形あるものの死

■遭遇
「はぁ、退屈な授業だよな」
「だからって異常な授業は受けたくないだろ」
 ばかげた話をしながら学校の渡り廊下を歩いている。冬に入り、風が吹き荒れ寒さに耐えながら男が二人、何をするでもなく立ち話を、かれこれ2時間近く続けている様は、それを見ている人にとっては異常だろう。
 しかし、俺たちにはそれでもここにいたい理由があった。
「っていうか、もうそろそろ諦めた方がよくないか?」
「ずいぶん弱気だな。いつもはお前のほうが行こう行こうって誘うくせに」
「時と場合によらぁな。何を好きこのんで冬の渡り廊下に2時間も立ちつくさにゃならんかね」
「真夏の炎天下の中3時間、俺はここでお前の覗きに付き合わされたことがあるよ」
 今僕らが何をしているかというと、それはまぁ、なんというか。いわゆる男子学生のささやかな楽しみというか。いやらしい響きを強調するならのぞきというやつだ。こういう風の強い日の渡り廊下は、身を寄せてあって肩を抱き、小さくなっている女の子たちが、突然吹き荒れる北風にスカートをさらわれるというハプニングがよくおきる。この時期になって寒い中震えながら外で立ち止まっている男を易々と信用すると、彼らを楽しませる羽目になる。たちの悪いものならば、そのまま今晩のおかずにだってなりかねない。
「おれぁ熱いのはいけるけど寒いのはだめなんだよ」
「お、ちょうどいいお客さんが来たぜ」
「お、どれどれ?」
「あれ、向こう側の渡り廊下。って、あれあいつじゃないか?」
 あいつ、と俺が言った女は、俺たちの同級生で変わり者ののレッテルを貼られているやつだった。高校になって始めてみた顔だし、特別かわいいかといわれれば、かわいいのだが。なんと言っても話しかけても返事をしてくれない。いつもよくわからない本を読んだり絵を描いたりしてて、協調性というものが極端に欠けてる人間だけに、俺も口説く対象にあいつを選んだことはなかった。
「あいつってさ、変わってるけど、かわいいよな」
「あぁ、スタイルも結構いける。一説じゃウェストにちょっと肉を余らせてるらしい」
「ほぉー、なんというかマニアックな趣味してるなてめぇ様は」
 誰がマニアックか。そう思いながら相方を蹴り飛ばし、向こう岸の廊下を歩く女を俺は見ていた。もちろん、熱視線を送り続けると、目が合ったときに面倒なことになる。俺は相手が見えるように壁にもたれて、相方と話している風を装うことにした。
「お前さん、相当な知能犯だよな」
「まぁ、伊達に学年トップクラスの順位を張ってないからな」
「だったら余計なことしないで進学に青春の全てをつぎ込んでろよ」
「そんな寂しい人生はごめんだな。やりたいことをすべてやって尚且つ誰にも文句を言わせないようにする。それが理想の生き方だ」
「ようするに、ひねくれてるんだな」
 誰がひねくれてるか。確かに進学校で、先生から期待の目を向けられている同級生の連中を見る限りでは、俺みたいな趣味を持った人間はいないような気がする。
今目の前を横切っていった女、片桐 蓮華もそうだ。そういえば、俺はあいつに順位で勝てたことがない。
 俺の学年は稀に見る逸材が集中してるとか何とかで、上位グループ内での順位変動が激しい。普通、特別優秀な生徒が一位であり続け、そいつが足を踏み外すのを狙うかのように2位以下が続くというのだが。俺たちの場合、ライバル心が激しい奴らが多いおかげで、いつも10位以上の順位は無茶苦茶だ。おまけに大半が1点2点の差で蹴落としあう。その競争の激しさから、10位以下の連中が全く追いついてこないのは、ある意味問題があると思うのだが、そこは俺には関係ないので放っておく。
 しかし、不思議なことに、俺は1位をとったことがない。それは、どれだけ点数がよくても、必ず俺の上に片桐がいるからだ。俺が10番だったらあいつは8番か7番。俺が2番にまで駆け上れは、あいつは1番を取る。だから俺がトップに君臨したことは一度たりとてない。この10人の中で1位になれていないのは俺だけなのだが、俺のせいというよりもあいつが何かしらの方法で俺の上にいると考えたほうがいいような気がする。
 八つ当たりだって事は、もちろんわかっているのだが。
「あ~ぁ、だな」
「都合よく風が止んだ」
「あいつなら魔法とかで止めてそうだよな」
「あー、あいつならできるかもな」
 そろそろ、この不毛な我慢大会にも飽きてきた。ここらでお開きにして、帰るとしようかな。
「おい、お前さん今日は真っ直ぐ帰るのか?」
「あぁ、そろそろ金もないし」
「テストも近いもんな。優等生さんは忙しくてらっしゃる」
 俺だって好き好んで優等生やってるわけではない。確かに下の連中が多いことに優越感を感じることはあるが、それ以上に上の連中が気になる。単に負けず嫌いなだけなのだが。

■邂逅
 相方、新堂 将と別れ、俺はなんとなく、さっき向こう側を歩いていった片桐の後をつけてみることにした。特に深い意味はない。ただ、あいつにかかわると呪われるだのといった、彼女に関する七不思議みたいなものを思い出して、興味本位でついていってみたくなっただけだ。あいつは彼女と幼馴染だそうで、理解しかねる人間であることは認めているのだが流石に悪く言うことだけはためらいがあるらしい。
 案外義理堅い性格で、互いに付き合いも深いだけに、あいつの前では余り彼女を馬鹿にし過ぎないように気をつけている。
「さて、あいつの後をつけると必ず見失うって奴を試してみるか」
 以前こんな話を聞いたことがある。街中で彼女を見かけ―彼女が外を出歩くことは珍しいらしい―こっそりとあとをつけてみたのだが、見失うはずのない場所でなぜか彼女を見失ってしまったそうだ。それを聞いて、彼女と町で遭遇した何人かの人間がつけてみたが、彼と同じように、なぜか見失う要因がない場所で彼女を見失うんだそうだ。
 後に目がついていて、つけられてることに気が付くんだなどという噂もあるが、その真意を見てやろうじゃないか。
「今回は校舎内。廊下や教室で見失ったら、すげぇ奴だってことになるぜ」
 それはそれで話の種になって面白そうだ。あの片桐だからって納得されれて笑い話になるだけなんだろう。
 俺は、冷めていない振りをしている。勉強ができるやつはいじめられる対象になりやすいし、恨みや妬みの対象に選ばれてしまうから。人がそういう対象に選ぶのは、羨ましさの裏返しだ。だから、あいつらと同じ話題を取り込んで、あいつらとの壁を意図的に壊してしまえば、自分を仲間だと思い込んでくれる。人間は、今の時代になっても義理堅い。
 それは日本人特有の性格だ。現代人はありがたみがわからないとか言われてるが、何を指標にしてそんな事を言っているのか。あいつらは間抜けな位に義理堅い性格をしているというのに。
「自分から不良のレッテルを貼れば、出来損ないの真似事ぐらい簡単にできるさ」
 俺は、ぼそり言葉を発していた。自分で声に出したことを気づいて慌てて口を押さえた。人を尾行しているときに、相手に自分の存在を教えてしまってはしょうがない。廊下の曲がり角からこっそりと片桐を除く。幸いあいつはこっちに気づいたわけではないようだ。適当な距離を保ち、足音を立てずに後ろを歩く。なんというか、全く存在に気づいてもらえないのも、少々寂しい気もするが、そんな事を言っている場合ではないからな。
・・・・・・この先って、美術室じゃないのか?
 美術室。うちの学校のいわゆる開かずの間と呼ばれている部屋だ。学校ができた当初は、美術部というものもあり、美術を教える先生もいて使われていたらしい。進学校として有名になった頃からはその部屋を使うこともなくなり、元々分かりづらい場所に設置されていたために、今では存在を知っている学生も数えるほどになってしまった。
 そこへ、迷うことなく歩いていく目の前の人影。鍵を持っているわけではないだろうに、一体どうしてこんなところへきたというのか。
「私に、何かご用?」
「!?」
 曲がり角から片桐を覗いていると、美術室のほうを向いたまま、つまり俺に背を向けたままで、片桐は後ろに俺がいるとわかって声をかけてきた。
「気づいて、たのか?」
「あなたなら、もっと上手に後ろを歩けるはずなのに、馬鹿と一緒にいるからその程度だったの?」
 俺の質問に答えず、逆に問いかけてきた。背中を向けられ、顔を隠すように伸ばされた黒髪で表情を伺うことはできなかったが、口調で俺を馬鹿にしていることはすぐにわかる。俺は片桐を睨みつけた。
「後ろに誰か居るのに足音がしないなんてただごとなはずないでしょ?」
 と、会話がつながっていない雰囲気の中、片桐が俺の質問に答えた。
「廊下にはガラスがいっぱいあるのよ。よほど距離を取らない限り、いやでも私の視界にあなたの姿は映る。露骨に後ろを歩かれると腹立たしいけど、半端な知恵で後ろをつけられると気色悪いわ」
「へえ、それでここにきて俺を待ち伏せたわけか」
 俺は逆に強気な態度にでた。おそらく後ろをつけている事に気づいてここへ誘導し、鼻を折ろうとでも思ったのだろう。しかしここは開かずの間の前。つまり、人が全く来ない場所。ここでなら、多少騒がれても誰も来ない。あまり挑発的な発言してると、半殺しにされたりレイプされても何もできないって事を、世間知らずの優等生様に教えてあげないといけない。
「えぇ、あなたと、話がしてみたかったから。誰にも邪魔されないで、気が済むまで、話してみたかったの」
 が、片桐は俺の予想の上のそのずっと上を行くほど理解不可能な言葉を発し、こちらを振り返った。黒くて、よくみるとつややかな長髪をまといながらこちらを見るその顔は、先程までの言葉が嘘のように明るい。
「俺と、話がしたい?」
「ええ、同級生のよしみで、ちょっとだけ付き合ってくれないかな?多分、三十分もあれば十分だと思うから」

■出会い
この場所で話って、何を話せばいいんだろうと思っているうちに、片桐は窓をあけ、体が半分近く出るぐらいに身を乗り出して外を見ていた。落ちるかと思って走りよろうとすると、ふっとどこかに行ってしまっていた気持ちが戻ってくるように、廊下に立った。
「桜の木、明日には満開かなぁ」
「ん?ああ、そうだな。もうじき進級判定テストの時期が来てるし」
 桜は、入学とか就職といった、門出を彩る花だったのは昔の話だ。今の時代では、一つの年度の終わりを告げる花に成り下がっている。昔に比べて、今の気温が高いことをあらわす身近な指標の一つだろう。地球温暖化とやらの影響は、想像以上に深刻なはずだ。
「桜の下には、死体が埋まってるの」
「聞いたことあるね、戦争かなんかで死んだ人を慰めるために植えたのが桜だとかって」
「すごく限定された地域で行われたものが、伝説となって日本中に知れてしまった。だから、桜の下を掘ろうなんてする人もいる」
「ものずきだな。公園の桜の下に死体があるわけないだろうに」
「そうね。きっと馬鹿なのよ」
 容赦ない。テンポと歯切れの良さは抜群だが、その辛辣さもひとしお。そう思うと同時に、会話の内容の微妙さに、少しため息がでた。しかし、何だってこんな話をし始めたのだろう。俺は、どんな顔でその話をしているのか気になって、片桐の顔を気づかれないように目だけで覗き込んでみた。
 笑っていた。違う、ほほえみだ。やんわりと、口元を薄っすらと上げていて、目もどこか優しくて。そして、綺麗だった。遠目から、綺麗な女だとは思っていたけど、こうしてみると、信じられないくらいに美人だった。
「私の顔、珍しい?」
「え、いや。悪い、そういうわけじゃないけど」
 さっきの綺麗な片桐の顔以上に驚いた。こいつって、こんな冗談を飛ばすようなやつだったんだ。
「でも、私の顔見て何か考えてた」
「いや、別に、何も。ただ、どんな顔で話してるのかと思っただけだ」
「正直だね」
「嘘ついてもばれそうだからな」
「あははははっ」
 声を上げて笑ってる。普段と態度も声も雰囲気もぜんぜん違う。女は化けるというが、どちらかというと、こっちの方が地じゃないかと、そう思った。
 ひとしきり笑って、俺も釣られて笑って。互いに顔を見合わせてまた笑って。不意に視線が合って、固まってしまった。それを振りほどくように片桐は桜を見た。俺も桜をみて、二人で黙っていた。
 多分、数分も沈黙は続かなかったんじゃないだろうか。気まずかったせいで、長く感じたけど、片桐が口を開いた。
「桜の下には死体がなくても、桜の木に死体が乗っているのはありえる気がしない?」
「なんだそりゃ、それじゃ三流サスペンスだ」
「そうね、それだけだったら五流くらいかも」
 そういいながら、少し含みのある笑みを浮かべていた。
「ねぇ、もし貴方が、明日死ぬとしたら、今日は何をしたい?」
「はぁ?わけわかんねえぞ」
「あら、簡単な話よ。死ぬ前にやっておきたいこと、何か一つくらいあるでしょ?」
 そういわれてもね。死ぬことなんて考えたことない、こともない。昔、小学生の低学年の頃か。俺は授業中に、死ぬことについて考えてみたことがあった。死んだらどうなるのだろうって考えた。まぁ、よくある自問自答だったけど。
死ぬって言うのは、全く動けなくなるってことなんだろうか。そうだとしたら、何にもない真っ暗な世界で、動くこともできず、しゃべることもできなくて、宙に浮いているような感じで永遠に存在し続けることなのだろうか、とか。死んだ人は墓に埋められるって言うことは、墓の中でしゃべっても誰も答えてくれなくて、狭い箱の中で身動き一つとれずにすごすことなのか、とか。
そんな事を考えて、授業中に泣き出したことがあった。誰も、死ぬことについて考えたことなんてないのだろうか。考えたことのない人間は本当にいるのだろうか。そんなのはわからないけど、ただ少なくともあの時、俺の周りの人間には、そのことをわかってくれる人はいなかった。それが寂しくて、天才は考えることが違うとかってはやし立てられて。
 それからか。今みたいに、積極的に不良のレッテルを貼ってもらうように努力したのは。自分でもわかる、馬鹿馬鹿しい事だって。今更になって、そんなものを引きずることはあほらしいって。
 でも、変わることはできなかった。俺を知っている人間は、中学になっても高校になってもいるわけで。その人間たちは、新しく知り合った人たちに、好き勝手に俺のことを吹き込んだ。もちろん、大半が事実だけど、俺の何を知っているのかさえわからない人間にとってはその話がすべて。結局、俺への周囲の認識はそれ一色になってしまって、変わることを環境が拒んでいた。そのせいで、今までこんな姿できた。あんまりあほらしいから、早く卒業してあいつらと縁を切りたいって願っていた。
 だから、大切な人なんていない。いないけど・・・・・・。
「そうだ、な。もしそんなことになったら、きっと俺は、俺にとって一番大切な人の所へいく」
「有り勝ちな答えね。しかも残酷だわ」
「そうだな、相手が俺のことを大切に思っていないかもしれない。仮に思っていたとしたら、なおさら酷い話」
「目の前で大切な人が死んでいくのに、何もできない無力感をあじあわせることになるのだから」
「うん、だから、きっと全てを話すことはないかもしれない。たとえそれが裏切りに近い行動でも、幸せな一瞬を過ごして、生きていたことを誇れたら、笑顔で別れて、人知れず死んでいくと思う」
「あ・・・・・」
 俺の独白に近い言葉に、片桐が小さく声を上げた。そして俺を見ていた。
「なんか、変なこと言ったかな?」
「・・・・・・そうね、少し変わってるかもしれないわ」
「・・・・・・そうか」
 変わってる。そんな言葉、ずっと昔から聞かされてきた。テストの度に、人と比べられるたびに。別に、理解なんてされるとは思ってなかった。だから、別段傷つきはしなかった。
「もう、時間だね」
「あ、三十分だ」
「そろそろ帰るわ」
「別に時間にこだわらなくても、もう少し付き合ってもいいぜ?」
「遠慮しとく。ただ、有意義な時間だったわ」
 そうか、と俺はつぶやいた。少し残念に思っている自分がいる。17年間のうちのたった三十分足らず、でも何か大事な話をできた気がする。周りになかった、自分の哲学みたいな話をできる人に会えたことは、正直にうれしいと思えた。
「つきあってくれてありがとう。質問ばかりだったけど、楽しかった」
「それならよかった。俺も、結構嫌じゃなかった」
「恥ずかしい台詞、もっと大事な人に言ってあげなさいよ」
「いたら苦労しないよ」
「ふふふっ、そうね」
 また、笑った。つられて俺も、また笑った。何だろう、こいつのペースに振り回されてるみたい。でも、何だろう。背中を預けているみたいに、安心感がある。
「新堂君によろしく言っておいて」
「ん、りょーかい」
 片桐は歩いていく。出口は一つしかないのだから、一緒に歩くことはできたけど。なんだか、追いかけるより、こうして見送るほうがいいような気になって、そこから動けなかった。
「貴方と話せてよかった。私も、嬉しかったと思ってる」
 曲がり角で立ち止まり、振り返らずに俺に向けられた言葉。それだけ言い残して、片桐は走り去っていった。
「嬉しかった、か。俺だけじゃなかったのか?」
 少し自信がない。それでも、楽しかったことを思い出して、もう一度桜を眺めた。

■遭遇
 その後、家に帰ってさっさと眠った。いつもなら見たくもない深夜番組を見て、明日の話題を作るのだが、今日はそんな気分になれなかった。

 朝になり、いつもどおり学校へ行く。途中で合流した不良仲間。くだらない深夜番組を見損ねて悔しい振り。それもいつものことだ。別に、今さら嫌になったりしないし、何より敵を増やすのは愚の骨頂。生きていくために、こいつらと折り合いをつけないといけないのだから、仕方がない。
「おい、ちょっとこっちこい!」
 一見すると和やかであろうグループの空気が凍りついた。いつも一緒のメンバーの一人が、血相を変えて走ってきたのだ。一体どうしたのかと聞いてみても、とにかく早く来いといって走り去ってしまった。一体どういうことのなのか、ここで考えてもしょうがなく、俺たちはそいつの後を追って走った。
 そいつは玄関のほうへと走っていった。俺たちはいつも裏口から学校に入ることにしてる。別に不良だからというわけではなく、校門と俺たちの家が逆方向にあって、校門へ行こうとするとかなり大回りをすることになるからだ。学校の周囲を覆う網を焼ききって穴を作り、防風壁代わりの植林をへし折って作った獣道のような通路を通り抜け、校舎を挟んで正反対の位置にある校門へと走る。
 200Mくらいだろうか。高校のグラウンドとしては狭いそれを通り抜け、桜並木の美しい校門へとたどり着く。 俺はその桜を見て、昨日の片桐とのやり取りを思い出した。何で、これまで人に話すことを拒んできた内容を、あいつに話す気になったのか、今もよくわからないけど、それがうれしかったような照れくさかったような、複雑な気分になる。
 そんな俺の回想をよそに、周囲の人ごみは何やら声を潜めて語り合っていた。その話に耳を傾け、桜に釣り下がっているものとやらを見てみた。
「――――っ」
 足の力が、抜けた。だらしなく地面にたたきつけられるようにひざを突いた。腰が抜けたというのだろうか。足腰どころか、全身がピクリとも動いてくれようとしない。俺の視界に飛び込んできたもの。それは、桜並木と、首をつった幾人もの人の体だった。桜の木一本に、人が一人首をつっている。新入生を迎え入れるはずの美しい桜吹雪の中、いくつもの人の死が並び存在を誇示している。死んでいながら、人の目に触れることを望んでいるように、ずらりと校門の桜並木全て―全長およそ10数メートル―にそれらは置かれているようだった。
 死んでいるのだろうか。死んでいるのだろう、あんなところにぶら下がって誰一人動く気配もない。ただ、それがただの死体なら別に気に留めることでもなかったのに。真っ先に目にした、その死体の顔には、見覚えがある。昨日美術室の前で話し合った片桐のそれだった。
 それは、どんな小説よりも非現実的な風景で、どんな悪夢よりも恐ろしい死に方を映し出していた。首をつる人が複数人並んでいること自体が、異常なはずなのに、
桜という人を祝うものにそれが並んでいることは、現実から離れすぎていて、どこか嘘くさかった。そしてその中に、自分が知っている顔があったこと。その顔に、苦しみのかけらも見られないこと。その顔が昨日見せた笑顔が重なっては消えていく、俺には、耐え切れない現実だった。

■夢・友
 何処だろう、ここは。
 真っ暗だ、何も見えない。
 体は、動かない?
 なんだか、空に浮いて眠っているみたいだ。
 目を明けているような感覚もない。
 何かしらの音一つない。
 ものが動くような気配もない。
 なんだか似たようなことを、知っている気がする。
 なんだったかな。
 なんだろう。
 思い出すと、酷く悲しい気がする。
 同じことじゃない?
 似ているだけ?
 なんだろう。
 わからない。
 思い出せない。
 あ。
 そうだ。
 昔、これを考えたことがある。
 そして泣き出した。
 ついこの間、これを人に話した。
 その人は、―――。
 僕は、同じところに来たの?
 僕は、
 死んだ?

 光が、こちらに飛んでくるみたいだ。発光しているどころか、光そのものが極太のレーザーみたいにこっちへ飛んでくる。一瞬でそれに飲み込まれて、あまりの眩しさに手で目を隠してしまう。でも、何が起こったのかを知ろうとして、ほんの少しだけあいた指の隙間から、光の中を、その先を見ようとする。
― 有り勝ちな答えね。しかも残酷だわ ―
 何の話だ。
― 少し変わってるかもしれないわ ―
 何が変わっているんだろう。
― つきあってくれてありがとう。質問ばかりだったけど、楽しかった ―
 何が楽しかったんだろう。
― 恥ずかしい台詞、もっと大事な人に言ってあげなさいよ ―
 そんな人、ほしいとも思わなかった。

 徐々に目が光に慣れていく。強すぎて、目を焼きそうに思えた光の洪水も、慣れてくれば普段とさして変わらない。夢だったのだろうか。さっき聞こえた、声。声の主を、僕は知っている。彼女は、どうして僕とそんな話をしたのか、わからないけど。それを忘れてしまわないように、夢を忘れてしまわないように、ちょっとづつ丁寧に、ゆっくりと目を開く。
「おきたっ!」
 突然耳元で大声、驚いて飛び上がりそうになったけど、ぐっとそれをかみ殺す。夢を忘れないように。幻を忘れて、現実で彼女に問いかけることを忘れてしまわないように。
「ここ、どこ?」
「お前の家。運んでおいた」
 光になれて、風景を見る余裕ができて、夢の内容を頭の中で反芻して忘れていないことを確かめて、全ての準備ができてから、俺は体を起こしながら耳元で大声を出した主に話しかけた。
「将はどうしてここにいるんだ?」
「どうしてって、ここへ連れてきてやったんじゃないか」
「いやそうじゃなくて、学校はどうしたって聞いてる」
「・・・学校なら、休校だよ。校門で人の死体が並んでた日に、授業なんてできるわけないだろ」
 確かに、それもそうだ。むしろ当然の判断か。
「俺、どれくらい寝てた」
「3時間くらいかな。あれ見た後急に倒れて、先生呼んで家まで連れてきた」
 3時間。なんだかもっと長い時間眠っていたようなきもするけど、夢を見たせいだろうか。正確にどれだけ眠ったのか、時間の感覚が薄くなってしまっている。
「もう昼前だ。今頃、蓮華も病院の慰安室から運び出されてるんだろうな」
「片桐、やっぱりあの吊り下がってた中の一人は、片桐だったのか」
「気がついてたのか」
「ああ、あいつの顔見て、突然目の前が暗くなった」
「・・・そうか。見知った顔だったしな」
 それだけじゃない。僕は、あいつのことをもっと知りたいと思った。人と変わっているといわれ続け、人に話したこともないことを話せたから。変わってるといいながら、何かを納得してくれたような人だから。たわいもない話をしていたときの、横顔の美しさと、今から思えば何処かしらの儚さが、頭に染み付いて。その表情の意味を、なぜあんな事を聞いたのかを。問いかけたい、知りたい、聞かせてほしい、会いたいと思ったから。
「俺、そろそろ家帰るわ。親父らも慌ててるだろうし、蓮華の通夜に出る準備とかもあるからさ」
「そうか、通夜は今日やるのか」
「普通だと思うけどな。葬儀がいつになるかはわからんから、それも聞いてこないと」
「わかった」
「お前、ゆっくり休めよ。口調変わってることに気がついてるか?」
 うん、実は気がついてた。というか、これが僕の普通だったんだから。今の口調になったのは、多分高校に入ってから。中学の頃は、今よりもう少しだけましだった気がする。
「郵便、来てたぜ。もう少し眠っとけよ」
「そうする」
 そういって僕はため息を一つついた。靴を履いて、外へ出て行こうとする友人の背中を見て、呼び止めた。
「将」
「あ、なんだ?」
「ありがとう」
「・・・やめてくれ、縁起でもない」
 少しうつむいて、将は言った。
「縁起?」
「今生の別れみたいで気味が悪いって事だよ」
「・・・そういうこと」
「・・・」
 言葉が続かなくなり、将は黙り込んでしまった。僕が目を覚ましてから、将がいつもどおりの口調だったのは演技だったのか。僕を、これ以上疲れさせないための。それなら、俺からは。
「お互い様じゃないか、辛いのはよ」
「・・・全くだな」
「お前も気をつけて帰れよな」
「倒れた人間のの台詞じゃないぜ、それ」
「全くだな」
 二人で爆笑して、ひとしきり笑ったあとに、将は帰っていった。僕も、少し心が落ちついた。別に強がったわけじゃないけど、でもそれで将も少し楽になれたみたいだから、あの場はきっとあれが最善だったんだ。僕も、おかげで楽になれたし。
「郵便、来てるんだっけ」
 僕に届く郵便物というのは珍しい。一人暮らしだし、気の知れた友人たちは携帯電話に夢中で郵便なんて利用しない。実家の親父たちも、送ってくるのは通帳への送金くらいで、手紙の一つ送ってきたことはない。もちろん、僕から送ったこともない。かといってダイレクトメールの類が来たこともないから、何かしら重要なものであるに違いない。それだけ確認して、もう一度体を横にしていよう。
 布団から這い出し、玄関に取り付けられた郵便受けの中を覗いてみる。なんだろう、一通だけ封筒が入ってる。僕はそれを手に取り、表を向けて、封筒を取りこぼしそうになった。

 差出人、片桐 蓮華。

裏を向けてみると、宛名が確かに僕の名前になっていた。死んだ人から届いた手紙。きっと昨日出したのが今届いたのだろう。生前送られた手紙が、死後になって宛て届く。ドラマとかでありがちな風景だと思うけど、ショックより先に、悲しくて涙がこぼれた。目の前がぐしゃぐしゃに歪んで、手にした封筒の文字さえ正しく読めない。
 少しの間、気分が落ち着くまで僕は泣き続けていた。泣くだけないて、自然と涙が乾いた頃、僕はゆっくりと封を開け始めた。中に入っているものは、少しだけ予想がついている。多分、遺書だ。封筒の中には、紙切れが三枚。裏面しか見えないけど、びっしりと文字が詰まっているみたいだ。
 折りたたまれた手紙の一つ一つを広げ、読んでゆく。

■手紙
『手紙って書いたことないから、形式がおかしかったらごめんなさい。
 住所がわかったのは、生徒名簿を調べたから。先生にお願いして、貴方の家の住所を教えてもらったから。もし、この手紙を受け取って、先生に私のことを聞かれたら、知らないと答えてくれるとうれしい。
 多分見てわかったでしょうけど、私は集団自殺に参加した。ねぇ、死ぬときにどうすれば美しいと思う?死は、日本人の心の中に穢れたものとして深く刻まれいる。塩をまいて穢れを落とすという風習が残るほどに、日本では死を受け入れる文化がない。だから、日本人の心として伝えられる、桜の木で首を吊る事にした。桜並木の一本一本に吊られた人、どういう風景だったでしょうか。私は見ることができないから、貴方の心にとどめておいてほしい。他の人が死ぬ理由は、私は知らない。私の周りで、そういうことをしようとしている人がいたから、私も参加してアドバイスをしてあげただけ。この死に方を考えたのは、私。
 このままだと、不幸自慢みたいになるから、ここから先を少しだけ覚えておいてほしい。私が生きていた証として、貴方の心の片隅の、小さな隙間でもいいから、私の事を置いておいてほしい。
 私は、昔から心臓の病を抱えていた。心臓が未発達だった。年を重ねるごとに体は成長していくのに、心臓がそれにあわせて成長してくれない。だから小さな頃は、特に問題はなかったのだけど、大人になるにつれて、体が大きくなるにつれて、私の心臓の能力では体を維持することができなくなっていった。小学生までは、普通の子達に混じって体育や遠足も行けたけど、中学生になる頃に成長期が訪れて、生理とかがくるようになると同時に体が大きくなってしまったから、その頃には体育の授業を受けることさえできなかった。
 高校に入って、胸が膨らんできたりお腹が少し出てきたり、お尻にお肉がつくようになって、子どもを生める体に変化していくと、日常生活ですら心臓に負担がかかるようになってきた。みんな、私のこと喋らない根暗な人だって思っていると思う。私自身、そう思われようとしたのもあるけど、本当は喋るのだって難しいくらい、いつでも体は苦しかった。どの道、私はこれ以上生きていくことができないから、せめて死に場所は病院のベッドの上で衰弱していくことよりも、誰かの心に焼き付けて、私を忘れられないようにしてやろう、そう思った。
 でも、私は高校に入ってから気になっている人がいた。その人は、頭がいいくせに不良と仲がよくて、悪いやつだと思われたいのかと思えるような行動を繰り返す人だった。だから、私は貴方にだけは負けないようにと、せめて優等生としての威厳を保とうとして、貴方よりも勉強してきた。私は貴方のことが気になった。どうして、わざわざ不良で居たいのか、なんでわざわざ人からの評判を悪くしようとしているのか。私は、人と関わりたくても難しいのに、どうしてこの人は自分の意志で、それを拒絶しようとしているのか。ずっと気になって、同時に腹立たしかった。
 勉強したり、本を読んだりすることしかできない私が、貴方に負けてしまったら、本当に今この瞬間に、この世にいることが許せなくなってしまう。だから、貴方にだけは絶対に負けないように勉強して、これまで貴方より上位の成績でいられた。
 でも、何度かテストを繰り返して、途中で気づいたの。私は、いつの間にか私は貴方を追いかけていた。いつも貴方にだけは負けないようにと、常に自分の中で私と貴方を比較してきた。元々、勉強は私が体に無理なくできることの一つだったから、意味もなくひたすら勉強してきたのに。貴方に負けないという目的ができた。少しうれしかった。ああ、私は生きていると思えた。
 私が生きる最後の日、渡り廊下で貴方の姿を見つけたとき、話しかけようかと思った。でも、新堂君がいたから、やめておこうと思ったのに、貴方は私の後をつけてきた。それが、私の最後のチャンスだと思ったから、貴方と話がしてみたといった。あれは、別に貴方を試したわけでもなくて、ずっと心に残してきた、貴方と話したいという私の願い。案の定、貴方は考え深い人だった。この人はちゃんと生きている、生きることを自分で理解している。貴方と話してそう思えた。
 貴方に最後に聞いたこと、あれは私がやっていることが正しいのか、人に理解してもらえるのだろうか悩んで聞いたこと。貴方は、大事な人に会いに行って、全てを話さず笑って別れるといった。運命、なんて陳腐な言葉を使いたくはなかったけど、同じ考え方を持つ人に会えて、私の行き方は、ひとつのあり方として間違っていないと胸を張ることができた。私、すごくうれしかった。
 この手紙を読んでくれてありがとう。あの時貴方に会えたこと、大事な人ができて、その人に会えたこと。私は誇りに思う。このことを、新堂君にも教えてあげてほしい。小さい頃からお世話になった人だから。でも、幼馴染だからかな。彼は友達で、このことを話せないままで終わってしまった。彼が怒ったら、一緒に私を馬鹿にしてやって。
 いつか貴方もこちら側に来る。そのとき、貴方の考えが変わっていないことを祈ります。
                        片桐 蓮華』

■通夜
 読み終えて、僕はまた泣いている自分に気がついた。首元がびちゃびちゃになるほど涙を流していたのに、泣いていることに気がつくことさえできなかった。今まで、僕が一人考えていて、それを聞いてくれた人がいた事をうれしいと思えていたのは僕だった。それが、それによって彼女が救われていただって。
 死ぬ前の人に会って、生きることに語り合っていた。普通なら、死に行く人に生を謳歌する言葉を投げかけたら怒られるだろうに、彼女は僕にありがとうといった。大事な人だといった。僕には、理解できない。そんな強さ、僕にはないから不良になることを選んだんだ。
 彼女は、僕に問題をおいていった。僕の今までを否定するような問題を。でも、それを否定できなくて、受け止めたくて、彼女を好きになっていたから、こんなにも涙があふれて止まってくれなかった。

 片桐 蓮華の通夜は、午後7時ごろから行われた。冬の風は、いるべき人がいない心の隙間に流れ込んできて、体全身を凍りつかせていく。普段の彼女の態度を見ている限りよりは、この通夜に参加している学生の数は多い気がする。人と話すことなんてなくて、周囲の学生もあれだけ無責任に彼女のうわさを流していたのに、やはり人の死というものは心を動かすのだろうか。そこかしこで、女子たちが泣いている。
 後ろ指を立ててひそひそと悪口をたたいていた女子が泣いている姿は、滑稽に見えて、でも知り合いが死んだという現実から目を背けようとする弱さにも見えて、複雑な気持ちだった。
「おまえ、来てたのか」
 背後から声が聞こえる。この聞きなれた声の主。
「将か。すごいな、この人の数。普段の彼女からは、ちょっと考えられないくらいじゃないか」
「そうだな、散々馬鹿にしといて、案外義理堅いのかもな」
 義理、か。確かにご近所付き合いの一環でここにきているいるようなものだろう。でも、何かしらの影が残っているから、誰も冗談の一つ言う気になれないんだろう。
「そういうてめぇ様も、蓮華のこと結構好き勝手言ってたじゃないか」
「・・・そうだな。俺に文句を言う資格はないよな」
 少し言葉に詰まって、俺は香をあげる列に並んだ。後ろを将がついてくる。
「おまえ、なんか知ってるのか?」
「そのことも、後で話すから」
 言葉にならなかった。周りの人間への憎悪の言葉が溢れてくる。同時に、彼女をさげずんでいた自分への後悔が止まらない。それでも、彼女の母は僕に頭を下げた。きっと何も知らない、それでも僕に頭を下げた。周囲の人の行動一つ一つに、涙があふれそうになった。
 通夜は何事もなく終わってしまい、親戚一同が集まってこれから話でもするのだろう。手紙のことを親御さんに教えるべきかと思ったけど、僕は何もしゃべらずに引き返した。多分僕への手紙を書いてる時点で、親にも何かしらの文章を残しているだろうし、先生に喋るなって書いてあったから、僕から両親に話すのはやめておいたほうがいいだろうと思う。

■別れ
「それで、何を話してくれるんだ」
 片桐蓮華の通夜が終わり、僕の家に真っ直ぐ来ることにした。誰かに聞かれるわけにもいかないから、一人暮らしで来客のない僕の家が、一番安全だ。
「片桐が、お前によろしくってさ」
「蓮華が?」
「昨日、お前と別れてから俺は片桐の後をつけた。うわさにあっただろ、片桐のあとをつけていると、見失うはずのない場所で突然いなくなれってやつ」
「知ってるけど、学校で試したのかよ」
「うん。それで、片桐はすぐにそれに気がついて、美術室のほうへ行った」
「美術室って、行き止まりじゃないか。何でそんなとこに?」
「僕と話がしたいといっていた」
 そして、僕はそこであったことを話した。もちろん、彼女の質問に対する僕の答えを話したりはしなかったし、手紙のことも、話さないでおくことにした。僕が知っていること、手紙の文面の一部のことを将に伝えた。聞きながら、将は怒っているような泣いているような、そんな表情だった。
「そうか、あいつ病気だったのか。どおりで学年があがるにつれて性格が変わっていくような感じがするわけだ」
「そうだな。俺もあいつと話してみなかったら、単なる根暗な女だで終わってた」
「お前が、首吊り死体を見て意識を失ったのは」
「真っ先に飛び込んできたのが、片桐の顔だったから」
 そうか、といって将はそれ以上何も喋らなくなった。僕もそれ以上話すことがなくて、口を閉じていた。

 どれくらいの間か。突然僕の携帯電話が鳴り出した。驚いて携帯電話を開いてみると、22時を告げるアラームが表示されていた。そうか、今日は見ないといけないテレビがあって、それを忘れないようにするためのアラームだ。僕自身、大して興味を持ってみているわけじゃないから、すぐに忘れてしまうけど、見ないと会話についていけないからと、アラームまでかけて生活リズムを作っていた。
「何時だ?」
 今まで一言も口を開かなかった将が時間を聞いてきた。ここへきて、将と話ができたのはほんの数分程度だろうから、見事に2時間弱ものあいだ、互いに一言も口を聞かず、動くこともなかったことになる。
「今、10時だ」
「そうか、そんな時間か」
「将、片桐のことは」
「別に、お前さんに怒ってないさ。蓮華にも怒ってねぇ」
 ただ、死ぬまで気がつけなかったってことが、一番腹立たしい。将はそういってまた黙ってしまった。確かに、幼馴染が死に掛かっていることにさえ気がつかずにいたのは、相当なショックなんだろう。俺にだって、そうそう耐えられるの様なことじゃない。
たった、30分程度話ができた人間 が死んでしまって、気を失うくらいだから、将の立場になったらもしかしたら心臓が止まってしまったかもしれない。
「将」
「馬鹿だよな、不良ってのは。周りをかえりみないから、無くなるまで気がつかないんだ。壊れるまで使い続けて、壊してしまったことを後悔するんだ」
「・・・・・・・・・」
「お前、片桐に惚れてたろ」
「!!」
「別に怒ってないって。あいつもよ、お前のこと好きだったんじゃないかと思う。高校入ってから、勉強の仕方がだいぶ変わった。お前が勉強してると、あいつも必死になってた。だから、死ぬ前にお前に会いたくて、それでつけてきたから、ちょうどよかったんだと思う」
 確かに、手紙にもそれと同じことを書いていた。そうか、そうやって想ってやれるくらいに、こいつらは幼い頃から深く長い付き合いなのか。
「ま、可愛いのは見てわかってたし、仲良かったけど。どうしてか、俺はあいつを好きだとは思わなかったな。親友に近い間柄だとおもってた」
「将」
「あいつもきっと満足だったろ。最後にお前に話せて、自分の悩みを話せて。俺と、お前の中に常にあいつが生き続ける。目的をちゃんと果たせたんだ、自殺とは言えきっと成仏するさ」
「なんか、軽いな、ノリ」
「死を受け止められるなら、深刻でいる必要なんてないさ。傷ついて塞ぎこむこともあるだろ。けどさ、笑ってあばよって言える様な受け止め方だってある。ただ、それがどうでもいい人だからそういう態度、じゃなくて、大事な人で相手を想ってやれるから、そういう態度っていうだけだろ」
 あぁ、そうか。泣き叫ぶだけしかできないって事はないんだ。受け止められるなら、笑う事だってできるんだな。

「覚えておいてやれよ。いつでも想い出していなければいけないってことはなくても。名前を言われて、そんな事があったなって思える程度には覚えとけ」
「そうだな、俺はこれからも生きていかないといけないんだもんな」
「そんで誰かに惚れる。そいつと一生涯生きていくことになるかもしらん」
「でも、片桐 蓮華っていう人がいたことだけ」
「いつまでも覚えていかないとな。お前も、俺も」

 そして二人で笑いあう。声を上げて笑えなくても、顔だけ死にそうなほど笑ってる。きっと僕らは忘れない。あの桜並木に並んだ首吊り死体も。片桐蓮華という人がいたことも。二人で話したことを。手紙の内容を。
 そして僕らは生きていくんだ。人の死の上に僕らは家を建てていくだろう。元々は荒れて、泥沼みたいで杭も刺さらないような土地に、死んでいった人の体が腐敗することで木々が生え、地面は命を芽吹く。そして僕らはその上に生きていく。僕も、いつかどこかの荒地で死んで、その土地に命を芽生えさせる。
 そうだね、片桐。笑ってしまおうか。死ぬこと自体が、意味を持つんだ。生きていたことを、俺たちが覚えている。だから、君の死は無意味ではない。悲しくないわけじゃない、でも涙はもう流れない。
 僕たちは受け入れる。君の死を受け入れ、その上に家を建てるだろう。道を作るだろう。いつか僕らもそこに行くだろう。そして君と同じように、最後に大切な人と話をして、命を誇って、誰かの家の下にひかれよう。命をつなぐために、先駆者たちに胸をはれるように。

 命を誇らしく思えるように。それを教えてくれた、君を誇れるように。

形あるものの死

形あるものの死

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更新日
登録日
2021-09-20

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