 そのような会話をしている真夏の日。突然。黒い雨が降った。夕立ではない雨だった。その雨は世界中で数日降った。それから僕は或る事に気づいた。瞬きができないのだ。眠る際はずっと瞼は閉じる事ができる。でも何故か瞬きはできない。目が乾燥するから目薬を常時持っている事になった。そのうち、乾燥対策の為にゴーグルが販売された。最初のうちは瞬きができない不便に世界中の人が治療をしていたが、ゴーグルが販売されたからと言うもの、人々は瞬きを治療する事を辞めた。そもそも、瞬きをしなくても生活に支障がない事に気づいたのだ。
「ゴーグルしないの?」
「キミこそ。ゴーグルは?」
「魚は海でゴーグルするかしら? しない。それなら、ワタシは地上の生物だからしないわ。する必要がないから」そう言って彼女は充血した目に目薬をさした。僕はとても悲しくて泣いた。だから僕は目薬をする必要は何時もなかった。そんな或る日、彼女は姿を消した。研究室にあった自分の資料を全てまとめていなくなった。僕はそれで、夕立の日、校舎の中にある段々と下っていく場所で彼女が傘をクルクルと回す記憶を思い起こして立っていた。しかし、彼女は二度と現れなかった。僕は大学を卒業して親の仕事を本格的に受け継ぎ経営を行った。その傍ら母校に対して多額のお金を投じて人が再び瞬きをするように研究を行っていた。だが、時間だけが過ぎていく。古い映画の登場人物だけが、ごく自然に瞬きをする姿が、まるで化石としてテープの上に刻まれている。それは新しく生まれくる子どもたちからすれば、博物館で展示しているハニワを観察しているようなものだ。

「キミ。いま、いま……。いま、瞬きをしませんでしたか?」
 私の喉は違った意味で乾いていた。何故? 何故だ? あの日以来、瞬きができる人間はもうこの地上にいない筈だ。僕の目の前にあるコップの汗が垂れると同時に長髪の女は瞬きをした。
 私は「っ……」と言い立ち上がった。
 その私の驚いた様子を見て長髪の女はニッコリと笑い。舌を出した。
 私はその長髪の女の行動に驚き瞳孔が開く。そして長髪の女の下の上に転がっている緑色のキャンディーに気が付いた。
「キャンディー?」
 私がポツリと言うと長髪の女は舌を引っ込めた。
「ふうん。マスターが待っていた人って貴方様なのね」と言ってから「少し、待っていて下さい」と述べて奥に入って行った。それから長髪の女はショートカットで少しだけ、頭がボサボサとなっている女の服を引っ張って連れてきた。ショートカットの女は「ちょっと、あとちょっとだけ、待って下さい。もう少しで記憶のコピーのキャンディーの試作が出来そうで……。そうしたら、あの日に見た虹の記憶を瞳の上に映す事が……」とブツブツと呟きながら私の座る席の前に現れた。
「マスター。お客様の前です。しっかりして下さい」
 私はマスターと呼ばれたショートカットの女を見た。それから私は沸騰した鍋がひっくり返った時に叫ぶ声を上げた。何故ならそれは、大学の頃に姿を消した彼女だったからだ。
 彼女は私の姿を見てハッとした表情を見せた後にバツが悪そうな顔に変えて下を向いた。
「君! 私はずっと君を探していたんだぞ。どうして突然、姿を消したんだ」
 彼女は私の声に恥ずかしそうに笑って「その、いろいろあって」と言った。
 私は下手くそに笑う彼女の顔を見て文句をたくさん言おうと思ったが、どうでもよくなった。それで「無事で良かった」とだけ言った。
 私の言葉に彼女はすまなそうな顔つきで言う。
「本当はキミのそばで研究をしたかったけど、どうも、ひっそりと、研究をする必要がわかったの。それで、どうしても誰にも言わないで研究をしていたのよ。ごめんね」
 私がいろいろと質問しようとした前に彼女は言葉を続けた。
「此処で1代目のマスターに雇われながら研究をしていたの。瞬きが出来ない病気を治す研究をね。それで数年前に試作品が完成したわ。キャンディーを舐めている間、瞬きができるキャンディー」
「でも、まだキャンディーなしじゃダメだけど」
 私は少しやつれた彼女の姿を見て思う。1人でこれだけの研究をこなすのは至難の業じゃない。それは私が一番よく知っている。
「何故だ? 何故、キミはそこまで……」
 私の質問に彼女は優しい顔で答えた。
「君と初めて校舎の中にある段々と下っていく休憩所で会った時。夕立を見つめている君の瞬きが跳ねたんだ。一つ、一つ、雫と一緒に。忘れられない、忘れたくない。ワタシは本当は、夕立が嫌いだったわ。だから何時も、どこに行く時も『傘』を持っていたの。私を1人にした夕立は嫌いだった。でもあの日、ワタシはたまたま出会った君はとっても澄んだ世界を見ていた。君の瞬きはその瞬間を切り取って変えてくれた。ワタシの全てを。だから。その壊れた君の瞬きは絶対に治さないといけないってワタシは思ったわ」
 それから彼女は瞬きをした。彼女は生きていた。
 僕は大きな声で笑った。久しぶりに笑った。彼女が居なくなる前程度に笑った。
それから言った。
「なあ。B食べに行かない? 実は僕、朝ごはんと昼ごはんをまだ食べてないんだ。あっ、でも、車がない」
 僕の言葉にショートカットの彼女は言った。
「車はないけど、バイクはあるから。それで行きましょう。あとね。ワタシはBランチよりSPが好きって前にも言ったでしょう?」
 僕は彼女に返答しながらゴーグルを外してテーブルに置いた。夕立は最近見ない。でも傘は持って行く。

瞬き

瞬き

  • 小説
  • 短編
  • 青春
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  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-09-23

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