真夜中の英雄

青津亮

 真昼の英雄、黄金いろの太陽が沈んでしまって、夜の帳降り、きんと銀と群青張りつめ街ぜんたいが溺れるような真夜中になって、ようやく、そのあおじろく憂いを帯びて燦る姿を「美しい」とたたえられる月は、果たして、昼間どんな気持で空に浮んでいるのだろうか?
 わたしをみつけて。
 ほうっと世界をいっぱいにし金にとろける光の海のなかで、幽かに、そして仄かにしろくひかるわたしをみつけて。
 そう、哀願しているのだろうか。

  *

 ぼくのクラスには、詩人がいる。
 冨原まひる。
 クラスではぼく同様にめだたない、どことなく周囲と孤立した、おとなしい印象の少女である。とりわけ成績がいいわけでもなく──ふしぎと、国語がとくいというわけでもない──、教室では不愛想かつ消極的きわまる性格、こう書くのは気が引けるけれども、ぱっと花やぐような容姿に恵まれているわけでもない。
 ペンネームは冨永眞昼。本名からがらっと変えたそれでなく、ほとんどかたちや音を残しているのは、だれかに気づいて欲しいから、そう想うのはぼくの邪推だろうか。
 詩人、といって詩を書けば詩人というかんがえ方もある──しかし、彼女はたしかに詩人であった、というのも、冨原は詩の賞に入選していて、ついこのあいだ、処女詩集を出版したばかりなのである。
 古参ぶるつもりはないけれど、彼女が詩を書いているのをぼくが知ったのは、まだ彼女が詩の雑誌の読者欄に投稿している頃からで、きっかけは地方で開催された、「ポエトリーリーディング」という詩の朗読イベントであった。
 その時、ぼくだって自作の詩を携えていたのだ、けっきょく、ぼくじしんは詩人になれもしないまま詩作からはなれ、こんなふうに、彼女との追憶を小説風に書いているという始末なのだけれども。
 時は暁、夕暮の落陽が、街をほうっと赤く照らす頃だった。
 この黄昏の時刻、真昼と真夜中は茫洋な境界線のなかに融けこんで、なにか妖しげなものが立ち現れそうな予感を兆すのだった。くわえて、まだ高校生のぼくには陽の傾いた時刻の都市部というものははや異次元であり、しかもそのイベントは、すこし怪しげな場所へはいったところにある路地の裏にあった。なにか悪い遊びをしているかのような感覚が、ぼくの心をなみうちおしよせる不安とともに愉しませていたのだった。
『本日、ポエトリーリーディング開催』
 そんな看板をみて、ぼくは期待にむねをふくらませた。
 ぼくは「祈り」と題した、シモーヌ・ヴェイユの思想の解釈を象徴詩風の表現で綴り、信仰と無償の愛を賛美した、いわゆる、思春期にごくごくみられやすい憧憬と西洋かぶれの趣味まるだしの詩、そいつを携え、かけてもらう音楽はキース・ジャレットの 「Prayer」に決めていたのだった。微笑ましい。いま追懐すると、そんな自己愛的な感慨で、むねがいっぱいになる。
 ところでぼく、扉をまえにきゅうに酷評されるのが恐ろしくなり、そこで脚がふるえはじめていたのだった。あらゆる観客から投げこまれる悪口を躰中で受けつづける、ステージ上でライトに照らされた自分の小さなちいさな姿を想うと、ぼくは自意識の悶えに、がたがたと歯さえふるえはじめた。
 立ちすくむぼくを尻目に、すっと滑らかに扉を開け、バーのなかへはいった少女がいた。うちの制服を着ていた。
「冨原さん」
 おもわずぼく、彼女に声をかけてしまったのだった。
 冨原はぼくのほうをちらと見て、けっして丁寧とはいえない無表情の会釈でこたえた。そしてすっと視線をまえへもどし、そのまま中へすたすたと歩いていった。
 よし、ぼくも。
 ぼくはない勇気をすべて支払う気持で、入口をくぐったのだった。
 がなり立てるサイケデリックな電子音楽が、ぼくの躰のいたるところを打った、荒く削がれた音の断片が鮮やかな光の刃と射すような、鋭利で攻撃的な音楽だった。むっと薫るような狂熱的な高揚の雰囲気が、ぼくの顔をわっと熱くする。ぼくをふだん苛んでいる疎外感、そいつは肉をつき破り魂まで浸食してくるようなその熱気に霧消してしまい、世界と一体化したような気分になった。なにか、バンドハウスに入り浸る孤独な少年少女の気持が解った気になった。
 仄暗い店内はどぎつい真紅と毒々しい紫を基調にデザインされ、赤々と燦る灯がその場いったいを異様な雰囲気に染め上げていた。夜の街。そんな感じがした。ふだんマジメな学生をやっているぼくには、ドラッグをやる場所にさえ見えた。ほんとうに、未成年が入っていいのだろうか?
 ぼくは案内された椅子に座り、始まりを告げる司会をぼんやりと眺めながら、冨原の姿をちらちらと確認していた。
 詩を書いているんだ、そんな、なにか気恥ずかしさでつながった連帯感のようなものが、はじめて彼女へ親しみを感じさせたのだった。ぼくは詩を書いていることを、恥ずかしいことだと認識していた。知られたくなかった、できれば、死後大詩人となってから世間に知られたかったのだった。冨原はどうだろうか。ちらとふたたび彼女を一瞥する。毅然とした顔。冨原のやや薄口な、東洋人らしい印象のしろい顔立ちは、この異様なライトのしたで妙なほどに色っぽく、クールにみえた。
「冨永眞昼さん、ステージの上におあがりください」
 冨原まひるはトップバッターだった、名前が似ていたし、彼女はそれを聞いてすぐに立ち上がったので、冨永眞昼が彼女であると解った。ぼくは興味津々で──しかしほんとうにあの冨原がいい詩を書けるんだろうかというイヤな侮りも含みつつ、そのこころのうごきを善くないとうじうじ自責しつつ──その様子をみまもった。
 モーツァルト、レクイエム。涙の日(ラクリモーザ)
 しんとサイケな空間を沈鬱なましろにしずみこませる宗教音楽が響きはじめて、冨原はこつぜんとなにかにとり憑かれたような神秘のいろを表情に交えさせ、豊饒なレトリックと優美な音楽性、神秘の幽遠な表現を言葉にのせて、ぼくらの魂へ激しく叩き込まれる悲しみを謳いあげた。
 それは周囲を光のようにたっぷりと満たし、あるいはうららかな声とともに水のようにせせらぎを薫らせて、その朗読の数分間、ひとびとの眼は彼女の詩に圧倒された感慨に、彼女の姿へ釘付けになっていたのだった。
 …朗読を終えると、おびただしい拍手のなかでぼくは静かに立ち上がり、その場を逃げるようにして扉から出たのだった。うらがえった劣等感、そいつが、ぼくの背を刺すようにキリキリといたませた。

  *

 端的にいうと、ぼくは冨原のあとに、詩を発表する勇気をもたなかったのだった。

  *

「冨原さん」
 次の日、ぼくは図書室で偶然みかけた冨原に話しかけていた、学校でみる冨原は、天才詩人の風格なんて一切なくて、ただ大人しくて地味な一生徒にすぎず、ぼくはそれに、いくらかの寛ぎの気持さえ感じたのだった。だからきがるに話しかけられたのだ。
 スクールカーストを憎んでいるくせして、リベラルな見方を志向はしているくせして、けっきょくそんな学校秩序だけの関係性に一喜一憂、しかも安堵してしまう自分が、肌があわだつほどに気持がわるかった。
 ところで、こんな自己嫌悪とは、いつも他人行儀なものである。
「なに?」
 すずしげな一重瞼をやや上げて、ぼくのほうを見る。せつな、ぼくはなんだか彼女の雰囲気がこつぜんとかわいらしくみえてきて──そう想ったのは初めてだった──なんだかどぎまぎしてしまった。ふたりきりで話すのが、初めてだったからだろうか。
「昨日の詩、すごかったね。ぼく、感動しちゃったよ。詩、書いてるんだね。ぼくもじつは書いているんだ」
「そう? ありがとう」
 あいもかわらず素っ気ない態度、ぼくはなんだかその氷の城のような態度を、輝かしく想った。そっけない態度をとられているみずからへ向けられる自己憐憫の焔が、幻として彼女の顔を赤々と照らし、かのバーでみたときとどうようのクールな色気を立ち昇らせるようだった。
 ちらと冨原の肩をみる。華奢だった。腕のそれどうよう、雪のようにまっしろな色をしているのであるのだろうと想像し、そのやわらかい雪山の優美なる傾斜をみてみたいと熱望した。その、しろい仄かな光のようななだらかな線をすべるように、ぼくのゆびを這わせてみたい。
 ふと、冨原は眉をけげんにしかめさせた。そう。女性は、こういう視線に敏感な筈である。罪悪感、そして嫌われるかもしれないという不安に、ぼくの感情はさっと凍って、躰が硬くなった。
「秋津くん、すぐ帰っちゃったね。朗読するひとのところに座ってたのに。なんで?」
「あ、えっと」
「うん」
「なんか、急に恥ずかしくなって」
「へえ」
 冨原はそして、吐き棄てるようにこういったのだった。
「くだらない」
 ぼくは泣きそうな感情が躰に出るのをぐっと抑えつつ、黙ってその場を去った。

  *

 ぼくは家に帰って泣きじゃくった、自分が憐れで、あわれでたまらなかった。
 正直にいおう、ぼくは彼女を、以前みくだしていた。自分だってなにもできないくせして、勉強もスポーツもできず教室に友人が一人もいない冨原のことを軽蔑していたのだった。それはぼくにいくども後ろめたい感慨をもたらしたけれども、彼女にわるい気持にもなったけれども、そんな尺度で侮ってはダメだ、それはぼくをくるしめる価値基準とおなじものであるし、こうやってブーメランとして刺さることもあるのだと知っているのに、どうにも抜け出せない感覚なのだった。水平線上の比較意識。そんなものかもしれない。
 ぼくは口惜しくて、けれども冨原のことをかわいいとも想いはじめていて、かのクールな侮蔑の態度が夢みるように美しくも想われて、そのまま彼女のことをなよやかな夢想でけがしてしまおうかという衝動にも駆られたけれど、なにか思春期らしい倫理めいたものが、ぼくの右手をとめさせたのだった。
 肉体の愛をにくみ、精神の愛に憧れる。十七歳。そんな時期でもあった。

  *

 ぼくはある詩の雑誌を購読しだした、冨原の詩が、よく載っていたからだった。過去の分まで漁った。ぼくはいくぶんストーカーだった──いやちがう、「ファン」であった。そう、おもいたい。
 ぼくだって投稿してみた、佳作にも載らなかった。才能。この二文字が呪いのように、ぼくの背にべったりとはりついた。そしてどうも、こういうことに悩むのは才能のない人間の特徴であるらしかった。
 冨永眞昼の詩は、硝子の城のように純潔で硬質、有機的な感情を撥ねかえすような冷たさに満ちていて、それはさながら、天を蔽う金属製の荘厳な瞼のようだった。それへいくども打ち上げる青い火花の意志のようなものだった。それは彼女とぼくの関係性にも似ているようなのだった。
 ああ冨原。冨原まひる。ぼくを突き放す、硬く冷たい冨原まひる。
 ぼくは気付いたら彼女のことばかりかんがえるようになり、冨原の幻影の硬さ・冷たさを夢想のうちで磨くようにして彼女の姿を想って、家にいると、彼女の詩を幾度もいくども読み、詩そのものに撥ねられるという意識から飛来する、どっと打ち寄せる自己憐憫に酔い痴れていたのだった。
 いかにも冨原は、「ぼくをけっして愛さない」という位置にいるように想われた、そしてその位置関係こそが、ぼくの恋を燃え上がらせる役目を果たすのだった。

  *

 詩人になって、二十歳で死ぬのが夢だった。
 怪物級のナルシストが夢想するような、誇大妄想そのものであるように想われた。
 ぼくが初めて詩を読んだ──あるいは詩にこころをうごかされた──のは小学校四年生の時、そいつは、かの中原中也の詩集であった。
  地球が二つに割れればいい、
 と、あれから六年が経っても、ぼくを感動へみちびいたかの一節をくちずさめる。
  そして片方は洋行すればいい、
  すれば私はもう片方に腰掛けて
  青空をばかり──
 この世でもっともダメな疎外者であるじぶんだけが、いまにも滅びんとする地球の片割れで、青空ばかりを眺める。そんな無為な、家庭・学校秩序のアウトサイダーとしての最後の淋しい誇りのようなものを想像し、そいつに共鳴していたのだった。中也の意図とは、ちがうかもしれないけれども。
 中学に入って、萩原朔太郎や大手拓次、フランス象徴詩を知って読み耽り、むろん周囲にボオドレールを読んでいるひとはひとりもいなくて──おそらくやその筈で──、外れものとしての知的なプライドばかりがふとったぼくは、やがて高校に入り、思想家・シモーヌ・ヴェイユに出逢う。学校鞄の奥に「重力と恩寵」を押しこめて、辛いときは授業中でさえも、こっそりとひらいて涙をにじませた。愛読書、あるいは心の拠り所。そんなものがくるしい思春期に存在したのは、ある種幸福なことであった。
 そしてぼくの読書の往き着いたところ、それが、冨永眞昼の詩なのだった、そしてこの邂逅は、「ぼくは詩人にはなれない」というゲンジツを突き付けたようにもおもわれた。

  *

 授業中もちらちらと冨原の顔ばかりみていた、彼女、たいてい空をみあげていた。
 授業が終わって、ぼくは「くだらない」と断じられて以来のファン・アプローチをおこなったのだった、あれからはや、数か月が経っていた。
「冨原さん」
「なに?」
 今回は、読んでいる本から顔を上げもしない、目線も、そのままであった。
 あきらかに社会秩序に向いていないその態度に、ぼくは「詩人」を感じた。クールだとおもった。そう、ぼくはしばしば思春期の少年にみられやすい感覚、いわゆる、アウトローへの憧れがあったのだった。
「あの、」
 面倒そうに、眸だけをうごかしてぼくを一瞥する。流し目のような表情に、ぼくの胸はどぎまぎした。いま、世界中でもっとも美しいひとは冨原まひるだった、こいつはぼくの世界では、まちがいのないことであった。
「処女詩集出版、おめでとう」
「ありがとう」
 そういって、本を鞄に仕舞って席を立った。
 ぼくだけが。
 と、彼女の背中をみながら想った。
 彼女のほんとうの美しさを、知っているんだ。
 そんな感慨は夢みるような優越感と、身をよじるような切なさをぼくに与えるのだった、なぜ切なくなるかといって、ぼくはその美しさに、いつも拒まれているのだから。
 しかしすくなくとも、彼女の詩の美しさを知っているのは、このクラスでぼくだけの筈であった。
「待って」
 冨原はたちどまった、ゆっくりと振り向き、ぼくのほうをみる。冷たい眼をしている。
 ぼくは、貴女のことが好きで。
 ぼくは、声にならない叫びをあげた。
 貴女の書く詩が好きで、貴女に心から憧れていて、貴女のように詩を書きたい、貴女のようになりたい、貴女と一致さえしたい、そう想っていて、でもそうはなれなくて、逆恨み、そうだ、いくども貴女を淫らで暴力的な夢想でけがそうとしたけれど、よわいぼくはそれすらもできなくて、ただ貴女が月のように輝かしくて、音楽のようにぼくを幸福にも不幸にもして、貴女に撥ねかえされるたびにぼくの恋の焔は燃えあがって、けれどもほんとうは、貴女に愛してほしくて、貴女に受け容れてもらいたくて。
「冨原さんは…」
 気づくと、内心の叫びとは異なることを、ぼくはくちばしっていたのだった。
「真夜中の英雄だ。昼間はしずかで、しんとひかえめにしているけれど、じつは詩の天才で、詩壇では絶大な評価をされていて、あー、なにをいっているのだろう、ぼくは。えっと、冨原さんは、ひとに評価されたいとか想うの? クラスメイトに好かれたくないの? ぼくはみくだされるのが怖い、けれどもみくだされるのが好きで、嫌われるよりは好かれたいし、えっと、その、水平線上の、そういう他者との関係性というか…」
「わたしね、あなたのように、水平線上のざわめきなんて気にも掛けていないの」
 と、風になびく沈鬱で重厚なドレスのような低い声で、冨原まひるはいったのだった。
 くろぐろと燦り、みずからの奥行さえ呑みこんだ、オニキスのような色香、その冷然とした蠱惑に、ぞっと情欲の火がぼくに灯った。
 彼女、こうつづけたのだった。
「わたしはただ詩を書きたいという衝動に従っているだけで、認められなくても書き続けるのだとおもうし、というか気づいたら書いているし、そして、わたしが見ているのは水平じゃない。垂直なの。わたしはわたしの歌が青い光となって、銀の月へまっすぐに射すこと、それだけを願っているの」

真夜中の英雄

真夜中の英雄

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2021-09-15

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted