街の小宇宙

 めうつりする、ショーケースのなかの、宇宙みたいなものとおもえば、ショートケーキは太陽で、モンブランは土星で、チョコレートケーキは火星で、カスタードプリンは月。
 執着は愛だと、ノエルは云った。心臓に杭を、打ちこまれたような、途方もない痛みの恋愛を、人類はくりかえしている。その先には、幸福があるのだと信じているから。純然たる幸せ。だれしもがほしがっている、けれど、平等にわけあたえられるわけではないと、ふいに、殴られて気づかされる、世界の不条理。すぐそこの交差点で、さっき、女の子が踊っていた。あれは一種の儀式ですと、ショーケースの向こうでケーキやさんが微笑む。白装束を纏った女の子は、つまりは、いけにえなのだという。周りの街もすっかり、様変わりしましたからね。三十代前半くらいの、がっしりした肩幅の、ちいさな目を細めて笑うケーキやさんは、ぼくの注文したモカロールをそっと、ショーケースから取り出す。ぼくらの街以外は、もう、人型の昆虫に支配されている。飛蝗。蟷螂。蜻蛉。この街も端から、すこしずつ侵食されているようで、以前よりも二足歩行の蜉蝣人間を見かけるようになった。単体では害はないのだと、テレビのなかで専門家は言っていたけれど、群れになればいずれ、ということなのだろう。おそらく、ゆくゆくは蜉蝣人間と交わることで、ぼくらを守ってくれる、女の子。ケーキやさんがてきぱきとモカロールを箱につめながら、生きてさえいれば人生どうとでもなるといいますけれど、生きているあいだずっと苦しいっていうのはやっぱり、つらいですよねと呟く。こういうのを生き地獄というのかな。
 ぼくは、ケーキやさんの言葉をじっと聞きながら、ノエルのことを想った。
 ノエルにはじめて抱かれた秋の夜と、ノエルを失った冬の朝のことを、いっぺんに思い出していた。

街の小宇宙

街の小宇宙

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-09-23

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