感情変幻

ただの愚痴です
お暇な方のみお読みください

高校選択で当時文系の就職率が悪いと聞いたから理系特化の公立進学校に入ろうかなと思ったんです
入試は推薦で受けて私はIT技術について興味があったのでそのことについて話したら合格してしまったんですよ
入学してから一か月くらい経ってカリキュラムが分かってきたんです
そうしたら文転不可能というくらい理系科目ばっかり詰まっていて私はそこで悟ったんです
自分は文系で理系科目が向いていないとそして落ちこぼれになりかけていると
そこで私は自分が興味を持っているIT技術を高めればこの学校でも生き残れるのではないかと思い必死に勉強しました
そうして1年が過ぎなんとか2年生に進級することが出来ました
この勉強をしている期間にITの資格を取得し先生方からも一目置かれるようになり
「うちの学年でIT分野ならトップ2ぐらいの実力がある」と先生に評価された時もありました
そうして私はITの知識を深めていき高大連携で東大などの先生方とも話す機会を頂いたりしてとても充実?したものでした
そして3年に上がるころ私はITの分野には進みたくないと思うようになっていました
理由は複数ありますが。一番大きい要因はIT業界のブラックすぎると思ったからです。
当時IT会社に勤めている方から話を聞いたり、元会社勤めの人から黒い道に引きずっていると私に対して言っていたからです
さらに私は親との仲がよくなく高校卒業後は独立したいとも考えていました
そこで私は公務員になろうと思い親に告白しました
そうしたら親は猛反対で大学に行けと行ってきました
私はこのまま大学に進む場合嫌いな理系の勉強をさらに積み重ねなくてはならず
当時のわたしはすでに理系科目の勉強に限界を感じていました
もちろん親はそんなこと知りませんから私が頭がよく大学といっしょに研究をしている程度の認識でした
今にして思えばこの時私の理系への限界を伝えておくべきだったのかもしれません。
親と私が進路で言い争っているうちに7月に入り大学と就職を決める最終期限が近づいていました
親はついに忍耐が切れたのか親戚を集めて私に大学に行けと攻撃を始めました。
私は4か月以上親との軋轢でストレスを抱えていたのでこの親戚からの攻撃がとても耐えられるものではありませんでした
私も就職理由を書いた紙を親に出しましたこれは学校がPRカードを書くために用意した紙で業者の方の評価も書いてあり
私の熱意が伝わったと書かれていたのですが、親はこれを見て熱意が感じられないと一言言い放ちました。
この一言で私の中の何かが折れたのだと思います。
さらに追い打ちをかけるように進路担当の先生に呼び出され就職には親の判子がいると聞かされました。
ここで私は公務員への就職を諦めました。
もちろん公務員の模試を受けましたし結果はA判定をもらっています

こうして私は7月の中旬に大学受験に切り替えたのですが周りの勉強についていけるのか不安がありました
当時模試は学校で行う3科目の模試しか受けておらず地歴公民や理科などの模試を一回も受けたことがありませんでした。
3科目の模試もいつも偏差値50台前半から40台後半といい結果ではありませんでした。
これは私が数学や英語が苦手なのが原因なのです
ただこの7月に地歴公民を含んだ模試を学校で行うことになったので受けました。
ここで模試の話は一度おいておきます

7月からの受験勉強でついていける気がしなかった私は今までの評定を使ってAOや推薦を使おうと考えました
ただ私の学校は出来たばかりで指定校は学校の数が少なくまた高い数値を要求していました。
それでも私はこの中から工業と情報の教員免許が取れる学校を探しました。
なぜかというと私はIT業界に就職したくないのに大学は理系の大学でないと入れないと思っていたからです。
そしてIT業界から離れる方法を考えた時高校の先生なら難しい数学を使うこともなく自分がなんとか理解できている
プログラミング技術についてなら教えることが出来ると思ったからです。
そうした理由から私は教員免許が取れる大学を指定校の中から探し自分が入れる大学で必要とする評定が高い大学を選びました。
その後私はその大学のオープンキャンパスにも参加しこの学科で工業と情報の免許が取れるのか質問をし取得できると回答して頂いたので
私はその大学に決め推薦で入学することが出来ました。
しかしこの間に私はまた一つ絶望したのです。
先ほど話した模試が返ってきて偏差値を見ました。
そうしたら地歴公民の偏差値は86と自分でも信じられない数値が書いてありました
この偏差値ならば十分文転可能です。
さらにインターネットで検索をしたら3科目で受験可能な国公立大学を見つけ
そこは先生の養成を主眼に置いた大学で私はこちらのほうが自分にあっているのではないかと思うようになっていました
こう考えているうちに指定校の入学試験があり面接を受けました
相手の先生の第一声は「うちの学科工業科の免許とれませんよ」
これは私の中でこだまになって響き渡りました。では自分はなんで偏差値20以上も下の学校に来て
志願理由だった教員免許が取れない学校に行くのかと
この一言を面接中に言えればまだ私の未来は変わっていたかもしれません。
何も言えずただ私は質問されたことに機械的に答え気づいたら電車に乗っていました
数日後私の家には合格通知が届きます
私はとても複雑な気分でした。友達からはおめでとうだのよかったねと言われますが
何がよかったのかとどこがおめでたいのかといつも問いかけたくなります
私の志望理由は見事になくなり自分に対していく価値があるのか?
毎日3時間以上かけていく必要はあるのかと
さらに追い打ちをかける出来事がありました。親の再婚です
これによって私の名字は変わることになりました
私は引っ越すことになり相手の方といっしょに生活を営むことになったのです
普通の人ならこれだけで道を外してもおかしくないと思いますが、私は表面上は利口な生徒を演じ続けました
私の中の何かを犠牲にしながら・・・
こうして日々のストレスに拍車がかかりました
毎日考えるのは違ったifの世界のことばかりであそこで自分が違った選択をしていたらと思うのです。

こうしている間にも月日は経ちました
12月に入り私は学校で行っている卒業研究の論文の締切に追われていました
私はITでは未だ成績を落とすことなくトップ集団の中にいました
ですので求められる質が高くなり何度も文章を推敲し、先生に提出をし、さらに改良を加えるという作業の連続でした
そしてこの作業が終わる次の日には最後の考査試験が待っていました。
この時、私は自分の中のゲージが赤く光っていると感じたのです
しかしこの試験でそこそこの点数を取らないと私の理系の成績に黄色信号が点滅します
そこで私は無理をしてでも点数を取りました。
私はこれで学校のことはすべてやりおえあとは卒業するだけだと思っていました。
ですが私に待っていたのは校外での研究発表でした。
さらに期限はあと2週間もないと言われました。
私は本当の限界を感じていました
この高校生活で様々なことをしてきたつもりです。校外発表も何回も行いましたしテレビにも出演しました
しかしどれも私の中で楽しいと思えている日々だったから行えたことで
今の自分にはやり遂げられる自信がありませんでした。
私は苦悩する毎日を送り、とても余裕がある内心ではありませんでした
けれども私には人に反抗する勇気がなく人に与えられたレールの上を歩くしか能を持たなくなっていました
私は渋々プレゼンをするために昔に使ったプレゼンシートに新しく付け加えた部分を追加して当日の発表に挑みました
発表会は早○田大学で行われ多くの人が詰めかけていました。
この時の空気に私は耐えられずに逃げ出しました。
一歩遠ざかるたびに体が軽くなったように感じました。
私の中の責任という言葉は完全になくなったのでしょう

私の高校生活はこれで幕を閉じます
残りの出席日には一応出席はするけれど授業はほとんど受けず
日々後悔をしていました。
そうして卒業した私は自分の中に指定校で推薦された責任だけが残っていました
私は嫌々3時間以上かけて学校に通いました。
嫌いな理系科目はやる気が起きずいつも赤点ぎりぎりでぽつぽつ赤点も交じっていました
ある日高校から電話がかかり指定校なのだからしっかり勉強をしろと催促するようになってきました
私はいつも生返事ばかりしていました
そうしてついに私に留年の文字が突き付けられました
私はこれはいい機会だと思いこの言葉に乗っかりました
そうして今私はここにいます。

感情変幻

これ本当は一言愚痴掲示板に投稿しようとしてたら長くなって一言じゃなくなったからこちらに掲載させていただきます
本当にただの愚痴のような文章ですのでお暇な方のみ読むほうがいいですよ?
ちなみに書いてあることの9割は本当です
後半は少し着色してますが高校時代についてはほぼ事実です
周りに相談しようにも事がことですし話す気になれなくて
でも発散したい鬱憤ばかりぶつけています
某巨大掲示板あたりで書いていたほうがよかったかもしれないですね

感情変幻

現代の若者が抱いている感情を文章化!

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-12-06

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