美猫サラと沙羅大神と魔妖たち
1 山に囲まれた谷底の村
ここは四国!
四国は地図を見ると広く感じますが現地は山ばっかりです。住める場所はあまりありません。その少ない面積で小麦を育てて粉にして水で練って寝かせて茹でてます。
おっと私が何県のことを言っているかバレてしまいました。珍しくもない、どこにでもある、つまらない田舎です。いえ田舎がつまらないんじゃありません。田舎はどこも平凡だと言いたかっただけで、私は田舎が大好きです!
私はこのあいだまで東京のOLでした。四国のK県に住む祖父が亡くなりまして、家族を代表して私が遺品整理に来たんです。
私は東京のOLだったと言いました。祖父の訃報を聞いたのはちょうど契約が切れたというか切られた時でした。訃報を聞いてすぐに実家に談判して、私がこの大役を引き受けました。私の実家はK県から瀬戸内海を挟んで斜向かいの、やっぱり小麦粉が大好きなH県です。
ちなみに都内の某市でかつて私と同居していた姉は、数年前に結婚して私の前からいなくなりました。私は某市の臨時職員でした。ああ、過去形になりました。色々さみしいです。
さて、私は亡くなった祖父の家に来て驚きました。村は事実上、廃村で、残っていたのは祖父だけでした。ある日ヘルパーさんが来たら眠るように息を引き取っていたそうです。村の皆さん、とっくに引っ越しなさっていて、祖父だけが残っていたんです。なんとびっくり村はダムに沈みます。四国は特に水が不足がちなので、住民から特に文句も出ず、新しいダムがトントン拍子に完成し、祖父は補償金を自分の介護費用やらなんやらに充てて、葬儀代まで枕元においておき、後は全部酒と珍味で飲み切ったそうです。
家を代表して整理や手続きに来たはずの私は、相次ぐ督促やら警告やらに戸惑っているうちに、今日というXデーを迎えてしまいました。今日はついに行政代執行です。はい、私も市の職員の端くれだったから分かります。超絶恥ずかしい事態です。
着いて最初、私は、うちの祖父はなんて頑固な人だったのかと思いましたが、間違いでした。残された日記を読んだところ、ひたすらに面倒くさい、これだけが理由で誰にも連絡せず、引っ越しせずに残りの寿命を使い切ってしまったようです。気持ちは分かります。血筋です。正直、はっきりとした祖父の記憶はあまりないのですが直感します。でも、ケアマネさんとか村役場の人は超絶困っただろうと思います。本当に恐縮です。
2 村を発つ朝
「にゃーん」
ニャーンではありません。にゃーん。
人語が話せる驚異の猫なのに、わざわざ猫っぽい鳴き声を出したのは私の猫のサラです。茶トラの美猫です。大きいです。もう私はサラなしでは生きられません。亡くなった祖父の飼い猫です。
サラは祖父の死後、無人になった村の各戸を巡って、そこそこ充実した食生活を送っていたそうで、この廃村への私の到着を出迎えてくれました。私の村への到着はパトカーの音で気付いたそうです。なぜにパトカー?
その話をします。この村へのバスは廃止されていたので、私が高いお金を泣く泣く払って乗ったタクシーの運転手が、知らない間にこっそり110番に通報していました。それで私はパトカーのお出迎えを受けました。でも私は警察が警戒する「無人化した集落を狙う窃盗」でも「無人化した集落を狙う放火犯」でもないので、時間はかかりましたが釈放してもらいました。お巡りさんが言うには、村が無人になってから、たまに怪しい人間が来るんだそうです。無人の村に私が滞在するようになってからは、村へ下る道の入口にパトカーが置かれました。そのパトカーは遠いながらも私の家を見張れる絶妙な位置に置かれてます。私は一応若い女なので身に万一のことが起こらないよう守る義務があるからだそうです。ありがたや。
サラがしゃべりました。
「早く布団から出るのニャ」
「ゴハンの時間だね!」
私がカリカリを皿に広げると、サラは静かに食べ終わりました。私が見とれているとサラは水を飲み始めました。
「サラちゃん、いつも可愛いなあ」
サラをなでなでもふもふします。
「落ち着いて水が飲めないニャ」
サラが最初に人語をしゃべった時は衝撃でした。私は自分の頭を疑いました。サラは言いました。
「死んだおじいさんには人語は遠慮していたけどニャ。紗良を見たとき、大丈夫と分かったニャ。そういうタイプの人間ニャ」
そういうタイプとはどういうタイプなのでしょうか。まあいいでしょう。サラという名は、故・祖父が名付けたのですが、多分サラサラの毛並みから名付けたのだと思われます。でも女の子っぽい、オスっぽくない名前です。サラはオスです。
「単に孫の名前を付けただけに決まっているのニャ」
サラは私の心が読める恐ろしい子です。そうです、紗良とサラで字は違いますが私は猫と同じ名前でした。いや、猫が私と同じ名前なんです。
サラは口うるさいですが世話好きで優しい猫です。
「紗良、今日でここを出ていくのニャ。用意はもちろんできたニャ?」
「……」
「忘れずに連れて行くのニャ」
「もちろん」
「ところで、紗良は今いくつニャ?」
「25だよ」
「今日が年貢の納め時なのニャ」
私は背中がぞくっとしました。
「そ、その言い方、怖いんだけど」
「今朝、この村の土地神さまからお告げがあったニャ」
「と、土地神さまからお告げ? 私へのなんかまずいお告げなの?」
「そうニャ」
私が窓から外を見上げると青い大空が見えました。ついでに、遠く上方から我が家を見守るパトカーも目に入りました。
「今日は大変な一日になるのニャ」
サラは家から出ていきました。
3 行政代執行
私はラジオのスイッチを入れました。この村はNHKだけ入ります。ラジオを聞きながら客人用のカップうどんの準備をしました。水と電気とプロパンは今日まで使えるように「格別な温情」と「特別な措置」で残してもらっていました。
ガラリと扉が開きました。
「おはようございます!」
来訪者の二人は無言で怒っています。
「……」
来た二人は県の課長さんとゼネコンの監督さんです。私は二人にカップうどんを出しましたが二人とも見てもくれませんでした。K川県人ならうどんくらい食べても罰は当たらないと思いました。
「全く準備が進んでないように見えるのは私の老眼のせいでしょうか」
「すみません! 全部置いていきます! お世話になります!」
県の課長さんが諦観の眼差しで深いため息をつきました。
「村内の河の下流に新ダムが完成して約半年、周囲の道は全部廃道だし、この谷は完全立ち入り禁止のところ、パトカー1台を張り付けてまで、あんたに特例中の特例で残留許可が出てたのは、家を整理してもらう為だったんだから、その通り、整理すべきだったんではないですか……行政代執行って、とてもよろしくない事態なんですよ!」
同行者のゼネコンの監督さんが言いました。
「村の神社の移転も正式に終わっとります。つまり神様も引っ越し済みですわ。村の上流のダムは戦前の建設。何十年も補修に補修を重ねたシロモノで、非常に危険です。本当ならとっくにここは湖底になっているんですわ」
うんうんと頷いていたら課長さんの怒りに触れました。
「結局、あなたは東京からわざわざ何のために来たのでしょうかね! まあ、この不毛なやり取りもこれで終わり。これが令状ですよ。県による行政代執行を認める紙です。県が全部片付ける、県の出費で全部片付ける。税金泥棒です。なんなら強盗と言ってもいい」
課長さんが出ていき、残った監督さんが口を開きました。
「あんたは呑気にしてますけど、グータラもここまでくれば重罪。今日の午後3時までに谷を出なければ機動隊が来るんですよ。外を見たらどうです」
私は外を見ました。県の職員さんが勢揃いしていました。県庁のマークのヘルメットにお揃いの作業着。黒いブーツに白いごつい革の手袋。
監督さんが言葉を続けました。
「ケージに猫を入れて、財布と携帯と御位牌をカバンに詰めたら、すぐに上のパトカーの警官に顔を見せてください」
監督さんが出ていくと、屈強な一団がなだれこんできて、ものすごい勢いで冷蔵庫やらエアコンやらを取り外し、家電と家具と一緒にダンプの荷台に放り込んで去りました。
家はがらんどうになり、温情の電気・ガス・水道も切られました。
4 土地神さまは美少女
がらんどうになった家の中に立つ私の背中に、不意に感じるものがありました。
振り向くと、目の前には古風な和装をした長い黒髪の美少女が立っていたので叫びました。
「出たー!!」
美少女が普通に答えました。
「出たとは失礼じゃ。わしはこの谷の土地神じゃ」
「か、神様ですか……」
「そうじゃ。わしもちゃんと引っ越したぞ。無意味に残っているお前のせいで大勢が迷惑しておるのじゃ」
「はい!」
「分かっておるのならなぜこんな有様じゃ」
「言い訳の言葉もありません」
「大層無駄に年を食ったのであろう。その調子で25か」
「そうです……」
「その性根を叩き直すため、わしがそなたに試練を与える。今から人や森羅万象を模した魔妖たちがお前を襲いに来る。そなたは命を賭して戦うのじゃ。では頑張るのじゃぞ」
私はさっさと家を出ていこうとする美少女を慌てて引き留めました。
「お待ちを!」
「何じゃ」
「どうやってそんな恐ろしい妖怪たちと戦ったらいいんですか」
「頼りないのう。それじゃから恋人もおらんのじゃ」
「何か……武器とか魔法とか、お授けものはありませんか」
「そなた、わしの社の入り口にあった手水舎の柄杓を持っておるであろう」
「はい! わびさびを感じましたもので」
「それが役に立つじゃろ」
美少女――土地神さま――は去りました。
5 魔妖たち
土地神さまが去ると同時に、見覚えのある憎たらしい顔が浮かび、声が響きました。
『我は加虐妖』
「あ! あの女だ!」
中学校の3年間、私をカモにし続けた最悪の女でした。私の被害額は高額です。
『……キ・エ・ロ!』
「ちっくしょー、お前こそ消えろっ」
私は怒りをこめて神社の手水屋の柄杓で叩きました。すると魔妖は消えました。
「おお、その意気じゃぞ」
「神様!?」
去ったはずの美少女が後ろに座っていました。
「見ておることにした」
「助けてくれるんですね!」
「それはない」
新たな魔妖が出現し、私は頭をスリッパで思いっきり叩かれました。おまけに度突かれて蹴られました。
『我は威暴妖』
こいつは忘れもしない中学時代の担任教師で体育教師でした。目を付けられた私は、よく殴る蹴るの暴行まがいの「指導」を受けていました。今なら絶対に犯罪です。いや、当時でも。
「お前のせいで、お前のせいで!」
散々しごかれ、一生残るトラウマを植え付けられたので、柄杓で殴りまくりました。魔妖は消えました。
「ついに昔のトラウマを倒したぜい!」
その喜びの直後です。
次々に何かが飛んできて壁に突き刺さりました。
「ひぃぃ」
私は思わず叫びました。
『我は被虐妖』
声が響き、その方向を見ると、私が幼い頃仲良しだった隣の家の子がいました。
なんと、目の前に映し出される幻像では、幼い私がその子を泣かせたり、おもちゃを奪ったりと悪行の限りを尽くしていました。私は慌てて社の柄杓で叩きました。魔妖は消えました。
さっきの幻像の内容が腑に落ちません。
「そなたの記憶が間違いなのじゃ」
うっすらと正確な記憶が戻るような不思議な感覚に襲われました。
「私、あの子をいじめてたの……?」
「幼い時分のことじゃ。まあ、よくあることじゃ。覚えておるはずもない。まあ、意地悪をされたほうはしっかと覚えておるがのう」
土地神さまがそう言うと、今度はいきなり背後から手が伸びて首を絞められて、恐ろしい声が聞こえました。
『我は純朴妖』
「ひいぃぃぃぃ」
私は無我夢中で柄杓で魔妖の横っ面を叩きました。
魔妖は消えました。
「今のが誰か、思い出さぬかのう……」
美少女の土地神さまが私に問いかけます。
私は必死に考え、小学生の時に告ってきたある男子を思い出しました。人生で初めて告られた私は嬉しくて皆に話しました。はい。アホです。その男子は皆から目一杯弄られました。可哀想なぐらいにエスカレートしました。ところで田舎はなにかと整備が悪く、危ない場所がいっぱいです。ある日その男子は休日にため池に落ちて死んでしまいました。
「なんだか、気分悪い」
「うむ。過去を振り返るのは辛いのう」
再び別の方向から声がします。
『我は純朴妖』
「また!?」
魔妖の手が伸び、爪がぎりぎりと私の首に食い込みました。
「誰なのか思い出さぬか?」
またも土地神さまが、命の危機に陥っている私に問いかけます。
中学校の同級生の男子でした。何かと私によくしてくれる男子で、告られて好きになって付き合いました。ところがある日、何かの拍子にその男子が「クサイ」とクラス内で馬鹿にされるハメになった時、私も雰囲気に流されて一緒に「クサイ」コールに参加してしまいました。その一件で無情にも好意を失った私は、その後一切無視して顔も合わせませんでした。ある日、その男子は下校中に車道脇の深い側溝に落ちて頭部を強打し、病院で亡くなりました。
私はかすかな声で言いました。
「戻れるなら謝りたい」
息も絶え絶えの私が柄杓で叩くと魔妖は消えました。
しばらくして、なんとか体調が戻りました。
でも私は自分にドン引きです。
「私、やな奴じゃない!」
「ふむ。辛いのお」
土地神さまはその美しくも冷たい顔を崩しません。
今度は新たな方向から縄が飛んできました。私の首を捕らえた縄が締まります。
『我は奪恋妖』
縄で首を絞められたら今度こそ死んじゃいますので素早く柄杓で突きました。この攻撃で魔妖は消えました。
「今回は思い出すのが早かったのう」
土地神さまが宣いました。今の魔妖は高校時代のとあるイケメン男子でした。でもそのイケメン男子は私じゃない他の女子と付き合い始めました。嫉妬に燃えた私が仕組んで二人の仲を裂きました。おまけに傷心中の彼に上手に告って付き合うことに成功しました。
「私、最低のビッチじゃん!」
「うむ」
「うむって、ビッチは言い過ぎ、とかフォローはないの?」
すると消えたはずの魔妖が再び現れました。
『我は捨恋妖』
「ぎゃぁ!」
見るも恐ろしい形相での再登場でした。私は人から奪ってまで付き合ったお気に入りの男子にすぐに飽きて、以降ほとんど無視したのでした。黒歴史とはこういう過去のことです。私が柄杓で叩きまくると、魔妖は消えていきました。
私は叫びました。
「もういや!」
追い打ちをかけるように私の前に現れたのは、保育園時代の親友の子でした。
『我は捨友妖』
これは自ら封印していた記憶でした。近所の謎のトンネルの探検を一緒にした時、前を歩いていた親友が突然倒れたんです。私は急いで外に走って逃げました。頭が割れるように痛み、家に着いたら廊下で夜まで眠ってしまい、起こされてボーっとしていたら、母から「昔のトンネルからガスが出て、お友達が死んだのよ」と聞かされた暗黒の記憶です。
小さい魔妖は恐ろしく速い動きで私を追いまわします。私は柄杓を床に落とし、逃げ回り叫びました。
「ごめんなさい! あの時に戻れるのなら絶対に見捨てないから!」
その言葉で魔妖は消えました。
私は封印していた記憶をこじ開けられて、涙が止まりませんでした。
「やっと罪に向き合ったわけじゃ。友を捨て、そなたは逃げた。友は死んだ」
非情に宣告する土地神さまを、私は泣きながら見上げました。
6 茶トラのサラ
大きい茶トラの美猫、サラが外から戻ってきてくれました。
「土地神さま、やり過ぎニャ」
「おお、朝の茶色の愛い猫じゃの」
「土地神さま、朝のお告げと話が違うニャ」
それでも土地神さまは冷たく宣いました。
「この女はこれまでの悪行を全部忘れておったのじゃ」
「最後の件は紗良は無罪ですニャ」
「ほう、友を捨てて親に知らせもせず寝ていたのじゃぞ」
「紗良もガスで死にかけていたのですニャ。家にたどりついた紗良は、寝たのではなく、倒れていたのですニャ」
私はサラを抱き締めました。その通りです。
「紗良は良い娘ニャ。成長して学んで、間違ったことはしなくなったのニャ」
サラが猫で残念です。なぜサラは人間じゃないんでしょうか。
「ふむ……それでは残りの魔妖を受けてみよ」
美少女は姿を消しました。可愛いのに、中身は怖い神様です。
「あの神様はまだ少女だからニャ。多感過ぎて何するか怖いのニャ」
「今すぐ村を出てパトカーまでたどりつかなきゃヤバそう。本当に死んじゃうよお」
とにかく早く家から御位牌と私の財布とiPhone、書類何枚かを持ち出して村を出ないといけません。
這うように階段を上ると蜘蛛の巣が顔に張り付きました。
「ぐえっ、きもちわるぅい」
階段には蜘蛛の巣が大量に張られていました。恐怖で気絶するかと思いました。
『我はクモ魔妖』
私もサラも分厚い蜘蛛の巣に捕らわれて進めません。
サラが言いました。
「勤勉なるクモたち、この家のあるじは今日で去りますからお許し下されニャ」
この言葉で魔妖グモは全ての蜘蛛の巣を解いて消えました。私にまとわりついた気持ち悪いベトベトも消えました。
急いで御位牌と諸々を手提げカバンに入れて持ちました。
恐る恐る階段を降りると大量の蛾に襲われました。蛾は苦手です。例え一匹であっても。
『我はガ魔妖……』
「ガたち、よその家のほうがマシですニャ」
蛾の魔妖はすぐに離れていなくなりました。これは本当に助かりました。危うく漏らす寸前でした。
私はビクビクしながら玄関に向かいました。ふと気付くと、家がひどく傾いており、倒壊しそうでした。
「家を倒されちゃう! 出られなくなる!」
「モグラたち、村を出ることを勧めますニャ。アリたち、隣の家のほうがいい木を使ってますニャ」
モグラ魔妖はたちまち去っていき、白アリ魔妖は整然と列を作って隣家へ移動していきました。
玄関を出るとチュンチュン鳴く群れが襲ってきました。数が多すぎて前へ進めませんでしたが、サラが喜んでスズメ魔妖を追いかけて遊ぼうとしたため、スズメ魔妖は散りました。
7 森羅万象魔妖 其の一
家から出た私たちをありえない強い日差しが照り付けました。温度がぐんぐん上がりました。
直後、空が強烈な灰色の雲に包まれました。温度がどんどん下がり震えるほどになると、また強い日差しが照り付けました。私の頭はぐらんぐらんです。
すると空から恐ろしい声が聞こえました。
『我は気候妖』
私の脳内に圧倒的な憂鬱感が押し寄せて、私はついに気を失いました。
サラがそのザラザラした舌で私を舐めて、猫の鋭い歯で噛んでくれたので起きることができました。
私は社の柄杓を振り、魔妖は消え、天候が戻りました。
魔妖の出現はとどまるところを知らず、突如、刺さるような痛い雨が降りました。
『我は豪雨妖』
脳天が割れるような勢いで固い雨粒が降ってきました。
私を暴風雨がなぎ倒し、地面が激しく揺れ、土砂と雪が私を覆いました。三重奏で声が鳴り響きました。
『我は暴天妖』『我は暴地妖』『我は暴雪妖』
私の背骨がピキンと音を立てました。神経が悲鳴を上げています。
私が柄杓を振り回すと、今回も魔妖たちは消えました。
「サラ! 大丈夫?」
「にゃ」
喜びも束の間、次の瞬間、私が周囲を見ると、一面の地面が干上がって割れ始めました。
(喉が痛い……)
全身を乾きが貫き通しました。魔妖の声が響きわたりました。
『我は干水妖』
サラが倒れました。サラの瞳はくすみ、目ヤニだらけで血がにじんでいます。半開きの口からは舌が出たまま、乾いた砂が口に入り込んでいました。死んだとしか思えませんでした。サラに呼びかけようにも、私の乾ききった喉は全く声を発しませんでした。
私は渾身の力で柄杓に手を伸ばし、柄杓を振り回すと、魔妖は消えました。
死んだはずのサラも命を吹き返しました。
「サ・ラ」
奇跡的に声が出ました。
これでは本当に命がいくつあっても足りません。
「お社に行って、さっきの神様に頼んで許してもらうしかないニャ」
「そうしよう!」
私とサラは廃村の中央にある神社に転進しました。このまま崖の上のパトカーを目指してもたどりつけそうにありませんでしたので。
神社の鳥居には《沙羅大神》と掲げられていました。今までこの石板を見落としていましたが、これであの土地神さまの名前が分かりました。
私はこのお社の入口にある、湧水が直接注ぐ構造の手水舎に、傷付いた両腕を入れました。
指の先から痛みと痺れが抜けていき、頭を涼しい風が吹き抜けました。傷も全部治り、脱水症状も治って体が正常になりました。
「生き返ったあ……」
サラを見ると手水舎の水の中で沐浴していました。ええ、もちろん手水舎は猫や人がこんなことをする場所ではありません。でも今は非常時です。
サラも全身の傷が癒えて、回復していました。
「助かったニャ」
「あの神様、家に居るかな?」
「そういえば引っ越し済みだったニャ」
「来てくれないと死ぬねえ」
私たちは参道の隅を歩き、奥の本殿の前に来ました。
本殿には大きな錠前がかかっています。
鐘を鳴らして二礼二拍一礼をしましたが出てきてくださいません。旧宅には不在ということでしょうか。
ここで急に私は異常にお腹が減りました。空腹なんてもんじゃありません。飢餓です。腹と背中がくっつきそうで、今すぐ何か食べないと死ぬ!と本気で思いました。もちろん魔妖の出現なのですが、すぐには魔妖の仕業だと分かりませんでした。
ちょうど目の前に、育ちの良さそうなモッフモフの小動物がいました。
「逃げるな。抵抗するな」
私は獲物ににじり寄りました。その獲物が叫びました。
「紗良!」
私は我に返りました。私はサラを食べようとしていたのです。恐ろしいことです。
『我は飢餓妖』
今回の魔妖は煙となって私を包んでいました。私は柄杓で魔妖を切り裂き、煙は消散しました。
私はサラを抱き締めました。サラは尻尾で私を厳しく叩きました。危ないところでした。
次にまたも煙が私を包みました。今度もひどく喉が渇きました。
私は思わず目の前の果実にかぶりつき、赤い汁をすすって飲み始めました。
「何してるのニャ!」
サラの声で私は我にかえりました。
『我は渇苦妖』
恐ろしい声が響きました。
そうです、私は自分の腕を咬んで血を吸っていました。
事実に気付いた私は急いで柄杓を振り回しました。魔妖は散り、消えました。
このまま外にいたら次はどんな魔妖に襲われるか分かりません。私は本殿の中で神様の帰りを待つことにしました。錠前を留めるネジは錆びており、叩くと簡単に外れました。ええ、はい、絶対ダメですが今は非常時です。私は本殿の扉を開けてサラと中に入り、壁に寄り掛かりました。
「ここに帰ってくるのかな……」
「分からないニャ……」
少し休んで、私はこの部屋が住むには居心地が悪いことに気が付きました。なにぶん、とても古いので!
取り替えたほうがいいと思った木板に爪で印を付けました。
すると芳香が立ち上り、その香りをかいだ私は床に倒れました。
目を回した私のそばから魔妖の声がしました。
『我は欲居妖』
「しまった、サラ、どうしよう」
「早くこの魔妖を消すのニャ!」
私は柄杓を振りました。魔妖は消えました。
私はサラに言いました。
「サラーっ、もう、どうしよう」
「わしを呼び捨てとな」
驚いて後ろを振り返ると、あの土地神さまがいました。そう、中身は怖い美少女の神様が本殿に帰ってきてくれたんです。ここに居る3人とも「さら」でした。猫のサラ、私も紗良、土地神さまは沙羅大神……
「沙羅様! 来た!」
「お聞きくださいニャ」
サラがこれまでの死闘を細かに説明しました。
その説明を聞いた沙羅大神が宣いました。
「まことか。それは……まことにすまなんだ」
「神様が謝った」
「沙羅様はまだ幼いからニャ」
事情はなんとなく分かりました。沙羅大神は少女なりに、神さまとしての力を行使しようとしただけなんでしょう。
でも私は自分で制御できないほどに腹が立ち、どうに気持ちが収まらなりました。
「私の心の傷をえぐるだけえぐって酷いよ!」
するとサラが叫びました。
「紗良、また魔妖が出たニャ!」
私はサラの言葉に気付かず、沙羅大神の肩を揺さぶり続けていました。
「神様なら私の今までを知ってるはず! 私が良いこともしたって知ってるはずっ」
「手を離すのじゃ。痛いぞ」
私は沙羅大神を強く揺さぶり続けました。
なんとサラの眼が蒼く光り、額のM字紋様が輝きました。私を閃光が貫きました。
床に倒れた私から、黒い煙が離れていきました。魔妖の残骸でした。
「これは『欲認妖』じゃ。ここにまで出るとは。わしは魔妖を強く作りすぎたようじゃ」
沙羅大神は後悔の気持ちを宣いました。
「一刻もはよう谷から逃げるのじゃ。わしは姉上に魔妖の消し方を聞いてくる」
「お姉さんに聞きに行く!?」
思わず声が出ました。
8 森羅万象魔妖 其の弐
私たちは神社を出て村を脱出するため走り出しました。少女の沙羅大神が魔妖たちの解除方法を聞いて戻って来るまで命があるかどうか分かりませんので!
目の前の小川も飛び込んで横切るしかありません。
渡り終わると、水が人型となって立ち上がりました。
『我は小流妖』
「ひぃ!?」
『踏み荒らす不届き者め』
怒れる小川は水を丸めて固めて撃ってきました。水とはいえ多分当たったら死ぬレベルの怒気です。
「待ってよ! 私は小川を荒らしたのはこれが初めて!」
魔妖は私の話など聞かないので、柄杓で水の弾を打ち返しました。打ち返した水が見事当たり、魔妖は消えました。
「もうめちゃくちゃニャ」
「急ごう!」
谷を登る長い長い坂道――谷底の村から上がれる唯一の道――を思い浮かべながら、村の河にかかる大橋を駆け抜けました。次の瞬間、橋桁が木っ端微塵に砕かれ、私たちは河に落ちました。
『我は大河妖』
「ゴボボボぐるじい」
急に激流になった河に落とされた私は、何とか川辺に生える草を掴み、必死で上まで這い上がりました。サラは猫なので身軽に泳ぎ、坂も駆け上がりました。
道を走り続けると、今度は足元の隆起が弾け飛びました。
『我は竹根妖』
道の下を通っていた竹林の根が、網となって私たちを縛りあげました。風が吹き、散った竹の葉が降り注ぎ、皮膚が切れ、血が出ました。地味にエグい仕打ちです。
「痛いのニャ」
「なんなのよ!」
例によって柄杓を振り回し、魔妖を消しました。足に絡みついた竹の根が消えました。
「行くのニャ!」
「うん!」
今度は空からカモの大群が襲ってきました。クチバシでつつかれたり足で蹴られたり散々です。カモだらけで前が見えません。
「サラ! 助けて」
「賢いトリたち、このババアに構わずお進みくだされニャ」
「あ、ひどい!」
カモ魔妖の群れは去りました。サラの言葉に毒があるのは、さっき私がサラに食いつきそうになったせいでしょう。
次にフクロウの群れが現れました。ホウホウと鳴き始めて、一羽なら風情もありますが数百羽で一斉に鳴かれては気持ち悪いだけです。しかも音圧で気持ちが悪くなってきました。
「サラ、助けて!」
「聡明なフクロウたち、今は昼ニャ」
フクロウ魔妖の群れは去りました。
谷底の村から上がれる唯一の坂道を目前にして、坂の上からモコモコの集団が降りてきました。迂回しようにも見渡す限りモコモコの群れが続いてきます。無理やり突破しようとして、私は跳ね飛ばされました。密集したモコモコ達の背中に乗っかっていては、そのまま村の奥まで運ばれてしまいそうでした。
「ヒツジたち、お静まりくださいニャ」
サラが話すと、魔妖の列が消えました。私は地面に転がり落ちました。
「なんだか動物同士だと話が通じる仕組み?」
「そうみたいニャ」
ここまで察するに、動物魔妖はなりすました生き物の特性を反映するみたいです。
急ぐ私の足が止まりました。気持ち悪いことこの上ない光景でした。
「げげっ。ミミズ魔妖かよ」
私はミミズが苦手です。とにかく苦手なのです。田舎特有の太くて長いミミズたちが道を横断していました。
「土を耕すミミズたち、さっさと進みニャさい」
とサラ。
ミミズたちがささっと横断を終えて消えました。助かりました。もう本当に漏らしそうです。
ようやく、急いで登るべき、つづら折りの長い坂道のふもとに着きました。本当なら徒歩で登るような道ではありません。私がこの村に来た時はタクシーで下りました。私の体力ゲージはゼロ、いえマイナス10000くらいでした。
「長いね……」
「長いニャ……」
「うう……」
「猫でも厳しいニャ……」
すると目指す崖の上のパトカーから拡声器の声がしました。
《あ、いたいた! 東京のお姉さん、古いダムがもう危ないそうです。上流の河が急に激流になったそうです。直ちに上がってください!》
「魔妖の仕業だニャ!」
「そうだね、急ごう!」
サラと私は走り、上り始めました。谷に、世にも恐ろしげな地響きが伝わり、轟音が聞こえてきました。
「紗良、この音は何ニャ?」
「ダムの決壊かな……」
細くて長い長い村道を私たちは駆け上がり続けました。
すぐに息が切れ、胸が焼けるようになり、私は転びました。もう心身ともに限界でした。
まだ高さはあまり稼げていません。下を見ると、濁流が村を飲み込んでいました。あまりに勢いが早く、強すぎます。地割れのような激しい振動でとても立っていられませんでした。これも魔妖たちの仕業なのでしょう。
私は観念しました。人は無理でも猫なら行けるかもしれません。
「サラは行って! これだけ頼むね!」
私はサラに御位牌だけ託しました。サラは頷いて全速力で走りだしました。多分サラは助かります。
良かった。終わり良ければ全てよし、です。
「今日が年貢の納め時」
サラが朝に言ったセリフでした。もう命脈が尽きたと思いました。
「サラ、元気でね」
私は崩れ始めた村道とともに水中に沈みました。脳裏を今までの記憶が鮮やかに駆け抜けていきました。これが走馬灯……
私の肩を急に沙羅大神さまが揺さぶりました。
「紗良どの。まっことすまぬ」
「沙羅様! 帰ってきた!」
泥水の中のはずなのになぜか息もできて目も見えます。
「ここまでの目に遭わせて、まことにすまぬ」
「私、死ぬんですね」
「姉上に聞いたが、わしが作った魔妖たちは紗良どのが倒すしか道がないそうじゃ」
不思議な感覚です。水中を自在に動けて、見通しもききます。沙羅大神さまの、そういう力なんでしょう。
「これから出る魔妖たちが一番手強いじゃろう。紗良どのの家族を真似て気合を入れて作った魔妖たちじゃ」
「うちの家族ですか!? 恥ずかしい!!」
「紗良どの! 魔妖たちじゃ!」
9 人間魔妖
いきなり眼前に母が現れました。もちろん魔妖ですが、とにかく母そっくりでした。
「あなた! いい加減にしてください!」
激しくも懐かしい、でも嫌な光景が広がりました。父は浮気性なので、家はしゅっちゅう修羅場になっていましたっけ。
「子どもたちは独立しました。長い間よそに女を作って惚けてきた人ともう一緒に暮らすことはできません!」
うんうん、このくらいは言うだろうと思います。是非言ってほしい。でもこの女性は台所の包丁で父を刺そうとしています。確かにこれは魔妖でした。母じゃありません。
「魔妖敗れたり! 描写が誤りぃっ」
うろたえる魔妖から包丁を奪いました。魔妖は水に溶けて消えました。
「父さんの馬鹿!」
荒れる姉が――姉を模した魔妖が――父魔妖に殴りかかりました。ええ、あの父は姉に殴られても当然でしょう。足りないぐらいです。でもこの姉はちょっと怒り狂い過ぎです。父を力の限り殴り続けています。ついにバットに手を伸ばしました。そうでした、これは魔妖です。
「魔妖敗れたりっ! 描写が誤り過ぎぃっ」
魔妖は溶けて流れていきました。
次は実家の近所の住人たちが現れました。あることないこと近所に撒き散らす、害悪を地で行く住人たちでした。
「あ、紗良ちゃん、お宅のお姉さん、学校で暴力を振るって停学になったんですってねえ」
どこの姉のことですか。
「……酔っぱらっているのをよく見かけるし。あなたも大変ねえ」
どこで誰がだよ。
「紗良ちゃんのお父さん、悪い方なのよ。お母さんの知らないところで何をしているか、紗良ちゃん知ってる?」
もう我慢なりませんでした。魔妖といえども。
「気安く私の名を呼ぶなっっ」
私の怒りのほどを察した女の隣人魔妖たちは自ら消えました。
自治会のジジイ魔妖が残りました。
「ゴミの分別はきちんとお願いします。まったく貴方の家はマナーがなってませんな」
あの時は権力者のジジイが怖くて言えなかったので、魔妖と分かっていても今こそ言い返しました。
「うちのゴミは全部母がきちんと分別しています。嘘ばかり言うと、あんたの秘密をバラしますから」
「何を言うのかね。最近の若い娘はまったくひどいもんだ。性根が腐ってるんかねえ」
「腐ってるのはあんたでしょ。あんたが掃除を装って気に入らない家の前にゴミを山盛りにしたり、ゴミの分別を装って若い娘の居る家の袋を狙って開けているのをぜーんぶバラしてやりましょうかーー?」
ジジイの顔が青くなりました。魔妖は溶けて流れ去りました。勝ちました。
背後から別の魔妖の気配です。
「今度は誰?」
「紗良さん……」
「うっ」
父の浮気相手代表の女の魔妖が出ました。これはキツイです。
「ねえ、いつになったらあなたのお父さんはお母さんと別れるつもりかしら?」
父もアホですがこの女はもっとアホです。恐ろしい図々しさと残酷さです。
「ごめんなさい。うちの父は惚れっぽくてバカなの!」
柄杓を使うのをすっかり忘れていました。私は柄杓を両手で握ってしっかり狙って魔妖に振り下ろし、消しました。
ついに眼前に父の魔妖が出ました。
なんとそいつは先ほどの女を刺し、死体を袋に入れて運んでいます。ふう。ここまでするとは沙羅大神も怖いと思いました。少女の多感さは侮れません。
父を模した魔妖が不気味に口を開きました。
「こ・れ・は・じ・じ・つ・だ」
「父はバカだけど人殺しなんかしない。バカだけど」
「それは本当か……記憶を変えているだけじゃないのか……」
私は魔妖に反論しました。
「浮気する以外はいい人っぽかった。まあ、だから結局はダメ人間だけど。殺人はしないよ」
私が柄杓を両手でしっかり握って狙いを定めると、父を模した魔妖は自ら溶けていきました。
ここで視界が真っ暗になり息ができなくなりました。沙羅大神から授かった水中の術の効果が切れたのでした。
(死ぬんだ……)
「紗良どの!」
(沙羅様……)
「魔妖は全て終わりじゃ!」
10 救助、逮捕、釈放
私を殺めようとした沙羅大神が、今は私を助けようとしていました。
「もう少し気張ってくだされ」
私は沙羅大神に背を押されながら、必死に水面を目指しました。
なんとか水面に浮かぶと爆音がして暴風がふきつけました。
すぐにゴムボートが近付いてきて、人が飛び込んで私を抱き上げてくれました。ゴムボートの上から手が伸び、私は引っ張り上げられました。私はゴムボートに仰向けに倒れこみ、必死に息を吸いました。
少しずつ視界が戻り、上空のヘリコプターと爆風が遥か遠くなったのが分かりました。
「にゃ!」
「サラ……」
なんとサラの声がしました。
「おお! 生きてて良かった」
うちの猫を乗せた救助ボートの上から手を差し伸べてくれたのは、いつぞやの刑事でした。この人は私がこの谷の村に来た日に出迎えを受けたパトカー軍団の代表でした。
「良かった、良かったですよ」
「刑事……?」
助けてくれたのは嬉しいのですが、なぜこの人なんでしょうか。あの時は散々疑われたので嫌な感じしかないです。
「さすがに溺れ死なれては夢見が悪いですよ。君、本部に報告を頼む」
「了解しました」
救助ボートは満員でした。
サラが私にくっつきました。温かくてフワフワでいい匂いがします。
私はようやく息に少しの余裕ができ、周囲を見ることができました。
村は沈み、谷の上には警察や消防の車が集まっています。助かったことが信じられません。
「ところで」
突如刑事が私をのぞきこんで言いました。
「あんたがあれだけ残った理由がワレましたよ。午前中に県庁が代執行で廃棄したお宅の冷蔵庫からホトケさんのホネが出たよ」
意味が分かりません。
「東京から来た変わった娘が、どうしようもないグータラで残っているとばかり思っていたんだが……」
そうです、それだけですが。
「演技が上手なんだねえ」
何を言う気なんでしょうか。
「あんたはホトケさんの処分に困って残っていたんだ」
「……はい?」
「多分あんたは根から悪い人じゃない」
意味が分からず、犯人扱いで不穏な空気感でした。私はなかなか覚めない悪夢が続いているのだと思いました。
私たちの乗った救助ボートが接岸し、上から消防が全員を一人ずつ引き上げてくれました。でも全く喜べません。
サラを見ましたが猫らしく鳴くばかりです。私は呆然と救急車に座りました。
「にゃん! みゃーっ!」
「サラ、命が助かって良かったね」
刑事が言いました。
「まあ、あんたが猫としゃべるのも分からんでもないよ。その猫だけがあんたの友達なんだから。よく知らんがコロシにも深い訳があるんだろうよ」
誤解です! 無実です! 冤罪です! あと、ちゃんと友達います!
ここで無線が入り、この刑事は私を睨みつけたまま少し離れて小声で通話を続けました。
私は救急車に座り込んだまま待ちました。
刑事は長いながーい通話を終えると、
「申し訳ない。伝言ゲームの連鎖ですわ。間違い、勘違い」
と宣いました。
「面目ない。今説明するけど、長く居座ったあんたにも原因があるんだから我慢して」
刑事の説明が長かったのでまとめると、こういう事でした。
……県が引き取って廃棄した冷蔵庫によく分からない骨が入っていた。私の存在は地元で色々な噂になっていたから、産廃の会社は念のために警察署に電話をした。この産廃の会社の前を駐在所のパトカーが通りかかり、駐在所にも骨の話をした。警察署と駐在所がそれぞれに本部に報告をした。本部がざわついた。そこにダムの決壊という大混乱があったので、救助隊を出す頃には、もう私が殺人犯ということに決まっていた。でも鑑識係では犬猫用の市販のホネだとすぐ分かった。
……ということだそうです。
「いやはや、なんたること」
横で聞いていた別のお巡りさんがあきれて言いました。全く同感です。激しく同感です。
「さ、救急車で病院へ行ってください」
救急車にサラも飛び乗りました。救急車がサイレンを鳴らして走り出しました。疲れました。非常に。
「紗良殿、よく戦ったのう。良かった、良かった」
いつの間にか沙羅大神が座って泣いていました。美少女の顔が、涙でぐしょ濡れでした。
(了)
美猫サラと沙羅大神と魔妖たち